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おだしょー:打ち合わせキャスト 第97回ということで今回もゲスト
にたくさんお迎えしております よろしくお願いします
おだしょー:よろしくお願いします
おだしょー:僕は府庁だった せいでたった2週間の度ぐらいなんで
ニュースがいくつかあるのですが まず先に取り上げたいのが僕ら
はふたりプラス郵便屋さんで行った Revision Talk EventというのがYouTube
ライブで行われたんですけども それが音声版が配信されており
まして 独学同好会通信というサブスタック
を探していただければ最新に近い ところで多分会があって それは
有料じゃなくても有料館じゃなくても 聞ける配信になっているので探
していただければ僕らふたりの トークが聞けるかと思います
この会で僕が唐突に言ってタスク リストになぜタスクしか書かない
のかっていう問いをぶっ込んだん ですけども いろいろ反響があった
らしく さまざまなところで感想 を見かけたんですけど これはまた
別のとこでまた改めて考えたい かなと思います
続いて さっきどっちにしようかな ロームリサーチが高度な暗号化
に対応したみたいな話で 僕 暗号化 技術が全く分からないんですけども
e2eeっていうエンドとエンド暗号化 というのに対応したらしく 対応
したというか 使えるようになった っていう感じで 今もともと作っている
ロームリサーチのデータセット グラフって言うらしいんですけど
グラフを暗号化に移行するとか ではなくて 新しいグラフのセット
を作って それを暗号化指定して もし必要であればデータをそっち
から移行してくださいねっていう 感じらしいです
おだしょー:要はセンシティブ な内容を使っても大丈夫になった
っていうことですかね
三沢:そういうことだと思います もともと研究向けのツールなので
企業とかでも使いやすくなったん ではないかなと思います
小ネタなんですけども Amazonで提供 しているAudibleという音声オーディオ
ブックサービスが 精度が2点3点 してるらしいんですけど この前
読み放題サービスに切り替わった と 以前までは月に何冊か読める
コインをもらえて そのコインの 中で読める分だけ読めるみたいな
サービスだったらしいんですけど 現時点では本当に自由自在に読み
放題になったということらしい です 僕 使ってないんで全然分からない
んですけども
おだしょー:僕も使ってないです
小ネタ:やっぱり本は読むんですけど オーディオブック聞かないんですよね
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これ
おだしょー:聞いたことある かな ない気がしますね
おだしょー:たくさんは移動中に 耳に何か入れてるって聞かれて
ます 移動中とか
たくさん:それはほとんど常に 聞いてますけど オーディオブック
というのは聞いたことないですね
おだしょー:大体は音楽が多い ですか
たくさん:音楽か 最近はYouTube の動画の音声だけ聞いてる
おだしょー:なるほどね そっか なので この仕様感がよく分からない
し ラインナップもよく分からないん ですが 知ってる方があれば教えて
くださいというところで あと 積成産経の本の情報が三つほど
ありまして どれが英語かな 長い タイトルからいくか どうしよう
かな
たくさん:難いやつ
おだしょー:読書とは何か 血を 捉える十五の技術という川出新書
から出ている 美中信弘さんの新書 僕 読みまして 読書術の本ですね
要するに 即読とかっていうより はじっくり本を読みましょうということで
研究者の方なんで 研究者の方の本 の 理系の研究者の方の本の読み方
という感じの本でした あと もう一個 佐々木俊直さんという
超有名な インターネットで超有名な 方が 現代病 集中できないよ 痴熊
に変える 読む力 最新スキル大全 脳が超スペード化し しかもクリエイティブ
に動き出すっていう本を最近出版 されましたが 僕は読んでないので
どんな本かは分かりません こういう タイトル多いんですかね 最近
なんかこう 文章になってるみたいな タイトル
分からないですけど もうちょっと どう 両略していいのかもちょっと
分からないですね これはね おそらく 佐々木俊直さんの知的生産術
みたいなのが語られてるんでしょう し 読む力と書いてあるんで 多
らかはインプットに偏った内容 ではないかなと思います
三冊目なんですけども これもちょっと タイトルがやたら長いんですが
Obsidianで情報が自然と目に入る 運用手帳兼アイデア帳を実現する
文章を書き 考える必要のための Obsidian活用術 情報整理大全という
本が本日か 本日発売になりました 著者はちょいあきさんということで
カーソルメンバーの一人でございます タイトルどおり Obsidianをちょいあき
さんがどう使っているのかという 本で 他の情報整理大全シリーズ
と同じで ボリュームはそこまで あるわけではなく 操作説明書という
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のでもなく 彼の運用とその考え方 が語られているという感じの本
です Obsidianってか 最近流行りの ネットワーク型のノートに興味
を持っている方の導入としても 役に立つでしょうし 特にScrapbox
とObsidianの違いが多分 この本を 読めばよく分かるかなと思います
そうですね Obsidianに興味のある 方はいいと思いますね
今のところたぶんここまで Obsidian を全面に出した本は商業出版
ではないと思うので
そうですね たぶん初めてじゃない ですかね
なので一発目これ取ってに取って もいいかなと思ったんですが やっぱ
ちょっとツール名がよく登場する のに縦書きっていうのだけがちょっと
ね 違和感が僕になりましたね
縦書きなんですよね
そのEvernoteとかObsidianっていう のが全部横に倒れちゃっている
ので ちょっとだけこれは別に横書き でよかったんじゃないかなとちょっと
思いましたが
そうですね このシリーズって今 5冊目まで出てて 傾向があるんです
よね 縦書きに適した感じの傾向 の人と横書きに適した傾向の人
とのがあって 1冊目が僕だったんですけど 僕と佐々木翔吾さんは割に縦書き
っぽい内容なんですよね それ以外 の方は割に横書きっぽい内容
になっていて その辺りを統一しよう としていないところが 割に面白い
というか このシリーズの特徴 なのかもしれないですよね 見出し
の付け方とかも全然人によって 違っていて 形式的にもその人の
個性が出ているっていう感じでは あるかもしれないですね
なるほどね
確かに そうね Obsidianとかこの前の OmniFocusとかGTDとかっていうのを
使うときは 割に横書きのほうが 読みやすいかもしれないですけど
そこは人の好みもあるかもしれない ですけど
もちろん そうですね そういう 本が出ましたと 多分Kindle Unlimited
対応なので おそらくそうですよね 確か
そうです
はい なので そちらで読んでいただく ことも可能かと思いますという
ところで 本編に入りたいと思うん ですが 先ほどこのお話の続きでも
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あるんですけども 結構でかいタイトル で 編集とは何かと
でかいですね でかい
ノウハウ本をどうやって書くか よりも はるかに広大なお題目ですけども
やっぱりコンテンツクリエイター という ごご覧みたいに文章を書く
人間にとっても ちょっと避けて は通れないといいかなという気も
していまして 文章を書いて終わり っていう場面はやっぱり少なくて
何らかの形で編集っていうのが 入ってくる それ自分が編集する
場合もあるし 他者が編集する場合 もあるんですけども 料理でいう
と その素材そのままバーンって 出しましたみたいな タイ釣って
皿の上に出しましたというわけ にはいかず 何らかの調理っていう
か加工なりを経て プロダクト というんですかね 製品と呼べる
ものになっていくっていう その 過程を担当するのが編集やと思う
のですが どうしますかね 例えば たくさんの中で編集とは何かって
言われたらどんなふうに答えます
僕の編集のイメージは 文章を書いて それを切り刻んで組み立て直して
形を作っていくような作業のこと を僕 編集っていうと直感的に頭
に浮かべるんですよ そういう作業 を 要するにテキストエディター
っていう言葉があるときの テキスト エディターのエディターでエディット
するっていう部分を僕は思い浮 かべるんですけど あとはアウトライン
を組み立て直すとかっていうのも そうだし なので つい人と編集と話
をするときにそういうふうの頭 に思い浮かべてしゃべっちゃうん
ですけど 多くの人の思い浮かべる 編集はその編集ではないということ
も 割に大人になってから自覚する ようになりましたね 僕が思い浮かべる
編集は 個人が書く作業の延長として の編集なんですけど おそらく一般
的に多くの人が思い浮かべるのは 編集者の人がやる仕事としての
編集なんじゃないかなと思って 割にそこで僕で疎応が出ちゃう
ことありますね
おだしょー:おそらくそうなん でしょうね 編集っていう一つの
言葉を一番広く意味取ることも できますし 一番狭く意味を取る
こともできますけど 一番広く使 っているのが おそらく松岡誠吾
さんで 情報にかかるあらゆる操作 を編集とおそらく呼んであると思います
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狭い意味の編集っていうのは 先 ほど言われた文章 本とか 本に限
らんか 文章 でも映像も編集って 言いますよね
松岡:映像も編集って言います ね
おだしょー:その辺のコンテンツ か コンテンツをある形に向けて
整える作業みたいなぐらいかな ちょっと抽象化してみますぐらい
が狭い意味で その中間あたりに いろいろな意味合いが広がっている
っていう点が一つと 先ほど言われた 日本の編集者の仕事は当然多分
編集者っていう点ですから 編集 してあるわけですが ややこしい
のは彼らが先ほど言った一番狭い 意味の編集以外の仕事をしてる
ということなんですね 要するに 企画のディレクター ディレクション
もされてる 進行のマネジメント もされてると 言ってみればそれ
も編集と言えなくはないと思うん ですが
おだしょー:すごく広い意味 で
松岡:僕の中での編集って コンテンツデザインって一言
でっていうか 英語に翻訳すると コンテンツデザインっていうこと
になりまして それは結局 例えば いわゆるビジュアルデザインとか
あと僕の中でKAっていう KAもほにゃ ららデザインで多分言えると思
うんですけど 要するに手持ちの 資金をどう分配するかっていう
話なので ある種のデザインだと思 うんですけど 全部一緒の知的作業
カテゴリーで ターゲットという かオブジェクトが違うだけのことを
しているという感覚で編集っていう のは捉えてます
おだしょー:広いですね 結構ね
松岡:結構だから松岡整合派 というかに引っ張られてるような
イメージがあって でも梅沙夫さん 梅沙夫太郎さんの最近情報論ノート
っていうだいぶ古い本をなんとか 入手しまして 一つ目が情報の創造
と編集という題目で 一行目が 執筆者と編集者っていう もろに
このタイトルの今回のお題が出て くるんですよね 当然 いろいろな
語り口があるんですけど 結局 例えば 彼らの中では編集と創造
っていう二つの分類をまず設けるん ですよね 執筆者っていうのは創造
者であると 編集者って編集者である と 創造と編集っていう二つの
クリエーションとエディットっていう 二つの違ったものに見られている
けども 実はそこに共通するのが コッテンがあるんではないかという
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よくある梅沙夫論法がそこで展開 されるわけですね 異なるものの
中に同じものがあるのではない かと 例えば 雑誌の編集者とか
っていうのは 自分で原稿を書く こともあるし ないこともあります
けど 集まった原稿を集めて 一つの雑誌 詩詞面を作るということを
していると 自分で原稿を書かない 人は ある意味ではクリエーション
をしていないんですけど 雑誌という 集まった原稿を素材とした雑誌
作りというクリエーションをしている と 逆に僕らも 例えばアウトライン
プロセッシングを見たらよく分か るんですけど 文章を書く中でも
編集的作業 つまり素材を集めて 順番を決めるということをしている
わけですよね 結局のところで 一つの文ですら 文ですら文法
通り 文法から違反しない範囲 でも 順番って入れ替えられますよね
特に日本語の場合は 語順って結構 自由じゃないですか
おだしょー 重要 自由ですね
おだしょー なので この言葉を どこに置くかという順番すらも
決めていると これはある種 言葉 という素材を使った編集作業でも
あろうと なので 一つの大きな プロダクトを作る中で 編集と想像
っていうのが 実は入れ子状にずっと 重なっていくんだっていうのが
梅澤先生の一つの論立てで これは 確かにそうやなと
おだしょー そのとおりだと 思いますね
おだしょー ある種 これが一つの 結論ではあるんですけど 僕らの
もっと身近な問題で考えたときに セルフパブリッシングするとき
ですよね 要するに 編集の役割 も同時に引き受けなければならない
という問題 商業出版の場合 そういう 編集者を他社において 執筆者として
どう付き合えばいいのかっていう 問題 確実としては この二つの
問題があると思うんですけど 後者 は相性というか 編集者って一口
に言っても かなりバリエーション がある 学校の先生ぐらいバリエーション
があるじゃないですか 人によって は 編集の綱引きの仕方とか コンテンツ
の方向ディレクションをどれぐらい 強めに持ってるのかとかいうのが
あるんで 一概には言えないんですけども 村上春樹さんの場合はほぼ編集者
は最後のほうまで出てこないですよ ね きっと
村上:そうでしょうね
おだしょー:執筆終わって 原稿 完成されたものを渡されてっていう
ところでしょうから 編集者と二人 一緒に企画作るっていうことは
多分ないでしょうけど 例えば漫画 とか 週刊誌の漫画とかやったら
多分編集者さんと一緒に考える みたいなことは多いでしょうし
一般の本でも 割りかし編集者さん のコンテンツディレクションは
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結構多めに出てると僕は思ってます
そうなんでしょうね そんなに知らない ですけど きっとそうなんだろう
なと想像してるんですけど
おだしょー:同じ著者でも 例えば 発売してある本の出版社が違う
と ちょっと漢字が違うっていうこと もありますし
村上:ありますね ありますよね
おだしょー:それはやっぱり 編集者さんの力量というか 色合い
がおそらく出てるんでしょうね 広がりって僕らのセルフファブリシステム
シンクなんですが 自分の本 でも 先ほどの定義でいうとあれなんです
が 自分の本を最後にパブリッシュ ボタンを押すまでに たくさんの
中での編集者的仕事っていうのは 何か特別にありますか 書き手
とは別にこれは編集者的仕事だな みたいな感じのことってあります
村上:ない
おだしょー:でしょうね やっぱり
村上:シート言えば 表紙とか Amazonに載っける概要文を書くとか そこ
はちょっとありますけど 中身の 文に関しては全く分離されてない
んですよね
おだしょー:でしょうね おそらくね
おだしょー:編集者的仕事をしている 感じがあるときって 何を意識
されてますかね あるいは何に注意 を払って作業をされてますかね
村上:そこが難しいところで この書き方が結局 エディットする
という意味での編集と分離できない ところがあるので 切り刻んで組
換えることを最後まで続けるので 終わり方とか結論も最後まで分
らないんですよね どうなっちゃう か最後まで分からないということ
を逆にすごく意識するというか 表現が難しいんですけど こういう
ふうに終わるはずっていう前提 みたいな あと タイトルも最後まで
決まらないし なぜならどう終わる どういう結論でどう終わるのか
が変わったらタイトルも変わっちゃう 可能性がある
おだしょー:そうですね
村上:そういう書き方って 多分 商業出版というか 例えば編集者
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の人と仕事をすると 許されない 場合もあるだろうなと思うんです
おだしょー:社内の企画案が通り にくい可能性が高いですよね その
場合は
村上:もしくは企画が通ったら 逆に通った企画からあまりにも
かけ離れてしまうことはやっぱ 避けなきゃいけないなと思うん
ですけど やっぱり
おだしょー:うん
村上:ただ 逆に自分で編集的 作業兼執筆作業をするときって
逆にこのタイトルも この思い描 いている終わり方とか結論も 全然
これは一瞬で変わっちゃう可能性 があるということを逆にすごい
意識してるというか そこを固め ちゃいけないっていう感覚がある
んですよね 結論を出しちゃいけない みたいな
おだしょー:一旦 本言語を書き 終えますよね 例えば タイトル
を付けるじゃないですか そのタイトル を付けるときに編集者的してちゃう
のが 執筆者的視点以外の視点において 何か どういうかな 例えば 具体例
で言うともっとキャッチーにしよう っていうような趣味の置き方とか
があるじゃないですか そういう 別にこれは一つの例なんですけど
こういう点を考えて 例えばタイトル を付けてるみたいなことってあります
おだしょー:でも それはあります ね そう見えないかもしれないけど
あります 例えばアウトライナー 本の3点セットだったら 3冊だったら
割に説明的なタイトルを意識的に 付けてるのは キャッチーだけど
タイトルだけだと何の本か分からない 本タイトルにして売れるほどの
知名度が自分にないという気持ち がすごくあるので 逆にむしろ検索
を意識した説明的なタイトルを 特にサブタイトルに関しては付
けるとか そういう意識は確かに あった気がしますね 例えばシェイク
っていうタイトルにしても きっと 誰も買ってくれないだろうと もっと
有名な人がそのタイトルだったら 売れるかもしれないけれども って
いうようなことを考えるのは多分 編集的視点ですよね
>> 亀川 編集的視点ですよね 逆にだから編集者的視点のタイプ
が違えば逆張りというかシェイク っていうタイトルでサブタイトル
を面白くするみたいなこともある でしょうね
>> 谷 あるでしょうね 当然
>> 亀川 そうだね 例えばその段階 で原稿が完成してますつって
タイトルが1位に決まるわけではないん ですよね そこはやっぱり編集者
視点の引き出しとかスキルによって 付けられるタイトルはやっぱり
変わってくるし それはやっぱり 編集的技術ですよねきっと
>> 谷 そうでしょうね
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>> 亀川 表紙も同じことですよね タイトルの延長線上にあります
よねだから
>> 谷 そうですね あと一応前職 まで広い意味の広告業界にいた
のでっていうか一応マーケティング と名のつく仕事だったので一応
なんかこう知識としてこうやる べきなんじゃないかななくはないん
ですけどなくはないんだけど感覚 的に要するに企業がやるマーケティング
と個人が個人として作ったもの をどう売るかっていうのはなんか
違うんじゃないかっていう感覚が あってそれが正しいかどうかわ
かんないんですけどそういうような ことを考えることは多分編集
>> 亀川 編集ですよねやっぱり そこはねだから一応作業的なマーケティング
でまさに日本の編集者さんがやっている 仕事の一つですけど一つの大きな
プロダクトメイキングの中では やっぱりエディットというか編集
的作業コンテンツデザインって 言ったときのそのコンテンツの
パッケージとか外側をどうする のかって考えるっていうことですよね
だから
>> 谷川 そうですね
>> 亀川 例えば商業出版で新しく たくさんの本を書くとして編集者
さんに期待したい役割というか 機能といってもいいんですけど
どんなことをしてもらえたらうれしい 感じですかね
>> 谷川 やっぱりそれは僕商業出版 の経験が1回1回2回しかないんです
けどやっぱり自分では気づかない ことを指摘その内容とか構成について
指摘してもらえたらっていうのも あるしやっぱり何でしょうね僕
KDPから始まっちゃったんでセルフ パブリッシングから始まっちゃ
ったんで一人で作るのよりすごい ものができてほしいじゃないですか
いいものができてほしいという か
>> 亀川 そうですね
>> 谷川 やっぱり一人では作れない ものができるというのが一番やっぱり
うれしいというかしやっぱりそれが 意味だと思うんですよねやっぱり
編集者というのはプロだと思って いるしプロにしかできない仕事
というものをやっぱり見たいなあ というかその言い方変ですねなんか
これで今まで見られなかったような 言い方ですけど別にそういう意味
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じゃないんですよ
>> 亀川 うんそうなんや生地という かやっぱりKDPで正直本作りを一人
で最初から最後までできてしまう 以上それやったら俺だけでできる
ようなっていうものが成果物やった 場合ってちょっとがっかりする
ところはありますよね
>> 谷川 そうでしょうねだからやっぱり 例えば編集者ではないけれども
あれじゃないですか例えば書く ためのアウトラインプロセッシング
のときに倉下さんにかなり最終 段階で近い状態で倉下さんに読ん
でもらっていろいろ意見をコメント もらったじゃないですかやっぱり
その後1週間でかなり変わったん ですよねやっぱり自分一人だったら
こうしなかったっていうところ がやっぱあるそれが自分で感じ
られたときに編集者ではないけれども 自分ではないけれどもその作業
についての経験と見識と哲学を持 った人が一緒にいて共同で作れる
っていうことの喜びみたいなの があるわけじゃないですかやっぱり
>> 谷川 ありますね
>> 谷川 でプロの出版社の編集者 だったらもちろんそれに加えて
その出版社から本を出すということ のプロで窓口になってくれるわけ
ですよね多分
>> 谷川 そうですね
>> 谷川 で想定から印刷からそういう ところのどういう形の本になる
かっていうところの窓口でもなる わけだしどういうふうに売るか
っていうところもあるわけなので 混ざったところで作業をしてやっぱり
こういうものは自分一人では作れない よなっていうのが編集者っていう
自分の中の幻想の編集者みたいな ものがあってすごいそういうリスペクト
の対象としてあるわけですよそういう 編集者さんが
>> 谷川 あるわねそれはあります
>> 谷川 それはやっぱり逆にその 編集者像っていうのが商業出版
の経験をたくさん重ねるとだんだん リアリスティックに変わっていくん
じゃないかなと思うんですけど でもないわからないですけど
>> 谷川 僕は仕事をするたびに編集 者さんすごいなって思うようになって
きましたね
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>> 谷川 ああそれはやっぱりいいん じゃないですかねやっぱり
>> 谷川 もちろん巡り合いというか 良い人に声をかけていただいている
ということやとは思いますけども まずコンテンツディレクション
以前に人の扱いがうまいという 言い方はちょっとあれですけど
人の動かし方がうまいというかね それはもうある種マネージャー
にとっては必須のスキルみたいな もんじゃないですか
>> 谷川 そこはやっぱりどの方も すごいですよね
ライターなんていうものは文章 褒められたら青みたいに喜ぶんで
それらへんの感の転がってある とは思うんですけど
やっぱり良いところを褒めて締める とか直すべきところの方向を
気分を返さない表現で的確に言う っていうのは思っているほど簡単な
ことではなくて
>> 谷川 うん
>> 谷川 それはやっぱり積み重ね られた経験がそこにはあるんだろうし
そこで的外れのことを言ったら 信頼関係で崩れちゃうわけです
から
>> 谷川 はい
>> 谷川 指摘を受けてちょっと ムッとしたとしてもそうやなって
思えることを言えることが編集 者としての一番基礎的なスキル
なんだろうなとは思いますね
>> 谷川 うん
そうですよねその仕事の進行 マネジメントをする人でもあります
ね
>> 谷川 はい
>> 谷川 特に著者マネジメント 全体の進行管理されてますけど
特に著者マネジメントっていう のが重要で週刊誌とかは特に締め
切りの管理が重要ですけど原稿 っていうのは書けって言われて
書けるんでもない人にはもちろん 言われますけども書けないとき
はやっぱりどうしようも書けない と結局自分の中での思考の熟成
が足りてないとか適切な素材が 見つかってないみたいな意味での
書けないっていうこともあるわけ で急かされたからできるという
ものでもないんでねやっぱり温かく 見守りつつ適度なリマインドを
入れてくれるみたいなこれはもう 編集コンテンツマネジメントという
よりは人的マネジメントの日本の 編集者ってすごいですよねよく
よく考えたら
>> 井上:広いですよね
>> 平岡:スーパーマンみたいな ことしてありますけど僕ら書き
きてなんて並行して2,3の企画が 進むだけですけど彼らは多分30
とかの企画を流度の違うっていう か進行の程度の違うものを抱え
られてるわけでそれを管理されてる わけですからねもう頭が上がらない
日ですよね
>> 井上:そうですねそういう意味 では企業の管理職の適性に近い
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ようなものが求められますよね
>> 平岡:僕もいますねおそらく は特にここでマーケティング的な
視点も必要とかそれがなければ 編集者はやっていけないという
かい続けられないわけで結局売れる 売れないってどれだけマーケティング
しようが運っていうのがあるじゃない ですか時流というかタイミング
というのがあってだからホームラン 出せるかどうかある種運ではあるん
ですけどでも堅実にヒットを打ち 続けられるぐらいの力は多分必要
でそのうちの何回かにホームラン が出たらすごい回収できるみたいな
業界なので最低限の企画力みたい なのは絶対ですねこの企画力っていう
のもこれ簡単に言いましたけど これ実態が謎な能力ですけどね
企画力って
>> 谷川:分からないですよね 企画力って何なのか企画ってすごく
マジカルな印象がある場合と感覚 的な印象がある場合があって難しい
んですよねそれもやっぱり企画 っていうときに思い浮かべるもの
が人によって全然違うんですよ なんとなく特にバブル期前後の
広告代理店的企画みたいなって あるじゃないですかねそのイメージ
を持ってる人ともうちょっとロジカル なデータとデータのに裏打ちされた
企画みたいなイメージを持っている 人ともちろんジャンルによって
も必要な企画のタイプって全然 違うと思うんですけど編集と同じ
ぐらいすれ違いが生まれやすい 言葉ですね企画って
>> 谷川:そうですね企画大抵 編集者さんが著者に対して本を
書きませんかあるいはこういう 企画があるんですけど書きません
かって始まることがわりかし多いん ですよねもちろん著者が企画を
考えて持ち込むということもあります けどもでも編集者さんはいわゆる
先ほど言ったクリエイティブの 一番スタート地点をできないと
話にならないというかその企画 がもしものすごく良いものだったら
書き手はそれに従って書くだけ でもその書く内容はもちろんゼロ
からのクリエイティブですけど フレーム決めるのが一番難しい
わけですから世の中にだからそういう のが力がある編集者さんがいる
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と著者はだいぶ楽させてもらえる でしょうねそういう力があれば
>> 谷川:そうですねだから何か こう見聞きするところでは僕の
遠い親戚みたいな人がそういう 仕事をしているところを見聞き
する限りでは逆に割に編集者が ガチガチに企画を作ってライター
さんがその通りに書くみたいな のがそこでは通常の形式みたいな
ことも聞いたりしますし全然ジャンル によってそれも違うんでしょうね
>> 谷川:なるほどねでもその 場合はちょっと面白さが爆発する
可能性がちょっと低いでしょうね やっぱり編集が考えて著者が書く
っていう役割分担と綱引きとか 相互作用とか科学反応みたいなん
で面白い本ってできるんじゃない かなという予感が僕の中ではあります
ね
>> 谷川:そうですねだからそれは 著者じゃなくてライターなんでしょう
ね言い方としてはね
>> 谷川:だから日本語で編集 って言ってますから日本の編集者
さんの仕事について結構考えて ますけど結構クリエイティブより
ですよねどうも
>> 谷川:今はねそうだなとなんか ねすごく作る側ですよね
>> 谷川:そうですよねだからもしか したらイメージされてる人って
その著者が書いた原稿をもらって レジステータにするだけのような
その右から左に打つだけのような 仕事やと考えられてる方もしか
したらね知らないかもしれません けど日本の編集者は割にスーパーパーソン
ですよね
>> 谷川:そうですね逆に右から 左のケースも見聞きしますけど
ただ一般的にはそうじゃないでしょう ねきっと
>> 谷川:そのまま右から左の場合 であっても生データ原稿のデータ
っていうのはそのままで売り物 にはならないとそれを売り物になる
形にするつまりプロダクトに変換 するという作業は一応最低限されてる
わけですけどレベルは1とか2とか その作業の強度でいうと
で編集者さんの技量ってやっぱり プロダクト化やと思うんですよ
原稿テキストのプロダクト化って いうことが一つの仕事でプロダクト
化ってどういうことかっていう と本を市場につなぐマーケット
につなぐ接続するっていうこと をいかにマーケットに接続する
かっていうことを考えることがおそら く編集者さんの一つの仕事と
逆に編集者さんがそれを考える から著者はそれを考えなくても
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あんまりいいっていう役割分担 が成立してるところが多分一番
幸せな関係ではないかなという 気はします
なるほど
一人が両方考えるとやっぱり生 反果というか中途半端な感じになって
しまいがちなんですねなんかほど ほどになってしまうというか
そうですよねあと自分の中で引き 裂かれますよね一人で考えると
矛盾しちゃうんですよね結論が
なのでお互いが違うことを考え てやるっていうことでお互いの
中にいなかった答えが新しく出て くるっていう感じだからリビジョン
っていうものもお互いの原稿を 触れんままに編集して出来上がった
わけですけど別にそんな不自由 感はあんまりなかったですよね
僕はあんまりなかったですけど 押し付けられてる感はあんまり
なかったですけど
ないですね全然
だからああいう感じでのなんか 二人とも別のことをしてなんか
思いもよらぬ一つのことができる っていうことが著者と編集者の
役割分担なのかなという感じは しますね
そうですね理想それは理想かもしれない ですよね
やっぱりだから一人で考えまあ 著者から見たときの編集者の役割
という中で一番やっぱり大きい のはその外部の視点っていうところ
でやっぱり一人で考えるとねまあ 人間なんで視覚というかその見えない
盲点かなっていうところが必ず 出てきますしこれ何度も言って
ますけど考えれば考えるほどわから なくなってくる問題っていうの
があるんですよ
わかりますね
で僕もここ2ヶ月ぐらいかな一つ の企画案の冒頭の部分何回も
ずっと書き直していやこうでもない こうでもないって言ってで編集
さんに見せたときにパパッとこう ですねってこういうふうにまとめ
られたらいいかもしれませんね って言われたときにはって気づく
ことがいくつかあってやっぱり ねそのやろうとしていることが
時間とともに肥大化しているんですよ この本あれもやりたいしでもこれ
も必要だろうとこうやろうとこう なってこうとか言ってどう計算
しても20万字ぐらいなるものをなん とかその原稿の中に落とし込もう
としてでその1章1章分のチャプター で最大1万字としてもやっぱり
僕の頭の中で3万字ぐらいの計算 になっててその長尻が合うわけ
がないのにそれでもなんとかしよう としてるんですよねやっぱり言わ
れないとわからないっていう他の 人から言われないとわからない
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っていうことが今僕も体験しました しこれまで歴代の編集さんの中でも
気づかずに出てしまう著者なりの 癖っていうことを指摘していただ
いたりだったりとかすべえのう とかでは小難しい言葉を僕がよく
ちょいちょい出すっていうところ でそれはちょっと削りましょう
っていうことを言われて書き換え たんですよねすぐにその僕のエゴ
が出ちゃってすぐにね手図学的に 小難しい言葉を使いたがる傾向
みたいなでもそれ例えば新書っていう 若い人が読むそのレベルで考え
たときに適切かっていうとそこまで 適切ではないともちろんその
ちょっと背伸びするような本で 難しい言葉を使うっていうのも
もちろんありだとは思うんですけど だからそこは編集さんのスタイル
というか判断ですけど僕は確かに そういうのは難しい言葉を使い
がちだなと思って書き換えて比較 的読みやすかったと言われたので
だから著者さんの癖とかって個性 とかってもちろんそういうのを
読みたいから本を人は本を買うわけ ですけど出すぎたら悪が強くな
っちゃうわけですよねこれって そうですね
だから強制的に修正されるわけ ではなくてこうしたらどうですか
って一回提案してもらって冷静 になって考え直してみるっていう
そのある種のクールダウンの期間 を設けながら進めていけるっていう
とこが一人でやるとことこの大きな 違いじゃないですかねやっぱ一人
でやってるとクールダウンの期間 がほぼないままずっと加熱し続ける
ことになっちゃうんでここら辺 がやっぱりKDPというかセルフ
パブリッシングの難しいところ ですよね
難しいところですねそうなんですよ ね書けないんじゃなくて書き過ぎ
ちゃう書こうとしすぎることを 防げなくなるっていうところもある
しやっぱ一人よがりになるんですか ね
簡単に言うとそういうことだと思います 一人よがりになっていることに
もう気づかないですからね一人 よがりになっているときは
だからこう編集者になるつもり はいやでも一応編集長か
職業的に編集者になるつもりはないん ですけどセルフパブリッシング
をこれからも続けていく上で編集 とは何かっていうことをちゃんと
考えてやっていかないといくつか の点で問題があってやっぱり一つ
といえば売り上げですよね売り上げ を考えなければならないとそれは
多分著者的な視点じゃなくて編集 者的な視点を磨く必要がおそらく
あるだろうとあとはコンテンツ のクオリティーをいかに上げて
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いくかっていう視点もあってそれ に関しては僕らが最近やっている
ような他の人の原稿を下読みする っていうのでなんか結構クリア
できそうだなっていう感触は今の ところあります
そうですねでもやっぱり信頼できる 他人が読むということに勝るものは
ないところがありますよね
そこができたら日本の編集者が やっているそのコンテンツを見て
くれる部分だけは大体できるかな という気はしてますけどたとえ
って日本の編集者不要論までにはい かないのはマーケティング的な
視点が必要だからですねあと人間 的応援というか情緒的援助という
かそこもあったほうがいいとは 思うんですけど
そうですねまあねそこの情緒的な 部分でどんなものが必要かがまた
人によって違ったりするんでね 難しいですけどねそこは
まあだからプロダクト要するに さっき言ったマーケットを意識
したプロダクトの作り方でプロダクト と呼びうるコンテンツは何かっていう
問いですよねだからここでは これが多分一番難しいつまり
二万字とか三万字の原稿用紙を 埋めること自体はおそらくは多くの
人に可能ではあるとでそこに何 かしら有益な情報が含まれている
可能性も比較的高いと しかしそれが読みもとしての本
イコールプロダクトとして果たして 成立しているかどうかはまた別の
問題であるっていう問題意識が 僕の中にもあります
おだしょー 僕の中にもありますね
りなたむ うん
僕の中ではそれをきちんとプロダクト 化するものが編集であり編集者
さん編集者の仕事かな 先に編集 っていう言葉はちょっと場口が
ひどいんで編集者の仕事という 言い方をしておきますけどそれ
こそがやっぱり編集者の仕事ではない かなと
そうですね だから何が正解かはその時々
とかケースによって変わるけれども その時々のあるべきプロダクト
の形に持っていくことですかね どういう言い方をしたらいいかな
おだしょー まあでもやっぱりディレクション
導くことでしょうね りなたむ
そうディレクションですよね そうそうですね
りなたむ ここをねもう
いや編集のいかにしたら編集が仕事 をしたかっていうのをとある事情
48:03
がここ先ずっと考えてたんですけど とある事情がっていうか
とある事情 詳しくは言えないけど
でもやっぱりそうですよね だからプロダクトとしての本
って何だろうなっていう問いに 変わりますよねだからそれって
そういうことですね 例えば人間なんでどうしても5時
脱時をゼロにするっていうのは 僕の経験上無理なんですよね
ライフハックの道具箱って言って 自分でも何回も見たし機構者の
方にも原稿チェックしてもらった けどやっぱりあるんですよ5時っていう
のを リビジョンはそういえば今まで
報告上がってましたっけリビジョン ってなかったかな
おだしょー ないですよね
りなたむ 表ではいただいてないんですよね
またこれが おだしょー
奇跡ですねそれは りなたむ
やっぱりそれ2人で見たからじゃない ですよね
僕ね本当に法則があって自前の KDPで自分がどれだけチェックしても
5時脱時って残るんですけどちょうど 1万字に1つあるんですよ
僕が限界よしこれでもうこれ以上 できないっていうくらいチェック
して出した時に僕は1万字に1つぐらい 5時が残るんです毎回そうなんですよ
りなたむ いやまあまあ出ますよねこれは
おだしょー そう
りなたむ 酒がたちがもちろんねよくはないん
ですよよくはないんですけど人間 の仕事である以上出てしまうこちら
辻っていうのが出てしまうのは仕方 がないとしても多すぎるのはよくない
よねとは思うんですよねですから 多すぎるなんて感覚の問題で例えば
5個やったら多いか少ないかっていう 話ではないんですけども多すぎる
ものはやっぱりちょっとプロダクト として用具あるいはお金をとって
そのコンテンツを売るものとして は給代点は上げられないかなという
気はします これあんまり言うとお前の本は
どうやねんっていうことになる からあんまり口うるさくは言えない
ですけど程度の問題として受け 取ってもらえばいいんですけど
結局原稿チェックの程度が甘い っていうことですからそれはもう
実直にどう言ったってあんまり 原稿チェックしてないんですね
って言われますからねだからそれは もう
おだしょー そうですねやっぱり どれだけチェックしてもミスは
残ることが避けられないっていう のは一つの事実としてあってそれを
絶対にダメだと思ってやるとちょっと メンタルやられちゃったりする
ことがあるんでやっぱりそれは 限界があるじゃないですかでも明らかに
ちゃんと見てないよなっていう タイプの誤字ってあるんですよね
51:01
おだしょー はいはいはいはいはい はい
おだしょー やばいね一生懸命見たんだけど
残っちゃいましたっていう誤字 とこれは見てないよなっていう
タイプの誤字ってあるんですけど ね
おだしょー はいはいはいはい
おだしょー やっぱり見てないよな 系の誤字
これもね本当に自分にブーメラン になって書いてくるものなので
あれなんですけどただやっぱり そういうものがすごくたくさん
あったりした場合にはやっぱり とは思ったりしますよね
おだしょー これでも例えば誤字 と字があったからって本から摂取
情報が摂取できる情報が激減 するわけじゃないんですよ人間
とか人間の情報の勝利って冗長性 があるんで誤字と字があろうが
全国から文明から押し上がれるん で情報の摂取という観点において
大きな欠落があるわけではないん ですけどそれとは別に何か別の
ものが損なわれてる感じが明らか にあるんですよね
おだしょー そうですね難しいですよねそれが
こういろんな事情でそうなっちゃう 場合って想像がつついたりするん
で 難しいんですけどただやっぱり
そういう事情を知らない一般読者 がお金を払って買ったときにえ
っていうものがそれはそれこそ 昔からそういうものって何度か
見たことありますけど昔印刷された 書籍ですごいの見たことあります
けどね暖楽の途中で文章が終わ っちゃって不当点も何もなくて
なんか突然切れちゃってその後がない みたいな暖楽がいくつかあるみたいな
本を読んで借りたことあります けど
おだしょー あーすごいなー
おだしょー でもやっぱり明らかにデジタル
で入稿した後で多分構成する暇 がなく出ちゃったんじゃないかな
みたいな やっぱりそれって1800円くらい
する本だったんで僕は都市販売 会借りたくないんですけどやっぱ
ね1800円払って買った本でそういう ものを目にしたときにどう思う
かっていろいろありますよね やっぱり
おだしょー そうですねどう思うかってガッカリ
するわけですけどやっぱりそこ かなガッカリ感を減らすつまり
コンテンツの内容に関して期待 してたものと違ったっていうガッカリ
感は避けられないというか本当の 相性の問題じゃないですかでも
ゴジサツジはもっと普遍的という か一般的というか内容に関係ない
じゃないですか フォーマットの問題なので
だからそのガッカリ感をなくせない しても少しでも減らそうという
54:04
努力内緒エイティーいうことの この努力つまりそのエイは先ほど
言ったようになくても情報接種 っていうのは成立しちゃうんですね
フォーマットがずれてようが上の 会議を開けがなかろうが本として
は読めると文章としては情報接種 できるけどもそのあえてという
か少しでも良いものにしようという 試みがそのコンテンツのお金を
出すわざわざの価値につながっている のではないかと
そうですね
だからおそらく無料のコンテンツ でそうなっていてもそこまでガッカリ
感はないというかまあそうやろう なみたいなところだと思うんですけど
まあたぶん100円以上の本100円たとえ 100円の本であってもなんかそういう
のが多いとちょっとガッカリが 発生しますよね残念感というか
うん
うん
まあね本当にいろんな事情という ものが背後にはあるので
はい
別に断罪したいわけではないですけど ね僕は
そうなんですよねそこを想像しちゃう といくらでも逆に用語もいくら
でもできちゃう
うんそれはもちろん
ところはあるんですけどまあ難しい ところですよねただ
何の話でしたっけ
まあだからプロダクトと予備売る コンテンツの前提条件かなどう
まあもちろんその商業出版でちゃんと 出てて変な本もありますからまあ
その完全な条件ではないですけど なんとなく平均値として期待したい
ものみたいなところですねプロダクト と予備売るコンテンツである程度
フォーマットがきちんと整っている っていうのはその条件に加えて
もいいのかなという気はします ね
そのちょっと才能の問題じゃない ですからねそれって
そうですね
単純作業の確認作業の問題なので
そうですねそうやっぱ編集っていう 時にはやっぱりそこまでそこも
含まれる感じですよねイメージ として
おそらくはそうやともちろんその 構成の仕事ですけどそれを先も
言ったようにディレクションしている のはそのディレクション最高責任者
は編集者なので編集の仕事でしょ おそらくは
なるほど
あとはそうですねその素材はいい けど読みにくいみたいなものも
編集の一つの仕事ですよね仕事 の結果ですよねだから
57:00
そうですね
その読みにくい読みやすいももちろん 個人差があってこうっていう答え
はないですけどあんまりに冗長 すぎたりとか逆に説明不足すぎ
たりする時にいやここはこう言って くださいってさっきも言った第三者
の視点で何かしらのアドバイス をしてコンテンツをディレクション
していくっていうことがあること でプロジェクトになっていくっていう
感覚かな
そうですね
今ノートっていうサービスがあって ノン編集の文章でもお金を売買
できてしまう以上このお話の成立 状況がかなり難しくなっているん
ですけど
そうかそうですね
例えば僕らがamazonとかkindleで お金を払って買うときに期待する
ものとしてやっぱりそういうプロダクト 性っていうのがあってほしいとは
思いますねやっぱノートでそれを 買うときってそこまでそれをプロダクト
として多分捉えれないと思うん ですよあれは投げ線的な感覚という
かな
そうですね不思議ですよね
そう別に払ってる金額が大差は ないはずなんですけどやっぱGDPで
買うと本を買ってるって感じが しますよね
そうですね結構ね記事一つで何百円 って考えたときに別にそれを不自然
に感じないんだけれどもよくよく 考えるとKDPで売ってる本の値段
ってあれ結構安いなと思います よね
どう考えても安いですよ
そうですよね
値段っていうのは買う人の数の 大きさによって変わってくるんで
市場の大きさによって変わって くるんでノートで買う人はそんなに
多くないから値段が高くなって しまうっていうのは当然あるし
広い市場で売ってるから値段が 安くなりがちっていう点はあります
けどそれを踏まえても日本のKDP の本は企画的安すぎますね日本人
の海外がどうなってるかは分からないん ですけど
安いんですかねあれは
安い素人が書いた本やからうん ぬんかんぬんみたいなのは全部
無視していただいてでも500円切ってる 本多いでしょ特に2,3年より前に
出た本ってだいたい500円より安 にちゃいますよきっと
500円超えたら結構攻めてるなと思い ましたね
いい感じですよねでももうさすが にある程度販売データとかが上が
ってきててそれの価格ではちょっと 採算が合わないぞとはみんな実感
してるとは思います採算合わす ことが重要ではないんですけども
その行為を継続的にやるにはちょっと 値しないお金にしかならないぞ
1:00:08
ということが明らかになりつつ あるのではないかと
そうですねでも今この話で思い出 しましたけどあれですね編集的
行為の大事なのを忘れてました 値段決め
そうですねこれもマーケティング の人ですねいかにマーケットに
タイトル付けと値段付けが購入 決定に強いインパクトを与える
わけですから値段付けは大きいん ですけどもでもまあ500円kdpの場合
は250円以上と以下がまず線引き がありましてでそこからはいくら
でも自由で確か1万円ぐらいまで だったの最高kdpの場合はセレクト
の場合は確か最高金額が決まって まして無限には付けられないんです
けどもまあ2000円まででしょうね おそらく付けたとしても
そうですね1000円以上のkdpって僕 あんまり目にしたことないですね
そうですねその怪しいビジネス 以外では僕も見たことはないですね
そうですね
でまあさすがに1500円とかはやっぱ かかってる工程数とかを考えて
もちょっと高すぎるかなとは思います けどでもだからといって180円は
安すぎますよねやっぱし
そうですね180円まあ難しいんですよ ね本当あとあの安倫以降すごく
値決めが難しくなったっていう のもあるし
まあ安倫入ってる人が増えて安倫 で自由に読めるので高い値段を
付けやすくなったという点は間違い なくあって
そうでしょうね
うーんあの多分安倫で読む人が かなり増えてますし安倫の方が
当然読む敷居は低いのででも安倫 で読んでもらえるんやったら
ウル側はその何年付けても変わらない のであれページ単価というやつ
なので読まれたページ数で表収 が決まるんでじゃあまあわざわざ
買おうと思っている人にはすいません ちょっと高くなりますけどという
ふうにして長時期を合わすことは ビジネスとしてはごく普通の秘訣
というかありがちな結論ですけど でもやっぱ安倫が入る以前でも
僕が初期の頃に作ってたような 本とかはいいんですけどたくさん
のような本とかあとは郵便屋さん のような本とかちゃんと1年とか
半年とかかけて作られている本 っていうのが2,300円というのは
さすがに安すぎるまし先ほど言 ったノートとかのコンテンツの
値段と比べてもやっぱり安すぎます ね
そうですねそれはありますね でも僕最初のあれ499円なんですけど
1:03:02
また微妙な値段なんですけど結構 攻めた値付けって言われました
ね
あの当時はね
当時
うん
そうなんですよ
まあ500円は例えば安い文庫も 買えちゃうっていうつまり商業出版
の本と並ぶみたいなことはあります けどでも例えば逆にいわゆるアニメ
の同人誌とかは1000円とかから始まる わけでしかも別にページ数もそんな
多いわけではないわけでだから そのカテゴリーが違うんですよね
やっぱり
そうですね
で元々販売数がニッチにしかな らない以上そこで安い値段そう
っていう安い値段をつけたとこで マーケットが広がらないという
とこがポイントなんですねこの場合
そうそうですね
その剥離多倍が成立しないので
うんそうなんですよね剥離で売れる 数はそんなに変わらないっていう
うんうんまあということがね何年 回やっているうちに経験として
皆さん蓄積されてきたというところ ですよねまああの創作系のkdpは
またね全然違う違うと思います が
技術系のハウン系はある種もそれぞれ がニッチの領域を持っているという
かニッチじゃないと書かないわけ ですからねもうそのわざわざ書か
れている方が書かないわけですから そうなんですよ
そもそも狭いんでね
そもそも狭いしもう初めからその 本に興味を持つ人は多分その500円
と600円の差に敏感には反応しない と思いますねきっと
うん確かに
もちろん無限に高くついた絵って もんでもないですが
だから紙の本の場合はもうボリューム とカラーとかによって最低の値段
が決まってしまうというかあの 原価があるわけですから
それよりはやっぱり自由な分決め づらさがあるとか高い値段をつけ
た時にやっぱりさっきも言われた ように攻めてるなって思われて
しまうみたいな
そうですね
ところがあるんですけどやっぱり そこの常識をちょっと常識的感覚
がやっぱりちょっと変わっていく というか変わっていってほしい
というかね
うん
ここ500円ぐらいは出してもいい かなと思ってもらいたいとこです
よね
そうですねだからその意味では紙 の本が買えちゃうじゃないかっていう
けど紙の本がそもそも原価がかか っている割に安すぎるっていう
確かに
でしょうね本来はそうなんでしょう けどまあいろんな経緯と状況によって
そうなってるんだと思うんですけど
だからでもkdpっていうか電子電子 の場合はやっぱりその紙とか流通
のところがかからない分はやっぱり 売りでとしてはその分安くても
1:06:00
いいはずだとは思いますけどただ それ以上安い必要はないですよね
おそらくはね
うん
まあちなみに多分オンデマンド プリントでも最近kdp作れるよう
になりまして
はいはいはいはい
普通に多分何も考えずに値段つけ たら最低価格から1000円以上に多分
なると思うんですよおそらくは
まあそうでしょうね
紙ってめっちゃ高いですからね
そうなんですよ
うんそれだから大量に捨てて全国 に流通するっていうのが決まってる
からあの文庫の値段であってしかも 文庫って大抵その単行本で何となく
利益があるからすでにある程度 確保されてるっていうところも
あるんで事情がもう全然違います よね
そうですね
あと出版社は自分らの出版物 のトータルで赤字計算できます
けど僕らは手持ちの財布がそこまで 多いわけではないので
小さいですね
一冊一冊ちゃんと利益を積み上げ ていかないといけないということ
は考えないといけないですね
そうですね
どこかな編集についてはまあいろいろ 自分でも半分ちょっとやったり
もしてますしその難しさっていう のはねよく感じるんですよね
特にコンテンツのそのデザイン というかねディレクションについて
はねやっぱり難しい他社の影響 があるので自分一人のコンテンツ
ディレクションならまあ別に簡単 なんですけど他の人が入ってきた
ときにどこまで自分の意見を述べる のかっていう
まあもちろん多分現役の編集者 さんもそういうのは手探りで進
められてると思いますけどねおそら くは
こういう決まった方程式みたいな のは多分ないでしょうけどもでも
やっぱりその企画案のコンセプト とかの切り方によって出来上がる
コンテンツってめっちゃ変わって くるんでその内容自体が大切さ
なくても出来上がる本ってだい ぶ違ってくるんでだから編集者
って重要だなというのをまあ常々 感じる次第ですね
そうですねあと僕あれなんですよね 一応その自分が編集とか編集協力
みたいなのに名をそういうとこに 名前を入れてもらって出したkdp
がいくつかあるんですけど難しい ですよね僕は対談本でそういう
のやるのが多かったんですけど やっぱりね自分が誰かをインタビュー
したとか自分と誰かが対談した のっていうのはまあまだいいんですけど
二人同士が喋っているのを自分が 文字に起こして自分がそれこそ
そのプロダクトという形にして いくというときにどこまでこの
1:09:03
編集という名目でどこまで直す ことが許されるのかっていう悩み
がものすごいあって多分正解は ないんでしょうけど
はい だからやっぱりもちろん言ってない
ことを言ったことにするのがアウト なのはまあわかると思いますけど
はいじゃあこの違う文脈で出て きたこのセリフを
はい 要するにaの文脈で出てきたセリフ
をbの文脈の中に組み込んでいい のかな
なるほど 結構そこが微妙なものがあって
それですごい時間かかったりあと その文脈を入れ替えることで意味
が通じるっていうところが結構あるん ですよね
だけどこの順番で喋ったわけじゃない のさもその順番で喋ったかのように
書くのが果たしてありなのかな しなのかっていうところですごい
結構そこで胃が痛くなっちゃった りとかして
まあ最終的に当然その 実際に喋った人に見てもらって
まあ ok ですよって言ってもらう から出るわけですけど
はい なんかねその
その時に自分がやってるのは果たして これ編集って言ってるけどやっぱり
これね作っちゃってるんじゃない かなっていう
はいはいはい 強引されなかったんですよね
でまあもちろん見てもらっていや 自分たちは確かにこういう話した
よねっていう 風にまあ
言ってもらうから出るわけですけど
そこはねなんか結構自分の中で答えが 出てないところが
あって
うーん
まあさっき言ったように編集の中にある 想像内緒想像の中にある編集
みたいなその入れ小嬢の構造の真っ只中 のことを多分されてたと思うんですけど
やっぱり
てないことを書き足してないんであれば その先ほど出た文脈の入れ替えとか
はもうね編集の役割の一つだと思い ますね
そう思いやっていいしやるべきやとすら 思いますけど
まあよくね口実筆記でその方のライター さんが書いている心象なんていうのは
多分そういう風に言われてるんじゃないかな と想像するんですけど
やっぱそれもねどこまでやっていくかいけ ないのかって難しいなぁと思いますよね
あの村上春樹さんが
8あの
うさりん事件の被害者のインタビューを まとめた本について語られていたんです
けども やっぱりその結構
順番は変えたっておっしゃられてましたね 順番を変えたって言ってそれを読んでも
1:12:01
らったらああ私はこの通りに喋ったって 読んだ人は言ったらしいですね
おそらくだからそれはそういうのが編集や と思うんですよ
おそらくその4回実際に喋った人が自分が こう言ったって思えるような文章にする
ことが編集やと思うでその場合は だからそれは適切なんじゃないですかね
きっと
そうですね 僕ね昔からその内実は
編集じゃなくてもあの この kdp とか以前にその
おかわりに あの企業にある生育企業からその委託を
受けてそのある製品 法人向けのある製品の
あのモニターでその会社いろんな会社に 使ってもらってその使い勝手をインタビュー
しに行くみたいなこうしないとおりゃ たくさんやってたんですよねはいその時に
会社のなんとか社長のなんとかさんがこう いう風に言ったっていうのをその書き起こし
てレポートにしてこう納品したりするんです けど
当然 あの
人の話でとちらかってるんでそのまま起こして もならないんですよねだから当然今で言う
編集を相当加えるはいわけですよ でまぁこのそのアウトライナーの使い方
ってそこで確立されたらいいんだろうね 確かに
にこうやる時にやっぱこれ これは果たして本当に
こう言ったのか自分でもわかんなくなっちゃう ことがあって
で あのそのエーサーの社長さんに当然見せる
わけですよねその農業する場合こういうふう に1回で納品しますけどいいですか
である人にある社長さんにはい良いものに 俺が言ったまんしゃべったまんまじゃん
ていう だけどどう考えてもそんな風で
すべてないはいわからないですよ
今のそのさっきの村上春さんの話で言うと まあ本人がこう喋った確かにこう喋った
って感じたんだからそれはそれでいいのか もしれないんですけどはい
なんとなくこう その話を聞いた人に対してもその
レポートを納品する人に対してもなんかで 偽ってるようなああ
あったんですよね そうなんや
いや結局それは文脈を整理しているだけの 話だと僕は思いますけどねうん
確かにそうなんですけどあの 秋そこはねかなりに話のゴミのニュアンス
とかも変えてるし あの
そうなんですよね今思うとちょっと直しすぎて たりをするからもそれはねその程度
とか今日度はありますけど だから感じとしてはねその翻訳に近いん
じゃないかなと英語から日本語へのはい であるじゃないですかその日本語の文章
並びと英語の文章並びその前やったら ちょっとありやからその順番入れ替えたり
とかそのまま 丸に今日区切られてないけどちょっと
日本語の場合曲いるとかなんかそういう 操作が壊れじゃないですかだから原文通り
1:15:04
じゃないけどでも読んだ時にそう読めたら それは一つ翻訳として成功してるわけ
じゃないですかそういうのと似てる話だと 僕思うんじゃ似てると思いますね
そうする原文が狙っていた効果がそそ 尊厳でも得られたらまあそれは成功
そういうことだよね
まあだからそこは全然答えがないけど その編集に関する悩みってなんかそう
いうそういうこと結構あるんですよそう から原稿セリブ一緒なんですよね結局
だからこの人はこういうことを言おうと しているっていう意味を汲み取ってその
よりその意味が汲み取りやすい形に再編 するっていうことなんじゃないですかね
結局編集において
それはゆるやっぱり 許されることいるまあ許され許されないと
は思わないんですけど それは号を引き受けるのが編集者
っていう仕事じゃないですかきっと逆なぁ なるほどねなるほどね
確かそういうことか そこでまあ自分はこれはで
あのこれが編集の仕事として ここまでは
いいと自分が信じたところまでやってその 責任を引き受けるって言うこと
そう思うんですね もちろんそれは全然違うスタンスとしても
いらっしゃるけどまあ大抵の場合その 原企画とかにディレクションしてあるいは
その著者が出した企画案についてまた別の 提案をするとかいう編集さんもいらっしゃ
るわけで だからな中の形ではコミットされても
好きそこを引き受けるのもやっぱり編集者さん の仕事でしょうね丸投げというわけでは
なくて
まあね難しい本職じゃない2人が喋っている から
いやそうまあそうなんですけど全然僕ら から見た僕らが自分がやっている編集の仕事
とかないしは僕らの視点から見た編集者 の増についてまあ喋ったわけですけども
まあでもまあそのコンテンツをプロダクト にしたかったらこのいう何かしらの編集
的視点ないしは作業っていうのは まあある程度やってほしいなっていうこと
ですね まあ必要ですよね
それをしないとまあプロドックプロダクト と呼べないものを人に売りつけることに
なってしまって中長期的にあの良くない 結果になってしまうのではないかとまあ
思う次第でございます 主題ですと
a というわけでまぁあの編集についてこう 思うとかまあこの本の編集はどうみたいな
感想があればえっと明日口合わせキャスト 平仮名で打ち合わせはロビットでキャスト
までいただければ明日がチェックしたいと 思いますというわけで中たくさんご
1:18:00
連絡したいこととかございますか いや特にはないですはいでは今日は
ここまでにしたいと思いますお疲れ様 でーすお疲れ様でした