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2020-09-24 1:08:10

第四十四回:Tak.さんと「知的生産」という言葉について

第四十四回:Tak.さんと「知的生産」という言葉について
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うちあわせCast第44回ということで、 今回もゲストにたくさんお迎えしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
早速、冒頭のライフハックニュースなんですけども、
EvernoteのiOSアプリがバージョンアップ、 かなりメジャーバージョンアップしまして、
刷新というか一新されて、 かなり使いやすくなったと思うんですけども、
このままAndroid版とかMac版とかWindows版が この方向で総合されると、
再び使いやすいツールとして戻ってくるんではないかなと 現状を期待しております。
再び使いやすいツール。
はい。だから今まで機能拡張の方に経営資源が 注ぎ込まれてたような感じがするんですけど、
もちろんこのコアの部分の改善というか、 機能アップというよりは機能改善の方に
経営資源が注がれているようなので、 まさしくそれこそ求めていたものだと僕は思うんで、
そこにかじ切りされて、 しかもそれがちゃんとプロダクトとして出てきているので、
喜ばしいことだなと。
もう一つ前回紹介したObsidianというMacのアプリがアップデートしまして、
URLスキームが追加されたようなので、
ブラウザとか外部アプリから特定のファイルを 開くことができるようになったと。
将来的には多分新規作成とかもおそらく URLスキームでできるようになるので、
他ツールとの連携もコードをかけなくても できるようになってくるのではないかと。
いうのが直近のニュース2つですね。
この辺は情報整理ツール。
ちょっとずつ変化が出ているかなというところです。
今回のテーマなんですけども、知的生産という言葉についてという、
かなり代々的なお題を打ち出したんですけども、
以前ちょっと前に知的生産という言葉について ツイートしたきっかけがありまして、
大阪の民泊で今も公開されている 知的生産のフロンティアというイベントに、
lifehacking.jpの堀正滝さんと一緒に行ってきたんですよね。
梅沢さんのノートとかカードとかが展示されている一方で、
それらをスキャンして取り込んだ デジタルアーカイブみたいなのもあったんですよ。
それはそれで素晴らしいなと思ったんですけども、
やっぱりなんかちょっと違うなと。
それをフロンティアと言ってしまうのは ちょっと違うのではないかと僕は率直に思ったんですよね。
率直に思ったんですね。
知的生産という言葉で集う人たちはいる一方で、
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その方向にまっすぐ進んでいくと 行き止まりではないかっていう感じがして、
何か別の言葉で言いたいよねと 二人で言ってたんですよ。
ただそれが見つからないんですよね。
見つからない。
知的生産と別のキーワードで 知的生活っていう言葉もあるんですよね。
こっちの知的生活の知的っていうのは よりインテリジェントによった雰囲気を帯びてるんですよ。
知的生産の方はどちらかというと 情報というぐらいの意味合い。
情報と脳の情報処理作用ぐらいの ユーファンスしかないんですけど、
知的生活というとより教養生活に近い 雰囲気があるんですけど、
例えば僕自身の自覚として知的生活を 遅ろうと思ってるわけでもないし、
遅れてないんですよね。
だからこの言葉は代替にならないんですね。
考えてみたときに本を読んだりとか 考え事したりとか文章を書いたりしてることって、
当然知的生産を行ってはいるし、
例えば知的生活と重なってる部分も あるんですけど、
その独自に取り出した場合にその特徴って 何て言えるんだろうなと。
こういう読み書きをするということ、
あるいはそれを好きな人の保証って ないよなと思ったんですよ。
そこをお借りに名付けられたら、
新たなクラスターが立ち上がるのではないかな と思ってるんですよ。
ただ何も思いつかないんですよね。
わりにみんな知的生産っていう言葉が、
やっぱりちょっとしっくりこないなと 多くの人が感じて、
わりにみんな考えてみるんだけど、
パッと考えるよりもずっと難しいというか、
誰も適切な言葉を思いつけないっていうところ ありますよね、知的生産の代わり。
この言葉が非常にうまく定義されているのか、
逆に僕たちがこの言葉から事象を眺めてるから、
そこから逃れられないのかどちらかはわからないんですけども。
難しいですよね、これ。
知的生産っていう言葉を出すことによって、
ああ、興味はあるなっていう人も集まるんですけど、
逆にこの言葉によって、
ああ、僕とは関係ないなって思う人も 多分出てくると思うんですよね。
出てくると思います。本当に出てくると思いますね。
それはたぶん梅沢さんが描いたビジョンとは異なると思うんですよ。
だからこそ本家に追従するがゆえに、
本家とは違う言葉使いを出すことこそが、
たぶん知的生産という興味ではないかと思うんですけど。
そうですよね。
さっきの知的生活っていう言葉は、
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僕そんなに詳しいわけじゃないんで、もしかして違ってたらごめんなさいなんですけど。
たぶん渡辺翔一さんですよね。
知的生活の方法という本は、
ハマトンの役ですよね、あれ。
そうですね。知的生活という役をされたと思います。
インテレクチュアルライフとか。
インテレクチュアルライフですね、確かそんなんです。
だから知的生活にはたぶん英語があるわけですよ。
あるんですよ、そうです。
それに対して知的生産という言葉の英語はなんだろうと考えたときに、
よくわかんないんですよね。
少なくともインテクチュアルプロダクションとかではないんですね。
面白いことに、さっきウィキペディアで梅竿忠雄の英語のページを見てみたんですけど、
忠雄梅竿っていうのを見たんですけど、ちゃんとあるんですよね、英語のページが。
情報量がすごい薄いんですけど、ちゃんとあって、そこに著書の一覧があるじゃないですか。
そこで知的生産の技術はなんて書いてあるんだろうとさっき見たんですよね。
アート・オブ・インテレクチュアル・プロダクションって書いてあるんですけど。
英訳はたぶんないですよね。
おそらくないと思います。
ないですよね。
だから単なるこのページを作った人が直訳しただけなのか、
それともきちんと正式に英語のタイトルとしてあるのかは知識がなくてわかんないんですけど。
これもしかしたら堀さんとかもご存知かもしれないですけど。
だからインテレクチュアル・プロダクションじゃないよなと思ってたらインテレクチュアル・プロダクションって書いてあるんですよね。
直訳するとそうなりますよね。
ただ、要するに何がわかるかというと、ちゃんとした訳がないんじゃないかってことなんですよね。
まあそうでしょうね。
たぶんこれに該当する英語がないんじゃないかと。
そうなると、英語に限らず大米人がこういう意味のことをしゃべるときは一体何て言ってるんだろうなと思ったんですけど、
よくわかんないんですよね。
日本で有知的生産を扱っている本だと、例えば文章を扱うことについて書いてあったりすると、その単にライティングとか。
まあそうでしょうね。
おそらく総括的なカテゴリーはなくて、個々のデザインとかライティングとかっていう具体的な行為に落とされて、
その一つ上の階層をくぐることはたぶんないんでしょうね、きっと。
そうなんですよね。
そうするとなんで、逆に知的生産ということ自体を独立した概念として捉えるというのを、
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逆に梅沙男さん以前に京都方面でいろいろそういう流れがあったのかもしれないですけど、
日本のものなのか。
だからおそらくもう推論の域は出ないんですけども、
日本特有の話で言うと、例えば日本語でものづくりって言うじゃないですか。
でもそのものづくりの語感って多分英訳すると抜けると思うんですよ。
日本で言うと、製作イコールものづくりという固有の価値観みたいなものがあったときに、
情報を作ることも実は生産活動なんですよっていう対比として打ち出されたからこそ、
日本独自というか日本で新しい価値を見出されたのが知的生産だったのではないか。
他の国やとものづくり以外も実は生産として認められてたけど、
日本の場合ってものが偉くて、それ以外、サービスとかにチップ払わないっていうのは一緒ですけど、
それ以外の価値を認めない風潮があった中で、
情報って大切なんですよってことを言ったからこそすごかったのではないかと。
だから逆にあえて名前をつけるまでもなく、例えば英語圏にはそういう概念がもともとあった。
だからデザインとかアイディアを考えることそのものに多分価値が内在していて、
あえて指摘するまでもなかったっていうところはあるかもしれませんね。
そうなるとやっぱり、じゃあそれに代わる言葉はなんだろうっていうところのヒントを
英語に求めてもないわけですよね、きっと。
おそらくそうですよね。今話してて思ったんですけど、
知的精査に代わることがないっていうのは実はいいことなんじゃないかなというふうに逆に思えてきたんです。
つまり、こういう価値を立ち上げなくても、それぞれデザインとかライティングっていうものが
結構価値を生むよねってことが認識されつつあるんではないかなというふうにも今ちょっと思えてきましたけど。
だから、そもそも言葉があるべきなのかどうかっていう。
っていうところに戻ってきて。
だから、知的精査を内包する、ある集合を作ってる概念に別のラベルを当てるということよりは、
学者でもないような私たちのような姿勢の人々が、
生活必須でもないのに本を読んだりとか、ブログで文章を書いたりとか、
何かを考えごとしたりするこの行為。
この行為に新しく名前をつけたい感じですね、僕は。
12:00
これはだから知的精査のためにやってるわけじゃなくて、
むしろ知的精査はその行為の複散物として出てるというか、
種中というと10なんですよね。
その種のほうは何だろうっていうふうに最近思ってるんです。
今倉下さんが言ったことって、むしろ知的生活。
渡辺総一が言う知的生活で近くないですか。
近いと思うんですけど。
でも、知的生活を送ろうと思ってるわけでも、
彼の本を読んだときに役立つことが多いなと思うんですけど。
知的生活を目指しているのか、あるいは知的生活者になりたいのかっていうと、
やっぱりそこの知的の部分がどうしても引っかかるんですよね。
だからやっぱり問題は知的っていうことなんですね。
知的っていうことなんですよ。そうなんですよ。
で、堀井さんが面白いこと言っておられて、
知的なんですよねと。つまり、
的がどうしてもついてしまうんですよねって言われて、
ああ確かにそうやなと。
ああ、なるほど。
的じゃないんですよ。あくまで的なんですよね。
それはだから、だってものづくりってものづくりって言うじゃないですか。
もの的づくりとは言わないですよね。
地との距離感があって、
その距離感を何か鑑賞するために的が入ってるんですよ、きっと。
だから地という言葉は、距離感とか扱いが非常に難しいんですよ。
どうしても敗訴な感じというか、インテリズム的な匂いが漂ってしまうので。
だからまた英語との話をすると、
知的だとインテリクチュアルになるじゃないですか、普通の。
で、地だと、たぶんインテリクチュアルもあるし、
ナレッジとかも含まれるわけですよね。
やっぱり感覚としてインテリクチュアルよりはナレッジのほうが、
抵抗、個人的には抵抗が少ないですよね。
少ないですね、まだ。
ただでもナレッジマネジメントっていうのも、ある種柱で言うと柔なので。
それはそれでまた言葉ありますもんね、ナレッジマネジメントってね。
だからナレッジとかアイディアとかコンセプトとか、
そのようなものと戯れる生活ということなんですけど、要するに。
戯れる、戯れるね。
その行為で自分の人生が納得感とか充実感にあふれつつかつ、
生産的なこともおまけとしてあるよぐらいの感覚なんですよ、僕としては。
本を書くために本を読んでるわけでもないですし、
何かをするために文章を書いてるわけでもなくて、
だからそこのズレは残したくないんですよね。
知的生産しようって言うと、なんか僕の中ではそこに嘘が混じるんですよ。
15:05
知的生産しようと思ってしてるわけではないんで。
そうですね。
どうしても生産を目的としない、それ自体に意味を見出して行うっていうニュアンスっていうのは、
知的生活という言葉のしっくり度合いは別として、
もともとのハマドンもそうですけど、
やっぱりその人たちが言っていたことにむしろ近いような気はするんですよね。
当てるとしたら生活か生きる、つまりライフかライブしかないと思うんですよ。
非目的的なもので、それ自身が目的というものはそれしかなくて。
そうそう。だから知的生活って言うと、文字通り知的な生活みたいなイメージになっちゃう。
例えば、文学はいいけどライトノベルはダメだみたいなことになってしまうんで、その知的っていう言葉があらわすニュアンスは。
だから生活地じゃないけども、生活のほうが上位にあって、
その中に知的じゃない知に関する行為が含まれてるというか。
そうですね。そういう感じはありますね。
だから知的じゃない不二家の生活みたいなパラフレーズを探すのか、
生活に似た別の近いニュアンスのことを探すのか、
どちらにしろ知的というのは一旦退場してもらうことになると思うんですけど。
難しいですね、この知という言葉をね。
難しいです。
だから梅沢さんは知という言葉を持ち出すことによって、
単なる情報がそこにある情報と人間の知能が作用した情報というのが区別されたわけですよね。
その時代ではまだそれほど差は明確じゃなかったと思うんですけど、
2020年の場合ってつまりボットがツイートするとか、
AIが文章、記事を書くとかってことがごく普通にあるわけじゃないですか。
そういうのが生み出すのも情報といえば情報なんですよね、定義としては。
かといってそれが知的生産を行っているかというと知っていないっていうことになるんですよね。
その情報を生み出す時に人間の知能が作用しているという、
知能っていう言葉はまだ難しい。知性かな。知能か知性かわからないですけど。
が発揮してるっていう意味での知なんですね。
それは、2つ、さっき言ったときの知が高い知性っていうことではなくて、
子供でも持ってる知性なんですね、言ったら。
人間と人間以外の動物を分けるという意味での知性なんですね。
それだけでしかないんですけど、そこを代替する言葉がないと。
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やっぱり何となくより知的なほうが偉いっていう感覚がどうしてもあるわけですよね。
その言葉を使っちゃうと。
やっぱりその的がもたらすんですかね。
それだけだとそこまで、知だけはあんまりないんですけど知的と言った瞬間に急にインテリ感が出る。
出てきますよね。
面白いなあ。
たぶんその言葉に対する拒絶感が、例えばアウトプットっていう言葉に言い換えられてたりとか。
まだ他にもあると思うんですけど。
でもインプットアウトプットっていうのもなんかちょっと違うなって。
違いますね、もちろん。
インプットアウトプットっていうと、すごいシステム論的なイメージですね。
だからモデル図を作ったときには説明しやすい言葉ですけど、
実体とはちょっとズレがありますね。
どうしても特定のインプットを入れて、特定の処理をすると特定のアウトプットが出力されるっていうイメージがある。
それはむしろ、実体と遠くなってしまうというか。
そうですね。
というわけで、すぐには見つからないわけですね。
昨日あたりからメタファーの森を探索してたんですけど、
例えば、園芸家っていうじゃないですか。
農作物、農業じゃなくて、家で園芸してる人たち。
あれに近いなとは思うんですよね。
やってることといえば、庭いじりを情報いじりしてるような感じで捉えてもらえばいいんですけど。
種とかなんか買ってきて、庭に植えて雑草とか切って育っていくのを見守りながら、
収穫物ができたらお隣さんに分けるみたいなイメージですけど。
工業生産的ではない生産というか、その行為を生産と読んでいいのかわからないですけど。
要するに畑があって、そこで決まった面積で決まった作物を作付けして、決まった時期に収穫して出荷してっていう意味での生産ではなく、
自分の庭なりベランダなりで、自分の好みのものを育てると。
で、育ったものを見て楽しむという。
収穫して食べられるものももちろんあるし、お裾分けできるものももちろんあるしと。
そうそう。そういうのが副産物として思われるけど、それは種じゃなくて、
自分の畑を眺める楽しさ、あるいはその手を動かして作る楽しさっていうのが先にあるっていう感覚があって。
21:04
これはメタファー的には近いかなと思うんですけど、これは英語でどういうのかなと思ったんですけど。
情報維持。
情報維持って近いのは近いですね。
近いですよね。ニュアンス的には近いかもしれない。
情報維持を楽しんでるところはありますかね。
言葉がかっこよくないだけでもニュアンスとして。
本を読んだりとかこうやって対話したりするのって、
自分の農の畑を耕してるようなもんやと僕は思うんで。
ある栄養をもらってるところもあるかもしれませんけども。
耕すっていう言葉はメタファーってよく使われますもんね。
園芸って英語でなんていうんですか、ちなみに。
園芸?ガーデニング。
ああそうか、ガーデニングか。
最近確かデジタルガーデンっていう概念がありましたね。
知らなかった。
デジタルガーデンとか、エバーグリーンノーツっていう。
ああ、エバーグリーンノーツってありましたね。
エバーグリーンノーツっていうコンセプトがまず先にあって、
エバーグリーンノート、自分の森とか林とかを増やしていくっていうイメージの行為を、
デジタルガーデニングと呼んでる人がいたってことですね。
そうか、じゃあイメージとしては、確かにメタファーとしては成立するんですね、きっとね。
そうですね。
だからデジタルガーデニングとかエバーグリーンノートのノーツかな。
主要なコンセプトって増え続けるノートっていう感じなんですよね。
だから要するにスクラップボックスでウィキ作るようになると全く同じことをするわけですね。
そうか、だから最近オブジリアンとか、ロームリサーチの話題の流れの中でよくそのノートを見かけましたね。
だからそれがやろうとしてるコンセプトと全く一緒ですね。
これまでのノートって時系列にただ書いていくだけだったっていうのを、
それぞれ細かい単位で原始的に書いて、それぞれを繋げたりとか膨らませたりして、
どんどん成長させていきましょうっていうコンセプトがエバーグリーンノートであり、
そういう行為をデジタルガーデンとかって呼んでありますね。
この辺でちょっと言葉を探そうかなと今思ってるんですよ。
園芸ね。
たがやす。
たがやす、育てる、育む、切断する、植え替えるとかいろいろ動詞として使えそうなものはありますよね。
24:13
思考園芸、試作園芸、情報園芸。園芸っていう言葉がちょっと……。
でもやっぱり情報っていう言葉が一番しっくりきますね。
そうですね。一番誤差が少ないですよね。
思考っていうのもあるんだけど、思考の結果として情報を生み出すわけだから、
情報っていう言葉を使った段階で主席生産の生産っていう要素がすでに入ってるわけですよね。
なるほど。脳内にあるだけでは情報とは言わへんわけだよね、確かに。
情報で、あともう一つはそれこそアウトラインプロセッシングのプロセッシングに相当する言葉。
プロセッシングを行うっていうところも入ってるわけじゃないですか、その主席生産というのは。
だから思考があって、それのプロセッシングというかプロセス、加工の工程というか、その段階があって情報として出力される。
そうするとまたシステム的な話になる。
でもね、インプットじゃないんですよね。インプットもあるけれども、もともと耕されていた畑みたいなものがあって、
必ずしもインプットがあって、特定のインプットがあって処理されて出力されるわけじゃなくて、
インプットもあるけれども、インプットがあって耕されて育っていって肥沃になっていったところから何かしらのプロセッシングが行われて、
情報がアウトプットされるという行為の相対を示す言葉を探してるわけですよね。
情報生活みたいな言葉になるとまた80年代のサラリーマン向けビジネス、データベース情報保証サラリーマン的な。
いといしぎさとかが出てきますよね。
80年代が出ますよね。
思考を考えるっていう意味で思考生活っていうのをちょっと思ったんですけど、ちょっと固いなと思って。
思考はちょっと違うんですよね。
今のでひっかけというかヒントみたいなのはあったような気がしますね。
ちょっとイメージが分けましたよね。
27:01
そうですね。少なくとも大きくずれてはいないというか。
工場生産のような生産のイメージはとりあえず離れたいっていうのと、
インテリズムに満ち溢れた知的から離れたいっていう二つの欲望があって、知的生産ってダメなんですけど。
今語ってたのは離れてるかなという感じはしますけど。
自分で言ってても、「あ、そうか。情報っていうのは生産っていう要素がそもそも含まれてる」っていうのは、
自分にとっては結構ヒントにはなりましたね。
少なくとも認識する人は絶対言いますよね。それが情報だと。
情報は単独ではありえないんですよね。
そうですね。情報は流通するわけですよね。
なるほど。
でもまあ情報という言葉が一番無難で、しかも受け入れられやすいというか。
発信者と受信者の中の認識のずれが少なそうですね。
少ない、少なそうですよね。
情報は情報で、もともと言われている情報というカラーが当然あって、
特にIT系のほうで言う情報のイメージが強い人もいるだろうし。
でもそれもいいのか。
英語にしたときにインフォメーションテクノロジーとかになって、
そういうオチがあるんですけど。
インフォメーションテクノロジーはITになってるし、
インフォメーションプロセッシングとかマネジメントとか多分ありそうですよね。
そうですね。プロセッシングはあんまり聞いたことないですけど、
マネジメントはきっとあるでしょうね、おそらくは。
知識と情報は同一の概念では、情報じゃない知識はありえるかが、
そういうことをしたらいいですね、それは。
知識があって思考があって、それがプロセッシングされて情報として出力されるわけですね。
情報というか、いわゆるアウトプットされるものが情報ですよね。
アウトプットのプロセッシングする行為の中で情報化しなければなりませんよね。
情報化するんですよね。
だから情報プロセッシングですよね。インフォメーションプロセッシングということですよね。
30:04
インフォメーションプロセッシングですね。
IPか。でもインフォメーションプロセッシングっていうと、
すごく企業内の知的財産管理的なイメージになるんだよな。
でもインフォメーションって言っちゃうとそうなるんですよね、きっと。
特にインフォメーションって、ベクトルを持ってるんで、誰かに何かを伝えるというベクトルがあるんで。
そこはフラットな言葉はないのかなと思いますけども。
データになってしまうか、その場合は。
データねー。
でもデータってむしろインプットのイメージなんですね。
入力されるイメージなんですね。
そうですね。
だからベクトルを持ってるべきなのかな、おそらくは。
だって知的生産の生産って、形にして人に伝えるために生産するわけじゃないですか。
そうですね。
燃焼にしたりとかにしたりするわけだから、ベクトルを持ってるわけですね、その時点ですでに。
そうですね。
本を書くという行為はそのベクトルを揃える行為だといいますね、ここの材料の。
なるほど。ちょっと近づいたな。
こういう話をまずみんなで集まってしたほうがいいんじゃないかなと思ってるんですよね。
そういう場がないのがちょっと残念だなって話もしてたんですけど。
ちなみに堀さんなんかはないんですかね。堀さんだってたぶん考えてると思うんですけど。
言葉はないんですけど、どこまで言っていいか知りませんけど、
集まりみたいなものができたらいいねとは言っておられました。
まあそうでしょうね。
誰が旗を立てるのが一番いいかっていうと堀さん以外いないんで。
知名度はあるけどもインテリ寄りではないというか、
あんまり学者さんに言っていいことではないかもしれないけど。
知的権威をかざすような方でもないので。
しかしちゃんと影響力がある方なんで。
だからこういうこと集まりありますよ、集まってくださいって言うとしたら堀さんが一番いいよね。
33:07
本は読んでるんですけど、読書家の集まりに集まったとしても、
僕はたぶんそんなに入れないと思うんですよ。
僕も入れないですね。
本は読んでますけど読書家ではないんで。
そういうグループ、自分に合うグループを作るしたらその名前はなんだろうなとずっと思って。
倉下さんの自己認識は読書家じゃないんですかね。
読書家ってどういう人ですか。
もっと文学を読む人です。
文学を読むのが読書家なんだ。
8割くらい文学を読む人が僕の中では読書家ですね。
あと本を読むために読んでるような感じですね。
体系的に読んでる人みたいな感じですか。そういうわけでもない。
そういうわけでもないですね。
僕は何かを知りたいから本を読んでるんだって、本を読みたいから本を読むわけではないですね。
そういう意味では堀さんは読書家ですね、多分。
堀さんは読書家ですね。
堀さんも文学方面も。
結構守備範囲が広いというか、時代から時代のような知能巨人的な扱いを受ける人ですけども。
もちろん知能巨人としか引用のない方々というのはいるんですけども、
知能巨人的な概念はあんまりあれですよね。
しかも最近、お前それでも知能巨人界を的な人も呼ばれてたりするんで。
ちょっと知能巨人多い気もしますよね。
ちょっと多すぎますよね。
巨人とレジェンドはちょっと多いですよね。
そういうときは間違いないだろうか。
特定の分野のプロフェッショナルというよりは、
常識や教諭を持っている人という表現なんでしょうけど、
あまりにも陳腐になってますね。
もちろん知能巨人としか引用のないすごい人っていますけどね。
たぶん年々減ってるでしょうね、きっと。
むしろ最近はこの細文化というか専門家が主流なんで。
昔のように何でも論じられる人って結構少ないんじゃないかなと。
昔の秀才ってそういう人多かったですよね、たぶん。
文学に通じてないとバカにされるみたいなところもたぶん昔はあったでしょうし。
まあそうですよね。嫌なインテリスムですけども。
でもなんか意義はあったんだろうなと最近のネットで思いますけどね。
文学を読んだから人間的により逃げられるというわけではなくて、
36:02
全然ないんですけど、話をするときの共通の基盤ができるんでしょうね。
みんながそれを読んでることによって。
ある意味ではそれによってそうじゃない人を排除するっていうものもあるわけですけど。
でも古典がそういう役割を果たしてたりするわけです。
もしくはそのある種の古典教育をきちっと受けるような学校に行っていたよっていうアレもあったりするんですか。
まあそれもあるでしょうね。
知的生産技術っていうのも、例えばグループをつくって集まって大きくなったときにはたぶん似たような問題がきっと発生するんで。
正しい知的生産みたいな。結局それは絶対あるんですよ。
だってKJ法でも正しいKJ法とそれ以外のKJ法っていう線引きがあったぐらいだから。
KJ法ありますね、正しいKJ法みたいなの。
あれ確かトレーニングを受けられるはずですけど。
マインドマップも一緒ですからね、結局。
あれも資格あるんですか、マインドマップ。
マインドマップインストラクターっていうのがあって、正式なマインドマップの書き方っていうのがあるんですよね。
オートラインプロセッシングの資格を作られてるみたいな。
作ることはだから、そうした方が、ぜひともこのいい方法をしてほしいっていう思いが強すぎてそうなるんでしょうけど、きっと。
でもそれはね、僕は家元化現状と呼んでるんですけど。
長期的には先細りますよね。
メソッドの進化が止まってしまうんですよね、それやると。
それはあんまりよろしくないという。
というところでちょっと時間が余ってるんで、気になっていることが2つあって質問させていただきたいんですけど。
ある日、例えば9月24日のデイリータスクリスト的なものって、どのタイミングで作られます?
前日ですか、その日の朝ですか。
多いのは、前日の寝がけにこの項目を立ててしまう。
寝がけにお酒飲みながらそれを作るっていうのがわりにパターン。
それがいわゆる一日の締めみたいなものなんですか、要するに。
ただ、朝起きてもう一回それを見て直しますね。
夜はわりに理想に満ちた、希望に満ちたものが作られて、朝は現実的なものになおされるっていう。
39:02
そういうことか。
次の日のデイリータスクリストを作るときって、当日のデイリータスクリストを参照することになりますよね。
いわゆるその日の整理っていうか、項目の移動とか、移すべきものは移すみたいな作業もそのタイミングで行われます。
僕それいつやろうかな。
最近、朝一に作って前日のメモを処理するっていうのは朝にやってるんですけど、
前の日にやったほうがなんか良さそうな気がしてきて、
結構お仕事に前向きな気持ちになってるのに、
前日のメモの処理で5分とか10分取られてしまうんで、ちょっともったいないなと思ってて。
朝ってやっぱり勢いが欲しいじゃないですか。
だから朝やったこともあるし、夜やったこともあるんですけど、
感覚としては夜に理想よりにこういうことしたいなっていうのを夜にやって、
朝、まあこうは言ったけどちょっとあんまりダメだよみたいな調整をするっていうのが、今はなんとなくしっくりします。
じゃあ僕も一日閉店がらがらタイムにメモの整理をしようかな。
僕の場合はデイリータスクリスト、その日のやつはもう消してしまうんで、メモは移動させて。
だから、その日の夜にやっと、なんかそうしようかな、そういう気がしてきた。
日によっても違うんですよね。
あんまり決められないっていうか、その夜がしっくりする時期と朝がしっくりする時期で結構変わるんですよね。
自分の調子にもよるし。
その辺自由にできるのがいいんですよね。
何時になったら勝手に作成されるとかじゃなくて、自分のタイミングで作れるっていうのがいいとこですよね。
昔は通勤時間があったときは、朝電車の中でっていうのが一番良かったですかね。
それはわかりやすいですね。それ以外できること少ないですもんね。
デイリータスクリストはゼロから起こすんですかね。テンプレート的なのをとりあえずはめ込んでっていう感じですかね。
いつでも手書きで書いて、テンプレート的なものは、一応作ってあるのがいくつかあるんですよ。
一応そのパターン、だいたい1日に3種類ぐらい仕事ができたらいいかっていう気持ちがあって、仕事A、仕事B、仕事Cみたいな。
一応この午前中にA、午後にB、Cみたいな感じのテンプレートは一応あるんですけど、アウトラインの中に入ってるんですけど、あんまり使うことはないです。
42:09
一応メインの仕事A、メインの仕事B、サブの事務的な仕事みたいな、その3パターン一応やりたいっていう気持ちはあるんですよね。
プロジェクトリストを新しく立てて、プロジェクト3つぐらいを選ぼうっていうときに、プロジェクトが並ぶ項目を見ながら書きます?それともただ思いついたことを先にダーッと書いていきます?
それは、思いついたことを先にダーッと書いた後でプロジェクトリストに。
プロジェクトリストに入ってないことが結構デイリーに書いてあるんで、そこからプロジェクトリストに戻したのかなと。
僕はプロジェクトリストって言い方はしてないんですけど、プロジェクトの中で考えると、結構頭でっかちというか、
まずこうやって、こうして、こうしてみたいなことを考えるんですけど、だいたいそのとおりにはできないじゃないですか。
だから、その日に今日はこれをやるぞって考えたことのほうがリアルなんですよね。
うん、ですね。はい、わかりました。
リアルなことで、たとえばプロジェクトAについて、結構細かく今日はこれをプリントアウトして、そのプリントアウトに書き込みをしてそれを反映してみたいなことを書いた後で、
あるいはもっとリアルに第2章のここの引っかかってるところを1時間考えてみたいなことまで含めて書いた後で、そのリアルなやつを逆に、
今日やる前提で思っててきたそのリアルなやつをプロジェクトリストのほうに戻すみたいなことは結構あります。
うーん、そうか。僕、ワークフローリでテンプレート機能が追加されたんで、
デイリーの必ず入れる項目をテンプレートに入れてるんですよね。毎日それをコピーして使ってるんですけど、
さっき言われたように、大体3つぐらい進めたいプロジェクトってあるじゃないですか。
それも当然そこに入れてたんですよね。
でね、それを使ってて何日かするとね、よく消すんですよ。
プロジェクトを、3つのプロジェクトのうちの1つか2つぐらいを消すんですよ。
まあできへんからってことで。その消すのが非常に嫌なんですよ。
だんだん入れなくなってきたんですよ。でも今、テンプレートにプロジェクト入ってないんですよね。
プロジェクトは後から自分で書き足すようにしてるんですよね。
で、結局言われたように、朝一時これこれしようって書き出して、
それが例えば僕らの生存戦略でこうしようみたいなのを書いて、
僕らの生存戦略のプロジェクトノートも別にあってっていうふうになってしまって、
45:05
なんかこれは違うなと思ったんですよね。
そのときに思いつくことを主にしたほうがいいなと思って、
プロジェクトノートはワークフローリで入らないことになってしまいました。
だからたぶんプロジェクトノートで管理しようとするよりも、
するとあんまりうまくいかないことが自分は多いんですけど、
でもプロジェクトノートがないと全体としてどうなってんのかが把握できなくなることもあるので、
そうすると結局一番リアルさと全体の把握のバランスが取れるのは、
今日はそうやりたいことを考えた後でプロジェクトを見るっていう順番にどうしてもなってくるんですよね。
これ結構重要なテクニックやなと僕は思うんですけどね。
たとえばホンクレっていうブックサイトを運営してるんですよね。
当然、読んだ本よりも記事書く量が少ないのでネタ帳みたいなものを作るんですよ。
以前はホンクレっていう項目の下に書きたい本のリストが今までストックですね。
その項目を入れといてそれをテンプレートにしてたんですけど、
そうすると、その日の行動はホンクレのそのリストに入ってるものの中から選ばなくならないような気がしてくるんですよね。
でも実際、それで書くかっていうと書かないことも多くて、
でも今ホンクレのリスト外してるんですけど、
やっぱり朝起きて、これについてホンクレで書きたいなって思ったらそれを書くと。
デイリータスクリストに書くと。
その場合はやっぱり実行される確率が非常に高いんですね。
それが実行されなかったときにそれをホンクレのリストに、さっき言ったリストに移すことはしますけど、
そのリストを軸には考えないようにはなってきましたね。
たぶんそうなると思うんですよね。
うん。この運用が一番自然やなと。
やっぱり特に自分の裁量で決める範囲が大きいときには、
今日これをやりたいぞと思ったやつをやるのが、どう考えても一番いいはずなんですよね。
実際にやる可能性も高いし、モチベーションもたぶん高いし。
だから、今日これをやりたいぞと思いついたものを優先するほうが合理的な気がする。
それを、たとえば今日やりたいと思いついたことをデイリーじゃなくて、
先にホンクレのリストに変えてしまうと、そこの中から選ぶっていうことになってしまって、
その勢いが止まってしまうんですよね。
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そういえばこれ、だいぶ前に書こうと思ったけど書いてないし、書かなあかんなーみたいなのが、
心の中に上がってきて、心の天秤のバランスがおかしくなってしまうんですよね。
義務化しちゃうじゃないですか。
義務化。そうそうそう。
だからネタ帳の使い方は案外難しいなって思いましたね。
だから今日やりたいことを、たとえば今日6個しかできないとしても10個思いついたとして10個書くじゃないですか。
6個しかできないとして4個余っちゃうわけですよね。
その余った4個の中で、これはこのプロジェクトに戻しておいたほうがいいなって言って戻っていくっていう。
もしくはそこのデイリーから入ってきて、プロジェクトのほうに入っていくっていう。
だからやっぱりデイリーがインボックスの役割を果たすみたいなことになってますね。
ただ逆に、受け負いで締め切りがあるプロジェクトが複数あるときにそれをやるとたぶんちっちゃかめちゃかなっちゃうんで、
モチベーションは高いけど間に合わなかったみたいなことが起こるんで。
それはやっぱり使い方が変わるんでしょうね。
そうなんやな。
さっき言った本くらいのネタ調的なものは除いて、
いわゆる書き残したメモ、つまりタスクじゃないメモって下に書くじゃないですか。
あれも僕はそのまま全部残してるんですよ、まるっきり。
プロジェクトに分けないで。
項目の中にAをする矢印を書いて、プロジェクト名みたいな書き方を一行に書いておいて、
それをそのまま一つの大きな箱の中に全部移動させて、それで終わりっていう感じが最近多くて。
当然そのGTD的に言うと、僕はシンクボックスって呼んでるんですけど、シンクボックスの中ってレビューしなきゃならないじゃないですか。
もうしないんですよね。
昔はこれしなければならないとずっと思ってたんですけど、結局したところでやる時間がないんですよね。
レビューしていって、その項目をチェックして、これやらなあかんって確認したところでやれる時間があるわけではないんですよね。
だから自分の主要な、本当に進めなきゃならないものをちゃんとプロジェクトとして、
例えばワークフォリーの別のところにちゃんとファイルは作ってますけど、それ以外のことの細かいものって別に忘れていいと。
で、あれやらなあかんなってときに検索で見つかったらいいではないかと。
だから僕もデイリーと全部を残していく箱の2つがほぼメインですね、ワークフォリーと。
細かい分け方をしなくなりました。
僕もほとんどメモ的に書くんですよね、そのデイリーの中に。
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タスク以外に思いついたことをメモ的に書いて、
さっき言ったみたいに、夜翌日のリストを作るときに、そこを見るわけですよね。
今日思いついたところを見る。それがレビューに相当しているといえばしてるんですよね。
そのときにこれは明らかにこっちだなっていうのがわかるものはそこに移動させるんですけど、
その場に入れ場所がないものはその場に日付の下に残るんですよね、ずっと。
メモ的に書いたことには全部三角印がついてるんで、
三角印を検索すればまとめてズラッと出てくるけれども、
日付の下にずっと過去の文も含めて残っているものをどっかに整理するっていうことはやらないですね。
だから一緒なんですね。僕は三角をつけないで、その項目に移動させてるだけの話でやってることは一緒なんですよね。
僕の場合ってデイリー1個ずつ全部消すんで、
デイリーの大項目の下がその箱なんですよ。
そのときにそこに移動するわけですね。
その日が終わったら、移動したいメモを全部選んで、
Ctrl、下かな。Ctrl、Shift、下かな。なんか押したら1個ずれるじゃないですか。
箱が移動するんですよ。箱の斜めが移動して。
で、デイリー消すと。以上っていう。
2操作。選択と下移動だけで終わるんで。
これ僕、多分三角書くより早いなと思ってるんで、これでやってますけど。
やってることはだから後で一覧できたらいいなっていうので、ほぼ一緒ですよね。
そうなんですよ。レビューをしてる時間ってないんですよね。
未決なものがどんどん増えていくんで、レビューの時間って経年ごとに増えていくはずなんですけど。
増える点もありますよね。
だから1週間後にレビューしろと言われても、やっぱり1時間、2時間かかるわけですよ。
真剣にやったら。
そうですね。
なかなか週に1回それをやるってハードル高いし、できないときもあるじゃないですか。
そうするとどんどん溜まっていって、プレッシャーが高まり、秩序が崩壊するっていう。
そう、だから崩壊する秩序なら立てなければいいじゃないかっていう、スクラップボックスと似たシーンなんですけど。
レビューのまずいところは、これはいいかっていうものを消せるのもあるんですけど、
なんかレビューしてるとまた増えるんですよ、あれ。
思いついちゃうんです、なんかね。
そうそう、それは全然良くないんですよね。
もちろん時間が無限にあればいいんですけど、結局絶対生活上、手がけなければいけないプロジェクトを動かせない以上、
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例えば、すごい忙しいときに押し入れを片付けなあかんなっていうのを思い出したとしても、ストレスが立たないわけであって。
もちろんそう思いついたものをいつかやることに入れときゃいいんですよって言われると思うんですけど、GTDRの方は。
それはたぶん間違ってると思うんですよね。
できる人はいるかもしれないけど、数ヶ月できる人はいるんだけど、
これを1年2年ずっと同じペースで続けられる人ってそんなにはいないと思うんですよね。
例えば、仕事の中だけとかやったらまだ運用できますけど、プライベートが混じってくると、もはや目視とかでは追いつかない量になると思うんですよね。
だからやっぱりね、アナログの発想だと僕は思うんですよ、GTDRって。
デジタルだったらそんなやり方しないのにってなってると思うんですよ。
たとえばタクさんのやり方と僕のやり方って、まさにデジタルベースの発想ですよね。
だから後で検索したらええやんっていうのは。
アナログはできないからリストに分けましょうって話になるわけじゃないですか。
それはね、やっぱりね、新しい時代はアップデートするべきだと僕は思うんですけど。
プロジェクトノートとかリストに分けるものがあってもいいんですよ、それはもちろんね。
でも全部を本当に細かく分類する必要はないと思うんですよね。
そこはGTDの固さがもたらす問題というか、整理しなくてもいいですよね、ゾーンがあってもいいと思うんですけど。
たぶんね、そこ誤解を招いているところもあるような気がするんですよね。
前も話が出たような気がするんですけど。
たぶんデミッド・アレンさんは、全部振り分けて整理しなきゃいけないとは言ってないように思うんですけど。
とにかく時間が決まったものはカレンダーに入れろ。
プロジェクトはプロジェクトリストで書き出して、
そのプロジェクトリストを見た中で、それぞれのプロジェクトについてネクストアクションは少なくとも考えておきなさいよっていうようなことを言ってるんですよね。
そのネクストアクションっていうのはすぐに次にできることだから、それはコンテクストに分けておくとやりやすいですよと言ってるんですけど。
たぶんアプリの構造のせいで、プロジェクトを全部、プロジェクトAが始まってから終わるまで全部書き出そうとする人がいて、
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しかも全部書き出したプロジェクトの一個一個の項目を全部コンテクスト設定しようとしたりとかして、それやると死んじゃうと思うんですよね。
でもそうやろうとして、できなくなっちゃってたりとか。それはたぶんアプリがそう思わせてるんじゃないかっていう。
いやでも、ワークフローズもたぶん似たようなものがあると思うんですよ。
ソリスのやつ、イエス・ノーのやつ。あれ見たら絶対どっかに行くように思いますもんね。
思いますだよね。
行かない、もしくは行くはずだということがわかってもそのための場所はまだ用意されていないとかっていうことがいっぱい出てきますよね。
出てないとかは……。
で、一個しかない項目、項目が一個しかないリストとかもあり得るわけですけど。
でもそういうのもどうしたらいいのかわかりませんしね、ワークフローズでは。
当てはまらないものがいっぱい出てきますよね、確かに。
だから結局あれの通りにデジタルでやるとめっちゃたくさんのリストができるはずなんですよ。
それは管理できないですよね、どう考えても。
アナログでできるぐらいの感じでやるのが一番うまくいくんじゃないかと思うんですよね。
おそらくそうです。
あれを中途半端にデジタルでやると破綻するんですね。
デジタルであるがゆえに破綻しちゃうっていうことはあると思いますね。
タスクはタスクとして、タスク以外の情報の扱い、
プロジェクトの参照情報とか、みたいなものはもうざっくり保存しておいて、
見つけられるタグなりキーワードを頼ればそれでいいのではないかと。
それで圧倒的に社員の時間って減るはずなんで。
ちなみにアナログでやるので、紙でやるのであれば、
おそらくDebitArenaのインボックス形式プラス押し出しファイリングという組み合わせが一番楽な気がしますね。
DebitArenaはちゃんとABC順にファイル整理しろと言ってるんですけど、
そこはね、日本の誇る大江ノ室先生方式が潰れてると思いますね。
そういえば今思い出しましたけど、GTDが僕をやってて、ちゃんと回ってるときってノート使ってましたわ。
そういえば。ノートにいわゆる書き出しとかやって、処理とかしてました。
バインダーじゃなくて、閉じノートで。
バインダーノートかな。バインダーノートだと思います。
バインダーノートでもうまくいくんですよ。
それぐらい逆にデジタルツールは吸引力が高すぎるんですよね。
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ここもデジタルベース発想でのタスク管理と言えるかどうか、情報整理か情報管理かっていうのは、
ちょっと考えられてないんじゃないかなと思うんですけど。
GTD系のアプリは別にDebitArenaが監修したわけでもなんでもないので、
結構独自解釈だったり、そういうのが多いんで。
GTDはGTDでね、個人的には紙でやるのが一番。やるなら紙でやるのがうまくいくと思います。
DebitArenaの動画で、コンサルティングみたいなのをやってる動画があるんですけど、
あれもやっぱり紙でやらせてるんですよ。
リストを作るんじゃなくて、一件一枚コピー用紙に書けるみたいなこと言ってますね。
はいはいはいはい。
コピー用紙を紙のハサミ式のホルダーに振り分けさせたりしてましたけどね。
うーん、なんていうんですかね。
リストにしないのは、リストにびっしり書くよりも、要するにカードと同じですよね。
一件に一枚書いてあると余白があるんで、二重情報みたいなものをいくらでも書けるし。
全部形も揃ってるし、ファイルに入れたときに形が揃ってるから扱いやすいとかそういう。
だからやっぱりアナログなんだなーと思って。
そのやり方はパソコンでいうと案件1ファイル作るってことですよね。
リストを箇条書きで並べるんじゃなくて。
ちょっと現在この方法は探索中ですけど、
案外ずらっと並んでるのって移動させてないインボックスみたいなものであって、
それでいいのではないかなと。
インボックスゼロの概念ってもう一回考え直した方がいいんじゃないかなと最近思うんですけど。
だからインボックスゼロの概念って要するに未処理のまんま食べておくことを避けなさいということじゃないですか。
そうですね。
未処理でなければいいんじゃないかという気はしますよね。
そこに溜まってても……。
溜まってるんじゃなくて置いてある。
溜まってても置いてるっていうのがあっていいんじゃないかなって思うんですよ。
思ったのって、Gメールってアーカイブするじゃないですか。
アーカイブしてるって別にリストを移動させてるわけじゃないんですよね。
人間がリストを移動させるだけでメタ的な情報が変わってるだけであって、
そこにあるんですよ、ただ。
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検索のときに見えてくるっていうだけのことで。
デジタル情報はそうでないと扱えないんではないかなと思う。
あの量になったらそうですよね。
消さないし溜まってても気にしないと。
見えなければそれでいいっていうぐらいの感じ。
アウトライナーってズーム的なのがそれを代替してくれて、
僕がさっき言った2つの項目しかないんですけど、
デイリーのモードのときはやっぱりズームして、
縦長のやつは見えないようにしてるんで、ないことになるっていうことになるんで。
それができるのもデジタルです。
一時的に見えなくできると。
そうそうそうそう。
だから捨てないし、そこにあるし、移動もさせてないけど見えなくなるっていう状況が実現できるんであれば、
もうそのままずっと溜まっててもいいんじゃないかと。
だからなんで見えなくなる必要があるかっていうと、
考えるときには余計なものが見えてると邪魔になるから。
だから考える、そのことについて集中したいときには他のものを見えなくするということがさえできれば、
別にそこにあってもいいわけですよね、きっとね。
うん、そうだと思います。
レビッド・アレンは一枚紙にかくっても、紙を見てるときってそれしか考えないからいいんじゃないですかね、きっと。
レビッド・アレンがコンサルティングのときに、
オランダ人の女の人を、からづけられるのが苦手な人をコンサルティングする動画があったんですよ。
その女の人泣かしちゃうんですけどね、厳しすぎて。
最後よくやったねって抱きしめて終わるんですけどね。
やらなきゃいけないことを思いついたら紙に一件書いてインボックスに入れなさいと。
片付けなきゃいけないものも一件一件書いて入れなさいと。
逆に入れ終わったらインボックスを上から一枚一枚に紙を出して処理する方法を決めていきなさい。
そのときに順番を変えないで必ず上から順に取って、
取ったらもうその紙のことだけを考えて、というようなことを言うんですよね。
そのときにリストになってるとそれができないんでしょうね、きっと。
おそらくそうです。そういう傾向の人は多いと思いますよ、きっと。
よくわかりますね。
ズームの機能って重要やし、
目に入る情報をいかにコントロールするかという都市公の流れは密接に関係してるんですよね。
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この話は実は最近の執筆環境の話につながるんですけど、僕の。
それはもう大変長くなってまた次回の話とします。
本当にここ2日めっちゃ書いてるんですよ、調子よく新体制になって。
何が大きく違うかっていうと、毎回簡単に言うと新規ファイルに書き下ろしてるんですよ。
新規ファイル、はいはい。
つまり今2章書いてるんですけど、2章で7センチ8センチぐらいあるんですよね。
今までは2章のファイルの続きに書いてたんですよね。
今は、たとえばこの2-3の項目を書こうっていうときに、2-3の項目のファイルを立ち上げて、新規で。
そこに書き下ろしてるんですよ。
それだけなのにめっちゃ書き下ろすんですよ。
それは新鮮、そのことだけで集中できるって意味合いですか?
それはもうそれだと思います。
おそらくさっき言ったと同じ心理が働いてると、今話を聞いて思いました。
で、その後で結合するんですか?
それはまた次回。
長くなるスイッチが入る。
最終的には当然本の形で、1本に繋がって出力するんですけど、ファイルとしては別になってる。
すごい良いとこで切れますね。
ほんま長くなるんで、これは。
1週間後か2週間後かに、この執筆がどれくらい綺麗に続いてるかによって結論は変わってきますけど、
今の感じだとね、うまくいきそうな予感ですね。
じゃあ次はこの話ですね、きっとね。
はい、できたらいいと思います。
というわけで、今回の感想についてとか、
私はこういうふうにインボックス処理してるぜっていうお話があれば、
明日の打ち合わせキャストまでよろしくお願いします。
いらがなで打ち合わせ、アルファベットでキャストです。
現状何か告知等あれば。
はいわかりました。
ではまた次回にこの話を続きをしましょう。
はいお疲れ様でした。
はいお疲れ様でした。
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