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はい、打ち合わせキャスト第80回ということで、今回はゲストにタクさんとルーさんを迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
タクさんはもう超お馴染みなので、とりあえず自己紹介はパスするとして、初参加のルーさん、ちょっと簡単でいいんで自己紹介一言いただければなと思います。
はい、ルーと言います。特に文筆とかやってるわけではないんですけれども、
もともと仕事で知的生誕のことを周りが好きで、色々SNSとかで喋ってたら、倉下さんとかタクさんたちと仲良くなって、
一応ルーマニアっていうブログをやって、これほとんど今お休み中なんですけど、
あとカスソルの方も1号から3号までは執筆させていただきました。最新刊の4巻はちょっとお休みしてます。
あとお仕事のことは、多分ちょっと色々手費義務が多い仕事なんで、なかなか言えないんですけど、
ちょっと知的生産に近いような専門職に近いことを個人有権を入れやってるような仕事をやってます。
基本的にはデスクワークが週な感じなんですかね。
週1、2回実務が入るって感じなんですけど、
ただ、あんまりいわゆる会社会社してるような何十人もでやるっていうよりは、ほとんど一人で動くことが多いので、
そうするとやっぱり一人でタスク管理とか、色々自分でスケジュール配分とかしなきゃいけないんで、
そこら辺がやっぱりこういった業界が面白いなって思ってきたところです。
なるほど。やっぱりカーソルのメンバーはそういう人。個人主義者っていうとちょっと強いんですけど。
個人プレイが好ましいみたいなのが多いですよね。
そうですね。
今回はカーソルの第4号が実は少し前から発売されていたんですけども、
とうとうKindleストアに並ぶことになって、これでようやく全国発売みたいな感じになったので、
振り返りと次回どうするかっていう話をガチで打ち合わせできたらいいなと思っております。
どうしようかな。とりあえず4号の振り返りからちょっといきたいなと思うのですが、
テーマがノート。スタートはメモとノートっていう、僕がお題を切ったはずなんですけど、
最終的にノートの話。ノートwithメモみたいな感じで主体がノートになってしまったんですけども、
原稿を読んだ感じとしてお二方どんな印象を受けられましたかね。どちらからでも結構ですけども。
私は今回全然参加していなくて、
ノートとかメモとか特に紙のいわゆるノートっていうのがものすごい苦手で、
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ゴリゴさんタイプっていうかテキストにしたいっていうタイプだったんで、
全然参加しないで、今回も一読者として読んだので、
読んでたら、クラシサさんのノートの本も出てきて、ノートってアルファじゃなくてデジタルでもいいよみたいな。
先言ってよみたいな。それ知ってたら私もなんか書くことあったよみたいなところもあるんですけど、
本当に中身が濃くて面白かったっていうのと、私はやっぱり椎茸がめちゃくちゃインパクト強くて、
ちょうど多分ど真ん中あたりなんですよね、本でいうと。
違うかな。ドドンときて、あれがなかなかすごいですね。
その後たくさんのメモとノートの切り分けっていうのかな。
クラシサさんのノートから始まるを読んだときにも、
ノートノートって言ってるけど、じゃあメモとノートの違いって何なのっていうのをすごい思ったんですけど、
そこらへんをすごくクリアにたくさんのやつは書かれてるなっていうのが面白かったです。
あとはちょっとゆっくり読んでいきたいと思います。
たくさんの方はどうでしたかね。
僕は逆に最初のクラシサさんのお題のメモとノートっていうのをものすごいストレートに受け取って、
メモとノートっていう言葉が入った原稿を書いたっていう。
逆にルイさんみたいにね、ノートはアナログノートとは全然捉えなかったんで、
例によって普通にアウトライナーの話を両方とも書きましたけど、
逆にね、アナログノートに自分を限定して書いてみてもよかったかなとか、
逆に思いましたけど、
そうですね。で、やっぱり今回のお題は多分クラシサさん狙ったわけじゃないと思うんですけど、
非常にクラシサさんの新刊のノート本、
すべてはノートから始まるとリンクするところが大きくて、
本当だったらずっと前に出てるはずのものがここまで連れ込んだというのが、
なんかこうすごく逆にそのリンク感を出していて、
中でもクラシサさんの、一応ね、今回のメイン原稿と言ってもいいと思うんですけど、
クラシサさんのデジタルノートのディストピアっていうのが、
すべてはノートから始まると、
それも意図してないと思うんですけど、ある種ちょっと対になっているというか、
合わせて読むとすごく面白いぞっていうものになっていて、
結果的にすごく良かったなっていうのと、
まあやっぱり、椎茸。
椎茸じゃない、たけ?なんだろう。
あれなんて読むんですかね。
あれは、えっと、音っていう漢字に似てるやつですね。
これなんか普通に椎茸みたいな、頭の中で椎茸に変換してるような感じだけど。
椎茸のたけっていう漢字で、
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たきのこ?きのこか。音読みするときのこか、たけっていうのかな。
たけ、たけ、そうですよね。たけ部分ですよね、椎茸。
あの、まあね、ひびきさんは毎回インパクトが強い原稿を書くことで有名なんですけど、
今回も、今回も、あれによって。
配置もすごくいいところに来ましたよね。
毎回配置は難しいのですが、今回は特に難しくて。
で、だいたいこれまでのパターンって、主原稿があって、
皆さんがいただいた原稿を前2章、前と後ろに分ける形が多かったんですけども、
今回原稿をあさって読んでみると、2つでは難しいなっていうところがまずあったんですね。
で、なぜ2つで難しいかっていうと、一喜さんが原稿を4つ書いてくださったんで、
セクションで一喜さんの原稿が多くなってしまうと。
ちょっとこれ独立王官がちょっとバランス悪いかなと思って、
でも逆に考えたんですね。一喜さんの原稿を1セクションずつ割り振れるようにしようと思って、
4セクションになること。
だからあれはね、実は4セクションは一喜さん原稿ベースなんですね、あれは。
やっぱりね、ボトムアップですね、そこもね。
そう、ボトムアップですね、そこはね。
並べ替えるときって、スクリブナーでタイトルでっていう感じですか?
そうですね、原稿をスクリブナーに入れて、タイトル見ながら、
タイトル、このバインダーの方で入れ替えて、
で、あとメイン画面のエディターの方で、その前後のつながり、
その1つの文章の終わりと次の文章の始まりの接続感をいちいち確かめていくっていうのを繰り返していく作業でした。
作業のためだけにスクリブナーを使ってましたね。
そう、毎回ね、倉下さんの、どう原稿を配置するかっていうのが実はこの、
執筆人は実はそれを楽しみにしているというところもあって。
そうそうそう。なんかね、前に来たり後ろに来たりすると嬉しいよね。
そう、だからそのトップ、締めとトップっていうのはもちろん重要なんですけど、
だいたいね、最後に来る確率が高いのが、ひびきさんなんですよ。
ひびきさん、やっぱり。
今回も最後ですよね。最後にも来てる。
でもなんか真ん中っていうのはなかなかすごい今回インパクト強かったなと思って。
うん。面白いのはやっぱりね、これ毎回思うんだけど、
一応ね、完成前にそれぞれの人の原稿って、
一個一個個別に目を通してるわけじゃないですか。
まあ、ちらちら、ちらちらというか、一応目を通してるのが、
並べて読むと全然違って見えることがあって、
並び順の大切さというのをすごく毎回感じるんですよね、カーソルは。
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まあやっぱり流れ。流れとか、そうですね、関係はしていると思います。
やっぱりね、単純に複数人の考え方が並んでるっていうのがカーソルの一番の面白いところで、
僕、例えばメモとかノートって考えるときに絶対その関連性とかっていうものを重視するんですよね。
いわゆる能動的な考え方、グラフ理論的な考え方を持つんですけど、
しびきさんの原稿って、これのメモって何とも関係してないよなって思うっていうことが書かれてて、
僕、今まで来てきてそんなこと一度も考えたことがなかったんですよ。
でもメモを書くっていうのは、そういう切断感は確かにあるよなと思って。
だから一人の考え方が絶対じゃないっていうことも示しつつ、
書いた人もお互いに新しい発見が常にあるところがあって、
だからここはやってても楽しいっていうのがカーソルの良いところですね、これは。
やっぱり今回他人の目で読んでると、みんな、ただちネットの方がいつも書評丁寧に書いてくださってますけど、
確か前回かなんかの時にみんな好き勝手な楽器を吹いてて、好き勝手な方向向いてるんだけど、なんか聞いてて心地よいみたいな、
なんかそういう感じがあるんですよね、本当にね。なんか流れっていうか。
だから一個一個の原稿を、私たちは作るときはエヴァノートに自分が出来上がって、
一版、二版みたいな感じで書いてるんで、みんなそれ見ることできるんだけど、
やっぱりつなげてきれいな完成版を一個の本として読むっていうのは全然意味合いが違うんだなっていうふうに思いました。
当然だから、僕は多分何の意図せずに並べても、やっぱり読んだ人ってなんかそこで感触を受けると思う。
勝手に文脈を形成するというかね、そこが文章の面白いところなんですけど。
僕はその読み応えを損なわないように、あるいはまたこの話題かみたいな、
そういう空きっていうか、そういうのを来ないように調整しているだけであって、
それで成立のやっぱりそれぞれの人が個人的な文章を書いているからこそ、
一個一個がどこに存在しているから、もうどう並べちゃっても何とかなるよねっていう形になっているっていうのがすごいのと、
やっぱりでも4号を通して思うんですけど、僕ほとんど皆さんの文章に手を入れないんですよね。
手を入れないというか、あの「5字脱字」とかを指摘しますけど、
もうちょっと書き換えた方がいいんじゃないですかってことをほぼ言わないんですけど、
それで全然成立してるんですよね。成立する書き手を選んでいるからということなんですけど。
結構楽させていただいているというか、仕事はその面ではやりやすいですね。
あとの編集は大変ですけど、途中の制作段階は結構楽ですね。
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なんか前々回かなんかで、一喜さんとちょい焼さんは段落の構成が全然、深さが違うみたいな話をしていたと思うんですけど、
やっぱりそういうところも全然違いますよね。
全然違いますね。
だから普通の雑誌作る場合は、あれはページ組みがややこしくなるんで、多分面倒だと思うんですけど、
電子雑誌がメインなんで、あれぐらいでも全然。
読む人はちょっとこうページくるたびに段落の具合が違うから、
一回一回仕切り直しの感じはあるかもしれないですけど、慣れるんじゃないですかね、と勝手に思ってますが。
一喜さんがいつもすごく構造感が出てて、
そこが僕の原稿よりよっぽどアウトラインっぽい感じの原稿なんですよね。
多分アウトライナーで書いてるわけではないと思うんですけど、
わけないのかな、わかんないな。
一喜さんの執筆術ってあんまり明らかにされてないですね。
あんまり目にしたことがない。
だからその辺も面白いなと思うし。
そういう意味では一喜さんなんか多分ポメラに駄々書きしてるんだよね。
多分そういうと思います。
多分。多分。
一喜さんはね、構造が内容である。
普通に構造的に書いたら絶対ありえないような流れをしてるんだけど、ちゃんと構造があるという。
その楽しみが毎回あるんですね、一喜さんは。
一喜さんは多分あれは先に構造を作ってというんじゃなくて、
頭の中の論理定解に沿って書いてるという感じでしょうね、あれは。
まあおそらくですけど。
多分ああいうふうに出てきてるんだと思う。
ああいうふうに考えてるんでしょうね、おそらくは。
ああ考えてる。
実にそれが不思議な読無感を生み出すというか。
逆にこうした方が、こうしていった方がいいんじゃないかという問題点とか課題点みたいなんて感じられました?
カーソル全体の方針として。
やっぱりもうちょっと早く出そうよ、多分。
人に私が言うのもなんですが。
そうですね。さすがに2年に1回はちょっと遅すぎますよね、それは。
もう2年も経ちましたかね。
そうですね。2年も経ちましたね。
基本的に締め切りという概念を持たないとしたので。
そうそう、そこがいいともなんですけどね、本当に。
原稿書いてから1年以上経ってますもんね、今からね。
そうですね。
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まあね、難しいですね。締めすぎてもちょっと違うよなっていうことにはなりますけど、
もう期間詞ぐらいは名乗りたいところではあるんですが。
オリンピックになっちゃう?
オリンピックになっちゃうんですね、姉妹にね。
まあどうかな、でもやっぱりああやってカーソル内というか、
メンバーでいろいろ普段話しながらちょっとずつ原稿を書いていくからこそのカーソルというところもあるんで、
あまりにマニュアル的に4ヶ月に1冊作りましょうって入って出したとして、
それがカーソルと呼べるものになるのかはちょっと疑問ではありますけども。
そういう難しいところですよね。
前回と今回の間でポッドキャストって始めたんでしたっけ、倉下さん。
しかー、これ80回なんで、
1週間に仮に1回やっているとしても80週しか経ってないから、2年以内ですね、だから絶対。
だから前あれですよね、1回座談会的な内容入れたことありますよね。
入れました入りました。
ポッドキャストとかもせっかくやってるから、そういう話し起こしみたいなのは大変だと思うんですけど、
そういうコーナーがあってもいいのかなとか思ったりして。
そっか、それはありですね。
うん、ありですね。大変だけど。
結局、やることは大変なんですけど、お母さんの場合文章を書ける人、最低書ける人が参加条件じゃないですけど、
その話し相手がカーソルメンバー以外であっても、話してくれたものを書き起こす場合は、その人の文章力って問わないで、
だから入り口が広まりますよね。
ちょっとそのことについて話してくださいっていう方が、そのことについて書いてくださいっていうよりは多分楽なので。
だから対話型のなんかを入れていくのは、まあ確かにありですね。
誰がそれをするのかという問題が残りますけども。
でもそういうのはちょっと考えていきたいところで。
いよいよ本題なんですけども、当然4号が出たんで5号も出すのですが、
テーマをどうするかというところで、とりあえず僕の胸の内を先言っていくと、
考えていたのが、デジタルツールっていうものについての知的資産絡みでのデジタルツールについてちょっと考えたいなというところがあって。
デジタルノートを使ってきて10年ほど経って、
1つデジタルノートのビストピアっていうので、あんまりうまいこと使えてなかったようなっていう反省が1つあったところで、
じゃあどうやったらこれをうまく使えていくんだろう。
あるいはもう皆さんどううまく使うというか、どういう付き合い方ができているんだろうということを1つ考えたい。
デジタルツールそのものについて考えてもいいですし、
デジタルツールとアナログツールの違い、対比っていうのを出すことで、
18:03
その特徴を明らかにしていくっていう話の進め方もできるでしょうし、
おそらく参加している人々みんなデジタルツールだけでやってるって人は多分少ないでしょうから、
何かしらの形でデジタルとアナログ両方使っているでしょうから、
その実践について語ってもらうっていう切り口があるかなと。
もう1個は、どうしてもライティングの哲学っていう本もそうなんですけど、
執筆仕事をしている人にとっての知的生産っていう話になってしまってるんですけど、
梅沢が射手に入れてた話っていうのはもっと広いはずで、
日常の中にある知的生産の技術、何しらそれに強引にカテゴライズできる日々の工夫っていうものを、
1回洗い出してみても面白いかなっていうのが3つ目で、
4つ目は、アウトライナーについていい加減まとめた方がいいんじゃないかなと思って、
アウトライナーっていう話題も一応考えたんですけど、
アウトライナーを描ける人と描けない人が多分いるんで、
使ってない人は描けないんで、
ここは統一的なテーマとして出すのは若干難しいかなっていうのが、
今僕が考えているところなんですが、
お二方に胸に秘めているテーマ、
私が考えたテーマについてご意見あればお願いしたいところでございます。
どちらでも。
どうぞどうぞ。
僕ですか。
じゃあ、そうですね。
僕は倉下さんが言ってた中の、生活の中のっていうところ。
いわゆる知的生産っていうのが、
一応カーソルのメインテーマみたいなところありますけど、
どうしてもまとまった文章を書くみたいなところに寄っちゃいがちなんですけど、
そういう必要性とか機会がない人もたくさんいるし、
その人たちにとっての知的生産っていうのも当然あるわけだし、
もっと広く捉えれば、
それこそタスク管理とかそういうところまで含めた生活の中に、
本当は伸びていくものであるはずだし、
そういうもっと広く捉えた、
自分もわりにそういうことを意識して、
知的生産界の時にも書いてたような気がするんですけど、
生活の中のっていうところを考えるっていうのは一つありなんじゃないかなと思ったのと、
そうすると自然にデジタルとアナログっていう話も出てくるような気がするんですよね。
だからそれが統合しちゃってもいいのかなと。
統一してタイトル名考えるのが難しくなっちゃうかもしれないですけど。
やっぱり生活ってアナログなものが重要だと思うので、
21:03
どうしてもデジタルだけだと簡潔に、
ここにコピー押しがメモ用に置いてあるわけですよね。
これやっぱりデジタルだとならないわけですよ。
そっちも置いてあるし。
そういうこととか。
あともう一つは生活とつながるんですけど、
職場の中でもっとできること。
会社員、例えば会社員だったとしたときに、
会社員としてその知的生産をどう考えるか。
だってデスクワークって全てその範疇に本来含まれるはずなので、
だけどどうもうまくやれない。
どうしても会社に職場に規定されちゃう部分もあるし、
使えるツールを限定されちゃったりすることもあるし、
逆に学校出て就職して先輩に仕事のやり方を習った、
そのやり方が仕事のやり方だと思って続けてるっていう場合もある。
もっと言っちゃえば、クロイ使いたいけど、
セキュリティの関係で職場じゃ使えないんですよねって人もたくさんいるだろうし、
そういう中で一人一人が工夫をしていたりすることもあると思うんですよね。
その辺って結構ルーさんそういうネタを持ってるんじゃないかと想像してるんですけど、
生活っていうところの延長としての職場でのっていうところを考えてみてもいいかなと思ってました。
ちょっと狭すぎるかな。
でも職場でのっていう言い方だと、
環境的な制約の中で個人がどう地域生産するのかっていう話と、
もう一個は絶対組織である以上、他人との協力してプロジェクトを進めていくっていうことも絶対含まれるですし、
職場っていう自宅じゃない環境で仕事をするっていう観点もあって、
結構切り替えがあって、しかもあんまり掘られてない話題で、
地域生産の技術と語る人って、自宅とか研究所で自分で環境をゼロから作れちゃう人が基本的に本の筆者になりがちなので、
その急遽とした職場でいかに地域生産とか他人との成果物の生成をやっていくかっていう話は、
論点としてはゲッとあって、
僕も一応前職は職場で働いてたので、何かしはあると思いますね。
お二方は大丈夫でしょう。
ちょいえくさんは学校の先生で、
大河さんも一応広い意味で学校の先生で、
ひびきさんがプログラマーだから、
一応何かあるかな。
ありそうな気はしますね。
一応成り立つかな。成り立つそうな気がしますね、確かに。
24:00
一つ心配なのは、何ていうか、いわゆる仕事術みたいな、
ハウツーに寄っちゃうのはちょっとつまらないし、
あと、あまり、やっぱり職場の工夫してますってなると、
具体例出さないとピンとこないんですよね。
コンビニだったらコンビニで、こういうポップがどうのっていう話をノートで書かれてましたけど、
そうなってきた時に、ちょっと事情があって書けない人とかもいるだろうし、
っていうところが、別にいいんですけど、そういう人は書かないで、
書ける人だけで書いてもいいんですけど、
あまりにも、どういうふうに、それが知的生産っていうような、
それは私の環境とは違うけど、こういうところに生かせるのかなとか、
面白いなって思ってもらえるのかって、
意外とちょっと難しい点もあるかなっていうのを一瞬思ってしまいました。
確かにね。
確かに。
逆に言うと、そこの難しさがあるからあんまり語られてこなかった側面はきっとあるでしょうね。
書き手の工夫があれば、きっとそういうのを読みたかったんだっていうコンテンツになりうる可能性というか、
は秘めているのかなというのが第一感でございます。
ルーさんの方はアイディアとか意見とか。
私は生活の知的生産っていうところの倉田さんの最初のイメージから、
逆に職場じゃなくて、お家で知的生産みたいなところを思ったんですよ。
やっぱり今みんな家に、このコロナ禍になっちゃって、
家が軸になる割合がすごく増えてると思うので、
そこの中で自分の時間をどう作るかとか、
どう目標を立てていくかみたいなところもちょっと面白いのかなと思ったんですけど。
例えば、僕はいないんですけども、子育て世代の知的生産の技術って、
たぶんものすごい大変でしょうね、きっと。
おそらく成立させることすら難しいんじゃないですかね。
子供を育ててる人が自分の時間をとって本を読んだりとか、
何かしっかり書き物をするっていうのは、
おそらく工夫なしでは成し遂げられないことだと思うんですけど、
これもあんまり聞いたことがないですね、そういう話も。
あんまり聞いたことがないですね。
じゅんさんとかは家族内での家族管理みたいな本とか書かれてますけど、
イメージ的にはあんな感じですよね。
それもそれで確かに面白いし、
結構必要性がある種、切実性が高い技術の話でもありますね、その辺は。
確かにあと、職場よりも員の塾が増えてる事実ではあるというのは間違いない話で、
僕はだから、この中になっても別に環境がほとんど変わってないから、
変わった感じを受けてないんですけど、変わってる人多いでしょうね、そこは。
だから職場とか生活とかっていうか、
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さっき倉下さん言った、その言葉がいいかどうかは別に、
制限された環境でどうやるかみたいな話なのかな。
そうですね、完全に自由な状態じゃなくて、ある環境の制約の中で、
自分の環境をどう立てていくのかっていう話、
それがテーマというかコンセプトに一応なりうるでしょうね。
タイトルが別につくとしても、そういう切り口でどういうことをしてるのかっていうのは、
面白そうな話です。
一応だから、生活っていう言葉遣いかどうかは分かりませんが、
何か独立した理念的なノウハウというか、
方法論というよりは、環境とどう付き合っているのかとか、
それぞれの中でどう環境を組み立てていって、
自分の時間なり自分の考えなりを組み立てていっているのかという話ができたら面白いかな。
その中で多分デジタルとアナログの話も必然的に出てくるでしょうからね。
だって自分としては100%デジタルでやりたいと言っても、
税務署は紙を求めてくるみたいなところがあるわけで、
そういう中で自分なりの工夫をしていくっていうのが面白い話。
やっぱりビジネス署とかって、全部デジタルだからって言って、
結構厳粋的に難しいことを言ってきますからね。
お前そうは言ってもそれ無理やろみたいなことがあるんで、
もうちょっとリアルな話ができたら面白そうですね。
たぶんね、今後4年、
いやそれあんたフリーランスだからいいけどさって思ってる人はたくさんいるはずですよね。
僕だと思いますもんね。
だってお辞儀させるデジハンコとか作っちゃう文化ですからね。
あれすごいですよね。
なんかその技術力をそっちに持っていくのかっていう。
なんかZoom会議の席順を決めろとか、いやすごいなと思う。
それで上の人が気分よくしてくれるんやったら安いもんですけど、
ちょっと変わっていく。
でもたぶんあと10年、20年して、
今の30代の人たちがそれなりの職種につくようになったら、
そこまでこだわらないんじゃないかなと個人的に思いますけど。
そうでしょうね。
そうだったらもう今なくなってるんじゃないですか。
わかんないけど。
そうかな、どうなんやろな。
でもあるとき突然なくなりそうな気がします。
じわじわじゃなくて。
30:05
そうか、だいたいこの3人のアイディアと結論が出てしまったんですが、
結論というか仮決めが出てしまったんですが、
他の方からいただいたアイディアやと、
気分が乗らないときにそれでも仕事をするにはどうするか、
しないのか、下振りをしてサボるのかっていう、
サボり方の指摘生産の技術っていうのがあって、
これはラディカルな話題ですよね。
普段、普通のノウハウ本では絶対に言わないことになっている話題ですよね。
こういうのはね。
でもそれメンタルヘルスという角度から考えれば結構意味のある、
話題ではありますよね。
それで一貫持つかっていうのは難しいかもしれない。
佐々木翔さんがサボの手抜きフニャララっていう本を書かれたと思うんですけど、
やっぱり、全力を出さないというのがおかしいんですけど、
不合理な仕事に対してどう受け流すのかっていう、
諸誠実ですけど、これ絶対必須なんですよね。
フリーランスになると仕事を断るっていう最強の術が使えるんで、
それはいいんですけど、
会社員の場合はそういうわけにもいかないし、
フリーランスでも経済的に仕方がなくみたいな状況はあるわけで、
そういうものとの付き合い方っていうのも語られていないし、
実際的なノウハウとしては結構重要なんです。
ノウハウ本でいうと、いかに完璧に仕事を仕上げるのか、
ドーンみたいな感じの話が多いんで、
あんまり語られていない一つの切り口ですし、
サボり方というか、サボり…でも、そうやなぁ、サボり方か。
これはある種環境に対する工夫の一つに加えられようと思えば加えられるし、
ある種の規範性に対してどう抗うのかって、
ちょっとでかい話にはなりますけど、
そういう話題でもありますね、これは。
あれでしょう、試験の前日にお掃除をしてしまうのはどうしてかみたいな、
机の片付けをしてしまうのはどうしてかみたいな、
どうしてるんですかね、みんなで。
まあ、してるんじゃないですか、掃除。
いや、そういうのはいけない、
そういうのはいけない、ちゃんと勉強しなければいけないっていう、
その考え方そのものが間違ってるんだと。
いいじゃないか、試験で点数取れなくてもっていう、
ラディカルな開き直りが多分、世の中には必要なんですよ、それは。
それは、結局、知的生産においても重要で、
だから、ある規範性とかルールに従って知的生産をするってことは、
二番煎じにしかなり得ないんですよ、結局。
あらゆる新しい発想っていうのは反逆的に行われてきたわけですから、
33:01
これが正しいっていうものをそのまま受け取ってみようではダメっていう、
ある種の啓蒙的なメッセージがそこにあるわけですけど。
そうですね、私結構ダメな方なんですよ、
自分がやりたくない仕事はもうできるだけやらないっていう、
でもフォルダーも絶対開かないっていうタイプなんですけど、
どうしてもやらなきゃいけないときに、
ショートカットをデスクトップに作るんですけど、
そこに「なんとかの仕事」って書いちゃうと絶対開けないので、
ひらがなで「温泉」って書いてる。
なるほど。
いつも温泉プランが出たとかって自分で思ってるんですけど、
すごく嫌なんだけど、
頑張れ、頑張れって思いながらやるっていう、
術を使ってますね、そういえば。
そういうのがやっぱり重要なんですよ。
やっぱりフリーランスが語る仕事術って、
そんなのやらなきゃいいじゃんっていう話になるんですけど、
そういうわけにはいきませんからね。
ライティングの哲学の瀬志茂さんがそういう話で満ち溢れてましたけど、
そういうのってバカにするもんでもないですし、
人間がそこまで強くない存在である以上、
そういう腹風の引き出しってたくさんあった方が、
もちろんそんなのを使わない仕事に就くのがいいっていうのは、
一つの理念ではあるんですけど、
そうは言ってもねえと思うんで、
ショートカットを作るとか、名前をごまかして書くとか、
ファイル読むだけやから、ファイル読むだけやからって言って、
自分を名残惜かせてファイルを開くとかね。
これがいわゆるライフハックなんですよね。
本当に簡単にできるちょっとしたことで、
人生が少しだけスムーズに行く、スムーズっていうか、
前に進めるようになるっていうことが、
僕の中で考えるライフハックなんで、
あんまりにその認知論的に難しい達成をするというよりは、
小細工でなんとかするっていうのが、
僕は結構好感を持ってますね。
なんかたくさんもあります。
やりたくない仕事とどう向き合うかノウハウみたいな。
でもその種の、ルーさんのね、
ショートカットに温泉みたいな、
類ノック風って多分みんな、
自覚してなくてもおそらくありますよね。
そういう立場の、
そういうふうに仕事しなきゃいけない人っていうのは。
なんかあったかな。
僕は、前職の時はね、
高い万年筆を買ったんですね。
ほう。
で、それを使いたいがために、
ノートを開くみたいな。
なるほど。
あと結構紙に、
紙でチェックするような仕事が多かったんで、
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それをボールペンだとつまんないから、
6万円ぐらいする万年筆を、
ボーナスで買いまして、
今はそんなことできないんですけど、
それを、やっぱね、書きやすいんですよね。
そうですね。
それを、その快楽を味わうために仕事するみたいな、
方に持ってったっていうのはありますね。
もともとは懸賞円対策だった。
ああ、なるほど。
5,000円ぐらいの万年筆を最初買って、
やってた。筆圧がものすごい強いんで、
手首ためないように万年筆を使おうとしたんですけど、
その万年筆が慣れてきた時に、
結構気持ちいいんで、
これものすごい高いやつを買ったら、
もっと仕事する気になるんじゃないかと思って、
買ったみたいなのがありますね。
そうか、まあ、そうかな。
なんか、GOさんは多分いろいろ持っていると思うんですけど。
万年筆持ってますね。
どうかな、他の人も書けるかな。
一応これは一回雑誌にしてみるか。
でもやっぱこれもさっき言った大きい話、
生活の話に加えられそうな気はしますね。
どんどん話がでかくなっていきますけど。
でも、なんかその、
広い意味で生きるための工夫みたいなところってあるじゃないですか。
つながってはいますよね。
著者の名前は忘れたんですけど、
こういう名刺覚えんのすごい苦手なんで、
著者の名前忘れたんですけど、
生活の技術やったかな。
生活技術やったかな。
という本がありまして、
生活技術やったかな。
一応知的生産の話を扱った、
フランスの方でしたかな、
哲学者かなんかの方で、
知的生産の技術系の話、
私の生活技術か、
土曜文庫から出てる本で、
アンドレ・モーロワさんの本なんですけど、
いわゆる考える技術に関する話なんですけど、
基本的には幸福論に近いかな、内容的には。
内容が面白くて、恋愛の話とかが入ってたんですよ。
だから、この生活技術っていう言い方をすると、
基本的にあらゆるものが対応可能ですよね。
ライフハックと一緒で、
生活って言ってしまえば、
ほぼ何でも生活なので。
でもライフハックのライフって生活じゃないですか。
同じことを言ってるはずなんですね。
それハックなのか技術なのかっていう差があるだけで。
だから、キーワードはこのライフないし、
スラッシュして生活っていうことに関する技術なんでしょうね、きっと。
ライフ。
ライフいいですね。
誰かがライフに注目してましたね。
39:00
諸証ご参照くださいっていう。
だから、ライフの技術について考えることで、
実はライフについて考えるっていうことになるっていう展開がもちろんありまして。
だから、職場とか働くっていうカテゴリーがまずあって、
さっき言ったように、
自分の弱さとどう付き合うのかっていうカテゴリーもありますし、
生活の技術っていう一つの大きなカテゴリーの中に、
サブのカテゴリーを3、4個作って、
それに該当するものを書いていただければ、
結構いけそうな気がしてきました。
面白そうだと思います。
みんな案書いてて、
ラシタさんもタクさんも私も生活の知的生産っていうのは推しというかね。
やっぱりこう、
知的生産の技術っていうのが、
ずっと前からですけど、
知的っていうことがあまりにも排斥すぎるし、
憧れを呼びつつも距離感があるっていうのが常にこの問題としてあって、
なぜか僕は意識してなかったけど、
ノートっていうキーワードを一つ皮切りに、
そういう話題が提供できたっていうのがあって、
案外高評価を受けている、
求めていた人がいた、
求めている人がいたっていうことで、
だから、いわゆる執筆の技術=知的生産の技術っていう規定外見からちょっと一回外に出て、
私たちの身の回りにある生活の技術としての知的生産の技術っていうのは、
市民情報社会においては必要というか、必須というか、
だから、ある憧れに達するためのノウハウじゃないんですよね、これって。
すごい人になるとかではなくて、
自分の日常を柔らかくする、柔らかくでいいかな、柔らかくするための技術、
自分のための技術っていうところで、
もう一回再評価できるし、したほうがいい時代になっているんじゃないですかね。
例えば職場ってみんな同じ環境で働くわけですけど、
家庭の環境って一人一人違うわけで、
その技術って個別化せざるを得ないというか、
皆さんの中での生活の中で位置づけるしかないんで、
だから、このできるビジネスパーソンを目指そうっていう、
メンタルモデルをそろそろ転換していきましょうという時代になってきているのではないかなと感じるところです。
あれですよね、こんなこと言うと語弊があるかもしれないですけど、
できるビジネスパーソン的なものが、しばしばすごく底が浅く感じて、
僕の個人の感想ですけど、底が浅く感じてしまうのは、
やっぱり生活との結びつきを感じないかというところが個人的にはすごくあるし、
42:06
倉下さんも最初の方で言ってましたけど、
そもそも梅沙男の知的生産の技術の本自体がそこまでの射程を持っていたと思うんで、
梅沙男自体が。
だから、わりにある意味では原点に変える的な位置づけにもなるんじゃないですかね。
第1号で「脱知的生産の技術」っていうふった話題を、
今度は具体的な技術の開示で固めていくみたいな構成というか、
位置づけになるでしょうね。
もしその通りに進んだらですけど。
基本的にすべては、完成するのですべてはブレストなんで、
いくらでも代わりに売るということだ。
それだけ言っといて全然違うものになる。
面白いツールになりました。
たくさん昔からの、ワーク・ライフ・バランスっていう言葉は、
よくビジネス的に使われるけど、
そうじゃなくて、ワークとライフは別れるものじゃなくて、
ライフなんだっていうのを言ってましたよね。
なんか書きましたね、そんなことね。
でもね、そう思ってる人多いはずですよね。
やっぱりビジネスパーソンっていう括りになっちゃうと、
家庭で主に家事を担当してる女性の方とか、子供とか学生とか、
そういう人たちが全部置いてけばいいんじゃないかと。
その辺りも、やっぱり生活っていう言葉で戻ってくるっていうのは、
いいかもしれないですね。
だから、やっぱりライフ・ハックっていう言葉が、
あれぐらいブームになったって、
ライフっていう言葉の汎用性というか、
包摂性の広さは間違いなくあって、
知的精査の技術が、たぶん一番スタートで、
一番遠同位、一番アカデミック集のする言葉で。
次に出てきた仕事術っていう言葉は、
仕事をしてる人は社会、2a=社会人なわけで、
学校に憧れを持つ人よりはまだ幅広いけど、
やっぱりその仕事っていう言葉の文脈の限定があって、
それがライフ・ハックになった途端に、
ほぼすべて、幼児より上の人たちはほぼすべて、
ライフを営んでるわけですから、
だからその人たちを包括できる言葉がやっと生まれて、
話題が広がったのが、10年、15年くらい前ですか、
だったんですけど、なぜかそううまいことはいかなかったっていう、
50年の歴史があったわけですけども、
どこで間違えてしまったのか。
そうですね。
梅沙王は家庭っていう言葉を使ったじゃないですか。
そこにはすごく時代を感じるんですけど、
その時の家庭っていうのを今は何て言い換えるかっていうと、
45:02
やっぱり生活かな。
だからライフとワーク対比するのはおかしいと。
それはだから、兄弟関係じゃなくて、
ライフが親で、ワークは子供だっていう、
その位置にしたときに、その差分?
ライフ-ワークのここに残る言葉を僕たちは知らないんですよ。
だから仕方なくとも親概念が流れ込んできて、
ライフって呼ばれてるんですよね。
仕事以外の人生の時間を何て呼んだらいいのかわからないんですよ。
本来はその子に名前があったら「フニャララの技術」って言えるはずなんですけど。
それが言えないんですね。ここが風白やから。
だからもう一方化的に生活の技術と、
別に言ってもカテゴリーラーではないですね。
上位概念を指しているわけですから別に。
だから趣味しかないですよね。
仕事に対比できる言葉っておそらくは。
そうですね。
家事って仕事に分類するしかないというか、
シャドーワークって言い方もしますけど。
でもだから、例えば部屋の模様替えするっていうのって、
これ何なんでしょうね。趣味でもないし、仕事でもないし。
自分の家の本棚の順番を入れ替える作業とかって、
これもう名乗しがたいですね。名前のない行為ですね。
そうですね。
でもそこにだってたくさんの技術があるんだよというところは、
多分言えると思いますよ、きっと。
結構、割りかしそうなりそうな感じが出てきて。
すごい、すごい、今流れがそっちに。
でも我々3人で喋ってるからなんでね。
カーソルのいいところは、空気を読むより先に自分の意見を言うっていうところなので、
体勢がこう流れてても、僕それはちょっとっていう意見が普通に出てくるので。
そうそう。
それがいい。
それがいいですね。
他のメンバーはね、僕は別にとかいう人もいるかもしれない。
そうそう。
だからそういう開かれた対話ができるのはありがたいですね。
だから逆にそう、体勢ができると反論しがたいなっていう思いがあると、
こっちも勢いをつけにくいというか、遠慮がちに全員が言ってしまうことがあって。
で、やっぱりちょっと会話が盛り上がらないところがあるんですけど、
すっと反対意見出てきて、みんなすっと「そうだな」っていう話になるっていうのが、
現実社会では結構珍しい。
日本の現実社会ではかな。
こういうのってね、言いづらいし、言うとなんか空気が悪くなるんで。
48:03
僕は現実社会ではあまり思ってても言わないですけど、
やっぱりそのインターネット空間はね、そこが非常に快適ですね。心地よいです。
なかなか得がたいですよね。
得がたいです。
でもやっぱり相手が違う意見があったら、何の遠慮もなく言ってくれると思うからこそ、
こっちも遠慮なく言えるわけじゃないですか。
もちろんそうですね。
だから空気ってお互いを結局抑えつけ合っちゃうようなところがあるんで。
でもこれの残念な話は、
カーソルのような空間をどうやったら別の場所で作れますかっていう話になったときに、
参加する人を選びましょうっていう非常に残念な、
非インターネット的な言い方しかできないんですよね。
これ本間にオープンでやったら、こうは絶対ならないんで。確実に。
そうか。
でもオープンカーソルどうやるのかっていう話ね。
そう、だからそこが新しい課題なんですね。
この話も一応知っておきますけど、
先ほどルーさんからご指摘を受けた発行費とか、
問題を解決するために、
カーソルのメンバーとは別に、
ある特定のテーマだけに原稿を寄せてくれる人を集めて、
開かれたカーソルという意味でのオープンカーソルというのをやろうと思っていると。
僕の中で長年題材にしてた、
情報カードについて書きたいなと思ったんですけど、
全員書けないですよね、情報カードについては。
だからやっぱりメンバーが全員乗り切れないテーマとか、
他の人たちの方が得意な分野に関しては、
臨時号というか特別号として出してみるのがいいのかなと。
その場合って別に並行して進められますし、
発行頻度も上げられるんじゃないかなと思うんですけど、
カーソルと同じようにはいかないだろうなという予感が常にあって、
まず原稿の募集そのものが難しいんですよね。
僕インターネットやってきて思うんですけど、
原稿寄せてくださいってやっても、
誰も寄せてくれないです。
別に参加する気持ちがないわけじゃないんですよ、皆さん。
僕がダイレクトに書きませんかって言ったら、
はい、やりますって結構素直に乗ってくれるんですけど、
誰でもいいからっていう言い方では判断がないんですね。
でも自分のこと考えてもそうですけど、
やっぱりそういう広がりだなんて結構乗りにくいというか、
別に自分じゃなくてもいいというか、
自分が呼ばれてないからいかんでいいという感じになりやすいんで。
だからやっぱりある程度原稿を集めようと思ったら、
カーソルの知名度がめっちゃ広くならない場合、
もっと前の段階は僕が書いてもらえませんかって、
声をかけていくしかないなっていう点と、
そのテーマについて知見を持ってたとしても、
文章がスッと書けるかどうか、これまた別問題というのがありまして、
これが結構厄介で、厄介でして、
51:01
ブログ記事であれば全然問題ないと、
その人のこれまでの文脈の中に置かれた人記事であれば問題ないけど、
カーソルって新しい雑誌に独立で出した時に、
前後関係が不明瞭な記事っていうのが結構出てきやすいんですよね。
これはブロガーやからそうなりやすいと思うんですけど、
そうなると結構、ちょっとこれを書き直した方がいいですよって話が、
結構というかほぼ出てくる。
そういう経験あるんですか?
今だからオープンカーソルでタスク管理について2、3書いていただいたんですけど、
やっぱりもうちょっと書き直してほしいなっていうのを知的出しをしてまして、
全然日本語が書けないとかではなくて、
もうちょっとわかりやすくなりますよねっていう提案なんですけど、
編集者的提案なんですけど、
よく考えたらカーソル4号、これまで一切僕そんなことしてないんですよね。
さっきもおっしゃってましたよね。
皆さん、個性はあって、自分ならこう書かないだろうけども、
これはこれで成り立ってるっていう原稿をいただけてるんでいいんですけど、
やっぱりオープンにしてしまうと結構編集者の仕事が増えてくる予感があって、
これ本当に頻度が上がるんかなっていうのを、
やってみないとわからないですけど、ちょっと思っているところです。
これは結構難しい感じがしてます。
なるほど。
そのタスク管理の原稿っていうのは今やってるんですか?
今進めてます。今進めようとしてて、
3、4人一応名乗りを挙げていただいて、
ラフコをいただいたところです。
そこもだから、新人新聞記者が先輩新聞記者で赤字を入れるとかやったら、
あの人たちめっちゃ赤字入れるじゃないですか。
もうこう直せって。
でもそういう関係じゃないじゃないですか。
ある人はね、傷ついたみたいになっちゃうだろうしね。
僕好みの文章に直すのも違いますよね。
その寄稿してもらっている以上、
やっぱりその人の個性が生きた文章になってほしいというのがあって、
だからどこまで口というか手を出せば出すのがいいのかっていう塩梅が、
今までもうほとんどやってこなかったんで、
今から探り探りというところで、
でも傷つけるからといって口出さないっていうのは、
一応売り物の文章を書いているわけで、
無料で読んでくださいっていうPDFなら別に僕もそんな大したことは言いませんが、
少なくとも5、600円絶対払ってもらうものになるはずですから、
現行的には。
まあ最低限の家族性というか、
読んでわかるものにしないといけないので、
そこの手間ですよね。
そこの手間がどれぐらいの規模になるのか。
だからある程度文章を書ける人っていう、
その敷居を設けるべきなのかっていうところで考えますね。
54:05
そこは。
なるほど。
お二人がカーソルの現行を書いているときって、
他の人たちの書きかけの現行とか見ます?
僕はもうめっちゃ見ます。
クラシアさん見るだろうけど。
僕はめっちゃ見ます。
周りに見ますね。
私はそういうの見ちゃうと、
もしそこに自分が書きたいことがすでに書かれちゃったらどうしようみたいなのがあったりとか、
その書かれている内容に影響されちゃったら嫌だなっていうのがあるんで、
基本的には見ないで書いてきたんですけど、
やっぱりカーソルは作っているときに、
みんなの現行とか進捗が見れるんで、
もうそろそろやばいやばい、もうそろそろ書かなきゃとか。
暗黙のプレッシャーを。
予定調和にはならないんだけど、
やっぱりみんなで出来上がりの一冊っていうのをイメージがだんだんしながらやってるから、
また一人一人の機構っていう形とはまたちょっと違うのかもしれないなと思いますね。
確かにね。
ただ現行を寄せてもらって集めましたというのでは、
オープンカーソルとは名乗り難いものになるかもしれないですね。
そうか。確かにある程度プロセスを共有してますもんね。
で、それについての感想も別に。
そうそうそう、嬉しいですよね。
そう、あの、ちょっと途中段階での感想を結構書いたり書かれたりするんで、
あれ結構カーソル性を生んでるのかもしれないですね。
カーソル性。
だからやっぱりそうですね、雑誌と場作りってのはセットなんですよね、きっとね。
雑誌と名乗れるものってある種のカルチャーというかその雑誌の色っていうのは絶対セットになってると思うんですけど、
そういうのを醸成しないと、なんか記事の寄せ集めと同じになってしまうっていうのがあるでしょうから、
だからオープンカーソルという概念そのものが壊れかけなんですけど、
なんか作り方をもうちょっと考えた方がいいんでしょうね、きっと。
なんかやっぱりタイトルが、例えば今回生活のなんとかにしましょうみたいになった時に、
いっきさんなんかはポンポンポンポン、タイトルレベルの段階でこんなこと書きたい、
みたいなとこいっぱい出して、そこからどんどん広めていくっていうのを私たちも見てるから、
そんなこと考えてるんだっていうのも思ったりもするし、
あと途中でアイデアが出たら、やっぱりそういうのを書いていくっていうのも、
思ったりもするし、あと途中でアイデアが出たりとか、
それで一番最後の最後の方で、ひびきさんがドカーンって出たりとか、
突然ほとんど完成原稿を出してくる、
ゴーさんなんかは途中で、ほとんど完成されてるんだけど、
1章2章3章みたいな感じでどんどん書き足していくっていう感じだったり、
57:02
人によって全然違うんだけど、そこが面白いですよね。
そうなんですよね。書き学校付きの個性的な人っていうのを集めてるんで、
当然書き方も個性的になるって、これもほとんど必然なんですよね。
人が個性的であったら書き方もこれは個性的なんですけど、
やっぱりそれを目の当たりにするっていうのはやっぱり大きいですし、
多分少なからず自分のプロセスにも、良いか悪いかは別にして影響は生まれてるでしょうね。
それはもう知らないところで。
うん。
やっぱ僕なんかは基本的に天の邪悪なんで、
他の人が書いたことがあったらそこを避けて通るようなところはありますね。
それは間違いなく。
うん。
でもあれですよね。この話を聞いたことによって、
逆にその場で、そういう場で書きたいと思う人もいるかもしれないですね。
そうなんですね。
結構カーソルも別にメンバー募集、募集まではしてないけど、
参加したいっていう声があったら全然記録検討するっていうつもりでスタートしたんですけど、
一名からも声をかけられたことがないですね。
別にメンバー固定じゃないですよね。
書いてほしいなって面白い。
これちょっと直接名前は言いませんけど、何人か頭に思いがつくんですけど、
この人だったらこのメンバーに入っても負けない個性を発揮してくれるだろうなと思う方は、
数名いらっしゃるんですけど。
いやいやいや、やめてください。
入れ替え線みたいな自分が出されてるところが、
目に浮かびました。
別に原稿の文字数の規定はないんで、何本ボリューム増えても全然大丈夫ですし、
例えば一番個性があるのは間違いなく響さんの文章なんですけど、
でもその方々も派手ではないかもしれないけど、やっぱり色があるんですよね。
ルーサの原稿は大体その語りかけ口調で柔らかいんですよ。
僕は特にカーソルでは、えいりって言うと強いか、
論文調的な、あるいはちょっと分かりにくい文章を書きがちで、
そういうのが一緒になってるからいいんであって、
誰か個性的な人が入ってきたから誰か抜けていくみたいなことはないですね。
単純に量がパンクしちゃう可能性という意外には別に問題ないんですよね。
実際、量の多さが問題じゃないです、あれは。
僕は4個言ってましたけど、ページの区切りに合うかどうかなんですよ、本当に。
1:00:02
紙原稿換算で224ページになるかならへんかとか、そういう話の方が問題であって、
原稿が10万字か12万字になるとか、本当にすごく些細な問題です。
あれは4ページ単位?
4ページ単位ですね。
印刷のときは4ページ単位ですけど、
Booksっていうプラットフォームでは、どっかの倍数やな、
24の倍数かなんかで変わってくるんですよ。
だから1ページオーバーすると、20ページくらいの量が増えてしまうんで。
それは厳しいな。
今回も結局いろいろ入り汚かったんで、僕の原稿1つ落としてますから、
書き足すことも考えたんですけど、ちょっと間に合わないなと思って、
削ることを決めて、またそれまで別の機会に使うんですけど、
だからそっちの方が難しいなと思って、本当にだから、
Webで活動してると、ページっていう概念が消えるんで、
本当に原稿を使ってた頃は、1文字の出し入れとか必死にやってましたけど、
Webになりきっていると、好きに書き散らしてしまうんですけど、
それを一旦、PDFというか、紙媒体、紙原稿に直したときの、
あのページの難しさですよね、本当に。
で、ちょっと書き足すと、ページ変わって1ページ増えるってことがあるんで、
しかも自分の原稿やったら、その表現を丸めて短くしようとかはできるんですけど、
他の人が書いた原稿なんで、ここの表現削ってくださいって結構難しいんで、
ページそのものを調整するしかないんで、そこだけですね。
だから、カーソルで難しいのはその2つ。
順番を決めるのと、ページ数をお箱に収めるのだけですね。
それ以外は、もう極めて楽しい作業です。
24の倍数ってのは知らなかったな。
24ずつやったと思う、まあはっきり調べてないですけど、
少なくとも、5ページとか4ページの引き算では済まないですね。
引き算足し算では済まないです。
これは大変ですね。
紙版を諦める手もあるんですけど、
BOOKSのプラットフォームってある程度簡単に作れるんですけど、
複雑なレイアウトがまずできないんで、あれ。
それであれば、初めからePubで作って、
Kindleストアで売れば、2.5週間待たされるとかいうこともなくなるんですけど、
あの、やっぱり印税の分配機能というのがありまして、
それは避けては通れないので、
その一点だけでもBOOKS使ってるところですね。
なるほど。
はい。
うーん、まあ、どこかな、どうしようね、なんか、
逆に、逆にじゃないけど、今一応その5号の話はしてますけど、
5号以外の、いつかやりたいリストに入ってるネタとかってあります?
1:03:06
さっきのアウトライナーについてっていうのは、
何ていうか、オープンカーソルじゃないけど、
別冊号みたいなのがいいのかなって思ったんですけど、
それこそ千葉先生とかを。
(笑)
まあ、それはね、要検討ですけども。
うん、なるほど。
アウトライナーか。
うーん、でもアウトライナーの本ってないじゃないですか。
アウトライナーの使い方とか、アウトライナープロセッシングの方がありますけど、
アウトライナーのツールはどんな歴史を辿ってきたのかとかいうのを、
概論した本はないですし、
まあ、この日本で書ける人と言えば、目の前にいる人じゃないわけで。
(笑)
それはでも、あってもいいんじゃないかなと思いますね。
それやろうとするとね、たぶんライフワークになっちゃうので。
(笑)
確かに。
あのー、
要するに、今までこんなアウトライナーが出ましたよ、こういう機能でしたよっていうのは比較的、
まあ、調べれば、知らないものも調べればできるんですけど。
結構たぶんアウトライナーの背景にあるものまで考えようとすると、
もうそれこそタイプライターから、
そうですね。
あのー、いわゆる階層構造の歴史とか、インデックスとか、
そういう19世紀あたりまで遡るところもあるし、
逆にアウトライナーって、
それこそ、
今の形のアウトライナーはLispエディターから来てると、
デイブ・アイナさんは自分で言ってますけど、
あの、ね、スモールトークのクラスブラウザの影響とか、
UNIXの階層ディレクトリーの影響とか、なんかいろいろあるわけですよね、説が。
はいはいはい。
みたいなことを考えだすと、大変なことになる。
いやー、でも。
面白いですよ。
面白いですよ。
面白いし、誰もまとめてないし、
やっぱりそういう仕事が少ないっていう点が、
僕が最近感じているツールに関する思想とか哲学が、
あんまり深掘りされてないっていう、
つまり、ウェブ以降になってから、
歴史っていうのがあんまり変えりみられなくなったというか、
常に新しいツールが目の前に提出されて、
それに最低化していくっていう流れが結構強まってて、
そのツールってそもそもどんな思想で、
どんな経緯があって、どう生まれてきたのかっていう情報が、
過小評価されているというか、
もはや無視されているぐらいの勢いがあって、
そこからはやっぱりね、
ツールの新しい展開っていうのは生まれてこないなと思うんですよ。
前回お話しさせていただいたカカオの開発者さんの方も、
結構、例えばインターフェイスについてとか、
プレンテキストについてとかって結構深掘りされてるんですよね。
技術の話じゃなくて、歴史とか思想の話を深掘りされてて、
でもそういうところからしかやっぱりラディカルなものって、
1:06:01
出てこないんじゃないかなと思う、
今日のこの頃でございます。
そうですね。
どうぞどうぞ。
だから、初めに聞いたときは、
私とアウトライナーみたいな感じで、
私のアウトライナーこなし、使いこなしです、
みたいなのを集めるのかなと思ったんですけど、
今言ってたような、アウトライナーの歴史とか、
こんなものが今までありました、みたいな話をするんだったら、
やっぱりたくさんをメインにして、
クライサさんが聞いてみたいな感じで、
3回くらいポッドキャストでやって、
それをまとめるみたいな方がいいのかなってちょっと思いました。
まあ、それはそうでしょうね。
大変ですけどね。
まあ、でも大変ですけど、
たぶんたくさんが一人でお仕事されるのを待ってると、
たぶん本当に終わらなくなってくるんで、
だってそもそもが終わりのない探求ですから、それは。
その時点でのスナップショットのご意見を、
僕が接談者として聞くっていうのはあるでしょうね。
その方が、とりあえず暫定版の何かは生まれてきやすい気がします。
大人さんでああいういい意味で、
ワークブローウィーとか使ってるけど、
そんなにアウトライナーにがっつり、
深入りしてる人じゃないんですよね。
そうですね。
ポカリムさんみたいに、
ツールとしては楽しく使ってるけどっていう人なんで、
その人が、え、それってどういうことなの?みたいなスタンスで聞いてほしいっていうか、
たぶん一般の読者の人たちも、
たぶんあんまり詳しくないから、アウトライナーとか、
そういうとこあるかもしれないですね。
一時期ブロガー、ポッドキャスターの2人で、
「骨原さん、骨原って何なんですか?」っていう本がありましたけど、
「たくさんアウトライナーって何なんですか?」っていう本を作ればいいってことですよね。
でもそのほうが僕がやるより早いですね。
早いのは早いでしょうね。
でも結構ね、面白いと思うんですよね。
ツールの歴史の話って単純に知的好奇心の対象になりますし、
なんか目の前のツールの見え方も変わってくるようなところはきっとあるでしょうから、
オープンカーソルにするのか、単に対談本として起こすのかは別にして、
一つの企画としては全然ありそうですね。
それだったらそれこそ逆に、
喋った後で活字にしてもいいかもしれないですね。
なるほど。
アウトライナーの歴史ってかなりたくさんのブログに詳しく書いてあるんですけど、
よっぽど見に行かないと全然わからないので。
闇に葬られてるから。
例えば、もし活字にならなくても、
ここの打ち合わせキャストとかで2回か3回ぐらいで喋って、
それ聞いてまた興味持ってくれる人が出たら、それもまたいいですしね。
1:09:06
聞いてくれる相手がいるなら喋りたい感じがしますね。
誰も聞いてくれないから普通に。
いや、どうかな。
そもそも情報に関する道具に興味を持つ人があんまり多数ではないというのと、
そこのツールの中でもやっぱり、
手帳とかノートのアナログツールやったら興味を持つけど、
デジタルの場合はあんまり興味を持たないという人がまだまだ多いというのは間違いなくて、
でも、これから10年20年先見据えた時に、
日常よりどちらが使われるかっていったらデジタルのツールになってくるでしょうからね。
そこを当たり前として捉えないというか、
特にApple県に捉われていると、
Appleが提供するツールこそがツールであって、
それ以外のツールっていうのが目に入らなくなってくるっていう。
Windowsの場合、怪しげなフリーソフトっていうのが山本くん昔からあったわけですけど、
Appleはその門が開いてないですからね。
だから、正しいツールしか使えないっていう、
ある種思想的な壁の中に閉じ込められているっていうところがあるんで。
だから、1回でもツールって結構ラディカルで、
いろいろ生まれてきて消えてはいっている歴史っていうのをたどってみると、
おもりかしい見え方って、変わってくるんじゃないかなという気はしますね。
だから、ちゃんと実用というか、意味、知的な意味があるというかね。
一般にうんちくだけじゃなくて、
その人の知的能力を上げる力が多分あると思いますよ、そういうコンテンツって。
確かにあとね、歴史って、
このデジタルツールってたかだか30年くらいの歴史しかないんですけど、
その中でおもしろいのは、最新のものが一番、
一番発達しているかというと、意外にそうでもないっていうおもしろさがあって。
失われちゃった機能ってあるんですよね、結構。
アウトライナーにもあるし、他のものにもあって。
そういうのを知っているはずの人があんまり、
特にこのツイッターの界隈にいなくて、
発言している人がいなくて、
そういうものに光を当てたりするのも多分ね、意味はあるんですよね。
それがちょっとね、ワークフローのミラー機能みたいな形で、
突然復活を遂げたりすることもあるので、
あれは別の形で、25年くらい前から同じような発想はあるんですけど、
うまく光を当てたんだと思うんですよね、あれ。
うん、確かに。
そういうのもありますよね。
そこはそれこそ老人界の仕事かもしれないですね。
そうですね。
インターネット老人界っていう、自虐的な響きの言葉ですけど、
1:12:00
老人には老人の仕事が絶対あるはずで、
やっぱりインターネットが、
最近のインターネットは流れ行くものというか、
押し流すものになっているので、
だから大切なことを何度も言うっていう、
老害的マインドスーツを発揮させていかないと、
どんどん流れていきますね。
昔よりははるかに情報が後ろに流れていくのが早いですね。
うん。
そうか。
だからその意味で、
アウトライナーに、限らないですけど、
アウトライナーと一つのツールについて語っていくっていう、
僕の中でもっとデジタルツール全般について、
ちょっといろいろ書き残したいなというものはあるんですけど、
アウトライナーって一つのジャンルじゃないですか。
でもエヴァノートって、上のジャンルよくわからないですよね。
はいはいはい。
デジタルノートなんですけど、
だからまだ確立されていないですね。
エヴァノートとノーションは同じカテゴリーにしてもいいかなぐらいで、
でもそこに名前があるほどのジャンルがまだ確立されていない。
どんな機能を備えていればそれと呼べるのかっていうのがまだ全然なくて、
これからなんですけど、
そう考えるとやっぱりアウトライナーって全然歴史があって、
この浅いコンピューターの歴史の中でも結構歴史があるツールですから、
語ることはたくさんあるでしょうね、きっと。
ライティングの哲学が出て、
アウトライナーがやっと着目されて嬉しいなっていうことがある反面で、
あれを読んでて入っていく人のほとんどの人が、
今の若い子とかで初めてアウトライナーを使うと、
エヴァノート的にアウトライナーっていうのは、
ワークフロービーだとか、ライナリストだみたいに思ってる人って結構多いんじゃないかなと思うんですよ。
哲学の中では自分たちはあれ使ってる、これオブニア、
これライター使ってるとか出てくるんですけど、
やっぱり現状としてどうしても、
でもワークフロービーってすごく特殊な、
ウェブ経由っていうかデータが地元にないようなものっていう、
もの書きツールってこと自体がすごく特殊なんだけど、
それ分かってない人結構多いんじゃないかなって、
アウトライナーってこういうものなんだって、
ワークフロービーなんだって思っちゃってる人結構いいんじゃないかなと思うんですよね。
なるほどね。
それは感じますね、僕も。
別にそれが悪いことだとは思わないけれども、
そこから排除されちゃってるものがあるということで、
その排除されたものに救われる人もいるっていうのはね、
ちょっとそれは思うところはありますよね。
ただやっぱりワークフローインが果たした役割の大きさっていうのは、
それはね、両方あるんで難しいところなんですけど。
うーん、そうかなー。
だからそういう点を本来は論じていくべきなんでしょうけども、
結局そういうのも結構面倒くさくてあんまり論じてこなかったわけですが、
1:15:00
自分もこれまで使った感じで言うと、
やっぱりワークフローインとダイナリストって違うよねっていうのは、
もうこれはっきりわかるじゃないですか。もう明らかに違うんですよ。
でもね、その2つの違い方とオムニアウトライナーの違い方って、
またちょっと違うんですよね。
同じアウトライナーを使ってるはずなんですけど、
同じツールじゃないっていうのが結構ありありとあって、
それやっぱりツールを渡り歩いてこそ初めてわかることなんですよね。
やっぱり自分が普段使ってるツールを基準点として考えてしまうというか、
あれもこんなもんだろうみたいな決めつけが生まれてしまうっていうのがありますから、
だからやっぱりアウトライナーは年間みたいな。
でも、青鬼はMacだけか、Windowsは使えないんですよね。
Macだけですね。
ウェブ版が最近できたんで、ウェブ経由で一応使えるのかな。
違う、ごめんなさい。それはオムニフォーカスの方ですね。
オートライナーは多分使えないはずです。
結局こういう問題があって、ワークフローリーであったら誰でも使えるやろうっていう話題の安定感が絶対あるんですよね。
OSの違いを気にしなくていいっていう点が。
そこが言及しやすいところは言及しやすい。
僕もだからWindowsのアウトライナーって語れって言われても、情報ゼロですからね、基本的に。
そうですよね。
でもWindowsの例えばアウトラっていうのがあるんですけど、
Windowsのアウトライナーで、いわゆる2Paneのやつですけど、
Windows的なアウトライナーって2Pane型が多くて、
そうですね、確かに。
それに馴染んでる人のアウトライナーに対する感覚って多分全然違うんですよね。
明らかにそっちの方が体に合うという人もいるはずで。
なるほど。
例えば創作する人で、アウトラインというよりもプロットを作る感覚の人が求めるアウトライナーも多分違う。
ストーリーエディターとかそういうのが好きな人は多分ね、あって。
いろいろあるんですね、アウトライナー的なものでもね。
あれは編集に使ってるやつ、Evernoteみたいなやつ。
Scrivenerはアウトライナーと呼んでいいんでしょうか。
そこは難しい。アウトライナー的な機能を持ってるけど、
アウトライナーでないと僕は思いますけど、
でもアウトライナーの要素は含んでるかなって感じ。
アウトライナー機能があるツールとアウトライナーはぴったりイコールじゃないですかね。
アウトライン記法ができるっていう話と違いますよね。
そうですね。
Scrivenerはね、あれはもう一つのジャンルみたいなところがあるんだけど、
でもあれをアウトライナーとして使ってる人もいるので、
1:18:02
じゃないとは言えないです。
だからそれはね、仮定書きができるだけじゃなくて、
項目の改弊と移動ができたらおおむねアウトライナーを含むと言えますからね。
そうなんです。
仮定書きはあんまり絶対条件じゃないんで、アウトライナーは。
でも昔のWindowsのツーペインのアウトライン機能のっていうのって、
Scrivenerの左側っていうかパターンですよね。
そうです。
全くもって。
左側にアウトラインのペインを表示するっていう、
あの在り方自体がWindows的なもの。
あれ多分Windowsから始まったものですよね。
ファイルエクスプローラーと同じ。
そうそう、エクスプローラーの左側。
Windows以前のツーペイン型のアウトライナーって、
別々のウィンドウがあったんですよ、大体。
2つウィンドウが出てきて、独立したウィンドウが。
左がWindowsのエクスプローラー、もしくはWindows 3.1のファイルマネージャー。
っていうのが、1つのウィンドウの左側を分けて、
ツリー表示する形の多分元祖だと思うんですけど。
私今全然Mac触ってないんですけど、
Macではそういうのあんま使わない。
そういうエクスプローラー的なものって。
Finderですけど、どうやろうな。
あんまりそれを使ってる感じは、僕は少ないですね。
でもやっぱりWindowsでそれが主流になったので、
Macでも開閉できるツリーのペインを、
左側に分割表示するっていうのが、
このOS10以降行われるようになってきたっていう感じじゃないですか。
そうか、でも僕は結構、
ファイルもだから、スポットライトでも結構直接開いてしまうことが多いんで、
僕の使い方があれなんでしょうけど。
だからあんまりそういうツリーを辿っていくような感じが薄いですね、割かし。
自分は割といつも開けっぱなしにして、
何枚も何枚も出して、パタパタパタっと左側に展開したりするんですけど、
ファイルにしてもEvernoteにしても、
その時に順番変えれないっていうのが本当に腹立たしくて。
腹立たしいですね、あれ。
Evernoteはなぜやらないんだっていうか、やるとクラッシュしちゃうし、
ちょっと移動しようとすると。
それでみんな、クニクの作で001、00001とか、
アスタリックスつけたりとかやってましたよね。
あれはイライラしましたね。
だからね、そこの使い勝手の悪さが、
ノートとして使いにくいっていうのが確実にあるんですよね。
最低限、ノートリストのノートが検索結果としてソートされてるから、
1:21:06
任意の順番で入れ替えられないっていうのは仮に許容したとしても、
例えばスクラップボックスってピン止めっていう機能があるじゃないですか。
あれぐらいはやらせてほしいわけですよ。
一番上にくるものを固定表示させるぐらいの操作性っていうのはね、
ちょっと持たせてくれたらいいし。
でもやっぱり、例えばアナログのメタファーでいうと、
エイバーノートのノートブックがルーズリフバインダーと仮にするならば、
ノートの順番入れ替えられてなんぼじゃないですか。
だからね、そこの必要性が高く認知されてないのか、
システム設計的にそれは無理なのかはちょっとわからないですが、
やっぱりその使い勝手の悪さっていうのが確実にその辺は由来しますね。
相当にしかできないっていうところ。
だからね、恣意的に並べ替えることの重要性をあまり感じない人と感じる人がいて、
この分類はどうかと思うけども、
いわゆる、あえてそういう言い方をすると文系的な人と理系的な人がいるとすれば、
恣意的な並び替えを文系的な人は必要とすると思うんですね。
その分類はどうかと思いますけど。
相当じゃ済まない用事っていうのがあるんですよね。
そこをもうちょっと、ノートツールみたいなものはもう少しその辺を考慮してほしいなと思います。
結局、例えば更新日順で並んでるのに、
自分の順番で並び替えたいから、わざわざそのノート開いて空白のスペースに。
これは全然デジタルじゃないですよね。
そうなんですよ。
押し出しファイリングを仮にちゃんとアナログでやったら、
一応任意の順でソートされてますけど、結局好き勝手に並び替えられるじゃないですか。
例えば、本来は使ったものを右に戻さなければならないですけど、
もうこれいいやと思ったらそのまま引き返してもいいわけじゃないですか。
そういうルールの裁量がありますよね、アナログの場合は。
デジタルの場合、一つのルール決めたらそれに必ず従わなければならないっていうのがあって、
そこの使い勝手がやっぱり悪い。
アウトライナーの場合は全部自由にできますけど、逆に自動のソートが効かないんで、
それはそれで大量の情報を扱うのはめんどくさいっていうのがあって、
なんかどっち使うのやなっていうのはずっとありましたね、これは。
それがデジタルの限界なのか、作る側の発想が狭いのかっていうのは
1:24:03
どっちだか技術的なことはなかなかわかんないですけど、
やっぱりEvernoteのような目的に使うものを作るんだったら、
もうちょっとその辺を考えてほしいとは正直思ってましたよね。
完全にそうとか、完全に2で並べる種どうかっていう2項対立自体がもう誤ってて、
本来はその中間を探れるはずなんですけどね。
でも実装するのは難しいだろうなと思いますけどもちろん。
中間は難しいかもしれないですね。
ちなみに自分のローカルファイルで扱えるロームリサーチみたいな
ログセックっていうオープンソースのアプリケーションがありまして、
アウトライナー的なものを自分のローカルファイルで、
MDファイルで作れるという結構新しい感じのツールなんで、
ブラウザベースは使えへんという方は1回それ試してみるとよろしいかもしれないです。
ログセック?
SEQやったかな。ログはそのままLOGで。
LOG、SEQ。
SEQかな、ログセックっていうので。
検索したら多分GitHubのページが見つかるんで、
そこからダウンロードしたら使えるはずですが。
Obsidianの対抗パティかな。
Obsidianは多分後に出てて、
アウトライナーの使い方ができるObsidianみたいな感じですね。
そうだそうだ、1回そういうの見ましたね。
はいはいはい。
そういうのも、あれも確かMacじゃなくても使えたはずなんで。
これもまた一つ新しいナミですね。
マーコダウンファイルをアウトライナーのように表示させているだけなので、
ローカルファイルの自由度が手に入っている点が結構大きくて、
そのファイルを別にObsidianで開くこととかもできますから、
割にツール行ったり来たりができるというのが結構新しい見方です。
はい。
ちなみに、たくさんカカオ使われました?
使いました。
どうでしたか?
面白い。
ものすごい早期のバージョンを1回使用させてもらったことがあるんですけど、
その時のに比べるとすごく、なんででしょうね、
アウトライナーっぽさがちょっと後ろに退いて、
1:27:00
そうですね。
ポカリムさんの前回の打ち合わせキャストでも言ってましたけど、
これ名前つけるの難しいんですけど、
結構平面構造を変えてたみたいな。
確かに確かに。
アウトライナーの階層化って立体を平面上でどう表現するかっていう感じなんですけど、
それをもっと平面に展開した感じで、
あんまり似たものを見たことがないなと思って。
昨日だからちらっとツイートしたんですけど、
これすごい操作に習熟して、
タッチタイプであれが全部機能が使えるようになったらと。
先生とかが喋りながら、
黒板の代わりに喋ってることをホワイトボードみたいに書き出したりしたら面白いんじゃないかなって想像しましたね。
特にこのブラケットの使い方とか。
ただそれ以外にも色々可能性がありそうなんだけど、
なかなか本気で使わないと分かってこないところがあって。
ちらっと使用しただけではあんまり深くは分からない。
それだけ可能性があるツールかなと思いました。
やっぱりあの斬新、見た目はそんなに斬新じゃないかもしれないですけど、
あれ触るとめちゃくちゃ斬新なことが分かりますね。
最初は多分ね、ごめんなさい。
いやいや、単純なんですけど、アイコンとかポチのバレットの色がすごい綺麗で、
気持ちいい感じがする。
確かに確かに。はい、分かります。
はい、それだけです。
でも色のついたバレットって確かに他にないかもしれない。
CSSを自分で把握しない限りは、大体黒か、逆に黒字に白かどっちかですね。
あと、飛ばせる。ごめんなさい。
開業とかがどんどん飛ばせたり、子供を下につけたりできるっていうのは、
ちょっとスクラップボックス的な自由さがあって、私はこっちのが好きですね。
あと、アウトライナーとして見たときに、
プロセス型とプロダクト型の両方の要素を持っているんですよね。
アウトライン表示にするとプロセス型っぽいんだけど、
いわゆる第一階層よりもさらに上に上がれるということと、
あとアウトライン表示とアウトラインじゃない表示を並べられる、組み合わせると、
1:30:06
プロセス型、プロダクト型って分類しちゃってますけど、
それに縛られないアウトライナーになる可能性があるなと思って。
そこもちょっと新しい。
だから、二軸で分類しようとしたときに、どっちでもいいと思ったんでね。
だから、開発者の方に、これ何をするために使ったらいいんですか?って聞いたんですね。
これってプロダクト型に位置付けられるのか、プロセス型に位置付けられるのかって思ったけど、
プロダクトではまずなくて、もっと手前にある何かをそこで書く。
だから、さっき言ったようにホワイトボードに何かを書くっていうような、
あの漢字、原稿用紙に向かっているのでもなく、
メモにちょっと書き付けているでもなく、
ホワイトボードに向かって何か考えを展開させているときに、
なんかジャストフィットする。
もちろんそれは、こういうとしたプロセスなんですけど、
なんかどこかに別に向かっているわけではなくて、
なんか考えを展開しているっていうことにフィットするツールなのかな。
まあもちろんこれから変わっていくでしょうけど、
だからそういう軸がね、生まれているのがすごいなって思うんですよ。
何がすごいかって、やっぱりあの、
「細気的」じゃないってところがね、すごいんですよ。
確かに。
あのね、アウトライナーの最大のすごいってことは、
「細気的」でどの構造と言ってもどこでも一緒っていう、
あの美しさなんですよ。
その美しさは、いわゆるさっき言われた理系の方にとっては、
多分ね、壊してはいけない美しさなんですよね、そこは。
それをね、あっさりじゃないでしょうけど、あっさり飛び越えてるっていうところ、
機能を重視して、細気を壊している、壊せているところっていうのがね、
僕からしたらね、なんかすごいですよ。
なんか、あの、コロンブスぐらいすごいですよ。
確かに、確かに「細気的」じゃない。
「細気的」じゃないってよりも、「細気的」じゃなく見せてるのかな。
うーん。
でもその意味でもアウトライナーじゃないんですね。
特にプロセス型は一番違ってて、
さっきも言ったように、平面にあの要素が全部置いてあるということが重要なわけで、
どっかの特定にズームして使うっていうのは、基本的には別の用途でしょうね。
だからあの平面にあの要素が並べていくっていう行為そのものに、
あの価値があるんで、ところがすごいなって思ったのと、
あとね、細かいところがね、気が利いているというか、
さっき言ったその空行にはバレットがないっていうのもそうなんですけど、
最近あの折り畳み機能っていうのがついたんですよね。
階の階層をオプションコロンかなんかで、
セミコロンかなんかで消せる、あの、折り畳めるんですけど、
1:33:00
カーソルで下に移動したときはそのまま行くんですね。
閉じてるときって。
えっと、行、行、閉じてるときを行、行って行くんですけど、
カーソルを右でこうずーっと文字たどっていくと、
閉じてる行のときは開くんですね。
あー。
開いて下の行に移動して、で、下の最後まで行って右行ったら、
次の行に行った途端にそこ閉じるんですよ。
閉じると。なるほど、なるほど。
だから、あの、読んでいくときってよくカーソルを移動させないように読んでいくじゃないですか。
そのときにね、ちゃんと開いてくれるっていうのがね、
いやー、だから、このスクラップボックスも感じるんですけど、
その使う人の立場に立ったときの気持ち良さっていうのが非常に重視されてるなと。
あんた実装めんどくさいはずですけど、
ちゃんとなってるっていうのがね、やっぱりいいなというのを感じています。
だから今後も多分良い、使い勝手の良いアップデートがね、期待できますね。
あと多分、なんかすごい想像もつかない使い方を、
うん、うん。
ユーザーが発明しそうな気がしますね。
これなんかどうしても頭がアウトライナーになっちゃってるから、
逆に使いこなせないかもしれない。
あー、なるほど。
こなせないっていうか、思いつかないことがあるかもしれないですね、ああいうの。
とりあえず今後にも期待ということで、
結構長くなってきたんで、そろそろ締めたいと思うのですが、
えー、おふったかたないか告知というものがあれば、
ありませんか。
まあ、あんまりそんなね、あんまりないかも。
まあでも、たくさんの新刊は心待ちしてますというところで、
で、まあ現状の感じやと、次号はルーさんもカーソルご参加いただける感じですかね。
はい、書きます。
じゃあまあ、少なくとも2年以内は、
2年以内は、5号を出すつもりで、
進めていきたいと思います。
テーマは多分、おそらくは軸はさっき話したようなことになるかと思いますので、
お楽しみくださいと。
で、えーと、今回の回内緒はカーソル第4号の感想とございましたら、
#打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルファベットもキャストまでいただければ
クラッシュタグはチェックしたいと思います。
もちろん、#カーソル、ひらがなのカーソルでいただいても、
おそらく、著者の方々は英語サーチとかしてると思うんで、
届くと思いますので、よろしければそちらもお送りください。
というわけで、今回はこれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
お疲れ様です。
Peace