1. うちあわせCast
  2. 第百十五回:Tak.さんとノート..
2022-10-13 1:12:48

第百十五回:Tak.さんとノート術と執筆術の違いについて

00:00
おだしょー:Jazzcast 第115回ということで 今回もゲストにたくさんお迎え
をしております よろしくお願いします
おだしょー:今回 結構 間が空いたん で いろいろニュースがあるんですが
いくつか面白いのだけ取り上げる と ニュースレターのサブスタック
というツールというかサービス があるんですけども OSのアプリケーション
としてサブスタックのニュースレター だけが読めるというアプリケーション
があったんですけども それと同じ ものがWeb版にもあって 簡単に言う
とサブスタック専用RSSリーダー という感じだったんですが Web版
に限り 他のRSSも登録できるように なりました 登録自体はWebしかできない
んですけど Webで登録したら 例えば iOSアプリにもその通知 つまりRSSの
更新が閲覧できるようになって おります
おだしょー:なるほど
ややこしい iOSで完結はしないん ですけども いわゆるRSSリーダー
として使うことができるようになった と言ってもいいと思います
おだしょー:なるほど それをRSSリーダー として使っていて 他のRSSリーダー
に 例えば移行しようとしたら サブスタック の記事だけ読めなくなっちゃう
みたいな感じなんですかね そしたら
サブスタックもRSS発行 してるんで
おだしょー:そうか 別に普通に
いけますね 全然問題ない です 例えばRSSの自分が登録している
やつをエクスポットできるかどうか は見てないので分からないんです
が なので 今までRSS使ってなくて サブスタックはメールで見てた
っていう人も そのアプリとかWeb 版を使えば メールアドレス メーラー
を経由せずに読めますし さらに 他のブログの更新なども読める
ようにようやくなりました
おだしょー:なるほど
これは結構 素晴らしい ことだと思います これがワークフローリー
の新機能というか まだラボラトリー の機能なんですけど 結構知らん
まに増えておりまして 普段あんまり 新機能チェックしないんで 見
逃してたんですけど ページには 3つ書いたんですけど 実は4つあり
まして いくつかじゃない 一つずつ 紹介すると まず 念願のMove To
機能が追加されたおかげで これも ほぼダイナリストじゃなくていい
よなっていう感じになりました Move To機能っていうのは ある項目
をメニュー画面から別の項目に移動 させるという機能 今までは 実際
03:01
にその項目のとこまでドラッグせ ならあかんかったのが メニュー
上から移動したい項目の名前とか を打ち込んで移動できるようになった
もともとダイナリストにはあったん ですけど ワークフローリーが追
いで 現状 Loveの機能なんで 全員 に使えるわけではないですけど
Love機能をオンにするというチェックボックス をオンにしたら 使えるようになって
ます ワークフローリーは一つの ものに全部入れる形になります
し 場合によっては階層が深くなって しまって 移動が大変ということ
があるんで 多分 一番活躍するのが ワークフローリーじゃないかな
と常々思ってたんで これは喜ばしい ことです
おだしょー:これは希望あったん でしょうね きっとね
三沢:そうですね これも同じく ダイナリストにあったんですけども
いわゆるタスク管理用のチェックボックス が追加できるようになりました
当然 追加した状態はノンチェック の状態でクリックしたらチェック
になります おそらく試してないん ですけど チェックボックスで検索
を絞り込むこともおそらくはできる でしょう
おだしょー:そうでしょうね
三沢:もう一個 これ 結構余計な 機能だと思うんですけど 書いて
ないんですが ヘッダーとパラグラフ っていうのを 項目 一つの項目
をヘッダー扱いにする 何かパラグラフ に扱うっていうことができるような
機能があります これもほぼダイナリスト とかと一緒なんですけど 普通の
例えば 箇条書きついてる行をヘッダー にすると 文字が大きくなり太字
になり 箇条書きのバレットが消え ます パラグラフにすると 文字サイズ
は一緒やけど バレットは消えます なので ワークフローリーは使いたい
けど 文章エディターとしては無理 だよねという場合 バレットが邪魔
という場合に活躍してくれる機能 です それらを統合するためにスラッシュ
コマンド機能というのが追加され まして これ説明不要な人は不要
でしょうけど 記号でスラッシュを 入れると備わっているコマンド
が一覧して出てくるから それを 選んでくださいという感じの機能
です なので スラッシュコマンド からチェックボックスを追加したり
とか スラッシュコマンドからヘッダー に変換したりとか スラッシュコマンド
からMove toを発動させることもできます 非常に多機能になっているんですけど
スラッシュコマンドが若干 ダイナリスト とかナイスなノーションよりに
多項目化しておるので だんだん ワークフローリーらしさという
のが失われつつあるのではない かという懸念があります
おだしょー:そうですね
これは難しい ビジネス 上の問題もあるから 難しいとは
思うんですけど 今 スラッシュ を押すと 2 4 6 8 10 12 16ぐらい項目
が出てくるんですよ うーんという 感じで やっぱり増えるだけで統合
06:03
っていうのがないので 機能が減 ったりとかがしないので だんだん
メニューが長くなってくるぞという のが これ 結局 ある程度操作説明書
を読まないと使えないツールに 変身してしまうので 難さかなという
気はします
おだしょー:スラッシュコマンド 自体はいいと思うんですよね 使い
勝手を上げるという意味でいい と思うんですけど ヘッダーとパラグラフ
うんるんっていうのが ちょっと 違うんじゃないかなと個人的には
思いますが
これをしてしまうと いわゆる 見出しと本文を区別しない
というアウトライナー このタイプ のアウトライナーの芯の良さが
損なわれてしまって 先にヘッダー 作ったら それに固定されてしまう
というような感じで それやったら もうワードでええやみたいなこと
になってしまいますからね
おだしょー:そうなんですよね その 機能があることによって分かりやすい
と感じる人も多分いるはずなんですけど だからそれを使っちゃって 永久に
ワークフローリーのっていうか プロセス型アウトライナーの良さ
を感じないままになってしまう 可能性もあると そうなんですよね
それをやるんだったら ワークフローリー じゃなくてもいいんじゃないか
と個人的には思いますが ただ その要望があるというのはよく
分かります
そうですね このワークフローリー だけでやりたいという方は まさに
こういう機能を欲しいでしょう けども ヘッダーも1と2レベルしか
ないんですよ 何かものすごい中途半端 なんですね 例えば ヘッダーを
作って 下にバレット付きの項目 が並んでいるとするじゃないですか
例えば ヘッダーの一番下の 一番上 ヘッダーの直後にある項目
のカーソルを先頭に置いてバック スペースを押したら 僕らが期待
するのは ヘッダーのとこにカーソル が移動する感じじゃないですか
動かないんですよね これ だから 壁になっちゃって まさにヘッダー
が壁になっちゃってるんですよ 固定する場所になってて いわゆる
アウトラインの自由な項目の結合 とかができなくなってるんで 非常
にプロダクト型の動作にこれは なってしまうし ヘッダーがある
のやったらヘッダーを使おうということ になっちゃうでしょうから ちょっと
お手伝いを失いつつあるかなという 感じではあります
おだしょー:そうですね だから それを理解した上で 例えば何か
書いてて 今の段階はもう見出し が固定した段階だから これを使うん
だっていうふうに意識して使うん だったらいいかもしれないんですけど
ただ 逆にそういう使い方をする には 逆にプロダクト型としての
09:05
機能が足りないんじゃないかという ふうにもするし
おだしょー:ヘッダーが二つでは 足りないし 最低三つはいると思います
おだしょー:そうですよね
おだしょー:そのワードのように スタイルと色とかを関連付けたり
もできないので ただ見出しが二つ レベルだけあるということのメリット
は そほど高くないのではないかな という気がしてまして そもそも
ですが クロリの完成品を考える のは彼らですから 僕らが言うこと
ではないんですけども ちょっと 機能付与に動いてるかなという
印象を受けました
おだしょー:そうですね 最終的に これが本体に取り込まれるのか
どうかっていうのはまだ未知なん で ラボのまま終わってしまうことも
ある十分ある Move toは多分絶対 残ると思いますけども あと 今週
が13日ですか 18日 10月の18日の午後 1時から 火曜日ですね Twitterのスペース
のイベントに参加することに僕が なりまして デジタリーの池谷さん
という方 30分間 テクノロジー カルチャーについて どういう話か
分かりませんけど どういう話を やってますんで Twitterの特にモバイル
版をやってる方は その時間 テック 多分 録音が残るんで 後でも多分
聞くことができると思います そんな ところかな 他にも多分いろいろ
あるんですか 拾っていくときり がない あ 1個だけ Kindle端末に新しい
のが出まして 超高級版のやつで 10.2インチディスプレイで E-Link
なんですけど 手書きができるという 下のほうにウィンドウが開いて
ペンで書き込むことができると それが当然 Kindle上のメモとして
残るということで かなりお高い ので 確か5 6万するはずで これ
やったらポメラ買うんじゃない かなという感じなんですけども
ガジェットが好きな方はチェック してみてください でも確かに読み
ながらメモ取れる しかも手書き でメモ取れるというのは ありがたい
と思いますね
おだしょー:そうですね
おだしょー:このほうかな ニュース はこんなとこで 本編なんですけど
テーマがノート術と執筆術の違い というネタがずいぶん前にアッド
されたまま そのままおっしゃ れてたんですけど 先日って言って
いつでしたっけあれ 10月
三沢:2週間ぐらい前ですかね 1日だか2日
おだしょー:10月の1日ぐらいに 郵便屋さんがやっておられる独学
投稿会の一つのイベントとして クラブハウスで 僕とたくさんと
ゴリゴさんが3人で考えるとは何か について考えるという かなり壮大
12:04
なお話をして その中で一番盛り 上がったのが たくさんがアトミック
ノート術をどう読んだかみたいな 話が結構盛り上がったんですけど
そこでアウトラインプロセッシング ないしアウトラインを使う方法
とアトミックノートないしアトピック ノートを使う方法っていうのは
違うよねというところが確認されて 僕もそこの違いっていうのは面白
かったので そこと絡めて今日の話 ができたらなと思うんですが ノート
術と執筆術の違いっていうのは 両方とも書くことであり 僕のスペ
ノーでは多分一つのノート術で 統合されてるとは思うんですけど
具体的なノウハウレベルで言うと かなり異なる知的作業であること
は間違いないと思うんですけど 逆にたくさんノート いわゆる
執筆以外のノートを取ることって あります文章として
おだしょー あります
おだしょー それはやっぱアウトライナー に取られて
おだしょー アウトライナーに取る か 紙のノートに手書きかどっちか
ですね
おだしょー その時って例えばどんな ことがテーマとして書かれますか
おだしょー それが分かんないんですよ ね 分かんないっていうかテーマ
のないことを書くことが多いので ノートってやっぱこれ思いついた
ことを書くので 書いた後でこれは こういうテーマだったなっていう
順番になっちゃうことが多いんですよ ね 例えばこの間例のイベイベ
ントで今話してるイベントが例えば 今日あるっていうときにそうだ
このイベントでこの話をしよう って例えば思いついたとしたら
そういうテーマのノートになる と思うんですけど そうじゃない
ときってこれがどのぐらい一般 的なのか分かんないんですけど
ただ思いついちゃって思いついた ことを書いて後からこれはこういう
テーマだっていうふうに見出し つけたりすることが多いですよね
だからビジネスのこととかプライベート のことかという線引きがあるわけ
じゃなくてまず思いついたこと っていうのが先にあってそれを
書き留めるという感じですか 逆にこの発想とか着想じゃなくて
例えばいわゆる勉強とかのノート とかじゃないですかね
はいはいはい そういわゆる勉強あんまりしてない
かもしれないんですけど 最近は割に紙の本だともうその
本のページに書いちゃう 長いことそれができなかったんですけど
書くように心がけるようにした 結果できるようになった
ちょっとなったっていう 例えば本を読んで本の中に書く
とするじゃないですか 例えば本を読み終えた後に書いた
15:00
ものをまとめる別の場所にまとめる とかはなされます
普段はしないですね 例えば書評 みたいなものを書くとかこの本
をネタにイベントがあるとかっていう ときはまとめますけど
読書ノートのまとめみたいなものは 僕持ってないですね
そうか テーマとしてはノート術と
しっぴ術違いなんですけどより 解像度を上げるんであればメモ
術とノート術としっぴ術の違い というふうに
ノート術をまずメモ術とノート 術に分けるとするじゃないですか
たくさんが思いついたことを書かれる のは僕の中でメモ術になる
読んだ本をまとめたりとかある テーマで勉強する内容を書いて
いくのがノート術の中でノート 術の中ですね
どちらも自分のための記録である というテーマと共通してますけど
短期処理で終わるものと長期的に 保存されて利用されていくもの
という意味で2分割されると
ノート術ってメモ術ノート術しっぴ 術というと中間にあるんですね
確かに
半分自分のものやけどその半分 未来の自分という他人に向けて
書かれるものでもあって両方の 要素が多分あるんですね
だからここが似てるところノート 術としっぴ術と似てるところっていう
のが
そこら辺が関係しているんだろう なというのが第一感なんですけど
それ結構大事なポイントですよね
そうですねだからしっぴ術って いう文章の書き方他の人に読ん
でもらう文章の書き方っていう のがまず第一義にあって
それは当然整った文法で書くとか もありますし相手の前提とかを
確認するっていうこともあるでしょう けど
あとはまず読み物として成立させる っていうところを意識する
でそれがメモに近づけば近づく ほど全部いらんようになってくる
そういう気遣いっていうものが
はい
ノート術とその多分中間にある と
で逆メモ術としっぴ術は多分ね 明確に分かれると思うんですよ
はい一番右の端と左の端みたいな
感じがつながる
そうそうノート術はそこが半分 になってて
ここの運用を多分皆さん悩んで おられるんじゃないかな
なるほどなるほどはいはいはい
まずしますね僕の場合は結構ノート を作りますけどでも最近そのいわ
ゆるノートというのはもうほぼ スクラップボックスか作業にしか
のどっちかになってますね他は あんまりないかなで僕のスクラップ
ボックスは公開されてるのでほぼ 執筆でもあるわけですけどいや
ちゃうなでもこれを執筆という のはおかしいっていう感じがある
なここでいう執筆とは何かって いうことですねだから
そうですね執筆っていうのはやっぱり 原稿を隠せる
18:03
そうですね原稿を隠すそこが大いなる 違いですね
そうですねだからそうか人が読む からといってそれが原稿だとは
限らない
そうですねここはたぶんイベント の話ともたぶん絡むんですけども
原稿はアウトラインが必要ですね なぜなら原稿用紙はリニアルに
流れてるからなんですね
アウトラインが必要アウトライン が必要
まあラインが必要ということですね
ラインそうですね
でそのラインはアウトラインとして 構造化できるとできないものも
あるでしょうけどすることができる でアトミック/トピックノートという
のは原稿ではない原稿用紙に入れ られるものではないからライン
が必要じゃないとだからアウトライン は必要じゃないしアウトライン
に見えるものもアウトラインではない とでその話を聞いてしばらく後
に思ったんですけどその両方とも リストの形をしてるじゃないですか
アウトラインもトピックノート もでも実態は違うっていうとき
にリスト的表現とリスト的構造の 違いがあるんだろうなと
なるほどはいそうですね
でアウトラインはリスト的構造 であるけどトピックノートはリスト
的表現でしかなくて構造はネットワーク にあるという理解でいいんじゃない
かなと思いますけど
そうですね今クラシタさんがトピック ノートって言われてるのはコリゴ
さんのアトミックシンキングにおける アトミックノートの見出しを並べ
た形で作るトピックノートの意味 なんですよね
だからトピックノートは要するに リンク集みたいなもんでリンク
集っていうのはリンクがその場に あることそのものだけが重要で
そのリンクがどのような順番に 並んでるのかは少なくともプライオリティ
ではないと
はい
だからアウトラインはどの順番 に並んでるかこそがプライオリティ
であると
そうですね文章のアウトラインは そうですね
うんだからここの違い一見箇条書き でリスト的に並んでるものの違い
はどこにあるのかという話でその 時は盛り上がったんですけど
はいはいはい
だから表現表現ないですよ形式 リスト形式ないですよリスト表現
としては共通でも構造内側にある 構造が違うという点が2つの違い
ででも案外だからそれは僕らは その見た目に引っ張られるんで
理解が
うん
そこがだからアトミックスラッシュ トピックノートに向いた表現が
多分まだなされてないんでしょう ねきっと
その
仕方なくリストを使ってるみたいな
そうですよねだからああいうなんだろう エディター的な画面の中にテキスト
21:03
で書こうとするとリストになっちゃ うんですね
なっちゃうんですよね
うんあれが例えばもっと何やビジュアル 重視のオブシディアンとかの場合
やったら例えば平面図でいわゆる その1つのノートの周りに他のノート
が並んでいるような
うん
いうな相関図みたいな感じの方 がよりあの表現にはぴったりくるん
でしょうね
そうでしょうねだからオブシディアン だとそのリンク関係からそのネットワーク
の図みたいなものが表現できる と思うんですけど
はい
だからあのトピックノートっていう のはトピックノートっていうのは
結局インデックスみたいなもの なんですよね
そうですねインデックスだと思います あれは
あれはだから多分あの順番に並ん でいる必然性はない
と思う
本人の中での関連性の近さが並ん でると思うんですよ
うんうんうんそうですよね
でもそれが1,2,3である必要なくて つまりn+1,n+3であればよく1,2,3
である必要はないというかいや ちゃうなその言い方欲しいな
近くに集まってはいいだけであって それこそ平面的にも表現できる
はずですね
そうですよねだからなんかクラスター みたいにこう宇宙空間に並んで
いてもいいわけですよ
円を作って円の中に入っている ということが示されればいいだけ
の話だって
そうですよね
でこれはアウトラインではない わけですねこのグループ表記っていう
のは
ないですないですはい
だからその違いでであのKJ法の a からbっていうのはその平面図式
的なものからアウトライン形式 ライン形式に変換するということで
先にあるのはそのそっちだと思う ねグループ的な平面的なものが
あってでわかりやすくいわゆる 原稿というラインに載せるために
そこに変換されるという手順
そうですねそれをbが
b型という
b型だったっけ
そうですよね
だから執筆術っていうのはそのこと ラインに載せる作業を意識した
書くことである
はい
でノート術の場合はそこがない ものやと僕は思いますね最終段階
のラインを気にしなくていいと もちろんそのノートの中の文章
は1行ごとに書かなければならない ですけどそのノート1とノート2
が連続した流れになっている必要 はどこにもないという
はい
だから言ってみたらこれはカード なわけですね
そうですね確かに
だから
あとごめんなさいどうぞ
ノート術っていうのはこの場合 はにあ=うめさまの情報カード
術とおそらく言っていいだろう なというのが現時点で僕の結論
です
なるほどなるほどだからあれですね そのラインになっていないということ
24:02
とあと最終的にその文章化する つまりにあ=うアウトライン化する
にあたって削られちゃうであろう ものも入っている
入っている
入っているでいいわけですよっていう か頭入ってなきゃいけないんです
ねそれは
そうです
まだ削ってないものも入っている 例えば削るっていうのはそのライン
文章というそのラインに乗っける 都合で削られるものが多いわけ
なのででもその考えたこととして はそれは削る必要はないわけですよ
そうですねだからその原材料として そのまま残っててくれた方が多分
いいですしそれをこうくっつけて いってその釣り場整った釣り場
のない人は一本のまっすぐの木にする ために枝葉とかを切り落として
いく作業が執筆では必要になる とだからここの過程をイメージ
したときにメモからノートなし カードでカードから文章原稿か
原稿このプロセスをどう取るか でやっぱり性質が違うわけじゃない
ですかこの3つともだからやっぱり メモを取りましたそれをノート
にしましたノートをくっつけました というわけにはやっぱりいかない
んだろうなと
いかないでしょうね
逆にその原稿に使えるようにノート を取るのも多分ダメだと思うん
ですよ結局さっき言った枝葉が 切り落とされてしまうので
そうなんですよねだからまあそこを その執筆の最終段階にあそこに
はめ込まれると思って取るのは まあ
もちろんねそれはいいですけども
普段のノート作りにおいてその 無駄な話を全て避けるみたいな
ことをしておくと法準さが失われる と
失われますね
うんいうところからででも逆に そのノートでネットワークを法準
にしすぎると執筆するときにね 多分大変苦労するとやっぱりその
ニコラスルーマンもアウトライン を立てるのがすごく苦手だと自分
で言ってたらしいんですけどそろ そろだよなと思うわけですよね
ネットワークはありとあらゆる その配列の取り方が可能なわけ
うん
で彼にとったらその例えば a の話は c b d と必ずつながっている
んで
だから a b c と話すときに常にも その横にその話が多分出てくる
んですね a の話するときは b c d が出てくる
し b の話するときは a b が出てくる
しみたいな感じになってて常に話 がエラ波に広がってるから
一番綺麗な順番を考えるっていう のが多分ねすごく難しいと思うん
ですよ
で正直彼の本はあんまりわかり やすくはない
じゃあ読みやすくはないんですね
はい
あのルーマンを結構昔大学で読んで いた気がしたけど
27:03
すごいですね
難しいですよね難しいっていう かね読みにくい
うん読みにくいですね
うん
だけどまあ多分その読みにくさが こう
なるほど
あの頭の中の豊かさの多分反映 だったりするのかもしれないんです
けど
うんしかも彼はこの社会学っていう そのいろいろいろいろんなもの
全般に目配せしてまさに彼でない とできない仕事をしてるので
まあその自身は別に出がひもないん ですけども
やっぱしっぴつっていうの最終 ゴールを考えたときに必要な
メモ術とかノート術っていうのを 改めて考えると
果たしてあのカード本当に適切 なのだろうかということをちょっと
思うわけですよ
はい
あの頭は豊かになると思います あの取り方は
うん
だからルーマンが例えばそのデジタル の時代にもし生きていたら
はい
どういうやり方をしたかとは思 うんですよね
あのその後年そのルーマンを分析 ルーマン書法分析した論文に書いて
いたんだったことなんですけど
はいはい
彼はねそのブラックボックスを 非常に嫌ったらしいんですね
彼自分にとってわからないもの でそのタイプライターとかここは
ほとんど使わなかったらしいんです 使えた状況にあっても
手書きっていう書いてそこにある もの実際にその実態がわかっている
ものを頼りにしてたでなぜかっていう と彼にとってそのカードボックス
スリップボックスっていうのは 対話相手だったんですね
ああなるほど
だからわけのわからないものが そこにいては困ると
その一つの存在とか相手として 見たときに相手のことが理解できて
いる信頼できているからこそそれと 対話できるんだということを述べ
ていたというようなことが書かれて いてだからおそらく彼がその年齢
で生きてたとしたら使ってない でしょうね
ただ若かれし頃にコンピューター に触れてたら話は変わってない
かもしれませんけど
そうですね
そうかだからルーマンの方法っていう のは結局アナログでありとあらゆる
ことを連結していくようなこと って要するに絶対にその自分その
中に入っているのが例えば埋没 しちゃって出てこなくなるっていう
のが多分嫌な
でしょうねきっと
そうでしょうねだから何か1枚の カードを引き上げたときにその
つながっているべきものは必ず その芋つる式にその探し出せなけ
ればいけないっていう感覚があるん でしょうね
でおそらくだからその例えばその 流れに違和感を感じたら組み替え
たりとか差し替えたりとか差し 込んだりとかっていうのが自由
自在にできないと困ると思うん ですよ操作的に可能であるけど
30:00
複雑とかいうのでは多分ダメで 誰か思ったらその通りにできる
っていうものがそこにあるっていう ような状況だから自分の身体の
拡張としてそこに思考の箱が置かれて いるという状況をおそらく作り
たかったでしょし実際に作って たんではないかと思うんですけど
ねだからデジタルで便利だねや けど自由に操作できないっていう
のではそのルーマチュラプティ 僕たちでも多分それは使えない
と思うんですよ
そうですねまあだから言ってしま えばエヴァノートではダメです
よね
まあそういうことですねノート は存在とかはしてるけどその
うまく意図通りに情報を持って これないっていうことが何回か
で起こってしまうとそれを信頼 することは難しくで信頼的な相手
と言ったら仮想的に対話していく ことも難しくなっていくという
意味で知的ツールのありがたって だから変な話その思考の外部化
とか第2ののっていう表現をされます けどある意味それは確かでその
置かれている情報を取り出すこと 操作そのものが信頼化されるレベル
まで使わないと多分使ってるということ にならないんじゃないですかね
きっと
うんはいはいはいでその時に今の 話でいうそのルーマンのそのカード
っていうのはやっぱこの今日の話 でいうノート術の領域ですよね
多分
ノート術の領域ですねはいそうですね
そうですよね
彼は議論の筋は残してましたけど 執筆の形にはしてなかったはず
で要するに彼しかわからない形に しか書いてないと思いますね
そうですよね
うん
で彼は多分その彼は彼はルーマン はそのなんだろう自分のその思考
があの中で発行していてそれを 自由自在に取り出すことができ
さえすれば書くことはできたんでしょう ねきっと
まあそうだと思います書くことは できたと思いますあの要するに
あとはもうそのもともと議論の 筋ができてるからあとはそれを
テキスト段の順番に並べ替えれば okだというようなことを言って
いたというような話も聞きます けども
うん
うんでもだからこそやっぱりその すっとわかる文章にはなってない
つまりあんまり他人に開かれてない
なるほどなるほど
ここがねやっぱりね一番のポイント なんですよねそうポイントという
か僕が気にしてるポイントでやっぱり そのアウトプットが読みやすい
というかそのまあさやなわかり やすいというより読みやすいから
読みやすい形になっていないということ もうそれしかも本人の出力の問題
ではおそらくはないだろうと
うん
なぜなら完成した議論が頭の中 にもある以上それを書き写すだけ
33:03
になるんですねきっと
はいはいはい
でそこで少なくとも僕に関して は文章を書きながら頭の中で議論
してるんですね
はい
ルーマンが前もってやってること を僕は原稿を書きながらやって
るんです
はい
非常に効率は悪いんですけどでも なんかその対話はおそらく読者
に開かれた対話になってるんではない かなと思うんですけども
うんはい
だからこう僕はそこの主法とアウトプット の質というか方向性かな方向性
は結構関係してると思うんで
そうですね
だからあのやり方をそのまま真似 するとああいう文章になるんじゃない
かなという懸念があってあんまり そのまま賛同しづらいなとはずっと
思ってるんですけども
うんああいう文章にさえならない かもしれないですね
まあそうかもしれない確かにそう かもしれないですね
でもやっぱ議論の筋道が最初から あってじゃああとはそのその方
その通りに並べれば書けますよ っていうことができる人は
はい
まあ変な話モーツァルトみたいな もんで
確かに
あの本当にそういったのか僕は知り ませんけどあのね曲あ曲はもう
できてますあとは書くだけです みたいなこうことを言ったとされて
ますけども
はい
なんかそれに近いものに感じちゃ うんですよね
うん
だからまあやっぱりこうそこに 読者の姿は多分ないんだろうな
とだから彼は論文とかを大量に書いて ますけど
はい
まあそういうのがあるんですけども 僕はその議論の質が
本当に下がっているわけですよ
うん
だからまあその議論そのものに彼 はものすごく時間をかけ日々の
このカード書きで時間をかけてる わけですからその議論の質が劣る
わけではないんですけども
そうですね
これをやっぱりこうそこに読者の姿 は多分ないんだろうなとだから
まあそこは変な思想家と実用書を書く 人だったりエッセイを書く人だったり
そういうのが多分あまり行われて なかったんだろうなと
うん
まあそこは変な思想家と実用書を書く 人だったりエッセイを書く人だったり
そういうのが多分あまり行われて なかったんだろうなと
うん
まあそこは変な思想家と実用書を書く 人だったりエッセイを書く人だったり
うーん
エッセイを書く人の違いっていう のはまあもちろんあるんでしょう
けれども
うーん
そうですよね
うーんだからその点でいうとやっぱり そのまあ自分の職業とか対象読者
を考えたときにやっぱそのあの通り にやってはいたくさん書けました
というやり方では多分いけないんだろう なともちろん実践してないから
わからないですけどダメそうな気は してますね
まあ簡単に言って真似はできなさ そうだね自分に置き換えたら
確かに
うんすごく興味深くは読みますけど 読みましたけどその方法論として
36:03
これは真似できないよなっていう ところがありますよね
そうですねだからこう生産性を上げる 最高の方法ではありつつも個人的には
まあ疑問があるかといってじゃあ メモとかを書いて膨らませて原稿
にするっていうそのパターンもこれも 理想像でしかなくて現実にはそんな
簡単にはいかないよなという感覚 もあるんですよね
いかないですね
であの一時期僕そのアイデアマラソン というのにハマってましてだいぶ
昔ですけど著者が勧めるように英語 のバインダー著者っていうか樋口
さんっていう方なんですけど英語 のバインダーノートをオルズリフ
ですねを買ってそこにあれナンバリング するんですね思いついたアイデア
に1番か2番かってそれをやってて 発想とか着想メモを取るっていう
のはそれでかなり鍛えられて数を出す ことはすごく得意なんですけど
それでその単純生産性単純発想性 は上がってるんですけどどれ
くらい効果的かっていうとね結構 微妙なんですよね発想自体はできる
けどじゃあその思いついたやつを 全部文章化できるかっていうと
そういうわけでもなくしかも質は バラバラじゃないですかだから
結局選別が必要なんですよねでアイデア マラソンはその出し方を教えて
くれますけどその選別のセンス みたいなのは何もノーコメント
なわけですよアイデアはたくさん あるけどそっから成果物につなが
らないっていう状況も起こるんですね これメモからノートノートから
原稿へっていうこのステップをどう デザインしたらいいのかっていう
のは単純な線形では描けないよなと
そうなんですよねだから僕はだから 全然そういう専門家でもなんでも
ないんで分からないんですけど発想 メモとかアイデアメモとか着想
メモっていう言い方があるじゃない ですかそういう分野でそういう
ものから始まってゴールに何か たどり着くことって本当にある
のかっていうふうに思ったんですよ ねなんかあのその樋口さんのアイデア
マラソンに限らず結構ねやっぱ 80年代90年代のその手の本にそういう
ことが書いてあるんですよ着想 メモっていう言い方がやっぱよく
あるんですよねだけどその着想 がたくさん並んでいたとしてそれを
例えば何か大きな成果物に育てて いくとかそれをたくさん集めて
39:01
きて関係のあるものを組み合わせ て一つのものにするっていうことが
本当に起こるのかっていうと自分自身 ではあんまり起こったことがなくて
でまあ起こる人はいるのかもしれないん ですけど自分ではあんまり起こらない
んですよねでなんで起こらないんだろう と思うんですけどやっぱりその
3年前の着想を見たときにあのやっぱり 現役じゃない感じがするんですけど
まず着想とか発想ってでもしそれが 何かになるとしたら思いついた
瞬間にどんどん広がっていってこう ある程度まとまったものになる
少なくともその可能性を感じさせる まとまりにまで育つようなもの
っていうのが稀にあると思うんですよ それはあると思うんですけど
例えば10年分その着想メモがたまってて その中の何かが大きいものに育つ
ってまずないと思うんですよねただ 10年前に思いついたことを見て
それに刺激されて今新たに何か思いつ っているってことはあるかもしれない
そう考えると発想メモ着想メモって
みんな何のためにやるつもりでこう そう言ってたんだろうってよく思うんですよ
意外にそのそういう本を当時書いてた 人たちって割にこうなんだろう
広告業界の人たちとかね 企画マンですよね
企画っていうのはなんか着想とか発想を 人に提示することが仕事だと
いうようなところがあって
なんかそれはなんとなくわかるんですけど 結局その発想
その企画を実際に何か現実のプロジェクトにして 動かしていくっていうのは
発想とか別の作業なわけですよね
それを文章に置き換えると
なんというか
発想したからできるわけじゃないですよね
むしろ発想が意味を持つのって文章を書き始めた後じゃないかって気がしてしょうがないんですよね
なるほど
書き始めた時にこれはどうやったらこの先に行けるのかとか
このすごく大事だと思うこの記述Aと記述Bの間がうまく繋がらないんだけど
絶対にこれなんか繋がるはずなんだけどなんだろうっていう時に
ずっと考えてるとある時ぽっとなんか思いつく
その間が埋まるみたいなことがあると思うんですよね
それは発想なんじゃないかと思うんですよね
なるほど
だから自分に思いつく実感できる発想が役に立つ場面っていうのが
なんかそういうものしかなくて
逆にその何も
何だろう
42:02
何もやっていないところに浮かぶそういう着想とか発想と称するものが
役に立つ場面っていうのをなんか想像できないんですよね
なるほど
そういうことって倉下さんは
なんかこうイメージできますっていうか
実際そういうことって起こったことありますか
えーとねひとまず
起こったことはほぼないんですけど
まず着想メモを取りましょうと思いついたことを書き留めましょうと言われる
その何やろうなメソッド方法論は
少なくとも2つ有意義なメリットがありまして
ひとつは注意深くなることですね
周りを観察したりとか
自分が何を思いついたっていうことをそのものに注意を受けるようになると
これは当然必要なことである種のノートリーニングですねこれは
もう一個それを書き留めておくことによって
自分の思いつきのログが残ると
例えば同じことを思いついているっていうことを確認することでもありますし
自分の発想の傾向をたどれるっていうメリットもあると
自分はこういうことをよく考えてるなとか
ここ1ヶ月はこれのことばっかり思いついてるなっていうところから考え
新しい発想を出すことができると
これも要するにメタ的な視点
こういうメタ的な視点を置いといて
書き留めておいたものが例えばアウトラインに並んでて
それを移動させてくっついてでかくなるということはほぼないですね
やっぱりそうですよね
特に僕が思うに1行メモ走り書きフレーズだけのものは
そのまま死にますねだいたい
思いついた着想をある程度言語化して
スクラップボックスに書いておけば概念化して書いておけば
生き残りますけどさっきのくっついてとかいうことではないですね
例えば原稿で困ったときに
あのときあれ概念化したやつだって思い出しやすくなるっていう効果があるということで
これがいわゆるカード法の一番の真髄だと思います
カード法は文章化することによって概念化されることで
記憶に残るっていうところがあって
走り書きメモはもう書き留めた段階で終わっちゃってるんで
そうですよね
だからもう書き留めたものが
扉が閉まっているというか
例えばこう
組み立て書くとかで柱を結合させるときに
出っ張りと凸凹があったりするじゃないですか
走り書きメモっていうのは凸凹がないんですね
45:02
だからもうくっつかないようになっちゃってるっていう
そういう意味で死に方をしているので
そういうものは大体死にます
だから僕はるか昔はそういうもの書き過ぎておけば
それが育つと思ったんですけど
根っこが切られているので育ちようがないというのを
長年学びましたね
いわゆると山茂彦のメタノート法というやつとか
書き移せとノートAからノートBに書き移せと
書き移すときっていうのは結局コピペじゃなくて
自分が書いた着想についてその時思ったことを
書き足してるわけですね大体
新しく発想してるわけですよ
これは意味がある
それが意味あるのはわかります
しかもこのメタノートによって
良くなかったものが全部消えるわけですね
だから選別も同時に起こらないわけですね
だからこの手法は非常に多いんです
これをアイディアを育てるという言い方をするなら
それでいいと思います
育てるっていうのは捨てるものと増えるものが
両方作用がないと多分ダメで
もともとあるものが少しずつ太っていくっていう感じじゃなくて
土を変えるような感じで
こっちに行ってくださいと
そこでまた水を入れていくっていう
新しい注意をそれに向けていくっていうことをする
だから考え終わったものを組み合わせてどうこうというよりは
毎回考えてるっていう
ことをすることで初めてメモからノートから執筆へ
っていう流れが初めてできるんだろうなという気はします
まさにそうだと思いますね
だから走り書きメモっていうのを
メモで止めてる間は多分ダメなんですね
メモをノート化するっていうことをしないと
少なくともそれは死ぬっていう感じ
デジタルの場合は死んだものが全部残ってしまうと
これは僕はメモのゾンビ化現象と呼んでるんですけども
ただ残るだけじゃなくてマイナスの影響も与えるんですね
残ってないと
こいつがデジタルツールの厄介なところなんですね
同じように検索すれば引っかかってきちゃいますよね
しかも目に入るじゃないですかツールを開くたびに
それがまた鬱陶しいんですよ
だからこれあれですよね
着想メモとか書いてないよっていう人も
タスク管理アプリに膨大な死にタスクが
溜まっている状態とほぼ同じことですよね
同じことだと思います
だからやっぱりレイリータスクリストを作るっていうのも
毎回そのタスクについて考えるってことを促してるという点が
多分グレートなところで
持ち越されるタスクリストっていうのは
さっき言ったメモがそのまま死づしてしまうのと
同じような状況になってしまうんで
ある種メタノート的に
タスクを選別して書き写していくっていうことが
書き留めたものを生かすための方法でしょうし
48:03
より長期的に必要だったら文章として書いて
プロジェクトノートみたいな感じで記述するっていう形にする
だからその日だけでいいんやったら
走り書きメモとか過剰書きのタスクでもいいんですけど
日を越境するような場合っていうのは
それだと高確率地震でいきますね
そうですよね
いわゆる着想メモとか発想メモとか言われるものが
直接何かの役に立ったり
何かに使えたりすることはあんまり期待しない方がいいっていう
多分ね
どう言ったらいいんかな
グラフを書いたときに利用できる曲線っていうのがあって
ゼロに近いとこはものすごい高いんですけど
2,3にすると急にギュインって下がっていくみたいな
イメージを持っておくといいかなっていうものです
だからホットなうちは何かにもしかしたらなるかもしれない
そうじゃないうちは
もうあとは博物館で物を眺めてる感じに
はいはいはい
そういうことそれができるんじゃないかと期待させるような
ものがあったんですよね
確かに
今でもあるかもしれないですけど
だから無意味じゃないけど
例えば何年もそれを貯めていたからといって
それが直接使えるわけではない
ただ決して無意味ではないと
残っていること自体には結構意味があって
メタ的に考えるっていうのは実はそうやってメモを取るしかない
自分の発問傾向って自分でメモを取るしかわからないんで
いろんなものを観察して分析する癖っていうのも
メモ取りから絶対始まると思うんで
そういう知的生産の始めの一歩としては
着想メモを書きましょうっていうのは僕はいいと思うんですけど
書いたメモがそのまま残っているとっていうのは
多分甘い考えで
僕が書いた本に
エバーノートとアナログノートの発想法という
記憶が出る本があるんですけど
アイデア起草っていう言い方をしたんですね
エバーノートにどんどん貯めておけば
価値が後から出てくるっていう話をしたんですけど
僕が甘かったというか
残しているだけでは多分価値になりにくいという風の
メモは書いたんですけど
自想に埋まっているものっていうのは
自想の圧力を受けて変化するから
例えば石油になったりとかするんだと
圧力がかかる力がかかっているから
いい価値があるものになるって言った時に
保存しているだけっていうのは脳圧力なわけですね
51:01
選別も行われていないし
変形も行われていないしと
メタ的な視点も付与されていないと
これは要するにプラスチックなわけで
何も変化していないと
200年後にプラスチックの容器を取り出したとこで
価値があるわけではないです
高工学的な価値はあるかもしれないです
保存しておくのなら
何かしらの作用を与えられるようにしておく
っていうことが必要で
例えば100個のアイディアを保存して
100個1個1個見返してってのは無理なんで
階層1つ上がることは多分必要なんですね
例えば1年振り返って自分が
エーバーノートをついて思いついたアイディアがあったら
それを1箇所に集めてノートにしておくとか
多分加工したことになるんで
それは多分価値が生まれてくると思うんですけど
保存しっぱなしでは多分ダメで
でも長期的に貯めたものをどう扱っていくかっていうのが
おそらくデジタルノートで初めて真剣に考えなければならない問題になったと思うんで
ここはだから今からの話ですねきっと
まだ発展途上のものですよね多分
だからオブチリアンじゃないや
テイクノートとか梅沢のカード法とかスクラップボックスっていうのは
メモで残すのはやめましょうと
少なくともノートの形にしましょうと提案していて
やっぱ長期的に残すためにはそれは必要なんですけど
そうは言っても思いつく着想メモっていうのがありましてですね
それをどうするかはあまり誰も教えてくれないんですけども
これは定期的に人力で文章化するか
もう何か捨てて目に入らないところに移動させるかの
日頃のうちどっちかを選ぶしかないかなっていうのが
現状の僕の答えですけども
多分捨てても大丈夫なんでしょうね
おそらくは
それが嫌ならアーカイブしたりとかしまっちゃうってことですよね
引き出しとか押し入れの奥に
メダファーですけどに置いておいて
もし使いたくなったらあるっていう状況にしておくだけ
普段は目に入らないっていうところにしておくと
もしそういう生活してアウトプット貧困になったとしたら
処理の仕方を変えなければならないと思いますけど
おおむねそんなことにはならないと思うので
あんまり嫌々言わなくてもいい
アイデアケチにならなくてもいいというかね
ある人アイデア不合的に
どんぶんに捨てていくっていうやり方でも
問題はないでしょうね
もったいないという気持ちが多分消えなくて
なんとかしなければならないというセキュリティに似た気持ちが湧き上がるんですけど
それが足を引っ張るところがあるんで
そうなんですよね
これを逃すと二度と思いつかないかもしれないとか思っちゃう
54:01
ですよね
でも意外にもう一度思いつくんですよね
そうですね
時間がかかるかもしれないですけどね
僕はメモは残しておけでも気にするな派ですけども
人によっては取れるメモだけ取るでもおそらくいいでしょうし
初期の頃は何でもメモした方がいいと思いますけどね
最初の頃は
それで変な癖がつくかもしれないけど
タイプにもよりますね
タイプにもよると思います
この辺が多分
スティック生産の技術の本命の部分本丸で
メモ論からノート論ノート論から執筆論っていうのが
つながってはいるけどシームレスではないというところがあって
受け取る側が混同する自分も含めて混同するんですよね
僕もさっきメモとノートと一緒に語ってたところがあったと思うんですけど
メモノートそれで執筆それぞれの何とか術みたいなのがあった時に
受け取る側がそれをミックスして受け取っちゃうということがあって
もちろんミックスして受け取ってもいいんですけど
ちょっとそうじゃないんだけどっていうのがたまにある
だから難しいですよね
でも今の話みたいにメモ術とノート術と執筆術
っていうのはそれぞれ違うものだということを確認しておくって結構大事かもしれない
そうですね今聞きながら思いついたのにまた一つの発見
これもだから例えばメモ術とノート術と執筆術が違うっていうのが
僕が書く着想メモなんですね
それで終わらせるとダメなんですよね
残したかったら例えばスクラップボックスにそのタイトルを書いて
それぞれがどういう特性を持つのかを一回書いておけば
再利用率が9割ぐらい違いますねやっぱり
それには手間がかかるんで全部はできないと
とにかく自分の重要なものだけになって逆にそれがいいんだろうなと思うんですよ
そうですね全部はできないですから
昔の考え方だと例えばスクラップボックスを使い始めたときに
思いついた着想メモを1個につき1ページ作るっていうことをね
しようと願ってたんですね
スクラップボックスはそれが非常にしにくいんですよ
例えばファストエヴァとかもないですし
なので色々めんどくさかったんですけど結局それが良かったと
使い物にならないページが増えると逆にめんどくさいだけなので
自分が言語化したものだけが残っているということのほうがはるかに重要で
57:00
これは多分だからデジタルツールでありますけど
ルーマンが欲したブラックボックスじゃないものがそこにあるという感じ
メモだけってさっき言ったように途切れてるんで
自分にとってはもうブラックボックスなんですよね
かつて自分がこれを何を考えてたらかわからないという
再現できないという意味ではブラックボックスなんで
そこを省くとだから僕スクラップボックスページ5000ページ超えて
喜んでますけどページが大きいはいいというものではないんですね
結局はむしろ長く使い続けてたのほうが多分重要で
多分ここまで長く使い続けたWikiは僕初めてですね
もう5,6年経ってますか
5,6年は2019年で1500ページと書いてあるから
3年ぐらいで3500ページ増えてますから
まあそうですよ
これらがそれなりにタイトルを思い出せれば引っ張り出せるというところで
十分機能してるんで
かつての古い方のエバーノートのアカウントに
アイディアノートと呼ばれるのが5000ぐらいは残ってますけど
その大半が一行メモですけど
発掘してもてんてんてんという感じでしょうね
自分がなぜそれを書いたのかも思い出せないので
そういう過去の遺産はもう一回忘れてしまったほうがいいでしょうし
これから残すんやったらやっぱり
メモ的なというよりはカード的なものを
ノート的なものを残していくっていうのが
5年後6年後の自分に使えるものになると
そういう長期的なスパンで残していくっていうのが良さげですね
メモはメモのままにしない
メモ術とノート術と執筆術は違うって意識することがすごく大事だという話がある一方
今思ったんですけど
執筆中にはメモ術がすごい大事じゃないですか
むしろそこでメモ術がすごい大事じゃないですか
だから無関係じゃないですよね
関連しているというか
でも執筆におけるメモ術は用途がはっきりしている上に
数日で処理されるからいいかな
メモの賞味期限自体が短いということを念頭におけば
いいわけですけど
だから執筆におけるメモでも多分
書いてしばらく経ってたら
まだ思い出せなくなるのは変わらないんで
文脈が強い分ちょっと思い出しやすいですけど
多分時間が経ったらわからなくなるんで
そうですね
メモからノートへあるいは執筆中のメモと
あとはノートと執筆の関係みたいな
トライアングルが描けて
1:00:00
それぞれがどう相関するのかというのが
一つ図面として描けそうですね
いい話ですね
結構いわゆる知的生産の技術の話で
しかもあんまりなされていない
梅沢はカードはメモではないって
はっきり言ってたんで
彼は現行に関しての接続は
カード法と現行を接続してないんですよね
そうですね
いきなり小座寝法の話になっちゃって
現行を書くときにカードをどう使ってるのか
いつだけ分かれないんですよね
確かにそうですね
あとね
これ別に悪いわけじゃないんですけど
発見の手帳の話が最初にあるでしょ
ありますね
発見の手帳の話の後でカードの話が出てくるんで
なんかカードにアイデアを書くみたいな
話になっちゃったんですよ
最初に読んだときに
だから梅沢のカードっていうのは
発想を書くものだと思ってたんですよね
なるほど
後でよくよく読んだら
なんかそういうことでもなくて
てかむしろ
逆に発見の手帳も今やるんだったら
カードになるっていうことですよね
別にだからカードにはアイデアを書くとは書いてないんです
そういう勘違いは長いことしてましたね
そうだから
例えば梅沢の地理戦の技術を読んだ後に
川北の発想法を読むと
梅沢は多分カードを使って
KJ法みたいなことをしてたんだろうみたいな
妄想が勝手に浮かぶんですけど
僕もそれ思ってました
多分そんなことないと思うんですよね
そうなんですよ
でも大体あの2冊って
一緒に続けて読んだりするときもあるからね
足りない分を勝手に保管してしまうんですけど
梅沢は原稿をどう書いてるかはあんまり書いてないですね
書いてないですね
しかもそのカードの話の後に小座根法の話があるんで
それも混ざっちゃって
カードを並べ書いてそれを見ながら原稿を書いてる
みたいな印象を頭の中に
でもやってたのかなそれ
たぶんルーマンは
いわゆるスリープボックスの引き出しがメインにあって
例えばあるプロジェクトが走るときには
別の箱を用意すると
そこのプロジェクトに使うものはまたカードに書く
みたいなことを書かれてたんで
仮に梅沢がやってたとしてもそのタイプでしょうね
新たにカードを起こす
その原稿用のカードを起こしてたんじゃないですかねきっと
それが書いてないですよね
いや僕梅沢全部読んだわけじゃないんですけど
知的精査の技術とそれを入れた
1:03:02
前週15巻や11巻には書いてなかったですね
どっかに書いてあるんですかね
まあ過去知ってる
元秘書さんとかに聞きゃ分かるでしょうけど
少なくとも
鳥さんとかで聞いてるかもしれないですけど
モザメは大量に使われてるのは見ましたし
その知的精査の技術に関連する情報カードみたいな
がレプリカで箱に入っているのは見たことはありますね
はいはい展示されてるやつ
だから多分その原稿に使えそうなカードを抜き出して
箱に移動させるということは多分してたと思いますね
でもそこからのアウトラインは結局小座根で立ててるはずなので
だからカードはそのカードを平面的に配置してっていうことは
多分ねしてないと思いますね
してないんですかね
頭の中でこういうネタがあったなっていうのを思い出す
それを一言でまとめた小座根を書く配置を考える
という感じじゃないですかねきっと
小座根は小座根でもむしろ文章レベルになっちゃってる
そうですね見出しレベルとかになってますね彼は
だからもうその時に頭の中でこれを書こうみたいなのを
小座根に書いて操作は小座根で
いわゆるアウトライン操作は小座根でしてたと思うんですよ
だって情報カードってあれやりにくいじゃないですか
デカいですよねデカいですよねあれね
あの形成本はもっと小さなレベルを使うんですよあれは
だから一行だけ書き込めるような
だから情報カードを使ってたとはとても何か思えないんですけど
だから大学生ぐらいの時にあの手の本を
いろいろまとめて読んだんですよね
後日十数年後に読み直したらものすごい誤解してるんですよね全てに
みんな混ざっちゃってるんですよ
だから分かんないですね
自分の知識も全然信用できない
そういうものだと思う
だからこそ記録を取るという話なんですよ
そこに戻るわけですね
デジタル時代の日々のメモから執筆までを
フォローしたノウハウ書っていうのが実はあんまりないっていうことですねきっと
そうですね考えてみると
それはでも実に知りたい話でね
知りたい話ですね
なんか一冊の本をどう書くみたいな
勉強の哲学の舞台裏を書いたやつはノートとかアウトライナーを使って
その一冊の本をどう進めるかみたいなのは書いてましたけど
もっとこう作家のトータルのプロセスみたいな
日々のメモ集めから執筆までみたいなところは
1:06:02
他の人どうしてるのかは知りたいですし
まあ自分で書いてもいいと思うんですか
あんまりないですよね
みんなまあ現段階でも試行錯誤してるかもしれないですけども
だから論文を書くという話でもまたないのでねこれは
論文に関してはあるんですよ
うんたぶんきっとある
論文に関してはあるんですよ
論文ではないいわゆるもう少し創作的なものだったり
3文的なものだったりするに関しては
まああとそうじゃなくても実用文
読み物としての実用文に関してはあんまりそういうの見たことないですよね
なんかチラッとした話題がツイッターに流れてくると
結構注目を集めたりするし
僕も結構ファボったりしますから
需要自体はあると思うんですけどねそういう情報の
でもワークフローが必要なことは皆さん知ってるでしょうかな
そういう一連の流れみたいな
だからライティングの哲学を受けたのかなそういう意味では
そうですね
デジタル執筆法としてもあれはだから読めますもんね要するに
そうですね
これまであんまりなかった
ワードについての誤解を広めちゃったなというところだけはちょっと残念なんですけどね
各種ツールの使い方とかは割にあっても
まあでもそうか難しいか
例えば書くためのアウトラインプロセッシングで
アウトライナーの中でどう移行していくのという話があったじゃないですか
あれのアウトライナーだけじゃない版みたいなのを教えてもらって
あれのもっと広いやつというか
あーそうかもの書きの7つ道具とかそういう切り口で
7つの道具があるかどうか知りませんが
例えばあれだから発想のアウトラインと文章のアウトラインがある
って言ったんですけどその発想段階でアウトライナーじゃないものを使いたい人も当然いるわけじゃないですか
でもそこからその文章
要するにあれで言ったら発想のアウトラインから文章のアウトラインに移行します
移行っていうのはアウトラインを作り直すことですよって言ったんですけど
じゃあアウトライナーを使わない人はそこの部分でどうやってるのかっていうのを知りたいんですよね
あーなるほどねなるほど確かに
発想がこうしている何か箱みたいなものがあったとして
1:09:04
そこからその筆の段階文章の段階に行くときにそこの間がどう繋がってるのかっていうのを
あんまり教えてくれる人がいないですね
これは結構まだ未解の地ですねこれは
僕はどうせアウトライナーを使うと思うんですけど
それを例えば誰かがそれを教えてくれたらやっぱり
アウトライナーの使い方も逆にそれに影響されて変わるかもしれないし
確かにありえますね
だからやっぱり
その
倉下さんのそのスクラップボックスの話もそうだし
ゴリゴさんのあのアトミックノートの話も
そうなんですけど自分のやり方と違う方法で実はすごく
ありがたいんですよね
確かに
それだからそうですね
時間があればいろんな人をゲストに呼んで
その話をね掘りあおり聞くってことができたらいいんですけどね
結局いわゆるその一昔前のライブハッカーはそういう話をしてましたけど
最近のブロガーはそういう話をしないから
ますます話題が
人生化していくというか盛り上がらないというか
そうですね
でも考えたら角断面の名前のない技術でやろうとしたのって
それだったかもしれないですね
それをまたやればいいんですね
やればまた何冊かまとめてドーンと一冊にするとか
決して終わってしまったわけではないのですか
いろんなものの優先順位というのがありますからね
例えば本にするんじゃなくて
有料マガジンでインタビューの書き音講師とかを並べてみるのも手じゃないですかね
それはそれでいい
そうですねそれはやりたいですね
やりたいというか聞きたいですよね
いろんな人の話を聞きたい
そこから始まるようやく立ち上がる一般化というか
一般化まで言い過ぎですけど
ある種のフレームっていうのがやっぱり複数人を見せて
いろんなやり方あるけどやっぱりここら辺は外せへんよねっていうところが
多分見つかると思うんで
それをしないとどこまでもオレオレ経験則で終わってしまうので
そうなんですね
しかも僕とたくさんは比較的書く方が似てるから
重なる部分が多くて
そうだよねって言っても実は全然マイノリティの可能性もありますからね
なりますよね
うん
この点の話は
でもメモ術ノート術執筆術
メモ論ノート論執筆論みたいなのは
ちょっとどっかで検討したいですね
1:12:00
そうですね
分かれて5つ繋がっている
いるっていうところを
全て書くことと共通はしてるけど役割が違うんだよということが
明示できると
なんかオーハン本としても面白そうな感じ
面白そうですね
その辺はまた検討したいところですというところで
今回の話を聞いて私の執筆スタイルはこうなってるんだという話をツイートでするのは難しいと思いますけど
もし記事とか書いたら
#打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければクラシックなテックしたいと思います
というわけでたくさん何かお知らせしたいこととかございますか
特にはないです
じゃあ今回はこれまでにしたいと思いますお疲れ様でした
お疲れ様でした
01:12:48

コメント

スクロール