はじめにと現場の紹介
はい、みなさんこんにちは。Raise PLAN たけだと申します。本日は2025年5月3日土曜日ということをお送りしていきましょう。
この番組は建設業界をワクワクする業界へ、現場ラボの提供とお送りさせていただきます。
ということでみなさん、いかがお過ごしでしょうか。いつも聞きいただきまして、本当にありがとうございます。
ここトカチは曇り。朝のうちちょっと雨が降ってたんですけど、今はね、3時ぐらいなんですけども、本日は曇りに移行してきているというような流れでございます。
午前中、本当はね、うちの息子の練習試合があったっていう、野球の練習試合があったって話だったんですが、
まあ、あいにくの雨で中止になりまして、家にいるというような状態でございます。
本格的にゴールデンウィークが始まりまして、実際のところ、小読み通りで行くんであれば、3、4、5、6の4日間、4連休をね、取ってる人が多いんじゃないかっていうふうに思っております。
で、なんか最近こう連日、万博の入場者数がどうなのかっていうふうに報道しておりますが、その時に若干気になっているのが、
あのゴールデンウィーク8日目にして、結構人数が伸びてきてますみたいな言い方をするんですけど、
このゴールデンウィークが8日目って思ってる人って一体どのぐらいいるのかなっていうふうに思ったりします。
少なくとも僕の周りでゴールデンウィーク8日目って思ってる人はあまりいないような感じがしてるんですけども、
現実的には多分29日がものすごい平日だったんで、なかなか連休が取りづらいような小読みになっているんでどうでしょうか。
実際にはゴールデンウィークって4日って考えてる人の方が圧倒的に多いんじゃないですかね。
そう考えると伸びてきてますではなくて、ゴールデンウィーク入る前段階でそんなに入ってたんだなーっていうことの方が、
一般庶民からするとね、なんか驚きなんじゃないかなっていうふうに思ったりします。
そして今現在伸びてきてるっていうのは、まあそれはなんとなく皆さんお察しの通り、そりゃそうだよねって思ったりしているという、そんな今日この頃でございます。
いずれにせよね、国を挙げての事業ということで、オリンピックに続いて今回万博ということで、
ぜひ成功していただきたいというふうに思いますし、本当は行きたいんですよね。
めちゃくちゃ見てみたいし、僕の取引先のゼネコンさんが一部パビリオンを作ったっていうこともあるんで、
それもぜひ見に行きたいなというふうに思ってはいるんですが、とはいえね、なかなか難しいなというふうに思っておりますけども、
なんとか皆さんのいろんなね、行ってきましたよーみたいな動画だとかを見ながら、
なんとか自分を諌めている、そんな状況でございます。
皆さんね、ゴールデンウィークスタートしたというふうに思いますが、
ぜひ何かしら家族と一緒に楽しんでいただければなというふうに思っております。
はい、ということで本日もスタートしていきますが、皆さん準備の方はよろしいでしょうか。
それでは今日も立入禁止の向こう側へ行ってみましょう。
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それでは本編をお楽しみください。
困難な現場の詳細
はい、それでは皆さんこんにちは。ライトプラン竹田と申します。
ということで本日は土曜日なので、いつものように土木建築対談ということで進めていきたいというふうに思います。
4月も脱出しましたので、そろそろ新人向けではなくて、雑談ベースで進めていければいいかなというふうに考えております。
早速ですが、今日もゲストを来ていただいておりますので、まずは自己紹介をサクッとお願いいたします。
はい、皆さんこんにちは。スナグタスケル土木株式会社代表の松岡と申します。
私は大手ゼネコン2社で、合計13年間橋ですとかコンクリートの土木分野ですね。
で、施工管理設計の方を学んできまして、この度2024年の3月、約1年前に独立しまして、今の会社を設立しまして、
現在は中小建設会社の働き方が改革ですとか、業務効率化ですとか、そういった仕組みづくりが良くなる改善をサポートして、
先ほどサポート業として独立して動いております。今日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。ということで、初めてではないか、雑談ベースで進めていきたいなというふうに思うんですが、
ざっくりのテーマを決めていきたいと思いますが、今日ですね、僕の方からのご提案でございます。
あなたの私の忘れられない現場について、ちょっと思い出話的に話をしたいなというふうに思うんですが、よろしいでしょうか。
そうですね。はい、大丈夫です。
忘れられないっていろんなテイストがありますが、良い側なのか悪い側なのか分かりませんが、
ちょっとそんな話をね、視聴者の方が望んでいるかどうかは別として、勝手に配信したいな、垂れ流しにしたいなというふうに思いますので、
興味のある方だけ最後までお付き合いいただければなと思います。
お付き合いいただければ嬉しいですね。
ということで、どちらからいきますか。
たまには武田さんから。
僕からいきましょうか。
そうしたら僕の忘れられない現場をお話しさせていただきます。
本当はね、2時間ぐらい語りたいなと。
ちょっと控え気味にね、お話をさせていただきます。
ちょっと過酷だった現場の話をさせてもらいたいんですけど、
北海道のとある場所にですね、山の上に自衛隊の中途の基地みたいなものがございまして、そこの現場だったんですよ。
そこの現場が標高そうだな、400メートルから500メートルぐらいで、崖地にあるんですね。
ちょうど北朝鮮側からミサイルが飛んでくる飛んでこないみたいな時期で、
そこを見据えてレーダー基地を作りたいということで僕らが受注して、そこに乗り込んだんです。
2年間ぐらいでその建物を作りますよという工事だったんですけど、パッと見すっげえ長いなと思ってたんですよね。
長い理由っていうのが後になってわかったんですが、
例えばそうだな、そこは崖のてっぺんにあるんで、そこまでに至る道っていうのは山道しかないんですよ。
生根車って後ろから投入する口があるわけじゃないですか。
そうですね。
そうするとその生根車、急斜面を登るとどうなるかっていうと、後ろからあふれるんですよね。
なんとなくわかります?
通常通り例えば4留米とか積んで斜めの斜面を登ると、後ろからジョボジョボジョボっとこぼれてしまう可能性があるんです。
結果ですね、2.5留米しか積めないっていうのがまだ第一ハードルだったんです。
ピントくるかどうかわかりませんが、ただ要は台数がむちゃくちゃ必要になってくるっていうことで、
そのコンクリートの打設を小分けにしなければいけないみたいなハードルがまず第一であったんですよ。
なんかちょっと土木っぽいですね。
多分そんな感じです。
しかもレーダー基地って中遁地なので、敵に攻められた時用に1台の車しか上がれないようになってるんです。
下がる時も1台。要は片道交互通行みたいな感じなんですけど、道は1キロ以上あるって道があるんですね。
そこを通過しないと次に進めないんですよ。
そういうことですね。
結果何が起きるかというと、生コン車って大抵行って打設して空になって戻って行って、
そこにまた次いで、また戻ってくるっていう往復をするわけじゃないですか。
上る一方ではないですよね。
なくなったら戻らなきゃいけないので。
片道交互通行で片道で20分以上かかる道を行き来しなければ生コンの打設ができないんですよ。
なんとなく想像つきますかね。
上に車が停められる場所はないんですか?
いっぱいあるんです。
どの道その一本道をどうにかして交互に通行しなければいけないわけですよ。
500台くらい用意して一方的に上がりっぱなしだったらスムーズにはいくんでしょうけど。
当然降りなければいけないけど、降りるにも20分かかるんです。
上がる時に20分かかって、降りる時にも20分かかるんで、
20分下がってる時には20分上がれない車が存在するみたいなやりくりになるんですよ。
なんとなく想像つくでしょうか。
この生コン社が必要以上にたくさん必要になってきて、
思ったように進まないし、何時何分に5台一気に上がって、
終わったらすぐ5台下がってみたいなのを緻密に組み込まないと
打折がままならないっていう地形的なハードルがすごく大変だったなっていうのが一つあるんです。
2つ目の悪条件が山のてっぺんが崖地なんでクレーン車が動けない。
意味わかりますか。風速10メートル以上になるとクレーン車は動いちゃいけないんですよ。
でも山のてっぺんなんで風速10メートルなんです、平均で。
荒れてもないのに。
そうすると当然国の仕事ですし、それをブチ切ってやるわけにはいかないわけですよ。
8時にクレーン車来ますよね。上げたはいいんだけど、
10メートルの吹き流しがバタバタしてるんですよ。
動けないですよね。1日8時間クレーン車はいるんだけど、
30分くらいしか動かせなかったみたいな日がザラに存在していて、
結局全く仕事が進まないみたいなこともあるっていう、またこれも地形的な条件ですよね。
クレーンの運用とその影響
もう一つあるんです。崖地に対して塔のような建物を建ててるので、
冬、足場を組むんですけど、足場、雪が降ってくることもあるわけですよ。
そうすると雪って上から下に通常降るわけじゃないですか。
ところがそこは崖地なんで、風が下から上にガーッと上がってくる格好になるんですよ。
僕初めて見たんですけど、足場の上には雪はないんですけど、
足場の裏側に雪がへばりついて、なんて言うんでしょうか。
こんなこと?
歩けなくなって。
あるんですか?
そう。ツララみたいな感じで雪が2,30センチ足場の裏側にくっついて、
歩くに歩けない状態になるっていう。
みんなヘルメットをしてれば、たいてい雪はヘルメットに積もっていって、
前は見えるよねなんだけど、ヘルメットのツバの裏側に雪がたまっていくんで、
もうこんなの仕事じゃねえよみたいな状況になっていくと。
これは見たことない。想像できないです。
そういう過酷な状況の中で、後期ギリギリで何とか終わらせたっていうのが、
すごく大変だった現場っていうことなんですけど、
実はこれ後日談があって、そのときのレーダーサイトっていうのが、
全国で4個だか5個だか同時着工だったんです。
のうちの大きなプロジェクトみたいなのの中の1カ所だったんです。
山口県とか長野県じゃないか、石川県とか、
そっち側のほうにレーダーサイトを4つ建てるだか5つ建てるだかっていうプロジェクトの1個だったんですよ。
みんな同じ条件なんです。
がけ地に建てないと機能しないので。
ということで、みんな同じ条件でやっていった中で、
他の現場は後期2年あったんですけど、
そっからさらに1年とか1年半とか後期延長がかかったんです。進まないんで。
だけど僕らの現場だけは後期満了で終わったんですよ。
すごくないですか。雪の条件ないですよね。
そうなんですよ。その超悪条件の中クリアした結果ですね、
全国の中の防衛庁なんたら大臣表彰っていうのをいただくという。
めちゃくちゃかっこいい話。
かっこいいでしょ。かっこいいんですよ。
後期は守るものっていうのがある中で、
僕らの中では伸ばすという選択肢はないんですよ。
だからもうあの手この手を使って何とか終わらせたっていう格好だったんだけど、
他の現場はもうこんなもん無理だって余裕でずらしていたと。
でもあの時思いましたよ。どんな現場でもできるなって思いました。
そうですね。しかも他が1年延長している中で考えたらね。
唯一の現場だったんですよ。武田さんって言われて。
めちゃくちゃ嬉しいじゃないですか。
終わってみりゃそういうことですけど、
当時はもう本当に何度帰ろうかと思ったことが。
すごい。
そんなね、大変だったよっていう過酷だったよっていう現場をもう忘れられないですし、
それを忘れたくても今ではもう笑い話というかね、こんなすごかったんですよっていうの。
そこの現場の話はもういろいろあるんですけど、
ちょっと大変さだけをピックアップするとそういうことなんです。
ただ雲の上で仕事をしているので、
4日に1回くらいは雲海ってわかりますかね。雲の海がね。
わかります。そんなに高いんですかね。
そうそうそう。400メートルくらいは大したことないと思われがちなんだけど、
割とね、雲海が広がるんです。もうかっこいいですよ。
何ヶ月かに1回行ったらすごい絶景の現場だなって思っちゃいそうなやつですね。
プロジェクトの成功
そうです。たまにパトロールとかで月1で来る上司とかは結構楽しみワクワクしてくれる。
そっちはもう溜まったもんじゃないという。
それちょっとでも現場あるあるですよね。
私も山梨の現場の時に東京支店のパトロールの方が来られてたんですけど、
東京支店っていうと普段都内の地下鉄の現場とかなりがちなんですけど、
山梨に来るとちょっと旅行気分になるようになって、
笑みを浮かべながらパトロールされて、すごい指摘をいただいて悔しい思いをしてましたね。
ご飯どこがおいしいのよみたいなこと聞かれて。
そうですそうです。じゃあ行きますかとか。
そんな過酷な現場の話でございました。
すごい。踏み立てられててすごい面白かったです。
ありがとうございます。さあ次行きましょうか。松岡さんの思い出の話を。
はい。私もつらかった話になりますね。
はいなるほど。
でもオチが酒田さんほど綺麗じゃないんですけど、
でも私なりに苦労したけど頑張ったなっていうところで、
私、2社の会社員やってまして、1社目が10年働いたんですけれども、
その最後ですね、私最初鉄計ですね、入信卒で入ったとき鉄計部門になったんですけれども、
その後鉄計やって、自分が鉄計をやった現場に行けて、
おーすごい。
それがちょっと珍しい経験で、それはもちろんそれなりの苦労と楽しさと全てを味わったなというところなんですが、
その話をちょっとしようかなと思ったんですが、あえてその後1回1年海外行って、
で、戻ってきたときの最後の1年の鉄計の案件の話をしたいなと。
はいはいはい。なるほど。
で、私なりにいろんな部署とかに行かせていただいて、
酸いも甘いも経験したなって、そのときは思ってたときの現場なんですね。
あと鉄計の案件の話をしたいなと。
で、最後今言ったように海外から戻ってきたんですけど、
海外のプロジェクトがコロナで止まってしまって。
あ、そういう時期ですね。
そう、強制終了みたいな。シャットダウンぐらいの感じで。
シャットダウンですね。
はい。1週間ぐらい本当に向こうで何も動けない。
なんか部屋から出ちゃダメみたいな。
禁止状態から、じゃあそんな状態ならって。
そういう状態になって、
3月にロックダウンになって戻ってきて。
戻ってきた人が何名かいたものですから、
各々の所属部署というか、地盤系が強ければ地盤系が強い。
で、地盤系が強いと、
地盤系の人たちが自分の仕事をやる。
そしてその人たちの仕事をやると、
地盤系の人たちが自分の仕事をやることになって、
自分の仕事がやると、
戻ってきた人 何名かいたもの ですから おのおの所属部署という
か 地盤系が強ければ 地盤の現場 とか 地盤の技術室みたいなところ
行くし タンクのことをやってる 人は タンクの設計とか タンク
の現場にヘルプに行くしみたいな 感じで そのときどきに 人が不足
しているというところに判断されたり あるいは部署に戻るみたいな
感じで 海外の要員 フィリピン にいた要員が向かったんです
けれども 私は新入社員から橋 の設計をやってたので 橋の案件
がちょうどネクスコさんの大きい 案件の設計をやっているところ
だったので そこのチームを手伝 ってほしいということで行った
わけです 戻ったわけですね ただ コロナ死直後だったので テレワーク
とかでガンガンまだやってるとき だったので 日本に戻ったんですけ
ど 家から物件の案件を少しずつ 把握しながら 誰かと打ち合わせ
することもなく まず自主勉強して ちょっとこの辺からやってほしい
みたいな感じで ぬるっとスタート した感があったんですよ
おだしょー なるほど
三沢 でも 私なりに忙しい物件 なのは分かったし ちょっと当初
の設計工程表から遅れていたのは なんとなく分かっていたので 言わ
れたことをとりあえずやりつつ どういうことをやっていこうかな
って考えながら仕事をしつつも 海外から戻ったんで 家族と過ごす
時間が結構一気に増えたんで テレワークで子供も幼稚園行けない
とかっていう状況だったんで そこの 時間を若干ちょっと楽しんでしま
っていたっていう ちょっと会社員 としては うっていうところはあるん
ですが その楽さを楽しんでいた ところもちょっとあったんですが
そのときの設計の案件が 私の上に 50歳ぐらいの課長さんがいて その
人がリーダーで 私ともう一人 引っ越したの30代前半の子が番
頭さんっていうか メインで一番 引っ張ってる子ですね その下に
3年目がいるっていうことで 比較 的設計の案件としては4名体制なん
で 充実してるかなという体制 だったんです そういう中で進めて
いたんですが 結構大事なお客さん 打ち合わせが終わった後の4月末
に出社する日がありまして そこで その引っ越したの子に突然
呼び出されまして 松岡さんちょっと 話がありますって言われて 関係
が深い子だったのに そんな親密 そうな顔をしてるから 何の子かな
と思ったら 僕ゴールデンク終わったら 育休入りますって言われて すごい
おめでとうなんて言ってたんですけど 何 誰が他に来るのみたいな
おだしょー そうですね 喜び半分 不安半分みたいな
松岡 来ませんみたいな そもそも 私 3月末にこのコロナ禍でプロジェクト
が止まって帰ってきた 緊急要因 になったので
おだしょー どちらかというと 手伝い側は俺だと
松岡 そう 手伝い側は俺だと 誰がこの物件やるのって聞いたら
室長は松岡さんだって言ってます っていうのを ご報告されました
ね
おだしょー 時代背景上 てめえ ふざけんなよということも
松岡 全く言えず 室長からはそんな ことは聞いてないとも 会社員的には
言う場面では言いましたけれども ただ お尻に ケツに火が状態の爆弾
が突然回ってきた状態ですね
おだしょー でも導火線だいぶ短め のやつが
松岡 短めのやつです 現場の方も 少し社内でも厳しいと評判の方
が甘玉だったので どうなってる どうなってるっていうのが日々
連絡が増えていって その後 もう そんでもない案件だと思い
ましたということだったんですが 比較的上下もちょっとマイペース
な感じだったので 結局私がやら なきゃいけないという立場になった
建設現場の課題
ので そこから工程を立て直して 最初は常務工の設計なんです 基本
常務工の一番最初にやる部分の 背景図を何段にする その後 矢城
弁報室っていう 延びていく発表 楼だったので その矢城弁の部分
はその後2カ月くらいでいいよとか 期限を細かく定めたわけですね
おだしょー 順番にいくんだ
松岡 そうです 本当は一気にやり たいんですけど 一気にやったら
もうとうてい間に合わないと ということで 細切りにして ここは
ここまでですね ここはここまで ですねっていうのを なぜか私が
頭を下げながら言いまして じゃあ これに当てはめるためには
こんだけやらないといけないな っていうので もう一度 もうガラッ
と工程を引き直して 下請さんにも それを宣言して それを宣言してる
最初にもお客さんからは これどうな ってる これどうなってるみたいな
問い合わせが続いてるので すごい 一気に追い込まれながらも 何とか
立て直した時期をまたいで その 一発目の配金数までは何とか危険
通りに持っていけて 多少はミス あったんですけど まずは形にする
ことと思ってですね それで何とか 何とか持っていって ただ 日本に
戻ってきたら やっぱりサブログ 協定とか その辺も一気に厳しく
なってたので 残業時間をみんなで 安分しつつ 僕 今週土曜日出る
から ちょっと次の月曜日 休まない といけないから みたいなのを後輩
とも先輩とも調整しつつ お客さん にも これで承認出なかったら もう
僕たちは諦めますなんて ちょっと 言いつつ もう本当に今までの知識
とか経験とか行動量を総動員制 に駆け抜けて半年間ぐらいですね
それで何とか追いつかせたっていう のが すごい プラスに 先ほどの
話だとプラスがすごい多い話だった と思うんですけど マイナスをゼロ
にするためのこの作業っていう のは 結構 やりきれたのが この週
間の最後の業務だったんですけれども それはそれで感謝されるまでは
ちょっとどこまでいったか分からない ですが やめるっていう報告をした
赤字対策の努力
関係者も多かったのでですね
おだしょー 私はそんなに大きく 分かってくれる人も少ないタイプ
のやつですね
おだしょー そうですね 影で支える
おだしょー ゼロだったところを めっちゃ利益出しましたじゃなくて
赤字をゼロで押さえましたっていう のって 会社的には当たり前だろう
ぐらいな感覚になっちゃう
おだしょー そうですよね 最後 すごい 目立たないっていうところ
ですごい そこは一番思い残ってる 案件かなと思います
おだしょー なるほど コロナが悪い のか 子供が生まれたことが悪い
のか 誰も恨むことができた 敵 しかいないという
おだしょー すごいバックダウン でしたね
おだしょー 時代が悪い タイミング が何せ相手からすると良かった
松岡さんからすると悪かった 多分 育休受けた側はきっと 松岡さん
来た 良かった 何とか育休入れる みたいな感じだったのかもしれない
そういう意味では 人助けをした っていう結論にしておきましょう
か
松岡さん ありがとうございます なかなかまとまらず申し訳ない
です そんな思い出話になっちゃい ました 本当に
おだしょー いいと思います 酒の つまみになる話っていうのは みんな
引きずり出せば 1個や2個は必ず 鉄板的な笑い話なのか 黒話なのか
はあると思いますんで もし こちら 聞いている方につきましては ちょっと
お酒を飲みながらでもいいんで 先輩だとかに大変な現場の話して
くださいよって言ったら 多分 ニヤニヤしながら話してくれる
絶対あると思いますんで ぜひ 引き出していただきたいなという
ふうに思います 最後 松岡さん ありますか
松岡 今日 油断してました
おだしょー 油断しました
松岡 いつも どうぞ 竹田さん 紹介いいでしょ
おだしょー 別に 何もまとめる つもりはないんですけど ここには
こういう酒のつまみじゃないです けど 雑談程度の話をさせていただ
きたいと思いますんで 今後とも 緩くお話をお聞きいただければ
なというふうに思っております ということで 改めまして 本日に
つきましては 以上にさせていただき たいと思います それでは全国の
建設業の皆さま 本日もご安全に