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2024-09-06 16:25

Ptf.520 《現代川柳の旅路》現代川柳の可搬性(16分)

後日記入予定



(※ラジオポトフでは、このスペース【=概要欄】を書いてくださるボランティアスタッフを大量募集しています。具体的にお願いしたい内容は「配信前の編集済ファイルを聴きながら、今田と高澤がしゃべった内容をざっくりメモしていく」というものです。サンプルは、Ptf.290以前の概要欄をご覧ください。ご応募・ご質問はラジオポトフのおたよりフォームよりどうぞ!)

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どうも、トリコロールケーキの575、今田です。
トリコロールケーキの551、高澤です。
今日は、こんな話をします。
シリーズ、現代川柳の旅路。
現代川柳の可搬性。
現代川柳とは、俳句や短歌によく似た575のリズムを基する短いポエムです。
川柳と聞くと、シルバー川柳とかサラリーマン川柳とか、
そうした時事問題をダジャレめかした口調で扱うような、
そういったものをイメージされる方が多いと思います。
ただ、現代川柳というのは、そうした時事問題を扱うような川柳も含みつつ、
それとは若干異なる独自の文学性を持った未来の乗り物でございます。
富士山とかドドンパみたいなものだと思ってもらえればいいです。
今回ですね、ちょっとお話ししようと思っているのが、
僕が現代川柳のどこに魅力を感じているかっていうのをね、
ちょっとおしゃべりしてみようと思うんですけども、
さっき言ったように、575なんですよ、現代川柳は。
575じゃないものもたくさんありますけども、基本的に575だと。
これは、5たす7たす1なんで、17音。
17音、音がね、17個あるだけですよね。
これはね、僕ね、過半性があると言いたいんです。
まず、可能のかに、運搬のぱんですね。
で、過半性。
要するに、持ち運びがしやすいとか、
他のジャンルに移動しやすいっていうものなんですね。
異色性とか言ったりもするけど。
僕が言いたい過半性っていうのはね、本当にどこでも持ち運べる。
いつでも取り出して眺められるっていうものなんですね。
皆さん日々忙しくされていると思うんですよ。高澤さんもね。
仕事だったり、用事だったり、他のやりたいこともあったりする中で、
現代線流、本当はやりたいにしても、ちゃんとできないっていうことが多いじゃないですか。
時間がなくて。
でも、そういう時でもさ、例えば電車で移動している時に、
もう一息分だけでもいいよ。
5、7、5は思い出せるし、脳の容量を使えるんだよね。
そういう意味で、まず過半性が高いと思う。
どこでも持ち運べるし、いつでも取り出せる。
もう一つ過半性があるっていうのは、他のジャンルをそこに持ってきやすいと思うんだよ。
例えば高澤さんだったら、映画とか演劇のことを、
現代線流に象徴させるっていうことができると思うんだよね。
ある映画を見て、その考えを、例えば現代線流一句にするっていうのでもいいけど、
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そうするとその一句に、映画を持ってきたような感覚になれるじゃん。
ある映画を現代線流の中にもう収めたみたいな。
とにかく5、7、5しかないのに、どこにでも持ち運べるし、何でも入れられる。
いつでもそれを取り出して、何かものを考え始めることもできるし、
一旦考えるのやめても、またすぐに再開することができる。
例えば、もう一つ言えるのは、ツイート、ポストできるよね。
そうですね。
短いから。単価とかだと、ちょっと長いじゃない。
俳句だとさ、俳句も5、7、5しかないと思うけど、風流なんだよ、俳句はやっぱり。
で、バックボーンっていうか、その5、7、5に含まれる背景っていうのが、あらかじめものすごくあるじゃん。
現代線流もあるんだけど、俳句は伝統もあったりして、あらかじめものすごくあるんだよね。
記号があれば、記号っていうのは、まず背景に夏とか春っていうのもそのものを背負ってるわけで、
こうなると僕はね、過半性はちょっとないように感じちゃうんだよね。
大きくなってるから。
そこ行くと現代線流ってまあ、すごいプレーンだし、もちろんそこに背景を読み解くこともできる。
すごくコンパクトに収められてる気がするんだよね。
こういうところがね、僕は現代線流、僕がだよ、僕が思う魅力の一つはここなんだよね。
ただ、だからって流行るかっていうとやっぱりちょっと違ってて、もしかしたらその見る側にイマジネーションすることを強いるから、やっぱり。
単価だと、単価は今流行ってるじゃない。
過半性は現代線流よりは低いんだけど、僕に言わせればよ。
でも、だからこそ人は触れやすく感じるんだなって最近は思うわけですよ。
単価ってまあ、やっぱ共感?
共感もそうだし、読み方が決まってるじゃない、ある程度。
ストーリーだからソードしか読めないじゃないかっていう読み方が、ある程度決まってくるじゃない。
もちろんその細部の鑑賞の仕方は人それぞれにしても、大枠通貨。
だから、過半性は低いんだよね。
そこからいろんな意味を展開させることが、現代線流よりは自由ではない気がして。
あともちろん長いよね。
割と時、場所、人とかが決まった状態から入るって感じ?
長いからね。時とか場所とか言えるから言っちゃうよね、それ。
だから、もっと過半性を現代線流で高めるとしたら、
それだから77になるのかもしれないし、
5文字とか、そういう自由律俳句とかに近くなってくるのかなと思うんだよね。
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西澤陽花さんがされてらっしゃるジュニークとかね。
それだと短すぎるんでしょうね。
関志郎さんっているじゃない。関志郎さん。
あの方、自由律俳句ずっとやってらっしゃるんだけど、
たまたま武田佐鉄さんのラジオに出てたときにさ、
あるあるネタと自由律俳句って何が違うんですか? みたいなのを佐鉄さんが質問してて。
えー、まだ聞いてない。
別に真剣な話っていうか、雑談の一つみたいな感じだったんだけど、
自由律俳句ってよくある風景とかを読まれたりするんだよね。
なんだっけな、その回で紹介されてたのは、
ちょっと細かく忘れたんですけど、
例えば関志郎さんの句でね、自由律俳句なんですけど、
地味な親子が学校の話をしている。
地味な親子が学校の話をしている。
これ、自由律俳句っていう俳句なんですよ。
これが、あるあるっぽいというか、日常にあってもおかしくない風景じゃん。
でもあるあるネタじゃないんだよね。それは何でかって言ったら、
関志郎さんの説明では、俳句だから、史上があるんだと。
詩上?
はい。要するに詩があるってことですね。
不勢、不勢と言ってもいいんですけど。
があるかないかが、あるあるネタと自由律俳句の違いだって言ってて、
現代戦理もポエムなわけですよ。
だから、詩上は読めるはずなんだよね。
はずっていうか、読めるんだよね。
これからは過半生っていうことと、
詩上っていうのを積極的に読み取っていこうかなって僕は思ってます。
で、例えばなんですけど、
最近ね、僕の作った空、戦慄空海混沌で私が発表した空を、
例えば自分で見てみようと思うわけですね。
そこに詩上があると思うんだよ。読み取ろうとすれば。
はい。
最近僕が作った空で、月報混沌の中で、
アーケード街とは思えないくらい。
アーケード街とは思えないくらい。
これやっぱ詩上があるんだよね。
ある?感じる?
詩上がどういうことなのかわかんないですけど、
まあどうでしょうね、場所と視点があるから、
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まあ想像は膨らみますよ。
どこでどういうふうになったのかなとか。
詩、そこに詩は読み取れない?
もうちょっと風情とか悲しさ、切なさとか。
どんな形をしているんだろうとか。
形?
例えばここで言うアーケード街は、
アーケード街とは思えないくらいっていうくらいだから、
どういう雰囲気なのかしらとか。
詩は感じない?
自分の、
想像。
詩声っていうのがよくわかんないんですけど。
詩だなーとか、切ないなーとかでいいじゃん。
風情。
あー感じる感じる感じる。
感じる?
個人的な記憶と結びつけて、
こういう感じかなっていうのが。
ちょっと説明してもらえる?
この句を読んだ時に、
アーケード街とは覚えないくらいっていうのをストレートに捉えて、
じゃあどんなアーケードだった、アーケード街なのかしらっていうのを、
自分の記憶と結びつけて、
こんな風だったら、自分もアーケード街とは思えないなーみたいな、
姿、形とか雰囲気とか。
ちょっと切なくなるまで説明してくれない?
切なさをこちらが理解できるまで説明してくれない?
なんかシャッター商店街を見た時の虚しさとか、
シャッターに、
日中にそのシャッター商店街を見て、
不正教だった時のことを思い出したりとか。
なるほどね。
過去と現在の際みたいなものに、
面白くなったり悲しくなったりするみたいなこと。
いいね、そういうこと。
そういうのを僕はもうちょっと積極的にやっていこうかなって思いました。
せっかく過半生があるんでね。
それは読みの中で、プラス作る時も?
基本は読みの中で、
作る時も一応読みを行う自分っていうのはいるわけだから、
ちょっとそういう視点も作る時にも入れていこうかなって思います。
やっぱり普段忙しいんで、私は。
どの家に泥棒に入ろうかなってさ、
思いつきで入るわけじゃないから泥棒って。
ちゃんとその住人が何時に家を出て何時に帰ってくるかっていうのを、
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あらかじめ情報としてつかんでおけばさ、やりやすいんですよ。
アキスっていうのはね。
っていうのを目星をつける作業っていうのはやっぱり時間かかるもんで、
忙しいですよ、そりゃ。
気楽な家業って思われると思うんですけどね、アキスなんて。
今田さん、毎日短い文章と、
現代線量モチーフにした短い文章を書いてらっしゃると思うんですけど、
それもちょっと物語っぽい短い文章だなと思ってて、
それは姿勢を、
市場を取り込むトレーニングみたいになるのかな?
そうですね、そういう時もあります。
あれはもう書きながらどうなるか自分でも分かってないんで、
市場がありそうだなって思ったらそっちに寄せますけど、
毎回がそうっていうわけじゃないんですけどね。
じゃあこうしようと思って書いてるわけではなく、
わけではないですね。
もう自然と水の雫を落とした時に、
どんな形に飛び散るかってわかんないじゃないですか。そんな感じ。
わかる?今の説明。
わかりますよ。
わかる?とにかく市場があるってことは伝わった?
そうですね。
それだけでも今回は伝わればいいかなと思いました。
とにかく過半生っていうところは皆さんも
感じながら作ったり読んだりしていただければと思います。
すごい今日は講座っぽいですね。
いや全然そんなに上から下へ何か抗議をするような
そういう構造だと思ってなくて、やっぱり現代戦流の前で人は
平等だし、その中で主欲のものとそうでないものっていうのは存在するだけでね。
僕の作るのは主欲側だって言ったらそれだけのことなんで。
側ってよく分かんない。なんか分断を呼ぶな。
自分が全然先生として講座をやってるみたいなつもりで今喋ってるわけじゃなくてね。
本当に誰がどうつくって。
上下でなくて左右みたいな。
誰がどういう風なアプローチで作ったっていいですよ、現代戦流ってのは。
もちろんそうなんですよ。僕が言うことじゃなくて。
ただやっぱりできたものがその主欲なのかそうじゃないのかっていうのは
これはもう歴然とあるわけで。
だってこの形が丸か四角かっていうのは決まってるもんじゃん。
誰が決めるもんでもなく。
で、これが主欲かそうじゃないかっていうのも
誰が決めるもんじゃなくても自然にもうそれは明らかにそうだっていうものなんですよ。
で、僕はその主欲を作る側だって言ってるだけの話で。
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結局ね。
まあまあ、はい。わかりました。
まあまあ、はい。
何もわかってなさそうですけど。
まあそんな感じで、今後もね、現代戦流、皆さんもやってみてはいかがでしょうか。
やるとね、やっぱりこういう風に作るんだ。
ってことはあの句ってこういう感じなのかなと。
鑑賞が進みますからね。
それによって、僕の句が主欲かどうかっていうのもよりわかるようになるし、
僕がその主欲を作る側の人間だって言うとも、やっぱりより実感を持って感じるだろうし。
まあまあ、ちょっとわかんなくなっちゃった。楽しみにしてます。これからは。
楽しみにしてるんだ。ありがとう。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
聞いていただきありがとうございます。
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