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2024-12-30 51:14

第179回 アメリカの巨匠、最後の二部作『通り過ぎゆく者』コーマック・マッカーシー著

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【今回の紹介】

『通り過ぎゆく者』コーマック・マッカーシー著、黒原敏行訳、早川書房

https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0005210309/

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パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。ぜひお聴きください!

【今回の内容】

マッカーシー最後の二部作を2週続けて紹介/主人公ボビーの悲しさを自分も抱えながら読んだ/コントールできない世界観/著者&作品紹介/今までにない理系の話/世界対人間の関係を描く/通り過ぎゆく者という書名について/ボビーと周りの人たちとの哲学談義/マッカーシー作品に共通する魅力的な文体/ストーリー紹介/前半と後半で読み手のテンションが変わっていく/定番の展開と違うところ/主要人物の紹介/ボビーはどうしてシェダンやドビュッシーと出会ったのか/印象的なシェダンやキッドとの会話/ボビーがキッドと会話するのはどういうことか/告知:乙女の海外文学案内のブログで特集記事ができました/次回予告

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ーーーーーーー版元サイトよりーーーーーーー 一九八〇年、ルイジアナ州。サルベージダイバーのボビーは深海に沈んだ飛行機に潜るが、それ以降、周囲に不穏な影が見え隠れし始める。亡き妹への思いを心の奥底に抱えたまま、彼は広大で無情な世界をさまようが……。アメリカ文学の巨匠が描く喪失と受容の物語

【乙女の海外文学案内のブログ】

文学ラジオ空飛び猫たちが特集されました!

素晴らしい記事なのでぜひ皆様お読みください!

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サマリー

今回のエピソードでは、コーマック・マッカーシーの最後の二部作『通り過ぎゆく者』が紹介され、主人公ボビーの苦悩と喪失感が描かれています。彼の世界観は、理想や努力が必ずしも幸福に繋がらないという現実を示しています。作品は、ボビーの哲学的な対話やサルベージダイバーとしての生活を描写しています。物語は、彼が過去と向き合いながら不審な状況を解決しようと奮闘する姿を描き、アリシアの精神的な葛藤とも交差しています。『通り過ぎゆく者』では、孤独と自己の存在意義を問うボビーと妹アリシアの心の葛藤が描かれています。このエピソードでは、物語の展開やキャラクターの背景が分析され、特に二人の関係や彼らが直面する運命的な出来事に焦点が当てられています。また、この作品では、登場人物たちの複雑な感情や人間関係が描かれ、特に悲しみが人生の一部であることが強調されています。会話を通じて物理学や社会問題についての示唆も含まれ、深い哲学的なテーマが織り込まれた内容となっています。

ボビーの苦悩
サルベージダイバーのボビーは、海に沈んだ飛行機の事故現場を見たことで、不穏な影がつきまとい、徐々に居場所を失っていく。
亡くなった妹への思いを胸に秘めて、各地を転々とする。現代アメリカ文学の巨匠、コーマック・マッカーシー最後の二部作の始まり、通り過ぎゆく者を紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、コーマック・マッカーシーの通り過ぎゆく者です。黒原俊幸さん役で、早川諸坊から2024年に出版された本になります。
はい、コーマック・マッカーシーは2023年に亡くなってしまって、この作品が2022年にアメリカで発売されてたんですよね。
そうなんですよね。16年ぶりの新刊で、その前が2006年に出たザ・ロードだったんで、すごいですよね。16年ぶりの新刊っていうので、出版されるとき、僕もすごい注目していて、翻訳がいつ出るんだろうってずっと間違えていましたね。
今回来週もですね、コーマック・マッカーシーの作品紹介するんですけれども、ステラマリスですね。これ二部作というか、同じ作品のような括りになっているものなので、ちょっと2週に分けて連続で紹介しますが、アメリカだと2ヶ月遅れで通り過ぎゆくものの、2ヶ月後にステラマリスが出てる。
日本の翻訳は2作同時刊行という形だったと。コーマック・マッカーシーの最後の作品ということで、注目を浴びていましたが、ちょっと紹介はしようと思っていたんだけれども、だいぶ引っ張ってきちゃいましたね。
発売されてから、数ヶ月ほど経ってからの紹介にはなるんですけれども、年末年始の時間があるときにようやく読めたんで。
そうですね。
作品の特徴
そうですね。マッカーシー読むのは結構大変なので、今回560ページぐらいですね、通り過ぎゆくものが。なかなかボリュームだったんで。
ステラマリスはちょっと260ぐらいかな。合計で800ぐらいかな。800ちょっとぐらいのボリュームなんで、結構大変でしたが、マッカーシーでしたね。世界観は。
今までラジオでもザ・ロードと越境というマッカーシー作品の中で代表される2つは紹介してきたんですけども、
本当、マッカーシー作品に共通するところもあれば、ちょっと今までのマッカーシー作品にはない様子もこの新刊にはあったりして、いろんな見方ができる新刊だと思いましたね。
そうですね。じゃあちょっと行きたいんですが、ちょっと三枝さんの感想から行きましょうか、今回は。
そうですね。
三枝さんはマッカーシー大好きで。
そうですね。好きな作家の3に入っている作家で、新刊を楽しみにしていたんですけども、あと今回の新刊が現代が舞台で、結構マッカーシー作品今まで、過去とかちょっと過去とか未来とかでは現代が舞台というのもあるのはあったんですけども、
現代が舞台でどういう小説になるのかなっていうのはすごく期待していたところではありました。で、主人公がボビーという青年なんですけども、読んでいくとこのボビーの子の抱える悲しさっていうのがとんでもなく大きくて、
もう本当に海の底ぐらい果てしないような、そんな悲しさというのを実は抱えているっていうのを小説読んでいくとわかってきてですね。なのでその悲しさっていうのをしばらく自分もちょっと抱えていましたね。
小説読み終わった後もそれがなかなか抜けないくて、ちょっと呆然とするような、そんな読みごたえがありましたね。
ああ、なるほど。そうですよね。我々ザンレターっていうメルマガをやってるんですけども、毎週有料版に入っていただいてる方には、私とみえさんの日記のような文章が毎週届くようになってるんですけど、みえさんがこれ独領直後の文章を。
感想書いてましたね。
感想書いてて。あれ結構ね、同じとこに書くんだけど、どっちが先に書くか結構いつも我々で、確かその時はみえさんが先に書いてくれてたのかな。あ、違うか。じゃあ配信してからか。
そうですね。
ああ、そっか。じゃあどっちかなんですよね。自分が書く前に見るか、書いた後配信されたものも自分が読むのか、いつもどっちかなんですけど、それを読んだ時にめちゃめちゃもう始まってるなと思って。
そうですね。
独領直後の熱い文章が読めて、あ、ここでもう始まってるのかとか思いながらちょっと思いましたが。
そんくらい影響を受けてしまいましたね。読んでる時に。
そうですね。で、私も読んで、ほんとこれ後半になればなるほど、この主人公ボビーがですね、悲しみやら孤独やらやるせなさやらっていうのがもう積み重ねって言って、なんだろうな、なんかこうまでして生きなきゃいけないのかみたいな、なんかそういう気持ちでもなったりもしたし、
自分がコントロールできないもの。歌詞の作品ってやっぱりコントロールができないんだなっていうことを結構突きつけてくる。自分の世界があって圧倒的にやっぱり世界に巻き込まれていくっていうか飲み込まれていく。その中で必死に生きていくみたいな、そういう作品が多くて。
その世界観がやっぱり今回もすごく出てて、ラストの方になるにつれて結構強くならなきゃなっていう気持ちになった作品ですね。じゃあそんな感じですが、いきましょうか。
いきましょうか。では著者紹介していきたいと思います。コウマクマカ氏は1933年アメリカのロードアイランド州で生まれて、大学を中退すると1953年、20歳の時に空軍に入隊して4年間従軍をしていました。
その後作家に転じてしばらくは日の実を見なかったんですけども、1985年ブラッドメリディアンですね。これが評価をすごく高めて、その後国境三部作と呼ばれるすべての美しい馬ですね。国境三部作の第一作となるすべての美しい馬で全米図書賞や全米秘書家協会賞というのを取って大衆作家、大衆向けの小説ですね。
でも注目を浴びるようになって、そこからもうアメリカを代表する作家として知られていくことになります。その後も越境であったり平原の街ザロードであったり、ノーカントリーですね。ノーカントリーフォールオールド名前で出ていますけども、であったりでもう世界的なベストセラーというのを出している作家さんになります。
2023年ですね。亡くなられたという。なかなかその小説家にもいろんな方いると思うんですけど、なんか鴻幕若足みたいなちょっとあの勝手な印象も入っているかもしれないんですけども、ここの存在みたいな人ってなかなかいない気はしていてですね。
なんかあんまりその文壇とつるんだりっていうのはしていないというか、文学業界、文壇の中に身を置いていないという感じがすごくしてですね。
最初作家になってその後しばらく売れていない時期っていうのが長かったんですけども、書いていた小説も本当にとてもじゃないですけど、大衆受けするようなものではなくて、結構どぎつい話とかを書いていたりとかしてですね。
世界との関係
思いっきりはブラッドメリディアみたいなすごい作品を後に発表するっていうので、なかなか売れるためにとかそういう感じで書いている作家ではもう全然なくて、でも作家をやってるっていう。
他にはいなさそうだし、なんかもうベクトルが完全に自分の作品にしか向いてない感はあるよね。
そうです。
表現したいものはもうこれなんだっていう。
カーシーはそうやってちょっと文壇にはあんまり身を置いてないような印象は勝手に持っているんですけども、いろいろ調べるとですね、もともと科学とかそっちの分野の理系ですね。
もうちょっと志していた時もあったみたいでして、結構もう60代とか入ってからですかね、アメリカの方のノーベル賞を取るような科学者の人とも進行を深めていって、
そうした縁で、研究所ですかね、科学系の、そこにフェローとして身を置いて、結構そういう数学者、科学者、そういった学者の人たちとは進行を深めていったっていうですね。
というのが言われていてですね。
今回の小説2つではもうまさにそういったマッカーシーがおそらく進行を深めていたであろう科学者や数学者や、そういう人たちから見聞きしたであろう、
かなりの数学の話とか物理の話とか宇宙の話とか、そんなのがたくさん出てくるので、この辺りはもうかなりマッカーシーが本当に好きなその分野について書いているんだなっていうですね。
というのが今までのちょっと作品とは全然違うなとまず思ったところではありましたね。
なるほど。
ここからそんな作品紹介していこうと思います。
まず半元ホームページからですね、ちょっとあらすじ引用させていただきます。
ザ・ロードの巨匠コーマック・マッカーシー最後の2部作登場。
1980年ミシシッピ州サルベージダイバーのボビーは深海に沈んだ飛行機に潜るが、
それ以降、周囲に不穏な影が見え隠れし始める。
亡き妹への思いを心の臆測に抱えたまま、彼は広大で無情な世界を彷徨うが、
アメリカ文学の巨匠が描く喪失と需要の物語。
ザ・ロードの巨匠コーマック・マッカーシー最後の2部作登場。
ちょっとこれだけ読むと、なんかいろいろドラマがありそうな感じがいけると思うんですが。
そうですね。主人公ボビーがサルベージダイバーという、なかなか聞き慣れない仕事をしていたりとか。
亡き妹とかいろんなキーワードが出てきましたけども。
ちょっとそのストーリーとか入る前に、先に作品の特徴ですね。
触れていきたいと思います。
まずはコーマック・マッカーシーの作品に共通する点ではあるんですけども、描かれているのが世界と人間との関係ですね。
を描いていると。よくある小説だと人間同士の関係とかですね。
そういうのは描かれがちかなと思うんですけど、マッカーシーはまず世界があって、その中でその世界と人間がどう関わっていくのかみたいな話をですね。
結構今までの小説でも書いていて、今回もそうなのかなと思っています。
これも役者跡書きでも書かれていることではあるんですけども、役者跡書きの中ではざっくり言うなら、マッカーシー作品の提示する世界観は、
世界は人間の理性や理想や善意を侵食してくれないということになるだろう。
侵食というのは汲み取るとかそういった意味なんですけども、人間の理想とか、あとはよく因果関係とかっていう中でこんな苦労があったから報われるだろうとかですね。
こんだけ努力したから幸せになれるだろうとかですね。そういったのって人って想像したりするかと思うんですけど、
世界はそうじゃないともう理不尽だと。いくらどんだけ努力して苦労を乗り越えたとしても、その先に幸せが待っているとは限らないとかですね。
というような世界を提示しているなというのがマッカーシー作品の共通するところで、今回もですね、ボビーという主人公がそんな世界の中で自分なりにもがいて生きようとするというですね、そういった姿が見れると。
ちょっと何ページか忘れちゃったけど、ちょっと付箋を張らなかったねなんだけど、誰かとの会話の中で人間が日々を通り過ぎていくんではなくて、日々が人間を通り過ぎていくんだみたいなスリフがあったと思うんですけど。
世界からするともう人間なんて、そこに存在しているだけで何でもないと。そこにどういう思いがあって動いていようが、何を期待して動いていようが、それが叶うか叶わないかっていうのはもうその時々の流れとか、ありようとかでしかないという感じだよね。
タイトルの意味と哲学的対話
だからそれも役者跡書きで、最後にそのニュアンスに近いことを述べられてて、このタイトルのところですね、そもそもがザ・パッセンジャーというタイトルで、旅人とか通行人とかそういった意味合いをするんですけども。
で、今回通り過ぎ行く者というのが日本での公約のタイトルになるんですけども、後書きの中ではこの主人公ボビー自身が旅人になると、ザ・パッセンジャーというのはボビー自身を表しているんじゃないかと。
で、人は誰でもこの世界、それ世界っていうのはイコール宇宙ですね、の長い時間の中で束の間の精を得て世界を通り過ぎ行く者であるという世界観があり、タイトルのザ・パッセンジャーはそれを表しているのではないかというので、役者の人が考えて通り過ぎ行く者のタイトルにしたというので。
そうですね、この果てしなく広くて長い時間がある世界の中で通り過ぎていく人、一瞬の人、そんな旅人の一人が主人。
すごくいろんな意味をここに持たせているような気はしていて、本当通り過ぎていくだけっていうものとか、このボビー時代のこともそうだしね。後書きにも書いてあるけど、あの乗客ね、あの消えてしまった乗客とかね、そのあたりも含めてるんだと思うんだけど。
そんな今の世界観みたいなところと関連するんですけども、作品の特徴の2つ目ですね。主人公ボビーが周りの人たちと交わす哲学談義っていうのがふんだんに作中で出てくるんですけども、そこも大きな特徴となっています。
物語の中でボビーは何人かの重要な人たちと出会って、彼らと会話するんですけども、その会話の内容っていうのが意外と物語とは直接関係がなかったりするんですね。物語としてはボビーがサルベージダイバーの仕事をして、自己現場に行った後、急に不穏な影というか誰かに追われているような感覚になって逃げるんですけども。
その物語とは全然関係がない。この世界とは一体何なのかみたいなかなり哲学的な内容ですね。というのを周りの人たちとボビーはそういう哲学談義みたいな話をしていくと。
そこに出てくる親友のシェダンとか探偵のクラインとかですね。そういった人物との会話っていうのは最初は物語上で出会って話していくんですけど、だんだんそんな哲学の話になってきて、そういったところもかなりこれは何なのかと思いつつもでもすごく面白い内容なのかなと思うところですね。
結構ね会話がなんというかテンポ良くて読み入ってしまうところだったんだけども。今言ったあの特にこの二人との会話、他の登場人物とも結構深い話とか結構してるんだけど、あのバーでちょっと隣になったおじいちゃんとかがあるんだけど、この二人とか多くて。
シェダンの方、友人のシェダンの方は結構口が悪くて、あのやからっぽい感じがすごい、実際犯罪者なんだけども、やからっぽい感じな訳し方もされてるんだけれども、なんか気づくと深い話してるみたいな感じで。
クライン逆にクラインはめちゃめちゃ丁寧なんだよね。すごく丁寧で、でいつもワインとか飲みながら食事しながらゆっくり話すんですけど、かなり丁寧で。それでゆえなんか話がこう深い哲学の話というか人生観の話とかになってたりとかして、ここは読んでて楽しいというか。
真っ赤足の作品でいうと、越境とかもこういうところあったと思うんだけれども、こういう主人公が厳しい状況に追い込まれてるけれども、こう深い話が出てきてそれに対して会話することによって生きていくことに対して何だろう、強くなれるようなところもあるかなと思ったりして、ここがすごく真っ赤足作品の特徴であるなと思いますね。
ボビーのサルベージと過去
結構ね、このクラインという人もすごく優しい人ではあるんですけども、一方ですごく確信をついている人でもあって、ボビーが今追われている立場だけども、ちょっとクラインにとって楽観的な行動とか発言をしていると、そこにかなり警告をしてきて、それはボビー自分の立場をわかってるのかと、
そういうちょっとでも楽観的なことを言うと、こうやって釘を刺して、そんなこと言ったら次こうなるよって言って、実際にかなりピンチになったりとかですね。そんな世界がどうなるかっていう、どんな世界なのかっていうのは本当にわかってる人物でもあるのがクラインですね。
ちょっと作品の特徴の最後ですね、この文体ですね。真っ赤足の非常に美しい文章で小説が書かれていますし、胸がなくてというところも特徴かなと思っています。この文体というのも真っ赤足の小説に共通する魅力的なものだと思っているんですけども、今回の通り過ぎゆくものでもその文体を味わえることができます。
やっぱり真っ赤足の文章だなと思うところはたくさんあるんですけども、読み上げるとですね、34ページなんですけども、本当ちょっとした風景描写みたいなものかなと思うんですけども、それが非常にいいのでちょっと読み上げます。
川をこだっていくのは一石の穂を巻き収めた古風な帆船。黒い船体に金色の万石競水船標。橋の下をくぐり灰色の河岸地帯に沿って進む夕日の幻影。倉庫と水筒と高いガントリークレーン。
アルジア地区の港にはリビリアセンス席の錆びた貨物船が何席も保留されている。歩道を行く人が何人か立ち止まって眺めていた。その別の時代から抜け出てきたような船を彼は線路を渡り、ディケイター通りからセントルイス通りを得てチャーターストーリーを進んだ。
ナポレオンハウスに近づくと店先に並んだ小さなテーブルから古いなじみたちが声をかけてきた。別の生活でいつも声を合わせる連中だ。こんな風に始まる物語がいくつあることだろう。
ここからですね、また主人公の物語の展開が始まっていくんですけども、こういったちょっとした字の文っていうのは本当大きな作品の中のちょっとしたところなんですけど、そういったところにもマッカーシーの文章を味わえるところがたくさんあるので、すごくマッカーシーファンにとっては今回のこの通り過ぎ行くものも、
本当読んでるだけでかなり心地の良い文章っていうのがたくさんあるので、だからすごくね、今回も本当読んでるだけでちょっとね、幸福感感じるようなところはありましたね。
確かにね、読みやすい部分も、ちょっとね、字の文が、あ、字の文じゃない、セリフが全部字の文の中に入っちゃってるので、この形式慣れない人はちょっと読みにくいかもしれないけど、慣れてる人はね、結構字の文とセリフの境目がちょっとわからなくなるところがあったりして、そこが逆に良くて、今めいさんが言ってるようになんか端的に美しい文章みたいのも多いし。
そうですね。なんか心理描写とかもないので。
あ、そうだね。
そうですね。ほんと見たこと、書かれてることをね、からもうちょっと想像してっていうか。
確かに。
もうそれをね、追いかけていくだけでいいので。
割とそうだよね、マッカーシーの作品共通してるけど、割と見た順番になんか、主人公が見た順番に情報が入ってくる形が多いよね。
うん。
それが結構割としっかり描写されるっていうか。
うんうん。
じゃあちょっと今からですね、この通り過ぎゆく物、ストーリーをざっくり話していきたいと思います。
で、来週紹介するステラマリスにも、なんというか、繋がってる話というか、繋がってるというか、前後してるというか、そういう感じになってしまうんですけれども、
ステラマリスの方でもいろいろ補完はしていくので、ぜひちょっと来週も聞いていただけたらなと思うので、この辺りちょっとストーリーが補完しちゃってるっていうところだけ、この段階では伝えておこうと思います。
この通り過ぎゆく物なんですけど、基本的には大きく分けるとパートが2つあって、アリシアのパートとボビーのパートに分かれています。
で、これが一応交互に描かれていくような形になっています。
最初ちょっとアリシアのパートから始まるんですが、とはいえ実はメインはボビーの方なんですけれども、アリシアのパートの方は、このアリシアという女性がですね、精神病を患っていて、
これもおそらく幻覚だと思われるんですが、幻覚で現れるキットというですね、人物との会話を中心とした、少し変わったというか、あまり整合性の取れていない、結構思理滅裂な内容になっています。
なのでちょっと精神病の話なんだなというのは、わりと分かりやすいんですけど、というか思理滅裂なのはキットの方なんですよね。
アリシアの方はわりとまともなんですが、キットっていう人物がめちゃくちゃなことを言い出すと、それもアリシアの幻覚なんだろうと思われるんですけど、だと思うんですけども、それの会話に付き合っていると疲れ果てていくアリシアみたいなのが描かれてきますね。
ボビーの方なんですけど、ボビーの方はまず1980年、これ一応現代といえば現代ですけれども、2024年、25年から見ると45年前ぐらいのアメリカなので、もちろん携帯とかもないし、いろんな文化なんかは80年代のものになっているので、その辺りはちょっと留意して、このあらすじやら本を読むときは留意していただければなと思います。
ボビーのパートはこの1980年にルイジアナ州で海に沈んだ飛行機のサルベージをボビーがするところから始まります。
この時に飛行機の中に死体が9人いたんですね。なんですが、ブラックボックスみたいなものが飛行機の操縦席にあったのかな、から持ち出されていたりしていて、ちょっと不審な点があると。
もともとボビーと3人でサルベージに行くんですけど、このサルベージの目的は生き残っている人がいたら救助するっていうためだったので、もう全員死んでいるので一旦戻ってくるっていう形になります。
その後、これ会社がやっている業務なんですけれども、ボビーの周りに不審な人物が現れ始めて、この飛行機のことを聞かれたりします。持ち立ってないかとかいろいろ聞かれますね。乗客名簿があるって言われて、10人いたって言われるんですけど、9人しかいなかったということで、そこがちょっと整合性が合わず。
その現れる人物もどういう立場の人間かわかんないですよね。もう不審でちょっと怖くて。とはいえボビーは昔作品の主人公に多いんですけど、それに対して通常通り毅然と向き合っていくっていうところですね。
ただ結構いろんな変なことが起きたりしたり、ボビー自身ですね、この10人目っていうのがいたのかっていうのをちょっと調べ始めたりとかして、いろいろボビーもつかんだりしたこともあったりしながら、彼の周りにまたちょっと不審な動きが多くなっていって、家をですねちょっと出たりして、ホテルかなとかに泊まったりとかしながら、自分が見つからないように動いていると家が荒らされていたりとか。
あとちょっと自分はもう衝撃だったんですけど、彼が飼っている猫がそれで逃げちゃったりとかね、逃亡を余儀なくされますね。で、その逃亡するといっても、またサルベージュの仕事をしたりとか、最初はねちょっといろいろ点々とし始めるんですけれども、その中でですね、彼の過去、これ改装って形なのかなあれは。淡々と語られていくよね、ボビーの過去が。
時系列がなんか過去に戻るようなイメージだったけど。妹のことですね、さっき言ったアリシア、精子病院にいるアリシアのこととか、祖父母が残した金貨、これです。これすごい大量の金貨があったんですけど、それで換金して彼は妹は大量のお金を手に入れるんですけれども、それを元で彼はイタリアでロードレーサーになって。
サルベージ後の不審な出来事
結果、ロードレーサーというか自動車事故になってしまって、ちょっと精子をさまよいながら無事生きてはいたんだけれども、もうロードレーサーの仕事ができなくなって、アメリカに帰ってきてサルベージュの仕事をするようになって、っていうような形のこととか。他にもちょっと過去のことが語られてきます。
彼はもういろんな逃亡をし始めますね。なんですけれども、結構不可解なのは、ちょっと自分のお金を引き出そうとしたら銀行口座が差し押さえられていたり、車が差し押さえられていたりしています。だからもう国というか政府側が彼を追い始めているというか、彼を捕まえようとしている。パスポートも執行させられたりとかしていて、もう実際何でこういうことになっているのか全然彼はわからないまま、どんどんどんどん立場が悪くなっていくっていうことが起きますね。
その中で頼る人も限られていくので、結構孤独に彼はなっていくというところですね。っていうのが後半になるにつれて描かれてきます。
この妹の方なんですけど、交互に描かれ妹の方なんですけれども、このキットというのとの対話がメインなんですけども、このキットっていうのがサリドマイドジという設定というかっていう描かれ方をしていて、ちょっとキケイジなんですね。
で、よくこの中ではヒレっていう単語が出てくるんですけど、多分手が魚のヒレみたいなキケイになっていてパタパタしてるっぽいんですよね。そういうキットという人物とアレシアは会話をしていきますと。
キットが結構わけのわからないことを言ったり、明らかにアレシアを怒らせようとしていたりとかするし、あとまた自分がこれだけのことをやってやったのにみたいなことを言い出したりとか、ちょっともうわけのわからない状況になってきますね。
妹の方はですね、その会話の中からも見えてくるんですけれども、あとボビーのパートでもちょっと見えてくる部分はあるんですけど、この兄と妹はですね、結構愛し合っていたというか。
実際にはそういう結ばれるようなことはなかったんですけれども、兄弟というよりは人間というか異性というか、そういう形で愛をお互い持っていたと。愛情をお互い持っていたと。
妹はですね、兄への思いっていうのがかなわないっていうことに対して、かなり気をもめていたりしていて、それだけじゃないんですけども、精神病院に通って入院してという形になってきます。
これはもうあらさしでもなき妹と出てくると思うんで、言っても構わないと思うんですけれども、自殺をしてしまうという形になっています。
実際にこれ自殺するシーンっていうのは、ネタバレ立ちがあるかもしれないけど、本編中では描かれませんね。
ずっと自殺した妹っていう形で妹のパートが描かれていくっていう形になる。
だから読者としては、この幻覚と思われるキッドと会話している妹は、この後に自ら死を選ぶんだなっていうのは、分かった状態でずっと読み続けるという形になってますね。
主要なキャラクターの紹介
一応この小説の最初の最初に、アリシアンの自殺に関連するような話がいきなり入ってくるんですけど。
森とはソナとキッドとそういう会話をしたりするんですけど、直接的には書かれてないんですかね。
このボビーにとっては、妹アリシアンの自殺っていうのはものすごい大きな彼にとっての喪失であって、それをもうずっと引きずって生きているという話になってますね。
これが大枠ですね。ちょっとどこまでどう話すか、ネタバレのところにはかかってきちゃうんで。あれなんですけども、最初前半は結構スリリングというか。
さっき話を聞いてても、サルベージの仕事をしたら乗客が一人いなくなって、それによって追われる身になり、なぜ追われるのかも分からないんですけども、追われる身になってどんどん追い込まれていくっていうのは結構スリリングな話で。
一体何なんだろうこれはって、すごく興味を引かれて前半読んでたんですけど、後半はこれ本当マッカーシー作品の真髄というか、あの部分だなと思うのは、そんな物語のことなんか結構どうでもよくないんだけども。
前半は置いといて、生きるとはみたいな、そういう話にどんどんどんどんなっていって、どうしようもないことに巻き込まれて孤独になっていく。その孤独な状態でどうやって生きていくのかみたいなところが描かれていくので、この前半と後半で別にどこかでスパンって切れてるわけじゃないんですけども、緩やかに読み手紙のテンションが変わっていくっていうか。
そういうのもちょっとこの調子においては大きなポイントかなと思いますね。
そうですね。マッカーシー作品で今まで越境とかノーカントリーとかは始まって最初の方で事件とか起きるんですね。殺人とか、主人公とかがそこ出くわして、その後また戻ってきたりするんですね。
人を助けようと思ったりとか、それで戻ってきたせいでなんかちょっと悪に追われてしまうみたいなのがですね、結構共通してあったんですけど、今回も10人目の乗客がいないっていうので、そのせいでボビーはちょっと不審な影に追われることになるんですけど、ボビーがまた事故現場に行ってですね、10人目の人はもしかするとあそこに逃げたんじゃないかみたいなので、ちょっと確かめに行くシーンがあってですね。
それを読んだ時にこれはもうマッカーシー作品の定番の展開で、そこでボビーが後付けられてこの後結構ピンチになっていくんじゃないかなと思ったら案外そうはならなかったと。
なんかそれはそれでじゃあ次の話っていうので、意外とそうなんですよね。今までだったらね、そこからはちょっと話がね進んでいったりするんですけど、今回の作品はそういうまた主人公が事故現場に戻るっていうのはするんですけど、そこでちょっとなんか嫌な予感みたいなものは感じさせるんですけど、その後はなんかね、今まで作品とはちょっとなんか違うなと思うところがありましたね。
そうだね、あのはしごを外される感じはずっとあったな。なんかずっとこうなるかなって思ったら、あ、違うんだみたいなのはちょっと連続してた気がする。
いや、この小説はやっぱり560ページっていう結構なボリュームがあるんですけど、物語を読む要素、プラスあれですかね、ボビーが生きるとはというか、この世界でどう生きようかとか、そこへのとか妹への思いとか葛藤とか、そういったところを感じる小説だなってすごくね思いましたし。
そうですね。じゃあちょっと印象に残ったとこ行きましょうか。
ではですね、今大地さんがあらすじみたいなところを説明してくれたんですけども、実はその説明の中には含まれていないんですけども、結構たくさんの人物が小説には出てきてですね、本の中ではこの人物早見表とかっていうのは特にないので、ちょっとこのラジオの中で簡単にですね、主な登場人物をちょっと触れていきたいなと思います。
まずはこの主人公のボビーと妹のアリシア、これは主人公画なんですけども、特徴的なのはそのお父さんですね、ボビーとアリシアのお父さんっていうのが、実は第二次世界大戦の時に原発の開発をしていた技術者であったというので、結構そこの話もこの作品の中で描かれています。
原発開発はオッペンハイマーが指揮していたんですけども、その下で働いていたという設定で、僕は映画のオッペンハイマーをちょっと今年見ていたんで、結構映像的に想像することができましたね。
そうなんだ、見てないからな。
ちなみにこの原発開発の話とかは通り過ぎ行くものよりステラマリスの方で結構より多くの説明がされていたりしますね。
あとお母さんですね。お母さんについてはそんなには触れられていなくて、ちょっと若くして亡くなってしまった人にはなるんですけども、この調節の中では通り過ぎ行くものの中ではそんなに描かれていないと。
むしろおばあちゃんですね。おばあちゃんが作中で登場して、結構ボビーと仲がいいというか、おばあちゃんはすごく信頼されていて出てきたりします。
あと主要な人物としてはサルベージのダイバーの同僚ですね。オイラーという同僚。この人が元々ウルトラマン戦争に従軍していた軍人で、結構ですね、そういう戦争の時の印象的なエピソードを語ったりしていたりします。
あとはシェダンという友達、親友ですね。このシェダンも犯罪者みたいなんですけども、結構ね、パッと見で悪そうな人っていう印象なんですけども、すごい哲学的な話をして、一体何者なんだっていう正体がよくわからない人物ではあります。
すごいお金持ちでもあるっていう特徴なんですけど、結構ね、後半の方にシェダンからの手紙とかもあったりして、そこはちょっと感動するところもありましたね。
あとはですね、ドビッシーというですね、トランスジェンダーの、もともとは男性ですけど、今はもう女性で、特に絶世の美女というので、お店とか行くともう誰もが振り返るような絶世の美女で、
このドビッシーがこのすごくボビーのことを好きで、ボビーは友達としてね、見てるんですけど、ドビッシーは自分のことを愛してほしいと思ってるようなですね、でも友達関係みたいなんですよ。
このドビッシーとも結構深い話をしたりします。で、あとはクラインですね。クラインっていうのは私立探偵で、ボビーがちょっと追われるような身になった時に、
ちょっとね、相談というか助けを求めたりする人物で、結構話の途中からですね、このボビーとクラインの2人の関係というか2人の話っていうのが、この作品のキーになってきたりしてきます。
物語のテーマとディスカッション
他にもたくさん人物出てくるんですけど、主要な人物とこういったところをですね、僕はこの小説読んで結構不思議に思ったのは、ボビーが特にこの友達のシェダンとかドビッシーとか、どうやって出会ったのかなってすごい気になりましたね。
でもあれじゃない?バーなんじゃない?よく飲みに行ったっぽいし、ボビーは。
バーでいろんな人と出会ってたんですけど、とはいえ、バーにこんだけの話があるか。シェダンとドビッシーに関しては、ただの個性的な人ではなくて、すごく成功者でもあって、それぞれ。
成功者でもあるし、癖もあるし、なかなか普通の人だと近づけないかったり、付き合ったりするのは無理な2人かなと思うんですけど、その2人からこのボビーがすごく気に入られていて、バーとかで知り合ったのかもしれないですけど。
たしかに。しかもボビー自体結構会話が好きというか、人を好きするタイプじゃないもんね。
そうなんですね。
あまり自分から何か話しかけに行ったりとか、その場にいたから話が盛り上がるっていうようなタイプの人間ではなさそうだから、たしかにどうやってこういう人たちと何ていうか仲良くなっていったのかはちょっとわからない。
確かに不思議だね。
そうですね。もしかするとそうなんですよね。シェダンとかドビッシーは普通の人からすると、なんか住んでる世界が違ってそうな2人なんですけど、そんな住んでる世界が違ってるところが逆にボビーと感覚とか波長があったのかもしれないですけど、
この超個性的な2人とよく知り合ったなというのがまず気になったところではありました。
あんまり描かれなかったね。
そうですね。
出会いはね。
そうですね。それでもね、そういう物語がないっていうものなのかもしれないですけどね。
クラインもそうで、確かに昔作品はそうなんですよね。物語の中で急に現れて急に重要なことを言う人とかですからね。言ったりするんですけど、その枠とかね、本当クラインなのかなと思いました。
確かに。クラインとの会話もめちゃめちゃ好きでしたね。
良かったですよね。
そうですよね。結構ね、会話面白くて、印象的なところはいろいろあるんですけど、あ、そうですね。
これはちょっとシェダンとの会話になるんですけど、ボビーがシェダンと、これはでもちょっとしたバーか食事かしてる時の会話で、本当雑談みたいなものなんですけども。
ボビーとシェダンの対話
ボビーの妹についてシェダンが聞いて、ボビーが俺の妹のことなんか何も知らないくせに言ったら、シェダンもね、まあその通りだって言って、っていう感じで飲みながら話をしてるんですけど。
シェダンがね、なんかそのみじめさみたいなことを話題に上げるんですよね。なんかボビーがみじめさを溜め込んでるんじゃないかと。
で、ボビーはね、いや俺はみじめじゃないよと言うんですけど、でもね、シェダンが、いやでも何かあるだろう。なんだろう。後悔の日本語。天敵だな。悲劇の基盤、悲劇の塊、悲劇の魂。
しかし悲しみそのものは素材に過ぎない。で、どうもよくわからないな。ボビー言うんですけど、そこに対してシェダンが、もう少しゆっくり話そうか。
悲しみは人生の素材だ。悲しみのない人生なんて人生じゃない。だが後悔は監獄だ。あんたが心の底から価値があると考えている。
あんたの一部は、あんたにはもう見つけられないが、絶対に忘れることのない、別れ道に永遠に釘付けになっている。
で、それに対してボビーが、いやあんたは訳のわからない話をする免許でも持っているのかって言ってですね。
まあそうやって話がね、どんどん続いていくんですけど。なんかね、一見するとね、なんかこのボビーからすると、なんかシェダンになんかよくわからないことを言われてるなっていう感覚なんですけど、シェダンの言ってることだけを読み取ったりするとですね、
結構ね、悲しみは人生の素材だ。悲しみのない人生なんて人生じゃないとかですね。これはっていうね、なんかセリフがあって。
深いよね。深いは深い。
こういう面白いセリフがいっぱいあるんですよね。そんなボビーと登場人物たちの会話のね、ちょっと面白いところが結構あるっていうの。
あとですね、ボビーももともと物理学の勉強をしていて、最初は数学とか興味があったりして、やっぱりお父さんとかの父かもしれないんですけど、すごい優秀だったんですけど、
そういう研究の道からはね、途中で変わっていって、カーレーサーになったりはしていたんですけど、ただね、そういうちょっと物理学の話とかになった時に、
ボビーじゃないんですけど、そんな話をしてた人が、私は自分に能力があるなら物理学をやるね、何がどうあろうというのを言ってるセリフがあって、
こういうなんとか、もしかするとね、ちょっと真っ赤足の、実は本音みたいなところを作品に書いてたのかもしれない。
なるほど。
ちょっと思ったりしましたね。本当すごいですよね、この物理の話とか、鉄学の話とかもそうですけど、
原発の話があったり、作品の途中、後半の方にはケネディ暗殺の真相の話とかですね、ちょっとどこまで本当なのかみたいなところは置いておいて、
その当時のアメリカ社会の映し出すようなですね、そんな話題というのもね、結構細かく書いていたりして、
本当になんかこのボビーの話の、ボビーがなんかいろんな人と話しするんですけど、そこからもかなりね、物語とはまた別で話が広がっていったりするっていうのがありましたし。
今三枝さんが言ってくれたところみたいに結構会話で印象に残るみたいなの結構たくさんあって、私もいくつかあるんですけど、キッドとアリシアの会話だけど、
440、結構後半なんだけど、問題は物語を駆動するものは物語が終わった後に残らないということ。
部屋が暗くなって声が消えていけば世界とその中のすべてが間もなく存在しなくなることがわかる。
人はそれがまた始まることを信じる。他の人たちの人生を指差す。でも彼らの世界は断じてアンソの世界じゃないのよ。
っていうアリシアのセリフがあるんだけれども、すごいマッカーシーカールだと思って。
僕も付箋貼ってましたね。
ここいいよね。人はまた何かが始まることを信じるけれども、それはもうあなたの世界ではないっていう厳しい世界を見せられている気がして、こういうところとかねやっぱ印象に残るし。
あとはアリシアとボビーとの関係っていうのは徐々に描かれて、どれぐらいお互いが思っていたんだろうみたいのは割と少しずつ見えてくるところなんだけど、
ボビーが海岸でちょっと逃げて暮らしているとき、あそこで漁をしたりとか、漁じゃないがなんか山入ってとかかな。
いろいろ自給自足とか害虫駆除してお金もらって生きているような時だったかなに、キッドがボビーの元に現れるんですよね。
これはどう捉えていいかちょっと分からなかった。
いや、すごいこれはどういうことだろうって思いましたね。
キッドってアリシアがだから見えてる、幻覚で見えるものかなと思ったら、ボビーがキッドと会話してるってどういうことだろうって思いましたね。
これはちょっとどう捉えていいのか。急に現れて急に消えてったしね。
そうですね。でもそういうことかなと思いましたね。
なんかというのもこの最初にサルベージで10人目の乗客がいないっていうので、その後不穏な影につきまとわれるようにボビーだったんですけど、
そのじゃあ10人目の人って一体何なのかみたいなところも、結局一体それは何なんだろうって思わせる。
それはボビーとキッドの会話もそうですけど。
うんうんうん。そうだね、確かに。ちょっとあれか、キッドも含めてネタバレのところに踏み込んでしまったけれども、
でもそうだね、やっぱ不可解なことってのはこの小説結構多くて、それに対して、まっかわしい作品が言えるかもしれないけど説明はないんだよね。
『通り過ぎゆく者』の総評
まあそうだね。
それはやっぱり我々がどう捉えていくかっていう、読み手がどう捉えていくかっていうところなんだろうなとちょっと思ったけど、
うんうんうん。ただ僕はなんかこの通り過ぎゆく読んでる時に、この次のステラマリスに話がどう繋がっていくのか、なんか全然想像できなかったですね。
なるほどなるほど。めちゃめちゃ綺麗に終わったよね。
そうですね。
ちょっとそれはステラマリスにね、ちょっと引っ張っていきましょうかね。
そうですね。
来週の方にちょっと引っ張っていきましょうか。
そうですね。一体ね、ステラマリスがどういう話なのかっていうのは、来週また話しましょうか。
じゃあ最後、感想とどの人に読んでもらいたいか、ちょっと話して、次回予告して終わっていきたいと思います。
で、とはいえ結構、来週ステラマリスまで話さないとちょっとなんというか、この2つの作品総括してお話できないなと思ってるんですけど、
ちょっとね、ステラマリスは単体で読むとちょっとあれかもしれないんですが、通り過ぎゆくものはですね、これ単体で読んでもすごい面白い作品で、
マッカー氏の厳しい世界というか、報われないことっていうのがすごく描かれている気がしていて、
でもそれを単に受け入れるのかっていう感じじゃなくて、やっぱ時間をかけて受け入れていくみたいな過程みたいのがすごく描かれていた小説だったなと思ったので、
この通り過ぎゆくものっていうタイトルもすごくいいし、ちょっとねこれ年末に聴いていただけてるのかなと思うんですけれども、リアタイで聴いてくれてる人たちは。
年末ね、これギリギリだと思うので、年明けとかちょっとね時間があるときに読んでいただけたらいいかなと思うので、ぜひ手に取っていただきたい一冊だなと思いました。
560ページでなかなかのボリュームはあるんですけども、読んでいくと結構会話が多かったりして引き込まれるところがたくさんあったので、
意外と夢中で読んでいると思ったよりも早く話が終わったっていう印象は自分の中ではありましたね。
いや本当、このマッカワシー作品にはやっぱり引力みたいなものがあるんだなってちょっと思ったんですね。
やっぱりこの何でしょうね、独特の世界観というか、引き込まれるものがあって、読んでいるとちょっとですね、現実世界にマッカワシー作品が入り込んできて、
自分が見ている世界がですね、ちょっと違って見えたりするような感覚が味わえたりするんで、そこの良さとかですね、なかなか他の小説では味わえるものがないんじゃないかなと思うので、
そのあたりはこの作品すごくやっぱり今回も良かったなって改めて思いましたね。
そうですね。そんなわけで、次回はですね、コマクマッカワシーのステラマリスをご紹介しますので、お楽しみに。
最後にちょっと告知やら何やらさせてください。年末ぐらい、12月の半ばぐらいでしたかね、に乙女の海外文学案内というブログがありまして、
そのブログでですね、そらとび猫たちの特集ページを作っていただきまして、紹介本の一覧が入っていて、めちゃくちゃ感動したということがありました。
これ結構このリスナーの方々でもですね、見るとなんかすごく整理されていて感動すると思うので、ぜひですね、一度この乙女の海外文学案内というブログですね、見ていただけたらなと思います。
本当運営されている方にはね、感謝でしかないですね。
そうですね。概要欄で案内していると思いますので、見ていただけたらなと思いますね。
今までラジオで180作ぐらいですかね、紹介してきてるんですけど、自分たちでもそれをまとめるのがですね、なかなか大変で、本当そういうまとめれたらいいなと思ってはいたんですけどね。
この乙女の海外文学案内さんがすごく綺麗にページを作ってくれて、海外文学とか探す参考にしていただけたらなと思いますね。
われわれのページだけじゃなくて、われわれのページなんか本当一部なんで、いろんなテーマでね。
サイト自体がね、かなり巨大な海外文学に特化して、いろんな切り口で本を紹介しているサイトで。
本当すごいブログだなと思ったので、ぜひ皆さんも海外文学を探す一つの指標にしていただきたいですよね。
そうですね。
本当これ運営されている深井さんという方なんですけれども、本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあちょっと年末ですが、ちょっといつも通りですね、ちょっと提言のものを読ませていただきたいと思います。
番組の最後になりますが、メルマー会員募集しております。こちら無料版、有料版でございます。
詳しいことはですね、番組概要欄見ていただいて、できれば無料版だけでもいいので登録いただければなと思います。
無料版は海外文学ニュースというのですね、含めていろいろ配信してますので、ぜひご確認ください。
番組の関数やリクエスト、またこの番組を聞いて紹介された本を読みました、見返しました、ございましたら、
ハッシュタグさとみ猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。Xやインスタの投稿などでお待ちしております。
お便りフォームも番組情報欄に載せておりますので、また近々お便り紹介会もやると思うので、ぜひぜひお便りください。
この番組気に入っていただけましたら、積極的に拡散共有してあげると助かります。
じゃああれですかね、良いお年をですかね。
そうなるのか。
じゃあ良いお年を。
良いお年を。
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