天真爛漫で明るい母と冷静沈着で気まじめな父、そこに話し出したら止まらない陽気な叔父が加わり、建国後間もないチェコスロヴァキアでの新しい生活がコミカルに描かれる。
チェコを代表する作家ボフミル・フラバルが、自身が過ごしたビール醸造場を舞台に描いた剃髪式を紹介します。
どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ボフミル・フラバルの剃髪式です。
阿部健一さん役で、将来者から2014年に出版された本です。
はい、この本はですね、久しぶりにこの昔というか10年前かに出版された作品を取り扱うかなと思っていて、最近は割と出たばっかりの作品を取り扱ってたんですけども、久しぶりにちょっと昔の名作をというところになってます。
経緯はですね、これもまたひたにさんと、前回の結婚独の東米ディトロン戦のひたにさんともそうなんですけれども、前回のですね、二階の良い人、台湾の二階の良い人の白渦さんもそうなんですけども、
梅屋敷、梅屋敷ブックフェスタで、翻訳された阿部健一さんとですね、ちょっとお話しさせていただいて、その時、私たち二人とも揃ってこの剃髪式を買って、そのうちちょっと紹介しましょうねという話をしていた作品なり、何気に梅屋敷ブックフェスタ関係が続いてますね。
本当に主催のヨーヨーシャさんに本当にもう感謝です。
いやちょっとまた次もね、呼んでください本当に。
いや本当に呼んでくださいっていうところで。
厳密に言うと、ひたにさんがいらっしゃった回と、阿部健一さんと白渦さんがいらっしゃった回はちょっと違うんですけれども、ちょっとこの絡みで3回ぐらい連続で紹介している形になりますが、
この時ですね、阿部健一さんとお話しさせてもらって、ちょっと何買おうかなって、阿部健一さんが翻訳された本がずらっと並んでいて、何買おうかなってちょっと思った時に、阿部健一さんがですね、これ読むとビール飲みたくなるっていうんで、
もうそれでちょっとそのワードにやられてしまって、じゃあ買いますって言って買ったのが定発式になります。
これと、あともう一個フラヴァルの代表作で、英国王求人に乾杯っていう作品もあって、そっちが紅茶かな、コーヒーと紅茶、そっちは紅茶が飲みたくなるし、こっちはビールが飲みたくなるしっていうので、ビールを選んだっていう形ですね。
あ、で、いずれ私はですね、私は英国王に求人したわ、読みたいなと思ってます。フラヴァルは私一作だけ、これも代表作と呼ばれてますが、あまりにも騒がしいごとくかはちょっと読ませていただいているので、今回実は2作目ですかね、たぶん2作目かな、他読んでないと思うんで、とはいえフラヴァルと言えばね、もうチェコを代表する作家なので、いろんな方が読んでらっしゃるかと思うんですけれども、その中でもちょっと今回は定発式をちょっと紹介したいと思ってます。
で、作品なんですが、今回フラヴァルが自身のですね、母親を主人公にして書いた作品だっていうのは聞いていたので、どんな感じなのかなと思っていたんですけど、ちょっと読み始めて結構びっくりしましたね。
あのまず一人称なんだっていうのが結構びっくりで、なんか自分の母親を主人公に据えたときに一人称って書くって結構勇気いるなっていうか、思い切ってるなって思ったのと、さらにその母親しかも一人称で進むから自覚はないと思うんですけど、めちゃめちゃ破天荒なんですよね。
この一人称でかつ破天荒に描いているっていうのは、個人的には結構衝撃的でびっくりしました。話自体はすごくなんていうか、なんかジェットコースターのような話で、ちょうどチェコスロバキアが急速に変化していくときの作品なので、そのあたりの様子も垣間見える作品ですね。
僕はすごい好きな作品になりましたね。初めてフラヴァルの作品読んだんですけども、なんか今回のはすごく明るめの作品かなと思いますね。語り手のお母さん、すごい天然キャラですごい良い味を出していて、もう一人おじさん、ペピンっていうおじさんが、これもぶっ飛んだかなり面白い人物で、そこに冷静な夫っていう、この3人のやりとりが、
ちょっとね、漫才見ているみたいな感じで、すごい読んでいて楽しかったですね。そうですよね、題材さんに言われたみたいに、このチェコスロバキアの出来てすぐの、国の新しい時代に入っていったっていう、そこの生活を描いているのも読み取れて、すごく面白いですし、そうして読み取れるところもあって、すごいなんか個人的にはもう好きな作品になりました。
そう、ちょっと自分も検索したんだけど、パッと出ることがあったんだけど、低発色、ペピン、フランツィン、ボガンっていう4つのビールが売られてるっぽいんだけど、もう現在も、これ2014年の後書きだからちょっと、2014年だっけ、10年前の情報だからちょっともしかしたら変わっちゃってるかもしれないけど、飲みたいよね、このビールね、美味しそう。
そうですよね、飲みたくなりました。そうじゃなくても、このチェコのビールっていうのをちょっと飲んでみたくなりますね。 うんうん、チェコビールは美味しいでしょ、間違いなく。
そうですよね、ちょっとね、多分飲んだことなかったと思うんで、一回ちょっとどっかで飲みたいですね。
でもなんかこの、ちょっと先に入る前にあれだけど、ビールの話をすると、なんか阿部さんがもうめっちゃビール飲みたくなりますよみたいな感じだったけど、なんかその期待が大きすぎたのか、もっとビールのシーンがあるかなと思ったら、思ったより少なかったなっていう印象が実はあります。
なんかドタバタした話がね、多くて。 確かにね、ビールを一緒に飲むみたいな、そういうところは確かに。結構ビールを作っているこの醸造所の様子も描かれているんで、そういうのを見ると確かにちょっとビール、ここでできたビールってどうなんだろうっていうのは気になりましたね。
そうね、爆画製造所の話とかすごい多いもんね。 ここからですね、作品の特徴を紹介していきたいと思います。その後ストーリーの紹介をしていこうと思ってます。まず特徴の一つ目ですね、登場人物たちが陽気で、しかもシュールな人たちが多いという、そういう人たちの日常が描かれています。
舞台はビール醸造所なんですけども、この語り手であるお母さん、マリシカというんですけども、すごく陽気な人で、その旦那さんですね、フラフラにとってお父さんにあたるフランチンという人なんですが、この人がビール醸造所の支配人をしていて、本当一家で、家は別にあると思うんですけど、職場も家みたいな感じで、日常はそこで暮らしていたりします。
この2人の性格が結構違っていて、このお母さん、とにかく陽気で天然なところもいっぱいあるんですけども、あとすごく美人なんですよね。美人だし、あと特徴としてはこの美しい長い髪を持っていると。その長い髪っていうのが、もうこの街の財産であるかのように周囲から称えられているような、そんな街全体で認められているような、そんなお母さんです。
お父さんはすごい気長面で、真面目でっていうところですね。お母さんのことすごく愛していて、お互いに愛しているんですけども、すごくいい関係を持っています。お父さんは結構ね、このチェコソロバキアが建国されて、近代化の波っていうのが出てくるんですけど、そういったところにも積極的というか、新しいものをどんどん受け入れようという、そういう性格かなと思います。
もう一人重要な人物がペピンおじさんですね。この人はフランチン。お父さんのお兄さんにあたります。名前ヨゼフと言うんですけど、いろいろペピンという愛称であったり、ヨシコとかヨジンとかいろんな呼ばれ方をします。
このヨゼフがペピンか、ペピンがとにかくもう陽気で喋り出すと止まらなくて、めっちゃうるさいっていう、周りからうるさいって言われるんですけども、周りを明るくするような、そんな人物でホラー不器というかですね、あることないこといろんなことを喋りまくるっていう、そんな人物です。
で、あとはビール醸造場にいるグルミトラート博士っていう、これ会長なんで、社長みたいな位置づけですかね。オーナーみたいな位置づけの人です。この人もたびたび登場するんですけども、結構シュールでなかなかいい味を出している人ですね。
基本的には、このマリスカとかペピンが明るい人物なんで、明るい作風なんですけど、ところどころシュールであったり、ちょっとブラックなところもあったりするというですね、そんな日常になっています。ちなみにですけども、この舞台としては、時代か、時代としてはフラヴァルが生まれる前を描いているんで、まだ著者で、僕見るフラヴァルはまだ生まれていないという、そういった時代になりますね。
この辺り面白いよね。自分が生まれる前の母を主役にして、その生活というかね、時代を描いていくっていうのもすごく面白いなと思いましたね。そのお母さんが本当にぶっ飛んでるというか、天真爛漫派天候、なんて言っていいのか、自由だし、なんて言っていいんだろうな、行動のリミッターが外れちゃってるような感じで、すごいなってちょっと思いましたね。
実際にこれどこまで本当のお母さんなんだろうってちょっと思ってしまうけれども、実際にどれぐらいのことがあったのか、ちょっと本当にわからないし、お母さんこんな風に描かれて、お母さんどう思ったんだろうとか、ちょっといろいろ考えてしまうところもあるけれども。
そうですかね。でもこのお母さんが作中の中で、この食事っていうのが単に口に入れるんじゃなくて、私にとって食事っていうのはもうガツガツむさぶるように食べることって言っていてですね。そういったかつれつをガツガツ食べるシーンがあるんですけども、その辺もなんて言うんですかね、従来の女性像というかですね、そういったところとはもう違う。
新しい国になって、そんなお母さんみたいな価値観の人、女性らしくみたいなのよりも、自分はこっちの方が好きだみたいな、そっちを選べるようなですね、そんな薄り代わりも反映されているのかなっていうのは感じて。ちょっと特徴2つ目に移りたいと思うんですけども、そういう人物もそうですけども、このチェコ・ソロバキア建国されて間もない時代の新鮮な生活っていうのが描かれている。
そこが読み取れるっていうところもこの作品の特徴かなと思っています。古い時代から近代化がちょっと進んでいこうとしているですね。そんな時代になっていて、お母さんマリシカとかペピンおじさんのようなちょっと枠にとらわれない人間が生きていける時代なのかなっていうですね。
とか、フランチンのように新しいものを求めたり、成長していきたいと思う。新しいものを求めて成長していけるような、そんな時代かなと思っています。作品の中でもちょっと近代化っていうところで短縮ですね。物を短くしよう。例えばその短くっていうのが、車もそうだし、馬車じゃなくて車で移動も短縮だし、ラジオもそうですね。
音楽が電波に乗って遠いところにあるものがすぐ近くで聞こえるようになるとかもそうだし、労働時間もそうだし、そういったのを見たお母さんが自分のスカートも短くしたら自分はもっと良くなれるんじゃないかとかですね。椅子も短くしてしまおうとか、あと馬の尻尾が短くなっているのを見て、飼い犬の尻尾を短くしようとかですね。
この辺ちょっと話がずれていっちゃうところもあるんですけど、そこも面白いところで、そういう何でも短縮していこうみたいなのもこの新しい時代の一つの流れっていうので感じましたね。
この辺りはちょっと不思議ですよね。犬の尻尾を短くするシーンは、最初自分は毛をちょっと剃って短くするのかなぐらいの感じで読んでたら、本当に切ったんだっていう。ちょっと衝撃的だった。
僕も急にちょっとブラックコメディみたいな展開になってちょっとびっくりしましたけど。
でもフラヴァル的にはブラックコメディの方が持ち味なんだよね。 そうみたいですよね。他の作品とか。
他のお作品に比べるとブラックコメディ薄めっていうこと書かれてたんだよね。なるほどなと思いながら、でもだいぶブラックだったけどね。
そうですね。そこは確かに。あとちょっと特徴最後のところで、これは作中の中で様々なエピソードが魅力的に語られているというところかなと思っています。
その様々なエピソードっていうのは主になんですけども、このペピンおじさんがとにかくあることないこと何でも話し出すと止まらないタイプの人で、普通の会話をしてると思ったらいきなりエピソードを持ち出して語るみたいなんですね。
そのエピソードがもう結構面白いっていうのがありますね。好きだったのが結構ね、このペピンおじさんが最初の方に語るアライグマの話で、新聞で暇な人はアライグマ買ってみてはどうっていう広告がある日入っていてですね。
その広告を見に来た人が申し込んだら、実際に箱に入ったアライグマが1週間後にやってきて、このアライグマが結構なかなかお茶目な感じのアライグマなんですね。
ですけども、家のものがですね、ひっかき回されたり、アライグマの性格でいろいろ分解されたりしてしまって、ちょっと困るので、その人がまた新聞に暇な人アライグマを買ってみてはという広告を出して、アライグマを手放すっていうそんなエピソードがあったり。
それまでの話の展開と全然関係ないんですけど、急にそんな面白いエピソードが入ってくるっていう、そんなのをペピンおじさんが連発していくんで、結構その辺はもうこの作品の面白いところだなと思ってますね。
確かに、でもそしてどこまで本当なのかわからないような、最初のソーセージ作ってるシーンとかもちょっと、血のね、シーンとかもちょっとこれどうなってんだって思いながら読んでたけど、ホラ話というか、結構信じ難いような話が結構展開するときがあるよね。笑えるっていうレベルで。
まあそうですよね。そこまでするかみたいな話が結構あるんですよね。なんか椅子にノリつけて意地悪したりとかですね。サラマンダー社のノリだみたいなやつですね。
結構ね、回れるところではあるんですけど。あとあれですね、もう一つ結構この作品が開業が少なくてですね、ちょっと文章がびっしり入っているページもあったりするんですけども、文体の息が長いなと思っていてですね。それがなんか短い言葉がポンポンポンじゃなくて、結構ですね、もう丁寧に言葉が息長く綴られているような、そのような文章になっていてですね。
本当にじっくり読んでいくと味があるようなですね。僕は結構この文章も好きでしたね。最初読み始めてすぐランプの描写とかあるんですけども、お母さんが燃えてるランプが好きっていうので、そのランプのどういうところが好きかっていうのがですね、結構1、2、3、4ページくらいかな。
語られていたりするんですけども、なかなかそれがもう一気にバーっと文章続いて書かれてるんですけども、すごくいい文章で、そういったストーリーとはまた別ですけども、文章の力っていうのもすごい強く感じているので、この登場人物とかエピソードとかこの文章とか、すごくいろんなところに魅力がある小説だなっていう、そんな印象も持ってますね。
このランプのところはちょっと近代化によって、ランプじゃなくてスイッチをつければ電気がっていうところの話だから、繋がってるから、ここもねちょっと。
ではここからですね、ストーリーの紹介をしていきたいと思います。
まず時代は1920年代初頭で、ボヘミア地方の小さな町、ニュインブルクのビール醸造所が主な舞台となります。
登場人物はファラバルの両親、お父さんお母さんとおじさんにまつわる年代規となっていて、語り手はお母さんマリシカになります。
夫ですね、フラバルのお父さんが支配人を務めるビール醸造所舞台に、チコ、ソロバキア、建国後の日々の様子が語られていきます。
このビール醸造所の社員、経営者とかも含めてですけども、繋がりが深いというかですね、家族のような繋がりを持っていて、お母さんのマリシカも社員とか会長とかと日々ですね、結構ふざけあって遊んだりしていて。
一方で、この夫のフランチンは支配人をしているんで、結構毎日クタクタになるまで働くんですけども、そういう夫を見守ったりしています。
そんなある日ですね、このフランチンの兄であるペピンおじさんが家にやってきます。
ペピンおじさんがですね、これはかなりのお調子者で、ことあるごとにホラーを吹いたりして、このマリシカお母さんを楽しませるようになります。
最初は2週間だけ滞在すると言ってたんですけども、どんどん長くなっていって、何年も結局滞在するようになっていきます。
職はですね、このビール醸造所、日常もそっちにいたりするんで、そこでペピンとマリシカですね、もう2人が結構意気投合するんで、もうね、めっちゃ会話が盛り上がったりするんですけども、それがうるさくて、
もう静かにしてくれと言われるようになったりします。あまりにもうるさくて、ちょっと会議ができなかったりするということで。
さらにですね、そんなことを言われたペピンがいたずらをしてですね、ちょっとさっきちらっと言った、椅子に乗り物をつけたりしてですね、仕事の邪魔もされたりするっていうのでですね、
ちょっとフランチンの悩みの種になっていきます。で、ある時ですね、フランチンがペピンが大声出さないように、マリシカにちょっと見張りをしてくれと言うんですけども、
それでもやっぱりこの2人がうるさいんで、じゃあ煙突に行ってくれというようになります。で、ビール上々に煙突があるんですけども、
そこの煙突まで行くとさすがに声聞こえてこないだろうということで、そっちに行ってくれって言うんですけども、何を思ったかこのペピンとマリシカはこの煙突を登り出してしまいます。
で、マリシカがその煙突上に登って、そこで街を見渡すというですね、ちょっとそんな一幕もあったりします。
ただですね、下の方を見ると消防士とか職場の人たちが駆けつけていて、ちょっと救助しようと。もう2人結構危険な状態だというので、ちょっと一大事になっていたと。
で、この出来事がきっかけでペピンがですね、ビール上々に就職することになります。何でかっていうと黙らせるには働かせるのが一番だということで、もうちょっと仕事をしてもらうということでペピンが就職するんですけども、
ただですね、しばらくするとビール上々でもうすごい陽気なキャラなんで、もう職場まで陽気になっていって、みんなですね、このペピンの歌ったりとか職場の人同士でレスリングをやったりして、そうやってもうすごいですね、職場を楽しませる、そんな風になっていきます。
で、ある時ですね、街ではこのラジオが流行していて、マリシカがラジオで楽団の演奏を聴いて、距離が短縮されるというのを感じます。それを距離が短縮されるというので、ちょっとそこで何を思ったか、自分のスカートを短くすると気分が晴れたし、流行だと言ってですね、犬の尻尾まで切ってしまうというですね、ちょっとそんなこともしました。
で、この犬はちょっと慌てて治療されてしまうんですけども、この後もですね、ちょっと話はいろいろ続いていって、ペピンのこの陽気な職場での様子とか、マリシカの天然ぶりとか発揮されていくんですけども、それをですね、フランチンが後始末に終わりたりするというですね、そんなちょっと面白い展開があったりもするんですけども、フランチンがですね、やっぱりこのマリシカへのこの深い愛というのも持っていて、そこも語られていったりします。
で、マリシカがですね、このフランチンと共に日々を過ごす中で、新しい生活ですね、国が新しい国になって、新しい生活になっていくというですね、そういう転換期を迎えているという、ただの中にいるので、その新しい生活をこれからしていこうというですね、そのためにある決意をマリシカがして、小説が締めくくられるという、そのような話になっています。
ボリューム的にも大体150ページぐらいの中編で、すごくいい長さの話かなと思ってますね。
そうですね、ざっとあれですけども、結構ドタバタした話で、フランチンはね、結構ね、ちょっと語られなかったけど、結構このマリシカに対してプラハに行くたびにお土産を買ってきたりして、すごく心が温まるシーンもあるんですが、このペピンにね、結構大変な目に合わされたりもしたりして、なかなかドタバタした話ではあるなと思うんですけども。
全体的に、悲壮感、ちょっと新しいことが入ってきて、それに関する変化で追いつけない部分っていうところはちょっとあったりすると思うんだけれども、全体的にいろんな明るい話が多い小説かなと思いますね。
そうですよね、なんか今までちょっといろいろ、この作品の背景みたいなところも少し触れたりもしてきたんですけど、なんか単純に面白いと思うので、なんか本当になんか読んでちょっと明るくなったり、ちょっと希望を感じれたり、なんかね、この特にマリシカとペピンのこの2人が面白いので、その辺でちょっと笑えたりするっていう、そういうなんか良さがある、なんか最後まであるなっていうのは感じましたね。
そうですね、結構この話は時代が進んでいって、いろんなものが、ラジオもそうなんですけど、なんかちょっと私わからなかったのは56ページぐらいに出てくる、もうちょっと前かな、これもね、フランツィンが買ってきてくれたお土産なんだけど、なんかマッサージ的な何か買ってくる時があって、これが一体何なのかちょっとよくわからないまま、なんか紫の何だっけな、刈りが出るやつだっけな。
あれ、こうやってオゾン吸引器ですかね。 オゾン吸引器ってこと? なんか最後に出てくるんですけど、オゾン吸引。
これって何?みたいになったけど、もう完全にそのオゾンのあれを吸うと健康になるみたいな、これがもうすごい良いのみたいな感じだよね。 そういう感じですよね、健康とか美容も含まれてるのかな。
美容も含まれてる。なんかね、もうすごい全部に効くみたいな感じだよね。 そうか、美容マッサージかな。
ちょっとぜひ来た時に読みながら何なんだろうこれはって思ってたけど、オゾンの力なのか。ちょっと不思議なこのいろんなお土産が出てくるけどね。
そうですね。結構このフランチンがいろんなアイテムを持ってるんですよね。あと筋トレもしていて、それがちょっと近代的なあれなのかはわかんないですけども、筋トレ道具みたいなものとかも持っていて。
とかあとあれですよね、このフランチンがビールのキャッチコピーとかも頭悩ませながらたくさん考えて、キャッチコピーなかなか浮かばないけど何にしようみたいなんですよ。
なんかそういうのもあって、なんかすごく試行錯誤している人だなっていうですね。そんな人物ですよね。 そうですね、フランチンはめちゃめちゃ真面目ですね。
そうですね、それとやっぱりこのペピンおじさんとかマリスカとかのこの対比がやっぱり面白いですね。僕がちょっと気になったところはですね、このお母さんマリスカがすごく天真爛漫だし、すごく天然な人物として描かれているんですけども、
何かこれが何かを比喩しているのかもしれないとかっていうのもちょっと思ってですね、それが国の移り変わりの現れなのかなと。マリスカがペピンと会話しているときに、ペピンと靴の輸出の話になってですね、
ペピンが靴職人をしていたんで、靴の輸出をしているみたいな話になったときに、マリスカがそれをですね、輸出って自転車でしているのって聞くんですけど、
ペピンからすると、そんなはずはないと言っていて、当然ですけど、その船とか向かって物って輸出されていくんですけど、マリスカはですね、そういうのは全然知らなくて、何かそういう物を運ぶって言ったら自転車なのかなみたいなですね、考えで。
で、それがただその社会を知らない女性に呼んでるとちょっと映ってしまうんですけども、でもその知らなさというか、その認識のずれ具合というか、そういうなんてもしかするとその古い時代の常識と今の社会というか、新しくなっていった今の世界との差ですよね。
その違いを表している、そういう描き方がされているのかもとかですね。そんなことはちょっと思いましたね。 なるほど。そっか。なんか一概にこのマリスカっていう人が、物を全然知らない人だとか、そういうわけでもないのかもしれないとかっていうのはちょっとね。
確かにそうだよね。短いものがいい時代になってみたいな。確かにそれに合わせようと。そうだよね。ちょっと極端だけど、確かにそうだよね。 そうですよね。だいぶ極端ではあるんですけど、そういうちょっと国とか社会とかのその薄い変わり、それによって変わっていった世の中とか、そこにちょっとまだついていけていないとかですね。そういったところが現れているのかもって思いましたし。
確かに。なんかその辺で結構なんか共感とか見そうだよね。これ読んで。あのチェコの中、チェコスルバキアの中でね。 確かにそうですよね。なんか実際のそのチェコスルバキアの人とか、確かに読んだら、そうですよね。この辺、その辺りの感じ方ちょっと違ってそうですもんね。
だからフラヴァルが結構人気になっていったのかもね。じゃあ本編はこの辺りにしてですね、テーマトーク行きたいと思います。今ちょっと出てた話とも絡むんですけど、古い時代から新しい時代に変わることについてということでちょっと話してみようかなと思ってます。このテーマトークちょっと三枝さんから出してもらったもので、ちょっと三枝さんから行きましょうか。
そうですね。なんかその小説の中だったらですね、この古い時代から新しい時代に変わっていくっていうのが一つ希望を感じれる部分ではあったんですけども、それをちょっと今の時代に当てはめると、なかなか国が新しくなるとかですね、そこまで大きなことはそうはならないと思うので、もうちょっと身近そうなところで、今だったらこの新しい時代を迎えたってなった時に、
例えばテクノロジーの発達とか、新しい世代の価値観が浸透してきたとかですね、なんかそういう新しい国まではいかないんですけど、社会の変化は激しいっていうのが今なのかなと思っていて、そういうですね、社会の激しい今の時代でまた新しい時代に変わっていきますってなった時に、それについて今の自分たちはどう思うんだろうとか、今なら何を求めるかなとかですね、
っていうのをちょっと僕と大地さんでちゃんと話してみようかなと思った次第ですね。
大地 おお、なるほど。
新しい時代、結構なんか感じることあるんですよね。
うんうん、例えばどんな。
例えば、ちょっと小さな話かもしれないですけど、見ているメディアというかドラマかな、そういうコンテンツというか、今の10代20代の人が、10代20代に限らないか、今流れているテレビとかドラマとかそういうの全然見てなくてですね、そこに全くついていけないという、
まずそういった芸能的なところについていけないですし、ネットの中の社会というか、SNSもそうかもしれないですけど、やってるもののですね、そこもあんまりついていけてる感覚はなくてですね、それだけが新しい時代ってわけじゃないと思うんですけども、新しい時代の中の一つの側面として、
そういう今のテレビ事情とか、ネット社会事情とかあると思うんですけど、そういうところはもうちょっと置いてけぼりになってるなっていうのは結構感じたりするんですね。
なるほど、そっか。でもそこは世代とか関係あるとこもあるのかな。
そうですね。
例えばだけどなんだろうな、最近で言うとNetflixで地面詩でめちゃめちゃ、地面詩たちかっていうドラマが多分めちゃめちゃ見られてると思うんだけど、
見たんだけど、あれってなんか10代とかに受けないよなとか。
後派というか骨太な話ですよね。
そうそうそう。だから、
山崎豊子さんが書いてそうな、原作あるんですね。
原作ある、えっとね、なんだっけな、慎条康さんだったっけな、ちょっと名前間違えたあれだけど。
はいはいはい。
以前にも売れたドラマを書いた原作を書いてる人だと思うんだけど、
社会派の話ですもんね。
あれはちょっと世代はどうなんだろうとか思ったりも、世代の話で言うとね、でも絶対ハマる10代もいるわけじゃないですか。
で、我々も多分40代50代でも、すごい連続テレビドラマでハマってる人とかも多分いると思うので、
なんかこの辺はちょっと何だろう、価値観がずれてることっていうことに関してはどうなのかなっていうところも、ちょっと色々だなと思いますね。
あとはでも、そうだね、なんか古い時代から新しい時代ってなるとなんだろうな、今で言うとテクノロジーとかで言っちゃうとちょっと色々あるけど、
例えば仮想通貨はちょっと古いか、トークンエコノミーとかちょっと古かったりするんだけど、なんか新しい技術が出てきて、
あ、それこそあれか、チャットGPT使ってる使ってないみたいな感じか、とかもあるしね。
いや、なかなかちょっと何だろう、色々あるなと思うけれども、結局それに比較的抵抗なく飛びつく人、抵抗なく使える人と、
ちょっとやっぱ今の使ってるものに固執する人には分かれるよね。
きっとね、そうだよね。
たしかにね、AIが考えた文章を良しとするかどうかとかもあると思いますし。
あとそうだよね、ドラマとかで言うとさ、多分世代が見てそう、この世代が見てそうの時間とか、時代劇流したりするじゃん。昼間?とか。
分かんないけど、テレビで。そういうコンテンツも多分やっぱりなんかあるしね。
やっぱその変わらない部分を狙ってることっていうのは多分あるしね。
なんかあれでしたね、変わらない部分というか、この年代の人はこの時間帯、家でこう過ごしてるから、このドラマ流しておこうみたいな。
結構そのライフスタイルに合わせた営業というかマーケティングみたいなものがされてると思うんですけども。
うん、と思うな。
僕は今後もし新しい時代を迎えていくんだったら、そういうのなんかもうちょっと自由になってほしいなと思いますね。
自分のライフスタイルに24時間どこからでも攻撃されてるみたいなですね。
テレビをつければ自分好みのものが流れてて、ネットを開けば欲しいものがピンポイントで広告で出てきたりとかするんですけども、
もうちょっとなんていうか、新しい時代になったらそこから脱却して、そういうもうちょっと自由っていうか、ほっといてほしいみたいな、そこのよくあるかもしれないですね。
もし次の時代をこの先迎えるとしたら。それはでもね、ちょっと資本主義な世の中でどうなのかっていうことになってしまうと思うんですけども。
でもなんかもうほっとかれることはないだろうな。
その電子機器。
テクノロジーというか、なんかいろいろな技術が発達していって便利にはなっていってるんですけど、それがなんか自分の身にちょっと降りかかってるなっていう、そんな感覚はちょっと今感じているはいるんです。
そう、便利なものを使おうとするともう逃れられない。
そうなんです。
そのどうやって自分の好みっていうのをね、なんか新しく見つけていくか、なんか押し付けられたりとか誘導じゃなくてね。
僕がちょっと思ったのは、僕の中でもそういう気持ちがちょっとあるってことはですね、この先はよりなんかそういう便利な世の中を謳歌できる、そういうライフスタイルで生きていくこともできるし、一方でそれを嫌う人もやっぱいるんだろうなと思うんですね。
レコメンドとかして欲しくないと、なんかそのなんていうか、ネット上というかSNS上の社会は自分は必要としていないとかですね。
実際目に見える中の社会だけで十分ですっていう、そういうのを求めてる人もいるだろうし、ライフスタイルを求める人たちっていうので、そんなはっきりわかれることはないと思うんですけど、
グラデーションみたいな感じで、両極端にそれぞれ欲求を持っている人たちが多分いると思うんですけども、今の社会だったらなんだかんだ言って、ある程度の好みとかあっても生きていくことはできると思うんですけど、
この先とかって今のままだったら変わらないと思うんですけど、もしもまた社会が激変していったり、世の中の何かそういう常識的なものがガラッと変わっていったりした時に、
どうなっていくんだろうっていうね、すごい考えると全然予想とかつかないですけども、本当どうなるんだろうなって思いますね。
ライフスタイルが変わる、そうだよね。
そうそうね、なんかそのSNSが出た時も、2011年の震災があった後とかですね、やっぱSNSでこのネットの中で人と繋がってる状態ってすごいなって思ったりしたんですけども、
あれから10年経って今だとですね、それがちょっと当たり前の状態というか、このSNSが、それがいいのか悪いのかなんとも言えないんですけども、
もう当たり前の状態になってしまうと、逆にそこから、その状態から抜け出したいみたいなんですね。
そんなもう次ちょっと欲求が芽生えていきそうな気もしててですね。
なるほど、デジタルデトックスじゃないけど、デジタルたちみたいな。
そうですね、それも一つの社会って見た時に、そっちの社会には存在していなくてもいいかなとかですね、そんな考えですかね。
確かに、そうね。まあでもこの流れっていうのはもうずっとどんどんこの方向に行くと思うから、
まあトラッキングされて趣味趣向が把握されて、何に反応するのかっていうのは把握されて、それに合わせて何かがレコメンドされたりするっていうのはもう実現してるし、
そうだよな、それを一回経つってなると、もうほんと一回なんか自給自足の生活をするとか、
そうですね。 そういうレベル感までいかないとなんか。
そうするとか、すべてのものからログアウトするとか、この小説の中だったらちょっと古い時代っていうのが抑圧されていたとすれば新しい時代になって、
ちょっと開放感が出てきたとか、そういう要素があると思うんですけども、今の社会は抑圧ともちょっと違うような、でも押し付けはでも感じるっていうですね。
確かに確かに。この提発式の時に描かれてる開放とはまたちょっと違うよね、開放感っていうか、新しい時代が来ましたわーみたいな感じではないよね。
そうですよね。 奪われてる感覚もあるもんね。 そうですよね。
なので次、新しい時代を迎えてテクノロジーとか発達もしている中でも、人からものを奪おうとせずに見守ってくれてるような、
そんな社会になっていたらちょっと安心感をちょっと得れるんじゃないかなとかですね。なんかわーってなることはないんですけど、なんかちょっと落ち着けるみたいなですね。
わーってなるのは宇宙とかに進出して世界が広がったぜみたいな時はあるかもしれないけど、
今なんか我々の行動とかがね、監視社会じゃないけどそういうふうに傾いていくとちょっとそれはちょっと怖いよね。
確かに。 そうですよね。なんかそういう国というか社会がこの存在している人一人一人をなんかその獲物と思わずに、
ちょっと一人一人を尊重して自由な選択をさせてくれるような、なんかそういう社会になってくれたらいいのかなと思いつつ、
多分これもいろいろ掘り下げていくともうそれは違うんじゃないかとかですね。なんかいろんなまた考えが出そうで。
確かに。 ちょっと怖いですけど。
いやーそうですね。もうちょっとSFの世界になってるけど、ちょっとだいぶ低発識から離れてはいるけれども、価値観はね、ちょっとどう受け入れていくかとかあるよね。
そうですよね。低発識みたいな状況が実際に見れたら結構もうすごい貴重なことだと思うんですよ。そこが新しい国ができて、そこでの日常を送るっていうのが、
それがどういう経験なのかな、感じなのかなっていうのはですね、ちょっと体験してみたい願望はありつつ、実際じゃあ今の日本で新しい時代を迎えましたってなったらどうなる、
どういうのを求めるのかなとか考えたらちょっと簡単にはね、結論とか考えまとまらないですけど。
じゃあ最後、感想とどんな人に読んでもらいたいか話して終わりたいと思います。結構フラバルの作品って短いものもあったりするので、比較的ページ数としては読みやすいものが多いのかなと思うんですけども、
これはより明るくてコメディっぽくて笑えてちょっとドタバタしてて、結構読みやすい一冊だなと思うので、ぜひですね、ちょっとなんかチェコの作品読みたいなと思ったら手を出してもいいんじゃないかなと思います。
ビールの話も多いし、この時代の話も多いので、いろんなことをそこから感じ取れる作品でもあるのかなと思いますので、150ページなんで、ちょっと何か読みたいなと思った時はちょうどいいんじゃないかなと思います。