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芸術家を目指す若者の苦難の道のりを描いた、20世紀を代表する作家、
ジェイムズ・ジョイスの半自伝的小説、「若い芸術家の肖像」を紹介します。
どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私大地とミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には厚く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ジェイムズ・ジョイスの若い芸術家の肖像です。
丸谷最一三役で、終焉写文庫から2014年に出版されています。
この終焉写文庫以外にも、新潮文庫であったり、岩波文庫で大沢正義さん役で出ていたり、後短写文庫でも出ていたりするんですけども、
ちょっといずれも絶版になっていまして、ベースは今だと終焉写文庫になるかなという本になります。
ありがとうございます。ちょっとですね、これは年始一発目の作品紹介となるんですが、
ちょっとこれ年末の収録してるんですけど、たぶん私、仕事の疲れなのか絶賛体調崩します。
年末年始の休みに入った途端ですよね。
そうですね。
よくありますよね。
緊張の糸がスパンと。
連休に入った途端に体調崩す。
たぶんね、それで結構鼻声だと思うんですけど、今鼻水が結構やばくて、ちょっとお聞き許しいところあるかもしれませんが、
ちょっと申し訳ないなという話です。
なるべく編集で処理をします。
編集でなんとかごもかして。
じゃあ作品紹介の経緯をみえさんから言ってもらいましょうか。
そうですね。
もともと去年ですね、ラジオの企画でオンラインでビブリオバトルをしたことがありまして、
その時にですね、この若い芸術家の肖像を僕が紹介して、
その時ラジオで紹介してほしい本というテーマで参加者の皆さんにもPRをしてもらったんですけども、
僕の本がですね、去年紹介したグレースイヤーとともにチャンプ本になりまして、
本当は去年紹介する予定だったんですけども、思いのほか長編で読むのが大変というので、
ちょっとズルズル遅れてしまって、年明けの紹介になったというのが経緯ですね。
そうですね。企画主が優勝してしまったという。
面白いビブリオバトルでしたけれども。
ビブリオバトルってちょっとどういう話をしたかって、もう全然覚えてないんですけども、
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唯一覚えてるのが最後決め台詞みたいな感じで、僕にもう一回この本を読むチャンスをくださいっていうですね。
あー言ってた。
昔十何年前に読んだきりだったんで、もう一度読みたいっていう話をそこで訴えたんですけども、
訴えた割にはなかなか読まずに、ちょっとズルズルいってしまったっていう、申し訳ないことしてしまったんですけど、やっと読めました。
そうですね。やっと読み終わりましたね。私もやっと読み終わりました。
私はもうジェームス・ジョイス自体ですね、初めてで、何冊か積んでるんですけど、
実は読んだことのない作家の一人で、もう読みたくて仕方なかった作家の一人でもありますね。
あれダブリナーズだっけと、あとユリシーズかがあると思うんですけど、
ダブリナーズは持ってて、ユリシーズはないんだっけな。
そんな感じで、いずれ読みたいと思っていた作家を、こういった形で読めたのはちょっと面白かったですね。
僕もですね、若い芸術家の肖像がジョイス作品で唯一読んだことがあった作品で、
ユリシーズとかも実は読んだことがなくて、いつか読みたいなとは思っています。
この若い芸術家の肖像は20代前半の時に読んだことがあって、
その時、すごい主人公の生き様に感動した記憶があって、
それでもう一度読みたいと思ってはいたんですけども、今回10何年ぶりに読み返したら、
思った以上にちょっと内容が難しかったなっていうのが、まず率直な印象で、
なんで昔これを読んでそれに感動できたんだろうって、
ちょっと昔の自分でもなんでそんなことできたのかって思うくらい読むと意外と難しかったんですが、
多分昔読んだ時は自分が読めるところだけを都合よく読んでいたんじゃないかなと思ったりしたんですけども、
ただ今回読み返してもやっぱり世界、主人公が自分がいる社会というか、
そういう世界を敵に回してでも自分の道を行こうとするですね、やっぱりそういう生き様をしていて、
そこの主人公の姿にはやっぱり感動しましたし、そういう意味ではまた読めてよかったなというのがありましたね。
じゃあそんなジェームス・ジョイスですが、著者紹介いきましょうか。
ジェームス・ジョイスは1882年ですね、アイルランドで生まれたもう社会的な作家になります。
特徴的なのは意識の流れとかのですね、新しい技法を開拓して、
現代文学に神話的象徴的な方法を導入したと言われています。
20世紀文学は彼の圧倒的な影響下にありまして、代表作は今回紹介する若い芸術家の少女以外にも、
ダブリーナーズ、ダブリン市民、ユリシーズ、フェネガンズウェイクがあります。
名前は本当有名だなっていうところで、多分リスナーの方でも名前知ってる人多いんじゃないかなと思いますね。
そんな大御所の、代表作ではないが、大きな意味のある作品。
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読みやすい作品とは言われている。
ここから作品紹介を入っていきたいと思います。
終焉者文庫ですね、終焉者のホームページから引用したあらすじを説明させていただくと、
あの難解とされた名作はこんなにも面白かった。
鮮やかなマルタニ流、新解釈が冴えるユリシーズへと繋がるジョイスの反自伝的小説。
英文学者マルタニ最知の研究、翻訳の集大成、読売文学長受賞作文庫化とありまして、
この若い芸術家の肖像の主人公のスティーブン・ディーダラスという青年が、
ジョイス自身の若き日の自身とも重ねられる反自伝的小説であるというのと、
あと代表作ユリシーズ、2番目の主人公みたいな立ち位置でもある。
ユリシーズにもこの主人公スティーブンは登場するということですね。
この後の話なのかな、ユリシーズは。
ユリシーズはスティーブンが22歳の時に登場するので、
20歳かな、確か。3歳から20歳までが描かれているので。
ほんとすぐ後の話なんだね。
そうですね。
いつかユリシーズを読みたいという人は、まずはこの若い芸術家の肖像を読みやすいので、
こっちを読んでその後ユリシーズを読むとより入っていきやすいかと思いますね。
ここから本書の特徴というところを挙げていきたいと思います。
これはまず、解説で丸谷裁治さんが3点挙げられていて、
まずそこをちょっと抑えた上で、もう一つこういったところも特徴的だったという話をしたいなと思います。
まず、丸谷さんが書いている中の一つ目が神話的手法ですね。
これはギリシャ神話のダイダロス。
これはミノス王によって呉邸島に遊兵されているダイダロスという神話上の人物と、
この主人公のスティーブン・ディーダロスが重ねられているというところが特徴一つ目です。
そういう神話の物語とこの実際の小説の物語を重ねているというところがですね、
特徴的な神話的手法と言われているんですけども、
このダイダロスが遊兵されているので飛び立って脱出していくというのと、
ディーダロスがアイルランドから脱出するというか、ヨーロッパに出ていくという、そこが重ねられています。
ちなみにこのディーダロスというのはダイダロスの英語形になります。
二つ目の特徴が芸術家小説という点ですね。
これはジョイスの反自伝的小説といったものの詩小説ではないと、そうみたいです。
ここまで教養小説、芸術家小説となっていると。
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オートフィクション、今風に言うとオートフィクションだなという感じですね。
オートフィクションだね。キリスト教のこととか芸術論が入ってきているみたいなイメージだね。
そういった芸術家小説ということもあって、この小説の主題としては芸術家の魂の発展を描いていると。
そういう意味では芸術論とかも出てきますし。
面白いのが主人公は一流の芸術家になれるわけではなくて、まだその過程にいるというか途中ですね。
なので面白いのはやっぱりこの作品の中では主人公は芸術家を志しているただの若者であり、
この小説で書かれているのはやがて芸術家になるはずの男の肖像であるというですね。
ゴールにまだ到達していない、その途中の人物というところがゴールに向かって進もうとしているというですね。
やっぱりそこはすごく読んでいて気持ちのいいところというか、共感できるところかなと思いますね。
3番目が文体ですね。これも特徴的で、まず始まりがこのマルタニ・サイチさん役だとすべて平仮名で始まるドアですね。
だんだん主人公の成長とともに文章も大人の文章になっていくというですね。
まずドアで始まって最後に日記で終わるんですけども、この小説の中で詩であったり手紙であったり寄贈であったり、
あとは司祭さんとか牧師さんの説教ですね。もう多くの引用が含まれていて、さまざまな文体が組み合わさって小説になっていると。
そしてこの主人公の成長とともにその文体も成熟していくと。最初平仮名ばっかりだったのが、だんだん大人の言葉になっていくという。
そこもすごく面白いところで。僕は結構やっぱり付箋を貼ったりちょっと感銘を受けたなっていうのは、やっぱりこの特に後半の方ですね。
すごい描写が美しくて。
読んでて途中がすごい読みづらかった。平仮名と漢字が混じったりしてて、これは平仮名なんだとか。
一瞬平仮名で書かれているものが頭に入ってこない瞬間とかって、ん?と思ったけど、あ、そっか今ちょっとずつ成長していってるんだなみたいな。
そういうのもちょっと垣間見えて面白いよね。
あとは宗教の話でもあるので、祈祷とか司祭の説教とかっていうのが結構長い引用があったりして、そことかも途中で入っていきづらさったりはするんですけども。
でもそこを乗り越えたら結構あとは読みやすかったりするんで。
そうだね、5部が一番面白かったね。
あ、そうです。僕もそうです。4、5のあたり。今の3つにもう一つちょっと付け加えるならですね。
これはもう僕が個人的に思ったことですけど、言葉が物語を作っているという点かなと思います。
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この主人公の20歳ぐらいの人生を描いている物語なんですけども、そこにあるいくつかの転機では何か都合のいい出来事とかが起きたわけではなくて、
主人公の自身の感性というか言葉というか、そういうのを発していくことで自分の人生を切り開いているっていうですね。
例えば、これ4章のラストシーンですね。浜辺にいる少女を見て、その時ちょっと主人公は自分で罪を犯してしまったっていうので、
自分の魂はもう失ってしまったという結構沈んでいる状態だったんですけども、
浜辺の少女を見て、そこにちょっと叱りというか何か感じて、魂を取り戻すというですね、結構象徴的なシーンがあって、
そういう魂を取り戻すみたいなところも、何かインパクトのある出来事とかそういうのじゃなくて、
少女を見て、そこで自身の本当に心の中の声というか、そこを出していくことで魂を取り戻して次に進んでいくというですね、
ようなことが描かれていて、この辺りはもう主人公の言葉ですね、それが本当に物語だと作っていっているっていうのを感じれたところになります。
で、こういうのもやはりこのジョイスの特徴である意識の流れという手法ですね、がかなり影響していると思ってまして、
そこもちょっと読んでいて思ったのがですね、実際に人が変化していくときに、何かその過程には合理的でない意識も含まれていると思うんですね。
自分たちが、でも絶対そうだと思っていて、自分が変化を、意識が変化していったなって思ったときに、
それを詳細にスケッチしていったらですね、絶対関係ないことも途中で考えていたりとか、意味不明な意識を持っていたりとかすると思うんですね。
ただ、こういう小説とかでは無駄なところはカットしていって、合理的な描き方をしているのが一般的なものだと思うんですけども、
なんかね、このジョイスのような意識の流れって、結構省くことなく1から10まで描こうとしているんじゃないかなと、
そういう合理的でない意識も含まれているんじゃないかなというですね。
なんでこの小説もちょっと読んでいて、ちょっといながたるしく感じたりとかですね、ちょっと読みにくさを感じたりがするところもあると思うんですけども、
なんかこういう、もしかするとちょっと無駄かもしれない、でも意識を作っていくには必要だと思われる、そういう文章というか言葉ですね。
こういうのこそ実はリアリティがあるんじゃないかとかですね、なんかそういうのを思いましたね。
なんかそういうので結構この物語を作っていくのも言葉だし、なんかこのリアリティを感じたり、その人生にリアリティを感じたりするのも言葉なんだなっていうのをですね、
感じたというのがちょっと僕が思った特徴ですね。
なるほどね。
自分もあの少女のシーンはすごい印象に残っているな、浜辺の。
その後三枝さんが言ったこの意識の流れっていうのは確かにね、これ読んでるとね、その辺ちょっと読みにくい、理解しにくい、分かりにくいみたいなのは結構つきまとってくるんだけれども、
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でも彼がある決断をしたりとか考えを持つようになったりとかっていうのは結構そのあたりはわかるので、なんか共感しやすいかなと思ったな。
これもスティーブンがすごく祈りを捧げる生活をしていた時があって、学校で。
で、そしたら校長先生にそれが認められて修道会に入らないかって誘われる時とかあるんですけども、その時答えはNOなんですね。
修道会には入りませんなんですけども、そこに対してすぐにNOって言うんじゃなくて、めっちゃなんかね、なかったらしい。
なんかその、なんていうのかな、なんか自分はこう思うみたいなのをバーって書いてあって、後々これ答えNOだったんだって気づくっていうですね。
NOならすぐNOって言ってくれよって思ったりもするんですけども、でもそれだと面白くないっていうか。
校長先生がそう言うってことは、いやでも僕はこう思うみたいなんですね。
その辺の一連の主人公の意識とかを丁寧に読まされるっていうですね、そこの面白さっていうのは絶対あるなと思いましたね。
ではここからですね、この小説のストーリーをちょっと簡単に紹介して、その後ですね、実際読んで印象の残った点とかを話していきたいなと思います。
このストーリー自体5章の構成になっていて、主人公はスティーブン・リーダラスという、スタートは少年でだんだん青年になっていく人物になります。
アイルランドの幻覚なカトリックの家庭で育ち、学校もカトリックのところに入ります。
ただこのスティーブンは感受性豊かな少年で、小さい頃から詩とか音楽とかというのに触れたら、そういう芸術に心を震わせるような少年でもありました。
なので結構ですね、このカトリックの教えとかとは相反するというか、そことは相互が生じるような少年ではありました。
小学生の時の出来事をですね、そこに至るちょっとプロセスはあったんですけども、ある授業で眼鏡をその前に壊してしまって、先生から作文書かなく、みんなで作文書く時間だったんですけど、
スティーブンは作文書かなくてもいいよと言われていて、書かないでいたらそれを別の見張りの先生が来た時に、何でお前書いていないんだと咎められて、
スティーブンは理由を言うんですけども、もうそんなの全然聞いてくれなくて、もう無中打ちの罰を受けるという出来事がありました。
それに対して、そんな理不尽なことが何で起きたんだというので、不服に思ったスティーブンは校長先生に告発しに行きます。
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で、いろいろ校長先生に事情を伝えたら、校長先生が、それはちょっと見張りの先生がもう間違っていたと、誤りを認めて、
じゃあ次回からはそんなのないようにしますと言って、そういう校長先生がそれを認めたということで、スティーブンが、
それを同級生たちにその話を持って帰ると、これはすごいと、今までそういう理不尽がまかり通ってたけど、ついに校長先生に認めさせたと言って、
もうみんなで拍手喝采になって、もうワクというですね、そんな出来事があったりしました。
ただですね、そんな小学生時代を送ったりしていたんですけども、父親がですね、ちょっと資産をなくしてしまって、
もともと裕福な家庭だったんですけども、ちょっとね、そういう父親が資産なくしたことが起きて、ちょっと引っ越しですね、
ここからダブリンに引っ越しすることになって、転校もします。この頃には少女に恋をしたりというですね、
ちょっと資深期の男の子に恋心も持っております。で、そうして転校先の学校でもやはり性格は真面目なんで、
頑張っていたら、これは中学生ぐらいの年齢の時ですね、聖霊婚禮祭というですね、
そういった大きな祭りの場での芝居ですね、で主役に選ばれたりします。この時もですね、
同級生がその可愛い少女を見たと、それがどうやらスティーブンのことを好きな女の子じゃないかとかですね、
そんな噂があったりして、で、それはもうかつて自分が恋した少女だって思ったりもするんですけども、
まあただ芝居の後その少女が現れずにちょっとがっかりしたりとかですね、
だからその頃に、これもかつてですね、同級生たちと偉大な文学者とか、
この国で一番偉大な文学者とか詩人とかっていうのは誰だっていうのをめぐってですね、
ちょっと言い合いになって、で、同級生にそのスティーブンが偽断者扱いされたっていうですね、
ちょっとそういう記憶も思い出したりもしてしまいます。
そういうですね、ちょっとそのスティーブンにとってはもやもやするような出来事があって、
さらにですね、この頃、学校の試験と作文の賞金で33ポンドもらえて、
まあそういうですね、ちょっともらえることがあって、ちょっともやもやした気持ちもあったので、
ちょっと夜の街に出かけて、ちょっと祖父のもとに行くというですね、そういうことをしてしまいます。
やはりカトリックの厳格なしきてりの中で生きている生活をしないといけないっていうのがあったので、
まあそういうですね、ちょっと祖父のもとに行くというのは罪になります。
ということで、罪を犯したという意識を持って、自覚があったのでスティーブンは、
アーノル神父という神父のもとに3日間通って、説教を聞くというですね、
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そこで悔いを改めることになります。
で、そこからはですね、毎日祈りを捧げるような生活をして、
そういう生活をしていると、学校の校長先生も認めてくれて、
まあその修道家に入らないかというですね、支えを受けたりもするようになります。
で、まあそこでね、スティーブンも自分のその罪をですね、司祭に懺悔したりするようになります。
で、ここからちょっと時が進んで、18歳ぐらいですかね、大学にも入って、
そうすると学友もできて、結構いろんな友達ができます。
中にはですね、アイルランドの民族主義者の友人もいて、
アイルランドのために一緒に活動しないかというので、仲間に誘われたりもしたりとかですね、
また別の友人とは美学とは何かとか芸術とは何かとかいうので論じ合ったりします。
というので、スティーブンの中でそういうちょっと芸術界の意識が、
もう本当にもうどうしようもないぐらい高まっていて、自分で詩を書いたりもするようになります。
で、最後ですね、このある友人に悩みを打ち明けた会話をしている中で、
スティーブンがですね、この国を出ていこうと思っているという、
思っているというか、国を出ていくというですね、結構強くそれを告げたりもします。
というところでですね、18歳、20歳ぐらい、大学生ぐらい、
スティーブンのそういう自分は芸術家になって国を出ていくんだというですね、
そこでちょっと話がね、ひとまず終わるというですね、最後は日記で終わるんですけども、
ちょっとそういった小説になります。
すごいね、よくまとめていただいて、結構長い話を、
こんだけシンプルに端的にまとめて、すごいなってちょっと今思いました。
だいぶですね、ちょっと抜けてるところとかね。
まあでも大枠はこれでしょう。
で、あれですね、ストーリーでいうと、本当にちっちゃい時から大学生までになる、
このスティーブンっていうのを一緒に過ごしていくようなイメージがあって、
自分が経験したようなことがこの中にエピソードとして盛り込まれていると、
結構共感してしまうところが多くて、
小学校の時にそのクラスの中の立ち振る舞い方みたいなのとか、
あと俺一番すごい共感したのは大学に行くところかな。
大学に行けるってなった時の彼の気持ちの、あの紅葉をする部分とか、
これでちょっと親もと離れてまで行かないけど、
親とはね、ちょっと距離を置くことができるみたいなところとか、
そこはちょっと自分もすごく状況をしてきて、大学に帰った時に感じたんで、
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そういうのに結構リンクするところがあったな。
確かに自分にリンクしたところだと、
スティーブンがモンテクリスト博に熱中していた時があったですね。
夜になると、それまでやっぱり家庭とか学校で、
結構そのガンジガラムな暮らしが自分には合わないっていう中で、
夜中にモンテクリスト博を読む時は自分の中で私服の時間で、
モンテクリスト博の中のヒロインのメルセデスという女性ですね、
に恋をしていってっていうですね。
僕も高校生の時にモンテクリスト博にはまった時があったので、
そこはすごく共感というか、自分にかなり重なりましたね。
そうだよね。このモンテクリスト博のくだりは、
私はミエさんを思い出したのか読んでて。
もしかするとあれかな、昔読んだ時も、
モンテクリスト博を主人公がハマったから、
そこに親近感を覚えたのかもしれないとかですね。
それは感じましたね。
あり得るね。
あとはですね、僕が結構面白いというか思ったのは、
このスティーブンが同級生から異端子扱いを受けるくだりがあったんですけども、
それをですね、ちょっといじめっ子っぽい同級生にネタにされたりするんですね。
それがなんでそんな異端子扱いされたかというと、
一番偉大な文学者とか詩人は誰だみたいな話になって、
そこでですね、主人公のスティーブンは、
詩人だったらバイロンだって言うんですけど、
そんなはずないだろうと。
バイロンなんて無教育な連中向きの詩人じゃないかって、
同級生は指定して、バイロンは異端だろうって言われるんですよね。
こういうのって今の時代だとないじゃないですか。
詩人とか文学者を巡って、
そんなクラスの同級生と、しかもこれが小中学生くらいかな、
そんな言い合いのバトルになってて。
そういうのはですね、この時代というかこの国というか、
そういうのを表していて、面白いところだなと思いましたし、
今の時代だったらこういうのってなんだろうって。
自分の時だったら歌手とか、
日本で一番の歌手って今誰だって言うときに意見が分かれたりとかは、
あったかもしれないですけど、なかなかでもこういう会話はない。
でもあれじゃないですか、お笑い芸人とかじゃないですか。
M1みたいな。
そうですね。
結構みんな本気で予想したりしてる人いましたよね。
そうだ、本当ですよね。
まあでも見解はならないと思うけど。
ならないですよね。
ガチ勢すぎる。
そうですよね、確かに。
今だと不利って言われるかもしれないですけど、
こういう時にお笑い飯とかって言って、
27:02
なんか異端子扱いされたりとかです。
そういう感じかもしれないですよね。
そこなのって。
そうそうそうそう。
いやもうどう見ても一番だろう、主人公はね。
なんか訴えるけど周りからすると、
いやそれはなんか変化球すぎるだろうみたいな。
確かにあったね、そのシーンね。
だから結構同級生との差分を感じてるのはすごく面白かった、個人的には。
で、これ多分ね、自分もすごく経験してて、
小学校中学校ぐらいまでは、
なんとなくその同級生と話が合わない感を抱えてたんだよね。
で、それが高校ぐらいに行った時に、
ちょっとやっぱ受験を一つ減ると、
レベル感が揃ってくるのか、
なんか自分が話したいことを話しても、
話をしてくれる人たちが出てくるなと思っていて。
それがやっぱりスティーブにとっては大学の友達なのかなと、
今回読みながら思いました。
いやそれね、ほんと僕今回読んで感じたのは、
多分最初読んだ時は全然思わなかったこととして、
大学の学友ですね、出てくるんですけど、
デイヴンとクランリーとリンチっていう、
3人の友達が大学生になって出てくるんですけど、
その3人がこのちょっと問題児っぽいスティーブの話を、
ちゃんと受け止めてくれて、
ちゃんと一人の人間として認めて対話をしてくれているっていうですね。
そこに結構感動したんですね。
ちょっとわかるね、それ。
それまで異端子扱いされてきて、
家庭とか学校に馴染めなかったスティーブを、
受け止めてくれる人が3人もいるっていうですね。
そこの感動は今回読んだ時ちょっとデカかったですね。
俺も同じですね、多分。
そこにはかなり、だから語章が結構好きだなって。
クランリーとかリンチとかね、
本当に大学生かなって思うくらいめっちゃ大人びてるなって思いましたけど。
話が結構高度でしたよね。
ちょっと話についていけなかったんですけどね。
でもすごい感動ポイントでしたね、個人的には。
あとはですね、個人的に思うのは、
この文章の美しさ、
これもやっぱりちょっと年古章に入ってからになっていくんですけども、
一つが、今回僕がですね、
実はこの新聴文庫の方で読んでいてですね、
ちょっと収益者文庫と多分ページ数とかが違ってるんで、
何ページというのはですね、
言わないでおこうと思うんですけども。
絶版だもんね。
語章のですね、これは物語のちょうど半分を少し過ぎたぐらいかな。
スティーブンが魂を失っていくっていうですね、
やっぱりちょっと罪を犯してしまってっていう、
自分の中で魂が失われていくっていうですね、
そこの描写ってすごく良くて、
ちょっとね、2、3行だけなんで読もうと思うんですけども。
そして、煌めく魂は、
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明滅しながら過ぎ去ってゆき、揺らめく風に消え失せる。
一つの魂が失われる。
小さな魂が。
僕の魂が。
それは一度揺らめいて、それから消え、忘れられ、失せてしまう。
終末。
黒く、
虚しい荒廃。
ですね。
ちょっと短い文だったんですけども、
その前後も含めても、すごく美しい描写だなと思って、
結構ね、印象に残りましたし。
で、そんな。
あ、そうか、今のがあれですね。
今のが3章の終わりの方ですね。
3章。
3章の終わりの方。
で、そこから魂を取り戻していて、
あれですね、
自分の言葉を、
詩というか空ですかね。
自分の空をそっと呟いたりするような。
そこを呟いて、アイルランドに対して論治だと思ったら、
ダイダロスですね、ギリシャ神話の。
そこに思いを馳せるっていうですね。
それが第4章の結構、終わりの方で、
浜辺の少女を見るその手前ぐらいでね、
語られたりするんですけども、
そこのシーンとかもですね、
この3ページぐらいかな、なんですけども、
描写がすごく美しいなっていうので、
なんか良かったところをですね。
で、その3ページぐらいのところが美しいなと思ったんですけども、
この時にですね、ちょっと、
ちょっとふと思ったことがあって、
この小説を動かしているのっていうのは、
何かそういう出来事とかというよりかは、
このスティーブンの心の声というか、
スティーブンの意識とか、
スティーブンの想像力ですね。
例えばダイダロスに思いを馳せたりとかですね。
そういうのが、スティーブンの
次の一歩というのを作っていて、
そういう意味では、物語があって、
それが言葉を作っていくんじゃなくて、
言葉が生まれていって、
それが物語になっていくっていうですね。
その特徴でいった話になるんですけども、
そういう小説なんじゃないかなっていうのをですね、
この時感じたりしましたね。
なるほど。
新しい手法だったのかな、この時ね。
あんまりない。
今読んでもあんまりない気がするけど。
そうですね。
今だったらあれですね、
ボツにされてしまいそうですよね。
なるほど。
読みにくいとか、
話の割にはページ数使いすぎだとか、
いろんな理由で。
確かに。
もっとあれだよね、ギュッとできるもんね。
そうですね。
私の印象に残ったのは、
5章のとこなんですけど、
芸術論ですね。
スティーブンがかっこたる芸術論を語っていて、
それに対してついていけなかった友人とか5つ。
でも、クランリーは結構話についてきてくれてて、
クランリーとの話は結構面白いなと思いながら見てましたね。
33:01
やっぱりクランリーとの会話の中で、
彼がはっきりと言うところがあるんですけども、
信仰の話と、あと最後、
自分が信じないものに使えることはしないと。
祖国だろうが教会だろうが、
僕はできるだけ自由に、
そしてできるだけ全体的に、
人生のある様式で、それとも芸術のある様式で、
自分を表現しようとするつもりだって、
言い切るところがあるんですけど。
そこがめちゃめちゃかっこよかったなって。
僕もそこ付箋を張ってますね。
その前後として、もう一人になることを恐れないとか、
他人から追い払われることを恐れないとか、
覚悟の強さがすごく出始めていて。
この後日記形式に入っていくんだけど、
日記形式に入る前の直前のこの部分っていうのは、
多分めちゃめちゃ読んでいて感動したところでもありますね。
これに至るまでの経緯がね、
ずっと描かれている小説だったんだなと、
読んで感じましたね。
キリスト教のことも含めて。
時代とか立場のことを考えたら、
今とは全然事情が違うと思うんですよね。
家族とか周りがみんな信じている宗教を、
自分はそこに入ることは断るとかですね。
そういう選択をするのって、
一つの自分のいる社会にはもういられないことだと思うんで、
それを二十歳そこそこで覚悟を決めるっていうのは、
相当のことだと思いますし。
確かにね。
じゃあちょっと今後のテーマトーク行ってみますか。
じゃあちょっと今の話と繋がる部分なんですけど、
テーマトークちょっと行きたいと思います。
テーマトークは自分と向き合うにはっていうところにしてみたんですけど、
今話してて思ったんだけど、
アイルランドっていう土地柄のあるのかなってちょっと思ったね。
それこそエマ・ドナヒューってアイルランドで生まれて
カナダに移住して活動されてるけど、
その辺でカナダが結構寛容で自由な国みたいな、
多様性を認めるみたいな文化があるみたいな話を
ちらっと吉田一久美さんに聞いたような記憶がうっすらあるんだけど、
やっぱり多様なものを認める土壌っていうのは
時代もあったと思うし、
国柄みたいなのもあるのかなってちょっと思ったりもしましたね。
日本はわりかし多様を認めてるようで
認めてないようなところがあるなってちょっと思っていて、
暗黙の了解みたいなのがめちゃめちゃ強い感じがするから、
自分と向き合って自分がどうしたいことを貫こうとすると、
やっぱりいろんなところで出る杭を打ってくるようなイメージは
ちょっとあるかなってちょっと思ったりしますね。
出る杭っていうか、はみ出すみたいなところかな。
36:01
ちょっと自分と向き合う庭っていう観点からはちょっとずれるけど、
ちょっとこの若い芸術家の肖像を読んでいて、
ちょっとその辺りを考えてしまった部分もありますね。
これは確かにちょっと思ったのは、
自分もそうなんですけども、
与えられたものを受け入れるほうが楽だと思うんですね。
わかる。
それを断るってすごい勇気がいますし、
もうすごく大変だと思うんですね。
それを断るっていうか、
違う道を自分で模索していくっていうのは、
自分がもし与えられたもの、
自分の置かれている環境とか宗教とか、
そういうのとは違う方向に進むのが自分であるっていう。
そこに築けるかどうかっていうところが、
まず向き合うかどうかの一つのことですよね。
今回のスティーブンも、
なんだかんだカトリックの学校に行って、
教育を受けていて、
それを全否定しているわけではないんですよね。
しっかり司祭さんの話とかは、
ちゃんと聞いて、祈ったりしてっていう。
スティーブンも本当に信じていることは、
宗教に対してはあったと思いますし、
とはいえ彼は芸術家を志したいと思ったっていう。
そこに自分の何かを見つけたんだろうね。
キリスト教を信じられなくなっていく。
なんかある気はするけどな。
ある時期強く信じていたけれど、
でも成長するに違って価値観が変わっていって離れていき、
そこに対しては信仰がなくなっていくか。
これそうですよね。
本当に難しいなと思ったのは、
そういうので、
0か100かみたいな、
向き合いやすいと思ったんです。
カトリックを100%ないわとか、
100%芸術家になりたいとかっていう。
ただカトリックも100%ダメとは言わないし、
もちろん信じている部分は何割かあるしっていう。
芸術家にどうしてもなりたいと思いつつ、
悩みもあるっていう。
まだ60%ぐらいの時とか、
そういう状況が多いんじゃないかなって思うんですよね。
自分と向き合わないといけない時。
でもこのスティーブに関しては、
最後は国を出ていくって言ってますし、
やっぱりそこに至るにはやっぱりあれですかね、
ちょっと経児みたいなものが、
ちょっとそういうはっきりしない状況が基本だと思ってはいまして、
個人的に。
確かに。
どう生きていくべきかみたいな。
それをもしかすると、
ちょっと合理的じゃないかもしれないんですけども、
一種の経児みたいなものが必要とされているのかもとか、
39:00
ちょっと思いましたね。
経児か。
経児ってどういうイメージ?
それは突然降ってくるみたいな。
そうです。
何とも言えないんですけども、
突然降ってくるとか、
突然ビジョンが見えるとか、
スティーブンだったら多分、
突然浜辺の少女を見て、
世の中にそんな美しいものがあるのかとか、
多分そういう何か絵が光が見えたんじゃないか。
確かにスティーブンちょっとゼロ百だもんな。
そこはちょっと面白いよね。
だから我々普通に生きてたら多分、
スティーブンのこの状況だったら、
多分信仰も捨てないし、
自分のやりたいこともやるしみたいな。
表現したいこともするしっていう。
元々あった社会には属しながら、
やりたいことも何もありかするみたいな。
出てくるってことはしなさそうだよね。
ここまでゼロ百で思い切ったことをしてしまうっていうのは、
僕はなんかこれ読んでちょっと、
実は何か意思とかどうこうより、
啓示なんじゃないかなとちょっと思った。
なるほどね。
もしかすると自分と見き合うっていうのも、
何かそういう啓示を自分が受け止めれるかとかですね。
もしかするとそういうのって何かスティーブンも、
大したシチュエーションではなかったと思うんですね。
浜辺の少女を見るとかっていうのも。
もしかするとそういう日常的なところで、
突然パッと来るものを受け止めれるかっていう。
そこが問われてるんじゃないかなと。
もしかするとそこに閃きというか、
光を見出すとかですね。
そういう感受性みたいなものが表れているかとか。
その啓示は運命的な意味合いがあるのかな。
その時少女と出会ったとか、
この時この考えを自分は持つことができたみたいな。
運命なのかな。
多分ですけど、この小説読んでるとそういう運命も、
100人に1人起きるような運命とかそういうのじゃなくて、
100人中100人起きるであろう日常的な出来事の中に
潜んでいる運命じゃないかなっていう。
確かにそうだよね。
何かに導かれるように旅立っていった感じはあるもんね。
それがいわゆる信仰ではなかったっていうのは、
一つ分かるところではあるし、
それを運命と言っていいのかっていうのは。
確かにちょっとどうだろうな。
具体的には自由意志を感じてはいたけど、
でもそれも含めて運命なのかなって
みえさんの話を聞いて思い出したよ今。
そうですね。
ちょっと喋ってて思ったのが、
そういう運命も、
もちろん一部運もあると思うんですけども、
そういう風に関しては、
自分の意識を高めていたというか、
これも芸術家肌の人間だからっていうのもあるかもしれないですけど、
自分の思っていることとかいうのを、
ごまかすことなく小説の中でちゃんと語っていたんで、
そうやって意識を自分の中で高めていったから、
42:02
そういう運命になったんじゃないかなっていうのも。
これも小説の人物が自分をごまかして、
本音はこうだけど、
これだとちょっと体裁悪いから、
ここはもうちょっと学校に寄り添った考え方で、
普段生活しておこうかなみたいな人物だったら、
そんな運命は訪れてなかったんじゃないかなって。
確かにそうだね。
スティーブンの姿勢が、
そういう姿勢だったから訪れた運命だったかもしれないね。
スティーブンは自分がいろんなことを受け入れて、
それでもこういうことのためにということで動き出してるもんね。
自分と向き合うには運命が必要なんだろうか。
やっぱりじゃないですかね。
自分をごまかさずに、
異端子扱いされたとしても、
自分の中だけではごまかさずに生きていて、
自分の意識っていうのをちゃんと持って、
で、ある時訪れた経時というか、
運命を受け止めて、
またごまかさずに生きていくっていう、
このスティーブンの生き様をなぞれると、
そんなふうにちょっと思いましたね。
そうですね。
自分がそれできるかって言うとですね、
全然別の話ですけどね。
確かに。憧れはするけれど。
憧れはしますね。
やっぱこれを若い時読むと確かにね、
それはすごい感動するなっていうのをやっぱ思いますね。
確かにこれ20代ぐらいの時に読みたい一冊だったかもしれないですね。
そうですね。
大学生ぐらいが一番いいかもしれないですね。
そうですね。
じゃあちょっとこんなとこにしておきましょうか。
はい。
じゃあ最後、感想伝えて終わりにしていきたいと思います。
三枝さんどうでした?
念願ではないですが、読むチャンスを。
そうですね。
いただけてやっと再読できたんで。
でもやっぱり良かったですね。
やっぱり自分一人で読んだだけだったら、
そこまで理解できなかったと思うんですけども、
こうやって大地さんと喋っていくと、
自分の中でも整理できて、
やっぱりこの小説からすごい大きな感動をもらってたんだなって気づけて、
いやいや、今回やっぱり読み返してなおかつ、
この喋ることができて、
本当に自分の中では、
いや本当になんかすごい充実感が今ありますね。
なるほど。いいですね。
なんだろう、夏目漱石のぼっちゃんとか、
なんだ、心とか、
あの辺りをちょっと読んだ時のような、
ちょっと国も違うからあれだけど、
やっぱりこの、なんて言ってんのかな、
ある年齢の時に絶対響くだろうなみたいな要素がある作品で、
それを今、結構いい歳した時で読むと、
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やっぱりこの若い時の自分を俯瞰して見れる感じがすごい良かったですね。
だから個人的には、さっき話したけど、
二十歳前後の人にも読んでもらいたいし、
結構自分年取ってるんだけどなって人も、
多分若い時の自分を思い出せるので、
読んでもらいたいなと思いましたね。
確かにね。この小説から感じるところには、
年齢とか関係なさそうですもんね。
そうだね。
あとはやっぱり、
ユリシーズ読んで、
このスティーブンのその後をですね、
それを見てみたいなとも思いましたね。
ちょっとユリシーズの、いつかいけるかな。
長いのかな、あれも。
だいぶ読みにくいと思う。
自信はないですけど。
ちょっと紹介するかどうか置いといて、
ちょっと読んでみますか。
軽く座りぐらいだけ、
読んでみようかなって、
なんかね、思えてきましたね。
じゃあ、こんなところで終わりにしましょうか。
次回予告行きたいと思います。
次回はですね、半岸さんのそっと静かにというエッセイを
ご紹介する予定です。
お楽しみに。
番組の最後になりますが、
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ではまた来週。
ありがとうございました。