で、こちら小澤美和子さんが前ゲストに来た時に少し紹介させていただいたんですけれども、その時からですね、ちょっと読もうとは思ってました。
で、その後私、読書会が都内であって、もうこれは申し込んで読もうと思って申し込んだんですけど、体調不良のためですね、その時、前日か前日か当日の朝にちょっと欠席の連絡を入れさせていただいて、ちょっと読書会に参加できなかったっていうこの無念がありますね。
最近ちょっと開催できないんですけど、読書会やってる身としては心苦しかったのをよく覚えてますね。申し訳なかったなと思いながら。
せっかく本読んできて、参加できないのはちょっと辛いですね。
いやもうちょっと、これ確か4月だったかな。本当4月の中もね、本当すごい体調悪い1週間があったんですよね。
というところで、ちょっとその無念を晴らすために今日ちょっと紹介していけたなと思っております。
個人的には今回、夢の中で責任が始まるこちら短編集になりますけれども、すごく端的にいろんな話が入っていて、非常にバラエティーに富んでいる作品だなと思ってます。
今回何度も言うかもしれないんですけど、この先にすごい面白いなと思っているのは、デレモ・アシュワルツが多分ね、書こうとしてることに振り切ってる感がすごくて、
リアリティとか現実味っていうのを置いておいて、もう書きたいっていうものを書き切ってる感があって、私はもうそこに痺れましたね。
っていう話をね、ちょっとしたかっただけなんですけどね。終わっちゃった。
たしかに夢で見た光景とかをそのまんま目が覚めたら書いてるみたいな、そんな作品とかね、多いですよね。
そうだよね。本当その辺りはすごい面白いなと思いますよね。
そうですね。僕もすごく面白く読んでいたんですけども、結構登場人物でこじらせた男性が多いですね。
たしかに。
それは読んでて面白いと思ったところですね。すごい癖が強いというか、なんかね、考え方が偏ってるみたいなですね。
そんな男がだいたいどの作品にも出てきて、人生がうまくいくのかいかないのかっていうところで、うまくいかなさそうな雰囲気がすごい漂ってるような、そんな人物とか結構出てくるんですけど、
この小説自体は、作品集自体は1930年代とか、なので100年近く前に書かれたものが多いと思うんですけども、
なんかね、すごく描き方もユニークだし、登場人物も癖が強くて面白いし、新鮮に読んでいけましたね。
ああ、そうですよね。うんうん。なるほど。
確かにこじらせ男子っていうか、女性もこじらせる人に現れてましたけどね。
そうそうそう。まあね、いますけど。
何というか、変に歪んでしまって、歪んでいるっていうのか、まあでもこじらせるか、こじらせるってのが一番正しい、日本語としてはなんか通る気がするね。
ちょっとこじらせ系な人たちがたくさん出てくる話ですね。
じゃあそんなわけでちょっといろいろ話していきたいので、まずは著者を紹介していきたいと思います。
デルマ・アシュワルツさんですね。
デルマ・アシュワルツは、作家・詩人、1913年アメリカ生まれ、ナポコフ・エリオット・ラガソの才能を絶賛し、ソウルペロー・アユカワ・ノブをルーリードなどに影響を与えた。
短編詩集、夢の中で責任が始まる、詩集創世記など、1966年にお亡くなりになっております。という方ですね。
じゃあちょっと具体的にデルマ・アシュワルツの作品に入っていきましょうか。
じゃあ刃元ホームページから引用させていただきます。
夢の中で責任が始まるという一作の短編により鮮烈な登場を果たす矢、ウラジミール・ナポコフ・ティー・エス・エリオット・ラにその鋭い才能を絶賛され、
20世紀アメリカ文学史上に一条の軌跡を残した伝説的作家、デルマ・アシュワルツ、サリンジャー・チーバー・フィッツ・ジェナルドの系譜に連なる若者たちの焦りと輝きをクールな筆地で捉えた、
新世代の代弁者、待望の本法初作品集となっております。
というところなんですけれども、もうめちゃくちゃ大絶賛された作家という感じですよね。
すごいナポコフとかエリオットに絶賛されるっていう。
にしては、なかなか日本ではまとまった翻訳がなかったっていうのがね、ずっとあったんですよね。
この夢の中で責任が始まるという表題作の短編がなんかすごい代表作みたいな扱いで、
逆にそれ以外があんまり翻訳されていなかったというか、あんまり知られていなかったみたいですけど。
なんかちょっとあれなのかね、一発屋みたいなイメージが強いのかね。
というわけではないと思うんだけど、この作品集の短編は大体どれもめちゃめちゃ面白かったんですけど。
そうですね。やっぱり引き付けるものあると思います。なんかこの面白いのが、序文がついてるんですけど。
ルーリードのね。
ルーリードの。結構それがもう、ルーリードはミュージシャン。
で、あれですよね。大学でこのデルモア・シュワルツから学んでいたですよね。文学を。
で、すごい。それでデルモア・シュワルツに傾倒して、すごい影響を受けたって言ってて。
ルーリードの序文がすごい熱烈な、このデルモア・シュワルツへのラブレターみたいなぐらいの熱い内容になっていて。
最初の出だしが、「おお、デルモア。あなたがいなくて、あんたがいなくてどれだけ寂しいか。あんたのおかげで俺は書き始めた。」
っていうところから、もうね、つらつらと。いかにこのデルモア・シュワルツがすごいかっていうかね。
どんな影響を受けたのかっていうのを書いてるんですよね。
うん。ね。すごい好きだったってことが伝わってくる文章ですよね。
うん。
そんなこの夢の中で責任が始まるんですが、ちょっといろいろ話していきたいと思います。
個人的にちょっとですね、まず作品の特徴というか、この作品紙の特徴をちょっとお話ししていきたいんですけれども。
これはですね、短編がいくつもあって結構長さもそれぞれ違うんですけれども、結構長めの作品になると登場人物が結構多いんですね。
で、だからとはいえそんなに文章量がそれぞれたくさんあるわけじゃないんですけれども、この登場人物が結構たくさんいます。
で、基本的にというか、そうしてあんまりこういい印象を持つやつが出てこない作品になってて。
で、それがなんかこじらせてるとかっていうのにちょっとつながってくる感じはするんですけど。
なんだろうな、なんていうか、全員が全員悪人とかっていうわけでもないし、ただ全員が全員善人でもないっていう、すごいなんか人間らしい部分を描いてるなと思っていて。
で、やっぱりそれぞれ誰もが思い通りにいかないこの部分とか、暗い部分っていうのを抱えていたり、あとよくわからない欲求を抱えていたりみたいな、そんな感じがちょっとしていて。
なかなかこじらせてるなっていう感じの人たちが出てくるんですけれども、そういうのがですね、結構いろんな角度というかいろんな状態、いろんなパターンで出てきて。
個人的にはこのあたりはすごく面白かったし、一人の人間からこれだけのパターンが描けてるっていうのは、このデル・マーシュワルツが描いてるっていうのはすごい面白いなって。
単的にすごいなって思いました。で、その中で結構やっぱり極端な人物というか、極端に過剰に表現してる部分ももしかしてあるのかなってちょっと思うところもあるんですけれども、
ただ、これが私が冒頭で言ったリアリティよりも描きたいことを優先してる感じがすごく強いんですね。
それは登場人物だけじゃなくて、夢の中で責任が始まるもそうなんですけど、設定とかもそうだし、展開の仕方もそうだし、ちょっと変に現実味がなかったりする。
けれども、読んでいくとこういうこと描きたかったんだなみたいなのがわかってくる作品が多くて、これはもう本当に振り切ってる感じがあって、私は個人的にはかなり好きでした。
それを支えてるというか部分で言うと、結構心理描写がめっちゃ上手いんですね。この心理描写の部分なんですけど、本当に登場人物たちの気持ちを数行とかでぱぱっと描き出してる感じがあって、
字の文でもそうなんですけど、特にセリフですね、登場人物たちの言葉に上手く載せてる感じがあって、ここは読んでて、ちょっとこの、待ってまだこの1ページでどんだけ表現するんだよって思うくらいすごくね、本当数行で1人、また次の数行で1人みたいな感じで、
軍蔵劇とかはもう本当に1ページの中で何人もの身長が書かれたりとかしてて、ちょっとびっくりしましたね。やっぱここのあたりは文章量とかも含めて、なんというか巧みすぎるなっていうところがちょっと思いました。さらに文章ですね、文章の運びっていうのが本当すごくテンポが良くて、状況が伝わってくる文体、文章運びで、これは本当に短編書くのが上手い人だなってちょっと思いましたね。
上編でこれ、この走り方、書き方すると結構大変じゃないかなって思いますね。本当短編で、なんか本当か不足ない感じ、ミニマムな感じっていうか、それはすごく感じました。ここはもうなんかいろんな方々が絶賛するのも納得するような部分だなと思いましたね。
なんか基本的にすごいインテリだなと思いましたね。なんかそのベースにあるのが、すごく本当頭の良い人の文章っていうか書き方みたいな。まあ確かにね、これでちょっと長編とかになってくると、それが実現できるんだろうかとか、確かに思ってしまうような。
でも、この登場人物たちとか、この群蔵劇で、作品によってすごく夢の中に入り込んでるような作品もあれば、ちょっと現実話でしたね。一方で結構現実的な群蔵劇をいろんな登場人物たちが絡み合って見せる群蔵劇とかもあって、文体がすごくそれぞれの世界観とかマッチしてるのかなと思いますね。
その登場人物のそれぞれ癖がある人多いんですけど、セリフの言葉遣いとかそういうところからしても、その人物像とか世界観とか、そういったのがすごく翻訳がうまく表現されてるんじゃないかなっていうのを読んでいると思いましたね。
そうですね、確かに。これでも大変だったんじゃないですかね。ちょっと小澤さんも。
そうですね。ベルジャー役してる時と同じ時期に役してたって言ってたんで。
全く違うよね。なんか自意識っていう意味ではあるかもしれないけど。
ベルジャーのシルビアプラスも今回のデルモアシュワルツも、やっぱり作家であり詩人でありっていう人なんで、ベースのこのちょっと詩人的な部分でそれぞれの個性があるんで、役し分けるのってめっちゃ大変そうだなって思いますね。
ベルジャーはね、主人公の心情に一本に入ってるけど、これなんかめっちゃ交差するもんね。いろんな意識が。
そうですよね。
でもこの交差するのがやっぱりこの作品面白いなって思うけどね。
じゃあそのところでちょっとどういう交差があったかも含めて、これからちょっと作品も紹介していきましょうか。実際の。
今回は3本この中から紹介したいと思います。実際には8本入ってるんで半分も紹介したいんですけども、
ぜひ他の5本は、もちろん紹介するものも含めて読んでいただけたらなと思います。
短編なんであんまりネタバレとかも気にせずにいきたいなと思っております。
今話した通りあらすじが分かって読んでも絶対楽しめると思うので。
めっちゃ大分けだけどこういう話なんですけど、この間にはね、両親とのデートを見てて思わずいろんな感情が湧き上がってきて、
トイレに行ったりとかいろんなシーンがあるんですけれども、ざっくりとこんな話ですね。
この作品がもうめちゃくちゃ評価されているというところなんですけれども、これでもどうなんだろうな、賛否分かれるかな。
いやー、どうなんですかね。
すごいよかったです。
すごいよね、構成といい、感傷のあれといいね。
なんかすごく映画浮かびましたねって言って。
確かにね、結構そのテーマもね、このすごいっていうか、両親の結婚を止めてしまおうとすることって、
イコール自分が生まれなかった未来に結びついてしまうけれども、
なんかそこの辺のすごい怖さはすごいあったけれども。
なんか結構ね、笑いましたけどね、この自分が生まれてこない方がいいっていうところで、
なんていうか、スクリーンに向かって叫ぶんですよね。
いやもうやめた方がいいと。両親がね、もうこのまま結婚しますよっていうね、なっていくんで。
で、2人とも今ならまだやめられると。
そんなことをしたって何もいいことなんか起きないんだ。
ただ後悔や憎しみや地熟、それからゾッとするような性格の2人の子供が生まれるだけなんだからっていうと言ってて。
ちょっとね、笑ってしまいましたけど。
いやこれそうよね、なんか私もその、なんか今どこであったかなと思って、
ゾッとするような性格の2人の子供が、まあイコール自分ですよね、が生まれるっていうね。
出来の悪いとかってあったかなと思って。
ゾッとするような性格の2人の子供が生まれるだけ。
でもこれイコール自分だもんね。なんかすごい夢を見てるよね、ほんとね。
うん、そうっすね。
映画の中のこの父と母は、もうなんかすごい良いストーリーになんか見えるんですよね、この小説の中の。
ああね、うん。
映画の中を追っていると。
でもあれだっけ、なんかその、なんか全然上手くいきそうな感じ出てたよね。
うんうんうん。
ああでもそっか、最後あれだよね、イライラしてて。
あれだよね、お母さんを残したまま父は行ってしまって、
うんうん。
で、なんか占い師か何かに止められるのか。
うん。
うん。
ああそうっすね。
ちょっとね、やっぱ不穏な。
不穏なところが後半にちょっとだけある。
終わるってことね。
いやーでもこれはすごい、やっぱ21歳の誕生日っていうのが多分結構意味深いっすよね、きっとね。
ああそうっすね。
大人というね。
お父さんも13歳から一人暮らしして、今29歳かな確か。
まあ商売頑張ってきて、お金も貯まってきて、まあそういう意味でやっとプロポーズをするんですけど。
だからこの当時のその時代のこととか考えると、これやっぱりすごい立派な子だというか。
うんうんうん。
成功しているお父さんなのかなと思うんですけども。
なんかその時代のことを考えると、それはもう結婚して家庭を築いてっていうのがなんていうか、それが成功というかそうするべきみたいなところあると思うんですけども。
この主人公がそこにマットをかけてるっていうのがなかなかその当時やっぱり斬新だったのかなと思いましたね。
確かに。
なんかちょっと今風な。
確かに今風だよね。
確かに。
その当時の価値観にちょっとマットをかける、ちょっと突っ込むっていうところ。
じゃあちょっとそんなところにして次行きましょうか。
じゃあ次紹介するのがこの世界は結婚式という作品ですね。
これがこの収録作の中で一番長くて80ページぐらいある中編になります。
どんな話かというと文芸サークルですね。
と言ってももうみんな社会人になっていて、だいたい20代後半とか30代とかの人たちが毎週土曜日の夜にこのリーダーの人の家に集まって、
学生時代のノリでというか文芸サークルを継続させて、その時その時その時の話題をちょっとネタに盛り上がるみたいなですね。
そんな生活を送っていると。
そのリーダーのラディヤードという人がいるんですけども、この人はもう学生時代からすごく将来有望視されていて、
もう学校の賞とかを、技曲を書いたら学校の賞とかを取っていて、
誰もがこのラディヤードは有名になると思ったんですけども、なかなかその技曲が採用されなかったりして、
社会に入れるというかプロの作家になろうとするとうまくなれないというので、
作家志望だけど無名の作家というような立ち位置の人になります。
他にもサークルメンバーたくさんいるんですけど、結構一癖二癖あるような人たちで、
みんな基本的にインテリーな人たちなんで、なかなか難しいことを考えていたり、
仕事もしている人もいたりすると。そんなサークルなんですけど、
中でジェイコブという男性ですね。このジェイコブもちょっとみんなから一目置かれるような存在で、
ちょっとその周囲から離れて、ちょっと俯瞰して物事を見るようなタイプですね。
結構このジェイコブがサークルメンバー一人一人の心の中を見透かすような、
そんなことをして実際この人はどうなのかとか、そんなことをつらつらと述べていくという。
なので結構この世界の結婚式は三人称で書かれているんですけど、結構ジェイコブ視点な話でもあります。
サークルではいろんな出来事が起きまして、
リーダーのラディアドの元にとある劇場の人が、ちょっとラディアドの劇局好きだからちょっと一回挨拶したいって言ってきたら、
ラディアドがそういう人付き合いみたいなのがあんまうまくできなくてね。内心多分嬉しいと思うんですけど、
ひねくれてしまってるんで、ひにくを言ったりして変な対応してしまってね。
劇場の人を呆れさせて返してしまうとか、あとは恋愛絡みでなんかあったりとかですね。
いろんな出来事が起きていって、やがてですけどメンバーの人たちも仕事で離れていったり、
残る人もいれば離れていく人もいるっていうので、彼らにとってこのサークルのメンバーの人たちにとってこのサークルとは何なのか、
この世界は何なのかというので、タイトルの通りこの世界結婚式っていう、そういうちょっと一つの結論に導かれていくような文造劇になります。
これは本当にその登場人物も多くて、結構わちゃわちゃするんですけど、一応章の、章みたいにちょっと分かれてて、この話の中でも分かれてて、
それぞれね、1なんとかなんとかってなってるんですけど、全部その中に出てくるセーフだったりするんですよね。
そうですね。全部で10個の章、10分割されてるんですけど。
一つ一つそんな長くないんですけどね。そのあたりもちょっと印象に残る言葉がそのタイトルに使われてて、ちょっと面白かったりしますね。
そうですね。なんかね、結構僕がね、面白いなと思ったのは、みんなやっぱり才能はあるんですよね。
トンマ・ジェイコブからは見られていて、そう、えーと、才能はあるけど、でもなんかその性格的にちょっと難しいタイプの人間で、
なんかその、なんか上の人は認めてるけど、でもなんか推薦はできないみたいなですね。そんなタイプが多い、なんかそんなサークルではあって。
えーとね、僕好きだったのはですね、フランシス・フレンチっていう人で、この人は教師に、学校出て教師になるんですけど、
すごいやっぱり優秀な人で、しかもすごいイケメンで、なんかその教師の中でもすごくエリート街道みたいなところに就職するんですけど、
ただその学生と関係を持ってしまってっていうので、なんかその校長先生に問い詰められるんですね。
で、校長先生からするとすごくそのフランシス・フレンチっていう人を気に入ってるんで、まあこの、だからもう名目上でNOと言ってくれたら、もうそれでお咎めなしにしたいから。
あー、あったね。
で、そう、学生とこんなことしてるのって、とりあえずもうNOと言っといてねっていう感じで聞いたら、そこにもNOと言わずに、
いや、これがもう自分の主義なんでみたいな感じで、フランシス・フレンチが返して、それでええってなって、結局ね、ちょっと職場を変わることになってしまうんですけど、
で、もう我が道行くんですよね。このフランシス・フレンチはもう学校の先生しつつ、なんかその生生活ですね、もう溺れていくっていう。
そう、それを、なんかそれがなんか、仕方なく溺れていくとかじゃなくて、なんか自分から望んで、なんかね、それを、その道を突き進んでいくっていうですね。
うんうん、確かに。
いや、なんか、そうなんだこれはってね、ちょっと思うような人物なんですけど。
そうですね、うん。まあみんな癖があるけど。
このフェルディ・ナンド・ハラップっていう人物は、まあ作家志望だったんですけど、ちょっとその作家志望にしてはやや控えめなタイプの人だったんですけど、
その代わりなんかその仕事をですね、お父さんの仕事を手伝ってたら、まあその事業ですね、こうしてね、なんか裕福になっていって、
なんかね、なんかそのサークルメンバーとちょっとそのお金の、なんていうか価値観みたいなところで、だいぶね、開きが出ていくみたいな。
ああ。
こういう風になっていくというかですね。
まあまあすごい良い人ではあるんですけど、なんかね、面白い。
うん。いやでもそう、その辺のなんか、こう登場人物たちの、なんていうのかな、このマウントの取り合いじゃないんだけど、なんて言ってるのかな。
なんかちょっとずれ、ずれていく感じはすごい面白いよね。
うん、あ、そうですよね。
うん。
サークルのメンバーだったけどでもなんか、だんだんこの人はこうなっていくみたいなっていう。
それはね、ちょっとジェイコブがね。
まあ。
うん。
まあそう、歳を取るとみんな昔のままではいられないっていうことではあると思うんですけどね。
うん、そうです。
まあでもそんななんかいろんな人物たちを見て、ジェイコブはなんかね、僕らはみんな自分自身の世界に住んでいるんだって言ってね。
うん。
なんかそれをなんかその受け入れるっていうか、なんかそういう世界なんだからっていう風に、なんかね、その言ってるところがあって。
結構長いけどめちゃめちゃ面白い一本でしたね。
あ、そうですね。
うん。
そうですね、なんかめっちゃ面白かったですね。
うん。
なんかあの、ちょっと思ったのが森見富彦とか。
あー。
なんかね、よりなんて言うんですかね、その。
インテリ。
インテリード。
インテリードをもう思いぐっと。
うん。
高めて。
完全に。
なんか書いたらなんかこんな感じの。
うん。
これ確かニューヨークだっけ?
ことを書きそうな気がする。
ニューヨークだっけ?
これはニューヨーク。
ニューヨークだったっけな?
じゃないですかね。
うん。
なんかそんな感じはするよね。
確かに。
そうですね。
うん。
そうですね、森見富彦をなんかめちゃめちゃ純文学よりにしたらこうなるかもってちょっとね、思うような。
毎回集まってくる人たちのこうね、変化と、変遷と、新しいメンバーと、みたいなのは。
そうそうそう。
そうですよね。
うん。
で、ちょっと次紹介というか最後紹介したいのが大晦日、ニューイヤーズイブかですね。
大晦日なんですけれども、現代ニューイヤーズイブですけれども、これですね、結構今話したこの世界は結婚式と結構似てる気はしていて、
なんかこの世界は結婚式は結構テーマ性が強かったなと思ってるんですよね。
人生は結婚式なんだみたいな、このパーティーにどう参加するかみたいないう話があって、
まあでもその反論としていや葬式でしょみたいなことが言う人がいたりして、
まあ結構全体としてもね、このまとまりのある作品、長い、長さのありつつまとまりのある作品だなっていう感じがしたんですけど、
一層かはですね、まあ世界は、この世界は結婚式よりは短いし、結構いろいろ、まあほんと一晩の出来事の話なので、時間軸で見てもそんなにないんですけど、
この世界は結婚式は結構時間軸長いんですけど、葬式は結構もうほんと一晩キュッとしてるんですけど、
でも出てくる登場人物の数とか感じと結構似てて、なんかこれがテーマ性じゃなくて、このなんか設定によってあのぐっといろんなことを描こうとしてる感じがして、
またこれはこれで面白い話だなと思ってます。
あとオリバーとシェナンドーっていうと年がわかってるのに年を聞き合うっていうシーンがあって。
これわざとやってるね。その感じとかね。たまにこういうシーン見るわっていうのもあってね。すごい面白かったですね。
オリバー年齢聞くまでは頭の中では40代半ば、40代後半ぐらいのイメージだったんですけど34歳だったんです。
結構若いな。
思ってたより若いっていう。
それを私も思いましたね。ちょっとそんな感じでオミスが紹介させていただきました。
今回主に紹介したのは今の3つの作品なんですけど、それ以外にも他にもいろいろな作品があって、どれも本当に印象に残るような話が面白い話ばっかりなんですけども、
生きる意味は子供にありという作品は個人的には結構好きですごいね。これも読み応えがあってちょっと紹介したいなと思ってた。思えたぐらいなんですけど。
これもダメ男というか、実家で親のすねをひたすらかじりまくる男の、
シーモアという男性なんですけど、子供の時はちょっと名前が違ってるんですけど、息子を凄く出来合いしてしまうお母さんと、あとお姉さんたちもいるんですけど、その家族の話で。
しかも面白いのが、凄いダメ息子で働いたら会社の金を勝手にギャンブルに継ぎ込んだり、あと何か仕事も全然寝坊ばっかりしてすぐクビになったりするようなタイプで、そのシーモアという人が。
で、ちゃんと商売としてできたのが、そのギャンブラーみたいな。仕事しかできなくてみたいな。で、そんな息子を出来合いするお母さんとかは、あとお姉さんは結構周りからも慕われているタイプでしたね。
そう、なんかね。その辺がなかなか、ちょっとこういうのもリアリティあるのかもしれないなって思うところでしたね。
うん、ね。
うん、そう。本当にね、そのお母さんは周りみんなから本当にすごく慕われて、尊敬もされて慕われるような人柄の人で、なんで息子にこんなにでも、ダメ人間なんですけども靴下を履かせてあげたりとか。
そう、なんか息子が帰ってこなかったら夜中お姉さんに探しに行かせたりとか。
これは、そうなんだよね。明らかにお母さんが悪いよね。なんかね、甘やかしすぎだよね。
そうですね。母さん、人としてすごいね、できてるんですけど、息子のこととなるとなんかそこだけなんかね、ちょっと何か欠けてるところがあるような人で。
そうだよね、まあこれ他の作品もそうだけど、やっぱりもう完璧な人間はいないっていうあのことなんでしょうね。
そうですね。また面白いのがね、これが結構後だけでも、デルモア・シュワルツのこの自伝的要素がある作品って書かれていて、だからなかなかぶっ飛んだ内容だなと思ったんですけど、これ自伝的要素あったんだっていうので、ちょっとねびっくりしましたね。
確かにね。これシーンワーだよね、シュワルツ。なかなかちょっとね、自分をこういうふうに描けるってなんかすごいよね。
そうですね。シーンワーだとしたら相当ヤバい人間ではあるんですけど。
シュワルツの作品はなんかもうちょっとこう、どういう顔を持ってたのかもっと知りたいからちょっと読みたいですよね。
なんかその、あと一番最後に収録されているスクリーノという作品も、これもすごく不思議で、本当になんか夢の中で突然出てきたかのようなシチュエーションで、
映画見てて、映画見終わったらね、急にビンゴ大会が始まるんですよね。なんかあの映画館に、なんかその司会者みたいな人が現れて、
自分からねカードを配ってビンゴ大会やって、一列数字の穴が開いた人は賞金がもらえるっていうので、
そしたらなんかね、これもデル・モア・シュワルツらしき主人公が一番目にその賞金もらえることになって喜んでたらそこからね、
ちょっと鈍電返しみたいなのが起きてしまうっていう話で、これもなんていうか、デル・モア・シュワルツの一面なのかなっていうね、
もしかすると思うところもあって。これでもなんだかんだ悪い人ではないのかなと。
ラストのとこすごく、このね、スクリーンのラスト結構好きなんですよね。
うん。そうですね。なんかうまくいくと思ってたら、そうはならないみたいなのが、デル・モア・シュワルツっていう人なのかなっていう。
なんかすごくね、そんなこと思わせるような。それもなんていうか、自分でそうしちゃってるっていう。
でもすごくこのスクリーンのはね、ラストすごいそのあたりも含めて、彼の気持ちの持ちようまではいかないけどね、
自ら選んだ行為に対してこういう気持ちを持っているみたいなところが描かれてて、いいけどね、楽しく生きるものこそ強く生きよう。
喜びなくして何の宝ぞっていう。まあちょっと詩があるんですけど。結構ね、好きでしたね、スクリーンのね。
デル・モア・シュワルツさんは全然、これ描かれたのってもう1930年代とかだから90年ぐらい前だけど、全然古びてる感じしないですよね。
まあ時代に映してるものは全然、もちろん古いんだけれども、なんか描いてる感情とか、なんていうのかな。