うん。
普通の展開じゃないよね。
そうなんですよね。
なんか一つなんだろう、もう本当、だから予想外の話が延々となんか続くっていう感じなんですよね。
うんうん。
なんか出来事はね、進んでいってもなんかそれをどう語るか、語るところがもう、なんかしりめつめつなのかなのか。
うん。
いやでも、すごい久しぶりに思ったな。
うん。
こんな何でもありな小説久しぶりだなというか。
うん。
何でもありって、いわゆる異世界転生みたいなそういう何でもあり感じゃなくて、文章ってこんな自由でよかった。
ああ、それは。
みたいななんか。
うんうん。
一文進むともうなんか世界がちょっと変わってしまう時とかあって。
うんうん。
もうジャケット脱がないからお母さん飛び降りたみたいな。
うんうんうん。
なんかもう訳わかんないみたいなとかあったもんな。
そうですよね。
急に暴力的になったりするし。
うんうん。
そうですよね。
だから理解度低いかもしれないけど、ヤバさだけはわかる。
そうですね。
とんでもなくヤバい作品だってことはわかる。
この作品を書いた、ちょっと紹介したいと思うんですけども、マリー・ケルカス・ラインレフェルトさんはまだ若いんですよね。
1991年オランダで実際にこの人も農家で育った方で、作家であり詩人であると。
最初は詩集ですね。詩人としてデビューして賞を取ったりして注目をされます。
この小説は2018年に本国で出て、オランダのみで28番部。
すごい国内のベストセラーになっていて。
2020年ですね、英語版が出て、それがブッカー国際賞を受賞したと。
ブッカー賞というのがあるんですけども、ブッカー賞は英語圏の作品が対象になる賞なんですけど、
ブッカー国際賞は外国語が英訳された、その英訳された本を対象にした賞で、
同じ年は2020年のブッカー国際賞は小川陽子さんのしさやかな結賞も最終候補に入ってましたし、
ラジオでも前に紹介したことがあるスモモの木の刑事ですね。
これも植フェアーザルさんのスモモの木の刑事も最終候補に入っていたし、
6作品最終候補にあった中でこの不快な夢が選ばれたということで、すごい海外で評価されていて。
そのブッカー国際賞を取った時は29歳で史上最年少だったという。
著者紹介で写真とか見ていると金髪のロン毛のすごいかっこいい男性なんですけども、
これもあれですね。性別もですね、男性であるし、断定はしてあるのか。
性辞任をどっちにしてるんだろう。一応今のところ男性にしているのかな。ひいひいって書いてあるね。
しばらくノンバイナリーを辞任していて、後に男性として生きる道を選択したと公表していると後書きに書かれているんで、
作家さんもいろんな自分の中での道を通って今は詩を書いたり書籍を書いたりしている人だと思うんですけども。
ブッカー国際賞史上最年少で受賞しているという点と、自分も読んでるから分かるんですけど、
ひそやかな結晶と相撲の木の形状を差し置いて、これが撮ってるっていうのはとんでもない状況だなと思いますね。
確かにこれはヤバい作品だからもう。そんなところで作品紹介いきましょうか。
ここから作品紹介していきたいと思います。
公式ホームページの紹介文によりますと、ブッカー国際賞史上最年少で受賞。
今注目のオランダ人作家のデビュー長編。
オランダのラクノオカ一家に育った10歳のヤスは、クリスマスの晩餐用に殺されるかもしれない。
自分のウサギの代わりに兄が死にますようにと神に祈る。
その祈りが現実となった時、不穏な空想の闇がヤスを襲う。
なるほど。このホームページのやつ結構端的。
そう端的ですね。
何が何だか分かんないですね。
このいきなりですけど、ウサギの代わりに兄が死にますようにって祈って、それが現実となるっていうのはなかなかすごそうな話っていう。
その予感は感じます。
じゃあちょっとですね、具体的なストーリーを最初に今日は伝えていきたいと思います。
オランダの小さな村に住む一家の長男が死んでしまうというところから、この話は始まっていきます。
スケート場の事故で、長男のマティースという男の子が亡くなってしまうんですね。
スケート場に穴ができて、その下に入ってしまって亡くなってしまった。
語り手の長女ヤスが10歳の時の出来事なんですが、この時ヤスは軽々しく自分のお気に入りのウサギの代わりに兄が死んでしまいと思っていたという状況があります。
そんな思いが兄を死なせてしまったのではないかとヤスは考える。
ちょっとこれだけ聞くと結構割とありきたりな物語というか、あるかなっていう説明なんですけど。
ヤスもこの時は自分もスケート一緒に来たかったのに、家の都合で自分は連れて行ってくれなくて、
お兄さんに一人だけ行ってしまったからね。
畜生という感じでウサギの代わりに兄が死んでしまえばいいのにみたいな、ちょっと軽いノリで祈ったんですよね。
それに対していろいろ抱えるものはあるんですけれども、この不快な夕闇ですね、それだけでは済まない話ですね。
この長男マティースを失った一家は徐々に崩壊していきます。
父と母は不仲になり、ヤスの弟オブというのがいるんですけど、あと妹の母なんですね。
このですね、残された5人家はそれぞれにねじ曲がっていきます。
この片手であるヤスは真っ赤なジャケットを着ることにして、これをカタクナに脱がない状況が続きますね。
ジャケットで隠したおへそのあたり、お腹ですよね、に画鋲を刺したままにしています。
ちょっとこれがもう本当状況一致しているなと思うんですけど、画鋲を刺し込んだままにしていますね。
これちょっと調べるとこのオランダ改革派教会というのがプロテスタント、オランダの中で一番大きな宗教になっていると。
両親はそこの厳格なプロテスタントであると。
ただですね、今回この長男マティースが亡くなってしまったことで、その死というのが家族に重くのしかかってきて、
主人公の安はいろんな経緯はあるんですけども、やっぱりそのちょっとプロテスタントで育ってきたというところで、
結構その信仰心というかですね、信じているところがあって。
で、ある時その両親の会話を盗み聞きしてですね、やっぱりその両親もその長男の死を受け止めるっていうのがなかなか、
それを消化するっていうのはできなくて。
で、これはもう罪のせいだと。
十戒っていう言葉があるんですけども、それの十戸の災いの。
で、少女はじゃあその災いが起きたのは、なんか自分がうさぎの代わりに兄死んでほしいって願った、祈ったっていう自分のせいだって思って。
で、家族ですね、その長男が亡くなった後も両親であったり、子供たちも代わりなく日常を過ごそうとしているもののやっぱりどんどん変わっていって、
主人公安の住む世界っていうのが不穏な夕闇に包まれていくっていうですね、そんな感覚ですね。
それはもう家族がだんだんちょっと変わっていく、崩壊していくっていうですね。
なんかそんな流れになると同時にこの不快な不快感とかね、ちょっと闇な部分っていうのがどんどん濃くなっていくっていう、そういうところがあります。
これあのあらすじにもあったし、家族崩壊するって部分なんですけど、いわゆる自分が知ってるようなですね、家族崩壊物の文脈ともなんか全然違う感じがして。
感情ってぶつかり合うみたいな、これも感情でぶつかり合ってるんですけど、なんかやっぱり大切な家族が一人欠けてしまって、
それを目を背けたり、誰かのせいにしたり、自分のせいにしたりみたいな、そういういわゆるわかりやすいですね、感情が表に出てくるんじゃなくて、そこにはそれがあるのかもしれないんですけど、
なんかもうただ混乱してるみたいになってたんだよね。特に父と母はとにかく混乱してるみたいな。なんで自分たちは今ここにいるんだろうみたいな。こんな生活してるんだろうかみたいな。
なんかそれに対する父はなんか怒りのようなものを感じるし、母はなんかもう悲しみと言っていいのか、なんて言っていいのかわからない。でも怒りなのかな、母も。
なんかね、とにかく混乱してるイメージがありました。だからなんか崩壊し続けていくだけで、元に戻る糸口みたいなのが全く見えてこないんだよね。
なんか自分からすると読み進めてるうちに、どんどん表に出てきてるような感じがしてるだけで、もともとこの人たちはもうバラバラだったんじゃないかみたいな。
そんな感じもするし、非常にこの辺りはですね、なんか初めてでした。
この家族一人一人がやっぱりちょっと狂ってるところがあるっていうのは、これはなかなか変わった設定なのかもと思っていてですね。
さっき話してきた不穏な話ばっかりなんですけども、そこに残酷さがあったり気持ち悪さがあったりするんですけど、
ただ詩的な言葉っていうのも随所に入っていて、結構やっぱり不穏だし、もう闇はすごい感じるんですけど、
ただ美しさを帯びる時もあるっていうですね、何ともこの独特な文体になってるなっていうのは感じました。
個人的にはこの小説の最大の魅力なのかなと思ってまして、この文章はでも本当すごいなと思いましたね。
文章とか語り、何言ってるのか全然わかんないっていうところはあるんですけど、でもそれも読み返したりして何とかついていったりすると、
こういうことを言ってたのかとかですね。こんな詩的な表現があったのかとかですね。
本当にさすが詩人だなってところなんですけど、文章はやたら美しい時があるんですよね。
これも一部切り取ってそこだけで美しいと感じれるかっていうとまた違うのかもしれないんですけども、
個人的には後半の305ページなんですけども、ハンナについてのところかな。
あ、そうですね。ヤスとハンナが二人で歩くことをしていて、そこでヤスがこのハンナですね、妹に思いを寄せる描写があるんですけど、
そこでヤスの心の声ですね、こんなことを言っていて、私は妹に沈んでほしくない。
自分をアイスピックのように妹の中に差し込んで、私を妹にしっかり食い付けにしたい。
私は妹を救いたい。でもイスは救うことができない。
イスはただ黙って自分の元に休みに来る。誰かを待つことができるだけだということがあってですね。
ちょっとこの描写の前にイスが出てきたので、イスっていうのが突然出てきたんですけども、結構妹と自分を言葉と言葉でつなぐっていうのはわかるんですけど、
そこにさらにイスも巻き込んで、イスは救うことができない。
イスはただ黙って自分の元に休みに来る誰かを待つことができるだけだっていうですね。
その言葉を重ねるっていうところがすごい良かったというか、すごい良い文章だなと思いましたね。
こういうすごくハッとするような良い文章があったりするんですけども、ただ結構そんな言葉多めっていう感じですね。
そうですね。ちょいちょい良いこと言ってるんですよね。
260ページの半ばぐらいなんですけど、
アリタチョは自分の体重の5000倍までのものを持ち上げられる。
それに比べて人はトルに足りない。自分の体重×1がやっとだ。
ましてや自分の悲しみを一人で背負うなんて無理だろう。
なんかめっちゃ良いこと言い出してる。
まあでもこの前後で行われることは結構不穏なんですけど。
文章美しいからね、それのマンバランスがマッチしてるのかここはもう分かんなくなってきたな、途中で。
でも間違いなく読ませてくれる力にはなってますよね、この文章の良さはね。
あとはちょっと不穏な話というところだと、このヤスの語りがやっぱり普通ではないっていうのが、
そもそもなんですけど、このヤスっていう少女がすごく無垢な子供なのかなっていうのは、
そういう性格の部分がそうだし、あとは信仰のところですね、やっぱり両親が厳格なプロテスタント。
やっぱりその日常の中で何かあると、
これだとばせられるよとかですね、なんかそういう忠告を受けたりしていて、
これはやったらダメだとか、そういうのをこうしなさいとかね、そういうのが厳格な家庭で。
家庭とか学校で起きる日常のあらゆることが、ヤスにとってはそれが自分の身に跳ね返ってくるですね。
そんな感覚っていうのはありましたね。
それが狂気を生み出していると。
例えばですけど、ヤスがおへそにガビを刺してたっていう話がありましたけど、
それも学校の授業で地図の上に自分の行きたいところにガビを刺しましょうみたいなですね、
ちょっとそんな一幕があって。
じゃあヤスはどこに行きたいかというと、それは地図上にはなくて、自分自身のに行きたい。
それもですね、やっぱり長男マティスの死とかですね、そういうのが関連してそういう思考に至るんですけど、
自分自身に行きたいって願ってるから、自分のおへそに、自分に行けるようにおへそにガビを刺すとかですね。
ヤスのそういうおへそにガビを刺すっていうところだけ見ると狂気的なんですけど、
そこに至る思考を見ると、やっぱりその性格の部分とか、あと信仰の部分とかですね、
そういうのがやっぱり絡み合ってて、こういったところがもうそんな話ばっかりですね。
で、赤いジャケットをずっと着ててそれ脱がないとか、あと2匹のヒキガエルをカエル飼ったりしてるんですけど、
そういうのにもね、ちゃんとヤスの中には理由があってそういうことをしている。
その辺がヤスの語りで伸びられていくんですけど、なかなかそこについていくのが難しいところだったんですけど、
読んでるとね、そういった症状はそういうふうに考えているんだっていうのはね。
でもそれに対しての行動がすごいっていう。
確かにヤスの中には理由があって、ちゃんとそれに従って動いているのはすごい分かる。
ヒキガエルもね、ポケットに入れて持ち帰って飼うけれども、この2匹に必死に交尾させようとするんだけれども、
それもね、一応理由があってのことだし、1個1個は暴走しているように見える部分が多いんだけど、理由はあるなっていうのは分かるんだけれども、
でもやっぱりそれを見せられても全然ついていかない。
そうなんですよね。
不思議な気もする。
そうですよね。
牛の肛門にヤスが手を突っ込んで、
あったね。
牛の肛門の中に物を入れたりするシーンとかあったんですけど、
そこもヤスの便秘とかね、そういういろんなのに絡んでのそういう話になっていったと思うんですけども、
なんでそういう話になっていったのかって全然分かんなかったんですよね。
ただ、そういう印象的なシーンはいくつかもあって、
印象には残るんですけど、なんでそうなったんだろうっていうところがなかなかね、
気づいたらそうなってたみたいな。
なぜこんなシーンになったんだみたいな瞬間は結構ありますね。
そうなんですよね。
個人的にはこの、途中で読んでるときに、
生の目覚めとか死周期みたいなキーワードがめちゃくちゃ宇宙の頭の中で出てきたんだけど、
ただヤスの行動はそれだけじゃ済まされないっていうか、
とんでもない構成を持っていたので、
なんでこんな至高のジャンプするんだろうみたいなのとかすごいあったから、
なんかね、常軌を絵してるって簡単に言ってしまえばそれまでなんだけど、
自分の想定の範囲外すぎることが結構出てくるので、
ちょっともうすごかったっていうところですね。
そうですよね。
この300ページぐらいヤスの至高の真ん中をのすぎに見るっていうのは、
これはもうなかなかやっぱすごい読書体験にはやっぱなりましたね。
じゃあこの後ですね、最後印象に残ったところを話していきたいと思うんですけれども、
個人的にはちょっとね、晩炎場面でヤスの感情が違ったような部分があって、
結局ヤスはね、父と母といたかったのかどうかってのは最後わかんなかったな。
痛いのかもしれないし、もう離れたいのかもしれないし、
どっちの感情も抱えてると思うんだけれども、
それがシーンによって結構出てくるものが違っていたなっていう感じはあって、
ちょっとここの揺れ動きとか、あと単純に読んでると混乱する部分かもしれないなとちょっと思ったりもしました。
なんかヤスがやっぱりお父さんとお母さんと一緒にいたいみたいな感じの流れになるときには、
ちょっと俺読んでて安心しちゃったりもしたんだけど、
やっぱそうだよね、こんだけいろいろあるけど家族だしなって思ったらまたちょっとしたらさ、
もう出てくること考えててさ、もうすごいこの揺れ動きがすごかったなってちょっと思ってますね。
まあちょっとこれはね何とも言えないし、ちょっと俺の読みが甘い部分も多分結構あるので、
もうあと何回か読んでみてくるかもしれないけど。
どうなんですかね、本当ヤスが両親に対してっていうところは、
いろんな解釈できそうな気はするんですけども、
ヤスの感情の読みなさっていうのはめっちゃ感じましたね、僕も。
ヤスがおぶとちょっと近所の男の子にちょっと性的ないたずらをするシーンがあって、
それもね、またお尻に感情したりっていうことをするんですけど、
痛々しいシーンになっていて、
ヤスはおぶが、弟がそういうことをするのをすごい嫌っていて、
最初止めようとしてるのに、次の瞬間にはヤスが弟の助手役になって、
むしろそれを手伝ってもっとそうしようって促してるみたいなことになってて、
このヤスの感情なのか読みなさっていうのは僕も結構ありましたね。
嫌ってるのか受け入れてるのかどっちなんだろうとかよくわかんないもん。
混乱するよね。あとはですね、ちょっと衝撃的だったっていうところで言うと、
お母さんがヤスがジャケットを脱がないからって言って、
ちょっとどっか飛び降りちゃって大怪我をするっていう。
まあ死ぬつもりだったと思うんだけど、死ななくて大怪我で済んだんだけど、
娘がジャケットを脱がないからと言って。
まあその状況は結構ずっとずっと続いてて、
家族の中でもちょっと問題になってはいたから、
お父さんもジャケット脱げって言ってたし、
いろんなこと積み重なってはいた中なんだけれども、
理由がジャケットを脱がないからって言って飛び降りるって、
もう意味がわからないと思って、
なんかこのシーンはだいぶ読んでて、
ドキドキ、ドキドキというか怖かったね。
そもそもね。
でもお母さんもやっぱりだいぶ追い詰められてるっていう感じはね、
ありましたし。
お母さん結構死にたいっていうようになってましたもんね。
ね。
理由を求めてたのかなとは思うんだけど、
でもそれにしたってジャケット脱がないからなんてすごいなと思った。
あと個人的にはですね、
これちょいちょい10位が出てくるんですよ。
この落脳一家なので牛を見に来てくれたりするんですね、10位が。
結構ね、牛がすぐ下痢しちゃったりとか、
ちょっと体調が悪そうな感じになるので、
10位がかなりの頻度でこの家にやってくるんですけども、
明らかに安野子と女として見てるんだよね。
これがなんかもうすごく嫌なんだけど、
嫌な空気なんだけれども、
なんか父親がいる前で平然と女としてのポイントを褒め始めたりするし、
俺一瞬これ、あれ?これ父親がいないシーンみたいな。
なんか思って確認しちゃったぐらい、
ちょっと不思議な、不思議なっていうか、
あ、もう本当不快なシーンなんだけど、
なんだこの空気はってずっと思いながらこの辺りを踏んでたしな。
そうですよね。
なんかこの10位の話も、
普通その一線は越えないだろうみたいなところがもう越えちゃって、