どうも皆さん、こんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私、小説家好きの会のダイチと、ジャメグルカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回で話しているので、そちらをお聞きください。
今回は、休憩回番外編ということで、作品紹介がない回になっております。
今日はですね、お互い小説以外で最近読んだ本を紹介してみようということで、ちょっとやっていこうと思います。
その前に、過去の放送をちょっと振り返りたいと思っているんですけれども、
World's End、世界の果て、ポルセローと、すべての見えない光、アンソニー童話、無頭の鷹、カポーティがあって、
黄色い雨がまだ未配信状態で撮っているんですけど、この4つの後に休憩回が入るというような感じになってますね。
World's Endとすべての見えない光と無頭の鷹は、一応私、ダイチの選書で配信させていただきました。
すべての見えない光がちょっと長くなっちゃって、どうだったんだろうな。
聞いてくれた人はどういう反応をしているのかちょっとまだないんですけど、
割と再生回数的には悪くないから、どうだったんだろうなって感じですね。
今までで一番長い再生時間、47分ぐらいなんですけど、再生回数結構いいペースで来てますもんね。
懸念としてはね、結構あまり再生されないんじゃないかと思ってたけど、そんなことはなくてというところで、ちょっと安心はしているところです。
ちょっと厚く話しすぎたのもあって、どうだったんだろうなというのもあるんですけど。
やっぱりすべての見えない光ってめっちゃいいですよね。
そうですね。
ラジオで喋ったのって結構一部分だけで、もっとたくさん紹介したいって思うところはあったんですけど、
そこを含めると何回かに分けないといけない配信になりそうなんで、結構だいぶ削ってというか。
私も編集したいと思いましたけど、話し足りねえなって思いましたし、
やっぱり濃厚な小説でしたね。
そうですね。
逆に無等の高が19分ぐらいで収めたかな。
そうですね。
ションタンの予告がなければもうちょっと短かったはず。18分とかかな。17分とかだったと思う。
逆にちょっと長いのといつもよりは少し短いの。バランスは取れたのかなと思いつつ、どうなんだろうなって感じですね。
これはもうちょっとしたら検証してみればいいかもしれないですね。
そうですね。長い時間とちょっと短めの時間で。
リスナーさん方々の反応がどうだったかっていうのをちょっと見ながら思ってます。
この3作品話せて私はすごい楽しかったです。
そうですね。ワルツエンドも僕初めて読んだんですけど、すごい名作で、ポール・セローこんな面白い作家やったんだっていうので衝撃を受けましたね。
分かります。電車の中とかで電子書籍で読もうとするとめっちゃ早いんですよね。
私iPhoneで読んでるんですけど、すごいスクロールするんで、指めっちゃ痛くなるんですよね、電子書籍読んでるとき。
あ、そうなの。
まあちょっと話せちゃいましたけど。そうですよね、確かにスピードは確かに早い。
読者の人も自分でそれを検証しているページもあって、それがもう結構面白いんですけども、
このミャリアン・ウルフさんって、本当にすごい文学作品、小説とか好きな人で、子供の頃から本当に読まれてきて、
で、子供の頃はヘルマヘッセが好きで、ガラス玉演技っていうですね、小説をすごい愛していた人なんですけど、
大人になって、研究者になって、やっぱりパソコン仕事とか、そういうのが多くなってきて、
じゃあ自分がちょっと紙の本から離れていたし、深い読みっていうのができるんだろうかと、
ちょっと脳はどうなってるんだろうかって試そうとしたときに、大人になってガラス玉演技っていうのが読めなくなってしまってたんです。
それがやっぱりテンポが遅いというかですね。
なるほど。
やっぱりもうサクサク読める文章ばっかり普段接してきていて、ヘルマヘッセの文章がすごいスローテンポで、
なんか言いたいところになかなか到達しないというかですね。
それをじっくり読むことによって得られるものがある一方で、そこに耐えれない脳になっているというか、
ゆっくりなテンポに読むことができないと。
そういうのを自分でも実体験でそういうことも書かれていて、
これもすごい面白いなと思ったところです。
昔読んでた長編小説とか、今はちょっと読んでいくの無理かもと思ったりしますしね。
確かにそうですね。
ドフトエスキーとか久しぶりに読んだらダメになってるかな、どうなんだろうなって思いましたけど。
でも読むものって複雑なものをより大人になってから読んでる気がするから、どうなんだろうな、シンプルなもの。
でも確かにビジネス書ばっかり読んでた時期から、小説に入るとちょっとハードルじゃないけど、
ちょっと慣れてない感じになっちゃう時はあるだろうなと。
うん、そうですよね。
やっぱり深い読みっていうのが、ただそこに書かれていることをそのまま認識するというよりかは、
その背景であったり、他の話とかとの繋がりであったり、分析的な思考であったり、
そういう考えながら読むとかですね、想像しながら読むとか、結構そういうことを書かれていて。
そういったところでは、斜め読みとか、飛ばし読みとか、
ざっくり読むとか、そういうのとはちょっと別な読み方として、
何か難しいものを読むというよりかは、書かれていることに対して、
自分がそれをじっくりと向き合うという、そういう読み方ですかね。
なるほど。
ここまでの時間とかエネルギーをかけて読み込んでいくっていう。
デジタルだと何でもそうだけど、あんまり入ってこないんですよね。
この本の希望としては、希望を感じるところとしては、
デジタルが全部ダメかというと、そうじゃなくて、
バイリティらしいのをそこさえ育てていけたら、今までにないまた新しいレベルで、
デジタルでも深く読んでいけるっていうですね、その可能性を感じるんで。
そんな視点で書かれている本っていうのも面白いなと思って紹介しました。
バイリティらしいのか、すごい。
読んでみたいですね、これ。長いんですか、結構。
いや、でもね、300ページまで届かないですね。
内容は濃そうだけど、本屋で見てみます。
そうですね、面白いんで、ぜひとも次に。
私、行きましょうか。
はい。
私ですね、2冊最近読んだ本を話したいというか、
テーマが似てるんで、2冊ちょっとご紹介したいと思うんですけど、
1冊がですね、コロナ危機の社会学。感染したのはウイルスか不安か。
西田亮介さんの本なんですけど、これは2020年7月30日に発行されてます。
朝日新聞シュパン社からですね、出てます。
で、ちょっとコロナの話になるので、
もしこのラジオをちょっと娯楽っていうかエンターテイメントとして聞いてて、
ちょっとコロナとかそういう現実的なことを思い出したくないんだよっていう人は、
ちょっと次回予告ぐらいまでですね、飛ばしていただければなと思います。
まあそんなにコロナの話、濃い話になる感じじゃないんですけど、
もしそういうことがあったら飛ばしてもらえればなと思います。
で、もう1冊が竹田佐徹さんって方が書いてる、
これ、わかりやすさの罪っていう本でして、
で、こちらもですね、7月の30日に同じ出版社から、
朝日新聞出版から出てます。
たまたまなんですけど、2冊、読んだ時期も1ヶ月ぐらい経りてるかな。
なんですけど、同じ日に出版されたものをたまたまちょっと読んでたら、
なんかこれ結構ちょっと共通するところがあるなと思って、
ちょっとご紹介したいなと思いました。
で、共通しているところをちょっと話させてもらうと、
結局今ですね、竹田佐徹さんの書籍のタイトルにも、
なってるんですけど、「わかりやすさの罪」っていうタイトルになってるんで、
まあ、なんとなくイメージできると思うんですけど、
今なんかわかりやすいことが優先されちゃってるっていうか、
なんだろう、わかりやすいことが求められすぎちゃってる感じがして、
で、まあメディアもそうだし、
なんかわかりにくいこととか、
なんかどっちつかずのこととか、
あんまりこう許容されなくなってきてる空気がすごいあって、
うん、なんか中立の立場っていうのもなかなかこう保てないなって、
結構人間ってもう、人間とか状況とかもそうだと思うんですけど、
白か黒かって判断できないこと多いじゃないですか。
グレーゾーンにいることが多分多いと思うんですよ。
そういうのもなかなかこうちょっと許されなくなってきてるなっていうのを、
自分も感じてて、で、そこにちょっとリンクするので、
ちょっとこの2冊、それぞれちょっと話したいんですけど、
コロナ危機の社会学っていうのはもちろんそれだけじゃなくて、
えっとこれ非常に面白い本です。
書かれたのが多分、5月いっぱいから6月前半、前半だから1週目くらいかな、
追っかけて書かれたそうなんですけど、結構ですね、
そのコロナが発生した、去年、2019年か、12月の中国からですね、
世界的な動き、あと日本国内での動きを時系列で、
前半結構ページサイトまとめてくれてて、
っていう結構面白い、コロナを振り返るにはすごくいい本なんですけど、
その中で結構メディアが不安を増幅させたっていう話が書かれてて、
で、それっていうのはなんていうのかな、
まあメディアってもう求められたものしか、
結構反則者しない、なんて言うだろう、装置で、
で、結局情報として、なんていうかインパクトのあるものばっかりこうやってたと思うんですけど、
で、ワイドショーとかで結構専門家の人たちが出てきてコメントしたりとかしてたと思うんですけど、
結構その時に専門家だけじゃなくてコメンテーターみたいな人たちが結構いるじゃないですか、
で、その人たち何の専門なのみたいなのとか、
まあタレントだったりするパターンもあったと思うんですけど、
まあコロナ危機の社会学でも結構そのメディアが報じたことがいろんな不安を煽ってた、
例えばマスクなくなりますみたいな、
結局それであれ報道されて、
とりあえずまだマスク外出しなくなってるからいらないじゃんって人もいたと思うんですよ、
あの緊急事態宣言の時って、
でもテレビで行列になってるのを報道されちゃうと、
あ、やべえ、会議行かなきゃって思っちゃった人結構いたと思うんですよね、
あ、えっとトイレットペッパーとかもそうだと思うんですけど、
それって外出をほぼしない人からすれば不要不急のマスクだし、
不要不急なんだろう、行列並ぶことだし、
で、そこで感染リスクを負うわけじゃないですか、
そういうのとかもあったりして、
まあすごく今ちょっと細かくわかりやすいところを話したんですけど、
あったりとかしたよねみたいな話をしてて、
まあちょっとメディアがそういうわかりやすいものを報道しちゃってるから、
こそ出た弊害があったんじゃないかっていうことは、
コロナ危機の社会学では中では一部取り上げてて、
で、わかりやすさの積みで言うともっと、
あのこれはコロナの前から執筆が始まって、
まあなんか出し連載をまとめたものなんですけど、
なんでコロナだけじゃないんですけど、
でもコロナに最後はちょっと話がこうリンクしてくところがあって、
で、このメディアがわかりやすいことばかりやってしまったからこそ、
いろんなことが起きてるっていうことが結構話されてますね、
コロナ危機の社会学っていうのは、
まあ結構みんないろいろ過度に反応しちゃったりとかして、
WHOも言ってるらしいんですけど、
インフォデミックっていう何ていうのかな、
過剰情報っていう状況のうちにいることが結構良くないっていう話が出てて、
だから結局その窒息警察みたいの出てきちゃったじゃないですか、
一時期、あの他県ナンバー上がりとかあって、
で、コロナになった人を村8部的な扱いをする地域とかも多分出てきてて、
結構そういうのもメディアがやってしまった口座なんじゃないかなっていうところはちょっと語ってましたね。
わかりやすさの詰めで言うと、これはもっと社会的な状況っていうよりは
スタンスとしての話が強くて、
決めちゃうことの怖さっていうか、
どっちかに振り切っちゃうことって危険な状況じゃないっていうことを結構言ってくれてるので、
自分は結構最近感じたことにすごく、
コロナも感じたこともあると思うんですけど、
すごいフィットしました。
なんか理解できないものは理解できないとか、
分かんないものは分かんないって言えるような、
難しくなってきているのかなっていうのもあって、
でもそれでもいいじゃんって竹田達也さんは、
むしろそれがそこで耐える力っていうのが必要なんだみたいな、
分かんないっていうか、
ことに対しての耐えることがすごく重要なんだって話をしてて、
すごく私は納得したんで、
いい本だなと思って、
ちょっとご紹介したくなった本ですね。
コロナになる前から結構わかりやすさってずっとそうだったと思うんですよ。
将来何になりたいって子供の頃に言われたりするのも結構近いのかなと。
そうですね。
今決めなきゃいけないのみたいな。
確かにそこで分からないっていうとか、
あと本当にもし自分が本心として、
大学にも行かず芸術家になりたいとかって言ったら、
すごいバッシングされるんだろうなとか、
やっぱり空気を読むからこその分かりやすさっていうところに。
メディアとかは特にそうだと思うんですけど、
報道されているところで、
まあ多分取材とかしたときに、
中途半端な回答みたいなのは多分報道されないんですよね。
だし、選択肢も何か恣意的に取っているんじゃないみたいなのもあると思うんですよ。
そうしたらかけられた時間の中で伝えるには難しいっていう。
制作側のこういろんな事情っていうのはあると思うんですけど、
武田佐世さんの一番こっちですかの危うさっていうのが一番最初の章になっているんですけど、
テレビで一家の財布は夫が握るべきか妻が握るべきかっていうアンケートがあって、
これに対してまあいろんなアンケート結果からいろいろ話をしてるんですけど、
そのアンケートの取り方とか多分もうどっちが取るか前提になってる話で、
そもそも一方が財布を握る必要があるのとか、
で、これってそもそも男性の稼ぎによって賭けが支えられているっていう設定があったみたいで、
すごく前時帯的だなとか、財布を握るってなんだみたいな、
なんかそういう話を最初、結構武田佐世さんいたでしょうでした。
まあそこからいろいろ入っていくんですけど、確かにそういうのもあったりするなと思って、
で、私最近ちょっと菅さんの内閣になったから、
ちょっといろいろ世論で支持率がどうのこうのって話してると思うんですけど、
安倍さんの時もあったんですけどもちろんこれ、コロナの時もね、
支持率めっちゃ、コロナ危機の社会学でめっちゃ書いてあるんですけど、
内閣支持率のことも、ちょっと脱線してるけど、
なんかこういう危機状況で内閣の支持率が下がった国、日本だけらしいです。
通常はやっぱこういう危機状況はやっぱりイニシアチブをだいぶ政府が取るので、
上がるらしいですよ、通常。
日本も多分国家的な危機があったときは、今までは上がってたっぽいんだけど、
この状況で下がるっていうのは結構なんていうか、
あんまりない状況らしくて、
それに関しても結構書いてますね。
耳を傾けすぎる政府だったっていう、安倍内閣最後。
その世論を生み出してるのが、わかりやすくやったメディアだし、
それに公表した、強調したSNSで飛び交った発言とか。
それを見て、それを聞いた政府が政策をやってしまっていてみたいな。
なんかね、面白かった考察は確かに相当だなと思って。
で、話を戻すと、支持率ですね。
支持率、内閣支持率なんだけど、私感じてるのは、
この内閣支持率もどちらかといえば支持するっていうのが支持率の支持に入っちゃってるじゃないですか、多分。
それってどうなのって、ちょっと思いません?
そうですね。消去法的に選んだ。
そうそう。消極的な賛成じゃないですか。
それを支持率っていうボリュームに入れちゃうと、
なんか見え方全然変わるよなって思うし。
そうですね。きっとこれをもっと細分化して、
結果を発表しようとすると、やっぱり変わらないとかになってしまうんですかね。
結局、結論が見えてこないというか。
だから、もし例えばそういう内閣支持率で、どちらかといえば支持するみたいなのは、
まあ表示してもいいのかもしれないけど、
総論としてどうなの?みたいになった時に、
まあちょっと説明が難しくなるんですかね。
ちょっとわかんないです。
その辺は、私は別にどちらかといえば支持するっていうボリュームが提出されて、
支持率は支持しますだけにしてくれたりとかした方が、なんかいいなと思うんですけど。
まあでもそういうわけにはいかないかな。どうなんだろう。
白黒はっきりしてる方が、けがいいとか、そういうことなんですかね。
まあだから、支持率のところで言ってもそういうふうな、
まあちょっとわかりやすく、しかもなんか最近よく見かけると思うんで、
ここで話させてもらいましたけど、
なんかやっぱり中立を取るのは難しい社会に、今なっていってるなっていうのがあるので。
なんかわかりやすいってすごくいいけど、
なんかわかりにくいことの方に価値があったりとかすること多いと。
個人的には思うので。
そうですね。なんか今の大地さんの話聞いてると、
結構なんか世の中がゲームみたいになってきてるなっていう。