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2020-06-15 21:25

第1回「ギリシャ語の時間」ハン・ガン著 ~お互いの時間の最先端で人々は出会う~

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文学カフェ 空飛び猫たち 第1回目ハン・ガン著「ギリシャ語の時間」です!!

このカフェは硬派な文学作品を楽もう、をコンセプトに

文学好きの二人がゆる〜く文学作品を紹介するラジオ番組です。

毎週月曜日朝7時配信!!

案内役は東京都内で開催している「小説が好き!の会」のダイチと

京都祇園にある「羊をめぐるカフェ」のミエの二人でお送りします。

文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を

東京と京都を繋ぎ、読書会のようなテイストで

それぞれの視点で紹介していきます!

今回記念すべき第1回目でご紹介するのは

韓国文学ハン・ガンさんの「ギリシャ語の時間」です。

孤独や人との本当の出会いというテーマでお届けします!!

お楽しみに!!


今回番組内で紹介された本

「ギリシャ語の時間」ハン・ガン著 斎藤真理子 訳 晶文社

https://www.shobunsha.co.jp/?p=4434

「中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)」國分功一郎著 医学書院

https://www.amazon.co.jp/dp/4260031570

※國分氏の名前を番組中でダイチは「こくぶ」と読んでしまっていますが「こくぶん」です。

 訂正致します。申し訳ございません。



番組の感想・リクエスト等は bungakucafe.catwings@gmail.com

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聴いた人は是非 「#空飛び猫たち」 をつけて、発信してください!

よろしくお願いします!


#小説

#読書

#海外文学

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どうも、文学カフェ空飛び猫たちです。このカフェでは、高派な文学作品を楽しもうコンセプトに、文学と猫が好きな2人がゆるーく文学作品を紹介するラジオ番組です。
お相手は、小説が好きの回のダイチと羊を巡るカフェのミエの2人でお送りします。
文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
お互いの紹介に関しては、第0回目で話していますので、そちらをお聞きいただければと思います。
記念すべき第1回目が今回になるんですけれども、今回はハン・ガンさんのギリシャ語の時間を取り上げたいと思います。
いいですね。ミエさんからちょっと書名とか、情報的なところをご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
はい、今のギリシャ語の時間という本は、2017年に小文社より出版されています。
書いているのは韓国の作家のハン・ガンさんで、訳は斉藤麻里子さんが翻訳をされています。
はい、ありがとうございます。あらすじなんですけど、これちょっとAmazonのあらすじをちょっと読み上げさせていただきたいと思うんですが、ちょっと読み上げます。
ある日突然、言葉を話せなくなった女。少しずつ視力を失っていく男。女は失われた言葉を取り戻すため、古典ギリシャ語を習い始める。
ギリシャ語講師の男は、彼女の沈黙に関心を寄せていく。2人の出会いと対話を通じて、人間が失った本質とは何かを問いかける。
心震わす静かな衝撃。ブッカー国際賞受賞作家の長編小説。とAmazonでは紹介されています。
ハンガーさんなんですけど、今のあらすじにもあったんですけど、2016年に最色主義者っていう小説でアジア人で初めて国際ブッカー賞を受賞しています。結構すごい人ですよね。
ギリシャ語の時間のあらすじの補足になるんですけども、3点だけありまして、まず1つが男女の視点で話が進むということです。
主人公、男性女性それぞれいるんですけども、交互に話が進んでいきます。2つ目が男性女性お互いに生きにくさというのを抱えているという点ですね。
で、3つ目が生きにくさの原因が何なのかというところが、なかなか端的には言えないというところがあります。
すごくそこが面白いですよね、この小説は。 そうですね。そういう意味では、このギリシャ語の時間という小説は孤独というのが描かれている小説なのかなと。
それで同時に人と人が本当の意味で出会う小説であるのかなというのは思いますよね。
本当そうですよね。なんで、そういう意味で1回目にこれやりたいなって思ったんですよね。
私と三枝さんもお互いの事情がよくわからないのが出会ってて、やっぱり人と人が出会うってこういうことだなと思うんで、
まあまあ孤独かどうかはちょっとわからないですけど、状況わからない中で出会うってことが結構この小説は描かれていることなんで、
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まあちょっと1作目で紹介してみたいなってちょっと思った、取り上げた経緯もあります。
そうですよね。あとこの小説の良いところというか、心の傷というのをね、主人公2人とも持っているんですけども、
なかなかね、それが目には見えないその傷というところが小説で描かれているというところが良いですね。
じゃあちょっとザクッと感想みたいなのを言い合いましょうか。
そうですね。じゃあ大地さんから。
じゃあ私からちょっと話させてもらいます。
この小説本当に、今のあらすじでもあるんですけど、孤独とかをすごく描いてて、3分の2ぐらいはお互い、特に男性が多いんですけど過去の話がすごく多くて、
そういう話を通して、あ、すごくこの人孤独なんだっていうのがどんどん浮き彫りになっていくような作りというか構成になってます。
でもかといってその2人っていうのはギリシャ語講師とそこのカルチャースクールに通う女性っていう設定であるので、
接点っていうのはもう本当その教室の授業を受けている瞬間しかないから、お互いの状況っていうのはもうなんていうか想像するしかないだなと思うんですよ。
お互いの状況を知らない中で、もちろん男性側は女性が言葉を失ってしまっていることも知らないし、
女性側は男性側が徐々に視力を失ってくるなんてことも想像さえもできないような状況の中で知り合って、
でも触れていくとやっぱり状況っていうのがわかってきて、想像していくことができる。
で、こういう中でお互いの時間の最先端で知り合っていくっていうことがすごく描かれている作品だなと思って、
すごく自分はなんていうかそのことに感動したというか、すごくいいなって初読の時に思ったんですね。
確かに、人と人が出会うってある意味衝突かなと思うんですけども、
でもその衝突で何かそれによって傷つくこともあれば、この半顔の作品はすごくここが誠実さっていうのも感じられるんですよね。
なんか真面目に描いてますよね。真面目に描いてるって言うと伝わらないかもしれないけど、
なんかすごく誠実に真面目にその点を描いてるなって思いました。
だからすごく好きだと思います。
そうですね。
みえさんはどうでした?
そうですね。僕も近い感想になるんですけども、最初読んだ時に男性も女性もやっぱり傷が深くて、
とても幸せそうになれないなと読んでいて思ったんですね。
でも男性の方が目が見えなくなっていくんですけども、それによって物事をよく確かめようとすると。
だから暗闇の中に閉じ込められてしまうという場面があるんですけども、
でもそこで女性と初めて本当の意味で出会うということが起きるんですね。
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さっきの衝突みたいなものなんですけども。
やっぱりこの女性というのも、ある意味暗闇の中で生きていたような人とで、その二人が出会うと。
ギリシャ語の時間という時間、教室の中では同じ空間で、その二人って教える側と学ぶ側で存在はしてるんですけども、
でも別の空間、暗闇というところで出会うことで、本当の意味で出会うっていう。
そこのすごく意味というのが感じられて、
そういう意味では幸せになれそうにないなと思っていた二人が、そうして出会うことで何か希望を感じるっていう。
そういう意味ではすごい衝突だなと思いましたね。
本当ですよね。すごくいいなって思いました。
そういう中で出会ったからこそ、開けていくっていう部分があって、すごくいいなって思いました。
そうですよね。どうですか大地さんのところでは何か。
あとすごく、ハンガーさんの本を他にも読んでて感じるところなんですけど、
表現や文章がすごく詩的で美しいなって思うんで、読んでてすごく心地がいいなっていうところと。
それは確かに。
これも本当すごい綺麗なことが多いですよね。
役の力もあるんだと思うんですけど、すごくうまいなって思うことが本当多くて。
あと、ギリシャ語の時間の最初の方に中度帯っていう。
出てきますね。
出てくるんですけど、中度帯の話をちょっと触れたいんですけど、昔古典ギリシャ語を習うこととか教えて習ってる状況の2人なんですけど、古典ギリシャ語には中度帯っていう帯があるんですね。
これに関してちょっとまだ読んでる途中なんですけど、医学書院っていう出版社からリクブコーイチローさんが中度帯の世界って本を出版されてて、古典ギリシャ語の世界には中度帯っていう帯があったんですね。
これは能動帯と受動帯とは違う帯で、要は何かをする、何かをされるっていう状態ではないことっていうのを示す状態っていうか、動詞とかでそういう状態のことを言うことを中度帯って言うんですけど、
これは何かする、されるっていう枠組みの外にある感覚というか概念で、古典ギリシャの世界だとどうやら意思というものが存在っていう概念がなかったっぽい話が出てて、する、されるじゃなくて、こういう状態にあるっていう中度帯っていう、ちょっと端的にすごく言いにくい帯なんですけど、っていうのがこうあって。
これってこの2人にすごく当てはまる状態だなって思って、女性は言葉を失ってしまっている。男性は視力を失っていくっていう息づらさを抱えてると思うんですけど、それって別に自分の意思で望んでることじゃない。自分の意思で視力を失おうと思ったわけでもないし、言葉を失ってしまったわけでもないというところで、中度帯っていうのはそういう状態を表す言葉でも。
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それをこの2人が関わってるっていうのはすごくうまいなと思いましたし、これって現代に生きるっていう言い方なんですけど、中度帯が失われてしまった世界で生きる私たちにとっても大切な視点なんじゃないかなって思うのは、2020年5月現在、コロナでいろんなことができなくなって、みんな息づらさを抱えてると思うんですよ。
その息づらさって別に自分が望んだものでもないし、誰かに与えられたものっていうか、恋に誰かの意思をもって与えられたものではないじゃないですか。そういうのにやっぱりこの中度帯の感覚ってすごくマッチするっていうか、そういう息づらさを抱えてる人に読んでもらうと、中度帯っていう概念を考えてもらうと、なんかふと負に落ちるところがあるんじゃないかなと思います。
あとちょっと3分の1しか読んでないんで、あれなんですけど、完全に理解してないし、全部読んでから収録すればよかったんですけど、ちょっと申し訳ないところがあるんですけど。
でも、この収録のために本買ってるっていうのがすごいですね。
いや、ずっと読みたかったんですよ、実は。これ中度帯の世界って本を知ってから。すげえ面白そうだなと思って。実際めっちゃ面白いです。
いや、いいですよね。この本読み終えてないけど、もう収録しちゃうっていう。
中途半端だね。申し訳ないです。
これが面白いですね。でも確かに、あとがきでも斉藤麻里子さんが中度帯に触れていて、英文法とかを習っているとやっぱりするとかされるとか、この2つの能動帯・受動帯っていう帯を習うんですけど、
でも人間の行為って常にどっちかに分類されているかというと、そうでもなくて、どちらでもない行為、中度帯によって人生って流されていくんじゃないかと。
なんかその考え方ってすごく大事だなって。特に今の時代こそ大事なのかなって思いましたね。
今読んでるといろんなこと考えちゃう本なんですよね。なんかちょっとギリシャ語の時間から離れちゃいますけど。中度帯の世界、国部光一郎さん。小説でもないんですけど。人文書なのかな、これ。なっちゃうんですけど。
この小説のすごく好きな箇所で、僕がすごく好きなのはこの79ページからにかけて、8章になるんですけども、79ページから82ページの4ページぐらいの中で、すごい場面が変わる描写がされてるんですね。
まずギリシャ語の言葉が出てきて、1つのギリシャ語の言葉を3つの翻訳で並べて説明しているんですけども、「カレパタカラ」っていう言葉なんですけども。そこから始まってその後、これ男性の視点なんですけど。
男性がドイツにいたので、ドイツからソウルに戻ってくる。戻ってきた頃の寺を訪れた思い出の話があって、その後帰りのバスで永遠に目的地に着かないかもしれないっていう感覚を、ドイツにいた10代の頃によくそういう夢を見ていたらしくて。
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それが帰りのバスとその夢がシンクロして、またふと現実に戻ると。現実に戻ってきたら、世界は幻で、生きるは夢だっていう風に呟いていて。なんかその幻とか夢とかがすごい話に出てきて。
で、夢や幻の話をしているかと思いきや、また現実に戻ってくるという流れを書いていて。ギリシャ語の翻訳から始まったのに、いつの間にか夢か幻か現実かみたいな話になって最後終わっていくという、この4ページのこの流れがすごい。
すごいですよね。これだけで描いているっていうのはすごいですね、確かに。
この短いページ数の中でこれだけのことを書いているっていうのはすごい面白くて。他、このハンガンさんっていう人が好きなのかもしれないんですけど、ここのパートはすごい好きですね。
確かにすごい面白いですね。
大地さんもね、そういう好きな箇所ってありますか?
あ、私はですね、もう本当最後になっちゃうんですけど、ネタバレにならないかなと思うんですけど。210ページとか219ページに、結構これ物語のクライマックスなんですよね。クライマックスってここで。
あー、そうですよね。
ずっとこれ、なんとか、彼はまだ彼女を知らない、彼はまだ何々を知らないっていう、知らないが連発する部分があるんですけど、ここがすごく好きで、ちょっと読むと心臓と心臓を触れ合わせたまま、しかし彼はまだ彼女を知らない。
ずっと前に子供だった時、自分がこの世に存在していいのかどうかわからず、夜明け時に庭に立ち込める薄闇に目を凝らせていたことを知らない。
言葉たちが鎧を纏って剥き出しの体に張るように刺さっていたことを知らないとか言って、この後も何々を知らない、何々を知らないって続くんですけど、このなんていうか、知らないのこの連続がすごく好きで。
で、なんで好きかっていうと、これ、たぶんこの小説のことを好きな根幹に戻るんですけど、最初にこれ本当の意味で人と人が出会ってるっていう話をしたと思うんですけど、知らないって本当そうだなと思って。
今回で言うと、みえさんが今日午前中何してるか知らないじゃないですか。
知らないじゃないですか。
そうですね、お互い知らないですよね。
やっぱ人ってそういう中で、知り合ってからもまた時間を共にする時ってそういう風に過ごしてるなって思って。
で、こういう部分を知ると、今触れ合ってるけど、この人が過去何を抱えてたか知らないよねっていうのは、なんていうか当たり前なんですけど、こういう風に提示されるとすごく自分は響いて。
で、ポートでもちょっと話した通り、こう自分たちのお互いの時間の時間の最先端で出会っていってるなっていう感じがすごく、ここから感じたので、すごくいい、すごく好きなところです、ここは。
そうですね。小説ってすごく想像力によって書けるものかなと思うんですけど、この相手のことを知らない、何があったのか知らないって、これを慣れつつしていくってすごく面白いですね。
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ここすごい綺麗だなと思いましたし、すごくいい文章だなって思いました。
そうですよね。すごい具体的な知らないっていうのがたくさん出てくるんですよね。じゃあちょっとね、次にこのギリシャ語の時間ってすごく真面目な話であるんですけど、ちょっとやっぱり読んでいて面白いなって思うところもあったりして、
例えば8ページ、本当に読み始めてすぐなんですけど、ボルヘスというアルゼンチンの作家について書いている話の流れで、スイスの聖ガレン修道院という言葉が出てくるんですね。
聖ガレン修道院の図書館っていう言葉が出てきて、これをぜひ皆さんに画像検索してほしいなと思うんですけども、
聖ガレン修道院の図書館がものすごい図書館なんですね。1000年前から続いている図書館で、本当に壮大で。
すごいですよね、これ。今私ちょっと検索しましたけど、これ実際もし聞いてる人をスマホとかいじれるんだったら検索してもらいたいぐらいですね。
そうですね、ファンタジーの世界で出てきそうな図書館で。
これ読んだことある人でも、検索したら全く違う印象いただきそうですね。
今読んでいて、そこの場面の情景をもし想像できるなら、またちょっと違う印象に思えてくるような、与える印象を変えてくれるようなものかなって思いますよね。
最初にこれが来るっていうのはすごいですね。
これを知ってる人がもし読んだら、そこだけで面白さがまた追加されるような気がしますよね。
あと、他に面白いなって思ったのがもう1個あって、これは43ページに書いてあるんですけども、古典ギリシャ語の授業を受けるような人の特徴っていうのを、このハンガンが書いてるんですね。
そこで面白いのが、動機が何であれ、古典ギリシャ語を学ぶ人たちには多少なりとも共通点があります。
大体において、歩いたり話したりするスピードがゆっくりで、あまり感情を表に表しませんっていうふうに書いてあって、
確かにそうで、主人公の男性も女性も、その周辺にいるギリシャ語を受けている人たちは結構特徴的というか、あんまりはしゃいだりをしないですね。
感情も出さないというか、マイペースな人が非常に多いなっていう。この作品本当にマイペースな人ばかり出てくるんですけど、
それが本当にギリシャ語に受ける人たちの特徴とすごくマッチしてるなって、そこも面白いところですよね。
面白いですよね、こういうところ。変に印象に残りますよね。こういうところって。
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そうですね。しかし、このギリシャ語の時間っていう人に読んでもらいたいなって思いますか。
そうですね。明るい話ではないんですけど、だからと決して閉ざされてるような話ではないので、なんか光が少し射すような、少し心が開いてくる瞬間が好きな人にはすごい合うと思うので、ぜひ読んでもらいたいなって思います。
みえさんはどうですか。
そうですね。僕はやっぱりテンションが低い人に読んでほしいなと思いますよね。
いや、これほどテンションが低い2人の主人公っていうのはやはりいないんじゃないかなっていうぐらい、主人公2人が本当にテンション低くて、派手なこととか特に何一つ起きないんですけど、しかも不幸なエピソードが結構満載で。
すごいですよね。
そうなんですよ。でもそれがすごい美しい文章で、淡々と描かれていて、で、2人の人生が交差していくと、本当に静かに心が揺れ動くような小説だと思うので、テンション低い人でもぜひ心の揺れ動く感覚というか、それをぜひ体験してほしいなって思いますよね。
じゃあ、第1回の半顔のギリシャ語の時間ですが、この辺りで締めたいと思います。
なかなか最初から話しにくい本を選んでしまったなと思ったんですけど、実際やっぱり話しにくさっていうのは結構あるけど、でもそれってこの小説の面白さにもつながっているところではあると思うので、ぜひ読んだら読んだ人とは話したくなるような。
そうですね。確かにほんと第1回目で取り上げたくなるような、すごい魅力のある小説だと思いますよね。
半顔のギリシャ語の時間でした。
ありがとうございました。
次回予告をさせていただきたいなと思います。
次回なんですが、次はレイモンド・チャンドラー、アメリカのハードボールド作家ですね。代表作の長いお別れ、ロンググッドバイを取り上げたいと思います。
ちょっと今回とは違って、もしかしたらこのシーンめっちゃいいよねみたいな話で終わっちゃうかもしれないので、お楽しみにしていただければと思います。
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空飛猫だと別のものが出てきちゃうので、空飛猫たちでお願いします。
今日はこんな感じで、また次回よろしくお願いします。
ありがとうございました。
21:25

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