文学ラジオ 空飛び猫たち
ロシアの東、カムチャッカ半島の都市のある夏、幼い姉妹が失踪する。
その事件は未解決のまま時間が流れ、町に住む人々に暗い影を落としていく。
著者が構想から10年かけて書いたデビュー作にして、世界から注目を集めた骨太の長編小説、
「消失の惑星」をご紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ 空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするラジオ番組です。
お相手は、私、消失が好きなダイチと羊を巡るカフェのミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、東京と京都をつないで、お互いに好きな作品をそれぞれの視点で紹介していく番組です。
番組概要欄に詳細情報を記載しているので、初めてお聞きになる方などそちらを見ていただけるとありがたいです。
今回紹介するのは、ジュリア・フィリップスさんが書いた「消失の惑星」になります。
井上里さん役で、早川書房から2021年2月に出版された本になります。
で、この収録のことをちょっとお伝えしたいことがありまして、
実はですね、この消失の惑星、1週間前に収録したんですけど、
ちょっと私のマイク設置ミスとかですね、いろいろありまして、
ちょっと使えるような音源が取れなくて、再収録という形になっております。
これはほぼ私第一のミスで、非常に皆さんに申し訳ない思いで今、2回目の収録にあたっております。
いやいや、まあホントにキャストやってたらね、こういうのってたまにあるみたいなんで、あるあるだと思って、
もう仕方ないっすよね、これは。
申し訳ないっす。
我々、2度目って多分1回なんかでやった記憶があるんだけど、
番外演歌なんかで1回やったことが。
ありましたっけ?あ、ホントですか。
あったような、あれなかったっけ?なんか1回撮り直した記憶が。
やっぱ音が全然なんか、ダメで。
なんかインターネットかなんかの接続が悪すぎてみたいな。間違ったかな?
そうなんですね。ちょっと記憶に忘れてるかな、もしかして。
番外演歌、まあいいや。でもこんなね、がっつりちゃんと撮ったやつが使えないって多分初めてですね。
2年以上やってきて。
そうですね。
結構あの、ポッドキャスターの方であるあるなのは、片方だけ録音できてないとか。
あるみたいですね。ホント申し訳ないっす。
今日はね、2回目の収録なんで、その分、内容がよくもなっていたらいいんですけども。
そうですね。初回のテンションの熱が失われてしまう分、何かプラスしていければいいかなと思うんですけど。
まあそんな感じで、今回2回目の収録なので、リスナーの方々、ちょっと温かく聴いていただけるとありがたいです。
じゃあ、いきましょうか。
いきましょうか。
今回紹介する消失の星なんですけれども、こちら第8巻日本公約大賞の二次選考、15作に残っていた作品でございます。
最終候補作には入らなかったんですが、非常に話題の本だったと記憶しております。
で、第2回つぶやき文学賞海外部門の作品で第1位になっていた作品でございまして、
これはかなり読んだ人の評判がすごい良さそうな印象がありましたね。
私は買ったのは結構発売しすぐだったんですが、ずっと積んでました。
1年ぐらい積んでたのかな、もしかして。ぐらい積んでましたね。
僕もすごい注目をしていて、結構周りで読んでいる人たちはみんなすごい良かったっていうので、いつか読みたいなとは思ってましたね。
ちなみにですけど、読んで本当に今年のトップ3に入るかもっていうぐらい、やっぱりすごい良かったですね。
これちょっと今日2回目だわ、もう既に前回トップ3に入るってミエさんが言ってて、おーって思ったんですけど、
その時結構私驚きました。なんかこれトップ3に入ってくるんだって。
私も実際プロジェクトヘイルメアリーとかテナントとか路上の旅行か、あの辺りがすごい良かったって、
このラジオで言ってて、紹介した作品どれも良いんですけど、この消失の星も明らかに今年読んだ本の中では、
5本の指には入ってきそうなぐらいすごい良い作品で、またすごいものを読んじゃったなっていう感じですね。
なので、私みたいにつんどくしてる人が結構多いと思うんですけど、これ話題だったんで、とりあえず読んだ方が良いと思います。
本の中にある人はぜひすぐ読んでください。
この本なんですけど、作者のジュリア・フィリップスさんはアメリカの方です。
この小説の舞台自体はロシアのカムチャック・ハントンになります。
なのでアメリカ人の方がロシアのことを書いているという作品でもあります。
これが小説デビュー作らしいんですけれども、デビュー作とは思えないぐらいすごくうねられた作品でして、
分かる人には分かると思うんですけど、アメリカの全米図書省の最終候補まで誇った作品なので、
デビュー作で最終候補まで誇るとなかなかすごい偉業だなと思います。
それってすごいんですよね。
チョシさんの方、1989年生まれなのでまだお若い方で、
高層が10代の時にあって、20代の10年間ぐらいかけて、
高層から執筆まで10年間費やしてデビュー作作ったというので、
本ができるまでの過程を最後解説とかに書かれているんですけど、
そこを読むだけでも本当すごいなと思いましたね。
すごいよね。
そのあたりはぜひ読んだ時に後掛けまで読んでいただきたいんですけれども、
ロシアを舞台に描くっていうことを決めて動かれている様子っていうのが語られているので、
ぜひ読んでいただけたらなと思います。
この書誌、かなり面白いので、
本来なら最後に感想みたいな形で印象も含めてお話しているんですけど、
いろんな人に読んでもらいたいなと思うので、
最初にどのあたりが良かったか、簡単にちょっと紹介したいと思います。
一言で言ってしまうと、すごく小説らしい小説だったなと私は感じてまして、
まず構成ですね。構成がすごい良かった。
あと表現、登場人物。
結構小説においてこの3要素って非常に重要だと思うんですけど、
ここの完成度が非常に高いです。
後で詳しく話しますけれども、
結構読む時にですね、ちょっと負荷がかかるような作りもしていて、
読みにくいという意味合いなんですけど、
これがですね、あるからちょっと読み切った時に、
自分の中で負け起こってくるものが結構すごくて、
この複雑な読語感というのを生み出しているなと思っています。
これはやっぱりこの小説というか、こういう書き方じゃないとなかなか実現できないもので、
あまり他では味わえない読書体験というのができるんじゃないかなと思います。
そうですよね。僕は最初思っていた印象としては、
この表紙がモノクロで寂しそうな女性が写っていてですね、
しかも題材が姉妹の失踪事件という結構ハードなテーマを扱っているので、
いかにも重そうな小説なのかなと思っていたんですけども、
もちろんそういう要素はあるんですけども、
でも描かれているのはカムチャックハントに住んでいる、
女性の視点で語られる女性の心理的なところであったり、
人間模様であったりというところがあるので、
意外と最初に思っていた重そうなというイメージよりかは結構スッと読んではいけましたね。
もちろんね、ちょっと中にずしんとくるようなところはあったんですけども、
でもこういう海外小説を本当に読みたいなと思っている結構鈍飛車な小説だったので、
これはもう海外文学好きな人にはたまらないものかなと印象としては残りましたね。
ではですね、ここから作品紹介をしていきたいと思いまして、
あらすじをウェブサイトから引用させていただきますと、
遠い街、見知らぬ人が受けた傷、その痛みはあまりにも短。
8月のある午後、ロシア東部のカムチャック半島の街で幼い姉妹が行方不明になった。
警察の捜査は難航し、事故か誘拐かもわからぬまま、時ばかりが過ぎる。
失踪事件は半島中の女性たちに影を落としていく。
1枚の母親、2人を最後に目撃した研究者、心肺症の恋人に監視される大学生、
自身も失踪した娘を持つ先住民族の母親、
バラバラに生きてきた12人の女性の言葉が繋がる時、事件は再び動き出す。
カムチャックの美しい情景、そこに生きる女性たちの痛みと希望を国名に描き、
世界から注目される米国作家による文芸作品。
2019年に全米図書賞最終候補作になりましたし、
23の言語で翻訳されているという作品になります。
ロシア本国でも翻訳されて、ロシアの中でも非常に評価が高いと書かれていましたので、
アメリカで書かれたロシアの小説がロシアで人気があるというのは、
ちょっとやっぱりすごく意味のある小説なのかなって感じるところでもあります。
今回舞台となるカムチャッカ半島というところなんですけども、
ロシアの一番東の方にありまして、
もう本当にアメリカのアラスカの向かい合っていると言いますか、
ロシアだとモスクワとかが有名なんですけども、
カムチャッカとは全く逆方向の、日本の北海道のだいぶ上の方にあるという地理的にはそういった場所になりまして、
カムチャッカ地方には人口33万人いるみたいでして、
今回の小説の舞台となるペトロパブロフスク市というのは、
半島の南東に位置する漁業が盛んな町になっています。
カムチャッカって私たぶん歴史の授業でしか聞いたことがないんで、
イメージが全くない地名でしたね。
そうですね。僕も今までカムチャッカは注目したことなかったんですけども、
ちょっとカムチャッカから離れてはいるんですけど、
ロシアのウラジオストクという、それもロシアの東側で日本にすごい近いところなんですけども、
コロナ前に実はウラジオストクにすごく行きたいなと思っていて、
次海外旅行行くならウラジオストクかなと思っていたくらいだったんで、
ちょっと今回親近感みたいなものは少しだけありましたね。
それ言ってたらちょっと印象変わるかもね。
とはいえね、カムチャッカが結構独特そうな雰囲気はしましたけどね、小説を読む限りだと。
ではですね、この小説のストーリーの部分に触れていきたいと思います。
その後ですね、この小説の魅力であったり、気になったエピソードの部分であったりというのも話していきたいと思っているんですけども、
まずは全体的なストーリーで物語を説明しますと、
まず始まりは半島の都市で起きた姉妹失踪事件からこの小説が始まっていきます。
地元の警察は捜査をするんですけども、一向に解決される気配がないという状況になっていきます。
そんな中ですね、町に住む人々の生活が小説の中で描かれるんですけども、
それが各月のエピソードとして、8月から翌年7月まで半島に住む様々な女性の視点で語られていくという、
そういった作りの小説になっています。
一方で、この小説の中で北部のエッソという地域ですね、
最初の舞台は南東にある都市なんですけども、
ちょっとそこから北部に上がった戦獣民族が住んでいる地域エッソというところがもう一つの舞台となってきます。
そこでは4年前に失踪した戦獣民の女性のリリアという女性がいるんですけども、
今回姉妹失踪事件が起きたことで、4年前にリリアの失踪事件も起きていて、
戦獣民族の人たちの間でリリアの失踪というのが思い出されるように語られるようになります。
しかしですね、4年前リリアという女性は失踪はしていたんですけど、警察が戦獣民族というだけで本格的に捜査をせずに、
ちょっとそこは戦獣民族と白人、ロシア人というんですかね、そういった人種の溝みたいなものがあってですね、
ちょっと戦獣民族の女性が失踪しても相手にされなかったという、そんな経緯があって、
リリアの失踪に関しては様々な噂が上がっていたということがわかってきます。
そうしてエッソに住むリリアに近しい人たちっていうのは、ちょっとその心に影を落としているというですね、
そういった状況というのが実は4年前からありました。
今回の都市部で起きた姉妹失踪事件でも目撃した女性であったり、捜査をする巡査の奥さんなど、
様々な立場の人が描かれているんですけども、どの人も人生が満たされていないというかですね、
ちょっとこのかむちゃっか半島で生活している中での乾いた感じというんですかね。
なかなかちょっと一人一人立場があるとはいえ、どこか暗さを帯びているですね。
ちょっとそのような描かれ方というのをしています。
そうした人たちの様子からこの半島の空気感というのが伝わってきますし、
全体的に喪失感のようなものを感じさせるような小説になってまして、
ただですね、エピソードというのが進んでいくと物語が一つにつながっていって、
終盤はすごいことになっていって、もうラストは圧巻という、本当に期待を裏切らない、
みんながですね、この小説すごいなというですね、何かそういうのがわかるような話になっていきますので、
最終的にはもうものすごく、面白いと言うとちょっと語弊があるんですけど、
すごい展開が持っている小説になりますね。
そうですね、ラストは本当、これさっきみえさんが話している通り、
各月でやって8月から始まって翌年の7月までなんですけど、
6、7あたりはすごい、6月、7月あたりのエピソードはすごいですね。
そうですね、今回はね、そのあたりがネタバレになるので、
ちょっとね、一切触れないですけども、手前手前のところは後で触れたらいいなと思います。
この小説の全体的な魅力をお伝えしていきたいと思います。
まずですね、私がもう端的に感じたのは、冒頭でも少し話したんですが、
完成度が高い小説だなと感じております。
で、この完成度の高さっていうのは、いくつか理由があると思うんですけれども、
まず、エピソードの構成の上手さですね。
これまあ、各月で様々な女性が主人公となって、
その女性の人生というのが語られていくんですけれども、
言ってしまえば連作短編集みたいな作りではあるんですが、
その一つ一つのエピソードがよく作られていて、
そのエピソードの中でも、個々の女性の感情とか物語がダイナミックに動きます。
ここはですね、本当に私は夢中で読んでしまうポイントだったんですけれども、
ただ毎回ですね、話が1からというか、
他の物語に出てきた登場人物がいるので、
毎回毎回1からって感覚ではないんですけれども、
でも読んでいると、まずこの登場人物が置かれている立場とか、
今抱いている感情とかが、ちょっと読み進めないと見えてこない部分が多くて、
なので毎回最初ちょっと読むのにパワーを使うような作りになっています。
ちょっと負荷がかかるような作りになっています。
これは結構ですね、実際これ380ページくらいかな?の小説なんですけど、
このページ数からすると、私は結構読むのに時間がかかってしまったなと思っています。
でも、それはさっき言ったこの負荷がかかってしまっていて、
読み進めるのに、理解するのにちょっと時間を要してしまったってところなんですけれども、
でもこれって小説を読むときに必要な作業というか、
小説を読んでいる感覚に慣れる作業でもあるので、
個人的にはこういうのは小説を読む上での楽しみだなとも思っております。
人によってはちょっと辛いと思う人もいるかもしれないんですけれども、
でもそれを乗り越えるとすごく楽しめたりもするので、
このあたりは本当に小説らしい小説だなと私は思いました。
そうですよね、結構そのエピソードによって主役が変わって、
出てくる人物もエピソードごとに入れ替わってくるので、
結構その話を把握していくというところが最初労力としているかなと思うんですけども、
これやはり小説としてすごく完成度の高さだと思うんですけど、
すごくそれが面白く読んでいけるので、
やはり作者の方の力量というか、そういうのが高いんだなというのは感じましたね。
もう何点かちょっと魅力をお伝えしたいんですけれども、
まずですね、このカムチャッカという舞台ですね。
この閉鎖的なカムチャッカの空気感というのが、
非常にこの物語にいいスパイスを落としているなと思っております。
で、これ8月の段階でシマヤが失踪するんで、
それから始まるんです。
まず空気が重いんですけど、
シマヤがですね、やっぱり誘拐って初動で見つからないと、
殺されてしまったんじゃないかって話になってくるので、
しかもなかなか見つからないという状況になってきて、
この半島でですね、
この失踪した姉妹を探すことを諦め出す空気とか、
あとこの半島の中に先住民とスラブ系住民ですね、
あのロシアから来ている、ロシアの中央から来ている人たちとの
結構溝なんかもあったりして、
この辺りがうまく描かれているので、
この閉鎖的な空気っていうのを読んでいるとうまく伝わってきます。
この先住民のことを見下すスラブ系住民と、
やっぱそちらを、そのスラブ系住民を信用しない先住民、
っていうこの民族間の差別っていうのが、
各月で主人公変わるって言ったんですけど、
どちらの立場の方々も描かれるので、
そこが双方の目からうまく描かれていて、
この物語すごくうまくできているなと思っています。
こうしたロシアの中でも複雑な場所と言いますか、
中央の白人のスラブ系の住民と、
カムチャック半島にもともといた先住民族がいて、
そこに溝があるというですね、
そのようなところをアメリカ人の、
いわば部外者のような立場の著者が取材をして、
今回のような小説を描けたっていうのが、
本当すごいなというのを率直に思いましたね。
でもこれはまさにこの作者というか、
部外者だからこそ絶対描けたなって、
これ読んでると思うところで、
やっぱりどっちにもいいバランスを取って描かれているので、
部外者だからこそ持てた視点なんだろうなと思いますね。
これが例えばどっちかに所属する者が描こうとすると、
こんなにうまくは描けないんじゃないかなと思いますね。
なんかわかんないですけど、
我々も日本で言うと多分アイヌとかになると思うんですけど、
北海道で本土から来た日本人とアイヌのことを描こうとしたら、
やっぱりどうしても自分たちが描こうとすると、
本土から来た日本人の視点っていうのが色濃くなっちゃうと思うんですけど、
これは多分本当部外者だから、
すごくフラットに描けてるなって感覚があって、
その点は本当この小説はすごいところだなと思いますね。
あともうちょっとだけ魅力について話したいんですけど、
登場人物ですね。
登場人物のリアルさと、
ここの小説で描かれる人間模様っていうのが非常にうまいです。
これ登場人物の感情っていうのは本当各エピソードで描かれていくんですけれども、
どれも本当リアリティがあって、脇役を含めると結構な人数出てくるんですよ。
まず確実にそれぞれ主人公がいるんで、
12人近く出てくるわけですし、
それにそのエピソードの中の出てくる登場人物も2,3人とかじゃないんで、
各エピソードごとに2,3人っていうわけではないので、
結構な人数が出てきます。
もちろん再登場する人もいるんですけど、
結構な人数できます。
その誰もがですね、結構深掘りして設定が考えられていて、
一人一人にリアリティみたいなのがあって、
読んでいるとですね、
この人いるよな、こんな人いるよな、みたいなのが感じられることが多くて、
なんとなく描写も上手かったりするんですけど、
情景とかの描写も上手かったりするんですけど、
登場人物のリアリティのおかげで、
なんとなくこの半島の暮らしっていうのがすごく見えてくる作りになっているなと思っています。
さっきも話した通り、先住民とスラブ系住民、
それぞれの視点があるので、
お互いの意識が分かる作りになってますし、
前のエピソード主人公だった人が違うエピソードが出てきていて、
全部一人称じゃなくて三人称で描かれるんですけど、
三人称といってもちょっと主人公の視点っていうのが入ってくるんで、
逆々になって出てくると、
こんな人だったんだ、みたいなのがちょっと分かったりするところもあるんで、
この辺りは本当に上手い作りだなと思います。
連作短編って結構好きな人いると思うんですけど、
そういう人には絶対楽しめる作りになってますね。
そうですね、この本を開いてすぐに主要登場人物の一覧があってですね、
それを見ながらだと視覚的、人物把握しながら読めていけるのかなと思いますね。
やはりそう、連作短編のような楽しみ方って本当にあって、
このエピソードでこの人物とあの人物が繋がるんだというですね、
そういうのがあったりして、
そこはすごい、やっぱり読んでて面白いところではありますよね。
そうですね、あと今ちょっとみえさんが主要登場人物一覧の話をして、
今改めて見たんですけど、これはあれですね、
ロシア人というかロシアを舞台にした小説の場合には名前覚えやすいですね。
そうですね、確かに確かに。
ドフトエスキーの小説とかなかなか覚えられないけど、
結構これ覚えやすいなって今ちょっとふと思っちゃいました。
結構みんな名前が短いですよね。
マリーナとか、アリオーナ、ソフィアとかね、ナターシャとか、
確かにチェガとか。
名前の響きもあんまりかぶってない人がいるから、
割とロシア舞台にして名前ってちょっとアレルギー反応起こす人たまにいると思うんですけど、
そういう人でも多分読めますね、これは。
そうですね、この中で本当ちょっと難しい名前って、
その巡査部長のF芸人パブロビッチ・クーリックぐらいじゃないですかね。
そうですね。
こいつもあんまり出てこないしね。
ほぼ出てこないですけど。
肝心な時にね、ちょっと飲みに行ってていないっていう巡査部長って感じが。
ちょっと夕方になっちゃいましたね。
でもこの出てくる登場人物の結構職業の幅とかも広くてですね、
新聞記者がいたり火山研究所で働いている人たちがいたり、
学校の師匠とか、中には学生とかですね、警察官とか看護師さんとかですね、
あと救急隊の人もいてですね、すごくそういう人たちの中にもつながりがあったりして、
すごく社会を感じるような、この都市の社会ってこういう風になってるのかなっていうのがね、
伝わってくるようなすごい上手い描き方がされてるなと感じましたね。
逆にこの小説を読んで僕が思ったのは、自分が住んでいる街で警察官とか、
例えば消防隊の人とかですね、そういう地域を支えるお仕事をしている人について
全然知らないなっていうのを感じましたね。
逆にね、この小説ではまさにその地域とか社会を支えている人たちが出てきたりするので、
この小説の良さもそういうところにもあるのかなと思いましたね。
独特だよね。火山研究所の職員とかって結構この半島だからこその。
そうですよね。
即応だったりもするけど、他は結構ね、一般的な人たちが多くて。
最後にですね、伝えたい魅力なんですけど、この小説ですね、文章表現が非常に上手いです。
これは本当に小説の買わせ度の高さに貢献しているなと思うんですけれども、
デビュー作とは思えないぐらいですね、文章が整っているというか表現が端的で上手くですね、
登場人物の感情とかその時の立場とかを示すことができていて、
これは本当かなりねって書かれたのか、もともとの文章体なのかちょっとわからないんですけれども、
おそらくですけど時間を結構かけているんじゃないかなと思います。
この短い文章でこの読み手に本当に伝えてくる、理解させるのが非常に上手いので、
先ほど私エピソードごとにまた始めから感情とか立場とかを読み取っていかなきゃいけないような話したんですけれども、
1つのエピソード30ページぐらいなのかななんですけど、
その短い中に最初ほんとすぐそういうのを伝えてくる力もあるので、
本当にこのあたりは文章力が高いなと思いました。
例えばというところをちょっと引用しようと思うんですけど、
でもこれも流れてみると非常にピタッとはまってくる文章で、
これだけ取り出してもなんかあんまり響かないかもしれないんですけど、
ちょっと例として読みたいと思います。
1月の章で196ページなんですけど、
これ主人公ナターシャっていう漢字を描いたところなんですけど、
もっと手厳しい一言を思いつけなかったことをナターシャは悔やんだ。
いや、それにも増して黙って帰れなかったことを早くも後悔していた。
余計なことを言ってしまった。自分は後悔ばかりしている。
怒りに任せた一言はダメ押しのように自分を傷つける。
3行ぐらいか、文章があるんですけど、
この時に結構ナターシャの後悔の度合いっていうのを上手く伝えてるし、
この時のナターシャの感情の変化っていうのも本当、この3行の中で伝えてるんで、
こういうのがですね、すごく頻発してまして、
非常に上手い作家だなと思っております。
そうですね、やっぱりこの人物の心理描写、すごい上手いなと思いましたね。
中にはこの各月のエピソード、本当にそれ単体でもこれは名作短編じゃないかなと思うようなですね、
すごくいいエピソードがいくつもあってですね、
やっぱりそこが小説の完成度の高さに結びついてるんだろうなっていうのはすごく思いましたね。
わかりやすい名言みたいのはあんまりないんですけど、
各章の細胞とかの文章とかすごい締まってて、すごい上手いんですよね。
なんかナチュラルっていうか、すごいスッと入ってくるし、響いてくる。
やっぱ小説ってこういうところがいいと、すごく自分も小説の世界の中に入っていけるし、
この辺りはちょっとすごいレベルの高い作品だなと思いました。
ではですね、最後のパートになるんですけども、
このエピソードが各月語られていくので、その中でも印象的だったエピソードというところをですね、
4つほど取り上げて話していきたいなと思っています。
先ほども話はあったんですけども、始まりは8月から、
翌年の7月までの半島の1年間っていうのが描かれているんですけども、
本当にその毎月毎月のエピソードがその月によっていろんな話が展開されていて、
どこを切り取っても面白いっていうのはあるんですけども、
その中で今回印象的だったところを話していきます。
ただとはいえですね、紹介、ここで紹介しないエピソードというのも本当に面白いので、
気持ちとしてはですね、読む人によって何が良かったっていうのは、
多分ですね、人によってもうだいぶ変わってくるんじゃないかなと思いますし、
全部読んでね、全部味わってもらえたらなっていうのがすごく思うところではありますね。
じゃあですね、ちょっと僕から1つ目が12月のエピソードですね。
これが簡単にどんなエピソードなのかと説明しますと、
主人公は大学4年生の女の子なんですけども、その人は、
クシューシャという女の子は北部のエッソというところで生まれ育った先住民族の人になります。
で、都市部の大学に進学をしてきて、
そこでですね、いとこの女の子も同じ大学に入学してきたのがきっかけで、
この2人が大学の舞踏団のサークルに入ります。
その舞踏団っていうのは、カムチャッカーの伝統的な先住民族の踊りをね、踊ったりする、そういうサークルなんですけど。
で、このクシューシャという主人公の女の子には、もうずっと恋人がいました。
ずっとというか高校生ぐらいからですね。
それはもう地元の同じ男の子なんですけども、ただその男の子が結構ですね、
嫉妬深いというかなんというか、すごい縛りがきつい男性で、
毎日電話で喋って、結構詮索するんですよね。
今日は何してたとか、誰と会ったかとかですね。
しかもこの都市には、姉妹失踪事件というのが都市でも起きていたということで、
すごいですね、恋人の男性が特に気をかけて一人で外で歩くなとかですね、
そういう心配をして付き合っていたんですけども、
この舞踏団のサークルに入ってから、クシューシャに友達ができます。
それも男友達ですね。
自分と同じく先住民族の男の子で、その人がすごい優しくていい人で、
だんだん気持ちが、最初は友達ができたという喜びが大きかったんですけども、
だんだんですね、友達以上の存在としてお互い、これは男の子もそうですけども、
見ていくようになるという、そこに対してもともと付き合っていた男性ですね。
この男性もですね、縛りはきついんですけども、
すごい、ある意味純粋というかですね、
もう本当にそのクシューシャのために何でも捧げるというかですね、
すごく努力をするような男性で、という状況で話が進んでいくというですね、
これが今の説明だと何なのかというのはあるかもしれないんですけども、
結構その先住民族と、先ほどの話でもあったようなスラブ系住民ですね、
白人のロシア人との溝の部分であったり、
あとはこのクシューシャという女性がこの舞踏会のサークルに入って、
だんだん踊って人間関係もできてきて、
それまでちょっと大人しくて、友達とかあまりいなかったタイプなんですけども、
なんかその辺の変化に富んでいるところとかですね、
それをすごく読ませる、個人的にはすごいいい短編小説だなと思って読めたのがこの12月ですね。
姉妹失踪の話とはほぼ直接関係ないエピソードになるんですけど、
大体こういうふうに直接関係なくて、ちょっとその影が落ちてくるみたいなパターンが多いんですけど、
この話はちょっとこの主人公のクシューシャのこの揺れ動く感情っていうのがうまく描かれていて、
二人の男というか、二人の男なのか、読んでると二人の男の間で揺れてるっていうんですけど、
でも実際もっとなんか細かいような感じがあって、
さっき迷ったように先住民であることとか、
自分がそれまであんまり人付き合いがうまくなかったのがこう変わっていったりするところとか、
そういうちょっとこの変化があって、そのあたりはうまく描かれているので、
結構作画夢中で読んでしまったところですね。
単編小説として完成度が高い。
これだけ読んで楽しんで読めましたね、本当に。
じゃあちょっと私の方から紹介したいのは、この次の章なんですけど、
12月31日っていう、この12月31日の章だけ日付で描かれる章でございます。
これはですね、大晦日の夜にこの半島に住んでいるラダという女性がいて、
ちょっと詳しく書かれてなかったんですけど、
サウナがついたコテージみたいなところかな?
家を借りてて、大晦日のパーティーのためだけに何人かで、
結構20代前半、20代半ばくらいまでの男女がいて、
飲んだりサウナに入ったりしてるんですけど、
飲んでる途中にサウナに入るっていうのがちょっと面白いなって思ったんですけど、
多分このカムチャック半島がロシアの文化なのかもしれないですけど、
そうやって大晦日の夜を過ごしているときに、
このラダの昔からの同級生のマーシャという人物がこのパーティーに来るよって話になります。
で、ラダとマーシャは高校かな?まで一緒だったのかな?
途中まで一緒だったんですけど、
このマーシャが割と都市部のサンクトベテルブルク、
あのモスクワとかの方なんで、
もうロシアの西ですねっていうところに引っ越してしまったというか、
就職…大学かな?大学のために行ってそのまま就職しているという状況で、
もうそれ以降ですね、
最初はちょっとメールとかの連絡も取ってたんですけど、
そういうようになってしまった2人の話です。
で、マーシャっていうのは、
まあもうこの半島を捨てたというか、
半島から出て行ってしまった人間で、
たまたまこれちょっとこの実家にっていうところで戻ってきてはいたんですが、
もう半島の空気感とか結構マーシャからすると、
あまり好きではない、むしろ嫌いになっている状況です。
なのでこうマーシャの…
まあこれ視点はラダなんですけど、
マーシャの話とかマーシャの考え方みたいなのが見えてくる部分があって、
そういうのから察するに、
やっぱカムチャッカってだいぶ閉鎖的なんだなっていうのが分かります。
ちょっとあんま説明しなかったんですけど、
これ陸路でなんか本土とはうまく繋がってないっぽいんですよね。
地図上だとなんか繋がっているように見えるんですけど、
船か飛行機じゃないとちょっと移動が難しいくらい、
やっぱちょっと閉鎖的な場所みたいです。
でもこの写真の中でそのマーシャから見る閉鎖感も描かれるんですけど、
このラダ、まあラダも実際この半島に結構いろんなことを関するっぽいんですけど、
ここで結構描かれるのはこのラダとマーシャがこう再会してですね、
このラダはもうマーシャとは自分は関係が切れてしまったと思っていたんですけれども、
マーシャとラダってやっぱ会ってみると結構本音でちょっと語り合う瞬間があって、
ちょっと関係が修復するような兆しが見えるんですけど、
でもあのマーシャがここで過ごす最後の夜だからっていう話をして、
ちょっと終わっていくんですけど、このちょっと終わり方が結構良くて、
多分もうこの2人っていうのは会うことがもしかしたらないのかもしれないなみたいな、
なんとも言えない悲しさが残る作品で、
これをですね、あの短編として見たときに感性の高いなと思った章ですね。
本当このマーシャという女性がですね、
あのこの故郷であるカムチャッカにはもう居場所がないんだなっていうのがすごく伝わってくる小説で、
かといってね、今サンクトペテルブルクに住んでいるんですけども、
その都会にもじゃあマーシャの居場所があるかというとですね、
そこももうまだまだ不安定というか不確定なところもあると思うので、
なんかこのマーシャのこの寂しさであったりね、
逆にこのマーシャから見えるカムチャッカの閉鎖的な部分であったりとかっていうのが、
家族に対してのナターシャのすごく複雑な思いというのがですね、
あるんですけども、
そういったのがですね、小説全体を通して書かれているというですね、
最終的にはですね、僕はこれもすごいやっぱり名作だと思っていてですね、
ナターシャがやっぱり自分が変わっていこうと思うっていうですね、
なんかそういう心境に至るっていうところが、
最終的には描かれているんですけども、
家族に対してすごく思うところがあったりしつつも、
でもそこの心の変化というところ、
これがこのエピソードの中で一部始終が描かれているというところが、
すごくなんか惹かれましたね。
そうですね。これね、本当この感情のキビを描くのが本当に上手いですよね。
すごいナターシャの、改めてこの1月はすごい名作だなと思いますね。
結構このリリアっていうこの物語の中でも、
ちょっと核心とも、核心みたいなものが少しちょっと、
芯の部分もちょっと触れる内容ではあるんですけど。
またね、ナターシャの視点でリリアの失踪事件が語られると、
それまでもね小説の中でその話題ってあったんですけど、
またちょっと違った見方がね、その失踪事件に対して持てるようになるので、
そういった効果というのもこの1月というエピソードにはあったんだなと思いましたね。
最後にちょっとご紹介したい章が5月です。
これは個人的な私のお気に入りエピソードなんですけど、
結構ですね、ペット飼っている人はですね、だいぶ共感するんじゃないかなと思います。
奥様という女性が主人公なんですけど、
愛犬のマリーシュっていう犬がいなくなってしまう話です。
で、これいなくなったのが、友人の恋人が、
ちょっとどういう流れで昼飯を食べに来てるのかわからないですけど、
なぜか一緒にランチを奥様の家で食べるんですよ。
で、食べた時にマックスって言うんですけど、
このマックス、ちょっと前のエピソードでも出てきてるんですけど、
あのマックスがですね、奥様の家の玄関ドアをですね、
開けっぱなしにしてしまって、そのせいで犬が出て行ってしまったと。
で、結構その後必死に探すんですけど、なかなか見つからないというエピソードです。
で、結構私が非常に共感してしまったのが、奥様ですね、
まずこのマックスっていうのが許さないんですよ。
この愛犬を外に放ってしまったというか、
そんなつもりはなかったにしろ、
開けっぱなしでしまったマックスの子供を許さないし、
もうそれと付き合っている自分の友人、名前なんだっけな、カーシャか。
カーシャなんですけど、この二人が許さないんですよ。
友達を辞めるというぐらい激怒してて、
で、何もそこまでみたいな感じになったりもするんですけど、
でもこの感情ってわかるっていうか、ペットを大事にしている人だったら、
もうすごいわかるなと思います。
で、これ探している間に、この愛犬を探し回っている間に、
彼女はこの愛犬とのことを回想するんですけど、
元夫かな、旦那さんもですね、
このマリー氏をちょっと危険な目に合わせようとして、
あ、えっと、ちょっといたずら心からだったりするんですけど、
そういうのを全く許せなかったりとか、
する感情とかも描かれて、