アパルトヘイトの時代、南アフリカから鄰国ポツアナへ自由になるために亡命した青年、マカヤは
性別や欲圧、人間の罪悪など、新たな現実に直面する 人間とは何なのか
ベッシー・ヘッドの著編第一作 雨雲の集まるとき 待望の翻訳
翻訳出版された横山仁美さんと一緒にご紹介していきます
どうも皆さんこんにちは。文学ラジオ空飛猫たちです。この番組はいろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私大地と三枝の二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には厚く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのはベッシー・ヘッドの雨雲の集まるときです。横山仁美さん役で雨雲出版から2025年に出版された本になります。
今回は作品紹介200回目となります。ちょっと節目の時になってきてるんですけど、そんな中今回はゲストに来ていただいております。
この本を翻訳され、しかもそもそも出版もされた雨雲出版の横山仁美さんをお迎えして、今回一緒に作品紹介していきたいと思います。横山さんよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。今日はありがとうございます。そして200回という記念すべき時にお招きいただきありがとうございます。おめでとうございます。
ありがとうございます。
雨雲出版という出版社を立ち上げました。なぜ立ち上げたかというと、この雨雲の集まるときというのを出版したいがために思わず立ち上げてしまいましたが、ずっとアフリカ関係の仕事をしてきています。
ベッシーヘッドも学生時代からずっと追いかけてきている素敵な作家さんで、長いことこの本の出版をしたいと思っていたのですが、ようやく2025年5月に出版することができました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回なんですけれども、横山さんとは療養者さんのブックフェスタか何かでお会いして、それがいつだったかなんですけど、その後文学フリマー京都ではちょっとお隣だったんですよね。
そうですね、ブースがお隣でした。
その時にそろそろみたいな話を聞いていて、今年の5月の文学フリマー東京でこの雨雲の集まるときを先行販売って感じだったんですか、あの時は。
はい、そうですね。
ちょっと我々2人買わせていただいて、ずっとお話は聞いていたので、ようやく出たんだっていう気持ちで買わせてもらったものを覚えているんですけど、その後また療養者で梅屋敷ブックフェスタで雨雲の集まるときを売っていらっしゃって、
我々は普通にお客としてちょっとお伺いしたときに、ちょっとこれはやっぱり一緒に紹介してくれませんかっていう話をさせてもらって買い得いただいて、今回ちょっと一緒にゲストとして出ていただいているという流れになっています。
先ほどちょっといろいろあったと思うんですけど、まずこの本を出版するために立ち上げたっていう、もう本当簡単なことじゃないのに、さっきさらっとおっしゃってましたけれども、すごいなってちょっとやっぱり改めて思います。
今回はですね、翻訳出版された立場から、でも元々はね、今日出てくるか、来週出るかわからないですけども、横山さんこの作品、大学時代の時に出会っているので、そのあたりのことも、なので最初に読んだ印象とかもあるかもしれないんですけれども、だいぶ翻訳されて変わっているところもあるかもしれないんですが、ちょっとこの作品の魅力やポイントを一緒に語っていきたいなと思っております。
で、今週はまず作品紹介をさせていただきます。来週はですね、かなりパワフルに活動されているんですけれども、横山さんの活動とか制作秘話とか、また今後の予定なんかですね、いろいろちょっとお伺いしていきたいと思ってますので、来週もちょっとゲストに出ていただきますのでよろしくお願いいたします。
横山 よろしくお願いします。
この雨雲の集まる時なんですけれども、これ南アフリカからですね、ボツワナに亡命した青年の話なんですけれども、時代はアパルトヘイトの時代。これ正確には時代って何年くらいなんですか?1960年?
1960年代ですね。ボツワナが独立前夜であるっていうふうに書かれているので、ボツワナの独立が66年なので、その前ぐらいの時代の話ですね。
なるほど。我々の時代から見ても結構距離のある、加えてやっぱり南アフリカとかボツワナのあたりって結構イメージがしにくいものなんですけど、テーマ性も高いし物語性も高いし、哲学的だったしすごい面白かったんですけど、何よりも私一番驚いたのは読みやすかったことなんですよね。
そうですか。
なんかこれほぼこの時代に関して情報が知らない人でも、なんかわかりやすく書いてるなと思っていて、ちょっとそこはなんかもうちょっと言い方あれですけど、突きにくい要素あるかなって思って手に取ってたんですけど、あんまりそういう印象はなくですね、結構スラスラ読めてきたので、ここは結構多分そもそも翻訳の良さもあると思うんですけど、多分作者の気の使い方というかもあるんだろうなと思っていて、
すごく読みやすい一冊だったなと思っています。そんな印象私持ってますが、三枝さんはどうでしょう?
三枝 もうすごい読みやすくてですね、映画見ているように読んでいけましたね。
ああ、ちょっとわかりますね。
三枝 印象が頭に浮かぶような感じで読んでいけて、本当に映画見ているような感覚で。僕が一番驚いたのは、登場人物がすごい魅力的な人が多くてですね。
ぼつ穴という国、全然知らなかったんですけども、この主人公が亡命して、ぼつ穴に来て、とある村で生活していくんですけど、そこで出会う人たちがまたすごい個性的というか、すごいそれぞれが考えをしっかり持っている人たちで、
そうですね。
三枝 そんな人物たちとの交流が深まっていく、その感じがすごい読んでいて、よくて。もちろんね、その交流が深まっていくには山あり谷ありみたいなところはあるんですけども。
なので、すごい良かったですね。結構僕は最初の序盤の主人公のマカヤという人と、ギルバードという村にいる白人の青年なんですけども、その2人の出会いのところとかもすごい良くて、すごいハマって読んでいました。
三枝 ハマっていただいてよかったですね。嬉しいですね。私も数え切れないぐらい読んできて、訳し直しだけでも何十回もやってると思うので、すごい訳し直してるんですよ、全部。
そうなんですか。
三枝 もうなぜ足掛け20何年とか。
そうですね。
三枝 そうですね。大地さんおっしゃった物語の分かりやすさって言うんですかね。なんかこういうのは結構この作品は分かりやすいっていうのはちょっと特徴的で、この後に続くマルっていう作品と、力の問題っていう作品が割と有名な3つの長編小説で、
マルと力の問題は方訳が出てるんですけど、この雨雲の集まるときっていうのは方訳がずっと出てなかったんですね。実はこれが一番分かりやすいというか、入りやすいというか、最初にベストヘッド作品を読むにはとてもお勧めな本なんですね。きちんと綺麗にまとまって書かれていて、いろんなテーマを盛り込んでるっていう感じ。
農業とか開発とか差別とか女性のこととかですね。そういうのを一通り盛り込んでいるような、割と分かりやすい。物語としてもプロットはシンプルだけど分かりやすいっていう。ちょっとこの後の作品だと違う感じになってくるんですけど。
あと登場人物の魅力っていうのもそうですね、すごく一人一人が内面まで深く描かれているんで、その人の良さというかその人の事情があるというか、みんないろんな事情があるんですよね。悪役みたいなチーフマテンゲでもマテンゲなりの事情があるんですよね。
それが良いか悪いかっていうことは一個も言ってなくて、どの人の中にも何かがあって、その内面をすごく描かれるっていうのが本当に共感性の高いというか、物語の面白さにつながっているのかなという気は。だから人は愛する作家なんですよね。
本当に一人一人を愛してて、そういうふうに描いていくんですよねっていう感じです。マテンゲは悪いやつだから徹底的に悪くとかいうことはないですね。悪いことはするんですけど、悪いことはするんですけど、なんかこう彼なりの苦悩とかあったりとか、そういう雰囲気のそういうことが描かれている物語かなと。
確かに。一応わかりやすい悪役出てきますけど、人間味がありますもんね。確かに。
ちょっと可哀想だったりするんですよね。
そうですね。確かに。
特にマテンゲのお兄さんのセコトの方ですね。最初セコトを知った時、これめっちゃいい人なんだと思って呼んでいたら、案外ちょっとそうでもないなっていう。
そんなことない。
そうそう。そこも面白かったですね。セコトも意外と単純じゃなかったなっていう。裏にいろいろあるんだなっていうのがわかってきて。
それはやっぱり伝統的アフリカの主張に対するペッシさんの批判なんだと思いますよ。
こういう人いるやんっていう感じ。
こういう人がいるから国は発展しないんだとか、こういう、しないんだじゃないけど、こういう問題につながっているんだっていうのをものすごい鋭く描いてるわけですよね。裏の問題とか。
なんでかっていうとセコトがこんなやつだからとか、そういうつながってくる。
だから別にこのセコトがっていうキャラクター付けなんですけど、要は言いたいことはその社会のことなんですよね。
っていうまだ作品紹介にも入ってないので、いろんなことを言い始めたので、ここらで。
じゃあここでいきましょうか。
じゃあですね、ちょっとここで、今ベシヘッドさんの話いろいろしてますが、ベシヘッドさんのご紹介をしたいと思います。
1937年南アフリカナタール州ピーター・マリッツブリックの精神病院で生を受ける。
アパルトヘイト法の下、異人種間の結婚性的関係が違法だった中、白人の母親と黒人と思われる父親の間に生まれたが、預けられた英国系ミッションスクールで初めて出生の秘密を知らされる。
これ解説も書いてありましたけれども、お父さんが不明なんですよね。
その肌の色からもう黒人であるだろうということは言われていたという形ですね。
その後、教師の職を経てジャーナリストとなり、ハロルドヘッドと結婚するが離婚。
アパルトヘイト化で政治活動に関わっていたため、パスポート使徒が許可されず、26歳で幼い子供を連れ出国許可証のみで隣国ポツワナに亡命。
以後22年間、孤独な暮らしと貧困の中で精神疾患を見るが、やがて作家として治せられるようになる。
3編の主な長編小説とその他短編エッセイ等を出版し、世界各地の文学イベントや大学で登壇するなど活躍を見せるが、
1986年48歳の若さで肝炎を患い南アフリカに戻ることのないままセロウェで救世するとありますね。
48歳で亡くなっていらっしゃるんですよね。
7月6日が誕生日なのでついこの間です。
ついベッシーヘッド関係者とハピバベッシーっていうメールをやり取りしたところです。
日本の書店に並んでいる写真をみんなに送って読ませておきました。
すごいなんかエモいというかいいですね。
エモいです。
ここから作品紹介入っていきたいと思います。
内容を天熊出版さんのホームページからちょっと読ませていただきたいと思います。
ただ自由な国で暮らすのがどういうことなのか感じてみたいんです。
そうしたら僕の人生の邪悪なものが立たされていくかもしれない。
アパルトヘイト時代南アフリカ。
政治犯として刑務所で2年間過ごしたジャーナリストの青年マカヤは国境近くに隠れて夜を待っていた。
闇に紛れて国境フェンスを乗り越え新たな人生へ踏み出すために。
たどり着いたのは独立善也の隣国ボツワナの村ホレマミリー。
農業開発に奮闘する英国人青年ギルバートと出会い初めて農業を目的に立つあることになったマカヤ。
しかし非人間的なアパルトヘイト社会の南アフリカとはまるで違う自由の国であらずのボツワナにも抑圧者は存在した。
マカヤはこの国の抱える人種主義や抑圧の問題、人間の善悪、そして干ばつの苦しみを目の当たりにする。
深い心の闇を抱いたマカヤはやがて村人との出会いで傷ついた自らの心を癒していくが、
人間が最も必要としているのは他の命との関わり合いだ。
もしかするとユートピアはただの危機なのかもしれない。
もしかすると南アフリカ出身の重要作家ベッシーヘッドが亡命先ボツワナで発表した1968年の長編第1作
待望の翻訳というところなんですけれどもすごいテーマが盛り盛りだっていうのと
時代的にもやっぱりこの南アフリカ、アパルトヘイト社会の南アフリカっていうですね
いろんな話が展開する一冊だなと思ってます。
そうですね、いろいろテーマすごくたくさんある本だと思うんですけども
やっぱりこの世界でもすごく評価されている作家さんのベッシーヘッドさんの作品ということで
でも日本でその翻訳出版されたのが今回初めてということで
マグモの集まる時は世界でどのように評価されているのか
どのように需要されてきたのかというところをぜひちょっとここでお聞きできたらなと思います。
マグモの集まる時が発表されたのが1968年で
これニューヨークのサイモン&シュスターっていう会社から出版社から出てるんですけど
その後直後にイギリスからもロンドンからも出版されているので
それが結構ヒットしたということなんですね。
いろんな割と広く世界中の人に読まれるようになって
早い時期にいくつか翻訳も出てるんですね。
例えばデンマークとかちょっと私は正確などこの何言語がいくつ出てるかわからないですけど
複数言語に訳されているらしいということと
ツアナ語とかにも訳されてますね。英語で書かれてるんですけど
ツアナ語で話されているツアナ語にも訳されてるし
一番最近なのは2016年の韓国語版が入れたみたいで
ちょっと出版社にはコンタクトはしてないんですけど
そういうコピーがミュージアムに置かれてました。ステロエのミュージアムに置かれてたんですけど
だからずっとアカデミアの中ではベッシーさんが86年亡くなってるんですけれども
現在の頃から70年代ぐらいとかにはもういろんな研究者がベッシーヘッド研究を取って始めて
PHDをやったりとかですね論文を書いて
ベッシーヘッドにインタビューしにわざわざこっちの生で来てっていうような人が結構いたらしくて
今でもベッシーヘッドで論文を書く人って結構いるんですね文学系
文学系ではかなり重要な作家ということでみんなが知っているというか
早くなくなっちゃったんではあるんですけど
だからベッシーヘッド周りではそうだなベッシーヘッド学会みたいなのが過去3回かな開かれていて
で文字通り学会でいろんなベッシーヘッド研究者がすごいマニアックですよね世界からやってきて
直近がでも2007年とかなので
ボツアナで開催されたんですけどボツアナ大学でいろいろシンポジウムやったりとか
あとはまあいろいろイベントごとがあったのでそういう感じで
この作品をきっかけに世界に知られるようになっていた作家さんかなと
一番最初に発表した序編小説ですね
それが発表されてから今でも注目というか評価が続いているというのが
今でも新しい版が出たりとかしてますね
新しいバージョンとかちょっと編集入れて別のバージョン
これは10数年前かそれぐらいのやつですけど
あといくつかありますね最近の
なんかすごく時代問わずに受け入れられているんだろうなと感じますね
これはって言いましたけど今役を私が参照した現状は2014年版ですね
雨雲の集まる時ウェンリン・クラスケアザーですね
なるほど
そんな結構世界的にも翻訳済んでいる作品ですけど
なぜ日本でここまで翻訳されなかった期間が長かったというか
翻訳されなかったんでしょうか単純にちょっと疑問に思ってしまったところなんですけど
それは正確なところは分からないですけど
なかなかアフリカ文学を日本のマーケットで翻訳して出すっていうのは
割とハードルが高かったのかなっていうのは思っていて
それは私もたくさんの出版社に交渉してはNGが出てきたっていうのも分かるんですけど
90年代にアパルトヘイトがちょうど終わる時期だったんですね
94年に初めて全人種参加の選挙が行われたんですけど
その時期に日本で結構いくつかアフリカ文学が翻訳されて出てるんですね
デイベッシュヘッドさんの作品も4タイトル日本語で出てるんですよ
その時代だったので雨雲の集まる時っていうのは一番最初の作品なので
確かに世界中で有名になったきっかけの作品ではあるんですけれども
代表作としては力の問題とかその3作目ぐらいに書いたやつとかが結構知れていて
多分部数もいっぱい出ているんだと思うんですけど
そういうのもあって日本のマーケットでは特に出されないままずっと来たのかなと
実際いろんな出版社にあたってもなんで力の問題じゃないんですかとか言われたこともありました
力の問題はブックアーションにノミネートされたっていう話があって
そういう理由もあったんだと思います
賞を取るとかそういうのって結構出版界では重要で
残念ながらベッシュさんって早く亡くなっているので
ノーベル文学賞を取れる取れるとか周りも言うし
本人も取れたらいいねって冗談言ってたみたいなんですけど
そんなに長く生きれなかったので早く亡くなって
大体ノーベル文学賞を取る人って例外もあるけど大体歳いってる人じゃないですか
そうですね
たくさん書いてるんですよずっと
そういうのがなかったなっていうのがちょっと寂しいっていうのはあって
雨雲の集まる時がなかなか出ないのも
そういう賞を取ってるわけじゃないからっていうのはあったかもしれないです
ちなみに横山さんは力の問題の方を訳して
まずはそっちから出してみようとかですね
そういうのも思われたりはしなかったんですか
なかったですむちゃくちゃ難しいので訳せないです
作風が違うんですか雨雲の集まる時とは
全然違いますね
ちょっと意外でした
なんて言ったらいいのかな
力の問題は結構本当にベッシー・ヘッドさんの自伝的な小説なんですけど
ベッシー・ヘッドさんみたいな女の人が南アフリカからもちろんなに亡命してきて暮らすんですけど
さっきベッシー・ヘッドさんの経歴のところで紹介のところで
ちょっと精神疾患というか落ちてしまうんですよね
実際精神病院に入ったりとかもするんですけど
そういう時にいろいろ悩まされるわけですよ
現実とも幻想ともつかないようなものに悩まされて
それをリアルに書いたのが力の問題っていう作品です
めちゃくちゃリアルですね
内容も作装してそうな
そうです すごいわけがわからないですね
読むたびになんか変わる感じがするんです
それでブックはちょっとノミレートされて代表作になってるっていうのがまた
強烈ですからね こんなの書く人いないっていうか
ちょっとあんまり間違えないでほしいのは
いわゆるマジックリアリズムみたいなのとは違うっていうことですね
確かに変な悪魔とか神様とかやばい人たちが出てくるんですけど
そういうのって実際彼女が見てたものなので
それの記録なんですよね
そういうマッドネスとかマジックリアリズムみたいな解釈をする文学研究者は
嫌われてましたね デッシーさんに
わかると思います デッシーさんのことをよく知ればっていう感じですね
ちょっと力の問題の話になっちゃった
気になりました 気になります 日本語訳あるんで
古いやつの90年代
それでも雨雲が集まる時をいろいろな仮定を得て
その仮定というのは番外編で次にお聞きしようと思うんですけども
今回出版されたというので せっかくなので
出版の際のこだわりというのもいろいろお持ちだったと思いますので
そこも内容を入っていく前にお聞きできたらなと思います
こだわりといろんな側面のこだわりが
一つがあれですよね 帯が斉藤麻里子さん
韓国文学の翻訳家の斉藤麻里子さんの帯文が
そうですね 斉藤さんはこの帯すごくないですか
本の内容もそうなんですけど
横山さんにすごくスポットが当たった帯が
そんな帯書く人いますっていう これを見てびっくりしました
電車の中で見て泣けました
僕は役者後書きのところで
横山さんがベッシーヘッドであって
この本を作るまでのストーリーのところ
まずそこが来るのかなと思ったら
結構役者後書きではやはりベッシーヘッドとか
その作品について言われていて
横山さん25年のストーリーですかね
そこが役者後書きの終わりの方書かれていたので
みなさんの名前を書いているところですかね
そうですね
一行も書いてないっていうね
斉藤さんについて半分ぐらいしか書いてない
斉藤さんとの出会いっていうのは
私もノートとかに記事で書いているので
ちょっと話すと長いんで割愛しますけど
ずいぶん前から
実はベッシーヘッドをよくご存知だったんですね
斉藤さんって
ベッシーヘッドの雨雲が集まるとき
誰か役してくれないかしらっていうツイートをしてたんですよ
それで斉藤様がそんなとか思って
これはと思って
それで斉藤さんと話をするようになって
ずっと前結構前なんですけど何年か前で
出版社探しのことも手伝ってくれたりとか
いろいろやってきて
最終的には私自分で出しますってなって
帯をお願いできませんかって前から言ってたんですね
超売れっこになっちゃって大変なんですけど
わざわざやってくれたっていう
これを本当に応援してくれるっていう考えでいらっしゃったみたいで
最初に知り合ってから本当もう何年も得ての帯文だったんですね
そうですね
ちょっと数年経ってますけど
熊田臨美さんっていらっしゃるじゃないですか
翻訳家
結構アフリカ文学とでベッシーヘッド作品も1本
1冊訳してないですね熊田さんで
優しさと力の物語かっていう短編集なんですけど
その関係もあって斉藤さんは
ベッシーヘッドのことを知ってたんじゃないかなっていうのはあるんですよね
あとやっぱベッシーヘッドって女性を描く物語が多いので
そういう意味では女性から見た視点っていうか
そういう問題提起をするような作品については
すごく感度が高い方でいらっしゃるから
それでベッシーヘッドを興味を持っていらっしゃったんだと思います
とっても出版してとっても喜んでくださってました
熊田さんも斉藤さんも喜んでくださってました
よかったですね
他にも
そう帯のことか
帯もそうですし
あとこの表紙の印象的なイラストですね
すごい鮮やかな青空の広がる絵が入っていて
これは弟さんが描かれた絵なんですか
弟の横山純という漫画家なんですけど
弟に描いてもらいたいなと思って
1960年代の没話の写真を共有して