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2025-07-28 58:58

番外編第67回 ライフワークはベッシー・ヘッド(ゲスト:翻訳者・雨雲出版 横山仁美さん )

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今回は番外編です。前回に引き続きゲストに横山仁美さんをお迎えして、ベッシー・ヘッドとの出会いから『雨雲の集まるとき』が出版されるまでの道のりをお話しいただきました。ぜひお聴きください。


【今回の内容】
前回に続きゲストは横山仁美さん/2000年からメルマガ/300人中1人だけアフリカゼミへ/大学時代にベッシー・ヘッドに心酔しボツワナへ/翻訳者や出版社をしたいのではなく、ベッシー・ヘッドを届けたい/影響を受けたジンバブエの小説/アフリカで開発協力に携わってきたキャリア/JICAや開発コンサルの仕事について/『雨雲の集まるとき』の出版への道のり/「なんで本を出したいの?」と編集者から問われたのが転機/文学フリマへの出店/しつこいほど翻訳を直す/出版の苦労/徳島新聞への掲載/ライフワークに自分の強みを活かす/これから出版したいもの/次回予告


▼参考情報
横山仁美さんのPodcast「雨雲ラジオ」
Spotify
https://open.spotify.com/show/0THHJxzeu35wb6nUDp0vbg
ApplePodcast等でもお聴きいただけます。横山仁美さんがベッシー・ヘッド以外で影響を受けた小説として挙がったジンバブエの作家J.ノジポ マライレの『ゼンゼレへの手紙』(三浦彊子訳、翔泳社、1998年出版)
https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784881356272


▼お知らせ
『雨雲の集まるとき』刊行記念展 (2025年7月24日~8月4日)が開催されます。《ベッシー・ヘッドの南アフリカ時代からボツワナでの22年間、作家としての活躍の様子を写真でお見せするほか、特別に当時のボランティアから入手した実際の1960年代ボツワナ農村の非常に貴重なカラー写真、雨雲出版を設立して28年越しに本書の出版を実現した版元・訳者<横山仁美>のベッシー・ヘッド作品の翻訳出版に至るまでの道のりを写真展示します。》ー開催概要ー
『雨雲の集まるとき』刊行記念ギャラリー展
会期:2025年7月24日(木)~8月4日(月)
会場:本で旅するvia(荻窪)2階ギャラリー
   東京都杉並区天沼 3丁目9ー13(荻窪駅 徒歩6分)https://via-ogikubo.com/
主催:雨雲出版刊行記念展の詳細や『雨雲の集まるとき』のその他情報については横山仁美さんの各種SNSをご覧ください。
X、Instagram、note、YouTube等で『雨雲の集まるとき』で検索!

▼『雨雲の集まるとき』の雨雲出版のオンラインサイトでもご購入いただけます。
https://rainclouds-pub.stores.jp/



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硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。 案内役はダイチとミエの二人。毎週月曜日朝7時に配信。

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サマリー

今回のポッドキャストにおいて、ゲストの翻訳者である横山仁美さんは、彼女が翻訳した作品「雨雲の集まる時」と、その著者ベッシー・ヘッドとの出会いについてお話ししています。また、彼女の活動の経緯や裏話にも触れ、文学を通じた感動的な経験を共有しています。このエピソードでは、横山仁美さんがライフワークとしてベッシー・ヘッドの作品を翻訳し、日本語の読者に届ける過程について説明しています。さらに、彼女のアフリカでの職業経験や、文学が彼女に与えた影響についても探求しています。このエピソードでは、ベッシー・ヘッドの作品の翻訳と出版プロセスについて詳しく述べられています。横山仁美さんは、マグマ出版を立ち上げる経緯や、翻訳に対する情熱と苦労を共有しています。また、彼女はライフワークとしてベッシー・ヘッドを取り上げ、その出版までの過程や個人的な苦労についても語ります。特に、自身の出版社を立ち上げる際の困難や、作品を通じた人々との再会についても言及されています。このエピソードでは、横山仁美さんがライフワークとしてのベッシー・ヘッドの出版活動についてお話ししており、趣味と仕事の境界を超え、自身の情熱を出版に活かす方法や、独自の出版物の構想についても展望を語ります。また、ベッシー・ヘッドに焦点を当て、横山仁美さんが彼女の作品について語ります。

横山仁美の活動
どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回は作品紹介のない番外編となっておりまして、前回ですね、雨雲の集まる時という作品を紹介させていただきましたが、その時にもゲストに来ていただきましたが、その本を翻訳出版された横山仁美さんとお届けしていきます。横山さん、今週もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
今回はですね、雨雲の集まる時をですね、翻訳出版された経緯とかですね、裏話なんかをちょっと聞いていけたらなと思ってはいるんですけれども、まずちょっと私から横山さんのこの活動についてちょっとすごい思っていることがあるんですけど、
YouTubeをやっている。雨雲ラジオっていう、これ今日概要欄に載せておきますね。雨雲ラジオという音声も発信している。ノートも書いているっていう。Xも日々更新されている印象で、できることを全部やって、雨雲の集まる時を届けようとしているっていう姿勢を感じていまして、
いや、あのめちゃくちゃなんというか熱量と、すごい尊敬の念を今私は抱いております。
恐縮でございます。
やろうと思ってできることはないですね。
あれはもうやろうと思ってできるレベルじゃないと思っています。
やっぱ多いか。よく多いって言われるんですよね。
でも多分すごく重要なことだと思いますけどね。
フェイスブックもインスタもありますしね。
そうですね。
いっぱいある。大変です。
それでも、もちろん動画と音声ではコンテンツは。
全然違いますね。
テキストをテキストでまた作っているんですか?文字起こししたものとかじゃなくて。
テキストは全く別の話してますね。
すごいな。
違います。
これは全部雨雲の集まる時についてなんですか?
全然全然。もともとずっとSNSとかでたくさん発信しているので、結構私早いですよ。
ブログとかも早いですね。
皆さんがブログをやり始める前から割と2000年くらいからやってますね。
大学の時からされてたね。
そうですね。メルマガとか。
メルマガやってましたね。2000年くらいに。
だいぶ早いですね。
そうですね。まだまだブログとかなかったですね。2000年は。
日記サイトとか掲示板とかがすごくて。
そういうのはありましたね。
エジンバル大学に留学した時に、メールとかをいちいち書くの面倒いなって思ったから、
メルマガジンにすればみんなに届くんじゃない?と思って始めたんですよね。
ちなみに、YouTubeで今日も言いましたけど、
当時のその時の読者の方がまだSNSでフォローしてくれて、応援してくれて。
雨雲の集まる時も、もう待ってましたとばかり。
1話最初に注文くれて。
それ見ました見ました。
日本に戻ってきた時に買われたんですね。
そうそうそう。
色々海外で仕事してらっしゃる日本の方なんですけど、
お会いしたことはもちろんないんですけど、SNSで応援メッセージくれる人なんですね。
すごい素敵な感想をくださったので、ちょっとそれを読み上げてYouTubeで、
今日動画に上げたんですけど、あれちょっとノートにも落とそうかなとは思いますけど、
すごい素敵な感動をいただいてますよ。
やっぱり。
すごい。
当時からベッシーとか言ってたもん。
すごいですよね。
そっか、やっぱり周りにはそれ言われてたんですね。
ベッシーベッシーずっと言ってるけどなんなんみたいな、本出てないじゃんっていう感じの5年ぐらい経って、
あ、出たの?って。
なってる人もちょっといるっぽくて、すごいことですよね。
いやーそっかちょっと今、今日聞きたいこともだいぶ今入っててはいるんで、
まあもうこのままちょっとゆるゆると入っていきたいなと思うんですけれども、
じゃあまずはあれですかね、なぜこのベッシーヘッドを翻訳しようと思ったっていうところは、
その大学時代にベッシーヘッドさんとの作品と出会いがあったっていうのは、
ちょっと前回も少し出てきたところなんですけど、そもそもなぜ出会うことになったのかとか、
そのあたりのことを聞いてもいいですか。
何でしょうね、出会いは偶然ですよ。
なんかね、なんかそうだね。
どういう、ちなみにどういうタイミングで手に取ったんですか、このベッシーヘッドさんの作品は。
たまたま雨風の村で手紙を読むっていう、私エッセイ本を書いてて、実はそれもうちょっと在庫切れしちゃったんで、
もうないんですけど、商業出版じゃないやつで、そこに私のベッシーヘッドさんに出会った時から今までみたいなことをずらっと、
仕事のこととかベッシーヘッドのこととかいっぱい書いたエッセイがあって、
ちょっと機会があれば私それをきちんとした形で出版できるといいなとは思ってるんですけど、
とりあえずその非商業出版バージョンがなくなっちゃったんですけど、そこに結構詳しく書いていて、
最初はアフリカ地域研究のゼミをたまたま取ったと。
なんでアフリカ地域研究、全然アフリカに興味とかは特になくて、知識も特になくて、
国際学部だったんですけど、テーマがアフリカに関することなら自由、これがいいと思って。
大学3年生とかのタイミングとかですか。
3年生からのゼミですね。
テーマが自由だからっていうか、テーマが決められているゼミばっかりなのがすごく嫌だったんですね。
本当に海外に行きたいっていうか、いろんな国に行きたい。
中学校がアメリカだったんですけど、小学校終わりから中学。
海外の大学とか海外に行きたかったから、本当に自分が行きたいところを見極めて、
自分、お金もかかるじゃないですか。それで行きたいと思ったので、
決してゼミの先生のテーマとか、みんなで一緒に行ってスケジュールで一緒に動いてとかっていうのは絶対嫌だって思ってたんですね。
郊外実習があるゼミほとんどだったんですよ。2週間とか、アジアのいろんな国に行ったりとか。
お金かかるし、そういうんじゃなくて、自分で本当に行きたいところに行くから、
むしろテーマが自由で、郊外実習ないっていうのがいいと思ったんですね。
多くの人は海外行ってみたいから、そういうところに応募するみたいな。
人気ゼミはすごい膨れてたんですけど、蓋を開けてみたら、私が応募した全然知らない怪しいゼミが、
私だけしか応募者がいなかったっていうオチだったんです。
掲示板に貼り出されるんですよ、当時ね。今みたいな便利なもんないので。
掲示板に貼り出されて、以上1名、横山ひとび以上1名って書かれてて。
私、他のゼミ30人ぐらい応募してるんですよ。
300人中1名ってすごいなと思って。
それがアフリカ人生の始まりですね。
アフリカ経験の師匠に出会ったからこそ、今でもアフリカをやってるっていう。
すごい。
アフリカ道で生きてるっていう感じですね。
ベッシー・ヘッドさんはその後たまたまなんですけど、
漠然と、だからテーマを考えなきゃいけないじゃないですか。
テーマ自由だから。
どうしよう知識もないしとか言って、ちょっとよそのことばっかりしてたんですよ。
不真面目なんで。
福祉をやってたんですよ。福祉の勉強とかしてたんですよ。
高齢者福祉とか。それで国際政治をやりたいって思って。
そこもちょっとへそまぐりなんですけど、福祉学科だと日本のこととかになっちゃうから。
国際学科とかそういうところで福祉をやりたいって。
世界のことを知りたいなって言って、国際系の学科に入ったんですけど、もちろん福祉系の授業はないし。
それで自分で勝手にケアホームとか、いろんなところに見学行ったり、スタディツアー行ったりっていうのをしてたんですよ。
学校の勉強そっちのけで。
で、ナーシングホームを長崎に見に行ったんですよ。有名なとこがあったんですよ。
なんか人のつてがあって見学出てきるようになったので、大学2年生の終わりくらいか。3年生の時か。入ってからですね。
行ったんですよね。で、全然関係ないのに、プラッと古本屋に入ったら、アフリカ文学短編集全3巻みたいなのがあって。
えー。
築谷悟郎先生、1977年、古いやつ。今でもその辺にあると思いますけど。
なんかその本を見て、いろんなアフリカの作家の短編が載ってたんですけど、ベーシティーヘッドはなかったんですけど、
なんかこう、それでアフリカの文学か。で、文学を研究する気はなかったんですよね。全然。
むしろ文学研究って、今でもやってないですけど、あまり興味が持てなくて、本が好きなので、本はすごい個人的なものとして捉えていて、
それを客観的な文学研究として、文学というもので、文脈で分析して論文にするとかっていうのは、ちょっと私、合わないっていうか違うと思ってたんですよね。
で、まあそれもあって、今でもそういうふうに文学研究もしてないし、仕事にもしてないっていう。むしろ実務方面に行きたかったんですよね。
でも、ベーシティーヘッドっていう人だから、その後いろんな本を読んだら発見して、これはすごい衝撃的だと思って、私が書いた文章を見たいって思ったんですよね。
あれですか、まずは自分に重なった感じなんですか。
そうですね。なんかなんでこんなに身近なんだろうっていうか、通じるものがあるんだろうっていうか、感動して今いろんな本を読み始めて、
で、文学研究じゃなくて、人物研究みたいな形で、歴史とか、いろんなアパルトヘッドの話とか、そういうのを研究し始めて。
で、書いた。私は別にアフリカ文学に詳しいわけでは全然なくて、ちょろっと読んでるけどぐらいで、そんな研究するつもりは全くなくて、
文学研究の視点
私は本は好きなものしか読んでないので、何でもアフリカ研究読んでますとか文学読んでますとかはないですね。
好きなのしか読んでないですね。
ベシーヘッドもアフリカ文学でいくつか読んできた中で、偶然最初は出会ったっていう感じですか。
で、ほとんど読んだことはなかったんですけど、たまたま図書館とかにあったし、みたいなベシーヘッドさんのやつもあったし。
見て、そういうふうに結局浸水して、ボツアナに行きたいって思い始めて。
それが大学3年生とか4年生。
4年生。ボツアナに行ったのは4年生の時ですね。
すごい。
南アとボツアナに行ったんです。合計2ヶ月ぐらいかな。
結構長いですね。
すごいですよね。大学4年生の2ヶ月と6分の1。
すごい。
話聞いてるとこんなにライフワークになるような、出会いじゃなさそうな感じがしましたけど。
結構浸水したっておっしゃってましたけど、やっぱり自分とベシーヘッドさんが重なったところがかなり大きかったんですかね。
なんだろう、なんかよくわかんないですね。なんかこれだってなってますね。
で、やっぱり変わってないですね、基本は。
だから正しかったじゃないですかね、私の若い頃の直感っていうか。
これじゃねって思ってた。で、確かに若すぎてすごい未熟な部分、20歳ぐらいだったから。
ベッシー・ヘッドの魅力
いっぱいあったから、今とは考え方が違う部分はあるんですけど、基本的なところは変わってないな、変わってないなっていうのがわかって。
だってこの物語まだ飽きてないんですよ。雨雲の集まる時。すごくないですか。
長くない?っていう。まだ何遍でも読んでますね。
年月に耐えられる作品っていうことですよね。
これだけすごい作品なんだろうなとは思いますね。
かつてペシヘッドさんに出会って研究が始まっていったところなんですけど、そもそもこれ、出会って翻訳しようと思ったわけではないと思いますし、
いろんなことを経て翻訳しようと思って、そこからまたいろんな時間が流れて、ついに出版ってなってると思うんですけど、
そもそも自分でやろうって思ったんですか?それとも、この本誰か訳してくれないかなとか、その辺ってどうだったんですか?最初の頃。
わかんない。あんまりはっきり覚えてないですけど、でも、できるんじゃね?って思い始めた。
いや、でも無理っしょ。でもできるんじゃ。じゃあちょっと1ページやってみようか。
多分そういう最初だった気がしますね。
それはなんかやっぱり、だから翻訳しないといけないみたいな使命感みたいなものとか、そんなのはあったんですか?
そうですね。日本語で出したいなっていうのはありましたね。日本語読者に届ける。
なんかその使命感だけで走ってきてるのがすごいですよね。だってこれ、大変じゃないですか。もう家庭ではいろいろあったと思うんですけど、ご自身で出版社を立ち上げて、出版してって。
そうですね。でも、使命感ですよね。なんかやっぱり大事だなっていうのは、この物語が今の社会に必要なんだろうなっていうのはすごくあったし、
多分すごい若い頃って結構実績もないわけじゃないですか。いろんなキャリアもないので、何かをやってやるみたいなところも、すごい個人的なものも強かったと思うし、
夢みたいな、憧れみたいなキラキラした部分もなくはなかったと思うんですけど、年月を重ねるごとに、そういう個人的なものじゃなくて、もっと使命っていうか、
これこそが必要だから、諦めるっていう選択肢にはならないっていうか、っていうのがありましたね。
経験と使命感
なんかね、ライフワークになっていかれたって。
なんかピンポイントなんですよ。ほぼ役家になりたいとかじゃないし、出版社をやりたいとかじゃないし、そうじゃなくてウェッシーさんの作品が届けたいってめちゃくちゃピンポイントなんですね。
私結構そういう生き方はしていて。
なるほど。
あんまりそういう枠とかがなくて、文学研究っていうのは興味ないけど、文学は好きで割と読んでて、すごい影響を受けやすいから、逆にこう、あれもこれも読めるタイプじゃなくて、好きなものだけっていうか。
なんかそういう客観性を持てないのかもしれない。あまりこう、のめり込みすぎちゃうから、文学としてどうのこうのとかいうことを言えるような感じじゃない。もうハマりすぎるから。
本が好きなんじゃないですかね。
なるほど。
客観性がないと論文とか研究とかできないじゃないですか。なかなか。そういう感じ。
ちなみにですけど、横山さんが影響を受けた文学作品ってどんなのがあるんですか。
文学作品。あ〜。
ベッセヘッドさん以外だと、いろいろあるかもしれない。あのね、ゼンゼレへの手紙っていう本も出るかもしれない。
あるかもしれない。これなんか見せたところで、視聴者の方に見えないんですけど。
これね、一冊だけ。
ジンバブエの小説。ゼンゼレへの手紙。
あ、ゼンゼレへの手紙。
ゼンゼレね。
ゼンゼレ。
ゼンゼレへの手紙。これすごくいいですよ。おすすめ。
古いですね。90年代ぐらいの作品。これはジンバブエです。
私これがあったから割とジンバブエに不認してもいいかなって思えたんですよね。
これ読んだから。私ジンバブエ2005年に不認したんですけど、2年間仕事してたんですけど大使館で。
この本の影響とかすごいありましたね。
とっても美しい物語っていうか、ゼンゼレのお母さんがアメリカに留学している娘のゼンゼレにあてた手紙で、
いろいろ人生のこと、アフリカのこと、いろんなことが歴史のこと、ジンバブエの独立闘争のこととか書かれている美しい物語おすすめです。
全然知りませんでした。
持ち歩く用法。
すごい。
引っ越しのために。
もう今ちょっと画面で見えている本の角がだいぶ。
これ古いからね。20年以上経って。
すごい年季が入っている感じがあって、いい味が出てますね。
カバーが擦れてる。これもうね、たぶん絶版とかだから、フルフォンでどっかで偶然見つけてください。
そしたらとりあえず買います。
すごい素敵です。
こういう話題やってると、私だいたい次にフルフォン屋に行った時に見つけることが多いんで、ちょっと探します。
これでもおすすめすると、結構読んで感動してくれる人がいるので、定期的におすすめしてます、私これを。
いいですね。
いいですかね、いい感じかな。
でも今ちょっと気になるのは、横山さんのキャリアですね。
大学出られて、ライフワークとしてベシーヘッドさんのことあると思うんですけど、
もう一方でキャリアでアフリカでのお仕事とか、あとエディンバラー大学にも留学行かれてたと思いますので、
そのあたりってどういう今まで道のりで来られたんですか。
道のりですか。
エディンバラー大学にアフリカ研究センターというところで就職があって、
アフリカでどうしても仕事したいって思ってたんですよ。
30歳になるまでに絶対アフリカで仕事するんだって行きまいてたんですね。
それでなかなかこううまくいかず、
日本に帰ってきてから仕事もアフリカ関係とかなかなかなくて、
普通の民間企業のちょっと同時通訳とか技術翻訳とかをやっているところの会社の営業みたいな、
国際会議やっているところの営業みたいな小さめの会社ですけど、
そういうところに働いて、どんどんアフリカから離れていくし、
すごいストレスつらいつらいって思ってて、
その時にそれで結局会社を辞めて、
開発コンサルタントっていう仕事があるんですけど、
都城国で開発事業、プロジェクトを実施するコンサルタント、コンサルティング会社ですね。
その開発コンサルのアシスタントみたいなアルバイトが出てて、
それに過労死で入って、
アルバイトになるんですか?
アルバイトだったんですよ。
コンサルタントに入るんですか?
大学院に出て、正社員で民間企業をやってたけど、
国際協力の世界とか実務の世界でやりたかったので、
アルバイト、たまたま入れなかったんですよ。
専門性高い世界だから、コンサルタントとかすごい若手で、
まだ25歳だったので、
25歳ぐらいとかかな、だったので、
仕事もなかなかできないし、取れないし、
アシスタントだったら入れるっていうことで、アシスタントで入ったら、
1回入っちゃうと、いろんなこっちの仕事も手伝ってくれるみたいになって、
履歴書に書けるんですよね。
私もむちゃくちゃ応募しまくっては、むちゃくちゃ落ちまくってたんですけど、
その中で引っかかったのが、専門調査員っていう外務省の仕事なんですよね。
それが大使館の仕事で、
若手の専門職というか。
でもそれ行ってから、ジンバブエに2年間で仕事をして、
すごくジンバブエとご縁があった。
ちなみになんでジンバブエかっていうと、
本当はもちろんボツ穴に行きたいじゃないですか、ペッシーヘッドファンとしては。
でもボツ穴に当時日本大使館がなかったんですよ。
それでジンバブエとなりだしって。
なるほど。
近いからって。
軽いでしょ。
となりだしって思ってジンバブエに行ったし、
全然例の手紙もあったし、
こんな国かと思ってたから、
となりだしと思って。
それもいろんな経緯があったんだけど、
結局ジンバブエになって、
おかげさまで2007年にペッシーヘッドフェストがあったんだけど、
隣なので国が割と行きやすくて、
1時間半ぐらいのフライトで行けるので、
日本からだとめっちゃ遠いから、
大変じゃないですか。
ジンバブエからだから行きやすくて、
よかったんですけど。
その後ジンバブエはすごい仕事でもいろいろ縁があるようになって、
日本に帰ってきてはいろんなJICAの仕事、
JICA本部でアフリカ部の仕事とか、
こういうのは本に書いて出しちゃってるから、
全然秘密じゃないんですけど、
ごめん書いちゃったから。
でもなんかジンバブエ行った時とか、
JICAもそうか。
JICAの次もまだあるんですか。
いろいろありますよ、いっぱい。
大体あれなんですよ、国際キャリア系って、
2年ぐらいとか3年ぐらいとかの仕事を、
いろいろ変わりながらレベルアップしていくみたいな、
キャリアアップしていくみたいなのが割と普通なので、
正社員でずっと勤めるっていう人よりも、
そういうふうに転々としている人が多くて、
2年間とかの人気付きの仕事とかだから、
でまた次を探して、次の履歴書に書ければ、
少しもっといいポストに応募できるじゃないっていうのを繰り返して、
でJICAの仕事、JETROの仕事、
JETROも途上国へのビジネスの仕事だから、
途上国文脈で仕事をして、
あとは開発コンサルですね、それも何社か手伝ったりとかしながら、
いきましたね。
で、今にいたら、2023年ぐらいにやらちゃったんですけど、
正社員だって結構安定はしてるけど、
もうなんか忙しくて、翻訳とかももう全然ダメで進まなくて、
ちょっとこう病んでたんですよね。
本当にやりたいことって、私すごいピンポイントではっきりしてるじゃないですか。
翻訳の挑戦
本を出そうと。
これも全然できないし、仕事も案件応策して全然取れなかったりとか続いてて、
でも取れないけど徹夜とかはしてるし、
もう無理って1ヶ月半とか出張行ったりとかしょっちゅうだから、
結構そういうのって地味にストレスなんですよね。
1ヶ月半とか国を離れるっていうのは、
仕事としては別に全然いいんだけど、面白いしいいんだけど、
何が嫌かっていうと、自分にやりたいことが山ほどあるのに、
全部犠牲になるからなんですよ。
だからその翻訳とかもやっぱ思うより進まないし、
なんか他にも私いろんな活動してる、
そういうの全然日本にいないとできないようなものは全然できないから、
もう無理だったんですよ、いっぱいいっぱいになっちゃって。
それでいろいろな経緯があって、
ボツ罠に行くべって思って、
もう1回16年ぶりに行った。
23年に辞めてボツ罠に行かれた。
が2023年です。
なるほど。
ちなみにちょっと翻訳の話に入る前に、
JICAとか開発コンサルとか聞くものの中身一体何をしてるんだろうって、
いまいちピンとこない。
開発コンサルって。
ベッシー・ヘッドの研究
一つだけ。
具体的な。
そうです。
こんなことしてましたっていう、
ちょっと何か印象に残ってるような仕事のことで。
政府開発援助っていって、
いわゆるODAで、
要は政府のお金を使ってJICAがプロジェクトを実施しているのと、
それの実際の運営をするのがコンサルタントで、
例えばどういうプログラムかっていうと、
途上国で教育だったりとか保険だったりとか、
あるいはインフラ系だったりとかもするし、
私はインフラとかじゃなくてソフト系で、
特にビジネスとか中小企業振興とか産業振興みたいなところで、
中小企業を支援するプログラムを作るとか、
そういうJICAの支援プログラムがあったりとか、
そういうのの仕事とか、
いろいろ調査の仕事も多かったですけどね。
途上国の企業環境とかね、
いわゆるケニアとかがすごい進んでる、
ケニア、ウガンダ、タンザニアとかのへんの企業環境、
若者のね、今ってすごいスマホとかもあって、
なんか若い賢い企業家たちがスマホアプリでいろんなビジネスとか回してくるわけですよね。
なんかそういうところの環境。
要は雇用が限られてるからなんですけどね。
結構企業する人が多い。
だからすごく熱がありますよね。
日本とかと違った感じ。
そういうのを調査していったりとかは結構やって、
仕事としてはすごい面白かったんですけど、
翻訳の挑戦
なんかもう、それだとベシヘッドのことほとんど何も知らなくて、
そうですね。
つらかったです。
いやー、まずですね、ちょっとこの漫画編でも、
ついなんかアフリカのビジネスのあるあるとかちょっと、
なんかめっちゃ聞きたくなってきたので、
それ聞くともうベシヘッドの話が、
あるある?
いや、なくたってしまいそうなんで、
それまたちょっと、
長くなっちゃいます。
またよかったなって思います。
なんかうまくいかないこと多そうで。
そう、そう。
いろんなことがありましたみたいな。
そうですね。
それまた、よかったらYouTubeとかで、
ちょっと語ってほしいです。
じゃあちょっと、
天雲の集まる時の話に戻していきますか。
これ、天雲の集まる時なんですけど、
まず翻訳に至る経緯で、
ちょっと聞いてきたところもあるんですけど、
まずは翻訳出版に向けて、
出版社をまず探してらっしゃったんですよね、きっと。
そうですね。
はい、探してました。
結構ベシヘッドさんは、
前編でもカットしなければ、
いろいろ話はあったと思うんですけど、
他の長編はもう翻訳されていたけれども、
これが天雲の集まる時だけ、
翻訳されてなくて、
出版社的にも、
他の作品の方がみたいな話とか出てきたって、
ところがあったと思うんですけど、
ちょっとハードルがあった部分はあったと思うんですけど、
基本的にやっぱり、
出版社に、
やっぱりこう持っていく時ってのは、
やっぱり持ち込みで持っていってる感じですよね、きっと。
人に紹介してもらったっていうのも、
結構ありましたけどね。
そうか、さっき斉藤麻里子さんとか。
そうですね。
割と最近目立つ斉藤さんとかもあったんですけど。
なるほど。
なかなかそれで実現せずってとこですよね。
実現しないから、
自分で作ろうって思う時のこのスイッチの切り替えは、
どういう経緯が、
どういう力学があったんですかね。
ぽつ穴に、
だから再び行ったのが2023年の時で、
その時には、
全然そんな天熊出版とか、
なんか考えてなかったんですよ。
全然思っても見なかったんですよ。
まだ出版社を探してたんですよ。
でもある時、
私ちょうどその頃、
今も編集者でやってくれている人がいて、
その人が、
ここに名前書いてありますけど、
その人が、
いろんな人とか出版社とかを紹介してくれてたんですよね。
で、その時に、
一人、
ここはあんまりないと思うけど、
学術書系の出版社の編集者が知り合いだからって言って、
じゃあ会いますって言って、
その学術系の出版社の編集者の人を、
紹介してもらって会ったんですよ。
その人、一番意外っぽいタイプなのに、
その人が、
いきなり何を言ったかというと、
なんで出版したいんですか?って。
え?
なんで?って、
この20何年間やってきてるのに、
なんで出版したい?って、
考えたことなかったと思って、
なんでそんなこと言ったかって、
そんなこと言う人いなかったですよ、初めて。
その人だけです。
で、なんで言ったかっていうと、
いやね、
例えばうちから出すっていうことも不可能じゃないかもしれないけど、
その学術系の出版社で、
500部ぐらいすってね、
むちゃくちゃ値段も5000円とかにしてね、
500部がちょろちょろっと、
どこぞの書店に並ぶっていうだけで、
それが本当にやりたいことですか?って。
それだったら、
判件取るとかなんとかっていうのも、
別にエージェント会社内でやっちゃえばいいんですよ、
できますよって言って。
で、売るのも、
必ずしも出版社とか商業出版ではなくてもいいし、
手売りでもいいじゃないですか、文学振り間とかって。
文学振り間って考えたことなかった。
聞いたことあったんですけど、
文学振り間って考えたことなかったんだけどってなって、
で、そこから、
あ、そっか。
いっぱいいろんな出版社に掛け合って、
ほんとなんかもう覚えてないぐらいですよ、
20年前ぐらいからやってますから。
昔は確かに、
私も未熟だったし、
翻訳も未熟だし、
難しいのもわかるんですけど、
でも多くの出版社が、
アフリカ文学って言うだけで、
まずマーケットがないから、
最初から、
ないないみたいな感じなんですよね。
マーケットのこととかって、
理解しますよ。
日本のね、本のマーケットを考えた時に、
ビジネスとして成り立ちにくい、
それは理解するけれども、
でも私にとってライフワークの、
ものすごい、こんなに素晴らしい、
大切なベッシーヘッドっていう人と、
その作品を知りもしなかった人に、
なんでそんなこと言われるの?って。
気がついた。
私ずっと、
それでも出版社にも、
お願いしなきゃいけないんだ、
って資料作れ、頑張れ、
お願いしなきゃいけないんだ、頑張れ、
って資料作ったりとか、
すごいやってきた。
でもそもそも、
ベッシーヘッドを知らん人に、
いくら言ったところで、
熱いないですよ。
マーケットがあってなると。
よっぽどなんか超有名翻訳家とかだったら、
別だけど、みたいなこととか、
いろいろ、いろいろ、
あって。
だから、やっぱり、
だってこの人、
一番たぶん知ってるのって、
私だし、みたいな、
この日本でね。
日本でここまでやってる人って、
あんまりいないんですよね。
なんか、いなくはなかったんだけど、
ベッシーヘッド、
ここまでやってる人。
でも、今では、
その人リタイアしてるし、
今ではたぶん、
私ぐらいなもんなんですよ。
たぶんね。
研究者の中で、
ベッシーヘッド研究が入ってるって人は、
いると思うんだけど、
一本でこうやってる人はいないから、
と思うから、
それで、
じゃあ、私がやるのが一番じゃんって思って、
そしたら、いろんなアイディア浮かんできたんですよね。
こういうふうに、
やれないのかっていう。
で、結局、
文学不利まででみるか、
とりあえずって、
慌てて、
自分のエッセイ本を仕上げて、
ベッシーヘッド研究、
ベッシーヘッドのこととか、
私のことを知ってもらうために、
エッセイ本、さっき言った、
アメリカ人の村で手紙を読むっていうやつを、
慌てて書いたんですね。
20年ぐらい、学生時代からの話。
で、それを書いて、
それを持って、
文学不利な東京、
37巻、
2023年の11月のやつに出たんですよ。
はいはいはい。
で、それの申し込みしなきゃいけないときに、
申し込みフォームに、
ヤゴって書いてある。
ヤゴがないよ。
マグマ出版でよくね?って2秒で考えて。
すごい。
2秒で決まった。
2秒で決まった。
何の前もなく、
これじゃね?って思って。
なんですか。
何も考えないで、
文不利のあれに書くときに考えたっていう。
で、それで、
じゃあマグマ出版、
だんだんそれで、
中身を詰めていってというか、
本の出版の準備っていうのを進めてったっていう感じ。
で、翻訳は、
もう何度も何度もやり直したって感じですね。
こんなに訳し直す人いないと思いますよ。
すごい。
まず今出てきた、
何度も翻訳し直したってのは何故なんですか?
納得がいかなかったって。
見るたびに全部直したくなる。
すごい。
ひどいってなる。
これはひどいってなる。
それはどういう、
文章として納得いかなかったのか、
それともベシーヘッドさんの、
理解度かな。
そうですね。理解度ですかね。
理解度っていうか、解釈というか、
解像度っていうか、
この原文も、
まあ訳文もなるべくそういうふうに近づけたんだけど、
原文って文章がギュギュって詰まってて、
そのギュギュって詰まってるところの一文の中に、
すごくたくさんの要素が、
一つ一つ単語が選んであって、
めっちゃたくさん、
この単語の違いが、
この気持ちの違いなのかとかっていうのは、
気をつけて耳を澄ませて読まないと、
読み飛ばしちゃうんですね。
ああ、なるほど。
すごい、何度も何度も、
あ、違うじゃん、違うじゃん、とか自分で、
なって、気づいてやり直してっていうのを。
あとは、用語力っていうのもね、
やっぱすごく未熟なので、
自分で頑張って頑張ってブラッシュアップしていかないといけないっていうのがあったかな。
すごい。
マグマ出版の設立
仕事してる時は辛かったですよ。
朝勝とかでね、出勤前にやって、
ドトールで、でも結局なんか一行も進まないで、
出勤しなきゃいけなくて、
それ以降何日間も進まないとか、
そういうの普通でしたね。
いやー。
だから、翻訳ってやっぱエンドレスですね。
あともう、あまりそういう翻訳的なことは、
もう出版しちゃったんでね、見ないようにしてますけど、
出ちゃったんで、
出る前まではね、本当にしつこいくらい見て、
やばかったですね。
穴が開くぐらい見てた。
それでもあるんですよ、見逃しとか。
あー、そうですよね。
あるんです。
でも日本の人にわかりやすいようにできたかなとは思うけど、
いや、はい、すごい読みやすかったです。
あとありがとうございます。
なんか、あんまり見ちゃうと、やっぱりここ直さなきゃいけなくなっちゃうから、
あまり詳しく見ないけど、
そういう感じ。
翻訳師の専門の人ってすごいですよね。
1年に何冊も訳したりとか。
私20年かかってるからもう無理です。
もう無理ですよね。
またでもピンポイントでやりたいものが見つかったときは、確かに、
次もう20年って。
20年はもうちょっと早くしないと、ちょっと無理なんで。
文学フリマーで出してみて、
もうちょっと自分でやっていこうってなったときに、
結構でも、出版社を立ち上げるって苦労がすごく多いじゃないですか。
挫折しそうになったこととかないんですか?
出版社は、野望はその時点からあったんですけど、
実は合同会社が12月からで、半年ちょっとなんですけど、
まだ訳がわかってなくて結構大変です。
てか収入がなかなか、まだこれとあとちょっとコンサルのバイトしたぐらいなので、
難しいっすね。厳しいっす。
これからです、出版社としての苦労みたいなのは。
揺れないとっていうか、とりあえずやりたいことがピンポイントだったから、
それをやるっていうのが最初なので、
じゃないと、これ以上もちゃんと仕事するにはとかやって、
回り道回り道してたら、もう時間ないですよ、人生。
そうですよね。
だって私、ウェッシーヘッドと同じ年齢になっちゃいましたよ。
最初は学生だったんですよ、20歳とかですよ。
今では同じ年齢になっちゃって信じられないですよね。
同じ年齢になった時にこの本が出たんですよ、私。
すごい。
変な。
これからウェッシーヘッドさんが年を追い越してってことですよね。
そうなんですよ、これから追い越すだけなんですよ。
彼女ができなかった年月っていうのがあるんだと思うと。
そんないろんな苦労もありながら、ようやくこの2025年の、
あれ、5月になるんですかね、出版社の。
5月ですね。
この日付は6にしてありますけど、5月ですね。
書店に並んで、実際にいろんな人に届き始めていると思うんですけど、
ようやくここまでたどり着いたという、今のお気持ちというか。
ちょっとずつ慣れてるところです。
私の人生ほとんどが、この本を、私の人生ほとんど
甘くものを集まる時を出版できてない私でできてたので。
ちょっと慣れないところもあって。
本は素晴らしいですよ。だから世の中に届ける使命感はあったんですけど、
それとは別にすごい個人的には、
呪いというかおもにみたいなところがあって、
この呪いみたいなのがずっと20年くらいここにあったっていうのがこの本のことで。
今はそれがなくなったので、もちろん本屋にね、
書店に並んでるのすごいありがたいですね。すごく感慨深いし、
出版社の立ち上げ
写真撮っていいですか?って写真撮ったりとかされて。
そういうのもね、大事なんですけど。
なんかそれはそれで、素晴らしいことだと思うけど、
やっぱペッシーヘッドさんの力がすごいんだろうなっていうのは感じてて、
つくづく。素晴らしかったですって感想を届けて、
それは本当に良かったかなって思いました。
あとはね、一件ね、さっきキャリアの話でちょっと話したんですけど、
2003年くらい、えじんばる大学から帰ってきて、
正社員で普通のコンベンション会社に勤めてたんですけど、
その時にご一緒してた方がいたんですよね。
年齢は私より若いくらいかな、女性で、
で、多分私結構ペッシーヘッドの話をしてたと思うんですよ。
で、彼女はそれっきりだったんですよ。
私会社その後2003年でもうさっさと辞めちゃったので、
で、その人はなんと23年後のこの間、連絡をくれたんですよ。
で、私のこと覚えてますかって、それ以来なんですよ、23年とか。
で、あの時ペッシーヘッドの話してたんですけど、
すごく感動しましたって言って、すごくないですか。
そういう本を出すって、私の個人の確かに素晴らしい、
やりたかったこと、仕事の一つなんですけど、
本当個人の問題だけではなく、個人のことだけではなくて、
そういういろんな出会い、いろんな再会、新しい出会いもいっぱいあったんですよ。
いろんな出会い、いろんな再会、やっぱりやっぱり、
いろんなちょっと感動的な出来事につながるっていうのが実際に起きてるし、
すごいな本を出すっていうのは、私だけの問題話じゃないんだなっていうのが感じられました。
で、これからも多分ね、いろんな面白いことが起きていくんじゃないかなとは思うんですけどね。
だんだんだんだん読んでくれて、みんな多分ね、ツンドクになってる人多いと思うんですよ。
そうですね、やっぱ本はね、どうしてもね、
どうしても私はいっぱいあるからね。
沈んでしまうんで。
そう、たくさんあるからね。
そう、なんかそれを、ちょっとずつ感想もくれる人が本当に来てもらってるので、
なんかだんだんいい感じの展開になっていくんじゃないかなと思って、
思うとともに、やっぱり私から手を、私の手から離れるなっていうのは、
すごくありがたい。
それが呪いが溶けていく。
呪いが、もうみんなのものになるじゃないですか。
それがいいですよね。
みんな個人的にはいいなっていう、個人の、自分のものにしてくれるっていうのが目的だから。
なるほど。
そう、呪いの話で。
そうですね、ちょっと呪いのところで売らないといけないっていうプレッシャーとか、
その重み、なんか重荷みたいなことってあります?
ありますね。
やっぱり大手出版社から出した方がいいっていうのは、ずっとね、
いろんな出版社とやりとりしている間に、いろんな人から分かったようなこと言われたんだけど、
まぁでも、大手出版社から出した方がいいっていうのは、
だから、確かに売らなきゃいけないプレッシャー、
なんでこんなに扱い違うねんっていうのはありますよ、もちろん。
だって有名じゃないから、多分取り上げてもらえないんですよ、そもそも。
だけど、確実に届く人に届いているっていうか、
例えば斉藤麻里子さんみたいな方は、
今でも、今日もメールのやりとりしたんですけど、
すごく、ああいうのどうですか、こういうのどうですかとかいろいろ言ってくれて、
プロモのことも考えてくれたりとかしてて。
すごい、すごい。
すごいと思って、そういうことが大事。
そうですよね。
私の一つ一つ広げていくそういうネットワークとか、
あとは、私が出版社として素人っていうか最初じゃないですか、
だから経験も実績もないし、書店関係とか本関係のつながりも、
ここ3年ぐらいでようやく増えたぐらいだから、
雨雲出版ってやり始めてから増えてきた、
そういうつながりもやっと増えたんですけど、
それじゃあちょっと新卒に近いんですよ、まだ。
だからアフリカ地域研究とか、学生時代からアフリカ研究やってるから、
アフリカ専門家のつながりとか活動してる人とか、
国際協力系の開発コンサルタントの開発事業の仕事してる人だとかっていうのは、
ずっと20年分の知り合いネットワークがあるわけじゃないですか。
そういうのをどういうふうに活用すればいいのかなってことを考える。
つまり自分が強いカードを使う。
私が持ってるこのコンテンツって、たぶん私が話してた話の中では、
ちょっと普通の出版社が言わないような、こうマニアックな、
アフリカ研究者としてベッシヘッド研究者的なネタとかもあるし、
なんかそういうふうにずっとやってきた実績があるので、
その活用の仕方を工夫しなきゃいけないんだろうなとは思ってるんですよね。
そうじゃないと、ただの新刊とかだと絶対埋もれるわけじゃないですか。
超有名な人の中でも。
私もほとんどのメディアとか有名な大手の新聞なのとかって、
みんな出すんじゃないですか。憲法で。
それを一通りやりましたけど、もちろん埋もれると思うんですよ。
開いてもらってないかもしれない。
そういうレベル感の話になっちゃうから、
大手とか超有名な翻訳家や作家と同じことをやってては、
負けるに決まってるから、違うことやらなきゃいけない。
だからこそ、マニアックなラジオにメッセージ書いてみたりとか。
個人的な出会い
あれ書評ラジオだと競争率が一気に上がるんですよね。
だって本なんていっぱい来るもん。みんな紹介してもらいたいじゃないですか。
私ってこういう面白いことやってるんですよっていうのを、
ラジオとかで取り上げてもらいたい、新聞とかで売り上げてもらいたいっていうのがあって。
この帯もそうじゃないですか。横山ひとみさんが立ち上げた出版社の話。
書きます?普通。
やっぱこのラインで売った方がいいってことですよね。
確かに。
いつまでもできないですよ、これは。
これ最初だけですけど、最初この本を売るためにこれをやるっていうのはありだと思うんですよ。
この前徳島新聞に載せてもらったんですけど、結構大きいんですよ。
どこに載ったっけ。あるかな。
なぜゆえ徳島新聞なんですか。
ヨーヨーシャのイベントで知り合った人が徳島の出身の人で、その人経由でつながってた人が、
あれもうないね、新聞記事。
新聞記事配りまくってもうなくなっちゃった時。
結構大きいんですけど。
あ、あったあった。
一面な感じですね。
これ結構でかくないですか。文化面です。
つまり何が言いたいかというと、これ書評欄じゃないんですよ。文化面なんですよ。
わかります。で、これ私の学生時代の話から雨雲出版を立ち上げて、これぼつ穴に行った時の写真なんですけど、
だってそんなのないじゃないですか、普通の書評に。
だからその私のストーリーを書いて、しかも父が、私父が徳島出身なので、
私自身は全然徳島じゃないんですけど、
お父さんが徳島出身だよっていう話をチョロっと盛り込んで文化面にバーンって出たのが。
これ、こういうのが、とりあえず使えるよう使っていくというか、
やっぱりおとなしくいわゆる出版社がやらなくてはいけないプロモみたいな、
ライフワークとしての出版
そういうことじゃないんですよね、っていうのは思いますね。
コンテンツで売っていく農業なら農業、開発なら開発っていうところで、
どうやって広げてもらえるかなっていうのを今考えながら、
知り合いのツテとか聞いてみたりとかしてやってる感じですね。
書評コーナーは競争率が高すぎてダメですね。
だって負けに行かなくてもいいじゃないですか、わざわざ。
まあやるけど、みたいな。一応やるけど、みたいなっていうのをやってて、
まあ大変ですけど、でも伸びてますよ、徐々に。
思ったより、結構全国のいろんな書店さんに置いていただいてるから、
まだまだもちろん行かなきゃいけないですけど、
この調子で行けば伸びるんじゃないかなとは思ってますね。
で、次の本も出したいかなっていうのはあります。
なるほど。
今度はもうちょっと早くやりたい。もうちょっと早くやりたいです。
いやでも今ちょっと聞いていて、
横浜さんのライフワークで作られた出版物はもう趣味の領域は超えていて、
もうお仕事としてされていらっしゃると思うんですけども、
ただこれが例えばこの趣味で、僕たちはそうですけど、
このラジオも趣味でやってますし、
まあ趣味で何かやっててでもちょっと広めていきたいなっていう時に、
だからそれは仕事とは別物だからって切り離して、
なんかその趣味のところだけで戦おうって、
それじゃなくて横浜さんみたいに、
今まで培ってきたものですね、仕事含めてですけど、
そういうのもトータルで考えて、
自分の強みをそこに生かしていくと、
自分が趣味とか好きなものをですね、
なんか広めたいなとか何かやりたいなっていう時に、
なんか投資してくれるんじゃないかなってすごく思いましたね。
うん、ね。
いやーなんか全てで勝負してる感じがすごい良いですね。
ちょっとでもどうすんなら起こるかなって感じですね。
でもそれはやっぱり出し切った後に見えてくるものがあるんじゃないですかね。
やることは、そうですね、やりたいこととかはやっぱり、
アマゴム出版っていうのを始めたから、
始めてから、あ、じゃあこんなこともできるんじゃないかなっていうのはいっぱいあって、
で、ベッシーさんの本もそうなんですけど、
もっと違うものもちょっとやりたいなと。
それは出版社としてやるっていうか、
私が書きたいもの、私が出したいものをやる。
なんかこう世の中に出したいものをやる。
そのツールとしてのアマゴム出版みたいなアイディアが出版できますね。
出版社として、外国文学専門です、新しいのないかなとかはなくて、
私そういうのは全く興味なくて、
そうじゃなくて、もうこのテーマだったらこれじゃないっていうのを、
こう掘り下げていきたいっていうのがいくつかちょっとありますね。
あとさっき趣味とか、あ、ごめんなさい、趣味とか言ってますけど、
なんか趣味とか仕事、でもこれ、こういうふうに、
私展示会の準備してて、
あの写真、ベッシーさんの写真切り張りしてて、これ趣味じゃないかな。
これめっちゃ楽しいんですよ。工作してるんですけど、ベッシーさんの写真切り。
でもなんか資料がすごくあるのね、当たり前だけど。
学生時代の時からの文があるので、
いろんなネタが提示できるんですよね。
これは多分なかなか普通の翻訳家とかはないやつだから、
面白いんじゃないかなと思って。
ちょっと趣味かもしれない。
そこはなんか、もういろんなものが重なってるでしょうね。
そうですね。
なかなか切り離せないところというか。
でもなんか次の本の構想みたいなものもお考えあるんですか?
そうですね、今ベッシーヘッドさんの本も、
まだ日本語で訳されていないものがちょっと、
まあ結構いくつもあるんですけど、
その中でも私がすごい気に入ってて、
すごい出したいなっていうのがあって、
それをやってみようかなと思って、
今短編なんですけど、短編というかエッセーションみたいなやつなんですけど、
フィクションじゃないんですけど、
何本か今訳し始めてる感じかな。
あとはベッシーヘッドさんの手紙ですね。
すごく素敵な手紙がいっぱいあるので、
雨雲が集まるときの突然冊子も、
直接買ってくださった人につけてるんですけど、
そこにあるようなパディキッチンさんの手紙とか、
そうですね。
それの、そういう美しいやつってすごく山ほどあるんですけど、
出版されてないんですよね。
だからこういうのをお届けした。
これめちゃくちゃ感動したって言ってくれる人結構いて、
多分ね短いからね、
つんどくになりにくくてパラってみんな見ちゃうんだと思う。
先に。
確かに。
先にこっちを見ちゃうんだと思うんですけど、
だからそういう、これは編集とかしなきゃいけないからすごい大変なんだけど、
出せるといいかなとは思ってる。
あとはノンフィクション系のエッセーとかノンフィクションとか書きたいですね。
テーマがいろいろ、アイディアがあります。
出したいものはたくさん、たくさんあるということですね。
ありますね、たくさんありますね。
ちょっと出版したいものもあるとは思うんですけども、
他に今後やっていきたいこととか、
直近ではまず大木久保での展示会があるかと思うんですけど、
他にこういうイベントがあったりとか、もしくはこういうことをやりたいなみたいなのとか、
展望的なところってあれば。
なんだろう、ラジオに出たい。
具体的にどのラジオっていうの?
この番組とかあるんですか?
もちろんそらとび猫さんなんですけど、
もう出てるんですか?
もう配信させていただけるの、たぶんこれがリスナーに届くときには。
そうですね、メジャー曲に出してもらえないかなって思ってるけど、
文章を書きたいですね、いくらでも文章を書ける。
いくらでも文章を書きたいことがあるので、
どっかに書かせてもらえないかなとは思ってます。
連載とかそういうのがあるといいかもしれないですね。
できるといいですね。
あんまりやったことがないので、ずっとコンサルタントやってたから、
報告書ばっかり書いてたから、
そんな外に出るようなものとか書いてなくて、
ブログは書いてきたけど、
やりたいかな。
そう、本を出す以外に、あと何があるか。
いろんなところを旅したい。
次行きたいところとかあるんですか?
そうですね、どこかな。
行きたいところ、ルワンダとか?
なるほど、ルワンダか。
行ったことない。
もうなんかルワンダ、そうですよね。
行ったことない。
でも綺麗な国らしいので。
ウガンダとかは行ったことないんですけど、
ルワンダは行ってないんですよね。
隣の国は行ってる。
だからちょっと、もうちょっといろんなとこ行きたいかな。
自分のためのっていうか、
自分のやりたい仕事をできる。
すごいシンプルですけどね。
自分のやりたいことをやっぱりやっていかないと、
間に合わないよなっていうか、
時間なくなるよなっていうか。
そうですよね。
今までってコンサルタントの仕事はとても面白いんですよ。
私は結構頑張ってたし、
嫌だというわけではないんですよ。
辞めたつもりもなくて、またあればやるかもしれないんですけど、
でもフルタイムでやったら、
私はもう消耗してしまうだろうなっていうのがあって、
自分がすごく楽しい、やりたい、
使命感を感じるっていうようなものっていっぱい。
私は強いので、ピンポイントでやりたいことが。
そういうのが無視しないでやっていきたいなと。
仕事をやらなきゃって思って、
全部全てを無視してきたから、
ベッシーヘッドさんのこの作品ですら出せなかったっていうのが、
辛いことになっちゃうので、
ここから先は、
収入が今本当に安定してなくてっていうか、
むしろマイナスなので、
やばいんですけど、
でもそれぐらいのことだったら、
人生の時間がなくなることに比べたら、
やるべきじゃないって。
工作とかすべきじゃないって。
この工作したら、だってみんなが見てくれるじゃないですか。
見ないでしょ。
いろんなマニアックな写真とか資料とかって、
いいじゃないですか。
自分の好きに展示して、
わーって面白いって思ってくれるお客さんがいたら、
それがやりたいことをここで伝わる、
そのベッシーヘッドさんの思いっていうか、
フィロソフィーみたいなところがあるわけだから、
そういうのを無視しないでやっていきたいなって考えてます。
何の答えになってるのかな。
いや、めちゃめちゃいい話を聞いてると思いますよ。
やりたいことをやろうと思ったら、
ベッシー・ヘッドの魅力
時間がほんとないですからね。
そうなんですよね。
確かに。
ほんとにないですよね。
自分の本当の仕事は何かみたいなところって、
そうですね。
これは時間が経つにつれて問われてくるような気はしますよね。
そうなんですよ。
一通り頑張ったしなっていうのはあって、
コンサルだってもちろん上を目指せばいくらだって上があるし、
やるべきこともあるけど、
ここはもういいのかなっていう感じはしてるんですね。
っていうともう二度と仕事来なくなるから、
やる気はちょっとはあります。
でもね、一回入っちゃうとね、
すごい大変になっちゃうから。
ほんとはもう天熊出版が忙しくなっちゃってるからね、
今後の展望
ちょっと辛いものがあるんですよね。
考えなきゃっていうのはありますけど、
まだまだこれからです。
そんな感じの話でいいのかな。
いや、もうすごいいい話で、
たぶんめっちゃいいと思います。
たぶんこれ結構聞くと感動する人多いと思いますね。
本当ですか、やった。
じゃあちょっとこんなところで締めていきましょうか。
じゃあ横山さん、2週にわたっていろいろお話聞かせていただきありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
じゃあ横山さん最後に、
ちょっと前回と同じかもしれませんが、
告知をいただければなと思います。
はい、天雲の集まるとき観光記念展を開催します。
恵みの雨つながる言葉というタイトルで、
小木久保の本で旅するビアさんで開催します。
日程が7月の24日木曜日から8月の4日月曜日までです。
私もなるべく滞在しようと思ってますので、
ぜひ遊びにいらしてください。
横山さん、本当に2週にわたってありがとうございました。
ありがとうございました。
ベッシー・ヘッドの作品探索
それでは次回お送りさせていただきます。
次回はまたちょっと番外編をお届けしたいと思っています。
ちょっと特別な番外編になるかなと思っておりますので、お楽しみに。
番組の最後になりますがメルマー会員募集しております。
こちら有料版無料版とございます。
無料版はですね、海外文学ニュースというのを毎週毎週配信してますので、
よろしかったらご登録ください。
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ぜひこの番組応援したいなという方はですね、ご登録ください。
詳しいことは番組の情報欄に記載しておりますので、そちらご確認ください。
番組の感想やリクエスト、またこの番組を聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたのでございましたら、
ハッシュタグそろとみ猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。
Xやインスタの投稿などでお待ちしております。
お便り本も番組情報欄に載せております。
この番組気に入っていきましたら積極的に拡散共有してあげると助かります。
ではまた来週。
ありがとうございました。
58:58

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