どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回は作品紹介のない番外編となっておりまして、前回ですね、雨雲の集まる時という作品を紹介させていただきましたが、その時にもゲストに来ていただきましたが、その本を翻訳出版された横山仁美さんとお届けしていきます。横山さん、今週もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
今回はですね、雨雲の集まる時をですね、翻訳出版された経緯とかですね、裏話なんかをちょっと聞いていけたらなと思ってはいるんですけれども、まずちょっと私から横山さんのこの活動についてちょっとすごい思っていることがあるんですけど、
YouTubeをやっている。雨雲ラジオっていう、これ今日概要欄に載せておきますね。雨雲ラジオという音声も発信している。ノートも書いているっていう。Xも日々更新されている印象で、できることを全部やって、雨雲の集まる時を届けようとしているっていう姿勢を感じていまして、
いや、あのめちゃくちゃなんというか熱量と、すごい尊敬の念を今私は抱いております。
恐縮でございます。
やろうと思ってできることはないですね。
あれはもうやろうと思ってできるレベルじゃないと思っています。
やっぱ多いか。よく多いって言われるんですよね。
でも多分すごく重要なことだと思いますけどね。
フェイスブックもインスタもありますしね。
そうですね。
いっぱいある。大変です。
それでも、もちろん動画と音声ではコンテンツは。
全然違いますね。
テキストをテキストでまた作っているんですか?文字起こししたものとかじゃなくて。
テキストは全く別の話してますね。
すごいな。
違います。
これは全部雨雲の集まる時についてなんですか?
全然全然。もともとずっとSNSとかでたくさん発信しているので、結構私早いですよ。
ブログとかも早いですね。
皆さんがブログをやり始める前から割と2000年くらいからやってますね。
大学の時からされてたね。
そうですね。メルマガとか。
メルマガやってましたね。2000年くらいに。
だいぶ早いですね。
そうですね。まだまだブログとかなかったですね。2000年は。
日記サイトとか掲示板とかがすごくて。
そういうのはありましたね。
エジンバル大学に留学した時に、メールとかをいちいち書くの面倒いなって思ったから、
メルマガジンにすればみんなに届くんじゃない?と思って始めたんですよね。
ちなみに、YouTubeで今日も言いましたけど、
当時のその時の読者の方がまだSNSでフォローしてくれて、応援してくれて。
雨雲の集まる時も、もう待ってましたとばかり。
1話最初に注文くれて。
それ見ました見ました。
日本に戻ってきた時に買われたんですね。
そうそうそう。
色々海外で仕事してらっしゃる日本の方なんですけど、
お会いしたことはもちろんないんですけど、SNSで応援メッセージくれる人なんですね。
すごい素敵な感想をくださったので、ちょっとそれを読み上げてYouTubeで、
今日動画に上げたんですけど、あれちょっとノートにも落とそうかなとは思いますけど、
すごい素敵な感動をいただいてますよ。
やっぱり。
すごい。
当時からベッシーとか言ってたもん。
すごいですよね。
そっか、やっぱり周りにはそれ言われてたんですね。
ベッシーベッシーずっと言ってるけどなんなんみたいな、本出てないじゃんっていう感じの5年ぐらい経って、
あ、出たの?って。
なってる人もちょっといるっぽくて、すごいことですよね。
いやーそっかちょっと今、今日聞きたいこともだいぶ今入っててはいるんで、
まあもうこのままちょっとゆるゆると入っていきたいなと思うんですけれども、
じゃあまずはあれですかね、なぜこのベッシーヘッドを翻訳しようと思ったっていうところは、
その大学時代にベッシーヘッドさんとの作品と出会いがあったっていうのは、
ちょっと前回も少し出てきたところなんですけど、そもそもなぜ出会うことになったのかとか、
そのあたりのことを聞いてもいいですか。
何でしょうね、出会いは偶然ですよ。
なんかね、なんかそうだね。
どういう、ちなみにどういうタイミングで手に取ったんですか、このベッシーヘッドさんの作品は。
たまたま雨風の村で手紙を読むっていう、私エッセイ本を書いてて、実はそれもうちょっと在庫切れしちゃったんで、
もうないんですけど、商業出版じゃないやつで、そこに私のベッシーヘッドさんに出会った時から今までみたいなことをずらっと、
仕事のこととかベッシーヘッドのこととかいっぱい書いたエッセイがあって、
ちょっと機会があれば私それをきちんとした形で出版できるといいなとは思ってるんですけど、
とりあえずその非商業出版バージョンがなくなっちゃったんですけど、そこに結構詳しく書いていて、
最初はアフリカ地域研究のゼミをたまたま取ったと。
なんでアフリカ地域研究、全然アフリカに興味とかは特になくて、知識も特になくて、
国際学部だったんですけど、テーマがアフリカに関することなら自由、これがいいと思って。
大学3年生とかのタイミングとかですか。
3年生からのゼミですね。
テーマが自由だからっていうか、テーマが決められているゼミばっかりなのがすごく嫌だったんですね。
本当に海外に行きたいっていうか、いろんな国に行きたい。
中学校がアメリカだったんですけど、小学校終わりから中学。
海外の大学とか海外に行きたかったから、本当に自分が行きたいところを見極めて、
自分、お金もかかるじゃないですか。それで行きたいと思ったので、
決してゼミの先生のテーマとか、みんなで一緒に行ってスケジュールで一緒に動いてとかっていうのは絶対嫌だって思ってたんですね。
郊外実習があるゼミほとんどだったんですよ。2週間とか、アジアのいろんな国に行ったりとか。
お金かかるし、そういうんじゃなくて、自分で本当に行きたいところに行くから、
むしろテーマが自由で、郊外実習ないっていうのがいいと思ったんですね。
多くの人は海外行ってみたいから、そういうところに応募するみたいな。
人気ゼミはすごい膨れてたんですけど、蓋を開けてみたら、私が応募した全然知らない怪しいゼミが、
私だけしか応募者がいなかったっていうオチだったんです。
掲示板に貼り出されるんですよ、当時ね。今みたいな便利なもんないので。
掲示板に貼り出されて、以上1名、横山ひとび以上1名って書かれてて。
私、他のゼミ30人ぐらい応募してるんですよ。
300人中1名ってすごいなと思って。
それがアフリカ人生の始まりですね。
アフリカ経験の師匠に出会ったからこそ、今でもアフリカをやってるっていう。
すごい。
アフリカ道で生きてるっていう感じですね。
ベッシー・ヘッドさんはその後たまたまなんですけど、
漠然と、だからテーマを考えなきゃいけないじゃないですか。
テーマ自由だから。
どうしよう知識もないしとか言って、ちょっとよそのことばっかりしてたんですよ。
不真面目なんで。
福祉をやってたんですよ。福祉の勉強とかしてたんですよ。
高齢者福祉とか。それで国際政治をやりたいって思って。
そこもちょっとへそまぐりなんですけど、福祉学科だと日本のこととかになっちゃうから。
国際学科とかそういうところで福祉をやりたいって。
世界のことを知りたいなって言って、国際系の学科に入ったんですけど、もちろん福祉系の授業はないし。
それで自分で勝手にケアホームとか、いろんなところに見学行ったり、スタディツアー行ったりっていうのをしてたんですよ。
学校の勉強そっちのけで。
で、ナーシングホームを長崎に見に行ったんですよ。有名なとこがあったんですよ。
なんか人のつてがあって見学出てきるようになったので、大学2年生の終わりくらいか。3年生の時か。入ってからですね。
行ったんですよね。で、全然関係ないのに、プラッと古本屋に入ったら、アフリカ文学短編集全3巻みたいなのがあって。
えー。
築谷悟郎先生、1977年、古いやつ。今でもその辺にあると思いますけど。
なんかその本を見て、いろんなアフリカの作家の短編が載ってたんですけど、ベーシティーヘッドはなかったんですけど、
なんかこう、それでアフリカの文学か。で、文学を研究する気はなかったんですよね。全然。
むしろ文学研究って、今でもやってないですけど、あまり興味が持てなくて、本が好きなので、本はすごい個人的なものとして捉えていて、
それを客観的な文学研究として、文学というもので、文脈で分析して論文にするとかっていうのは、ちょっと私、合わないっていうか違うと思ってたんですよね。
で、まあそれもあって、今でもそういうふうに文学研究もしてないし、仕事にもしてないっていう。むしろ実務方面に行きたかったんですよね。
でも、ベーシティーヘッドっていう人だから、その後いろんな本を読んだら発見して、これはすごい衝撃的だと思って、私が書いた文章を見たいって思ったんですよね。
あれですか、まずは自分に重なった感じなんですか。
そうですね。なんかなんでこんなに身近なんだろうっていうか、通じるものがあるんだろうっていうか、感動して今いろんな本を読み始めて、
で、文学研究じゃなくて、人物研究みたいな形で、歴史とか、いろんなアパルトヘッドの話とか、そういうのを研究し始めて。
で、書いた。私は別にアフリカ文学に詳しいわけでは全然なくて、ちょろっと読んでるけどぐらいで、そんな研究するつもりは全くなくて、
なんかね、ライフワークになっていかれたって。
なんかピンポイントなんですよ。ほぼ役家になりたいとかじゃないし、出版社をやりたいとかじゃないし、そうじゃなくてウェッシーさんの作品が届けたいってめちゃくちゃピンポイントなんですね。
私結構そういう生き方はしていて。
なるほど。
あんまりそういう枠とかがなくて、文学研究っていうのは興味ないけど、文学は好きで割と読んでて、すごい影響を受けやすいから、逆にこう、あれもこれも読めるタイプじゃなくて、好きなものだけっていうか。
なんかそういう客観性を持てないのかもしれない。あまりこう、のめり込みすぎちゃうから、文学としてどうのこうのとかいうことを言えるような感じじゃない。もうハマりすぎるから。
本が好きなんじゃないですかね。
なるほど。
客観性がないと論文とか研究とかできないじゃないですか。なかなか。そういう感じ。
ちなみにですけど、横山さんが影響を受けた文学作品ってどんなのがあるんですか。
文学作品。あ〜。
ベッセヘッドさん以外だと、いろいろあるかもしれない。あのね、ゼンゼレへの手紙っていう本も出るかもしれない。
あるかもしれない。これなんか見せたところで、視聴者の方に見えないんですけど。
これね、一冊だけ。
ジンバブエの小説。ゼンゼレへの手紙。
あ、ゼンゼレへの手紙。
ゼンゼレね。
ゼンゼレ。
ゼンゼレへの手紙。これすごくいいですよ。おすすめ。
古いですね。90年代ぐらいの作品。これはジンバブエです。
私これがあったから割とジンバブエに不認してもいいかなって思えたんですよね。
これ読んだから。私ジンバブエ2005年に不認したんですけど、2年間仕事してたんですけど大使館で。
この本の影響とかすごいありましたね。
とっても美しい物語っていうか、ゼンゼレのお母さんがアメリカに留学している娘のゼンゼレにあてた手紙で、
いろいろ人生のこと、アフリカのこと、いろんなことが歴史のこと、ジンバブエの独立闘争のこととか書かれている美しい物語おすすめです。
全然知りませんでした。
持ち歩く用法。
すごい。
引っ越しのために。
もう今ちょっと画面で見えている本の角がだいぶ。
これ古いからね。20年以上経って。
すごい年季が入っている感じがあって、いい味が出てますね。
カバーが擦れてる。これもうね、たぶん絶版とかだから、フルフォンでどっかで偶然見つけてください。
そしたらとりあえず買います。
すごい素敵です。
こういう話題やってると、私だいたい次にフルフォン屋に行った時に見つけることが多いんで、ちょっと探します。
これでもおすすめすると、結構読んで感動してくれる人がいるので、定期的におすすめしてます、私これを。
いいですね。
いいですかね、いい感じかな。
でも今ちょっと気になるのは、横山さんのキャリアですね。
大学出られて、ライフワークとしてベシーヘッドさんのことあると思うんですけど、
もう一方でキャリアでアフリカでのお仕事とか、あとエディンバラー大学にも留学行かれてたと思いますので、
そのあたりってどういう今まで道のりで来られたんですか。
道のりですか。
エディンバラー大学にアフリカ研究センターというところで就職があって、
アフリカでどうしても仕事したいって思ってたんですよ。
30歳になるまでに絶対アフリカで仕事するんだって行きまいてたんですね。
それでなかなかこううまくいかず、
日本に帰ってきてから仕事もアフリカ関係とかなかなかなくて、
普通の民間企業のちょっと同時通訳とか技術翻訳とかをやっているところの会社の営業みたいな、
国際会議やっているところの営業みたいな小さめの会社ですけど、
そういうところに働いて、どんどんアフリカから離れていくし、
すごいストレスつらいつらいって思ってて、
その時にそれで結局会社を辞めて、
開発コンサルタントっていう仕事があるんですけど、
都城国で開発事業、プロジェクトを実施するコンサルタント、コンサルティング会社ですね。
その開発コンサルのアシスタントみたいなアルバイトが出てて、
それに過労死で入って、
アルバイトになるんですか?
アルバイトだったんですよ。
コンサルタントに入るんですか?
大学院に出て、正社員で民間企業をやってたけど、
国際協力の世界とか実務の世界でやりたかったので、
アルバイト、たまたま入れなかったんですよ。
専門性高い世界だから、コンサルタントとかすごい若手で、
まだ25歳だったので、
25歳ぐらいとかかな、だったので、
仕事もなかなかできないし、取れないし、
アシスタントだったら入れるっていうことで、アシスタントで入ったら、
1回入っちゃうと、いろんなこっちの仕事も手伝ってくれるみたいになって、
履歴書に書けるんですよね。
私もむちゃくちゃ応募しまくっては、むちゃくちゃ落ちまくってたんですけど、
その中で引っかかったのが、専門調査員っていう外務省の仕事なんですよね。
それが大使館の仕事で、
若手の専門職というか。
でもそれ行ってから、ジンバブエに2年間で仕事をして、
すごくジンバブエとご縁があった。
ちなみになんでジンバブエかっていうと、
本当はもちろんボツ穴に行きたいじゃないですか、ペッシーヘッドファンとしては。
でもボツ穴に当時日本大使館がなかったんですよ。
それでジンバブエとなりだしって。
なるほど。
近いからって。
軽いでしょ。
となりだしって思ってジンバブエに行ったし、
全然例の手紙もあったし、
こんな国かと思ってたから、
となりだしと思って。
それもいろんな経緯があったんだけど、
結局ジンバブエになって、
おかげさまで2007年にペッシーヘッドフェストがあったんだけど、
隣なので国が割と行きやすくて、
1時間半ぐらいのフライトで行けるので、
日本からだとめっちゃ遠いから、
大変じゃないですか。
ジンバブエからだから行きやすくて、
よかったんですけど。
その後ジンバブエはすごい仕事でもいろいろ縁があるようになって、
日本に帰ってきてはいろんなJICAの仕事、
JICA本部でアフリカ部の仕事とか、
こういうのは本に書いて出しちゃってるから、
全然秘密じゃないんですけど、
ごめん書いちゃったから。
でもなんかジンバブエ行った時とか、
JICAもそうか。
JICAの次もまだあるんですか。
いろいろありますよ、いっぱい。
大体あれなんですよ、国際キャリア系って、
2年ぐらいとか3年ぐらいとかの仕事を、
いろいろ変わりながらレベルアップしていくみたいな、
キャリアアップしていくみたいなのが割と普通なので、
正社員でずっと勤めるっていう人よりも、
そういうふうに転々としている人が多くて、
2年間とかの人気付きの仕事とかだから、
でまた次を探して、次の履歴書に書ければ、
少しもっといいポストに応募できるじゃないっていうのを繰り返して、
でJICAの仕事、JETROの仕事、
JETROも途上国へのビジネスの仕事だから、
途上国文脈で仕事をして、
あとは開発コンサルですね、それも何社か手伝ったりとかしながら、
いきましたね。
で、今にいたら、2023年ぐらいにやらちゃったんですけど、
正社員だって結構安定はしてるけど、
もうなんか忙しくて、翻訳とかももう全然ダメで進まなくて、
ちょっとこう病んでたんですよね。
本当にやりたいことって、私すごいピンポイントではっきりしてるじゃないですか。
写真撮っていいですか?って写真撮ったりとかされて。
そういうのもね、大事なんですけど。
なんかそれはそれで、素晴らしいことだと思うけど、
やっぱペッシーヘッドさんの力がすごいんだろうなっていうのは感じてて、
つくづく。素晴らしかったですって感想を届けて、
それは本当に良かったかなって思いました。
あとはね、一件ね、さっきキャリアの話でちょっと話したんですけど、
2003年くらい、えじんばる大学から帰ってきて、
正社員で普通のコンベンション会社に勤めてたんですけど、
その時にご一緒してた方がいたんですよね。
年齢は私より若いくらいかな、女性で、
で、多分私結構ペッシーヘッドの話をしてたと思うんですよ。
で、彼女はそれっきりだったんですよ。
私会社その後2003年でもうさっさと辞めちゃったので、
で、その人はなんと23年後のこの間、連絡をくれたんですよ。
で、私のこと覚えてますかって、それ以来なんですよ、23年とか。
で、あの時ペッシーヘッドの話してたんですけど、
すごく感動しましたって言って、すごくないですか。
そういう本を出すって、私の個人の確かに素晴らしい、
やりたかったこと、仕事の一つなんですけど、
本当個人の問題だけではなく、個人のことだけではなくて、
そういういろんな出会い、いろんな再会、新しい出会いもいっぱいあったんですよ。
いろんな出会い、いろんな再会、やっぱりやっぱり、
いろんなちょっと感動的な出来事につながるっていうのが実際に起きてるし、
すごいな本を出すっていうのは、私だけの問題話じゃないんだなっていうのが感じられました。
で、これからも多分ね、いろんな面白いことが起きていくんじゃないかなとは思うんですけどね。
だんだんだんだん読んでくれて、みんな多分ね、ツンドクになってる人多いと思うんですよ。
そうですね、やっぱ本はね、どうしてもね、
どうしても私はいっぱいあるからね。
沈んでしまうんで。
そう、たくさんあるからね。
そう、なんかそれを、ちょっとずつ感想もくれる人が本当に来てもらってるので、
なんかだんだんいい感じの展開になっていくんじゃないかなと思って、
思うとともに、やっぱり私から手を、私の手から離れるなっていうのは、
すごくありがたい。
それが呪いが溶けていく。
呪いが、もうみんなのものになるじゃないですか。
それがいいですよね。
みんな個人的にはいいなっていう、個人の、自分のものにしてくれるっていうのが目的だから。
なるほど。
そう、呪いの話で。
そうですね、ちょっと呪いのところで売らないといけないっていうプレッシャーとか、
その重み、なんか重荷みたいなことってあります?
ありますね。
やっぱり大手出版社から出した方がいいっていうのは、ずっとね、
いろんな出版社とやりとりしている間に、いろんな人から分かったようなこと言われたんだけど、
まぁでも、大手出版社から出した方がいいっていうのは、
だから、確かに売らなきゃいけないプレッシャー、
なんでこんなに扱い違うねんっていうのはありますよ、もちろん。
だって有名じゃないから、多分取り上げてもらえないんですよ、そもそも。
だけど、確実に届く人に届いているっていうか、
例えば斉藤麻里子さんみたいな方は、
今でも、今日もメールのやりとりしたんですけど、
すごく、ああいうのどうですか、こういうのどうですかとかいろいろ言ってくれて、
プロモのことも考えてくれたりとかしてて。
すごい、すごい。
すごいと思って、そういうことが大事。
そうですよね。
私の一つ一つ広げていくそういうネットワークとか、
あとは、私が出版社として素人っていうか最初じゃないですか、
だから経験も実績もないし、書店関係とか本関係のつながりも、
ここ3年ぐらいでようやく増えたぐらいだから、
雨雲出版ってやり始めてから増えてきた、
そういうつながりもやっと増えたんですけど、
それじゃあちょっと新卒に近いんですよ、まだ。
だからアフリカ地域研究とか、学生時代からアフリカ研究やってるから、
アフリカ専門家のつながりとか活動してる人とか、
国際協力系の開発コンサルタントの開発事業の仕事してる人だとかっていうのは、
ずっと20年分の知り合いネットワークがあるわけじゃないですか。
そういうのをどういうふうに活用すればいいのかなってことを考える。
つまり自分が強いカードを使う。
私が持ってるこのコンテンツって、たぶん私が話してた話の中では、
ちょっと普通の出版社が言わないような、こうマニアックな、
アフリカ研究者としてベッシヘッド研究者的なネタとかもあるし、
なんかそういうふうにずっとやってきた実績があるので、
その活用の仕方を工夫しなきゃいけないんだろうなとは思ってるんですよね。
そうじゃないと、ただの新刊とかだと絶対埋もれるわけじゃないですか。
超有名な人の中でも。
私もほとんどのメディアとか有名な大手の新聞なのとかって、
みんな出すんじゃないですか。憲法で。
それを一通りやりましたけど、もちろん埋もれると思うんですよ。
開いてもらってないかもしれない。
そういうレベル感の話になっちゃうから、
大手とか超有名な翻訳家や作家と同じことをやってては、
負けるに決まってるから、違うことやらなきゃいけない。
だからこそ、マニアックなラジオにメッセージ書いてみたりとか。
そういうことじゃないんですよね、っていうのは思いますね。
コンテンツで売っていく農業なら農業、開発なら開発っていうところで、
どうやって広げてもらえるかなっていうのを今考えながら、
知り合いのツテとか聞いてみたりとかしてやってる感じですね。
書評コーナーは競争率が高すぎてダメですね。
だって負けに行かなくてもいいじゃないですか、わざわざ。
まあやるけど、みたいな。一応やるけど、みたいなっていうのをやってて、
まあ大変ですけど、でも伸びてますよ、徐々に。
思ったより、結構全国のいろんな書店さんに置いていただいてるから、
まだまだもちろん行かなきゃいけないですけど、
この調子で行けば伸びるんじゃないかなとは思ってますね。
で、次の本も出したいかなっていうのはあります。
なるほど。
今度はもうちょっと早くやりたい。もうちょっと早くやりたいです。
いやでも今ちょっと聞いていて、
横浜さんのライフワークで作られた出版物はもう趣味の領域は超えていて、
もうお仕事としてされていらっしゃると思うんですけども、
ただこれが例えばこの趣味で、僕たちはそうですけど、
このラジオも趣味でやってますし、
まあ趣味で何かやっててでもちょっと広めていきたいなっていう時に、
だからそれは仕事とは別物だからって切り離して、
なんかその趣味のところだけで戦おうって、
それじゃなくて横浜さんみたいに、
今まで培ってきたものですね、仕事含めてですけど、
そういうのもトータルで考えて、
自分の強みをそこに生かしていくと、
自分が趣味とか好きなものをですね、
なんか広めたいなとか何かやりたいなっていう時に、
なんか投資してくれるんじゃないかなってすごく思いましたね。
うん、ね。
いやーなんか全てで勝負してる感じがすごい良いですね。
ちょっとでもどうすんなら起こるかなって感じですね。
でもそれはやっぱり出し切った後に見えてくるものがあるんじゃないですかね。
やることは、そうですね、やりたいこととかはやっぱり、
アマゴム出版っていうのを始めたから、
始めてから、あ、じゃあこんなこともできるんじゃないかなっていうのはいっぱいあって、
で、ベッシーさんの本もそうなんですけど、
もっと違うものもちょっとやりたいなと。
それは出版社としてやるっていうか、
私が書きたいもの、私が出したいものをやる。
なんかこう世の中に出したいものをやる。
そのツールとしてのアマゴム出版みたいなアイディアが出版できますね。
出版社として、外国文学専門です、新しいのないかなとかはなくて、
私そういうのは全く興味なくて、
そうじゃなくて、もうこのテーマだったらこれじゃないっていうのを、
こう掘り下げていきたいっていうのがいくつかちょっとありますね。
あとさっき趣味とか、あ、ごめんなさい、趣味とか言ってますけど、
なんか趣味とか仕事、でもこれ、こういうふうに、
私展示会の準備してて、
あの写真、ベッシーさんの写真切り張りしてて、これ趣味じゃないかな。
これめっちゃ楽しいんですよ。工作してるんですけど、ベッシーさんの写真切り。
でもなんか資料がすごくあるのね、当たり前だけど。
学生時代の時からの文があるので、
いろんなネタが提示できるんですよね。
これは多分なかなか普通の翻訳家とかはないやつだから、
面白いんじゃないかなと思って。
ちょっと趣味かもしれない。
そこはなんか、もういろんなものが重なってるでしょうね。
そうですね。
なかなか切り離せないところというか。
でもなんか次の本の構想みたいなものもお考えあるんですか?
そうですね、今ベッシーヘッドさんの本も、
まだ日本語で訳されていないものがちょっと、
まあ結構いくつもあるんですけど、
その中でも私がすごい気に入ってて、
すごい出したいなっていうのがあって、
それをやってみようかなと思って、
今短編なんですけど、短編というかエッセーションみたいなやつなんですけど、
フィクションじゃないんですけど、
何本か今訳し始めてる感じかな。
あとはベッシーヘッドさんの手紙ですね。
すごく素敵な手紙がいっぱいあるので、
雨雲が集まるときの突然冊子も、
直接買ってくださった人につけてるんですけど、
そこにあるようなパディキッチンさんの手紙とか、
そうですね。
それの、そういう美しいやつってすごく山ほどあるんですけど、
出版されてないんですよね。
だからこういうのをお届けした。
これめちゃくちゃ感動したって言ってくれる人結構いて、
多分ね短いからね、
つんどくになりにくくてパラってみんな見ちゃうんだと思う。
先に。
確かに。
先にこっちを見ちゃうんだと思うんですけど、
だからそういう、これは編集とかしなきゃいけないからすごい大変なんだけど、
出せるといいかなとは思ってる。
あとはノンフィクション系のエッセーとかノンフィクションとか書きたいですね。
テーマがいろいろ、アイディアがあります。
出したいものはたくさん、たくさんあるということですね。
ありますね、たくさんありますね。
ちょっと出版したいものもあるとは思うんですけども、
他に今後やっていきたいこととか、
直近ではまず大木久保での展示会があるかと思うんですけど、
他にこういうイベントがあったりとか、もしくはこういうことをやりたいなみたいなのとか、
展望的なところってあれば。
なんだろう、ラジオに出たい。
具体的にどのラジオっていうの?
この番組とかあるんですか?
もちろんそらとび猫さんなんですけど、
もう出てるんですか?
もう配信させていただけるの、たぶんこれがリスナーに届くときには。
そうですね、メジャー曲に出してもらえないかなって思ってるけど、
文章を書きたいですね、いくらでも文章を書ける。
いくらでも文章を書きたいことがあるので、
どっかに書かせてもらえないかなとは思ってます。
連載とかそういうのがあるといいかもしれないですね。
できるといいですね。
あんまりやったことがないので、ずっとコンサルタントやってたから、
報告書ばっかり書いてたから、
そんな外に出るようなものとか書いてなくて、
ブログは書いてきたけど、
やりたいかな。
そう、本を出す以外に、あと何があるか。
いろんなところを旅したい。
次行きたいところとかあるんですか?
そうですね、どこかな。
行きたいところ、ルワンダとか?
なるほど、ルワンダか。
行ったことない。
もうなんかルワンダ、そうですよね。
行ったことない。
でも綺麗な国らしいので。
ウガンダとかは行ったことないんですけど、
ルワンダは行ってないんですよね。
隣の国は行ってる。
だからちょっと、もうちょっといろんなとこ行きたいかな。
自分のためのっていうか、
自分のやりたい仕事をできる。
すごいシンプルですけどね。
自分のやりたいことをやっぱりやっていかないと、
間に合わないよなっていうか、
時間なくなるよなっていうか。
そうですよね。
今までってコンサルタントの仕事はとても面白いんですよ。
私は結構頑張ってたし、
嫌だというわけではないんですよ。
辞めたつもりもなくて、またあればやるかもしれないんですけど、
でもフルタイムでやったら、
私はもう消耗してしまうだろうなっていうのがあって、
自分がすごく楽しい、やりたい、
使命感を感じるっていうようなものっていっぱい。
私は強いので、ピンポイントでやりたいことが。
そういうのが無視しないでやっていきたいなと。
仕事をやらなきゃって思って、
全部全てを無視してきたから、
ベッシーヘッドさんのこの作品ですら出せなかったっていうのが、
辛いことになっちゃうので、
ここから先は、
収入が今本当に安定してなくてっていうか、
むしろマイナスなので、
やばいんですけど、
でもそれぐらいのことだったら、
人生の時間がなくなることに比べたら、
やるべきじゃないって。
工作とかすべきじゃないって。
この工作したら、だってみんなが見てくれるじゃないですか。
見ないでしょ。
いろんなマニアックな写真とか資料とかって、
いいじゃないですか。
自分の好きに展示して、
わーって面白いって思ってくれるお客さんがいたら、
それがやりたいことをここで伝わる、
そのベッシーヘッドさんの思いっていうか、
フィロソフィーみたいなところがあるわけだから、
そういうのを無視しないでやっていきたいなって考えてます。
何の答えになってるのかな。
いや、めちゃめちゃいい話を聞いてると思いますよ。
やりたいことをやろうと思ったら、