ある瞬間、君の涙は純粋な涙になるだろう。
いろんな絵の具を混ぜると黒い色になるけど、いろんな色彩の光を混ぜると透明な光になるように。
ノーベル文学小作家が描く、涙をテーマにした大人のための童話、ハン・ガンの涙の箱を紹介します。
どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私ダイチとミエの2人でお送りします。文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ハン・ガン作涙の箱です。
キム・フナさん役で、評論者から2025年に出版された本になります。
今回からですね、文学ラジオ空飛び猫たちの新しいシリーズ、世界のYA文学というのをですね、始めたいなと思っていまして、それの第一作目がこの涙の箱になります。
今までね、ラジオで本編で海外文学紹介して、あと番外編、たまに挟んでいたんですけども、本編番外編でもう一つが、この世界のYA文学ですね。
これが今回からちょっとね、増えるとなりまして。 そうですね。
これ前々から実は言ってたんですよね。 そうですね。元々、自動文学、YA文学で読みたい作品というのが色々ありましたし、
あと10代が選ぶ海外文学大賞というのも、2025年にできて、そこのちょっと盛り上がりとかも見ていて、やっぱりそこからも読みたい本ありますし、
あと星の王子様とか、ナルニア航空物語とか、そういったもう本当普及の名作とかも、ちょっと改めて読んでみたいなというのもあるし、
一方であと世界で今人気のYA文学ですね。もう海外ですごいなんか読まれている小説とか、もう10代の人たちに。
そういうのもね、すごくちょっと気になって読んでみたいなというのもありましたし、そういったのはね、一括りにできるようなシリーズということで、この世界のYA文学ですね。
始めるんですけども、投稿頻度は不定期になるかなと思っています。
番外編みたいな形で、本編がこれからも中心なんですけど、たまにこのYA文学というのもポツポツ入ってくるかなと思いますね。
ちょっとスタイルも多分もしかしたら一定じゃなくなるかもしれないですね。このヤングアダルトは、だいぶ作品に合わせて、本編だとこうある程度我々今決まったフォーマットの中で、
こうやってますけど、あんまりそこを気にせずに、より自由に紹介していきたいなっていう感じになってますね。
例えば、ナルニア国物語、私今ちょっと読み進めてはいる。ちょっと全然、なかなかいまだ一課も途中だったりするんですけど、ちょっと読んだりしてはしてるんですけど、
これをもしかしたらちょっと私だけが独領して、三枝さんは読まずに私の話を聞いてもらうみたいな感じにもなるかもしれないし、逆のパターンもあるかもしれないですね。
三枝さんが読んだやつを私が読まずにちょっと収録するっていう。今まで2人とも読んできた本を紹介するみたいなスタイルをやってきたけど、ちょっと変えるかもしれないっていう。
そうですね。どっちかが聞き役に徹して、どっちかが話役に徹するみたいな。そういった回も出てきそうな気はしますね。
今回は2人とも読んでいる状態で向かいております。
ここでちょっと、YAとは何かみたいなところを軽くおさらいしておきたいなと思います。
日本YAサッカークラブというのがありまして、ちょっとそこのホームページで定義が書かれているので、そこからちょっと紹介させていただくと、
ヤングアダルトは若い大人という意味で使われている言葉です。12歳から19歳、中学生や高校生、大学生、いわゆるティーンの年代を指しています。
一方で年齢ではなく、もう自分は子供ではないと自己認知した若い人に対して広い範囲で使われる場合もあります。
子供向けに書かれた本が大まかに児童文学と呼ばれるように、若い大人の読者に向けて書かれた本を大まかにYA、ヤングアダルトと呼んでいます。
YA小説、YA文学と呼ぶ場合もあります。とありまして、主にはやっぱり10代のティーンの年代の人向けの文学になると思うんですけども、
一方で年齢ではくくれない部分ですね。もう20歳以上の大人の人でも、大人の子供というんですかね。そういう人を対象にしているものもYA文学としてあったりするので、
そういったところではですね、僕たちも大人なんですけども、このYA文学でやっぱりなんか読みたくなる、何かその引き付けられるものがありまして、
年齢ではくくれないものを持っていたりするので、そういった意味ではですね、このYA文学というところ、厳密に10代というところにこだわらずに、その前後の作品とかもですね、
これってYA文学なのかどうかみたいな線引きが難しい本もいっぱいあると思うんですけども、そういったのも今後ちょっと紹介するかもしれないというところですね。
ちょっとこのYAってね、結構イメージしにくい部分もちょっとあるかもしれないですけど、多分海外とかではね、結構これが盛んな国もありますよね。
ちょっとなんか日本だと、まあなんかライトノベルと全く違うんで、なんかちょっと近しいところでライトノベルを思い浮かべてしまうかもしれないですけど、
でもライトノベルもあれなのかな、すごいあのレベルで出てるから、ライトノベルにちょっとカテゴライズされちゃってるけど、なんかYAっぽいやつって結構あるんだろうな、なんか全然あれだけど、すごい昔に読んでた、
昨日の旅っていうライトノベルがあるんですけど、今ここでいうYAっぽいなって思ったな、とかあれは大人が読んでも多分面白い、今読んでも結構考えさせられる。
なんだろう、童話っぽい感じがするし。 そうですよね。
なんかこの児童文学の本とか読んでると、子供が大人になるその一歩手前とかですね、そこのところにフォーカスして書いてる本とか、そういったのは結構YA小説の特徴なのかなと。
子供が大人になるところをですね、ちょっと背中押してあげるような、そういった本。 そうですよね。
いろんなパターンあると思うんですけども。 というわけで、今回はハンガンさんですね。
このラジオではやっぱり何かの始まりはハンガンさんからというですね、本編の第1回目はハンガンさん、ギリシャ語の時間を紹介したので、
このYA文学のシリーズもまずはちょっとハンガンさんから始めようかということで、涙の箱が、ちょうどね、25年の夏に出版されたばっかりで、ちょうどいいタイミングかなということで。
で、これはハンガンさんが大人のための童話として、としてというかね、帯に大人のための童話っていうキャッチフレーズがあって、まず大地さんね、これちょっと読んでどうでしたか。
そうですね、なんかめちゃくちゃ読みやすいんで、でもなんかテーマが結構、ワンテーマですごい、この涙についてね、あのいろんなことが、いろんなことというか、シンプルに涙について書かれてるんですけど、いやこれ多分、いつ泣いたか多分思い出すんじゃないですかね。
みなさん読んだら大人が、いつ自分は泣いたっけなみたいなことを思い出すんじゃないかなと思いますね。
まあでも、ちょっと書かれた時期があれかな、ノーベル文学賞を受賞する前なのかね、やっぱり。
これ書いてたのは2008年ですけど。
全然、あ、そうかもう20年はいかないけど結構15年ぐらいは経っちゃってる作品なんだと思うんですけど、全然古びないですよね。なんかすごい。
いや、そうですね。最初の第一印象の想定がすごくいいなって思います。
これあれだよね、日本版なんだよね。日本版の書類だよね。
まあそうです。日本版は日本版で、表紙の絵とかあと冊子絵ですね。
はい、あのジュナイダさんが書かれていて。
あ、でこれもあの日本語版を作る時に、日本はちょっと日本のものとして絵も考えようかなという時に、なんかジュナイダさんがやっぱりすごくいいっていうので。
で、ハンガンさんもちょうどジュナイダさんがファンだったっていうのがあって、まあすごくいい絵が表紙にもね、あの来ていて、なんかすごくちょっとワクワクするような。
うん、そうですね。
なんか絵があって、ハンガンさんの童話ということで、なんかハンガンさんって小説はちょっと重たいじゃないですか。
あ、そうですね。
なんか読むとちょっとしんどくなったり、読み進めるのが大変な作品とかも。
なんか時には勇気がいる。
あ、そうですね。なんかちょっと痛みを伴うような小説とかは書かれていることが多かったんですけども、
まあこの童話はやっぱり童話ということで、まあすごく読みやすいですし、でもやっぱりあのハンガンさんらしい人の涙とは一体何なのかみたいな。
そこが問われている作品で、確かにね、なんかその大人の人が読んだら、さあ自分はどうだっただろうとかですね。
あと作中に大人も出てくるんですよね。なんで結構その大人に自分も重ねて読めたりもするのかなと思うんで。
そうだね。
いやなんだかんだ僕はなんか大人が読んでもこれはやっぱり楽しめる本なんだなって思いましたね。
涙が流せない人が出てくるんですよね。
そうそうそう。
それが結構いいですよね。
じゃあちょっとそのところで趣旨紹介いきましょうか。
もうとはいえ何回もご紹介しているハンガンさんですが、改めて1970年韓国甲州生まれ、1994年に作家デビューしていまして、短編で作家デビューしていまして、2005年に採植主義者で日産文学賞を受賞して、
またこの2016年にはですね、この採植主義者でアジア人初の国際物価賞を受賞していますと。
2017年少年が来るでイタリアのマラパルテ賞、2023年別れを告げないでフランスのベジティス賞、またこの別れを告げないでは2024年フランスのエミール・ギメアジア文学賞を受賞と。
海外の賞もかなり取っている方ですね。
えー2024年ですね。
あ、ちょうど1年前かな。
あ、ほんとだ。
あれこれ配信?
あ、そうだよね。配信された週、ノーベル文学賞発表の週だよね、今週。
ちょっと収録からずれるんであれなんですけど、たぶん予定通り行けばノーベル文学賞が10月9日かな、発表になっていて、その週の月曜日に配信する予定なので、ちょうど1年前ですね。
1年前に。なんかタイミングいいですね。
すごい偶然ですね。
まあなんか、なんか狙ったような感じになっちゃったけど。
そうだよね。ちょっと偶然なんですが。
そうです。ちょうど1年前にですね、ハンガンさん、ノーベル文学賞を受賞しております。
他にはですね、引き出しに浴衣をしまっておいた、そっと静かに、ギリシャ語の時間、すべての白い者たちの、など様々な作品が翻訳されています。
日本語はかなりハンガンさんの作品、積極的に翻訳しているので、日本語で読める作品が多い方ですね。
というところで、ちょっとそんなハンガンさんの、この涙の箱を紹介していきたいと思います。
こっからちょっと、ハンモトホームページのですね、紹介を読み上げたいと思います。
ノーベル文学賞作家、ハンガンが描く、大人のための童話。
この世で最も美しく、すべての人の心を濡らすという、純粋な涙を探して、昔、それほど昔ではない昔、ある村に1人の子供が住んでいた。
その子には、他の子供とは違う、特別なところがあった。
みんながまるで、予測も理解もできないところで、子供は涙を流すのだ。
子供の瞳は吸い込まれるように、真っ黒で、いつも水に濡れた丸石のようにしっとりと濡れていた。
雨が降り出す前、柔らかい水気を含んだ風が、おでこを撫でたり、近所のおばさんが、しわくちゃの手を、頬を撫でるだけでも、ポロポロと澄んだ涙がこぼれ落ちた。
ある日、真っ黒い服を着た男が、子供を訪ねてくる。
私は涙を集める人なんだ、という男は、大きな黒い箱を取り出して、銀の糸で、刺繍されたリボンを解くと、
大小、形も色も様々な、宝石のような涙を子供に見せた。
そして、このどれでもない、この世で最も美しい、純粋な涙を探していると話す。
男は子供がそれを持っているのではないか、というのだか。というところが、ちょっとこのあらすじみたいなところですね。
童話のような設定になっているのかなと思いますね。
ちなみにですけども、ちょっと補足として、この涙の箱の翻訳されたキム・フナさんと、評論者の担当編集の方が、
出演されているポッドキャスト番組があって、Kブックラジオですね。聞いて読んで楽しむKブックラジオにゲスト出演されて、
この出版経緯とかですね、この翻訳裏話みたいなところを語っている回がありますので、
あの概要欄にリンクも紹介していますので、ちょっとこの本の裏側というかですね、
そういったところも気になる方はですね、Kブックラジオの方も聞いていただけたらなと思います。
Kブックラジオも、もうなんか100…今この収録で164回か、あの毎週更新されていて、
毎週でもないのかな。でも本も毎週だよね。 すごい充実した番組ですよね。
Kブックに関しては。 あのポッドキャストの中では、多分長尺だと思うね。日本のしっかり紹介されている番組ですよね。
この涙の箱ですけども、もうストーリー。 行きましょうか。そうですね、じゃあストーリー行きましょうか。
今回はちょっとスタイルを変えてというか、たまにやるんですけど、基本的には本編の時ってなんか作品ってこういう特徴があってって話をしてから
ストーリーに行ってるんですけど、今回もちょっとストーリー話して、いろんなことを語っていきたいなと思います。 ではですね、ちょっとストーリー話していきたいなと思います。
ちょっと先ほど大地さんが案元ホームページで言われていたみたいに、昔、それほど昔ではない昔っていう時代ですね。
バス停があったり懐中電灯があったりするんですけども、あんまり現代らしくもない、現代っぽくもないっていうところではちょっと昔かなという。
確かに。 ある村なんですけども、どこの地域、どこの国かっていうのは分からない。
で、登場人物も名前がない、こういう名刺とかがね、全然ないんで、どこの国だろうっていうのも全然分からないと。
で、主人公は子供なんですけども、呼んでると女の子かなと思って呼んでいたんですけども、特に性別に言及されている箇所がなかったので、
まあちょっとね、そこは女の子か男の子か特徴ではありまして、その読み手の人がそこは自由に感じてもらえたらなと思いますね。
まあ、あれですよね、絵を見るとちょっと女の子らしい絵だし、話し方もちょっと女の子らしい話し方はしてるんですけども。
表紙の絵からはちょっとどっちとも取れるような感じかなと思うけど、中の絵は割とちょっと女の子っぽさを感じたかな。
話し絵はそうですね、ちょっと女の子らしいかなと。
ちょっと、紙もね、すごい長いわけじゃないので、でも女性って言うとショートっぽい感じ出てるから、なんとも言えないですけど、でも私は完全に女の子として読んでましたね。
うん、まあ僕もそうですね。頭の中では女の子。
特になんか弟に話しかける感じとかね、お姉ちゃんっぽい感じが出てたなってちょっと思って。
ってことは、逆に言うと弟は性別明記されてたね。
ああ、確かに。
まあちょっと今聞き過ぎただけであれですけど。
本当だ、本当です。
じゃあ行きましょうか。
では、ある村のその子供が主人公になるんですけども、この子供が周りの人が予測できないかったり、理解できないことで泣いたりする子供でして、
例えばですけど、これ作中に表記されてるんですけど、
春先に芽吹いたばかりの薄緑色の葉が日差しに輝くのを見て子供は涙を流した。
雲の糸に羽が引っかかったトンボを見ては午後の間ずっと涙を流し、眠りにつく頃には丘の向こうから聞こえてくる静かな笛の音に枕が濡れるまで声も出さずに泣いた。
などをですね、本当にちょっとしたその日常で目にする情景とか出来事というんですかね、なんかそういったのを見ては泣いていると。
周りからすると、この子供はなんで泣いているのってね、ちょっと思われてしまうんですけども、まあでもそんな子供はいつも泣いていて、
お母さんはね、やっぱりそういう子供を見て心配しているし、お父さんはね、腹を立てているし、そんな泣いてばっかりいてっていうので。
他の子供たちからはですね、からかわれていたりしてですね、というので泣いてばかりいたこの子供は涙壺と呼ばれていました。
そんな涙壺と呼ばれている子供の元にある春ですね、おじさんが村にやってきて声をかけるんですね。
このおじさんというのが、涙を集めているおじさんで、この特別な涙を持っている子供がいると聞いてやってきたわけですけど、
で、おじさんと一緒に鳥もいてですね、桃色の鳥なんですけど、翼とか尻尾の羽だけはちょっと神秘的な青色をしている青ウグイスという鳥みたいなんですけども、そのおじさんと鳥のコンビですね。
で、このおじさんは涙を集めて何をしているかというと、そこで商売ですね。この涙を売るという商売をしていて、で、鞄の中にはですね、20年かけて集めた涙が入っていて、玉ねぎの匂いを嗅いだ時の涙とか、
あくびをした時に目尻に溜まる涙とかですね。それぞれの涙に色があったりするんですよね。
腹が立った時に流す涙はオレンジとか、嘘で流す涙は灰色とかですね。まあそういういろんな涙をおじさん持ってて、このおじさんは純粋な涙というのを探していて、その純粋な涙というのはこの世で一番美しいと呼ばれる涙みたいで。
で、おじさんが言うには、子供の涙が純粋な涙なんじゃないかなと。ちょっと泣いてみてくれないと言われるけども、子供は泣こうとしても、その時は泣けなかったんですよね。いつもは泣いてばかりいるんですけど、
だからこのおじさんに泣いてって言われたら、泣けずにということで。そうしたらおじさんがね、ちょっとお客さんが遠くの村にいるから、お客さんの元に行ってくるからここで別れようと言うんですけど、その時ですね、おじさんと一緒にいるアオウグイスドリーですね、がその子供に語りかけるんですよね。
心の中に語りかけるようなイメージなんですけど、一緒に行こうと。鳥の心の声みたいな子供の声がかけられて。で、子供はですね、おじさんと一緒にちょっと旅に出るって決めてですね、家族に別れを告げようとしに行くんですけども、そこから家族団乱の光景ですね。
その弟がいるんですけど、お母さんお父さん弟が楽しそうにご飯を食べてる、自分がいないところで、そういう光景を見てですね、家族に声をかけずに黙って出て行くというですね、ことになります。
で、そこからですね、子供とおじさんと鳥の旅が始まって、山を越えて遠くの村にいるお客さんの元に行くと。で、そのお客さんというのが、とあるおじいさんなんですけども、そのおじいさんは涙を流したいのに泣けないでいたというですね。
だから、おじいさんから涙を買って、涙を買った涙で涙を流そうとしていた人なんですけども、子供はそんなおじいさんのところに行って、純粋な涙とは何なのか、あと子供はまた涙を流すことができるのか。
おじいさんにね、ちょっと泣いてって言われて泣けなかったんですけど、またね、涙自分は泣くことができるのか、というですね、その先のですね、子供とおじいさんの旅がどうなっていくのかっていうですね、ところが描かれる物語になっています。
これで半分ぐらいか。 もうちょっと、いや結構序盤の方ですかね。 序盤の方だけか。そっか、そうだよね。
そうですね。おじいさん。お客さんのおじいさんと出会うっていうところは、たぶん中盤。 そうね、そっからだよね。そっか、そうですね。
確かに。で、旅に出ますみたいなところは最初の本と、30ページぐらいとかですかね。
結構、あの話としてはね、たぶんね、すごいシンプルなんですよ。なんかそんなにつまずくようなところもなく、最後まで読んでいける話ですね。
ちょっと印象に残った話っていうところでいくと、純粋な涙ですよね、まずはね。
そうなんですよね。 このいろんな種類の涙があって、おじいさんが探している純粋の涙とは、っていうところはあるんだけど、これでもちょっとネタバレになっちゃうけど、まあいいのかな。
あれなのかな。まあ短いし、たぶん。子供が、まあこれは最終的にそのおじさんの前で涙を流すシーンはもちろんあるわけで、で、そこでおじさんがその涙を救って、結晶化させるんですけど、でもどうやらそれは純粋な涙ではなさそうなんですよね。
で、その時に、あのなんだっけな、鍛錬しなきゃいけない、なんだっけな、なんか時間が必要だみたいな話をするんですよね。
そう、そう。時間が必要。 そう、しかしそのためには、うん。しかしそのためにはまだ時間が必要なんだろう。君が鍛えられる時間があって、おじさんが言うんですよね。
だからまだ純粋な涙。これだから、なんかちょっとすごいこれもう核心に入っちゃっていきなりなんだけど、結構子供の涙だからこそ純粋なのかなって、なんか何もこうまだ経験もしてなくてとか、
こう、より無垢であるがゆえに純粋なのかなと思ったけれども、なんかどうやら何か経験をやっぱり経て、時間を経て、その末に出てくる涙が純粋な涙なんだなっていうのは、なんかこう最後に示唆されているから、そこで結構この純粋な涙っていうものに対するイメージが結構変わったのが、自分はこの本を読んでて、一番おおおって思ったとこですね。
これね、面白いとこですよね。その時子供がないと涙って、透明で不思議な光がなんか日差しに輝いていたような、ちょっと透明感のある涙だったんですけど、なんか純粋イコール透明ってわけではないんですよね。なんかおじさんが言うには、いやもっと色彩が必要なんじゃないかなと。
なんか怒りや恥ずかしさや汚さ、あと恐れとか。それぞれのやっぱりそういう感情とかには、なんか色があって、複雑な色合いが混じり合った時に、これが絵の具だったら色んな色が混ざることになるんですけど、色彩、色んな色彩の光が混ざると透明な色になると。
そこの色彩が混ざったような透明な色が、純粋な涙の色になるんじゃないのかみたいなですね。ここはなかなかおおおって思いましたね。
なんかすごい半岸さんの思想が出ている気がするよね。
あの面白いところで。
ここはなんか印象にも残るし、なんか考えさせられる部分。この純粋さとはみたいな、イノセンスって言っていいのかわかんないけど、純粋さとはみたいなところ。
そうですよね。確かにね。ただ何も知らない無垢な状態というわけではないっていう。そこがすごい弥々かったんですよね。
一方でこの純粋な涙と、もう一つ影の涙っていうのも。
そうですね。影の涙が出てくるんですよね。
これがどういうことかっていうと、人が自分では見えない涙っていうんですかね。
悲しかったりする時、泣きたくても泣けない時、自分では泣けないって思ってるけど、一方でその影の自分がいるとしたら、影の自分は泣いているみたいなですね。
そんな影の涙、まあ暗い涙っていうんですかね。
うんうんうんうん。
だからそんなのもあって、いやそこもねすごく話の中で面白いところで。
なんか影の涙はなんかすごい、この我々の影じゃない本体って言ってるのかなって言ってたら、影じゃない方っていうかね、の苦しみとかを全部引き受けてくれてるみたいな。
引き受けさせてしまったがゆえに影が泣くというか、ちょっと部分があるんですけど、それがゆえに本体が泣けなくなるっていう悪循環ではなくて、
なんて言うんだろうね、なんかこう留まってしまう感じがあって面白いですよね。
これラストあれなんですよね、もうちょっとさらっと今映画のネタバレをしてしまうことになるんですけれども、役所工事が泣くんですよ、なんでもないところで、それまでなんかね結構彼のなんか失ってしまったものとか、いろんな日常的なことも含めて彼の人生に起きたことがこういうことなんだろうなみたいなことがちょっと断片的に描かれたりとかしながら、
今の彼の生活っていうのがあの、描かれるんですけど、いやあの、なんかねあの涙の感じなんだろうなって思ったんだよね、このおじいさんの涙ってなんか、たまりにたばったものがバッて出てくるっていう
あのすごく、そのラスト、朝日?夕日どっちだったかな?に、あの高速道路でこの朝日か夕日にこう照らされながら、その車の中で泣く、運転しながら泣くんですけどタタタタ、っていうところで終わるんですけど、なんかそれを思い出したんですよね
あのこれすごいいいところだなと思っていて、このおじいさんが涙を買って泣くことができて、で涙を流すことによって気づきがおじいさんの中であって
あーね、そうそうそうそう。 まあちょっとやっぱりその晴れ晴れしい気持ちになれたっていうのもあるし、やっぱりその自分が流した涙には悲しいこととか嬉しいこととか感謝すべきことっていうのがいろいろ詰まっていて、人生の中にそういう苦しい時間もあれば平和な時間もこれだけあったんだっていうですね
それを本当深く感じることがあの涙を流すことでできたっていうので、でそれらを乗り越えてきた自分っていうのが今いて、自分がどれだけ強い人間だったかっていうのも分かったよっていうですね
話すところがあって、なんかそこがすごい良かったなと、なんかそのおじいさんがただ泣けなくて困ってるだけじゃなくて、まあ涙を流してそれですっきりしただけじゃなくて
涙を流して自分の人生ですね、やっぱりそれまでの人生を乗り越えてきた自分がいるっていうですね、なんかそこに気づけたっていうところが、でなんかこれ見てちょっとあのその回復する人間思い出したんですよね
あーなるほど なんかあれでしょうね、この
時期一緒なのか、その動きがずれてるか いやちょっとはね、どうなんでしょう、ずれてるとは思うんですけど
やっぱりその人の痛み、傷、まあそういうのを抱えている人ですね、がやっぱり回復していくっていうところをですね
小説回復する人間という短編集では描いているんですけど、結構このおじいさんもですね
なんかそういったところあるのかなと、この人生で追ってしまったこの痛みというか、傷というか、それは涙を流すことによって、まあちょっとね、そこに対しての回復できたところがあって、っていうですね
いやここはね、なんかすごくあのなんでしょうね、結構これ読んでやっぱり、このおじいさんにいろいろ感情移入してしまうところがあったんですよね
なんか今の大志さんが役所工事の映画の話をしているのを聞いて、ちょっとふとね思い出したんですけど
いやでもこの大人はね、やっぱこのおじいさんに投影しますよ
そうですね、いやほんとね、完全に裏主人公おじいさんになってましたけど
これは投影しますよ間違いなく
あ、でですね、このやっぱり童話のいいところだ、自動音楽のすごくいいところだなと思ったところもあってですね
これはそんなおじいさんに子供が出会った時ですね、おじいさんも全財産投げ出してもね、涙流したいって言って
でもちろんそのおじいさんですね、涙売ってるおじいさんはじゃあ涙売りますよっていうね、そういう話なんですよ、そこで子供が口挟むんですよね
どうしてそこまでして涙がかいたいのって、おじいさんに聞く場面があって、なんかこういうですね、ちょっとしたことかもしれないですけど
子供の疑問みたいなところが入ってるのもやっぱり自動文学のいいところなのかなと思って、大人同士だったら暗黙の了解っていうか
まあそこでもビジネスが成立してるんで、そんななんか理由とかって聞かずに商談成立で話進んでいきそうですけど
子供がいるとですね、そういった問いかけが生まれるっていうのはすごくいいなぁと思って
そうですね、確かにそうですね、うんうんうん、まあそうやって子供に質問されるとおじいさんもなんでそこまでして涙がかいたいのかっていう理由をですね
やっぱりポロッと話したりしてですね、まあそこでおじいさんのこの人柄というかそんなところも見えてきたりするんで
まあここはそうですね、この子供がちょくちょくする質問っていうのはやっぱり読んでいると、特に大人の読者やとね
結構なんか自分が質問されているような気がしてですね、いやなんかすごいそういうのは良かったところですね
そうですね、確かに、やっぱ子供のこのシンプルな問いっていうのは確かにハッとさせられるっていうのは、まあそのよくある構図ではあるけれども確かにここありましたね
作品読んでいてやっぱりね、ちょっと思ったのが自分が子供の時ってどういうことで泣いていただろうかっていうのもですね
うん、いや考えるよね そう考えてしまうんですけど、ここで記憶にあるんですよね、自分が本当になんか一番最初にこの意識して泣いたことっていう
泣いた記憶ってことだよね、一番最後の泣いた記憶ってことですよね 最初です 最初か最初か
そう、赤坊の時とかって記憶がないんですけど、幼稚園、保育園の時になんか記憶であるのが、一日中その部屋の隅っこの方で体育座りしてひたすら泣いてたことがあってですね
それは世の中の人が全て死ぬっていうのをですね、その日初めて知ってですね、人はみんな死ぬ運命なんだっていうか
それはですね、だから保育園のその上の学年の人に言われて、なんで僕ちょっと年齢その時わかんないんですけど、自分が4歳やったら5歳の人に言われたぐらいのことなんですけど、それが衝撃でですね
人みんな死ぬんだと、まあお母さんもお父さんもだし、っていうのでそれでびっくりして一日中泣いてたっていうのがなんか僕の記憶の中にある初めての涙です
それはだいぶショッキングですよね
そっか、でもそうだよね、自分の家族も含めていなくなるっていうのは、いつかいなくなるっていうのもこれも真理だから仕方ないけれども
その真理をね、多分ね、自分より一個か二個上の5歳ぐらいの子供に教えられてなくてですね
それもどういうテンションで言ったんだろうね、なんかね
そうですね、全くわかんないですけどね、だからこの時やっぱり大人になってるといろんなことを知っても、なんかその衝撃が柔らいだり、なんかクッションが入ったり、まあなんかするんですけど、やっぱ子供の頃に見るその世界ですかね
そこの、あ、世界ってこうなのかとか人ってこうなるのかみたいな、なんかそこの衝撃はやっぱ子供の時にしか感じれないものかなと思いますし
そうだよね、でもなんかこのあの涙の箱って出てくる子供は、なんか美しいものを見て涙を流したりするわけじゃないですかね
あの感覚って子供にはあんまないなって思って、今ちょっとずっと聞きながら
自分が子供の時何で泣いてたろうと思って、今ちょっとミエさんの話聞きながら考えてたけど、あの感覚ってなんかどのタイミングなんだろう、でもなんか高校生ぐらいで訪れそうな気はする、ちょっと
10代後半ぐらい、美しいものを見て涙をするみたいな
なんか言葉を失う感覚とかね、ある感じはある、美しいものを前にした時に
でもなかなかなか泣かないか その感覚、そうですね
なんかそれ聞くと、ちょっと自分に欠けているものかなって、いやこれはなかなか難しいんじゃないですか
多くの人にとっても欠けているものかもしれないです 美しいものを前にした時に
言葉を失う感覚はあるけど、それが涙にまでこう 辿り着かない
感情するの、やっぱりそのショックだったりとかなんかこう怖かったりとか、やっぱ泣くんだろうね
こう割とネガティブなこの揺さぶり ネガティブなのかどうかもちょっと悲しみが全てネガティブって
いう括り方はできないなとはちょっと思ってはいるけど ちょっと自分が子供の時に泣いた記憶っていうのがなんか今パッと出てくるのが
もうもっとなんかくだらないやつですね、なんか 何か落として割っちゃったとか
そういうのもいっぱいありそうですけど 怪我した時とかね
砂場で遊んでたらその中に何かねガラスが何かが混じっちゃってて すごい手を切ったとかね、まあすごいその時に母がすごい心配した変なことになった記憶も
あって、なんかすごい泣いた記憶はあるけど、とかそんな感じになっちゃうんだよ でも多分これ読むとそういうこと考えるよね、涙って何だろうとか
どういう時に泣くんだろうとか うん
あとはなんか悲しいこともあれば嬉しいこともあるとか、感謝とか あ、そうですね