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2024-07-15 1:05:00

第161回 傷ついた者たちへの鎮魂曲『少年が来る』ハン・ガン著

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【今回の紹介】 『少年が来る』ハン・ガン著、井出俊作訳、クオン https://chekccori-bookhouse.com/product/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%8C%E6%9D%A5%E3%82%8B/9285/ . パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。ぜひお聴きください! . 【今回の内容】 「別れを告げない」と続けて紹介/光州事件を知らなくても読める/語り手に感情移入してしまう/著者&作品紹介/歴史的事件と個人の人生が重なる/語り手たちの証言によって描かれる光州事件と人々の尊厳/「新訂 世界文学からの招待」(放送大学教材)を参照/願いが込められた美しい語り/世界の見方を更新してくれる一冊/ハン・ガンさんの苦しみを共有するような読書体験/ストーリー紹介/各章とエピローグについて/ラジオのストーリー紹介は読むための補助線みたいなもの/次回予告

・ ーーーーーーー 版元サイトより ーーーーーーー 『菜食主義者』でマン・ブッカー国際賞に輝いた、ハン・ガン渾身の物語
あの光州で起きた民主化運動の鎮魂曲
光州民主化抗争から約三十五年。あのとき、生を閉じた者の身に何が起きたのか。
生き残った者は、あれからどうやって生きてきたのか。
未来を奪われた者は何を思い、子どもを失った母親はどんな生を余儀なくされたのか。
三十年以上の月日を経て、初めて見えてくるものがあるーー。
丹念な取材のもと、死者と生き残った者の声にならない声を丁寧に掬いとった衝撃作。 . 【お知らせ】 Amazon Audible限定配信のPodcast番組「ゆかいな知性 文学編」にダイチがパーソナリティとして出演いたします!トーク形式の番組で、ダイチのお相手となるのは彗星読書倶楽部の森さんという方です。初回放送は12/8(金)で、今後半年間、毎週金曜日に文学編が配信されるので、Amazon Audibleを聴ける方はぜひお見逃しなく! . 【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】 声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【番組へのお便りはこちらから!】 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/a569tyUhMDDaCXGF8 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【メルマガ会員募集中! 】 毎週土曜日朝7時に配信! 無料版は本編エピソードには収めきれず、泣く泣くカットした部分を聞いて頂ける内容になっております! 有料版は我々2人に対しての応援・支援をしたい!という想いを持って頂ける人を対象に、月額500円のサブスクをご用意。ささやかな御礼として編集後記という配信後の感想などをお送りします。なお、こちらに有料登録して頂いた方々を我々はサポーターと呼ばせて頂いております。 どちらも theLetterというニュースレター配信サービスを使わせて頂いております。最初は無料購読登録から始まりますので、是非気になった方はまず無料登録を! ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://radiocatwings.theletter.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ※登録されると確認メールが迷惑フォルダに入ってしまう可能性がございます。すべてのメールをご確認ください。 ※もちろんサポーターとしてご支援頂かなくても、Podcastを聴いて頂けるだけでも本当に嬉しいです。 【文学ラジオ空飛び猫たちとは】 硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。 案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ 京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ 文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、 読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます! 毎週月曜日朝7時に配信しています。 【SNSでご投稿ください】 番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください! よろしくお願いします! ■twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/radiocatwings⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com ■ダイチ「小説家が好き!の会」 Twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/welovestory ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■ミエ「羊をめぐるカフェ」 Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://twitter.com/hitsuji_meguru ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ #本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック


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韓国で起きた公衆事件を、その時に死んだ少年2人と、その後生き残った者たちの視点から描いていく。
取材によりゆきぼりになるのは、当時の暴力や、今なお言えない傷だけではなく、人間が人間であるということはどういうことなのか。
作家ハン・ガンの、覚悟が滲む、少年が来るを、今回は紹介します。
どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな2人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私ダイチとミエの2人でお送りします。
文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ハン・ガンの少年が来るです。
井出俊作さん役で、クォンから2016年に出版された本になります。
今回はですね、来週もハン・ガンさんの別れを告げないを紹介する予定なんですが、このエピソードと来週のエピソードはちょっとセットで聞いてほしい内容になるはずなので、ぜひ来週も意識しながら聞いていただけると嬉しいです。
まずどうしよう、ハン・ガンさんといえばってところだけれども、韓国を代表する現代作家の一人というか、もうおそらく韓国って今一番一線の方だなっていうのは、たぶん我々のラジオを聞いてくれたり、海外文化詳しい人だったら思っていただけると思うんですけれども、
そのハン・ガンさんのですね、少年が来る、こちら今回ご紹介させていただくんですが、結構重い内容だっていうのはかなり前から聞いていて、
私はずっと詰んでいて、正直ちょっと避けていた本になってます。で、別れを告げないを紹介しようと思ったので、ちょっとこれを読まないと紹介できないんじゃないかなっていうのをちょっと思ったので、今回重い腰を上げて読ませていただきました。
で、私はこれにて別れの告げないも読んでいるので、来週紹介しますので、日本で発刊されている単行本は全て読んだ形になります。なんかあれだね、このラジオでも初回がね、我々のこのラジオの初回がギリシャ語の時間でハン・ガンで始まっているんで、なんか全部読んじゃうとラジオ終わっちゃうんじゃないかっていう、
ちょっと思いもありつつ、なんかにも加えて非常に重い作品2冊なので、ちょっといろんな覚悟がいる中で今回は紹介するかなと思っております。で、まず今回の少年が来るに関しては、別れも告げないも韓国で起きた大きな事件を題材にしてるんですけれども、少年が来るも韓国で起きた大きな事件を題材にします。
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で、ちょっと日本語読みになっちゃいますが、公衆事件ですね。公衆事件と呼ばれる事件を題材にしております。私はですね、公衆事件についてほぼ知識なく少年が来るを読み始めました。で、まあこんなことがあったんだろうなっていうことをこの本を通して知っていき、かなり衝撃を受けています。
で、あの公衆事件調べればいろんな情報出てくるし、ちょっと読み終わった後、読みながらも途中ちょっと調べたかな、知らない人にはこう知ってもらえるような内容の1冊ではあるのは間違いないので、この本を通して隣の国である韓国、しかも日本の影響も起きている韓国がどんなことがあったのかっていうのを知れる1冊ではないかなと思います。
で、実際にはですね、小説の作りとしては、この公衆事件の犠牲者であった1人の少年を通して、通してというか関してかな、様々な角度からちょっとこの事件に関してとか、この少年に対しての思いが描かれる小説になっていて、かなり重層的な作りをしているかなと思います。
僕も少年が来るはつんどくしていてですね、いつか読みたいと思っていたんですけど、なかなかちょっと内容がハードだっていうのは聞いていたんで、ちょっと読むタイミングを伺っていたんですけども、今回ちょっと別れを告げないと一緒に読むことになってですね、やっぱり最初から聞いてはいたんですけども、内容は結構ハードでしたね。
公衆事件というのが公衆の民主化運動にはなるんですけども、その民主化の動きを軍が、軍事政権ですね、軍が潰してしまうということで、やっぱり人がどんどん殺されますし、かなり残酷であるというですね、そんな描写も本当にたくさんありますし、かなり読んでいてきついところはあったんですけども、
ただ各省の語り手、6人いるんですけど6省で、その人たちの語りにすごく引き込まれて、これは結構残虐な話だなって思う一方で、語り手の人たちのその人間味というかですね、なんかそういったところにどんどん感情移入をしていくところもあってですね、かなり飲み込んで読むことができました。
で、これは飲み込んでしまうとですね、本当に1週間ぐらい、もうそのこの少年が来るの世界の中に自分が入ってしまったような感覚で、ちょっと頭の中がもう公衆事件のことばっかりになってしまってですね、もうなかなか抜け出せないような本だったんですけども、それくらいかなり引きのある本で、読むの大変ではあるんですけども、ただ読んだらですね、もうすごくちょっとそこからかなり考えさせられるものであったり、
もう想像させられるところがあった本でしたね。
そうですね、もうみなさんおっしゃる通り、この空気というかね、うまく言えないけど、読んでる時から感じたけど独特の引力がある本で、こう実際にやっぱりこれはあったことなんだっていうことがこうちらつくと、もうなんか自分の中でこうもやもやというか何かが渦巻く小説なので、
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まあちょっとそのあたりも空気感も今日含めて伝えることができたら非常にいいかなと思っているので、ちょっと先に進んでいきましょうか。
まあその具体的に入る前にですね、一応半岸さんのご紹介をさせていただきたいと思います。
半岸さんはですね、我々のラジオでもたびたびご紹介しておりますので、気になった方は各エピソードを聞いていただきたいんですが、1970年甲州に生まれています。
今回題材としてメインになっている甲州ですね、甲州の生まれです。
その後ですね、ソウルに彼女は引っ越してはいるんですけれども、1993年に文学と社会という雑誌かな、日誌が掲載されて、あと短編小説赤い怒りで、これが文芸賞かな、を取ってデビューしています。
最色主義者で韓国最高峰の文学賞である伊山文学賞を受賞しております。
この小説でですね、アジア人で初国際物価賞を受賞しています。
2017年には少年が来るでイタリアのマラパルテ賞を受賞、23年来週紹介する別れを告げないでですね、フランスのメディシス賞を受賞しているというところになっております。
これも韓国人として初受賞ですね。
という韓国においてはですね、数々の賞も受賞しておりますが、間違いなく韓国文学のトップを今走っている方かなと思います。
じゃあもう行きましょうか。具体的に作詞紹介入っていきたいと思います。
少年が来るなんですが、まずはんもとくんさんのホームページから引用した文章を読み上げたいと思います。
国際色主義者で満物価国際賞に輝いた半顔渾身の物語。あの公衆で起きた民主化運動の鎮魂曲。
公衆民主化構想から約35年。
あの時生を賭ちた者の身に何が起きたのか。生き残った者はあれからどうやって生きたのか。
未来を奪われた者は何を思い子供を失った母親はどんな生を余儀なくされたのか。
30年以上の月日を経て初めて見えてくるものがある。
丹念な取材の下、死者と生き残った者の声にならない声を丁寧に救い取った衝撃作となっております。
いやまさに端的に表している作品で、読んでからですね、このあらすじを読むとですね、かなり込み上げてくるものがあると思いますね。
そうですね、このハンガンさん、韓国のトップを走っている作家さんで、
文化国際賞をもとった方ですけど、その人が、本当に韓国の無歴史的な時代事件を描いているっていう、ある意味ちょっと国家の闇に触れるようなことをしていると思うんですけども、
そういった作品を発表しているというのはかなりすごいことだなと思いますね。
なんかね、ちょっとネットで調べていて、記事か何かでちょっと読んだのが、再職主義者で文化国際賞を取った時に、
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世界に向けて、この作品より少年が来るの方を読んでほしいっていうのをですね、メッセージとして発せられたというようなネット情報でちょっと見まして、
それくらいかなり、このハンガンさん自身も相当な、取材もされて描いていますし、重い作品だなと思いますね。
ではですね、この作品の特徴というところを触れていきたいと思います。その後ですね、ストーリー紹介していこうと思っています。
まずこの少年が来るの特徴としては、韓国の歴史、公衆事件と個人の歴史、今回各省の語り手がいるんですけども、その人たちの人生というものが重なるような構成になっています。
公衆事件というのは、さっきの大地さんの紹介文の中でも、韓国民主化の転換期となるような歴史的大事件だったんですけども、
その出来事に巻き込まれた人々、語り手たちの歴史ですね、そこがまさに重ね合わされているというようになっています。
ちょっとここで公衆事件について軽く説明したいなと思います。1980年5月16日なんですけども、
当時、チョン・ドファン大統領と軍事独裁政権が、軍事体制、軍事政権だったんですけども、そこに抵抗して展開された民主化運動のシンボルとされています。
当時は軍事政権だったんで、それに抵抗するということで悪者扱いされていたんですけども、今では韓国の民主主義の根幹に直結している。
ここの公衆の部隊も韓国民主化の聖地とされているとなっています。残虐な出来事が起きていったんですけど、それは軍による市民虐殺というのが行われていました。
記録では死者70名とかですね、そういった記事もあったんですけども、それは認定されたものをですね、その法律とか、
実際行方不明者は400名以上いるということで、じゃあ本当の死者って500人以上600人ぐらいいるんじゃないかとかですね、ちょっとそんなことも読めてしまうような、
いろいろな記事はあるんですけども、実際の死者、国が認めている死者の数よりも行方不明者がたくさんいるというですね、現在もそういうような状況になっています。
当初はその事件が起きた時ですね、軍事政権だったので情報統制がされていて、なかなかその本当に軍が市民を虐殺していくんですけども、なかなかその実態が周りというか、
その韓国の中でも伝わらずに、これはもう北朝鮮のスパイのせいだとかですね、そういうルフをあったとかですね、とかあと公衆というのが南部になるんですけども、韓国の中でも、
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北部と南部の格差というのも当時あって、北部から見て南部への傾斜があってというので、同じ国なんですけども、ちょっとその地域の差、南北で南が軽く見られていたとかですね、
そういったのもあったみたいで、そういったいろいろな要素が重なっていたみたいなんですけども、とにかくですね、この甲州、南部の方ですごい悲惨な出来事が虐殺が起きたという、そういう出来事になります。
で、阪元さんが甲州出身ということで、10歳で引っ越しするまで甲州に住んでいたと。で、この甲州事件が起きたというのが引っ越ししてから数ヶ月後になります。
今回モデルとなった少年がいるんですけども、この小説の中で、トンホという名前の少年で、実はその少年が阪元さんが引っ越しをして、阪元さん一家が甲州から引っ越して開いたその家に住んでいた少年なんですね。
これがかなりびっくりしたんですけども、で、もしかすると阪元さんが引っ越しをしなかったら、その少年は自分だったかもしれないとかですね、そんなことまで考えさせられるようなことで、もうかなりですね、この阪元さんにとっても本当にもしかしたら自分だったかもしれないっていうですね。
本当にそういったかなり突き詰めて、この甲州事件に向き合って書いていたと思われる。そういうすごい韓国の大きな歴史的な大きなものと、その個々人の何かその人生が結びついていくっていう、そういった話ですね。
そうですね。甲州事件自体、1980年って聞くとかなり最近だなって印象を持つと思いますし、とはいえ45年くらい前かのことになってくるので、ちょっとイメージができる世代とできない世代が多分いるだろうし、我々なんかはねちょっとまだ生まれてないので、どういう状況だったのかなってもう想像するしかないんですけれども、
ちょっと我々より上の世代の人はもしかしたら幼い頃ちょっと知っているような事件なのかなってちょっと思ったりもします。内容はかなり残虐というか残酷で、本当この当時もし自分がこれをテレビやニュースなんかで見ていたら、どんな気持ちになったんだろうってちょっと思ったりしてしまうし。
まあ今もねいろんな事件が起きてるんであれなんですけれども、つながる部分は絶対あるんですけど、説がこぼるような話だったなと思ってます。そしてこのハンガンさんにおいてはですね、本当に他人事ではない事件なんだなっていうところ。これが大きなハンガンさんにとっては自分の人生において大きな意味を持っているんだろうなというのはちょっと思いますし、場合によってはこのタイミングが悪ければ巻き込まれていたっていうところでなんかすごく考えてしまうと思うし、
これは人為的なものですけど、天災も多分そうだと思うので、例えば我々とかで言うと東日本大震災とかちょっとしたことで現地から離れてた人とか多分いると思うので、全然人が行ったこととどうしようもない災害とはちょっと比べることはできないけれども、なんかこういろんなことを多分重ねて考えてしまう人はいるんだろうなとはちょっと日本においてはいると思いました。
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ちょっとそんなところですが、自分で会ったかもしれない少年っていうのを描いている。ちょっと後でも話しますけどプレッシャーもあったんだろうなというところはすごく感じる一冊です。
次のですね、この作品の特徴に移るとですね、登場人物たちの証言によって公衆実験が描かれているという点になりまして、証言をする人が正午後には6人語り手がいるんですけども、
ここでですね、説明するのに参考資料としてですね、放送大学の教材で新帝世界文学への招待という本がありまして、ちょっと僕がたまたまそれを持っていてですね、その中で斉藤麻里子さんが公衆実験を描く半顔の少年が来るを読むというですね、
章を書かれていて、この少年が来るのを読み解いているような章になるんですけども、さっきのですね、この登場人物たちの証言によって公衆実験が描かれているっていうのが語り手がいずれもこの公衆実験の犠牲者であって、
中には生きて、死んでいる人もいれば生きている人もいるという状態なんですけども、6人が女性、子供、弱い男性というですね、ちょっとその当時の立場の弱い人たちが語り手とされていました。
で、そういった登場人物たちの声を通して、この公衆実験の残虐性というのが明らかになっていくという一方で、犠牲者となった人々の人生、その人間味というかですね、そういったところも浮き上がってくるような、そういう描かれ方がしています。
あの、なるほど。ちょっと私その世界文学への招待、今めちゃくちゃ読みたくなったんですけど。
僕はね、ほんとたまたま持ってて、まあつんどくしてたんですけども、今回。
ああ、あのそうな。
今回はそこの斎藤真理子さんのところだけ読みましたけど。
うんうんうんうんうん、そうですね。あ、で斎藤真理子さんは韓国文学の翻訳度を非常に手掛けていらっしゃる方で、日本において多分韓国文学の翻訳ではトップの方ですね。
次の、わかりにつけないもん、斎藤真理子さん役ですからね。
われわれの一番最初のギリシャ語の時間も斎藤真理子さんが役されてますし、
まあ、われわれが紹介してきたハンガンサの話はわりと斎藤真理子さんが役されているものが多いかなと思います。
この章ごとに6人登場するっていうところなんですけれども、その公衆事件をこの6章で語っていくんですけれども、
その中でですね、やっぱりこの日常の延長にあったっていうこととか、あと学生のデモだと思っていたら、どんどん市民を巻き込んで大きな事件になっていくっていう様子が描かれてきます。
個人的には結構この展開の仕方、描き方で惹かれたというか、すごく日常の延長にあったんだろうなって思うところは、第1章だったかな。
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主人公の中学生が家に帰った時に、お父さん、もうあれですよ、公衆事件が起きて人が死んだりしている状態の時なんですけど、
家に帰った時にお父さんが腰が痛いとかで、ちょっと踏んでくれみたいな、いつもみたいにみたいな感じで踏むシーンがあるんですけど、
こういう日常生活っていうのがありながら、本当その横でこの事件が起きたんだなっていうのをちょっと感じるシーンがあって、
まだまだ自分、確か結構冒頭の方というか最初の方だったので、自分はまだこの公衆事件っていうのがまだ全貌も見えてきてないし、
どういうものだったろうという気持ちで読み進めていた時にそういうシーンがあったんですけど、本当に日常の延長だったんだろうなとちょっと後から読んだことを振り返って思ったりもしました。
気づいたら膨れ上がっていったっていう多分事件だと思っていて、世界的な事件っていうのは多分急に始まったように見えても多分徐々に徐々に大きくなっていくものっていうのがやっぱりあって、
印象としては急に起きたと思ったとしても、やっぱりちっちゃいところが始まって膨れ上がっていくんだろうなっていうのはなんとなくイメージさせられる6章であったなと思います。
もちろんその後ね、気づいになって残ってしまっている部分っていうのも描かれていくので、すごく重層的な作りをしているなと思いました。
確かにまさか日常の生活とかが描かれてますから、そこからまさかそんな展開になるとは結構そういう印象がありましたね。
最後のですね、ちょっと特徴を触れていきたいなと思います。これも証言ですね。
登場人物たちの証言を通じて一人一人の尊厳を描いているという点になります。
これもさっきの参考資料ですね。この放送大学の世界文学への招待で斉藤茉莉子さんが書かれていたことからの引用になるんですけども、
この犠牲者であった人々がどのように公衆事件に向き合っていたかっていうですね、そこを描いているという点が非常に重要であるかなと思われます。
今ちょっと犠牲者という言葉を僕使ったんですけども、この半岡さんがこの公衆事件を取材して、登場人物の視点を通じてその証言を書いていって、
その人物の本当の中に入って、想像力を膨らまして書いていってですね、最終的に半岡さんがこの登場人物たちを犠牲者だと思っていたということに対して、
それはもう自分の誤解だったということに気づくというですね、実際ちょっと終盤の方でそういう描写があります。
で、彼らは犠牲者になることを望まなかったためにそこに残ったとですね、結論付けていて。
で、この作品、少年が来るという作品は、公衆事件の暴力性を描いただけじゃなくて、人間が人間であるゆえんを求めた点もこの作品の大きな特徴であるというですね、
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そのような読み方ができます。なんで公衆事件を扱った他の作品、韓国にいろいろあるんですけども、そうした作品とかとはちょっと一線を隠す作品になっているというですね、
ちょっとそのようなのが大きな特徴かなと思われます。で、もう一つちょっと使い加えると、今の話で一人一人の証言を描いているというところに関連もしてるんじゃないかなと個人的に思うところがあって、
この登場人物たちの語りにはもうそれぞれの願いというのも宿っていて、少年だったら一生女の子を抱きしめたかったなぁととかですね、ある登場人物は忘れられない人がいて、
ちょっと会いに行こうとしたり、忘れられないというのはその愛情もあれば憎しみもあればみたいなですね、ちょっと複雑な感情が含まれているんですけども、
じゃあ会ったらどういう言葉をかけようかというですね、そういったのも願いかなと思っています。で、あとはそのお母さんが死んだ息子に呼びかけたり、
その息子の記憶をたどったりするというですね、そういったのも願いかなと思います。そういった願い含めての証言というのが語られていくので、すごく文章がですね、
祈るような言葉というのが所々織り混ぜられていて、すごく詩的で、これは半岡さんの文章の特徴でもあるんですけども、詩ですね、詩的で、
美しさも備えている語りとなっていると、すごく骨太な作品ですし、残虐な描写とかもあるんですけども、一方でそうしたですね、人の願い、祈り、
そうしたものが言葉として表現されている美しい語り、文章もあるという点もですね、そこも何かその人の尊厳というかですね、
何か美しさみたいなところを表しているんじゃないかなと思いましたね。そうですね、ちょっとさっきの話とも絡んじゃうんですけど、
本当この一人一人の語りがあるから、すごく立体的に浮かび上がってくるので、それが何でしょうね、具体性をすごい帯びているので、
例えば一人の視点から語る物語っていうのはあると思うんですけど、それももちろんできると思うんですけど、
この一人一人の何ていうかこの切実さみたいなものが多分読み手に一つ一つ引っかかってくるし、忘れられないものになっていくだろうなと思います。
正直6章あって自分の中でどういうふうに落ちていくんだろうなとか、ちょっと思いながら読んでました。
本を読んだ時に全部が全部すごく強く残るわけではないので、例えばこの章はもしかしたら全く残らないかもなとかちょっと思ってたんですけど、
この後ちょっと各章の話をしていきたいんですが、何かしら残るシーンがやっぱりあって、
それって傷とか痛みとかそういう言葉にしてしまうと、すごくチープというか捉えやすいものになっちゃうと思うんですけど、
なんかこの人生の中に公衆事件というものがあって、それによって自分が受けてしまった影響とか揺さぶられてしまったものみたいなのが、
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それぞれの登場人物の中にあって、それがやっぱり語られるから、我々は知らなくても受け止めることができるなと思っていて、
それをこの作品はすごくうまく届けてくれてるなと思います。
やっぱり半田さんは詩人なので、もともと詩人の詩を書いていた方なので、文章が非常に詩的で美しいというところも届きやすさを生み出している要因だなと思いますね。
そのところでストーリー紹介、6章の話をしていきたいんですが、その前に結構細かい話をこれからしてしまう可能性もあるので、
ざっと最後まで読んだ感想をこのタイミングでお伝えできたらなと思います。
とはいえちょっと私はですね、さっき自分で版元のあらすじを読みながらなんかすごいこみ上げてくるものがあって、
ちょっとこれ正直貼り付けてあって、台本に貼り付けてあって、読んでなかったんですね。
読んだ後ちょっとうううってなっちゃってどうしようと思ったんだけれども、やっぱりそれぐらいやっぱりこの読むとさっき話した通りちょっとしたシーンがですね、チラチラチラチラ頭に残ってきますね。
もちろんこの版元さんの覚悟、エピローグで語られる部分ではあるんですけれども、この話を書こうっていうところの覚悟っていうのはすごく感じるし、
本当にこの6章の花が咲いている方にっていうところ、これ母親の話なんですけど、1,2章なんですけど、なかなか迫ってくるものがあって、
少年というか息子をね、永遠に失ってしまったっていう話なんですけど、
もちろん公衆事件を描くってなった時に、残虐さとか残酷さとか悲しみ痛みっていうのはもちろん描くことになると思うし、もちろんそれをテーマにしていくと思うんですよ。
でもそれに対してこのアプローチっていうのはもう本当なんていうか、諦めてない感じをすごく感じて、
版元さんが伝えようとしていることを諦めずに届けようという努力というか、力の限りを尽くしている感じをこの小説からは感じました。
これがやはりまだまだ引っかかっていて、来週紹介する別れを告げないにつながっていくんだなっていうのをすごく感じたので、
もちろん作家の思いっていうのがあって、本っていうのが生まれてくると思うんですけれども、きっとこれを読んだ人たちの中には、
多分というか間違いなくですね、いろんな広がり方をするし、世界の見方っていうのを更新してくれる一冊だなと思いました。
てことですかね。
いやー。
いやーでも三枝さんの方が多分いろいろ、一週間も。
そうです、なかなか読んだ後、この話が抜けなくて大変でしたけど、
僕もやっぱりこの6章のお母さんがちょっと亡くなった息子について語る章はやっぱりちょっと泣きましたし、
それまでの6章はすごい感情移入はしてたんですね。
読んでいていろんな感情が読んでいると出てきましたし、最後エピローグで半顔さんが自分について書いていて、
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というのも6章まで読むと小説でフィクションでもあるんですけども、エピローグを読むといやこれは実話だったんだっていうのをですね、
改めてやっぱり思い知らされましたし、6章まで読み終わったのとエピローグを最後読み終わったのではちょっと印象の変化はありまして、
なんかこのただのちょっとひどい話だった、最後は感動したで終わる話じゃなくて、
この韓国という国家とは何なのかとかですね、かなりそこについて問われているなと感じましたね。
半顔さんも苦しみながら書いていて、実際このエピローグでもこの悪夢を見るようになったとこのために資料を読んで読み込みをしていたりしたら、
悪夢を見るようになってちょっとこれ以上続けられなくなったっていうので、かなり苦しみながら書いていた話で、
半顔さんのこの表現力なので、やっぱりこれはちょっと読むとそれだけのちょっと何て言うんですかね、半顔さんのちょっと苦しみの一部も共有したような感覚になってですね、
ちょっとその大変さまであったんですけども、そんなところですかね。
じゃあちょっと重いあれですが、一章一章ちょっと見ていきたいと思います。結構長くなるかもしれませんがちょっといきましょうか。
ここからこの作品のストーリー触れていきたいと思いますね。6章あるんでね。まずちょっと一章目ですね。これは1980年、公衆ですね、公衆事件が起きたその時期の話なんですけども、
この章の主人公は敦保という少年になります。まだ中学生で。公道、公道というのが何ですかね、体育館みたいな、ちょっと違うかもしれないですけど人が集まれるような場所。
そこで28人の犠牲者の追悼式があって、参列します。その犠牲者というのはもうすごい無語り姿をしていて、銃で撃たれたり刺されたり、すごいひどい死に方をしている人たちのそういう姿を物語りにして、
しかもその当初は公道ではなくてこの道庁、市役所的なところですかね、住民家窓口の廊下にこの死体が横たえられていたっていうですね。
そんななかなかいきなり悲惨な場面から始まります。それが公衆事件というかですね、今回のこの難民主化運動でのと、それを弾圧する軍とのやり取りで生じた犠牲なんですけども。
この少年のトンホは当時女子高3年生のウンスクというお姉さん、年上の女性ですね。ウンスクさんとブティックの裁縫師をしていたソンジュという女性。この2人と一緒に死体の身元確認とか、ちょっと身元をきれいにするような、そういった手伝いをするようになります。
トンホがこの死体の身元情報というんですかね、そういった記録を神に書いて、それをチンス、チンスというですね、ちょっと年上のお兄さんが受け取って、それを道庁の正門に張るというですね、そんなことをしていました。
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ということでトンホ、中学生なんですけど、そういう犠牲者たちをほっとかずに身元を整理するようなですね、ちょっとそういったお手伝いをしていました。ここではウンスク、ソンジュ、チンスというですね、もうちょっと他にもメンバーいたと思うんですけど、その3人と一緒にやっていたと。
で、トンホが何でそんな場にいるのかというとですね、友達のチョンデですね、を探していたと。で、そのトンホとチョンデは一緒に外に出ていて、駅前歩いていたらその軍隊がちょうどですね、この弾圧をしているところに出くわしてしまって、で、もうすごいもうそこで暴力というかですね、殺戮が起きてしまって、で、トンホとチョンデが離れ離れになってしまうと。
これが結構その市民の人たちを巻き込んだ虐殺だったんですけども、それでトンホはちょっとチョンデと離れ離れになったんで、もしかすると亡くなったかもしれないというので、ちょっと死体を身元確認するような、そんなお手伝いをして、そこに残るようになります。
トンホはもういろいろ考えてしまうんですね。このチョンデにはお姉さん、チョンミというお姉さんもいて、で、チョンデチョンミはこのトンホの家に居候をしていて、すごい貧しい生活をしているんですけども、すごく頑張って生きていると。
お姉さんのチョンミも夜勤の仕事とかもしながらも、中学校卒業認定試験をトンホから教科書借りて、試験合格を目指そうとしていたりですね。そういったのを目の当たりにしているので、トンホもこの2人のことをすごい、2人がちょっといなくなってしまって、ちょっと探しているんですけども、で、その2人のことをすごい考えてしまって。
というので、ちょっとトンホもこの2人をいなくなってしまって、そのまま家に帰るわけにはいけないという、ちょっと罪悪感みたいなものを抱えていて、で、トンホの両親は外危険だから出歩くなとトンホに言うんですけど、ただトンホはやっぱりこのチョンデとチョンミ、この2人やっぱり気になってしまうんで、見つけるまでなかなか家に帰ることもしづらいというので、で、トンホがチョンミですね、そのチョンデのお姉さんに似たような人がちょっと死体で出てきて、
これはチョンミ姉さんかもしれない、いやでも違うかもしれないとかですね、そんないろいろ葛藤はあります。で、その日の夕方にですね、ちょっとその行動というか、あそこに軍が突入してくるから、危険だから帰りなさいと言われて、で、お母さんからも一緒に帰ろうって言われるんですけど、ただトンホはちょっと後で帰るって言って、その場に残ってしまうと。
で、トンホは本当は帰ろうとしたんですけど、ちょっとある偶然のいきさつがあって、ちょっとその場に残ってしまうというですね、そんなのが第一章ですね。
そうですね、ここでもすでにあの死体が転がっているっていう状況が描かれるんですけれども、その死体の状態のことなんかも結構ですね、具体的に詳細にとまではいかないかもしれないけど、かなり具体的に描写されるので、かなり残酷なことが行われているっていうのがわかりますね。
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そうですね、ちょっと頭がね、砕けてるとかね。
だからそう、身元確認できるのか、これっていうね、状況ですよね。
これ、まず第一章読んで、これ本当の話なのかなって最初やっぱりちょっと思ったんですよ。
なんか、ほんまにこんな市役所みたいなところに死体が転がっていたのかとかですね。
それをなんかお手伝いの方がね。
一般人ですもんね。
担当してるっていうかね、なかなか異様な光景だなっていうのはちょっと思いましたよね。
そうですね、なかなかどういう状況なんだろうってちょっと思うような。
で、この一章に出てきた人たちがだんだんこの後、二章以降ですね、語り手としても出てきます。
そうですね、行きましょうか。
行くとですね、次の語り手はチョンデになります。
トンホが探していた友達、少年ですね。
で、このチョンデがもうすでに亡くなっていてですね、幽霊みたいなもんですね。
魂というか、霊になった状態で目覚めて、そしたらもう周り死体だらけで自分も死体になっていたっていうですね。
そんなところから始まります。
チョンデはトンホと一緒に外で歩いてたんですけど、一緒にいるときちょっと軍に襲撃されて亡くなってしまったという状況で。
で、チョンデは16歳なんですけど、なんで自分と。
で、チョンデはこの幽霊になって他の人が生きているか死んでいるかみたいなものも感覚的にわかるようになるんですね。
で、お姉さんについて考えたときに、お姉さんもすでに亡くなっているっていうのに気づいて、で、なんで自分とお姉さんって殺されたのかっていうのを問いかけます。
だし、あとこの死体の塊、この死体の塊っていうのが本当にたくさんの死体があって、で、なんかそこは一人一人の人っていうよりかはもう固まりみたいになっていたっていうですね。
そんな状況で何なのかっていうのを解いたりもしていきます。
で、お姉さんとの回想とかもあったりするんですけども、ちょっと現在の話に戻すと、このチョンデの死界にはどんどん死体が増えていって、
その死体も時間が経つと腐敗していって、で、やがて軍の人がちょっと入ってきて、この死体を燃やしていきます。
で、死体が燃やされた後、このチョンデは肉体から解放されたような感覚になって、どこにでも自由に生きるようなそんな感覚になるんですけど、
そこで敦歩の元に行こうとするというのをですね、それが第一章の話ですね、ざっくりとですけど。
そうですね。で、この魂の描写というか、このチョンデの状態っていうのが結構ですね、イメージできるようなぐらい、
あの描写がうまく描かれていて、魂ってこういうものなのかみたいなのがちょっと印象付けられたりします。
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で、やっぱりこう死んだらこういう状態になるっていうのを仮定したとしたら、
公衆には本当どれくらいのこういう魂がこうさまよっているんだろうと想像してしまうようななんか章でしたね。
やっぱりあの半岸さんは魂というものをすごく大事にするというか、多分魂というものがあると信じている人なんだろうなって、
ちょっとこの章を読んだ時に改めて思いました。
これは別れを告げないにも通じるし、あと全ての白い者たちのという、
エッセイなのか詩なのか小説なのか、何とも言えない作品が一つあるんですけれども、
そこにもちょっと通じるような内容だなと思っていて、
やっぱりこの半岸さんはおそらく魂の存在を信じている。
だからこそ何かを生み出そうとしているっていうのをちょっと感じる章でもあったところですね。
僕はこの2章はやっぱりこのチョンデがお姉さんですね、チョンミに対して思い馳せるところはやっぱりかなりちょっとグッときてですね。
この第1章でチョンデとチョンミの話って出てくるんですけど、
最初にこの小説に感情移入できたのはそこで、
この第2章でもチョンデがお姉さんのことをちょっといろいろ思うんですね。
このお姉さんというのがいつも夜勤から帰ってきたら冷めたご飯と水を混ぜて食べているっていうのをですね、
それをネタフリしてお姉さんがご飯を食べているのを見て、
いつもその冷めたご飯と水を混ぜて食べているってここだけでも大変な話ですけど、
そんなお姉さんもさらに弟に気づかれずに勉強をしようとしていたとかですね。
そんなことも第1章でわかってますし。
で、このチョンデがお姉さんがちょっと黒板消しを好きだろうというですね、
ちょっと子供ながらのそういった考えで学校の黒板消しを持ってきて、
お姉さんが家に帰ってきた時に黒板消しが家にあるっていうのを気づいて、
ちょっと笑うっていうですね。で、それを見ていたっていうですね。
なんかそんな描写があって、そういうところとかすごいね、もう心を揺さぶられるところがあって、
そういう意味ではこの2章は結構ね、なんか読んでるとかなりある意味きつい章でしたね。
次ですね、3章は主人公が小さな出版社に勤めるキム・ウンスクという女性になります。
このキム・ウンスクというのは1章、トンホの章に出てきた当時女子高3年生だったウンスク姉さんと呼ばれていた人で、
社会人になって今小さな出版社に勤めているんですけど、
そんな彼女がですね、思想犯の使命手配中の男と繋がりがあると疑われて取り調べ中にビンタを7回食らったというので、
7つのビンタっていうタイトルに、小タイトルになってるんですけど、そんな出来事があって、
彼女は1日に1つずつ、1週間かけてこの7つのビンタを忘れようとするんですね。
39:00
毎日いろんなことを考えます。
ちょっとそこの話は一旦割愛して、思想犯の使命手配中の男というのが翻訳者の人で、
作家みたいなことも兼ねているのかな、議局集を出版しようとしていて、
それがですね、国の検閲にちょっと引っかかっていたりするというので、
このウンスクが、この3章の主人公が市役所の検閲課に審査済みの議局集の仮製本の本を受け取りに行くというですね、
そんな担当をしていたので、検閲課に行くと、すごいたくさんコロヌリされていて、申し訳なさを感じたりします。
それでもですね、この議局集の上映会は劇が予定されていて、
一体役者の人とかどういう傾向をするんだろうかというのをですね、ちょっと彼女は疑問に思ったりもします。
現在その彼女というのは24歳で、大学通っていた時とかにちょっとお父さんが病気になったり、
バイトをして弟の世話をしたり、病気になって、バイトで家計を支えて休学したんですけど、
結局大学は退学して、今の小さな出版社に就職をするという、そんな経験があったりと。
公衆事件の時ですね、ちょっと数年前の話になるんですけど、
その孫児という年上の女性とこのウンスクは学校に残って、学校というか軍に襲撃される部隊ですね、そこに残って、
その日ですね、ここでちょっとトンホの軍の襲撃をあった日に、
ウンスクはこの一緒にトンホを置いたので、トンホを見つけて一緒に帰ろうと声をかけたりもしていました。
というのがですね、ちょっと多かったりします。
そういうちょっと過去のパートもありつつ、ちょっと現在に話を戻すと、
結局ですね、この異極集は上映されるんですけども、
それがですね、黒塗りだらけだったものが別人命義の作品として、結局は出版というか製本化されて、
無事に舞台で上映されるようになって、この彼女もその舞台を見に行くんですけども、
その中でとある少年役がいて、その動き、その少年の姿を見ていてトンホに重ねてしまうと、
そこで彼女は悟りますと、1日に1つビンタを忘れて、1週間かけて7つのビンタを忘れようと思っていたけども、
そこで6つ目のビンタまでは忘れることができたけども、7つ目のビンタを忘れる日は来ないというですね、
そこでかなり強い意志というか、そんなのを感じさせる章ですね。
そうですね、この章かなり何でしょう、ちょっと主題からは離れてそうで、結構、
でもすごく何でしょうね、このいい、実際の主題からはちょっと離れているのかなと思わせつつ繋がっていく章で、
何ページだったっけな、ラストか、これトンホのことを思いながらね、こういう文章があるんですけど、
君が死んだ後に葬式ができず、私のせいが葬式になったという文章があるんですけど、
ちょっとこの別れを告げないに通じるような部分があるなと思っていて、
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トンホの葬式ができなかったからこそ自分が生きるということが、
もうトンホを弔うことになる、葬式になるっていう意味だと思うんですけれども、
この自分のせい、生きることの中に誰かの死を内包していくっていうか、意味合いだなと思っていて、
これはちょっと今回の少年学類もそうだし、別れを告げないにもすごく通じるテーマの一つで、
大きなテーマの一つだなと思っていて、こう読みながらかなり刺さった部分ですね。
なんかね、小説なんですけども、劇局の舞台と解き合っていくようなそんな描かれ方がしていて、
この辺の作りがすごい面白いなと思いましたね、この章は。
ではここから4章の話をしていきたいと思います。
語り手の男は初登場で、トンホの章で出てきたチンス兄さんについて語る人物になります。
この男も民主化運動の時に軍に捕まって雑居房に入れられるんですけども、
刑務所みたいなところですかね、入れられて、そこでチンス兄さんと食事の時にペアになったことがきっかけで、
ちょっと付き合いが始まるという、ちょっと友人関係みたいな感じになるというのがあったので、
この男というのがその後、公衆事件の後も生き残ったので、証言をしていくというですね、そんな章になります。
まずこの公衆事件の後ですね、こういう民主化運動して捕まった人たちがこの雑居房ですごいそこが狭い空間で100人近い男が押し込められて、
水が飲めるのは日に3回、食事の時だけで、食事も2人1組で1つのプレートをシェアするというですね、かなりもう困難な状況で、
しかもこのペアだったチンス、キム・チンスという名前なんですけども、このチンスという男性は当時大学1年生、大学の新入生ですね、1年生で、
ちょっとその軍からですね、アリによる性的拷問というのを受けていてですね、釈放された後もこのチンスが虫の悪夢を見ていたというですね、そんな証言もしたりします。
で、もう一つ重要な証言としては、このチンスから聞いていた話で、この公衆事件の夜ですね、3章でウンスクがその夜にトンホを見たって、で驚いて一緒に帰ろうって顔をかけたんですけど、
結局トンホは残っていて、でその後この章でチンスがトンホにですね、みんなその事件の時に部屋に立てこもっていたんですけども、
なんかそのトンホはまだ中学生で少年なんで、そんなその適当な時に手を挙げて降伏しなさいというふうに伝えていました、軍に。
さすがに少年までは殺さないだろうというですね、そういったことを考えて、でこれもですね、ちょっと後々関係してくる話になります。
でですね、ちょっと話が戻って、で男をですね、捕まっていて、9年の実刑判決を受けるんですけど、
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ただ翌年特殊者になって、全員が釈放されます。というので民主化運動で捕まった人たち全員釈放されるんですけども、その後ですね、
2年ほどした時に偶然街中でこの男がチンスと再会をして、そこからですね、たまに一緒に飲むようなそんな関係になります。
で2人ともですね、やっぱりその軍に捕まって、でそこでかなり拷問も受けたりして、やっぱりちょっと後々に残るものもあったんで、
なかなかその仕事とかうまくいかないところもあったりして、ちょっとうだつの上がらない日々を10年ほど過ごしていきます。
でチンスは特にもうだいぶやられていて、精神科に入院するんですけど、最後にこの男がチンスと飲んだ年の冬にチンスは自殺してしまいます。
やっぱりもうかなり後遺症というかですね、もう心の面でもやられていたというのがございます。
でこのチンスが衣装を残していて、衣装とともに写真も残していて、その写真には少年たちが並んで死んでいたという写真なんですけど、
それは実はですね、チンスが公衆事件の時に敦保に降伏しなさいと、手を挙げて降伏しなさいと伝えていたんですけども、
それで敦保を含めて少年たちが、それで軍が弾圧を建てこもっている部屋にかけた後、一旦収まって、その収まった後少年たちが降伏をしてきたんですけど、
それをですね、あるちょっと頭の狂った兵士が少年たちを打ち殺していってですね、というですね、少年たちが亡くなってしまったというその写真になります。
少年たちが並んで死んでいるというのは、死んだ後並べられたんじゃなくて、最初からチンスの言う通り成立して降伏しなさいという教えに従って、
軍の前に出て行ったら殺されてしまって、成立しているように死んでしまったというですね、ちょっとそんなことが分かりました。
最後にですね、この男がこのチェジュ島で起きた、この降襲で起きたことっていうのはチェジュ島とか関東とか南京、ボスニア、
全ての新大陸で遺伝子レベルで組み込まれたみたいにドイツの残学生があったんじゃないかというですね、
かなりですね、そういった示唆に富んだことを言って、ちょっと終わっていく、そんな章ですね。
ここでもまたちょっとだいぶ角度が変わった語られ方をするんですが、少年が自分の助言のせいでね、死んでしまったっていうのはもう本当に大きく多分心に残ってしまうものだと思うし、
実際これシーンとしては結構このお酒を飲んだりしてるシーンが描かれたりするんですけど、そこでの描写とか見てるともうまとまでは言えられないっていうのはすごく伝わってくる描写ですね。
その仕事をするにしてもこういう立場の人たちっていうのがちょっといい仕事にもう恵まれなくなってしまっていて、
生きづらさのループにはまり込んでしまっているっていうこともすごく描かれていくし、
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6章が母親の章なんですけど、それとはまた違う本当に切実なこの痛みっていうのをこの章から自分は感じて、
ある意味自分はこの6章どれもすごいなっていう印象が残ってしまうんですけど、
この4章の印象の他の章とはちょっと違っていて、すごく自分の中に繰り返し繰り返しリフレインしてしまう章だったんですね。
うまく言えないんですけど、この章は読むと本当に揺さぶられて残ってしまうものだと思うので、
ぜひ読んでもらいたいなっていう言葉しか出てこないんですけど。
そうですね、この4章の最後の方でこの男が問いかけているんですけども、
つまり人間は根本的に残忍な存在なのですか?私たちはただ普遍的な経験をしただけなのですか?って、
読んでると結構それ以外にもたくさんの言葉がその前後で語られているんですけども、
結構この男の言葉は考えさせられるところが本当にたくさんありましたね。
錯覚の中で生きているだけなのかっていう。
次、5章ですね。ここの語り手はイム・ソンジュになります。
ソンジュというのはトンホの章で出てきたこの死体の身元確認とかを一緒にやっていたうちの一人のソンジュ姉さんになります。
その公衆事件から時間も経って10年以上ですかね、もう経った状態になります。
この公衆事件の被害者としてとある研究者から論文を書くための材料としてインタビュー、
協力してほしいという依頼を受けるというですね、そんなところから話が始まります。
このソンジュは研究者からインタビューの依頼というのを10年前にも受けていたんですけども、当時断っていたと。
今回は直接会ってというわけじゃなくて、テープレコーダーを送るんでそこに証言を吹き込んで送り返してくれたらそれでいいですよという話だったんですけども、
それでも断るつもりでいるという、そんなソンジュの心境が語られていくと。
このソンジュは過去をですね、ちょっと遡ると17歳の時に生まれ育ち大変だったのか、過酷な労働をしていて、
暴食工場というところでですね、本当にもう月に2日しか休まずに残業もして、
すごい低賃金で睡眠薬飲みながら仕事をして、それでも立ちながらちょっと寝てしまったら、
グループ長みたいな人からもう殴られたりするっていうですね。
しかもセクハラもされるっていうですね。そんなすごい大変な中で若い時仕事をしていて、
その職場で労働組合に入るきっかけになった孫比というお姉さん、年上の女性に出会います。
この孫比が職場でレジスタンス的な活動をしていたんですけども、
職場でもそういう機運があって、労働組合がとうとう結成しようかという時に、
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その会社がそういう組織を潰してしまって弾圧をするんですけども、そこで結構痛めつけられるんですね。
重傷を負ってしまって、もうクビになるし、その同業である暴食工場ではブラックリストに入って働けなかったというので、
ブティックに再奉仕として就職するというですね、そんな展開になります。
そんな中、公衆事件を迎えていくというですね、孫寿の若い時の出来事なんですけども。
10年ぶりにこの孫比の労働組合に入るきっかけとなった女性の消息を聞いて、
電話で話して会いに行こうとするというのがですね、ちょっとこの話の真っ筋になります。
孫比も自分についてかなり考えるように言っています。
孫比姉さんという人はレジスタンスで抵抗活動に燃えているところだったんですけど、
一方でこの孫寿という女性はどっちかというと人生の中で抵抗はしないように生きてきたと。
ただ耐えることはできたというので、最後までその場にいることができたというのが、
孫寿という女性の生き方だったのかなと。
というので公衆事件の時も縦小森化をしたところ、エアで最後まで残った女性でもあると。
そんな孫寿がインタビューに協力しないのはなぜなのかというところなんですけども、
そこの話がショーの最後の方でちょっと述べられていて、結構ひどい軍から性的被害というのを受けていて、
その記憶を証言する、自分は証言できるのかって自問します。
その性的暴行の影響というのはやっぱり残っていて、
男性と触れなくなったし、愛せなくなったということにもなりましたし。
あと孫悲姉さんですね、孫寿が孫悲に会いに行こうというので、
いま孫悲が知っているということで、ちょっと会いに行って、
もし会ったら何を伝えればいいのかというのを最初はわからないままでいたんですけども、
ずっとこれまでのことを考えたりしていく中で、
とうとう孫寿が孫悲に会った時に伝えたい言葉が口に出るというですね、そんなショーになります。
そうですね、これはもう犠牲者がっていうこと、ちょっと言っていいのかわからないけれども、
被害になった側がですね、証言をするっていうことをうまく語れないっていうことを描いているショーではあって、
これそのテープレコーダーを渡されるんですよ。
いや一回これ録音したとしても、ちょっと自分が言ってしまったけれども消したい部分は消せるかなとか、
いろんなことを考えながら証言を取ろうとするんだけれども、
まずうまくいかなかったというところ、そういうのもすごくしっかり描かれるし、
孫寿の葛藤ですね、ここが結構描かれるのが、読んでいてすごく迫ってくる部分ですね。
そうですね、この3・4・5章は生き残った人たちですね、この孫寿事件の後の語りなんですけども、
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共通して思うのはやはり、生き残った後も結局犠牲、被害を受けているままで、
やっぱり警察に目をつけられた人もいれば、社会的にその後遺症が残ったまま、
うまくいかない人生を過ごす判明になったりとかですね。
で、この孫寿もやっぱりこの性的暴行を受けたし、救われないまま今に至るというですね、
公衆事件がすごい大変な虐殺が描かれていたんですけども、その後のその社会の在り方というか、
被害を受けた人たちの状況というのもですね、相当読んでいくときついものがあるなというのはやっぱり感じましたね。
次ですね、6章いきます。
これは敦保のお母さんが語り手で、息子を敦保に対して情緒たっぷりに語っていくというですね、そんな主張になります。
お母さんのも本当に記憶の中でですね、やっぱりその敦保がいて、その敦保が生まれてから一緒に過ごした日々とか思い出したりもしますし、
一方で敦保が犠牲者になるんですけども、公衆事件でその犠牲者になった後、お母さんが遺族会に出かけたら当時の大統領が現れて、
そこでスローガン叫ぼうとしたら警察に止められてもう足を怪我してしまって入院したんですけど、
さらにですね、そこだけで終わらず横断幕を持ってね、その病院の屋上から下ろして息子を返して大統領を八つ崎にしろと叫んだりとかですね、
そんなお母さんが、それまでのお母さんの印象だとちょっとおっとりした人なのかなと、優しそうな人かなと思ってたんですけども、
この6章でだいぶ見方が変わりまして、やっぱ特にこの敦保が亡くなった後のこの怒り、恨み、そこのエネルギーというかですね、
それをすごく強烈に感じさせられる章になっていて、と同時に敦保に対しての思いですね、というのが述べられていて、最後はこの記憶の中で敦保と一緒にですね、
章のタイトルは花が咲いている方にというので、敦保が呼びかけるんですよね、花に咲いている方に行こうよというので息子と一緒にね、
そこを歩んでいくのかなって思わせるような終わり方をするというですね、これはもうかなり泣ける章でしたね。
そうですね、この6章の中で最後この章があって、とんでもないパンチ力を持っているんですけど、やっぱり語りがすごく良くて、
これちょっと原文がどうなっているかわからないんですけど、この文の文体だけ、自分のこと母ちゃんっていう一人称を使いながら語りが進むんですけども、
急に、今までもすごい生感はあったんですけど、ここの生感というか生々しさみたいなのはすごくあって、
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本当に息子がこうなるんじゃなかったのかとか、そういうものもあって、こんな風にしてお前を永遠に失ってしまったっていう言葉があって、
本当なんか辛い章ですね。
そうですね、ちょっと太した描写ですけど、敦保に対してお母さんが八つになった時にお前が言ったんだ、僕夏は嫌いだけど夏の夜は好きっていうですね、
そんなどってことない言葉なんですけど、お母さんがそれを聞いたらそれが心地よく聞こえて、母ちゃんはお前が知人になるかもと密かに思ったものだよとかですね、
そんな敦保へのちょっと重い意味とかも伸びられていて、かなりこれは感情にやっぱり訴えかけてくる章だし、っていうのが第6章で、
ちょっと最後にですね、ちょっとだけエピローグ触れたいと思います。
そうですね、いきましょうか。
これが最後です。これはもう半岡さんが自身のことを書いてるんですけども、このエピローグでちょっと現実に戻されるようなですね、そんな描かれ方がしていて、
実は半岡さんが甲州出身で、その1980年の甲州事件の直前に引っ越していたと。で、事件が起きた時ですね、その当時はもう違う地域で暮らしていたんですけど、
家の中ではすごい緊張が走って、でも家にその警官みたいな人もやってきて、なんか誰々と通じてるんじゃないかとかですね、
なんかそんな疑いかけられたりとかですね、ありましたし、地元の死者とか行方不明者がいるっていう話を伝え切れたりして、
決定的だったのはその2年後ですね、1982年にお父さんが写真集を持って持ち帰ってくるんですけど、
それが甲州事件のその事件現場の写真集で、そこには銃剣で殺された、無残な殺され方をした少女がいたというですね、
まさに第一章でそんな描写があったんですけども、そんな写真を半岡さんが見てしまうと。
そこからですね、ちょっと時間は経つんですけども、作家となった半岡さんがこの甲州事件を調べていって、
悪夢を見るようにもなるぐらいうなされてしまうんですけども、苦しみながらもこの描き上げたというのがですね、この作品であると。
トンホのお兄さんがいて、お兄さんは今も生きていて、塾講師をしているんですけどに会いに行って、
このトンホについて描いていいかという許可をもらいに行くと。そしたらこのお兄さんが、トンホのお兄さんが許可をすると。
その代わりしっかり描いてほしいと。お兄さんがもう許可しますと。もちろん許可すると。
その代わりしっかり描いていただかないといけないと。誰も私の弟、トンホのことをこれ以上冒涜できないように描いてくださいと。
そう伝えられると。半岡さんが描いていた作品を通じて、ある誤解に気づくと。特徴のところでも述べたんですけど、犠牲者だと思っていた人たちというのは、
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犠牲者になることを望まなかったために、そこに残っていたんだっていうのがわかってですね。で、この公衆事件で死んだ人たち、それぞれの決意というかですね、
その心に秘めたものっていうのを悟ります。というですね、最後エピローグですね。ここがね、かなり読むと身が引き締まるような、ちょっとそんな話でしたけど。
そうですね。このエピローグが故に、ここまで来るとね、この話っていうのがどういう構造をしたのかっていうのがわかるのもあるんですけど、
本当半岡さんがなぜこの本を書こうと思ったのか、この本を書かなくてはいけないのかっていう決意の部分を知ることができる本で、
今三枝さんが読んでくれた言葉ですね、私もちょっと不戦してるんですけど、許可ですか、もちろん許可しますと、その代わりしっかり書いていただかなくてはなりませんっていう部分、
誰も私の弟をこれ以上冒涜できないように書いてくださいっていうところですね。ここはもう多分、かなりプレッシャーになる部分だし、それに答えなくてはいけないと思った半岡さんが絶対いるはずで、
だからこそこの本が生まれていて、もちろん半岡さんとしては多くの人が死んでしまった、なのに今日常が続いているっていうことに多分すごい違和感なのか、
耐えられないと思う気持ちなのか何か感じたはずなんですね。それをこういう形に消化して多くの人に届けることができているっていうこの事実っていうのがやっぱり改めてこのエピローグ読むとすごいなって思いますね。
いや、なかなかここまでちょっと語ってきましたけども、最後に一つだけですね、結構今回はボリュームたっぷりにストーリーについて触れていったんですけども、なかなかこの小説を最初読んだときですね、
これどういう話なのかなと、この人物って誰なのかとかってちょっと分かりにくいところがあって、読んでいくと繋がりが見えてきて入っていけたんですけど、
なんでこのラジオで今ストーリー紹介してきたっていうのはあくまで読むためのちょっと補助線みたいなものかなと思っていてですね、
ざっくりストーリーは紹介したんですけど、ただ実際読んでみると全然別物だと思いますし、
すごいやっぱり心に響いてくるところっていうのがラジオで触れてないところにも本当たくさんあると思うので、
なんではこのラジオを聞いてこういう話かなと、ちょっとなんとなくイメージできたかもしれないんですけども、プラスですね、ちょっと読んでみるとですね、
実際こうだったんだっていうかなり強烈なものを感じれると思うので、ぜひですね、読んでもらえたらなと思いますね、この興味を持たれたら。
今日本当にかなりストーリーは実際には細かく話をしている部分あるなと思うんですけど、でもやっぱりストーリーなので実際の描写とか彼らの言葉っていうのが詰まっているので、
それを実際読んで感じてもらいたいですよね。
なんとか6章とプラスエピローグ、そこまでちょっと読んでみてほしいですね。
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そしてこの後に来週ですけど、別れを告げないが続くので、そこももうセットでできれば読んでいただきたいなと思っています。
次回予告となります。もう散々話してますが、ハンガンさんの別れを告げないをご紹介したいと思っております。お楽しみに。
番組の最後になりますが、メルマ会員募集しております。
メルマはですね、無料版、有料版とございまして、無料版はですね、毎回のエピソード、編集してちょっと長いなと思った部分はカットしてるんですけど、
そのちょっとカットして、もうちょっとお聞かせできるかなと思う分だけちょっと配布するような形で送っております。
ご興味あれば登録ください。それとは別に、これから紹介する予定の本の一覧とか、ちょっと紹介するかどうかわからないけれども、
最近発売された海外文学の新刊ニュースなんかも入れてるので、そちらの方がちょっと面白いかなと思うので、ぜひ登録してみてください。
有料版はですね、ちょっと我々これ、特に活動費どこか出てるわけではないので、
サポーターになってもらいたいなと思っているので、有料版という形にしています。
お返しにですね、我々の日記のような編集工期をお届けしておりますので、ぜひご確認いただけるとありがたいです。
概要欄を見てみてください。
番組の完成やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました、
見返しました、などございましたら、
ハッシュタグ空飛び猫たちをつけて教えていただけると嬉しいです。
Xやインスタの投稿などでお待ちしております。
その他にもですね、メールアドレスに直接いただいたりとか、
Spotifyのコメント機能なんかでもらったりもできますので、
お好きな方法で我々に感想を届けたかったら届けていただけると嬉しいです。
お便りフォームも番組情報欄に載せておりまして、
こちら定期的にご紹介するお便り紹介会ですね。
こちらで紹介させていただいて、お話しさせていただいております。
この番組気に入っていただけましたら、積極的に拡散寄与してあげると助かります。
ではまた来週。ありがとうございました。
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