まあちょっとそのあたりも空気感も今日含めて伝えることができたら非常にいいかなと思っているので、ちょっと先に進んでいきましょうか。
まあその具体的に入る前にですね、一応半岸さんのご紹介をさせていただきたいと思います。
半岸さんはですね、我々のラジオでもたびたびご紹介しておりますので、気になった方は各エピソードを聞いていただきたいんですが、1970年甲州に生まれています。
今回題材としてメインになっている甲州ですね、甲州の生まれです。
その後ですね、ソウルに彼女は引っ越してはいるんですけれども、1993年に文学と社会という雑誌かな、日誌が掲載されて、あと短編小説赤い怒りで、これが文芸賞かな、を取ってデビューしています。
最色主義者で韓国最高峰の文学賞である伊山文学賞を受賞しております。
この小説でですね、アジア人で初国際物価賞を受賞しています。
2017年には少年が来るでイタリアのマラパルテ賞を受賞、23年来週紹介する別れを告げないでですね、フランスのメディシス賞を受賞しているというところになっております。
これも韓国人として初受賞ですね。
という韓国においてはですね、数々の賞も受賞しておりますが、間違いなく韓国文学のトップを今走っている方かなと思います。
じゃあもう行きましょうか。具体的に作詞紹介入っていきたいと思います。
少年が来るなんですが、まずはんもとくんさんのホームページから引用した文章を読み上げたいと思います。
国際色主義者で満物価国際賞に輝いた半顔渾身の物語。あの公衆で起きた民主化運動の鎮魂曲。
公衆民主化構想から約35年。
あの時生を賭ちた者の身に何が起きたのか。生き残った者はあれからどうやって生きたのか。
未来を奪われた者は何を思い子供を失った母親はどんな生を余儀なくされたのか。
30年以上の月日を経て初めて見えてくるものがある。
丹念な取材の下、死者と生き残った者の声にならない声を丁寧に救い取った衝撃作となっております。
いやまさに端的に表している作品で、読んでからですね、このあらすじを読むとですね、かなり込み上げてくるものがあると思いますね。
そうですね、このハンガンさん、韓国のトップを走っている作家さんで、
文化国際賞をもとった方ですけど、その人が、本当に韓国の無歴史的な時代事件を描いているっていう、ある意味ちょっと国家の闇に触れるようなことをしていると思うんですけども、
そういった作品を発表しているというのはかなりすごいことだなと思いますね。
なんかね、ちょっとネットで調べていて、記事か何かでちょっと読んだのが、再職主義者で文化国際賞を取った時に、
それぞれの登場人物の中にあって、それがやっぱり語られるから、我々は知らなくても受け止めることができるなと思っていて、
それをこの作品はすごくうまく届けてくれてるなと思います。
やっぱり半田さんは詩人なので、もともと詩人の詩を書いていた方なので、文章が非常に詩的で美しいというところも届きやすさを生み出している要因だなと思いますね。
そのところでストーリー紹介、6章の話をしていきたいんですが、その前に結構細かい話をこれからしてしまう可能性もあるので、
ざっと最後まで読んだ感想をこのタイミングでお伝えできたらなと思います。
とはいえちょっと私はですね、さっき自分で版元のあらすじを読みながらなんかすごいこみ上げてくるものがあって、
ちょっとこれ正直貼り付けてあって、台本に貼り付けてあって、読んでなかったんですね。
読んだ後ちょっとうううってなっちゃってどうしようと思ったんだけれども、やっぱりそれぐらいやっぱりこの読むとさっき話した通りちょっとしたシーンがですね、チラチラチラチラ頭に残ってきますね。
もちろんこの版元さんの覚悟、エピローグで語られる部分ではあるんですけれども、この話を書こうっていうところの覚悟っていうのはすごく感じるし、
本当にこの6章の花が咲いている方にっていうところ、これ母親の話なんですけど、1,2章なんですけど、なかなか迫ってくるものがあって、
少年というか息子をね、永遠に失ってしまったっていう話なんですけど、
もちろん公衆事件を描くってなった時に、残虐さとか残酷さとか悲しみ痛みっていうのはもちろん描くことになると思うし、もちろんそれをテーマにしていくと思うんですよ。
でもそれに対してこのアプローチっていうのはもう本当なんていうか、諦めてない感じをすごく感じて、
版元さんが伝えようとしていることを諦めずに届けようという努力というか、力の限りを尽くしている感じをこの小説からは感じました。
これがやはりまだまだ引っかかっていて、来週紹介する別れを告げないにつながっていくんだなっていうのをすごく感じたので、
もちろん作家の思いっていうのがあって、本っていうのが生まれてくると思うんですけれども、きっとこれを読んだ人たちの中には、
多分というか間違いなくですね、いろんな広がり方をするし、世界の見方っていうのを更新してくれる一冊だなと思いました。
てことですかね。
いやー。
いやーでも三枝さんの方が多分いろいろ、一週間も。
そうです、なかなか読んだ後、この話が抜けなくて大変でしたけど、
僕もやっぱりこの6章のお母さんがちょっと亡くなった息子について語る章はやっぱりちょっと泣きましたし、
それまでの6章はすごい感情移入はしてたんですね。
読んでいていろんな感情が読んでいると出てきましたし、最後エピローグで半顔さんが自分について書いていて、
で、やっぱりこう死んだらこういう状態になるっていうのを仮定したとしたら、
公衆には本当どれくらいのこういう魂がこうさまよっているんだろうと想像してしまうようななんか章でしたね。
やっぱりあの半岸さんは魂というものをすごく大事にするというか、多分魂というものがあると信じている人なんだろうなって、
ちょっとこの章を読んだ時に改めて思いました。
これは別れを告げないにも通じるし、あと全ての白い者たちのという、
エッセイなのか詩なのか小説なのか、何とも言えない作品が一つあるんですけれども、
そこにもちょっと通じるような内容だなと思っていて、
やっぱりこの半岸さんはおそらく魂の存在を信じている。
だからこそ何かを生み出そうとしているっていうのをちょっと感じる章でもあったところですね。
僕はこの2章はやっぱりこのチョンデがお姉さんですね、チョンミに対して思い馳せるところはやっぱりかなりちょっとグッときてですね。
この第1章でチョンデとチョンミの話って出てくるんですけど、
最初にこの小説に感情移入できたのはそこで、
この第2章でもチョンデがお姉さんのことをちょっといろいろ思うんですね。
このお姉さんというのがいつも夜勤から帰ってきたら冷めたご飯と水を混ぜて食べているっていうのをですね、
それをネタフリしてお姉さんがご飯を食べているのを見て、
いつもその冷めたご飯と水を混ぜて食べているってここだけでも大変な話ですけど、
そんなお姉さんもさらに弟に気づかれずに勉強をしようとしていたとかですね。
そんなことも第1章でわかってますし。
で、このチョンデがお姉さんがちょっと黒板消しを好きだろうというですね、
ちょっと子供ながらのそういった考えで学校の黒板消しを持ってきて、
お姉さんが家に帰ってきた時に黒板消しが家にあるっていうのを気づいて、
ちょっと笑うっていうですね。で、それを見ていたっていうですね。
なんかそんな描写があって、そういうところとかすごいね、もう心を揺さぶられるところがあって、
そういう意味ではこの2章は結構ね、なんか読んでるとかなりある意味きつい章でしたね。
次ですね、3章は主人公が小さな出版社に勤めるキム・ウンスクという女性になります。
このキム・ウンスクというのは1章、トンホの章に出てきた当時女子高3年生だったウンスク姉さんと呼ばれていた人で、
社会人になって今小さな出版社に勤めているんですけど、
そんな彼女がですね、思想犯の使命手配中の男と繋がりがあると疑われて取り調べ中にビンタを7回食らったというので、
7つのビンタっていうタイトルに、小タイトルになってるんですけど、そんな出来事があって、
彼女は1日に1つずつ、1週間かけてこの7つのビンタを忘れようとするんですね。
毎日いろんなことを考えます。
ちょっとそこの話は一旦割愛して、思想犯の使命手配中の男というのが翻訳者の人で、
作家みたいなことも兼ねているのかな、議局集を出版しようとしていて、
それがですね、国の検閲にちょっと引っかかっていたりするというので、
このウンスクが、この3章の主人公が市役所の検閲課に審査済みの議局集の仮製本の本を受け取りに行くというですね、
そんな担当をしていたので、検閲課に行くと、すごいたくさんコロヌリされていて、申し訳なさを感じたりします。
それでもですね、この議局集の上映会は劇が予定されていて、
一体役者の人とかどういう傾向をするんだろうかというのをですね、ちょっと彼女は疑問に思ったりもします。
現在その彼女というのは24歳で、大学通っていた時とかにちょっとお父さんが病気になったり、
バイトをして弟の世話をしたり、病気になって、バイトで家計を支えて休学したんですけど、
結局大学は退学して、今の小さな出版社に就職をするという、そんな経験があったりと。
公衆事件の時ですね、ちょっと数年前の話になるんですけど、
その孫児という年上の女性とこのウンスクは学校に残って、学校というか軍に襲撃される部隊ですね、そこに残って、
その日ですね、ここでちょっとトンホの軍の襲撃をあった日に、
ウンスクはこの一緒にトンホを置いたので、トンホを見つけて一緒に帰ろうと声をかけたりもしていました。
というのがですね、ちょっと多かったりします。
そういうちょっと過去のパートもありつつ、ちょっと現在に話を戻すと、
結局ですね、この異極集は上映されるんですけども、
それがですね、黒塗りだらけだったものが別人命義の作品として、結局は出版というか製本化されて、
無事に舞台で上映されるようになって、この彼女もその舞台を見に行くんですけども、
その中でとある少年役がいて、その動き、その少年の姿を見ていてトンホに重ねてしまうと、
そこで彼女は悟りますと、1日に1つビンタを忘れて、1週間かけて7つのビンタを忘れようと思っていたけども、
そこで6つ目のビンタまでは忘れることができたけども、7つ目のビンタを忘れる日は来ないというですね、
そこでかなり強い意志というか、そんなのを感じさせる章ですね。
そうですね、この章かなり何でしょう、ちょっと主題からは離れてそうで、結構、
でもすごく何でしょうね、このいい、実際の主題からはちょっと離れているのかなと思わせつつ繋がっていく章で、
何ページだったっけな、ラストか、これトンホのことを思いながらね、こういう文章があるんですけど、
君が死んだ後に葬式ができず、私のせいが葬式になったという文章があるんですけど、
ちょっとこの別れを告げないに通じるような部分があるなと思っていて、
トンホの葬式ができなかったからこそ自分が生きるということが、
もうトンホを弔うことになる、葬式になるっていう意味だと思うんですけれども、
この自分のせい、生きることの中に誰かの死を内包していくっていうか、意味合いだなと思っていて、
これはちょっと今回の少年学類もそうだし、別れを告げないにもすごく通じるテーマの一つで、
大きなテーマの一つだなと思っていて、こう読みながらかなり刺さった部分ですね。
なんかね、小説なんですけども、劇局の舞台と解き合っていくようなそんな描かれ方がしていて、
この辺の作りがすごい面白いなと思いましたね、この章は。
ではここから4章の話をしていきたいと思います。
語り手の男は初登場で、トンホの章で出てきたチンス兄さんについて語る人物になります。
この男も民主化運動の時に軍に捕まって雑居房に入れられるんですけども、
刑務所みたいなところですかね、入れられて、そこでチンス兄さんと食事の時にペアになったことがきっかけで、
ちょっと付き合いが始まるという、ちょっと友人関係みたいな感じになるというのがあったので、
この男というのがその後、公衆事件の後も生き残ったので、証言をしていくというですね、そんな章になります。
まずこの公衆事件の後ですね、こういう民主化運動して捕まった人たちがこの雑居房ですごいそこが狭い空間で100人近い男が押し込められて、
水が飲めるのは日に3回、食事の時だけで、食事も2人1組で1つのプレートをシェアするというですね、かなりもう困難な状況で、
しかもこのペアだったチンス、キム・チンスという名前なんですけども、このチンスという男性は当時大学1年生、大学の新入生ですね、1年生で、
ちょっとその軍からですね、アリによる性的拷問というのを受けていてですね、釈放された後もこのチンスが虫の悪夢を見ていたというですね、そんな証言もしたりします。
で、もう一つ重要な証言としては、このチンスから聞いていた話で、この公衆事件の夜ですね、3章でウンスクがその夜にトンホを見たって、で驚いて一緒に帰ろうって顔をかけたんですけど、
結局トンホは残っていて、でその後この章でチンスがトンホにですね、みんなその事件の時に部屋に立てこもっていたんですけども、
なんかそのトンホはまだ中学生で少年なんで、そんなその適当な時に手を挙げて降伏しなさいというふうに伝えていました、軍に。
さすがに少年までは殺さないだろうというですね、そういったことを考えて、でこれもですね、ちょっと後々関係してくる話になります。
でですね、ちょっと話が戻って、で男をですね、捕まっていて、9年の実刑判決を受けるんですけど、
6章が母親の章なんですけど、それとはまた違う本当に切実なこの痛みっていうのをこの章から自分は感じて、
ある意味自分はこの6章どれもすごいなっていう印象が残ってしまうんですけど、
この4章の印象の他の章とはちょっと違っていて、すごく自分の中に繰り返し繰り返しリフレインしてしまう章だったんですね。
うまく言えないんですけど、この章は読むと本当に揺さぶられて残ってしまうものだと思うので、
ぜひ読んでもらいたいなっていう言葉しか出てこないんですけど。
そうですね、この4章の最後の方でこの男が問いかけているんですけども、
つまり人間は根本的に残忍な存在なのですか?私たちはただ普遍的な経験をしただけなのですか?って、
読んでると結構それ以外にもたくさんの言葉がその前後で語られているんですけども、
結構この男の言葉は考えさせられるところが本当にたくさんありましたね。
錯覚の中で生きているだけなのかっていう。
次、5章ですね。ここの語り手はイム・ソンジュになります。
ソンジュというのはトンホの章で出てきたこの死体の身元確認とかを一緒にやっていたうちの一人のソンジュ姉さんになります。
その公衆事件から時間も経って10年以上ですかね、もう経った状態になります。
この公衆事件の被害者としてとある研究者から論文を書くための材料としてインタビュー、
協力してほしいという依頼を受けるというですね、そんなところから話が始まります。
このソンジュは研究者からインタビューの依頼というのを10年前にも受けていたんですけども、当時断っていたと。
今回は直接会ってというわけじゃなくて、テープレコーダーを送るんでそこに証言を吹き込んで送り返してくれたらそれでいいですよという話だったんですけども、
それでも断るつもりでいるという、そんなソンジュの心境が語られていくと。
このソンジュは過去をですね、ちょっと遡ると17歳の時に生まれ育ち大変だったのか、過酷な労働をしていて、
暴食工場というところでですね、本当にもう月に2日しか休まずに残業もして、
すごい低賃金で睡眠薬飲みながら仕事をして、それでも立ちながらちょっと寝てしまったら、
グループ長みたいな人からもう殴られたりするっていうですね。
しかもセクハラもされるっていうですね。そんなすごい大変な中で若い時仕事をしていて、
その職場で労働組合に入るきっかけになった孫比というお姉さん、年上の女性に出会います。
この孫比が職場でレジスタンス的な活動をしていたんですけども、
職場でもそういう機運があって、労働組合がとうとう結成しようかという時に、
その会社がそういう組織を潰してしまって弾圧をするんですけども、そこで結構痛めつけられるんですね。
重傷を負ってしまって、もうクビになるし、その同業である暴食工場ではブラックリストに入って働けなかったというので、
ブティックに再奉仕として就職するというですね、そんな展開になります。
そんな中、公衆事件を迎えていくというですね、孫寿の若い時の出来事なんですけども。
10年ぶりにこの孫比の労働組合に入るきっかけとなった女性の消息を聞いて、
電話で話して会いに行こうとするというのがですね、ちょっとこの話の真っ筋になります。
孫比も自分についてかなり考えるように言っています。
孫比姉さんという人はレジスタンスで抵抗活動に燃えているところだったんですけど、
一方でこの孫寿という女性はどっちかというと人生の中で抵抗はしないように生きてきたと。
ただ耐えることはできたというので、最後までその場にいることができたというのが、
孫寿という女性の生き方だったのかなと。
というので公衆事件の時も縦小森化をしたところ、エアで最後まで残った女性でもあると。
そんな孫寿がインタビューに協力しないのはなぜなのかというところなんですけども、
そこの話がショーの最後の方でちょっと述べられていて、結構ひどい軍から性的被害というのを受けていて、
その記憶を証言する、自分は証言できるのかって自問します。
その性的暴行の影響というのはやっぱり残っていて、
男性と触れなくなったし、愛せなくなったということにもなりましたし。
あと孫悲姉さんですね、孫寿が孫悲に会いに行こうというので、
いま孫悲が知っているということで、ちょっと会いに行って、
もし会ったら何を伝えればいいのかというのを最初はわからないままでいたんですけども、
ずっとこれまでのことを考えたりしていく中で、
とうとう孫寿が孫悲に会った時に伝えたい言葉が口に出るというですね、そんなショーになります。
そうですね、これはもう犠牲者がっていうこと、ちょっと言っていいのかわからないけれども、
被害になった側がですね、証言をするっていうことをうまく語れないっていうことを描いているショーではあって、
これそのテープレコーダーを渡されるんですよ。
いや一回これ録音したとしても、ちょっと自分が言ってしまったけれども消したい部分は消せるかなとか、
いろんなことを考えながら証言を取ろうとするんだけれども、
まずうまくいかなかったというところ、そういうのもすごくしっかり描かれるし、
孫寿の葛藤ですね、ここが結構描かれるのが、読んでいてすごく迫ってくる部分ですね。
そうですね、この3・4・5章は生き残った人たちですね、この孫寿事件の後の語りなんですけども、