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2024-09-30 53:31

第170回 人生を通過した数々の文学から見えてくるもの「本の栞にぶら下がる」斎藤真理子著

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【今回の紹介】 『本の栞にぶら下がる』斎藤真理子著、岩波書店

https://www.iwanami.co.jp/book/b631503.html

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠. パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。ぜひお聴きください! . 【今回の内容】 担当編集者さんよりご恵贈/前回紹介した『リーディング・リスト』に続き人生にまつわる文学作品が語られる読書エッセイ/斎藤真理子さんの言葉選びが秀逸/著者&作品紹介/古今の小説や詩などにまつわる25編/文学と社会との関わり/韓国文学や日本の作品の中の韓国との関わりも/印象的だったエッセイ紹介/編み物をしながら読書に衝撃/田辺聖子の70年代OL小説の「やさしみ」が深い/死刑囚の永山則夫が書いた小説のワンシーンの切り取り方/沖田きみ子の炭鉱の詩「死の花粉」の死と隣合わせの美しさ/その他のエッセイについて/最後のエッセイの解放感/いつもの読書スタイルから解放されるには/次回予告 .

ーーーーーーー 版元サイトより ーーーーーーー 『82年生まれ、キム・ジヨン』など、数々の話題作の翻訳を手がける著者が綴った、珠玉の読書エッセイ。文学に刻まれた朝鮮と日本の歴史をたどり、埋もれた詩人や作家に光を当て、人間が疫病や戦争に向き合ってきた経験をひもとくなど、韓国文学に止まらない古今の本を取り上げながら、その普遍性を今に開く25篇。 . 【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】 声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【番組へのお便りはこちらから!】 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/a569tyUhMDDaCXGF8 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ 【メルマガ会員募集中! 】 毎週土曜日朝7時に配信! 無料版は本編エピソードには収めきれず、泣く泣くカットした部分を聞いて頂ける内容になっております! 有料版は我々2人に対しての応援・支援をしたい!という想いを持って頂ける人を対象に、月額500円のサブスクをご用意。ささやかな御礼として編集後記という配信後の感想などをお送りします。なお、こちらに有料登録して頂いた方々を我々はサポーターと呼ばせて頂いております。 どちらも theLetterというニュースレター配信サービスを使わせて頂いております。最初は無料購読登録から始まりますので、是非気になった方はまず無料登録を! ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://radiocatwings.theletter.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ※登録されると確認メールが迷惑フォルダに入ってしまう可能性がございます。すべてのメールをご確認ください。 ※もちろんサポーターとしてご支援頂かなくても、Podcastを聴いて頂けるだけでも本当に嬉しいです。 【文学ラジオ空飛び猫たちとは】 硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。 案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ 京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ 文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、 読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます! 毎週月曜日朝7時に配信しています。 【SNSでご投稿ください】 番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください! よろしくお願いします! ■twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/radiocatwings⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com ■ダイチ「小説家が好き!の会」 Twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/welovestory ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ■ミエ「羊をめぐるカフェ」 Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://twitter.com/hitsuji_meguru ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ #本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック




サマリー

斎藤真理子の読書エッセイ『本の栞にぶら下がる』では、彼女が人生を通じて出会った文学作品と、それを通じて見える人々や社会の状況について考察しています。このエッセイ集は、韓国文学をはじめとする多様な書籍を取り上げ、文学と歴史の普遍性を示しています。このエピソードでは、斉藤真理子のエッセイを通じて、韓国文学や過去の文脈から現代日本と韓国の関係性が浮かび上がります。また、編み物と読書の組み合わせが持つ面白さや、田辺聖子のOL小説に見られる時代の変遷についても語られます。さらに、斉藤真理子によるエッセイ「優しみのやり取り」や「玉川沿いの工場で土手を読む」が取り上げられ、社会や人間関係についての深い視点が探求されています。教育や文学に対する新たな理解も促進され、脱北者とジョージ・オーウェルに関する考察も行われます。『本の栞にぶら下がる』では、読書における付箋やメモの使い方について考察し、開放的な読書体験の重要性が語られます。読書が「仕事」となってしまうことへの疑問や、単純に楽しむことの大切さが強調されています。

斎藤真理子の読書エッセイの紹介
文学作品から得たことや感じたこと、文学作品を通じて見える人や社会のありさま。
韓国文学翻訳者の斎藤真理子さんが、人生を通過してきた本を紹介する25編の読書エッセイ
「本の栞にぶら下がる」を紹介します。
どうも皆さんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、
文学と猫が好きな2人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私大地とミエの2人でお送りします。
文学のプロではない2人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは斎藤真理子さんの本の栞にぶら下がる、です。
岩波書店から2023年に出版された本です。
今回はですね、小説ではなくて読書エッセイという、エッセイというジャンルになるんですけども、どうしてちょっとこの本を紹介するのかというですね、あのきっかけみたいなところを話すとですね、
以前にこのラジオで紹介したキャサリン・レイシーのピューという作品ですね、これもあの岩波書店から出ている本になるんですけども、その本をですね、ご継続いただいたという形で紹介したんですけども、
その際にやり取りをさせていただいた岩波書店のご担当の編集者さんとですね、本当に偶然なんですけども、今年の春にですね、星井泉さんが訳された花と夢ですね、ラジオでも紹介したチベットの作品、小説なんですけども、
その花と夢の出版記念イベントで、トークイベントを海屋敷の方にヨヨーシャさんというところが取材をしていて、聞きに行ったんですけども、その時ですね、岩波書店のご担当の編集者さんとお会いしまして、ちょっと挨拶をさせていただいたらですね、
今回の斉藤麻里子さんの本の勝利にぶら下がる、これも岩波書店から去年出た本なんですけども、これもすごくお勧めですよと、文学を読むれている僕と大地さんお二人どうですかということでご継続いただきまして、
斉藤麻里子さんのですね、訳された小説ですね、ハンガンさんの作品とかですね、そういうのは今までラジオでも紹介してきたんですけども、この翻訳者である、韓国文学の翻訳者である斉藤麻里子さんの読書エッセイというですね、それをちょっと紹介するというので、
実はですね、前回紹介したリーディングリストも、そっちは小説ではありつつ、文学ブックガイドにもなっていて、今回の本の勝利にぶら下がるも文学作品が多く紹介されているので、ある意味ブックガイドにもなっていると。
で、どちらもその著者の人生にまつわるような本が多く紹介されているというですね、ちょっと共通点もあってですね、そこでこのリーディングリストの次はこの本の勝利にぶら下がる、これを読んでいくと面白いんじゃないかと思って取り上げたという次第ですね、取り上げたというかですね、この流れでちょっと紹介させていただいたということですね。
そうですね、幸運にも原本いただけたので、読ませていただいてというところで、前回のリーディングリストもですね、本当に本が読みたくなるような一冊だったんですけど、今回の本の勝利にぶら下がるもですね、本が読みたくなる小説で、どっちも本の紹介の仕方がもうめちゃめちゃうまいので、それさえもすごく勉強になる一冊、2冊だったなと思ってますね。
で、今回の本の勝利にぶら下がるはですね、やっぱり斉藤麻里子さんの言葉の選び方みたいなのがやっぱり秀逸で、こういう言葉の使い方をするのか、こういうふうに言えばいいんだみたいなのが結構あって、私は結構勉強になりました。
わかりますね。こういう本紹介されているコンテンツは、こういう本とかも結構自分たちにとって参考になります。
そうですね。もちろんこの本はやっぱり斉藤麻里子さんだからこと出てくる語彙がたくさんあると思うんですけれども、だからといって自分の中に吸収できないものがないわけではないので、いろいろ勉強させてもらったなと思ってるんですけど、非常にその言葉選びが面白いというか、やっぱり斉藤麻里子さんの感覚が光ってるなと思った一つなので、
それをですね、楽しむだけでもですね、この本を読む価値はあるかなと思います。
確かに。僕もやっぱり前回のリーディングリストと同じく、本当にたくさんの本を教えてくれる。すごく本当にブックガイドになるような本でした。
前回のリーディングリストがどちらかというと小説の登場人物を自分とか家族に重ねていく、そういう読み方をしていたのに対して、今回の本の処理にぶら下がるエッセイなので、斉藤麻里子さんが今まで読んできた本を通じて、その本を通じて社会を見たり、歴史というか過去にいた人たちの言葉であったり、どういうことがその時あったんだろうかという想像みたいなものをですね、
その本を通じて汲み取っているというですね。そのような本を通じて得られるようなことというのがたくさん紹介されていて、同じリーディングリストと本をたくさん紹介している本ではあるんですけども、それぞれ本を通じてその本をどういうふうに読んでいるかというところはですね、やっぱり違いがあるなと、それぞれ面白い見方があるんだなというのを本当感じました。
多様な作品の紹介
斉藤麻里子さんは韓国文学の翻訳家の方になるんですけども、この読書エッセイで触れている本というのは本当国内外問わず幅広い本が紹介されているので、韓国文学について知らない方とかでもですね、全然心配なく純粋にその読書エッセイと言いますか、本を知れる本として楽しんでいけるんじゃないかなと思いますね。
そうですね。じゃあ今回はちょっといつもとはスタイルが違うかもしれませんけど、いろいろ話していきたいなと思います。じゃあまずですね、著者についてお伝えしたいと思います。なんかあのいつもこの著者というと小説家の方を紹介しているので、なんか翻訳家の方を紹介するなんて初めてかな、いつもにはないなんか不思議な緊張感がありますが、ちょっとお伝えしたいと思います。
サイトーマリコさんは1960年新潟市に生まれています。翻訳者ライターですね。本当に多くの韓国のですね、書籍をですね、日本に紹介されている方で、我々のラジオでもですね、いろいろ紹介してきてますね。
半岸さんのギリシャ語の時間、はじめ半岸さんの作品枠と、あとは有名なとこで言うとあれですね、チョンセランさんのHifty People、チョナムジョさんの82年生まれ、キムジオン、このあたりもだいぶ有名な作品ですね。あとはパクソルメの未来散歩練習、白水者のやつ、これすごい読みたいけどまだ読んでないやつだったりしますね。
カステラで第1回日本翻訳大賞を受賞しています。その後、日本翻訳大賞の審査員なんかもやってらっしゃいますね。翻訳書以外だと韓国文学の中心であるものとか、あと最近出てた何でしたっけ。
隣の国の人々と出会う韓国語と日本語の間という、創言者から出ている間で考えるというですね、10台以上の人向けの人文書のシリーズがあるんですけど、それの第9巻目っていうんですかね、9作目で斉藤麻里子さんが出されてます。
翻訳以外にもいろんな書籍を出している。そのうちの1冊がこの本のしおりにぶら下がるかなと思っています。じゃあちょっと具体的に先に紹介入っていきましょうか。じゃあまず判本のホームページからのあらすじというか説明を読み上げさせていただきたいと思います。
82年生まれ、キムジオンなど数々の話題作の翻訳を手掛ける著者が綴った至極の読書エッセイ。文学に刻まれた朝鮮と日本の歴史をたどり、生まれた詩人や作家に光を当て、人間が疫病や戦争に向き合ってきた経験をひも解くなど、韓国文学に止まらない古今の本を取り上げながら、その普遍性を今に開く25編となっております。
元々はこれあれ連載誌なんですよね。
そうですね。あの図書という、これも岩波書店から出ている文芸誌になるんですかね。
その雑誌の2020年から連載をされていて、そこに書き下ろしの一斉も加えて、今回2023年に単行本になったという本ですね。
ちょっとここからですね、この本の特徴に触れていきたいなと思うんですけども、今話にあったように25編、25のエピソードから構成されているエッセイ集になります。
古今の様々な小説や詩などが紹介されているんですけども、例えばマルタンデュガールのチボウ家の人々が紹介されていたり、その次にですね、それに関連する話でゴーシズコさん方のレクイエムという小説が紹介されていたり、
あと女性作家で、例えば林文子さんであったり井上富子さんであったり、田辺聖子さんとか森村勝さんとかをいれば結構ですね、詩人、詩集、そういった紹介も多くありまして、
いわらきのりこさんであったり、あと沖縄の詩人の方で、高村カレという詩人であったり、あと単行を描いた詩人といいますか、詩集に触れていたり。
あれだよね、名もなき人たちの詩集、単行のやつ。 そうですね、そういったのに出ていたり、その他にもですね、韓国の作家や詩人について触れているエッセイもいくつかありまして、これも近代韓国、朝鮮の詩人のチョンジヨンさんであったり、
韓国の近代文学の人と呼ばれるイ・グアンスさんであったり、韓国の一切を放つような作家さんとしてイさんという方であったり、その他にも脱北者の方ですね、作品といいますか、この中で出ていた1984、ジョージ・オウェルの1984年に触れていたりとかですね、
その他にも韓国の作家さんとか、韓国にルーツを持つ作家さんの話とかもあったりですね、それ以外に、他にもですね、様々な日本の作家などもありまして、そういったので25編構成されています。
結構その紹介の中では斉藤麻里子さんと、ご自身の人生の1ページとともにですね、人生のどういう時にその本を読んだとか、社会がこういう時にその本を読んだとかですね、
そういったご自身のちょっと経験といいますか、そことも照らし合わせるような紹介のされ方というのも中にはされていて、すごくただ本を紹介するだけではなく、やはりエッセイとして、読み物として面白い内容になっているなと思いますね。
そうですね。で、今みなさんにあげていただいた書名とか本なんですけど、もしかしたら結構ピンとこない方もいらっしゃって、あれもしかして結構自分が知らない本が多いから、読むのやめようかなとかいう方もしかしたらいらっしゃるかもしれないんですけど、これですね、出てくる時にですね、作品が紹介される時にですね、結構ちゃんと斉藤麻里子さんフォローというかその説明をしてくれたりしているので、私ほとんど知らない作品でしたけど、なんとなくこういう作品なんだなって。
いや、僕もそうでした。
そうですよね。多分世代的な問題とかいろいろあると思うので、知らない作品結構多かったんですけど、こういう作品なんだなってなんとなくイメージしながら全部読めて、しかもやっぱり気になってしまったりしたので、冒頭でも言いましたけど、やっぱ本の紹介がやっぱりうまいので、読みたくなるなって思いますんで、この今あげた作品がピンとこなくても全然手に取っていただきたいなと思っています。
あとこの本の特徴としては、文学作品が数多く紹介されているんですけども、そういった文学作品とその当時の社会との関わりというのをすごく感じるような紹介のされ方をしていまして、なんかそのただこういう本があるというだけではなくて、例えばですね、1916年創石とイーグアンスというエッセイだと、
この韓国の作家さんのイーグアンスさんという方が創石の三四郎を愛読していたというふうに書かれていて、ただイーグアンスさんが韓国で書いた小説が新聞小説ですごい大ヒットするんですけども、その作品の中では日本が全然出てこないと。
当時のその社会情勢的に日韓合併から6年が過ぎている、そういった時代ですかね。そんな中で韓国での新聞で連載しているもので、もちろんその検閲というか内容チェックみたいなものって政治的な側面とかからもあったかと思うんですけども、それでもちょっと危険な綱渡りといった上で、そういった日本が全然出てこないような小説。
その小説には結構朝鮮の未来が語られているような、そんな話を描いているというですね。そういったところも説明がされていて、その作品としてはその創石の三四郎とイーグアンスさんが新聞で連載していた無情という小説なんですけども、その2つがこのエッセイの中で出てくるんですけども、その背景というんですかね、それぞれがその社会の中でこういうふうな位置づけでみたいな、そんな説明がされていて、
すごくその当時の時代の中でのその文学というかですね、その位置づけもわかるような説明がされていて、この辺りもすごく読んでいるとその文学作品に対して興味が出て湧いてくるところですし、すごく重要な作品だったんだなって思わせるようなですね、そんな説明だなと思いましたね。
その時の社会情勢とかの話とかも結構あって、これは割とその古い作品を紹介しながら、やっぱり斉藤真理子さんがその当時の記憶とかも紐解いていってるようなところもあるので、それがやっぱりその当時の社会も強く反映してる作品だったりとか、反映してる事柄に対してちょっと触れたりとかしてるので、
韓国文学とその背景
やっぱりどうしても我々ってこのいうことを過去の出来事としては捉えることができるんですけど、その肌感覚とかがわからなかったりするんで、その肌感覚みたいのが結構これを読むと感じることができるので、これはやっぱりこういう本ってなんていうか、やっぱりその時代時代を生きた昔の本を読めば味わうことができたりするんですけど、
今書かれてる本で、さらに思い出してくれていただいているところにアクセスすることができるので、そういう意味では貴重な本だなとは思いました。
そうですよね。いやでもこれすごいやっぱり良かったなと思うのが、例えば、茨城のりこさんの詩を紹介しているエッセイでは、1959年から63年の間に書かれたであろうという詩の中で、その韓国から密交して日本に来たと推測される人がその詩の中で出てくるんですけども、
ただこの密交っていうのがまあなんて言うんですかね、正式な手続きを踏まずに海を渡ってきたっていう、ただその背景をですね、斉藤麻里子さんちゃんと説明をされてて、その当時は韓国でも本当にいろんな事情があって、韓国を出るしかなかったと。
斉藤 斉藤 43事件というのが1948年に起きて、そこで斉藤でいられなくなってからも逃げるしかなかったという人がもうたくさんいたし、それ今の定義だと戦争難民とされている人。詩の中で出てくる一つのシーンと言いますか、そういったのも切り取って、そこが実はその社会の背景の中でこういった事情を抱えた人がいて、そういった人たちが描かれているっていうですね、そういった説明もあって、
本当に勉強になるって言いますか、すごく教えてくれることが多い本だなというので、そういったのがすごく読んでいて、すごくもう身に染みるような、そういった本になっているなと思いますね。
あとですね、ちょっと今までの話と少し被るかもしれないんですけども、この作品の特徴として、やはり斉藤麻里子さんが韓国文学の翻訳家、専門家であるというところで、韓国文学であったり、あと日本の作家や詩人の作品の中でのその韓国との関わりですね、それはその作品の中のあるシーンであったり、そういったところを解説しているというですね、そこの切り取り方とかもすごく面白くてですね、
このエッセイの中で、さっきの茨城則子さんのそのシーンの中で、韓国からの密交してきたと思われる人のその説明とかですね、あのすごく斉藤、それ以外にたくさんそういった、なんていうんですか、その作品の中で韓国と関わっているところの説明があるので、そういったのは斉藤麻里子さんの独自視点と言いますか、すごくこのエッセイの中の面白いところだなと思いますね。
そうですね。やっぱりなんか、そこは他のエッセイとか読書エッセイとはちょっと違いますよね。
そうですよね。
本人のね、エッセイだから本人のこの色が濃くなるのは当たり前なんですけど。
でも斉藤麻里子さんのそういったその事情の説明と言いますか、そういった解説をしてくれているのを読んで本当にわかることが多いので、むしろなんかそういったの必要なんじゃないかなってちょっと思ってきたりもしましたね。
ただ作品の内容とかだけではなくて、やはりその当時の社会とか日本と韓国の関係の中でこういうことが生じたとか、そういったのがやっぱりあるとだいぶ、こっちの見方も変わってくるなっていうのは思いましたね。
編み物と読書の楽しみ
全然あれですけど、私見てないからあれなんですけどイカゲーム、ネットフリックスで配信されていたイカゲームがなんか運の良い日っていう短編小説かな、韓国では有名というか誰でも誰もが知ってる作品らしくて、それになぞられてなんか最終回作られてるみたいなことが書いてあって、こういうのが絶対多分今回これを読まなかったら知りえなかったような話で、なるほどなーとか思ったりして。
ネットフリックスってやっぱりこう全世界に向けて作ってる作品が多いし、日本の作品でも多分ね全然字幕ついてどの言語の国でも見れたりすると思うんですけど、やっぱりそういうグローバルな中にあってもこういうね、やっぱりその国特有の文化みたいなのに気づけるというか知り得ることができるっていうのはなんかいいなーとか思ったりもして、このあたりは本当韓国にも詳しい斉藤麻里子さんが書いてるからこそのやっぱり見えてくる部分だなーとか思ったりもしていますね。
そんなところで25本ありますけど、ちょっと気になったエピソードを2つずつ我々の方でちょっと紹介し合っていこうかなと思います。で、私からでいいんですかね。
そうですね、大地さんからではお願いします。
それですね、私ちょっと衝撃的だったのは、編み物に向く読書っていう、結構広範かなに入っているやつなんですけど、これ斉藤麻里子さん編み物しながら本読むんですよね。まずこれ衝撃じゃないですか。
そんなことが可能なんだろうかって思いましたね。編み物で手が塞がっているのにどうやって読書するんだろうって。
うんうんうん。これまず一文目が、私は編み物が好きなのだが、編むときは必ず同時に本を読んでいるっていう文章が始まって、まずここで私目が点になりましたね。
うん?ってなって。どういうこと?って思ったんですけど、これまあその編んで、本を読みながら編んで、でそのページが終わったら本をめくってみたいな感じ。
広げてる状態なんですよね。広げた状態を固定しておいて。
そうですね。みたいですよね。で、もうこの斉藤麻里子さんにとって編み物をする、えー何でしたっけ、針かな?針はもうもはや自分の手の一部だみたいなことを書かれていたので、なので手元を見なくても編めると。
あーはい。なんかそういう身をつぶってもできる編み方をやるってことですよね。
だから本の方に目を向けながら、手は編み物をしているという状況らしいんですけど、これ想像しても、あと実際に友人、私がそれをしているところを目撃した友人によれば、広げた本と編み物の間を目がチラチラチラチラチラチラ動き、ページをめくる手つきが慌ただしく、全体として極めて落ち着きのない印象だそうだって書いてあるんだけど、いやーこれちょっとどういう状況か見たいですよね。
そうですね。
なと思ったぐらいっていうなんか衝撃的なお話で、その後に全然この編み物しながら本を読んでますよって話じゃなくて、この編み物をしているときに向いてる本というか物語は何なんだっていうところで、いろんな観点があって話が展開していくんですけど、いやこれはいける、これはいけないみたいな。
本もあるんですよね。その編み物しているときに読める本読めない本。
で、最も活用したのは文句なしに谷崎純一郎の笹目広記らしくて、生徒は30枚ぐらいこれを読みながら編んだんじゃないかと書いたってすごいなっていうのと、その後にいろいろあるんですが、編み本って読んでるんですねこれね、編み物するときに読む本を斉藤万里子さんは編み本って読んでいて、編み本の条件は食と胃に関する惚れ惚れするような描写がある、あげてますね。
でもなんかダメなやつもあるらしくて、例えば風と共に去りぬはカーテンでドレスを作るシーンがあるんだが編み物には向いてない。で、我輩は猫であればオッケーらしいんだけど、三四郎はなんとか読めると。あ、漱石のですね。漱石の、我輩は猫であればオッケーだが、三四郎はなんとかなるが、それから以後は無理。とか、鴎外は一切ダメ。
このあと厳しくて、島崎ストーソン、芥川龍之介、滋賀直也、川端康成、宮沢賢治全部ダメっていう感じがあって、もうすごいなと思って。で、この飴るか飴ないか否かっていうこの観点がまず面白いなって思うのと、この感覚ってなんか面白いなと思って。
なんかながら読書なわけですよ、これって。ながら読書ができるのかできないのかってところになってると思っていて。で、ながらをやっぱりいろんな人すると思うんですけど、なんかできるものとできないものがあるなと思ったりしていて。例えばですけど、まあこれすごい自分の例で言うと、洗濯物を畳む時ってのは、私なんとなくテレビを見てるんですよ、いつも。
テレビを見ながら、まあ何かしらテレビっていうか、まあネットフリックスだったりアマプラだったりするんですけど、って言うんですけど、なんかねやっぱ夢中になるとね、こうダメだし、だからなんとなくいつもアニメを選ぶようにしてるんですけど、映画じゃなくてアニメを選ぶようにしてる。ああドラマもそうか、ドラマとかも選ぶようにしてるんですけど、なんとなく密度が、あの映画よりはちょっと薄めのものをちょっと選んだりとかする傾向があるんですけど、まあその感覚に近いのかなとかちょっと思ったりしたんですけど。
でもきっと斉藤真理子さんは、この編み物が進むっていう観点が多分あるような気がしていて、なんかちょっと面白い話だなと思って、ちょっとこれはですね、ぜひ紹介したくて、上げさせていただきました。
このこだわりが、おそらくその斉藤真理子さんのこの感覚でないとわからないであろうこだわりかなと思うんですけども、なんかその編み物、編めるかどうか。女性作家が基本多くて、ただ女性作家でもみんながみんな言ったわけじゃなくて、この人はダメで、この人の中、例えば林文子さんだったら放浪機だけは編めるけど、それ以外は編めないとかです。
田辺聖子の時代描写
だから、源氏物語でも田辺聖子さんの役だけは編めるとかですね。この辺のすごくマニアックな、この狭い条件でそのOKかNGか出してるっていうところがすごい面白いですよね。
そうですね。
たしかに人にはそういうのってあるなって思いますしね。なかなか説明しづらい、この条件がすごく狭いけども、これだったらOK、これだったらNGみたいなのって。
そうですよね。ちょっとこれは読むと多分自分もなんかこういう感覚あるよなって感じると思うので、ちょっとぜひ読んでもらいたい1本ですね。
もう1本紹介させていただくと、優しみのやりとり。田辺聖子のOL小説というエッセイが入ってまして、優しみという言葉は優しいっていうところで始まってるんですけど、
この我々で言うと、まさに書いてあるんですけど、わかりみが深いとかわかりみとか、そういう言葉ちょっと使ったりすると思うんですけど、このみとは違うらしいですね。
優しみという言葉が田辺聖子さんの小説の中に出てきたらしくて、そっから話を始まっていくんですけど、田辺聖子の小説を斉藤麻里子さんはですね、40代になってやっとその小説を知り、どしどし読んだと書いたらしいですね。
確かに田辺聖子さんの作品ってめちゃめちゃ多いんで、どしどし読まないと全部読めないと思うんですけど、何冊かはとても好きになり、ゴシゴシ読んで本がボロボロになったというのを書いてて、その後OLオフィスレディが主人公の小説が多いそうなんですね。
この時代のことを、この時代って何十年なんだろう、70年代OL小説が書いてあるみたいな、70年代ぐらいのOLが主人公の話があるんですけど、この時のなんていうんですかね、OL像というか一般的なOL像が面白く描かれてまして、今の職場と言っていいかなと言ってくるか、多分今と価値観が違ったりとか色々するところもあると思うんですけど、
この時の女性の社員の方って、結構営業サポートみたいな感じで、伝票の処理とかするのが一般的だったのかなみたいで、残業なんかないというところで定時に上がって、その後は結構自分たちの趣味とかに生きていたみたいな感じのことが描かれていて、それはそれでなんというか豊かな時代だなっていうのをちょっと感じましたね、私は。
で、今の時代が豊かか豊かじゃないかっていうのは、もう全然それぞれの価値観によるので、男性も女性もというか、日本はやっぱりまだやっぱり男女の差があるみたいな話が結構出てきて、その傾向が強い国だっていうのはあると思うんですけど、今男性も女性もやっぱり働くってなると結構なんていうか価値観が様々で、
格一して、むしろ仕事にやりがいを求めたりする時代になってきたりもしていたりすると思うので、豊かな面も増えたかなと思うんですけど、逆に窮屈になっちゃってる時もあるかなと思っていて、この田辺聖子さんの小説の中の定時で上がった後、趣味とかに生きる方々が描かれているとしたら、また多分、もちろん今この時代にも全然そういう人たちはいると思うんですけど、
仕事もあれなんですよね、仕事内容がお伺いしれるのは伝票という言葉だけらしくて、登場してくる男性社員ももう何の仕事をしているか、何をしている会社が全くわからないそうなんですよ。営業だ、会議だ、接待だとか忙しそうにしているが、何をする会社だかさっぱりわからないって書いてあって、
だからもうそこに会社とか仕事内容とかは、結構描写しなくても読むことができたりするんだろうなと思っていて、多分現代でこういう小説って結構書けないと思うんですよね。仕事内容とかには会社のことを描こうとしたら、おそらくそれを避ける人って、避ける作家っていないなと思うので、これもやっぱり時代なんだなとかちょっと思ったりして、
ちょっと自分は逆に今すげー田辺誠子の小説が読みたくなってるんですけど。
いやいや、わかりますわかります。
優しみと人間関係
やっぱり今の価値観とこの当時の価値観っていうのはだいぶ違うとは思うので、だからどっちが豊かだからとかどっちが豊かじゃないっていうことはないと思うんですけど、でも多分種類の違う豊かさみたいのはあるんだろうなみたいなのが感じたので、その豊かさっていうのの違いみたいのをちょっと垣間見たくなったので、ちょっと田辺誠子の小説を読みたくなったなと思うのと、
やっぱりこの優しみのやり取りというエッセイはですね、操作してくれる力のあるエッセイだったので、めちゃくちゃ面白かったなと思いました。
確かにこれはすごい面白かったですね。この優しみという言葉って何か掴みどころがないような言葉なのかなという印象は持っていたんですけども、このエッセイの最後の方になってくるとですね、このOL小説なんですけども、時代的に決まったレールが20代前半とか20代のうちにそういうOLさんが結婚して、また次の新入社員のOLさんにバトンタッチみたいなそんな流れがあって、
それでも結婚、独身を貫いて仕事を続ける子さんOL、おつぼねさんみたいな感じになるのかもしれないんですけど、になっていくとやっぱり今までの周りのぬるい感じからだんだん世間というか周りが荒波になっていくと、そういう荒波の中を生き抜いていくための知恵が必要だと。
その知恵こそが優しみであるみたいなですね。知恵という優しみイコールではないんですけども、そういう荒波を生きていくときにやり取りをされるものが優しみであると。
それはその当時だけじゃなくて、今の時代でも言えることで、どんな仕事、どんなところで働いていようと、そこには共通しているものって多分あって、そこにはやっぱり人々がいて、やはりその優しみっていうのがやり取りですね。
というのがないと、なかなかやっていくことって大変なんじゃないかっていうですね。最後の方で書かれているんですけど、なんかすごい、僕はなるほどと思ったんですけども、なかなか結構面白そうな話だと思いましたし、一方でこの優しみっていうのもなかなか生きていくために持っておかないといけない。大事なものなんだなっていう。
そうですね。この仕事の場所で会った人との優しみのやり取りは、世界へのささやかな信頼をもたらすのではないだろうかって、確かにこうたまたま仕事で一緒になった人とか、1日限り同じ場所で働くことになった人、そういう人たちとの優しみのやり取りがあると、なんかそう世界を確かに信頼することができるようになるなあって、すごい私もすごく共感したので、この1本はもうなんかめちゃくちゃいい話だったなと思って、ちょっと紹介させていただきました。
そんな感じでみんさんのほう行きますか。
そうですね。ではですね、僕が紹介するのが、前半の方に収録されている玉川沿いの工場で土手を読む1というエッセイになります。これは、試験集の永山範雄という人が書いた小説土手について触れているエッセイで、結構ですね、最初の3ページぐらいで、この作品の紹介の仕方というんですかね、
この持っていき方がすごく絶妙で、本当最初の3ページぐらいを読むと一気に引き込まれるような、そんな面白い導入があって、このエッセイの中で視点が面白いなと思ったところがありまして、この土手という小説の中で、それが1から10の物語があるとしたら、この主人公であるN少年、N少年というのはこの試験集である永山範雄のことなんですけども、
N少年の時ですね、その殺人を犯してしまうんですけども、そのもっと前段階の話で、結構ですね、子供の頃から不幸な人生を過ごしてきて、幸せを感じることがおそらく少なかったであろう、そんな少年だったんですけども、この1から10の物語の中の本当に一つのシーンですね。
ある玉川沿いの工場で、日雇いで働くシーンがあって、そこを切り取っているんですけども、その工場では頑張って働いて、親方とかですね、周りの人たちに認められて、よく頑張ったとか、また頼むぞとか、お茶入れてあげようとかですね、もともと決まっていたお金よりちょっと多くお金を受け取ることができたりというですね、すごく認められた経験もして、
唯一笑う、笑うですね、そんな描写が少年にあって、そこを切り取っているというですね、そこのこの土手という小説の中で、そこに着目をされていて、まずそこが面白いなと思ったところで、この長山の龍という人が、結構在日コリガンの人たちと人生の中で関わりがいくつかあったみたいで、
今回のこの工場で日雇いで働くっていうところもですね、その工場を経営していた親方というのが在日コリガンの人で、そこでもですね、その当時の在日コリガンの社会的な、なんていうんですかね、その位置づけと言いますか、その背景みたいな、そういった説明もされているんですけども、そういったのも踏まえて、この少年が認められて、ちょっとその叱りを感じるような描写もあって、
太陽の光を浴びたようなというですね、そんな描写も作中の中であったみたいで、この少年はじゃあ、そこからその工場で働いていったら、仕事を続けたら何か状況が変わるんじゃないかと思わせるような、そんなワンシーンだったんですけど、実際はもうその日だけでその工場を立ち去って、しかも立ち去る時には俺より下がいたっていうですね、
そんな、それまでのシーンからはちょっと想像できないようなセリフがあって、それがなんで少年はそんな気持ちになったんだろうっていうですね、その辺りの説明というか、解釈も書かれてはいるんですけども、僕はこの小説の中で、本当にその工場で働いていたそのワンシーンを切り抜いてっていう、そこのエッセイというんですかね、そこの視点というのがすごく、
面白いなと思いましたね。そこにすごくその作品、本当ワンシーンなのにその作品に結構惹かれるものが感じる、そんな紹介のされ方でしたね。
確かにね、この俺より下がいたっていう言葉にはなんか衝撃を受けるよね。引用されてるんだけどね。
そうなんですよね、僕は。てっきりね、その工場でのこの描写を読んでいくと、その少年は不幸が続いていたけど、やっと自分の居場所を見つけることができたんじゃないかなっていうですね、そんなちょっと希望を感じさせるような展開だったのに、全然そうはならない、思っても見ない方向にその少年が行ってしまうっていう。
しかもこの玉川沿いの工場で土手を読むは、その後、その2つ目のエッセイもあって、長山の龍が極中結婚をするんですけど、それでそういった話とかもですね、あって、これもなかなか、なんでしょうね、この自分の関心とかだとちょっと読まなかったであろう作品だと思うんですけど、この死刑囚の長山の龍が書いた小説っていうのが。
脱北者と文学
でもやっぱりこのエッセイを通じて、すごく読んでみたくなりましたね。
そうですね、あと関連本もいくつか紹介されてるじゃないですか、このエッセイの中で、例えば死刑の基準、長山裁判が残したものとか、やっぱりこの長山さんに関して書かれた本とか記録みたいのがあるんでしょうね。
それも含めて読むと、この当時のこととかすごいわかりそうで、確かにこれを読みたくなりますよね。
そうですね、そういったので、結構このエッセイ集の中でも印象的なエピソードになりましたね。
確かに。
もう一つだけ紹介するときまして。
次がですね、炭鉱町から来た人というエッセイで、ここでは主に大北紀美子さんという炭鉱について書かれた詩ですね。
その詩というのが死の花粉という、生きる死ぬの死ぬの死の花粉という詩について触れられているんですけども、何が印象的だったかというと、
死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死ぬの死
が運ばれる自分で掘った地底の中で埋まってしまった密かな孤独単行のあそうですね でまぁそれからもですねもうちょっと続きはあるんですけども
単行の人は自殺を知らないから始まるっていうなかなかな言葉から始まるようなシーン なんですけども
もうちょっと続きもあるんですけど読んでいくとすごくですね何とも言えない この美しさが歌を言うような
和紙ででそれのうん これもやっぱり自分が全然知らなかった本ですね
この起きた君子さんの詩が収録されているのが死の中に目覚める日本というですね 岩波新書から出ている本の民衆詩のアンソロジー
あそこに収録されているんですけど本当 全く知らなかった本でま知らなかったシーンなんですけどもこんなに魅力的な
しかも単行のシーンの中にパンダという知れるって言うですねそういった 自分が全く知らなかったものを知れるというところもですね
こういったなんか読書エッセイの醍醐味なのかなというので なんかすごくいいなと思ったエッセイですねそうですよね
これしかもなんか言葉がリアルというかねなんか独特のな なんか生々しさを持ってますよねこの詩は
うんそうですよね うんうんうんうん
しかもこれなんか紹介の中であの斉藤麻里子さんが元々大学では考古学を専攻されていて韓国語っていうかそういったのではないんですよね
最初は考古学でその単行の街 地区方に何度か足を運ぶことがあって単行の歌というんですかね
なんかそういったのも情報収集とかもされていらっしゃったんですけどもそういった 斉藤麻里子さんがもともと大学生の時から
なんて言うんですかねその研究されていた分野というかですね そこからの派生してのこの詩の紹介につながっていくので何とも言えないこのリアルな感じ
っていうのもこのエッセイの中ではあったと思いましたね 確かに確かにそうですね他のエッセイでもかなり印象に残ったもの結構たくさんあったんですよね
僕がちょっと面白いなぁと思ったのは結核を巡る2つの物語というエッセイで林文子さんと 郷静子さんのそれぞれの作品をに触れているんですけどもその中で斉藤麻里子さんが
追い詰められた人間が出てくる小説を読むのが好きだっていうのをですね ちょっと書かれていてそういうのもちょっとわかるなぁと思いながら読んでましたね
僕の場合だったら極限状態を描いた小説が好きとかですね なんか登場人物が吹っ切れた瞬間が描かれている小説が好きだとか
そういったのがあってですね こういった追い詰められた人間が出てくる小説を読むのが好きっていうのもその感覚が確かに
書いたもの自分にもあるかもしれないなぁと思いながら読んでました あーなるほど
そうですね 私あれちょっと印象に残ったのはですね ジョージ・ウォエルですね 脱北者が読むジョージ・ウォエルですね
まあ1984年ですね ジョージ・ウォエルの有名なディストピア小説ですけど これを読んで脱北者がジョージ・ウォエルを読んで
この1984年っていうのは二重思考という考え方があって 北朝鮮の方々の頭の中には常に2つのストーリーが進行していると
それとちょっと重なるっていうのが書いてあると同時に 斉藤麻里子さんが1984年を読むことができなかったみたいな
読み切ることができなかったみたいなこととかも書いてあって そのあたりもちょっと触れていて結構面白い話だったなぁと思いましたね
確かに脱北者がジョージ・ウォエルって それが面白いですよね
なんかすごくリアルな感じがするし この1984年が迫ってくるんだろうね 超怖いなぁと思いながら読みましたけど
じゃあちょっと最後に一番最後に収録されているのが 本のしおりにぶら下がるというエッセイなんですけど これ結構面白くて
本を読むと付箋だったりメモだったりをバンバン貼っていって さらにもうそれがなんだかよくわからなくなってくるから
付箋に星マークつけたりメモに星マークつけたりとかしてやるらしいんですけど それもどんどんごちゃごちゃになってて整理がつかないんだいつもみたいな話がまずあるんですけど
その時に検証員と付箋とかを貼るのがもうちょっとしんどくなったっていう話がどっかにあったって
まあちょっと仕事を止めた時があった その時に何も付箋とかもメモとかを使わずに
キャスリーンとフランク父と母の話っていうクリストファーイシャウットさんという方が書いた本を読んだそうなんですね
その時にもうなんかいつも言ったらもう多分仕事のこともあるんで本の内容をどうしていくかみたいな視点観点が本を読む時に働いてたっぽいんですけど
それをなく読んだみたいな形で書かれてます 最後にですねこれ1冊1箇所この本はここだな自分にとってはここだなというところ
自分のおへそがどこにあるのかみたいな感じがあってでしおりは大抵1冊に1本しかないから 1冊に1箇所迷いなくそこへしおりを挟んでおこうと思うページがある
そういうとこにしおりを挟むんだみたいなことをちょっと言っていてすごくいいなぁと思っていて
読書の楽しみ
なんか我々も多分今ちょっと本を紹介するっていう観点で読んだりとかしてるので
あのすごく共感する部分もあったし私も本読むとき付箋だらけになっちゃったりするんでこの本のしおりにぶら下がるもんですね今結構な数付箋つけてるんですけど
でも確かになんかもう付箋とかでやっぱり頭の中でここでやっぱ付箋つけようかなみたいな思考が働いたりもしてしまっていて
その癖がない状態その思考がない状態で本を読むってこうナチュラルに重要なことなんじゃないかなって私はちょっとこの本のしおりにぶら下がる時に思ったんですね
いやこれ結構いいなんだろあの読書好きとかまあなんか仕事でついついこの好きなことを仕事にしていてでもついついなんかこう仕事のためにやってしまっている
あの業務みたいのがある人には結構刺さる内容だなと思ったので最後はちょっとこの話で締めようかなってね
いいですねなんか最後のエッセイは本当になんか開放感があって
ああね本当だよね
僕はこのエッセイ読んですごい気持ちがちょっと軽くなりましたね
わかる
やっぱり自分もしおりいっぱい貼ってしまったりそうですやっぱり重要かもって思ったらあのメモを残したりしてたんですけどね
やっぱそれってでも何かその疲れじゃないですけどなんかそういうのが溜まっていったり何かちょっと思い込みを生んでしまうような読書の仕方だったかもしれないとかですね
なんか一回そうですね最後のエッセイを読むと本当になんか読み終わったと最後にしおり一つだけ挟むような
なんかそんな読書をちょっとやってみたいなって思いましたね
そうだねいやー本当なんかこのままちょっとぬるっとテーマトーク入っていきたいなと思うんだけど
この本を読む時に結構我々知ってることあるじゃないその例えば実際には付箋をするとかさいう行為もあればなんか頭の中でなんか変な整理をしちゃってる時とかも多分絶対あるけどねだからなんかそういうのからちょっとやっぱり開放される読書っていうのも多分すごく重要なんだろうなってちょっとこれを読んだ時に思いました
なんか個人的には自分って私はなんか小説とかまあビジネス書学術書とかまあそういった類のものを読む時やっぱどうしても付箋を手元に置いて買っていくっていうのがもうなんか自分の中では決まり事みたいになってしまっていて
あんま開放されてない感じはあるんだけど逆に年に何回かやるんですけど漫画を一気読みするっていう時はもうそういう思考からも全部開放されてとにかく漫画の世界観に浸るっていうあのことをたまにやるんですけどでもあれなんかどこかで求めているのはやっぱりどっかでそういういつもの読書スタイルから開放されたいんだなっていうのがちょっと感じでいて
このエッセイを読んだ時にもすごくそれは感じたんだよ
なるほど僕もなんかこうやって考えると誌より貼ったりメモ取ったりして読むことが多いんですけども何かその本から得ようとしていたり何かその本の記憶とか記録とかを残そうとしているっていうですね何かその
何か記録記憶を残すことが目的になってしまっているなっていうのが あーうんうん確かにね
本来本読む時読む本によって目的とかモチベーションは様々ですけどもうちょっとリラックスして時間とかにとらわれずに純粋に楽しんでというか楽な姿勢で楽に読むようなそういう読み方を
何かした方が絶対自分の中では楽しい読書になるんだろうなぁと思ったりはなんかしましたねちょっと今思ったとき 確かにそうですね漫画を意気込みして自分の状態をちょっと深く見るっていうのは確かにありますよね
うんうんうんうんそうですよね でもなんかやっぱり我々はさちょっとまだ何ていうのかこういう感想ベースの紹介をしていて
まあそのために読んでいる部分っていうのはもちろんあるし そこは否定できないところだと思うんだけれどもやっぱりあの文学を研究されている方とか
研究者とか評論とか批評とかされたりとか そもそもこの斎藤丸子さんの話の中では帯文を書くためになんか依頼されたから読むとか
好きなこととこの仕事のなんか教会が曖昧になる瞬間がある方 特にこういうね本みたいなものに携わっている人の中ではやっぱりそのどうしてもそのなんていうか
頭の中でどうしてもいろんなことを考えながら読んでしまうと思うので なんかこの本のしおりにぶら下がるのようにこういう開放感って多分時には絶対必要なんじゃ
読書スタイルの再考
ないかなとは思ったりはしますね そうですよね 僕もやっぱりちょっと思うところはあってですねやっぱりそれは自分の今の読み方が
これでいいんだろうかっていうのは結構前々から疑問に思っていてですね そうなんですよねなんか前にその日本翻訳大賞の実証式に聞きに行った時
今年の日本翻訳大賞を受賞された榎本空さんですね 母を失うことを翻訳された方ですがその本の中のボイスですね
それが著者のボイスなのかその本から宿ってくるようなボイスなのか ちょっとあれですけどそういったのを組み取って掴んで言葉にしていきたいという
そんなようなことを言われていてですねなんか僕もその本を読んだらなんかその本のから聞こえて くるなんか自分だけのボイスっていうのはあるんだろうなぁと思っていて
なんかそういうのを感じれるような人になりたいなぁとは思うようにはなっていてですね でそこで思うのはなんか本を読みながらこれをラジオで紹介しようって思うから
付箋を張るとかがそういうことをしていたらそのボイスはなんかなかなか聞こえて こなさそうと思っていてですね
もうちょっと本との向き合い方というかなんかそこを変えたいなとは思ってはいてですね なるほどでも今回そうですねこの斉藤丸子さんが書いているように本の
しおりを最後に一つここだなっていうところに挟むようなそういった方がいいなぁと思いましたね だから僕だったら例えば素直にその本を読んでいってあんまり記録を取るとかそういうのにそういう
のが目的にならずに読んでいって最後読み終わった後 こういうなんかボイスを感じたなとかっていうのがあればそれをメモしたり
ちょっと例えばですけど自分で独り言で喋ってそれを録音して記録として取っていくとか そういうのがやってみたら1回面白いかもしれないとかって今ちょっと喋りながら
浮かんできましたね 確かにね まあなんていうか正解はないと思うので本の向き合い方っていうのは
人それぞれで 何求めるかに本当によると思うんですけど
まあでもやっぱりなんか何でも揺れ幅だと思うんだけど 囚われてしまったりいたりとしたらやっぱりそこからちょっとたまには解放されたいとか
でまた解放されることによってあのまた今までの読み方に戻ることもできたりすると思うのでそれは人それぞれだし
でもやっぱり純粋に楽しいから読んでるっていうのは大前提というか絶対あるので まあそこはなんていうかなあの崩れてなければいいのかなとは個人的には
思ってはいるけど やっぱりそうだねなんか本の向き合い方とかね
あのこういうのを読むと考えてしまいますよね じゃあ今日はちょっとこんなところで終わりにしたいと思います
最後いつも通りですねどんな人に読んでもらいたいか感想を交えながらお話ししていき たいと思いますね今回結構あのいろいろお話ししてきましたが誰にどの世代の人が
読んでも多分面白い本なんじゃないかなと思っていて やっぱり本の紹介というかあの時代の紹介というか
その時の価値観とか歴史の流れとかなんかいろんなものが描かれてはいるんですけど 結果的になんかこう自分が多分好きなものをここからこう
手繰り寄せてる気はしていて読み終わった感想だと なので今日の話聞いてちょっとでも興味持ったらまあ読んでみて
あの読んでいただきたいなと思いますし もしちょっとこの気になるレベルであったらまあ一本一本はそこまで長くないので本屋で
一本ぐらい立ち読みしてみてこれは絶対面白いぞと思ったらまあ買ってみるとか そんな風にしてみたらいいんじゃないかなと思いますかやっぱエッセイっていろいろあると思って
てやっぱりなんか感覚がダイレクトに伝わってくるものだなと思っているので あのまあこれを聞いていただいているリスナーの皆様もきっといろんなエッセイ読んでると思うん
ですけどぜひですねちょっと気になったら読んでいただけたらなと思います そうですねやっぱり読書エッセイなので本当気軽に読めるのかなと思いますね
がそんなにあの難しいこととか書かれていないと思いますので ただ紹介されている本はですねもちろん個人差あると思うんですけども結構
知らなかった本がたくさんありましたし知らなかった作家とか詩人とかあの結構紹介 されていたんですけども僕にとって
でも読んでいくとやっぱりもすごくその興味を持ちましたし 単行の詩とかですね
この試験集の人の小説とかですね なかなか今までそれを読もうかなと思ったことなかったんですけど
いやでも読んでみたいなちょっと気になったなぁというですね本当そういうふうにちょっと 心が動かされることが本当にたくさんありまして
本当読書エッセイのそういった醍醐味 いろんな本が知れるしそういった本が読みたくなるようなすごく好奇心を掛け立ててくれるような書き方もされているし
しかも斉藤麻里子さんの面白い独自な視点というのも本当にすごくふんだんに入っていると思いますし 楽しんで読んでいけるのかなと思いますね
そうですねじゃあ今回はちょっとこんなところにして次回告知で終わりたいと思います 次回はですねデイリーにグリオ派の喉に住む一人の幽霊という作品をご紹介します
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リクエストまたこのラジオを聞いて紹介された方を読みました 読み返しましたございましたらハッシュタグ空飛び猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しい
です x やインスタの投稿などでお待ちしております ホテルフォームも番組情報欄に載せておりますのでそちらからいただければ定期的に
やっているお寺紹介会でご紹介させていただきますこの番組 気に入ってきましたら積極的に拡散共有してあげると助かりますではまた来週
ありがとうございました
53:31

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