📻 Radio23clubについて
ラジオDJ 平野文がお送りする深夜ラジオみたいな番組です。毎週木曜23時よりYouTubeで配信します。ListenではYouTubeのバックナンバーをアップロードしています。
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※声優/ナレーター・平野文の公式YouTubeチャンネル。
🍀 Clubhouseについて
平野文のマイクの向こう側(毎週金曜23時)
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👫 スタッフ
技術:ヤガー(ニサンガロク)
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企画・編集:コグレマサト(ニサンガロク)
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サマリー
このエピソードでは、女性声優の野沢雅子さんが少年役を初めて演じた経緯と、その後の声優キャリアについて語っています。彼女は、テレビの洋画の吹き替えで初めて子どもの役を演じた日本でのパイオニアとして、その経験や思い出を共有しています。また、第19話では、銀河鉄道999におけるメーテル役についても触れています。アニメのイベントの起源や、声優としてのスタイルの変化に関する洞察もあり、真子さんの影響力が強調されています。このエピソードでは、彼女が少年役を初めて演じた際の経験や、演技に対する独自のアプローチについても語られています。真子さんの方法論や、現在の若い声優たちの特徴が取り上げられ、演技の重要性が再確認されています。
ラジオ番組の紹介
さあ始めましょう。平野文のRadio23club 第20話です。時刻は23時をまいりました。
こんばんは。ラジオDJの平野文です。 今日はどんな1日だった?
何か良いことあったかな? いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからのひと時は一緒にのんびりぐったり 深夜のラジオトークいたしましょう。
さあ始めましょう。時刻は今23時です。 23は日本語でふうみと呼ばれるので、この番組は平野文のラジオふうみクラブと呼ばれます。
こんばんは。ラジオDJの平野文です。 今日はどうだった?
今日は誰かに感謝してくれました。 今から深夜のラジオトークをしましょう。
平野文のラジオふみクラブ。この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、 ウェブエンジニアのヤガーさん、お二人のサポートでお送りします。
この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、 ウェブエンジニアのヤガーさん、お二人のサポートでお送りします。
さて、頼りが頼りのこの番組ですが、
お便りという名のメールをいただいております。 ありがとうございます。
えっと、ノッチーさんです。
ふみさん、こんばんは。ヤガーさん、コグレさん、こんばんは。 ご丁寧に。
前回野澤雅子さんがインタビューを、私が古川敏夫さんと一緒に始めた レジェンド声優プロジェクトのその一環として、私が野澤雅子さんにインタビューをしました。
男とというところのURLはまだ健在なんですけれども、 どれくらい雅子さんがすごいのか、それを自らのお言葉で語っていただいたので、
それをなぞりながら伝えていきましょうと言って、前回お伝えして、 その中の一つで、
当時たまたま北郎の3期をやっていなかったからドラゴンボールをやることができたという話。
なんというか、幸運を呼び込むのも野澤さんの実力のうちなのかと驚異いたしました。
興味深い話をありがとうございましたと。 このお礼は雅子さんにそのままお返しするわけですが、
雅子さんの口から教えてくださったのは、 当時フジテレビはアニメでも主役は一人一本しかやってはいけないというルールがあったものだから、
もし北郎をそのまま3期目も続けていたことになっていたなら、 ドラゴンボールのオーディションすら受けることができなかったというお話で、
ドラゴンボールもすごくご自身で一生懸命やったら受かることができたのです。
運も才能のうちという言葉があるので、野澤さん、雅子さんはそういう方なんだろうなという言葉の端々、話の中からも聞き取ることができて有意義なインタビューだったので、
お祝いも兼ねてではないけれども、こんなお話をぜひ聞いてくださいというのがありましたのでお話をしました。
改めてすごさがわかりますよね。
それで尾野さんが、なっちゃこパック良かったですね。
私がこのラジオでやっているおしゃべりというのは、なっちゃんちゃこちゃんがすごく好きだったので、
お相手がいたならばそういうことをやりたいと思ったので、古川さんともラジオもやりましょうというようなことも話して、
それがレジェンド声優プロジェクトにつながったということだったのですが、
野澤なっちゃん、野澤なっちさんと白石ふゆみさんのパックミュージックという支援放送があって、
それもすごく私も憧れて大好きだったのですが、
ふみさんとちかいしさんコンビとは違う魅力があり、
おしゃべり歌謡曲というラジオ番組NHKの生放送を、
ちかいししんすけさんとずっと親子のようなコンビでやっていましたね。
何も考えないでちかいしさんの言われたことに返事をして、ただケラケラ笑っていただけですけれど、
ラジオパーソナリティはご当人の人間力というか人間性の深さが出るので、
単に声がきれいなら収まるというわけでもなく、
ふみさんのラジオが僕は週に2回聴ける現在はとても楽しいですと思っていただいて、
それは本当にどうもありがとうございます。
私のその人間力とか人間性の深さなんていうのは全然もう、
返事するなり笑っているなりみたいなラジオですけど、
こうやって一人でおしゃべりしている時も、私は話したいことを話しているだけで、
もっとお話のうまい方はこれをこういうふうに話したらウケるだろうとか、
ちょっとここは盛り上げておいて、やっぱりウケるっていうね、
そういうことを狙うならここはちょっと持っておこうとか、
そういう戦略を非常に頭の中でピピッと考えてお話になるようなら、
リスナーさんとか、それから今の司法さんも厚生の先生もついていらっしゃるので、
この話をしようかと言ったら、もっとこうやって話した方がいいんじゃないというアドバイスを、
そういうふうに言うこともあるんですけど、
この私のラRadio23clubに関してはですね、頼りが頼りです。
もうこれだけでお便りから広がるお話しかもできないので。
まあでもどちらかというと、私はやっぱり子役の悪い癖というのがあって、
子役の時ってやっぱり上からこれやりましょう、これやってね、これやんなさいというふうに、
全部ウケている仕事ばっかりだったので、
自分がこうしたい、ああしたいというのは本当に言わない、
そういう発想すら浮かばないぐらいの仕事ぶりだったので、
今でもそのままちょっと大きくなっちゃったものですから、
もうリスナーさんがプロデューサーだと私は本当に前から思っているんです。
とにかくうる星やつらのきっかけもですよ、
深夜放送をやっていた時に歯書きいただいて、リスナーさんからお歯書きいただいて、
ふみさんアニメの声をやったらどうですかって言われたから、
ああやれるかもしれないって言って、
その時、仕事のことで深夜放送をやりたいって言って、
ちょっとアピールしたのに続いて、人生2度目ですね、
事務所にアニメをやりたいのでオーディションあったらお願いしますって、
自分の方から言ったっていうのは本当にそうですね。
ですので、この番組に関してはですよ、
皆様からこれをやってみて、この話をしてくださいとか、
そういうことをいただいて初めて成立しているという、
そんな番組でもう19回目、19週も、
これはできたのはコグレさんや矢河さんのおかげで、
もし一人でこんなこと、マイクを前にしてロックンスタートみたいなことをやったら、
もう全然、まあいいかや、やめちゃえみたいなところがあるはずなので、
後ろをしてくださっているのが2,3が6のチームのコグレさんと矢河さんで、
2,3が6ってふうみってね、だから2人3人寄ればもう6になるだろうっていう、
そういう名前の名付けなんですが、
そんなことで皆様を巻き込んでのラジオふみクラブになっておりますが、
そんなわけで今日はおはがきを一つ読ませていただきましたが、
前回の野沢雅子さんにインタビューしたお話っていうのが前後編分かれてて、
まだ後半をご紹介していなかったので、
今夜はその話と、また頼りが頼りのお願い事をするつもりですけれども、
少年役の誕生
雅子さん話を、ご自身でインタビューに答えてくださった言葉をちょっとなぞりながらお伝えしようかなと思います。
日本語ではスーパーレジェンド、ひょっとしたらプラチナレジェンドかもしれませんが、
そんな雅子さんの言葉をお伝えしようと思っています。
ちょうど前回はそうやって、ドラゴンボールがなかったね、
ゲゲゲの鬼太郎やってたらそれは無理だったのよっていう話でしたけど、
雅子さんが、あるプロデューサーさんが調べてくださったのですが、
ゲゲゲの鬼太郎以降、主役が切れたことがないんだそうですって。
すごいですね。
いやー、だって田舎部大将もそうでしたけども、大ちゃんなどもありますし、
でもあれですね、少年の役がとっても多いのよね。
野沢さんがおっしゃるには、田舎部大将の大罪もオーディションで決まった役だったんです。
そこに集まった役者が私以外全員男性だったんですよね。
私女なんですけどって言ったら、分かってますよって言われて、
でもこれも最終的には原作者の川崎昇先生に選んでいただきました。
鬼太郎もドラゴンボールもそうでしたもんね。
少年役をやることになったきっかけということに対しては、実はすごいエピソードがあるんですよ。
テレビでアニメが放送される前、初めて洋画をテレビでやることになった時、
子どもの役の吹き替えを誰にやらせるかが大問題になりました。
当時の吹き替えは生本番が当たり前でしたから。
もう昭和30年、頭が始まる前の時代ですよね。
20年代かもしれないですね。
とてもじゃないけど本物の子役は使えません。
でも安心して任せられる年齢にまで成長した男性の声はのぶとすぎますよね。
そこでそのプロデューサーは女性を大役に立てることを思いついたんだそうです。
子どもの生態と女性の生態がとても近いということで、
そこで急遽、プロダクションや各劇団に声がかかって大々的なオーディションが行われることになります。
ヨーガですよね。テレビのアメリカン映画ですけど。
実は事前に何も聞かされていなかったので、子ども役をやらされてびっくりしたものです。
結果的にはテレビ初のヨーガの吹き替え放送に少年役として起用していただくことになりました。
というわけで私はテレビで少年役を演じた日本で初めての女性声優ということなのかしらと、
ご本人がそんな裏話があったとはね。
やっぱりこういうことをレジェンドの方に伺いたかったというこの話ですよね。
それ以降、女性が少年役をやるケースが増えていくんですけれども、
当初はほとんどの作品で私が少年役を演じていましたね。
そのヨーガの方でね。
あの人慣れてるからって言われて。
あと私が男の子っぽかったっていうのもあるんでしょうね。
子どもの頃からそんな感じだったんですよ。
お孫とよりもちゃんばらが好きで、しかも切られるのは嫌いというわがままな子でね。
それ主役志向ですよね。
そういう要素、そういう素養が真子さんの演じる少年役に反映されてるんでしょうかね。
だと思います。
少年役をやるときは少年になりきっちゃってますしね。
アテレコのときも体をちょっと傾けて、
声優の自覚と演技
意気がった感じのポーズでマイクに向かってるんですよ。
自然とそうなっちゃうんです。
背中を、私たち座ってるから、録音してる方の背中を見るわけじゃない、声優さんの。
やっぱりね、真子さんはね、うっとかってね、ちょっと拳を握りしめたりね。
マイクから絶対顔を動かしてはいけないのでね。
手のアクションとかね、なんかでちょっと体を斜めにする姿勢に構えるみたいなさ。
そういうところは確かにそう言われてみれば、真子さんそうだったな。
金太郎の役をね、うる星やつらでやってるときもこうウェン、ウェンみたいなさ。
なんかそんなアクションがそういえばね、あの生意気な子ねっていうね。
あの生意気さの感じがウェンっていうなんか拳に出ていたかな。
で、真子さんは美女役をやってみたいと思ったことはないんですか?
それがないんですよ。
女性のキャラクターをやってもバイタリティの役がある役が多くて、でその方がね、芝居がね、合うんですよ。
その点美女っていうのは綺麗にはみ出さないようにやらないといけないじゃないですか。
でも毎年お正月に言うんですよ。今年は美女役を目指しますってね。
この辺がもうね、本当になんかチャーミングですよね。
銀河鉄道999の影響
で、あの真子さんがゲゲゲの鬼太郎とか田舎っぺ大将の後はそろそろというかいよいよね銀河鉄道3・9がこれが1978年から始まるんですよ。
そうすると今度はね、メーテルという絶世の美女がね、登場する作品で、これはもう野沢真子さんと池田真子さん、あの踊りヘップバンの池田真子さん。
池田真子さんも本当に素敵な方で。
ダブル真子の共演はいかがでしたでしょうか。
銀河鉄道3・9ですね。
メーテルを演じている池田さんも綺麗でね。
いや本当にそうですね。
で、あの共演の話とはちょっと違っちゃうかもしれないんですが、
アニメをやっていた頃、彼女と喫茶店で談笑していたらマネージャーからもっと小さな声でって注意されましてね。
ねえメーテル、なあに哲郎ちゃんとかってお互い役名で呼ぶもんだから、店内ですごく目立ってしまったらしいんですって。
いややっぱり野沢さんもあれじゃんね。真子さんあれじゃん。
池田真子さんのことメーテルって呼ぶじゃんね。
私がダーリンって呼んだっていいじゃんね。
で、つい最近も池田真子さんのお家に電話したんですけど、受話器を取られた旦那様に、
すみませんメーテルいますかって言っちゃいましたって。
いやいやいや、なんかね、すごい。
もうあの、車掌役のね、肝月健太さんもね、もう亡くなりになっちゃいましたけど、
このお三方っていうのは、よく遠出したり、一緒に連れ出って遊んだりっていうことをなさったようで、
ねえ、なんかいいですよね。
で、あの、君が鉄を擦りないはものすごくヒットしたわけじゃないで、
後代後代のテーマ曲もかっこよかったですし、今でもカラオケですごい人気のある曲で、
アニメのその作品とファンとの関わりっていうのをね、真子さんに教えていただこうと思って伺ったら、
アニメイベントっていうのがブームになったのは確かに銀河鉄道3-9がきっかけだったと思いますね。
で、まあね、野沢さんもそうですけど、
雑誌からインタビューの依頼が来たのもゲゲゲの木太郎が初めてですね。
その声を真子さんに聞いたんですけど、
pancake makerの野沢さんにもね、
あの、そのバネができて、
アニメイベントがブームになったのは確かに銀河鉄道3-9でキック付けだったと思いますね。
この声を真子さんがやっているというインタビューの依頼です。
まずはそこから始まって、それを何回か繰り返していたら、次はイベントをやりましょうということになりました。
今のイベントの本当の源は真子さんです。
やはり主役の声のインパクトというのが、作品やテーマ曲などと相乗効果になって、
今と違ってPRする手立ては雑誌か電波以外ないですからね。
そこでまたインタビューを繰り返して雑誌などで取り上げていただいていたら、次はイベントをやりましょうということになりました。
でもその当時のことは今でも忘れられないのですが、
若手声優への指導
デパートの屋上が会場だったのですが、大きな北郎のかぶり物が用意されていて、
これをかぶってステージに立ってくださいと言われたのです。
私はその時は本当に声を上げました。
仕事だから仕方ないとかぶろうとしたのですが、今と違ってかぶり物がすごく重たいのです。
かぶるところが動かすことすらできなくて、
結局アルバイトの男の子がそれをかぶってステージに立つことになりました。
もうふらふらしちゃった。危なかしくて。
後ろで真子さんたちが役柄の声でセリフを言うと、かぶり物の前でみんなが動いている。
だから後ろでマイクで、
僕落ちちゃうからバックしましょうなんてコントロールしながらやっていたのを覚えています。
それがアニメのイベントの最初だったということは、やっぱり真子さんの声の証言ですよね。
まず大きく変わったのは、私たちがステージに立たなくなったこと。
北郎の時は着ぐるみの隣に立って演技していたのです。
それが3・9の頃には声優は舞台の袖から声だけで出演するという形になっていました。
あくまで主役はキャラクターであったということですよね。
声はあくまでも裏で、舞台の袖でやっていると。
北郎の時は着ぐるみの横に立っていたというのもちょっと興味深いですよね。
真子さんがおっしゃるには、当時は役者の方も自分たちは表に出てはいけないという意識の方が強かったんですよ。
子どものキャラクターを演じているので、実際声をやっているのは大人なんですよというのが分かってしまうと、凶詰めしちゃうでしょ。
子どものイメージを壊しちゃいけないというふうに考えていました。
それこそ、ティーネイジャー向けのアニメというのはうる星やつらが初めてだったと言っていた人がいましたよね。
そのままフジテレビのうる星やつらの前の枠は荒れちゃんでしたからね。
3・9も大人向けだったけれども、アニメーションということではまだまだ高校生とかティーネイジャー向け、大人向けということの意識はなかったという時代だったんでしょう。
着ぐるみに入っている役者さんと息を合わせて演技をするのがとても大変でした。
台本は大方決まっていてセリフもあるんですけれども、やっぱり会場の雰囲気に合わせてアドリブも必要ですからね。
ぼーっと立ち止まってしまっていたら、かぶり物のほうがね。
そうしたら、よしちょっと動こうかなって喋って動きを促したり、もし転んでしまった場合なんかは痛って叫んだりしていろいろ工夫していました。
そういうようなことだから、真子さんのように起点のきく声優さんじゃなかったら、それはもう大変になったということですよね。
ドラゴンボールの時から海外のイベントというのがあったそうなんです。
ドラゴンボールに対しての。
それは真子さんはご招待されたら本当にすごかったですよと。
現地のスタッフさんが言うには、今海外で活躍している日本人スターが登壇するイベントでもこんなに人は集まらないですよと言われるくらいたくさんのファンの方が集まってくださって。
ロスでやっているのにフランスとかインドとか地球の反対側から来るような人までいてね。
ドラゴンボールはやっぱり別格なんだそうです。
会場入りもリムジンですし、レッドカーペットを歩くときは周りにボディガードまでつきましたからね。
人書きを書き分けてステージに上がるとか、まるで大スターになった気分でした。
真子さんすごかったんだ。
ちょうどだから私この時はもう築地に行ってて嫁修行をやっている。
ちょっと私12年間ぐらいブランスになったんで、その時ですかね。
いやー知らなかったな。
向こうでは成人後の大人になった悟空の声を男性がやってるんです。
だから皆さん現地で私が女性でびっくりしたかもしれないわねということをおっしゃってました。
だけどすごいですね。
でも今でもやっぱり真子さん向こうでいらっしゃればもう
ドラゴンボールにしろ、他の作品にしろって言ってずっとその主役をいくつもいくつもやっていらっしゃったんですからね。
で、アニメイベントがブームになったのは確かに銀河鉄道39がきっかけでしたね。
っていうようなこともおっしゃっていましたね。
子供の役初めて真子さんが親になって、女性がっていうのの第一号であったし、
海外でもやっぱりレッドカーペットのところを歩いていらっしゃるような
そういう体験も多分真子さんが一番最初に親になったんじゃないかなと思いますね。
真子さんはレジェンドでありますので、
後進の指導ということにもなんか熱心なイメージがあるんですけどいかがでしょうかという質問をさせていただいてて、
何度も聞かれていると思うんですけれども、
真子さんから見て今の若手声優の演技はどのように移りますかということも最後伺ってみました。
そうすると真子さんの言葉をそのままちょっとなぞってみると、
どうしても個性が薄いように見えてしまいますね。
かわいい女の子の声はこういうふうに演じるとか、肩にはまった演技をしてしまっているんじゃないかしら。
その原因というのは、やっぱり良くも悪くも一つは声優学校の存在だと思います。
真子さんももちろん教える立場に立たれたことがあるんですよね。
昔、鉄間アトムのお茶の水博士をなさっていらっしゃる勝田久志さんが、やっぱり声優学校の第一号みたいなところをお作りになったときに、
またそれを相談なしにキモちゃんが引き受けてきちゃうんですよって。
キモちゃんってキモツキケンダさんがね、真子を講師にいいよいいよっていうような感じで。
だから仕方なく何度かやらせていただきましたけれども、今はもうやらないようにしてますと。
そもそも演技って教わるものではないでしょう。
右も左もわからない新人さんに、こういうシーンではこういうふうに演じてみましょうなんて教えたら、
真子さんの演技アプローチ
みんなそういうふうに演じるようになってしまいますから、要するにその画一的になってしまうということなんだと思うんですね。
だからそういうのでは、どうすれば一人前の声優になれますかと質問されることがあるんですけれども、
それにはとにかく周りを観察しなさいと言っています。
そうやって自分だけの演技の引き出しを増やしていくことが大事なんです。
ですよね。今の若い子は人の作った引き出しをそのまま真似してしまっているのがもったいないと思いますね。
だから真子さんはマイクの前に立つと自然とキャラクターの声がふーっと、その引き出しがあってこそ出てくるっていうそこですよね。
真子さんは本当にそういう方法は絶対に正しいのか分かりませんけれども、
少なくともこれまで私がやっていたことに対しては大きなNGをもらったことがないので多分合っていると思いますと真子さんはおっしゃっていましたけれど、
国宝級の天才の真子さんだからそれができるのであってね。
さすがに普通の人ではそこまで求めてもすぐにできるかというとそれは刻かもしれないなとは思いますね、私なんかでも。
いやでもそういうふうに真子さんも感じていらっしゃるということなので。
ついでにね、最近の若い子はみんな声を当てるのがすごくうまいのよね、ピタッと合わせてくる。
私たちは気持ちが優先でしょうなんて言い訳して少々口からこぼれちゃっててもいいやってなっちゃってますと。
これは戸田恵子さんもおっしゃってたけど、今の子たちは器用だからっていうことを言ってましたね。
もう少し内面的な芝居を重視するような作品が増えてくると違ってくるのかもしれません。
ただそれは時代もあると思うのですぐには変わることはないんでしょうかねと真子さんはおっしゃっていましたね。
その真子さんに続けなんていうのはもうおこがましくて、ちょっとそれはもう本当に国宝級です。
現代の名工などといって職人さんが賞をもらったりなさるけれども、それと匹敵することを今の歴史もご自身の口から語っていただいたのを合わせれば、
当然トップオブトップのサミットの方でしょうというのが分かりますものね。
まあですからこの真子さんの生きた言葉っていうのをもうこれからもちゃんともう少しもっともっとって聞き逃さないようにしたいなと思いますね。
もう言っていただくだけで嬉しいのだからみたいなそういうところですけど絶対黙ってなんかいらしてくださらない方なので本当にありがたくおしゃべりする声もあのまんまですからね。
前後半を合わせてこの野沢真子さんのすごさっていうのを、かつ全然今の言葉は端からもお分かりになるように全然威張っていらっしゃいませんもんね。
普通に私たちと同じ目線で話してくださるので、そういうところのその人間的なことも全部その引き出しの中に入ってそれが演技につながるんですよということをやっぱりこうすべてご自身の声で教えてくださっているということなので、
まあでもなんか私なんかでもちゃんとこうやって追いかけることもできる方がいらっしゃる幸せっていうのは幸せですよね。なんかね嬉しいなって感じますね。
このおとことのレジェンド声優プロジェクトでは本当にレジェンドの方にインタビューをしているので、また機会があったらこれを復習するような感じでご紹介したいなと思っています。
旅の話題と放送予定
それで頼りが頼りの話なんですけれども、先週もお願いしたように、そろそろこうウキウキとした春を求める時期にもなりましたので、なんか旅のお話をぜひともいただきたいなと。
卒業旅行の思い出ってあるのかしら。あそこ行った時のあれが忘れられないとか、ちょっとね、あそこ憧れの地があるので行ってみたいんですよとか。
それこそ死ぬまでに一度はって。日光を見る前には死ぬなみたいなそういう言い方があるから、そういう憧れている家の地がありますとか、そういうお話でもいいですし、男子の卒業旅行を一人旅したみたいなそういうようなお話もあると非常に私なんかは憧れてますのでね。
そんなお話もあれば宿題としてメールでお手紙いただければと思います。
で、大変申し訳ないんですけれども、次週からちょっと少し放送ができないような状況になってしまうのでお休みをいただきます。
次回、今第19話ですけれども、第20話は3月の27日を予定してますので、その間ちょっと春の旅の話など、メールは見ることができますので、ぜひともお待ちしています。引き続きよろしくお願いします。
ひらのふみのラジオふみクラブ第19話でした。そろそろお別れです。ちょっと間が空いてしまいますので、いっそ次回が待ち遠しいな。
お相手はひらのふみでした。そしてサポートはスタッフチーム2346のブロガーの小群さん、WEBエンジニアのヤガーさんのお二人でした。
この続きは次回の第20話で、3月の27日の木曜日、23時からね。ではまた。
次回もお楽しみに。
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