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さあ始めましょう。平野文のラジオクラブ第18話です。 時刻は23時を回りました。こんばんは、ラジオDJの平野文です。
今日はどんな一日だった?なんかいいことあったかな? いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからのひとときは一緒にのんびりゆったり深夜のラジオトークいたしましょう。
さあ始めましょう。23は日本語でフーミーと呼ばれるので、この番組は平野文のラジオ23、いや、フーミークラブのラジオと呼ばれます。
こんばんは、フーミー平野のラジオDJです。 今日はどうでしたか?
今から深夜のラジオトークをしましょう。
平野文のラジオフーミークラブ。この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガーさんお二人のサポートでお送りします。
この番組はスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガーさんお二人のサポートでお送りします。
野沢雅子の受賞
さて、今週のトピックスとしては野沢雅子さんが第66回の毎日芸術賞特別賞を受賞しました。
これは23年の11月から24年の10月まで、特に優れた芸術的成果をあげた個人や団体に贈られる毎日芸術賞ということで、
もちろん、アニメのスーパーレジェンドという言葉が浸透するようになったので、プラチナレジェンドという言葉が浸透するようになったので、そういう表現になりますが、もう大先輩です。
私が今思い当たる5年配の大先輩の方と言ったら、野沢雅子さんと長間道夫さんですね。
両横綱、本当に全てが立ち振る舞い、人間的にも人格的にも、それから花もあって、
全てのことに対しての人としても尊敬できる方というのだったら、野沢さんと長間道夫さんですね。
その方たちと私は仕事が一緒にできているということは本当にありがたいなと思っています。
だから、そういう賞をいただくというのも、もう差もありなんという当たり前というふうに、我々は思いますね。
受賞式があったのですが、野沢さんはこういう時のスピーチは可愛らしくてチャーミングで、記事にもなったのでお読みになった方もいらっしゃると思うのですが、
受賞式のスピーチで、おしゃべりはどんなに長いセリフでも言えるのです。ただしセリフです。
台本に書いてあれば、どんな素晴らしい言葉でも言えるのですが、それがないと何も話せないのです。
無口な野沢でございます。と言って、大体そこでみんなに笑いがあるのです。
私はどうしたらいいのだろうと、今日は台本がございません。
でも、賞をいただくということは本当にうれしいことで、
なんで私が、と思ったのですが、いただけるものはいただこうかな。もう私も年だし、88歳でもうベージュですよ。
だけど本当にお茶目のスピーチがとても上手で、またくくって肩をすくめながらお笑いになると本当に可愛らしいのですよね。
やっぱりチャーミングさというのは、いつまでも持っているのがいいなという理想の姿を真子さんが見せていただけるので、私たちもいつも追いかけていられるというところです。
今後については、これからもどのくらいできるか分からないのですが、
私が勝手に決めた年代といたしましては、182歳までやろうと思っておりますので、
どうぞ皆様、私を見かけましたら頑張ってねと一声かけてくださると嬉しいですと、笑顔で語りましたというようなさ。
受賞式の時も、事務所のトップ1,2,3が全部付き添って都内の受賞式の会場にいました。
事務所の中にも受賞のプレートやトロフィーがいっぱいあって、この間も事務所で前美ちゃんと年尾ちゃんと私とで、
せっかく事務所で偶然に回ったから写真を撮ろうと言った時にも、そこに真子さんのパネルがあったので、
真子さんも入れようと言って、その写真に真子さんもちゃんと入っているという、私にとっても特別な写真になりました。
追いかけることのできる人がいるというのは本当に幸せだと思います。
インタビューの思い出
私は年尾ちゃんと古川さんと一緒にレジェンド声優プロジェクトというチームを作り、
それで真子さんたち、私たちより先輩あるいはお仲間の人たちのインタビューを2人でやって、
その功績なり昔のことなどを語っていただいて残そうというプロジェクトを作って、
真子さんにはもちろんお話を伺ったり、他の方、例えば井上真孝さんもいたし柴田利勝さんも清水麻里さんもいらして、
当時のことを伺うということをして、もちろんホームページも今残っていて、
やはり途中でできない状況になってしまったので、そのままになっているので、
そろそろそういうところも復活しないとねと古川さんともお話ししていたところです。
男とというホームページサイトがあって、私が野沢真子さんにインタビューした内容も今でもそこに残っているんですよね。
ちょっとその賞をいただいたのを思い出したので、賞をいただいたときにこちらのページを思い出したので、
見てみたらやっぱりすごいことをちゃんと語ってくださって、改めて見てみたら、
やっぱり本当に言葉だけを自面で追っていても、お人柄も出るし、
なんて素敵な方なんだろうって、それこそまた尊敬の念を新たにするっていう、その言葉にふさわしい方ですよね。
そのページがまだあるので、ちょっと私これ今サイトを開きましたので、聞き手平野文で2人で対談をしているんですよ。
もちろん私がインタビュアーになっているんですけども、少しそれを見ながら野沢真子さんのおしゃべりの方を追っていこうかなと思うんですね。
ここの前後編にあるんですけど、タイトルが「北郎、鉄郎、悟空、歴史的キャラクターを演じ続けてきたレジェンド声優野沢真子の裏話」というふうなタイトルでもって、
私が真子さんと手を繋いでいる写真とか、真子さんがくすっと笑っている写真とか、特にいっぱい載っているんですけれど、
結構長く撮ったので、それを抜粋してアレンジしてプロジェクトでまとめたものが載っているんだけど、
まずは私はとにかくうる星やつらで、真子さんが金太郎の役で出てくださったので、その時に初めてお目にかかって、
ご挨拶を申し上げたら、「うん、分かった」と言って、何を分かってくださったか、挨拶をしただけで、「うん、分かった」とおっしゃってくださって、
金太郎の役のことは一言、「うん、可愛くて生意気な奴だったわね」というインタビューでお答えになっていて、
確かに可愛くて生意気な奴らしいお声を出していただけましたよね。
うる星やつらも返す返すもこのキャスティングは、音響監督の柴吉春さんの采配ですね。本当にそう思いますね。
真子さんの歴史を少し最初から、ご存知の方もいらっしゃるでしょうけれども、文字にちゃんと留めておきたいというので伺いました。
もともとは自分から役者になりたいと思ったわけではないんです。
なんて言ったって赤ちゃんの頃から出ちゃってますからというので、
お知り合いの映画の撮影のところに行ったら抱かれている赤ちゃんの役を知らない間にされちゃったとか、
そういうところでも物心つく前からスクリーンデビューをしていた。
小学3年生の時に自宅の姿見の前に立って、私は女優になると宣言したらしいんです。
これはこの間の1960年代の東京オリンピックの前のお話なので、まだテレビはほとんど普及していません。
映画とラジオが役者の活躍の場でした。
おばさまが小築の女優さんであったので、そこのメイコということで、
そういう状況がだんだんこっちの方に行くように仕向けられたところだったようです。
まだプロダクションなんていうのもない時代ですから、またいらっしゃいというような形で呼ばれていたとおっしゃっていました。
声優の歴史と影響
アニメのデビューは、私たちの初めてのテレビのアニメーションは鉄のアトムでした。
1963年のオリンピックの前の年、モノクロの鉄のアトムのところでのお役がデビューだったのかなと思います。
一番現場で記憶に残っているのは、毎回ではないのですが、手塚治虫先生が現場にいらしていたことです。
緊張なさったのを覚えていますが、先輩方にそう言ったら、真子は全然緊張していなかったと苦笑されたという、真子さんらしいエピソードです。
手塚先生はどんな方でしたか。直接お話しする機会はなかったのですが、見ているだけで、この人はこの作品をとても愛していらっしゃるということが伝わってきました。
優しげなお顔で何度も聞きながら映像を見ていらっしゃったのが印象的でした。それがデビューの思い出であり、手塚治虫先生の思い出です。
今晩は、真子さんのお話をしています。
真子さんにとっては、当時の先輩と言うと大平通さん、ワラウセルスマン、田中信夫さん、コンバットのサンダース軍曹、奈良五郎さん、ルパンのゼニガタ警部。
この方たちは、真子さんが親になる前から声優として活躍していました。
皆さんご存知のように、テレビ映画の場合は生放送の時に生アテレコをしていました。
アニメというのは、せーので最初からバーンとお芝居を30分なら30分やっちゃうみたいな。
なので、みんなお芝居のたけた方ばかりがなさっていたということだったから、緊張はするけど楽しかったんだろうなと私は想像しました。
思い出のアニメ作品
当時、オリンピックを挟んで鉄腕アトム、おばけのキュウタロウ、おさまつくん、ゲゲゲの鬼太郎が続きました。
私はその時代は、もうガッチリ見ていた年代なので、どれほど鉄腕アトムやおばけのキュウタロウ、おさまつくんなどが我々の心をつかんでいたかというのはよくわかる年代なので、
やっぱり情報が少ないですよね。
NHK教育テレビではその他に民放局があり、テレビ東京みたいな地方局はまだできていない時代ですから、
地方に行くとNHKと教育テレビは映るけれども、民放が1局で、そこの1局に東京の3局くらいのテレビの編成の方が地方で、そこの1局のところに編成で割り振れられるというところで、
アトムとかおばけのキュウタロウなんかは必ず全国で放送して、日本中の少年少女が毎週テレビに首ったけというところでした。
その次にゲゲゲの鬼太郎が始まって、まだモノクロだったんですよ。
その時にゲゲゲの鬼太郎で真子さんが鬼太郎のアニメの主役をデビューする。
この時にも大塚千川さんがねずみ男なんかでいらっしゃって、
真子さんは劇団にお入りになっていたので、大塚千川さんがねずみ男なんかをやっていらっしゃると、それは劇団の先輩だったから、
すごく楽しい。
たぶん、ひょっとすると、私がうる星やつらに出ていた時に、大先輩が真子さんとか、納屋六郎さんとか、長市郎さんとかに私が頼っていたというのと、
同じような感じの体験を、ひょっとしたら真子さんもなさっていったんだな、逆かな。
真子さんの体験を私がしていたという、そういうことだと思うんですけど。
やっぱりお話になっていらっしゃったのが、目玉親父の役の田中勲さんも、それからねずみ男役の大塚千川さんも、
主要な3キャラクターというのはもう同じ劇団出身のメンバーだったんですって。
ですので、長年一緒にやってきたので演技も合わせやすいんです。
こういう感じで来るだろうなというのが分かるんです。
それはもう横の関係ですよね。
縦というのはキャラクターに対しての演技をしている、北郎、ねずみ男、目玉親父。
でも横というのは北郎対ねずみ男、北郎対目玉親父、その横のつながりですね。
そういうのではきっと真子さんもものすごく、幸運といっては失礼かもしれませんけど、
やっぱり恵まれていた方なんでしょうね、と思いますね。
やっぱりゲゲゲの北郎なんかは普通の役じゃないじゃない。
みんな癖のある役じゃない。
だからやっぱりお芝居をちゃんとやっていらっしゃる方っていうのが、
余裕を持ってアニメーションに声を当てていらっしゃるんだろうなと思うのね。
真子さんはおっしゃったのはね、実は私演技をするにあたってあらかじめ役作りをして望んだことって一度もないんです。
スタジオに入って映像が流れてマイクの前に立って、
そのキャラクターに入り込んできて出した第一声がそのキャラクターの声だと思っています。
そのやり方は当時から今まで変わっていません。
それで原作の先生や監督にNGを出されたことは一度もないんですよって。
これってまさしく天才派だでしょ。
絵を見た途端に絵のキャラクターの声がふっと自分の中でわかるから、
ふっと出したらそれがぴったりだったっていう、もうそこですよね。
真子さんはね、やっぱりご自分でもね、
医者に見てもらったらあなたの喉は国宝級ですねって言われたって言ってご自身がおっしゃっているので、
そういう喉の強さである、強いっていうことはアレンジが自在にできるっていうことでもあるのでね。
北郎役ってオーディションだったそうなんです。
それで最終的に野沢真子さんがいいって言って決まったのは、原作の水木しける先生がOKを出したからだと。
OKを出したからだとおっしゃっていましたね。
それこそ、強豪がなんかいらしたそうで、それで真子さんがおっしゃったのはね、
それで私はもう諦めきっていたんですが、
マネージャーたちに説得されて自分なりに最後まで頑張ってみたところ、なんと合格。
で、後で伺ったところによると水木先生が強く推してくださったということで、それは嬉しかったですね。
その後、銀河鉄道3・9の鉄楼もドラゴンボールの悟空もみんな原作の先生が選んでくださったんですよ。
で、おっしゃって、もうその3代キャラは原作の先生からのご指名で真子さんしかいないということだったんでしょうね。
それでね、すごいここはね、私も初めて伺ったんですけど、ゲゲゲの鬼太郎って富士テレビだったんですね。
それで真子さんがおっしゃったのは、実は当時の富士テレビには主役をやれるのは1作品だけというルールがあったんですよ。
ですので、もし第3シーズンも鬼太郎役を継続していたら、ドラゴンボールのオーディションすら受けることができませんでしたと。
なので、第3シリーズというのは戸田恵子ちゃんが、栗子が鬼太郎になっていたわけ。
なので、もう真子さんとしては、こちらとしては逆に戸田恵子ちゃん、あなたのおかげで私は悟空役になれたのよという気持ちだったんですよ。
で、その上で嬉しかったのが、多くの人が鬼太郎を演じていく中で、私の演じた鬼太郎を大事に思ってくれている人が多かったこと、これがとても嬉しかったですということだったので。
これはちょっと私も知らなかったので、変わっちゃったんだなぁなんてやっぱり思いましたけど、変わっちゃったというか、そのおかげで悟空があったんだっていう。
それも運命ですよ、だから本当にありがたいことで感謝いっぱいだというふうな話をしていましたね。
インタビューの楽しさ
真子さんのちゃんとした生きた言葉でそれを伺うと、いやぁそうなんだったんだと思うし、昔の話の流れでずっとなるべくして声の仕事になった方なんだろうなというふうに思いますね。
この対談は前編と後編に分かれていて、今お話したところが前編でしたので、後半の方また次週にお話をしようかなと思っています。
私は真子さんから直接本当にこういう話を生で聞けたので、これはもうちょっとあの時の2人のシチュエーションがまだ浮かぶんですけれど、幸せだったなぁとやっぱり思いますね。
裏話をこれだけ簡単に披露してくださったというのが。私はもちろん声優ですけれども、小役から始まって17歳の時からラジオDJを始めていたからやっぱりラジオが好きでおしゃべりが好きで、
ラジオでみんなと一緒におしゃべりをしたりとか、葉書を読むのってすごい好きなんですけど、対談みたいなものだったら私は一対一のインタビューがすごくやっぱり好きですね。
その方から何かを引き出す。話していくうちに思い出してもらって、そういえばと思いがけない話をポロッとしていただける。そういうところがインタビュアーのものすごい楽しいところなので。
大勢の中でのいわゆるひな壇みたいなそういうのでギャーってやるよりも一人の方にじっくりお話を聞くっていうのはすごく楽しいので、そういうのではレジェンド声優プロジェクトをやりたいなと思ったし。
としおちゃんと一緒にやる場合はもうね、私のイメージはなっちゃこですね。
なっちゃこちゃん、野沢なっちさんと白石ふゆめさんのなっちゃこコンビのパックインミュージックのイメージなので、メインをちゃんととしおさんがリードしていただいて、私が愛の手を入れたり笑ったり、次の質問に誘導したりとか、そういう役割ということでやりたいねってとしおちゃんが言ってくださったので、
こういうところのプロジェクトが成立したっていうところなんですけど、この番組では声優のお話ももちろんしますけれども、お話したように頼りが頼りですね。
私の知らないことをメールで教えていただいているので、それを読むのはすごい楽しいのよね。メールをお待ちしております。
何を書けばいいの?みたいなことになるので、例えばよ、今もう街中もバレンタイン商戦で真っ只中ですけども、百貨店とかユニクロあたりのディスプレイはもう春なのよね。
旅のあれこれってどうかなと思って、それこそ行くと決めたら半年くらい前から予約したりするわけじゃない。
なので、旅のあれこれで、あそこ行ってみてよかったとか、何がよかったとか、あそこ行ってみたいなでもいいですし、特に卒業旅行ってあるじゃない。
うらやましいなと思うのは、男子がよく自転車で北海道一周したとか、もうちょっと頑張ってアメリカ横断したとか、そんな話あるじゃない。
あれは男子しかできないなと思うので、すごいうらやましいので、今は女子だけの旅行も平均になっているので、
何かそういうので、この間行ったあそこがよかったとか、あそこは行ってみたいなとか、旅の思い出とかあれこれをちょっとお書きいただければ、私それを一生懸命読ませていただきますので、よろしくお願いします。
今、番組のこの表紙のところの上にメールアドレス、radiofumikura.gmail.comで書いてありますので、ここによろしくお願いします。
プラチナ声優祭りの思い出
それで、ニサンガロクのプロデューサーのコグレさんがですね、この番組を目でも聞ける文字起こし機能があるポッドキャスト配信サービスのリッスンにもバックナンバーを置きながら掲載してくださっているんですよ。
これはね、文字起こしっていうところをやると、私のしゃべっているのがビャーっとさ、日本語でビャビャビャと出てくるのね。
で、たぶんね、私の滑舌がね、聞き取りにくかったりするんだと思うんだけど、時々ね、ちょっとね語訳とかね、人の名前が違ってたりとかね、ちょっと面白い役にはなっているんですけども、全体的にはもう話は通じると思いますので。
外国語への翻訳もしやすいと思うので、目でも楽しんでいただければなと。URLは下の方に貼ってあるので、それをリスンで見ていただければと。
レディオフィミックラブのバッキーシューズも、ポッドキャストのネットディスクリビューションサービスリッスンに載っています。
リッスンとしては、翻訳機能があります。
日本語で翻訳されていて、外国語で翻訳しやすいと思うので、ぜひお楽しみください。
リッスンのURLは、今週のフーミーのコラムに載っています。
残念ながら、私は英語が話せないので、リッスンで翻訳できます。よろしくお願いします。
アットMK541さんから、
この間のフミさんと古川さんの関係のお話、すごい幸せな気持ちになりました。
お二人の変わらない関係が大好きです。ありがとうございます。
付き合いを長くするのは、やっぱりつかず離れずというのが一番いいんじゃないかなと思うんですよね。
なので、しばらく会っていなくても、いやー久しぶりってなってすぐ、
基本的に打ち解けられる、認め合えるものを持っていればということかな。
古川さんが私のことを認めてくださっているであろうから、そういうことになるのかなと思うので、すごくありがたいですね。
ラジオネームスメラギちゃんは、
ドラマを見ましたというメールですね。
相続探偵、今TVerでもまだ見られるかもしれませんが、ニッテルのドドラナイン、第3話で。
それがね、第1話にね、まゆみちゃんがゲストで出ててね。
で、ちょうど私が第3話を撮っている最中にも、確かまゆみちゃんも1話の何かのいくつかのシーンをダブルで、
同じ日にどっかでやってたっていうことがあったので、こっちは終わりましたって言ったら、向こうも終わりましたって。
同じ番組に2人で出られるの嬉しいねっていう、ちょっとライン交換があったので。
ね、まあもともとね、まゆみちゃんはやっぱりお芝居をずっとね、ご自分の劇団でやってらしたから、
そういうのではもう、ようやくそれをみんなに披露する。
その劇団の、笑ったら見てるお客様だけだけども、テレビだと1%300万人ですから、とにかくいろんな方に見ていただけるし、
テレビでね、再放送というか配信があるので、そこでもね、相続探偵人気だそうなので、よかったなと思いますね。
えーと、まあ今は、私はもう、今の年齢でしかできない仕事を一つずつこなしていこうかなと思うので、
もう真子さんにはもう到底そんな182歳までなんて恐れ多くて言えませんけれども、
少しでもその依頼された仕事は一つ一つ、今変わらず全力でお付き合いさせていただこうかなと思っていますので、
皆様は皆様で、こんなことがあったっていう普通のおはがき、メールをお待ちしています。
広野文のRadio23club第18話でした。そろそろお別れです。
リスンを使った番組体験
次回が待ち遠しですね。真子さんのお話、後編いたします。
お相手は、広野文でした。そしてサポートは、スタッフチーム2346のブルガーのコグレさん。
そしてウェブエンジニアのヤンガーさんのお二人でした。
この続きは、次週木曜日、また23時からね。ではまた。