リスナーとの交流
さあ始めましょう。 平野文のRadio23club、第9話です。
時刻は23時を回りました。こんばんは、ラジオDJの平野文です。 今日はどんな一日だった?何か美味しいもの食べたかな?
いろいろあった人も、そうでなかった人も、これからの一時は一緒にのんびりゆったり、深夜のラジオトークいたしましょう。
Let's get started together. The time is now 23. 23 can also be read as Fumi in Japanese.
So, this program is called 平野文のRadio23. No, Radio Fumi Club.
Good evening. This is Fumi Hirano, a radio DJ. How was your day today? Did you eat something delicious?
From now on, let's have a late night radio talk together.
平野文のラRadio23club、この番組は、スタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん、ウェブエンジニアのヤガーさん、お二人のサポートでお送りします。
This program is produced by the staff team ニサンガロク, bloggerコグレさん and the web engineer's Yaga-san.
We will send it to you with the support of both of them.
皆様、お便りという名のメールありがとうございます。このお便りのおかげで番組が成立しております。どうもどうも、本当に。
書くという行為は、書いている間は相手のことだけを思って書いてくれと言うでしょう。
それがなんとも嬉しくてありがたいので、皆様のお便りは全部読んでおります。
前回、グルーミップさんでしたよね、お便りいただいた。
うる星やつら、後追い世代という言葉を問われました。
でも、私はそのうる星やつらをやっている時から、全然時代が自分の中では止まっているというか、全然変わってないんですけれども、
やっぱり当時を見ていない方々は再放送を見てくださったりというので、
うる星やつらを知ってとか、お姉ちゃん、お兄ちゃんを見ていたからあれと思って、本当に見てみるようになったらすごくハマっちゃったとか、いろいろとお話を聞くのね。
グルーミップさんは、天気は91年の夏休みシーズンに放送された再放送、
しかもそれはミニドラマが最初についていたので、私は全然記憶にないんですけれども、覚えていてくださって。
そして続いて、うる星やつらの10周年記念の武道館コンサートがもうすごかったという思い出もすごかったし、当時の熱気もすごかったと。
後追い世代ということで10周年のコンサートは行きました。
10年って小学校で7歳ぐらいであっても10年経てば高校生でしょ。
で、高学年で11歳、5、6年であっても10年経てばもう大学生21人になるわけですから、
この時の10年ってなんかすごい濃厚だし、重要だし、熱いですよね。
そこからまたもうちょっと今度は思春期になっての熱さというのが、熱気がエネルギーがということになりますけど。
私すごく覚えているのは、日テレでドキュメンタリー番組をずっとナレーションをやらせていただいたら、
そのプロデューサーさんが、これからうる星やつら再放送を日テレでやりますからとおっしゃるのね。
うる星やつらは富士テレビ系でしたから、そしたらあらって言ったら、
いや実はその著作権は10年経つとフリーになるんですよというようなことをおっしゃったわけです。
テレビ局としてのということだと思うんですけれど。
僕はこの10年待っていたんですってその方がおっしゃって、僕がその再放送を決めたんですって言ってというようなことをその方がおっしゃってくださったので、
すごくそれを覚えていた。いやありがとうございますって言って、
私自分でもその富士テレビじゃない日テレで再放送しているうる星やつらというのは見た記憶があるんですよ。
それからその前後ですかね、やっぱりいろんなところで東京じゃないところの地方局だけでのとか、
よくそれでお手紙とかいただいて、京都で再放送始まりましたとかさ、そういうのをいただいたので、
どこかで必ずやっぱり終わった番組なんだけどラムちゃんやってくれてるんだなっていうののありがたさはすごく覚えていますね。
そういう意味ではなんか自分が感じている以上に皆様が好きでいてくださっていたっていうその人数とか熱量とかってもう両方含めてですよね。
うる星やつらの再放送
私うる星やつら終わってからイタリア行ったじゃないと、放送終わってすぐですよね。
それでもうねローマのホテルでテレビ、イタリアはライテレビっていうんだったかな、教育テレビ、NHKみたいな国営放送が当時メインだったんですけど、
そこで見てたら急にうる星やつらをやり始めて、テーマ曲は日本語のあのままなんだけど、全部吹き替えはイタリア語になってて、
ラムちゃんの声がすごい低いイタリア人の女性の声でびっくりしちゃって、テレビを自分はそこのライテレビって本社がローマにあるんで、
そんな近くのところのホテルで私見てるのにこれ私なのにって思ったのよね。
でも放送直後のことでそれがしかもイタリアで放送されてたなんていうのはやっぱりびっくりしましたね。
声はでもねすごい低いさ、なんかボンジョールのみたいなさ、そういう言い方のラムちゃんだったから、
それは私にとってはちょっと違和感があったけど、逆にここやっぱり私今イタリアにいるんだなっていうのは実感しましたよね。
で私、築地にお嫁に行ったでしょ、だから平成元年からですけど、
それ以降っていうのはもう本当に依頼されたアニメだけで、それこそ嫁修行があったから12年間ぐらいブランクがあるんですよ、
アニメに関わっているその濃さというか、そういうのがあったからその間にやっぱり平成になってからぐらい、
なんか皆さんすごく声優さんたちが海外に呼ばれてイベントに行って、
アニメのソングの歌の方の堀江光子ちゃんなんかも、
私アマゾンまで行ったことがあるって聞いたことが、なんか想像ができなかったけど、
でもこの間私アブダビに行かせていただいたのを呼ばれしたわけだから、
やっぱり海外ってもう本当に隅々にまでアニメーションって浸透してきて、
私たちの生の声を聞きたいんだなって、
それはだから制作者の方もそうだしアニメーターの方も全部監督さんなんかも一緒に、
それからレコード会社の方っていうそういうスタッフの方もお呼ばれしているので、
いい時代になったというか嬉しいですよね。
ただ私の中ではだから、そうやって海外というか世界が思っているほど自分がそこの中にいるんだという実感はやっぱりちょっと未だにないですよね。
みんなと一緒にこうやっていろんなことを教えてもらうっていうことの方がすごい楽しいので、
お便りいただけるといやいやいや、
それこそチャンネル登録って言うんでしたっけ、
皆さんにこうやって聞いてくださっているんだなっていう方が嬉しいですよね。
だから仕事場でもずっと見てましたっていう方が呼んでくださって、会えましたって言って喜んでくださって、
そういう方と皆様もそうですけど、なんかこうよくぞここまでちゃんとした大人に成長してくださってどうもありがとうっていうかさ、
感謝でしかないですよね。
つまりその自分のちっちゃい時に見てたものってやっぱり一生ものでしょ。
だからそれをうる星やつらを選択してたっていうその中の一つであっても、
それはね結果的にはそうね間違ってなかったのよねっていうのの共有みたいな形で、私はすごくそれが嬉しいですね。
今また新しい仕事を一ついただいてるんですけど、それもやっぱりプロデューサーさんのお一人がすごくラムちゃん好きでって言ってくださって、やっぱりそれは嬉しいですよね。
この間のセンダッテのグルーミップさんのお本書でも、メールでしたね、メールいただいたのでも、
同じものを好きな人が集まることで生まれるエネルギーに触れたことが、その後の人生を大きく変えたことは言うまでもありませんという、そういう一文があって、
みんなでなんか同じもの、ここでもそうですよね、なんか一つ共通があるから集まってくださってるっていうのがあるので大変嬉しいございますね。
海外の方も聞いてくださっているので、それもまたね本当に嬉しいことで、今日はまたメールを少し読ませていただきますね。
今夜もみんなから思い出のメッセージをお届けしたいと思います。
本当は行けなかったんじゃないの、録音かなんかしちゃったら。コールとかみんな熱かったです。よくでもステージからいただいてましたね。
サマーツアーなんかね、いろんなとこ行きました、みんなで。
歌いましたし、おしゃべりももちろんステージでしましたけれども、あの熱気はね、みんなが同じイエイって言ってるっていうのはたまらない楽しいですよね、やっぱりね。
げろっちさんからもいただいてますよ。
国際的なアニメ文化
あー、これはうるせえ再放送ね。うるせえ再放送の冒頭のショートドラマありましたね、覚えてます。
えー、そうなの、ちょっと私は記憶がないよ。でも一生懸命やってたと思うわよ、楽しく。
私も微妙に後追い世代なので、コミックスや少年サンデーグラフィック、映画サントラや曲のCDをとにかくかき集めたり、池袋アニメイトに毎月行ってグッズを買ったり、
あとはキティアニメーションサークルの開放を毎回楽しみにしていました。うーん、そうなんだ。
まあ今でいう推しですよね。このガッといけるっていうエネルギーはいいじゃないですか。
だって私もだから放送している最中は、4年半はずっとラムちゃんと一緒でしたから、自分の中では大好きって言って可愛いねって思っていて、
また教わることがやっぱりありましたね。ラムちゃんに関しては現代の妖精と言われているでしょう。
それはやっぱり無意識の可愛さっていうのがあったので、ダーリンにするにしろチェリーにするにしろ、自分が可愛いとか色っぽいとか、
愛されているとかそういうのの自覚が一切ないっていう、その無垢な邪気のないっていう、そこがもうね。
だからそれをルミ子先生が20代のうちにこういうキャラクターを考えてくれて確立してくれたっていうのの、
その天才レベルがもう本当に完璧というのは皆様一致することと思いますけど、
収録の時の皆様にもやっぱり皆様大人でしたからスマートだったし、
この仕事に対してのプロ意識っていうのが集中力とか、そのテストと本番の合間での台本の直しであったり、
そういうのとか言葉のセリフの中の言葉の大事さをわかっているっていうのかしら。
あの台本のセリフは無駄なものは一つもないよっていうのをやっぱり教わりましたので、
その一つの言葉の中でもキーになる言葉って必ずあるわけじゃない。
ラムちゃんは3行以上はセリフあまり言わないダッチャーダッチャーだったけども、
でもニュアンスでどこ行くっちゃっていうのとどこ行くっちゃっていうのと全然違うわけだから、
そういうのの工夫とか、そのあたりは周りの人から、周りの諸先輩から教わったっていうのでも、
かえすがえすも恵まれた現場でしたね。
その熱がちゃんと皆様に伝わっていたのなら、私は大変嬉しいことでして、
来ました。私の人生を変えたのはうる星やつら括弧断言。
グルーミップさんもそんな感じですもんね。
こちらはラジオネームBKさんですね。
フミさんラRadio23clubこのような番組が始まってたなんて、
10月は少し込み入ってたので気づけなかったのがなんとも惜しい。
いやいや今でも遅くないですよ。Clubhouseはアーカイブないけど、
そのためにこちらでちゃんと1話からずっとキープできるようになってますので、
さかのぼって聞いていただいても、なんだ俺がいるじゃんみたいなことになるかもしれない。
私うる星やつらのアニメの頃は小学生から高校生、思春期ど真ん中だったもので、
うる星やつらで人生を変えてもらいました。
これはだからルミ子先生に感謝よね。本当に。
子供の頃よりアニメは好きでしたけど、イベントに初めて行ったのはそうなのよ。
こういうイベントっていうのもほぼほぼやっぱりうる星やつらは初めてだったんじゃないかな。
要するに声優さんも出ます。バンドっていうか音楽もやります。
というようなね。上映会もありますとかそういうことですよね。
うる星やつらファン大会、その後武道館までの10年は何を差し置いてもうる星やつらを中心に生活してきたと断言できますよ。本当。
当時コンサートは自由席だったんで早朝に。
リスナーとのつながり
いつもいる連中が自然に仲良くなり盛り上げる大義。
警戒もネットもないので会場に行けば誰かがいるっていう感じで行くのが楽しみだったなあ。
歌ではコール。クイズ大会では相談し合って誰かが勝ち取ろうと奮闘。
トークコーナーではツッコミで盛り上げる。そうか盛り上げてくれてたのかありがとう。
全国ツアーはいける限り回ってたものです。
先週武道館イベントに参加されてた方のお便りが読まれてましたけど、グルミックさんのね。
あの武道館の東の2階からサイリウムを振りまくり大声援軍団のコール担当の一人が私でした。
そうだったの?
気合い入りすぎて会場のお客さんからコール担当の一人が私でした。
会場は本当に真っ暗だったんですよ。
その一軍の方にサイリウムを振っているチラチラというのがあって、安定会からブワーッと声も聞いて、
なんかこう地鳴りのようにブワーッとしたから、湧き立ってくるような声援でした。
グルミックさんとBKさんがこんなことで会話をするようになるとは。
メールとのやり取りみたいな感じで、あらあなただったんですよ。
そういうのがあったんですよ。
大変でしたもんね。
いやいや、そうだったんだ。どうもありがとう。
まさかあれじゃん。グルミックさんとBKさんがこんなことで会話をするようになるとは。
メールとのやり取りみたいな感じで、あらあなただったんですね。みたいなさ。
いやあ、楽しいじゃないですか。この青春。
皆様のコンサートでもそうですし、ファンレターももちろんそうですけれども、
メールがなかったからやっぱり歯書きとかお手紙というのがほとんどでしたから、
事務所に行くともう紙袋を何個も持って帰って、家で全部ハサミを入れて読んでというのをやっていましたね。
私は皆様の青春の度合いは確かに受け止めておりましたけれども、
その一方でこれはやっぱり双方向なければ成り立たないので、結局感謝感謝ということになりますけど、
その一つのイベントに参加するということが人生の転機につながり、その時の伏線がこのように回収されることになろうとは、
当時の自分は知るよしもありません。まさに運命は神のみぞ知るということなのかもしれませんね。
またこんなことを私が語ることになるというか、逆に皆様のことをこうやって知ることができるこんな時代になったということにもありがたくということで、
今日はありがとうコールしかないようなお話になっていますね。
アニメと英語の表現
ロバートさん、海外からもいただいていますよ。メールもいただいています。
平野さん、いつもありがとう。
ペンシルベニアではまもなく雪が降るかもしれないんです。日本も雪降った?とロバートさんが。
ニューヨークとペンシルベニアは同じような伊都ですから、北海道と同じですよね。だからもう雪降るかもじゃなくて降っているでしょうぐらいですよね。ペンシルベニア、北海道あたりももうですもんね。
そして、
今度はあれですね、皆さんはうるさい奴らのどんな音楽を聴くのが好きでしたか?特に思い出深い曲はありますか?ということですね。
海外ともこうやってシェアできるってすごいと思うけれど、うるさい奴らは本当にテーマ曲がいっぱい変わっていましたので、そこからまたタイトルバックも変わるから見ていて楽しかったですよね。
いわゆるアニメセンガーじゃない人たちが歌っていてくれていましたので。
私も結局、
現代はもちろんラムのラブソングですけれども、それをもじってのフミノラムソングというので2枚CDを出しましたね。
これはなるべくだったら全部ラムちゃん声で歌おうということでトライしていましたね。
他のアルバムはいわゆるオリジナルアルバムというのは詩を書いたりももちろんしていましたけど、
それはこの曲はどんな感じの声で歌おうかってそういうのを楽しんでいたというアルバムでしたけど、
双方とも名曲名作というのがあると思うので、
皆様も特にこの曲好きですとか、映画の曲も含めてですけど、なんかあればでなんちゃってリクエスト今日はこれみたいに流しますかね。
流したなんちゃってのつもりでみたいに。
それでロバーツさん続いてますね。
I'll be introducing my 5 month old nephew to anime.
He loves hearing your beautiful voice as well as the intro and outro music of your radio show.
今5ヶ月のお一子にアニメを紹介してるんだ。
彼とお一子は私の声、ふみさんの声とこの番組のイントロとエンディングを聞くのが大好きですって。
5ヶ月だと。
音楽に反応するのかしらね。
もちろん英語で一緒にちょっと紹介はしてるから、そのリズムが多少は分かってくださってるのかもしれないですけど。
5ヶ月のお一子に再教育しちゃってるじゃない。
いやいやいや、面白い。ペンシルバニアで5ヶ月のお一子にアニメ紹介してるっていうロバーツさんね。
Mr. Robot, thank you for your comment and email from Pennsylvania.
Say hello to your cute nephew.
I wonder if your nephew will have the same experience as you in the future.
I hope he continues to grow up. He is honest.
ロバーツさん、どうもありがとうございました。
かわいいお一子ちゃんによろしく伝えてくださいね。
お一子ちゃんもロバーツさんと同じようにこうやっていろんな経験したアニメも好きになるのかしら。
素直な坊やに育ってくれることを祈ってます。というふうにお答えしました。
でね、私そんなに英語が得意じゃないのね。
だけど昭和の最後に一月ニューヨークに行ってたことがあったので、もうそれはしゃべんなきゃいけないから。
当時はでもGoogle翻訳とかポケトークなんか何もなかったので、英会話読本みたいなさ、そういうのを見ながらなんか、
やっぱり現場に行くとしゃべんなきゃいけないっていうので、覚えは覚えはするのかな。
でも時々ね、ちょっと不思議というか訳せないのがあって、よろしくって何て言うんだろうって疑問に思ってたのよね。
そしたら、Say hello to 〇〇っていうのがいいんじゃない。
Please give my best regards っていうのがあるけど、これちょっと文語的な。
Please give my best regards でしょ。なんかちょっと堅苦しいので。
私は今、ロバートさんにもSay hello to your cute nephew かわいいおいっこちゃんね。
Nephew というのはおいっこですけれど、Say hello っていうのがなんとなく自分の中ではいいかな。
会っちゃった時はNice to meet you っていうのもよろしくっていうのも一つよって言われて、
そう言われてみれば、日本ではNice to meet you なんてあんまり言わないもんね。日本語ではね。
それと同じように、私がんばれっていうのも英語で何て言うんだろうって思っていて、
教わったのがGo for it でいいんじゃない。Go for it。
Keep it up っていうのもあるよっていうのね。Keep it up。
なんとなくちょっとそのままをKeep up しなさいっていうことよね。
この2つぐらいだけど、私はでもGo for it の方が好きかな。言いやすいのもあるんだけど。
しばらくしたらそうしたら、なんかナイキのコマーシャルで初めてボーンと最後にGo for it っていうのが出たから、
やっぱり英語でもちゃんとこうやって日常でも使うんだなっていうようなことを覚えているのね。
がんばれっていうのはただ日本で言うときって、がんばってくださいって軽々しくよく挨拶、別れ際に言うけど、
これ以上頑張っててどういうことって思う方もいらっしゃるなっていうのを気づいたことがあって、
あんまり迂闊には言えないかなって。
ただそのがんばってねって言ってほしい時期とか、がんばろうって思わなきゃいけない時期って確実にあるわけだからっていうので、
感謝のメッセージ
気せずして前回、クチナシさんが受験勉強がんばってって言ってくださいっていうのがあったから、
それをエールを送りましたが、深夜放送をやってた時期にもすごく大学受験の人たちが多かったから、
何々ちゃんがんばってって言ってくださいっていうリクエストがあるからそれをいつも言っていたのを覚えていて、
一つのエンディングの最後の名物コーナーにはなっていて、私はそれすごく好きだったのね。
今でもエールを送った方がいい方がまたいらっしゃればですよ。
何々ちゃんがんばってねとか、お勉強でもいいし、何かの試験でもいいし、いずれにしろちょっと欲しいなって。
という方がいらっしゃったらそれもお待ちしています。
もちろんお手紙も、自分の青春時代の思い出とか、それからそのうる星やつらの時代の自分のこんなことをしてたっていう、
今日は私も知らなかったことをまたいろいろ教えていただいて、こうやって応援してくれているんだ、ありがとうございますという感謝のお話が続きましたが、
Go for it!日本語でエール、よろしければリクエスト待ってます。
平野文のRadio23club第9話そろそろお別れです。
次回も待ち遠しいですね。
お相手は平野文でした。そしてサポートはスタッフチームニサンガロクのブロガーのコグレさん。
そしてウェブエンジニアのヤガーさんのお二人でした。
この続きは次週の木曜日また23時からね。
ではまた。