この番組はベディクローグ神戸ステーションよりお届けいたします。 地球の遊び方。
地下鉄のホーム。たどり着いた電車から。 早速、ゲストさん、ご紹介よろしくお願いいたします。
一緒に口ずさみたくなるような感じなんですけれどもね、人生の半分以上、ミュージシャンをされてるんですよ。
皆さんご存知ですか? この音楽、ロックバンド、おかんのドラマーをされてます、なりくんことなりしまひろかずさんです。
今日は来てくださってありがとうございます。 ありがとうございます。はい、どうも。
いやいや、ありがとう。 すんごいハードルを上げてきてますね。ありがとうございます。
10年前に私たちラジオをさせていただいてた時も、おかんの皆さんでも来ていただいて、こうやってまた10年ぶりに来ていただいて本当にありがとうございます。
ありがとうございます。偶然の出会いでね、偶然の再会で。
たまたま、ほんとたまたま、お店で大田んじゅんちゃん。
ちょっとだけ短く言いますとですね、新大阪駅、校内に、まあ校内というか駅もすぐ近くのところでね、打ち上げで私ビールを仲間と飲むお店探してまして、
1軒目無理、2軒目無理、3軒目ビールを飲んでて、はっと横を見たらなりくんがいたんですよ。
そうなんですよね。
で、声をかけさせていただきました。もしかしてロックバンドのっていう。
もしかしてロックバンドおかんのなりさんですよね。
いきなり店で声かけられてみたいな。
で、よかったらラジオまた再開したんですって言って。
よかったら出てほしいですってお話聞かせてくださいって。
喜んで。
ありがたい話で。
でもね、これたぶんなりくんとかロックバンドおかんのこと知っておられる方はキャーっていう感じだと思うんですけど、
逆にね、これ全くどんなバンドなんとか知らない方もいらっしゃるんで、
どんな感じの活動をされてたかっていうのをちょっとお伺いできたらなと思うんですけども。
どんな感じの活動。
僕らロックバンドおかんっていうバンドで活動させてもらってるんですけど、
ロックバンドといえばライブハウスとかでね、
地下の薄暗い中でビールの匂い漂う中で激しく叫び散らかしてるイメージがあるかと思いますけど、
僕らはちょっと変わった形でショッピングモールだとか街の公民館だとか、
家族が集まってランランのひとときを過ごしてるような場所とかでよく歌を歌わせてもらったりとか。
普通のロックバンドとちょっと一味も二味もテイストの違う活動というかさせてもらってましたね。
だいぶテイスト違いますよね。
だからこそすごいコアなこのロックバンドおかんというバンドのファンはたくさんいらっしゃるので。
広い年齢層の皆さんですね。
僕たち自身がおかんというバンド名の通りね。
食卓でね、お囲む家族のようにお客さん、僕たちはファミリーって呼んでましたけども。
ファミリーと、今日学校でこんなことあったよとか、今日会社でこんなやったよみたいな。
人生のいろんな出来事を共に共有して楽しんで、時に涙してみたいな。
そういった形で、メッセージを大切に、言葉を大切に音楽を届けさせていただいておりましたので。
なので本当にいろんなね、おかんの歌を聴いていろんな形で人生が変わったりとかっていう方も多かったって聞いたことあるんですけど。
ありがたいことに。
どんな方いらっしゃいましたかね、今までですと。
どんな方。
僕の中で一番印象に残ってるのは、ずっと不登校で家から出ることもなくみたいな。
子がお母さんに連れられて、おかんのライブに来て、おかんの歌を聴いて勇気をもらって、
学校に行くよって学校に行くようになって、気がついたらもうそんなことなかったかのように全国いろんなとこ飛び回っていろんな人と繋がってみたいな。
そこがいたりとかね。
歌詞もパワフルだったり優しかったり。
でもそれだけじゃない、あの空間がなんとも言えない。
この4人で奏でてる音もそうやし、歌詞もそうやし、
本当にもう中にはね、ナリ君から直接聞いたこともあるんですけど、
本当に死のうかと思った人が、おかんの歌と出会って、死ぬのやめたって。
本当にありがとうみたいなこともあったっていうのも、本当にありがたいことに。
たぶんこれを聴いてる皆さんは、だったらライブに行きたいって思う方いらっしゃると思うんですけど、実は7年間休眠されてたんですよね。
なりくんあれですよね、本当に職業柄としては致命的な病気をされたっていうふうにお聞きしました。
そうなんですよ。
ロックバンド館が休眠になるにあたって、当時お世話になってたプロデューサーの方から個別面談みたいなのがあって、
その時に僕はそのプロデューサーの方に、まあなりのことは一番心配してない。
音楽に対して真摯にやってるし、そのままのペースでやってれば何の問題もないだろうみたいな感じで言われてたんですけれども、
実は職業性ジストニアっていうものになってしまいまして、
いわゆるイップスとかスランプって呼ばれるものなんですけれども、
僕の場合は右足がだんだん動かなくなってしまいまして。
それだってバスドラのね、大事な右足。
イップスで言えば一番リズムの神を担う右足が思うように使えなくなってしまって、
で、もうどうしたものかなみたいな形になっちゃったんですけれども、
まあそれも一つのメッセージなのかなみたいな。
多いんですよ。職業性ジストニアっていうのは特に最近のロックドラマーとかすごく多くて。
有名なところで言うとラッドウィンプスのドラムの方。
そうでしたよね。
ずっとジストニアで、メンバーだったりはしないんですけれども、
今はドラマサポートがやってて、ずっと療養してはって。
なんか最近でもヤマハとコラボレーションして、言葉とリンクしてバスドラを演奏するみたいな。
試みとかでいろいろ挑戦されてるとか。
あとアレク・サンドロスっていうランドのドラムの翔村里康さん。
結構いらっしゃるんだ。
結構ロックドラマー多くて。
僕もそういう形になっちゃった。
一説によるとずっと一つの作業で脳にストレスがかかって、
それが脳のキャパシティの限界を超えると脳がそれに対してアレルギー反応みたいなものを起こして、
その命令を拒否するみたいな。
同じような動きとかを繰り返してやってることとかも含めて。
ドラマーの特に右足多いんですけど、脚ってそんな細かい動きをできるようにできてないじゃないですか。
どう考えても。
本来はね。それをやっぱりリズム的にするから。
それを例えば、ラッドインプスとかアレク・サンドロスかなったら毎日何千人っていう観客の前で2時間とか3時間のライブ。
リズムの根幹を担うのは脚ですから、ずっと正確な動きを要求され続ける。
それを年間400本やってたんやから。
それは限界値を超えるのもいたすかたないかなとは思いますけど、
でもそこからどんなふうに色々着手されたりとか、心やっぱり折れる時とかもなかったですか?
いやめちゃくちゃ辛かったですよ。
僕の場合は本当に脚が動かなくて。
今生バンド演奏のお店とかで演奏させてもらったりとかしてるんですけど、若いドラマーとかもいっぱいいるんですよ。
若い子とかが当たり前にできること、自分自身も当たり前にできたことができないっていう辛さとか。
それまず一旦受け入れないといけないですもんね、現実を。
まず現実を受け入れつつ、音楽との付き合い方とか、まず心の持ちようをコントロールしたりとか、
ちょっとゆっくりしようみたいな。バカンスの時期かなぐらいの感じで。
ドラムのフォームを1から見直したいなっていうようなところから、新しく新たに師匠の下で1から。
1からまたやり直す、すごいな。
でもその師匠との出会いっていうのがすごいんですよね、タイミングとしても。
弟子というか、教えることを持たなかった超有名な方に、1から、なんだったらゼロから習いに行かれたって。
それまでものすごく日本でも、日本を代表する、この日本でその演奏を聞いたことはないと言い切れるような方が、
実際弟子とか教えるとかしなかったんですけど、あるタイミングで、ちょうど僕がGストニアで誰か1から学びたいなタイミングでスクールを開講されて。
そこで飛び込んでいって、本当に基礎の基礎しかやらないです。
いわゆる一般の人で、ドラムになるときにまず基礎ってこうだよっていう、そのさらに10歩手前ぐらいの基礎。
やっぱこの基礎が大事なんですよね。
実際それでも受けてみられて、自分もやってたことだと思ってたけど、その基礎を先生師匠の方とともにやっていく中で、何か気づかれたこととかありますか?
自分たちが思ってた基礎っていうのは全然基礎ではなかったんだな。もう本当にだいぶ飛んでたんや。
すごい。
だいたいテンポ60ぐらいからやりましょうとかっていう感じになるんですよ。テンポ60は秒針のテンポって60ですね。
あれぐらいのテンポから練習しましょうとかなるんですけども、師匠の場合はもうテンポ30とかなんですよ。
30からもう、なんていうんですかね、もう対極拳の世界ですね。
しかも習われてる方っていうのは、本当に初の初の初の人もいらっしゃるかもんですけど、なり君みたいにもうバンド君でいっぱいやっておられるような方もたくさん来られてるってことですよね。
そうですね。スクールが、僕は大阪校なんですけども、東京の方にもスクールやってて、そっちとかはもう本当に有名なプロドラマーとかもたくさん在籍されてますよ。
もうプロドラマーですら赤子ぐらいのレベルの方なんですよ。
すごい。
なり君も赤子やったりも。
すごい。
でもそうやって、市から今までやってたね、ドラムもやり直して、でも病気っていうこともあって、やっぱり色んな健康面とか心の面も色々変わってこられたっていうふうには。
同時に体の方も30代半ばに入ろうとしてる頃でしたので、やっぱりジストニアっていうものを紐解いていったら、精神的な問題もあるけれども、やっぱり肉体的な負荷の積み重ねっていうのもあって、やっぱり年とともになんとなく暮らしてたらどんどん筋力も落ちていくじゃないですか。
僕ちょうどコロナ禍に入ったときに、バッチリ流行の先端終わって、コロナにかかって、2週間ぐらいホテル療養。
かぐりの。
かぐりさんね。
ありましたよね。
あったね。
10日間ぐらい寝たきりになって、熱が下がったら、2日間ぐらい熱上がらんかったら帰っていいよみたいな感じですよ。
ホテルから出て行ってくださいみたいな。
で、キャリー引いてガラガラって大阪の街中を駅まで歩いてたとき、ものすごくしんどくて。
10日間寝たきりになったら、ものすごい筋力落ちてて。
そんな動かんもんないな。
歩くのもしんどくて。
よく周りの先輩とか言われてて、そろそろ筋トレとか首都関東診療になるでみたいな。
これか。
身をもって体験。
これはきついってなって。
そっから体を鍛えるようになりまして。
結果的にそれもジストニアの改善には効果があったなっていう。
なるほど。
ガシッとされてますもんね。
全然細いイメージだったんですけど、すごい格闘技でもしてそうな感じ。
お勘やってたことと体重そんなに変わらないんですけどね。
でもそういう病気をきっかけにいろいろ見直したりとか、習慣を変えていったりとかして、また新しいなりくんになられてるような気がしますが、すごい進化遂げられたような。
そうですね。やっぱり病気、ジストニアでとりあえず心の在り方を整えつつ、体も筋トレして、体作るってなったらやっぱりトレーニングだけじゃなくて食事やったりとか睡眠やったりとか、そういう日々何を体に取り込むのかとか、どういうふうに生活していくのかとか、総合的に考えるようになって。
今、今年41歳なんですけど、確実に20代の頃よりも体力があるんですよ。精神力もあるんですよ。今が人生の前世紀。
この先が楽しみ。
いろんなことはあったけど、今ちょうどいろいろあって、整いましたよっていう。
まさにそんな感じですね。今バッチバチに整ってる感じですね。こっから何してやろうかね。
そんなタイミングでこうやってお越しいただきゃ。
向井 なりくんに会えるんですよ。こんななりくんに実は。
そうなんですよ。去年までは精神的に整いきてなかったりとか、不安定な状態とかではあったんですよ。
向井 そういう行きつ戻りつで少しずつ前に進むんですよね。
こうやって偶然の再会からラジオに出させてもらう機会を得て。
向井 嬉しい。
出ていただいて、今度6月の1日にトークライブがあるということで。
そうですね。僕のずっと応援してくれてる方から、最近の近況とかも知ってくださっている方から。
なりくんトークライブしーやみたいな。何喋ることあんねん。
向井 めちゃくちゃある。
そうなんですよ。僕自身やってきたことっていうのは、僕が僕なりに考えてよかれと思ってやってきたことなんで。
全部トーク価値なんですよ。
人が聞いてどれが意味のあることなのか全然わからんので、引き出してくれっていうような形で。
今日もこのラジオですごく自分のこういうところが人にとっては響くことなんだなとか。
いろんなものを発見させてもらういい機会になってるんですけども。
そんな僕の近況からいろんなもので引き出してもらうトークライブは6月の1日曜日に大阪市立北区民センターであります。
これまたどんなふうに申し込んだらいいのかとかは別にホームページの方で。
向井 時間帯とかは何時くらいなんですか?
6時半オープンの7時スタート。夜ですね。
向井 またそこも詳しく案内。
案内ね。番組の方でさせていただきながら。
向井 ながら。
なんとまだありますよ。
向井 まだね。
向井 ここがもう是非。
そのあと続いて次のシュート、次のシュート。
向井 そう。
何がありますか?