そう来るか。
今すごい目がテーンって、私。
テーンってなりましたよ。
街頭演説大好きですからね。
もともとそんな感じやったんですか?
違います。全然。
自分が選挙に出るってなったから、街頭演説し始めただけで、
街頭演説が好きになったのはその選挙に出たからなんですけど、
もともとは子供の時は本当に引っ込み事案で、
幼稚園なんか遠遠から遠へ帰るまで、
ずっと泣いてるような本当にややこしい子供でした。
でももともと、内側になんか消化したいというか、
どっかにぶつけたい、使いたいエネルギーはいっぱいあったっておっしゃってましたね。
爆発してたんですよね。ずっとエネルギーが。
燃えてた。
怒りの方にフォーカスしてたんですけど。
それいつ頃ですか?今思えば怒りにエネルギーを使ってたなって思うのは。
そんなもう30くらいまでです。ずっと。
でもいつの年代になってもね、いろんなみんな使い方してるもんね。
それをこんな客観的に自分を振り返られるって、
いや本当に人生何回目なんやろって。
視聴者さんに出るまでもプライベートな部分で、
結局シングルマザーでね、大変やった部分とかも終わりだったみたいなんで。
そうしても怒りに変わっちゃうっていうのはわからなくはね。
具体的にね、子供を出産されたのも比較的早かったっていう。
そうですね。19歳で妊娠したので、大学2年生やったんですけど。
その時、産むか産まないかっていう選択をできると思ってなかった。
産むしかないって思ってたんですよね。
だからもう覚悟を決めるしかなくて。
でも人生設計に結婚も出産もなかったんですよ。
バリバリのキャリア運満で生きてきたから。
そのつもりやったのに。
独身街道まっしぐらで行くっていうのを決めてたんですけど、
まさかの自分が子供できるなんて、みたいな感じだったから。
子供が好きじゃなかったし、子供に触れたこともなかったんで。
育て方なんかもちろんどうてわからないし、
扱い方もどう愛を表現していいかもわからなかったんですよね。
だからもう本当にそんな中で、言ったら寝不足じゃないですか。
おっぱいのあげ方もわからなかったんで。
うちのお母さんとかはめっちゃ上手にあげれてた人やから、
聞いてもわかんないんですよね。
私はもう下手くそやから、乳首が切れるんですよ。
血だらけのところにでも飲ませないといけないから、
飲ませるじゃないですか。
泣きながら下唇噛みながら、自分の太ももつねりながら。
下手したら子供を殴ってしまうんじゃないかっていう境地の。
でもわかる。
人から聞いたらね、自分の子供やし、それぐらいのことだって思うかもやけど、
やっぱりね、いろんな気持ちになりますよね、その時。
神経すり減ってるんで、もう寝てないから。
寝てない人って常識が一致するじゃないですか。
その中で痛みとどうしていいかわからない不安と、
今の私やったらミルクでもいいよって言ってあげれるのに。
しんどい時はね。
その時の当時の周りにいた大人は、母乳が正義やみたいな感じやったから。
あるある。そういう空気感ある。
悪気ないんやけどね。
それも今振り返ったら愛用だなって受け止められたんですけど。
当時はそうやって受け止めれなくて、もうみんな嫌いでした。
本当に。
でもね、そういう方、大勢いらっしゃるともう声あげないだけでね。
でもそんなね、辛い体験もありながら、
その後視聴戦に出る。
なんでそういう流れにこれなったんですか。
そうですね。
やっぱり、私は今こうやってお話しさせてもらえるぐらい幸せに生かしてもらってて、
たくさん周りにも仲間がいて、助けてくれる人もいているんですけど、
やっぱ当時の私みたいに誰にも頼らない人やったり、
今にも子供に手をかけそうやったりとか、
自分の命を断とうとしてしまってたりとか、
する人が今この現在にもいると思うんですよね。
そういう人たち、過去の私ですよね。
そういう人たちにどうやったら声が届くんだろうっていうところがやっぱり原動力ではあります。
それもいろんな手をかえしなおかえじゃないけど、
手段を変えていろんな活動をしていく中での一つがこの視聴選挙だったっていう感じです。
実際出てみられてどうでした?
楽しかったです。
楽しかった。
あのね、本当に肩破りな選挙をして、
あれって全部歯書きとか来るじゃないですか、選挙の時期に。
この人応援してますとか、あの歯書きとかも全部税金なんですよ。
あれもう私好きじゃなかったから、私が好きじゃないものは全部やらないっていう選挙をしたんです。
もうとにかくやりたいことだけやろうみたいな。
だから選挙カーとかも全部手作りで。
見ました。
文字かわいすぎみたいな。
もう本当に手書き。
手書きやったんですね。
もうハンドフリーで手書きで。
オレンジで白とすごいかわいらしい文字でした。
うぐいすじょうとかも全部私の周りのママ友とか、
皆さん私に1票入れてくださいみたいなことが絶対主張するところじゃないですか。
花音さんちょっと違ってたんですね。
そうですね。1回も言わなかったですね。
なんでなんですか?
まず当選することを目的としてなくて。
え?選挙やのに。
言いたいことを言いたかっただけなんですよね。
同じ土俵に立たないと言えないことってたくさんあって。
確かにね。
市長で出させてもらったんですけど、現役の市長と前市長と共産党の方と私、4人ですね。
その人たちと、やっぱり市民であるうちは政治家と市民とでしか喋れないんですけど、
同じ土俵に立つと、同じ政治家になって、
本当に生々しい会話が織りなされるんですよ。
こんなラジオで喋れないですけど。
たくさん面白いことあったんですけど、
それで、言いたいことを言いたかっただけなんです。
言える権利を持って。
みんなの前で主張したのは、本当にこの4人とも、私は八王子で出させてもらったので、
八王子の市民の皆さんの幸せを願って立ってるわけですよね。
リスクを背負って立ってるわけなんですよ。
本当に政策の違いからでお互いに蹴落としあったりとか、嫌いあったりとか、
勝った人の意見しか通らないっていうのは私は気に食わんと。
負けた人の中にも素晴らしい政策があって、
全部いいとこ取りできたらいいのにっていうのを言いたかっただけなんですよ。
それを公開討論会っていうのがあったんですけど、市長選でね。
みんなの前で市長が並んでお互いに喋り合うみたいなのがあったんですけど、
その時にお話しさせてもらいました。
党を越えてみんなでやりたかったから私はここに立ってるんだっていうことを言ったときに、
その日一番の拍手をやって、それまですごいやじやったんですよ。
お前どこの馬の骨や!みたいな。
お前は黙っとれ!みたいな。
本当にお前喋りすぎやから喋んな!みたいな感じで言われるぐらいめっちゃ喋ってしまったんですけど、
それでもやじられてて、最後の最後に本当にみんなのこと大好きやと。
こうやって、私は人が大好きやし争いたくないし、戦争もしたくないと。
だからこういう小さい単位から、本当の意味での民主主義を私は実現したいと思って、
ここに立ってるっていうことを言わせてもらったんですよね。
前日でも朝から晩までそんな話をさせてもらって、
誰も事実を知らなくて、私がしんどい思いってあの政治家の人が知ってるわけないんですよ。
だって私の友達でも親でも私のしんどさってわからへんのに、それを言ってないから選択肢に含まれてないんですよね。
まず選択肢の中で何が一番急務とされてるのかっていうことも、みんなわかってない中でなんとなくやってるんですよね。
気上の空論で。でも一旦全部、意見を取り入れよって、自分が正しいじゃなくて。
いろんな意見をちゃんと取り入れて、それは大変ですよ。
でも大変やけど、ここの良いとこ悪いとこってたくさんあるから、その中でみんなで選んでいこうよって、
良いものをみんなで作っていこうよっていうのが本来の民主主義なんやっていうことを言い続けて、
この話、本当に経済が優先されてて、私から見てね、この命よりも経済が優先されてるこの世の中で、
しんどいのは当たり前。心を病む人が多いのも当たり前。
子どもの死亡の一位が自殺っていうのも、言ったら心を病んでしまうのも多分経済を優先してるからやと私は思う。
だけど今ここに立って、みんながしんどいな、なんかしんどいなっていう感じてるところで、見直さないといけないタイミングに来てると。
それで私が言いたいのは、私に一票入れてくださいじゃなくて、
かえって失いたくない人に愛してるよって、いつもありがとうって伝えてほしいって。
もうそれだけでこの空気感、世間の空気感は変わっていくからって。
大事にしたいこと、本当に大事にしたいんだっていうことを、その一言で示せるからっていうことをお伝えして、朝から晩まで一週間。
全く知らない土地で、知り合いもいない、地元でもない、友達もいない、いない土地で出させてもらって、
4760人の方が私の名前を書いてくださって、本当に当選するなんて多分思ってないと思います、この人たちは。
だけど、その思いに賛同するっていう気持ちが。
共鳴されたんですね。
そんだけ集まったって、すごい希望だなって。
入れたなるもん、今の話聞いてて。
もう選挙じゃなくても、この山口ほな美に一票みたいな感じでね。
人生、この子の人生に応援したいみたいなのが、やっぱすごく感じますし。
そんなね、ほな美さんが今回、実は新しいことをされるということで、何をされるんでしょう?
思いを絵本に表現しようと思っています。
絵本プロジェクトって言って、みんなが大事にしている思いを次世代につなぐっていう意味で、絵本として形に残したいということでやってるんですけど。
これも、私、戦争のこととかすごく興味があってというか、好きで。
いろんなことを調べさせてもらったりとか、現役で90歳を超えているおじいちゃんにお話し聞きに行かせてもらったりとかした中で、
まだまだ知られていない戦争の現実だったりとか、シベリア浴竜のことだったりとか、
そういうことも知った時に、一度怒りに変わったんですよ。
なんでみんな知らんの?みたいな。知ったら、みんな生き方変わるって。みたいな感じで、そっちにすごい振り切れた時があったんですけど。
それもまた争いを生んでるんですよね。
私は事実を知って動けるようになった人間やけども、それは私の一つのパターンであって。
事実を知ったからといって、みんながみんな動けるわけじゃないってことに気づいたんですよ。
だからといって、仕事を捨てるわけにもいかないし、この生活スタイル変えるわけにもいかないし、みんなやってないし、みたいなことをたくさん言われて。
だけどその人たちも丸ごと私、幸せでいてほしいと思うし、幸せでいたいなと思うんですよ。一緒に。
思った時に、知ってよ、分かってよ、絶対に対立するなっていうことを。
そのエネルギーでね。
思った時に、誰も敵はいなかったっていうことを、自分でちゃんと消化しようと思ったんですよね。
結局、戦争中のこともすごく悲惨なことやったけど、これは私の個人の見解なんですけど、
今と比べて、自分の命を生きてるかって言ったら、たぶんその時の方が自分の命、自分の人生を全うしてるなって思うんですよ。
今の現代って、今の自分の命に集中したくても、すごくたくさんものにあふれてて、
その戦争に行ってた人たちが、心の底から望んだ綺麗な水が飲めるやったりとか、お腹いっぱいご飯が食べれるやったりとか、
会いたい人に会いに行けるやったりとか、学びたいと思ったことを学べることやったりとか、
すごくたくさんあるのにもかかわらず、自分で命を絶つっていう人がいるっていう。
この両極を私たち経験したんですよね。
本なら真ん中ってなんやろうって思ったときに、結局その気持ちもわかるって。
そのわからない気持ち、それがわからなくなって、表現したいと思ってるのにできない気持ち。
自分の人生に集中したいと思ってるのにできない気持ちもわかるし、
だけど毎日を大事にしてほしいって、そうやって発信してる人たちの気持ちもわかる。
その気持ちの根本の部分って、私は子供たちにやし、親にそうやし、友達にもそう。
私がもし今日亡くなったとしたら、本当に死んでも絶対に味方でいるよっていうことを伝えたいし、
何を選んでもその人たちの選ぶ未来で幸せであってほしいっていうことを願うと思うんですよね。
それって私だけじゃなくて、全国にいっぱいたくさんいて、たぶんじょうちさんもじゅんちゃんもそうやと思うんですけど、
そう思う相手がたぶんたくさんいて、私が敵やと思ってた人たちにも大事な人がいて、
その人も大事に思っている人がいて、その思いの部分でつながれば、みんな一緒やんってことに気づいたんですよ。
本当そうよね。
本当にそうなんだ。
敵を取らんかったと思って。
そこの部分でつながれば、本当に自分間違ってたなってことは自分で気づくはずなんですよ。
だからそれを気づくための仕掛けというか、もう絵本で表現したいなと思って、
それを同じように思ってくれてる人が全国でいてくれてるはずって、
だからその全国の8000人という目標を掲げてるんですけど、
8000人の仲間たちと一緒に絵本を作りたいと思ってます。