1. RadiCro
  2. ゲスト:山下陽光(リメイクフ..
2024-10-02 30:00

ゲスト:山下陽光(リメイクファッションブランド「途中でやめる」主宰)「むんぱれTuesday / Art Wanderland (アートワンダーランド)by DJエレーヌ」2024年9月3日放送

リメイクファッションブランド「途中でやめる」を主宰する山下陽光さんとのトークをお届けします。

●フリーマーケットやリサイクルショップで仕入れた古着を、斬新なデザインのハンドメイド1点ものとして生まれ変わらせ、自身が運営するオンラインショップで販売している山下さん。その独特のセンスと低価格帯の維持が話題を呼び、新作発表のたびに30分で完売するなど、熱狂的ファンを集めています。●一方、山下さんは好きなことで自活して、楽しく生きることを伝授する『バイトやめる学校』の著者としても知られ、近年では、アーティストの下道基行さんと路上で発見・拾ったものに新しい価値を探求する「新しい骨董」の活動も展開。また、今年の第8回横浜トリエンナーレでは絵画をリメイクした「ワサビ画」なども発表しています。

●そんな山下さんの幅広い実践を公開する個展、「山下陽光のおもしろ金儲け実験室」が9月3日から世田谷の生活工房ギャラリーで始まります!会場には山下さんの職場が移転し、自活を後押しする学校が開かれるなど、会期中に様々な「実験」が展開される予定です。

●番組では、本展で公開される金儲けの実践、山下さんが服づくりに目覚めたきっかけ、ユニークなバイト遍歴、そして、悲観論者を吹き飛ばす、明るい「手づくり陰謀論」について掘り下げます。ぜひ、お聴きください!

■山下陽光instagram: @tochudeyamerux:@ccttaaweb: https://tochuyame.thebase.in/

■山下陽光のおもしろ金儲け実験室https://www.setagaya-ldc.net/program/598

■『バイトやめる学校』山下陽光 (タバブックス)http://tababooks.com/books/baitoyameru

■番組へのリクエスト・ご意見はこちらからhttps://www.radicro.com/request/munpare.html

#山下陽光 #hikaruyamashita #途中でやめる #tochudeyameru #バイトやめる学校 #生活工房ギャラリー #生活工房

サマリー

山下陽光さんはリメイクファッションブランド「途中でやめる」を主宰しており、震災を契機に自らのブランドを立ち上げた背景や経営哲学について語ります。彼の作品は個性的で手ごろな価格帯が魅力であり、経済状況に関わらず毎年成長を遂げています。また、金儲けの実験室を通じて人々に新しい商売の可能性を提案しています。彼のワークショップは生活広報ギャラリーで開催され、参加者は洋服を作りながら学ぶ機会を持っています。

ゲストの紹介
ラジオでつながろう、リアルにつながろう、ウキウキワクワク、RadiCro
むんぱれTuesday アート・ワンダーランド
みなさん、こんばんは。むんぱれTuesday第一週、アート・ワンダーランド、ナビゲーターのエレーンです。
ワンダーという言葉は、英語で放浪とかさまようということを意味しますが、
この番組では、アートがあるさまざまな場を放浪してきた私が、その先々で出会った気になる方たちをゲストにお迎えして、その方たちの声をお届けしています。
リスナーの皆さんの普段の視点を少しずらしてくれるような、個性的な生き方をしているゲストを今回もお迎えしています。
山下ヒカルさんです。
むんぱれ、どうも。
むんぱれという名前なんですね。よろしくお願いします。
山下ヒカルです。
山下さん、ようこそ。
山下さんはですね、リメイクブランド、途中でやめるを主催されているということで、結構知られている方なんですけども、
リメイクっていうのは要するに古着に手を加えて、それを山下さんの独自のセンスで作り変えて、その服を途中でやめるっていうブランドとして販売されているってことですよね。
そうですね。変な名前でね。
ああ、なんか素敵ですよね。私も何着か買わせていただいたんですけども。
ありがとうございます。
でもそれだけじゃないんですよね、山下さんってやってること。山下さんってすごく好奇心旺盛な人だなって思っていて、
なんか自分の興味とか関心をとことん突き詰めて研究している。
なんか研究者的な側面もあるなと思っていて、なんかちょっといろいろこう、一つなんか共通しているのは、世の中にあるいろんなものっていうように新たな視点を加えたりとか、
それからなんか斬新な発想のもとでまた紹介してくれみたいな、なんかそういうすごく幅広い活動をしているので、今日はいろいろその話も聞ければというふうに思ってます。
よろしくお願いします。
服作りの始まり
山下さん、そもそも服作りを始めたのはいつぐらいからなんですか?
中学生とか高校生ぐらいの頃に、セックスピストルズとか、セックスピストルズですかねっていうバンドが、僕が知った時に当然解散して、
僕が生まれた頃に活動してたバンドなんですけど、なんかその人たちがパンクって言われたのの一番最初みたいな人たちで、
その人たちが着てる服がこれ俺でも作れんじゃねえかなっていう、なんかみんなこれ俺でもできんじゃねえかっつって音楽を始める人が多かったんですけど、
僕はなんかこの服作れそうだなっていうので、なんかビリビリに破ってみたりとか、そうですね、それが高校生ぐらいですかね。
その服に興味を持っているのは、あれなんですか、なんかこう家族がすごくオシャレに着てるとか?
まあなんか、どうすかね、母親はなんか多少好きだったと思うんですけど、そんなものすごいなんかっていうのがあったかっていうと、どうすかね、まあまあ好きだったんですかね、母親が。
なるほどなるほど、それでなんかこう服をちょっと改造するっていうのは、そこからスタートしたっていう?
そうですね、なんか兄がいて、兄が僕の二つ上で、あの音楽聴いて、兄はバンドを始めて、今もやってるんですけど。
へー、そうなんですか。
で、なんか僕はなんか未だにね、あの弦が抑えらんないし、なんか歌もなんかあんま得意じゃないし、
うんうん。
で、なんか音楽もいいけど、着てる服かっこいいなーっていうので、服をなんか真似して作ったり、なんか切りっぱなしとか破れてたりとか、要はね、なんていうんですかね、着物がいいとかスーツがいいとかっていう感じじゃなくて、なんかこれ切っただけじゃんみたいな感じの、なんかその感じがすごいとっつきやすかったんでしょうね。
なるほどね。
あ、そうなんですね。でもなんか今の途中で辞めるも、何だろう、糸をあえて切らないとか。
そうですね。
あれすごい好きで。
うん、なんかそういうのが、じゃあやっぱその辺から来てるってことなんですかね。
そうですね、はいはい。
で、あれですよね、もともとデザイナーを目指してたってことなんですかね。
長崎で生まれ育ったんですけど、なんかたぶんここにいてもたぶん何もないなと思って。
で、なんか実家を出る公実がなんかないかと思って、頭もあんま良くなかったんで、大学に行くほどの能力もなかったんで、なんか洋服の専門学校行くって言ったら親も行ってくればぐらいの感じになるのかなと思って。
一番やる気のない、なんか夜間なんですよね、専門学校。文化服装の2部、夜間。週3日しか行かなくていいっていう。
あ、そうなんだ。え、そこで何ですか、どんなこと学んでたんですか。
そこで服装科なんで洋服の作り方を学んだりするんですけど、僕が行ったのがたぶん90、1995年ぐらいで、当時その浦原宿っていうのがむちゃくちゃ盛り上がってるときで、
たぶん一番多かったときなんですよね。生徒の数も多かったし、ファッションがむちゃくちゃ盛り上がってたときで、なんか一気に冷めちゃうんですよ、行って。
逆に。
もうみんな気持ち悪いなって思って、なんかみんなその浦原宿で買った服の自慢大会みたいな、ファッション大会にまあそれは当然好きだからみんななってるんですけど、なんか妙に拗ねちゃって、ずっと同じ服装でしか行かないっていうのをやってましたね。
あえて?
ここに溶け込んでもしょうがねえだって。
なるほどね。
拗ねてましたね。
でもなんかなんとかそこを卒業して。
そうですね、卒業して。
で、なんか大体そういうなんか服飾専門学校行った人って、なんかアパレルランドを務めたりとかするじゃないですか。
でも山下さんはそうはいかなかった?
いや、意外と洋服系の仕事はして、Tシャツのプリント工場で働いたり、
古着屋さんで、なんかこういう古着屋さんで働いたりとか。
そこがなんかすごい良かったんですよね。
店をやってるんだけどミシンがいっぱい置いてあって、勝手に好きなもの作っていいよって感じで作って。
で、あの店はお客さんも来ないし全然売れないんですよ。
でも年に3回ぐらい、なんか原宿で展示会っていうのに出して、合同展示会みたいなのに出して。
で、それで作ったやつの注文が来たらそれを量産してっていうので、結構僕が作ったやつも当時売れてたんですよね。
そういうとことかでもなんかね、いい経験をさせていただいたり。
それもリメイクだったんですか?
そうですね。
じゃあなんかその頃から結構もう着々と。
だからなんか、最初の頃は服を作っていくと思ってなかったんですよ。
服っていうので上京するきっかけが欲しかったのと。
多様な経験
で、なんか今で言うYouTuberみたいなことやってたんですよ。
なんていうんですかね、友達と面白い映像みたいなの作って。
当時はネット、あったかもしれないけど誰もやってなかったんで。
知り合いのカフェみたいなの借り切ったり、公民館みたいなとこ借り切って、なんか面白い動画みたいなの作って。
それをみんなに見せて、良かったねみたいな感じのを繰り返してたんですよね。
だからなんかそういう面白いことをやってたいなっていうのがあったんですよ。
それをやっても食えるわけないんで、演劇とかバンドやってる人とかと一緒な感じっていうか。
それでなんかとりあえず暮らすための仕事は洋服に関係することは結構多かったですね。
服屋さんとか古着屋とかプリント工場とか。
そんな感じが何年続いたんですかね。結構長いこと。
え、それでなんかそこ、それはあれなんですか?場所的にはどの辺でやってたんですか?
やってたのは高円寺で、でも例えばTシャツのプリント工場下町、菊川とか森下とかあの辺まで行ってましたね。
はいはい、そうなんですね。
なんかでもあれですよね、経歴とか読んでると。
はい。
なんか色々不思議なお店を過去にやっていて。
やってましたね。なんかだから何ですかね、今、今っていうか。
借金取りとかもやってましたし、お化け屋敷のお化けの梅津和夫の、あの交楽園の梅津和夫のお化け屋敷っていうのがあって。
そのお化けもやったりしましたよ、バイト。
友達がセンサーぶっ壊して、20万円ぐらいするセンサーぶっ壊してすぐクビになっちゃったりしましたけど。
え、はいはい。
そうですね。借金取りやったりとかね。
借金取りってなんかどういうことですか?
借金取りはなんか、今も違法になっちゃってなくなっちゃった、あの借金の形態みたいなのがあって。
あの、えっと、なんか都市とかって、なんかあったじゃないですか、10日で1割みたいな。
あれは当時から違法だ、今も違法ですけど。
はいはい。
なんか、えっと年利、今多分17%とかそのぐらい、13とかわかんないですけど。
一番すごかった時54%っていうのがあったんですよ。
ありえないっすね。
で、それを3ヶ月で返す、毎日返すんですよ。30万円借りて、3000円の109回払いとかで。
だから109日で返済するんですよ。
えー。
でも、飲食店って毎日お金が入ってくるじゃないですか。
あ、なるほど。
だから30万借りて、3000円の109回払いで、だから鍵を預かって、
大体が飲食店なんですけど、飲食店がやってない、午前中にスナックとか飲み屋さんとか飲食店とかの鍵を開けて、
なんかおしぼりの下とか書いてあるんですよ、なんかその宝の地図みたいな。
で、そこ行ったら3000円あるから、3000円取ってハンコをペタッて押して、また何事もなかったりっていう。
それをずっとやってましたね。
へー。あ、でもなんかやっぱりそれ自活していくために今そういう色んなバイトを。
そうですね。だからなんか自分のやってることで食えるようになるなんて思ってもなかったというか、夢みたいな感じだったんですよね。
だから、なんかをやるにはバイトしなきゃ無理でしょみたいな感じが2000年代前半ぐらいまでは全然あったんですかね。震災前ぐらいとかまでは。
え、そのバイト自体は面白かったんですか?やってて。
面白くはないですけど、やってた時からそんな仕事をやってる人が周りにいないから、おもろみたいな感じではあるんですよね。
だからそういう意味では後に喋れて面白いけど、あんまり印象のいい仕事でもないし、例えば歌舞伎町の飲み屋さんとか行くんですよね。
人生の転機とブランド立ち上げ
で、そのキャバクラとかスナックとかそういうところも行くんだけど、当時闇カジノとか当たり前に流行ってて、朝でもその見張りの人とかいるんですよね。
見張りの人は僕の職業多分わかるはずなんですよ。
あいつ日掛金の収入金のやつだっていうのは多分わからない。毎日見合わせるわけじゃないですか。
で、どっかに行って行って、魚屋さんでもなければ花屋でもないから、何も酒屋でもないから荷物持たずに行ってすぐ出てくるから、あいつは多分どっかの店の収金をやってるやつだなっていうのは多分わかるはずで。
その見張りをしてる人が変な気を起こして僕を襲ったらってことを考えるとめちゃくちゃ怖いじゃないですか。
だからそういう怖さとかもちろんあって、その怖さ代は給料に含まれないじゃないですか。
時給4,000円とかなら喜んでやるんですけど、普通の時給でしたよ。ちょっといいぐらいで。
だから嫌だなーみたいな感じはあったけど、僕が入ってから以降、アルバイトニュースとか、フロムAとか、ああいう情報誌で、借金取りの収金のアルバイトの掲載ができなくなったんですよ。
新規の募集ができないから、お前絶対辞めさせへんからなって言われてて。
僕は積極的に免停になることで、バイク乗れないんで辞めますって言って辞めたっていうのがありましたけど。
それ何年くらいやってたんですか?
それは2年くらいですかね。
なるほど。
でも面白かったですね。
いろんなそういうバイトをやって、今の途中で辞めるが軌道に乗り出したというか、やり始めたのっていうのは。
でも本当震災の後ぐらいなんですよ。だから途中で辞めるって始めたの2004年ぐらいで。
ブランドの成長と市場の変化
自分で店をやってみたりとか、素人のランとかをやってみたりするんですけど、別に儲かりはしないですね。全然儲かんなくて。
ギリギリバイトしてたりしてなかったりぐらいで、たまに親に兼ねかれたり、友達に兼ねかれたりって感じで、全然やれてなくて。
でもそんな借金が100万があるかというとそんな根性もない。30万借金みたいな感じの、そんな感じがずっと続いてて。
本当震災からじゃないですかね。
震災からってことは2011年?
2011年。あの時にみんないろんなね、2011年に25歳だとしたら今38歳ぐらいになってるんですか?
分かんないですけど、その大学過ぎたぐらいの時に震災になってた人とかに会った人とか、なんとなく人生感変わったと思うんですよね。
10歳の時に阪神大震災だったって言われてもって言うとあれですけど、そんなに何かが変わるかっていうとあれですけど。
だから僕もそれで何か、これはダメかもなと思って。
なんか放射能とかすごいし、それでデモやったりとかいろいろやったけど、ここ住めないでしょ東京と思って。
で、実家がある長崎に帰ろうと思って。ちょうど結婚して子供も生まれるっていうタイミングだったので、なおさらビビりまくってて。
で、店を辞めるっていう話をしたんですね。
で、そのタイミングで友達から電話がかかってきて、今日ヒカルくんの服を着てパルコに行ったら、パルコの店員さんが喜んで、
洋服を着たいって言ってるよって言われて。そんな都合のいい話あるかなって感じじゃないですか。
僕が辞めるって言ったら翌日かその日かそんな感じだったんですよね。
でもドッキリだとしても嬉しいしいいかと思って。渋谷のパルコなんて言ったら一番いいなって感じだったんで。
で、持ってったら本当にその日か次の日ぐらいに全部売れたからまた持ってきてって言われて。
そんなドッキリこれいつネタバラしすんだろうって感じじゃないですか。
それが2週間で何着か忘れたけど相当な数が売れたんですよ。あれってドッキリでしたって言うにはあれだなみたいな感じで。
で、店を辞めるっていうのは辞めちゃう。
展覧会と経営哲学の探求
ちょうど2011年って今から何年前になるんですか。13年前。
みんなスマホを持ち始めて、メルカリとかベースとかヤフオクもそうかもしれないですけど個人間の売り買いがすごい盛んになってきた。ネットで。
だからこれで店は辞めちゃうけど、九州田舎引っ込んでネットでウェブショップ始めるけど、
多分売れなくなるだろうけど売れなくなったらバイトでもすりゃいいかなっていう感じで九州帰ったんですけど、
買う人からすれば別に買う作業なんて別にこれがホチギのクリック、鳥取のクリックになるわけじゃないから、
別にあんまり関係なかったのかずっと売れ続けてて田舎に住んでるからお金あんま使わないんですよね。
だからお金がなくなってきたら妻から圧力かけられて、家賃払えんって言われてもっとビビって月末に死ぬほど服作ってっていうのをずっと繰り返してて、
それが多分なんですけど、お客さんに枯渇状態を与えてしまってたんですよ。
だから100人欲しがってんのに7個しかないとか、それがずっとこっちもそんなにどうにかして働かないって思ってるんで、
あんま作りたくないんですよね。それのいい緊張関係が続いたのか、欲しい人の数だけがどんどん増えていって、
作る数は少ないまんまで、これダメだっていうのでバイトの人を雇ったりして量産できるようにしたりとかして、
っていう感じですかね。
でも今ではね、オンラインで新作が発表されたら30分で完売するっていうこと聞いてますけど。
でも言うと10年前も30分で完売してたんですよ。
ただ10年前は多分10個しかなかったんですよね。
はいはいはい。
で、8年前になると30着に増えてみたいな感じで、今は作る数が増えて、欲しがる人の数が増えたけど、
なんかそのいい緊張関係はずっと1対8なのかわかんないですけど、それが10対80とかになってるだけで、あんま変わってないですね。
ってことはあれですよね、別に、なんていうのかな、しばらく新作が出ないことが続く、何週間か。
急にボーンって出る感じですかね。
そうですね。
あと、そんなに稼いでもしょうがなくねえかっていうのがあるんですよね。
多分もっと全然稼げるんですよ。
ちょっと例えば値段を上げるとか、海外で今の20倍くらいの量を半分以下の値段で作ることは多分楽勝でできるはずなんですよね。
でもそこまでしてみんなが欲しいのか。
例えば、全然半額にすることだってできると思うんですよ、海外で作るってなったら3分の1とか5分の1くらいに作れると思うので。
でもそんなにはいないよなっていう、途中で辞める欲しがる人が、100とかマックス1000人くらいのマーケットなのに、
なんか200万人のマーケットに対応したようなことをやってもしょうがなくないかなっていう。
そしたらなんか営業雇ったり、事務雇ったりとかいろいろやらなきゃいけなくて。
収入が8倍くらいになるのかもしれないですけど、8倍になって8倍遊びたいかっていうと今のまんまでよくて。
だから全然いいんじゃないかなって。
その方がめちゃくちゃうまいラーメン屋とか立ち飲み屋みたいなもんですよ、今は。
それをフランチャイズしませんかって言われても、でもなんか俺立たなくていいんですかみたいな感じとか。
そういう話も来るんですか?
いやいや来ないんですけど、それが例えば途中で辞めるが日本全国に18店舗くらいあったとして、
なんかいちいち行ったりしなきゃいけないっぽいじゃないですか。
そうですよね。
それ楽しいかなと思うけど、今の5倍くらい楽しくなるんだったら、行ってもやってもいいかもしれない、チャレンジしてもいいかもしれないですけど、
なんか別にあんま魅力感じないなって今が一番楽しいんですよね。
本当?素晴らしい。
でもあれですかね、自分で見てなんでこんなに売れるって思いますか?人気の秘密というか。
なんか、あんまりこっち側のことをそこまでは考えてないんですよ。
僕と家族と雇ってる人たちが食えればいいかなってことしか考えてなくて。
3年前くらいから貯金が100万円なんですけど、1円も変わってないんですよね。
むちゃくちゃ売れてるんですけどこの3年くらいで。
でも何にも持ってるお金変わってなくて、でもその分死ぬほど遊んでるかというと別にそんなに遊んでるわけでもなくて。
だから多分器用にやればもっと100万円だったのが1000万円になるぐらいは稼げる余白があったと思うんですけど、あんまし興味がないんですよ。
そこら辺がいいのかもしれないですね。
そうですよね。なんか割と価格もお手頃というか。
そうですね。
メイク服って1着1万円以上するものとかもできてて、なんかそれ結構買える人って限定されてないとかと思っちゃうので。
そうなんですよね。なんかだから買いやすい値段ってのと、なんかこんぐらいだったら嬉しいなっていうのをちょっとやりたいっていうのがあるから。
だから売れてるのかなって。
僕も行きたいですもんね。そんな店があったら。
そうですね。
そんな紅茶屋さんがあったら行きたいですよ。そんな八百屋があったら。
行きたい行きたい。
山下さんのこういう私たちのような活動もありつつも、山下さん自身のいろんな幅広い活動に焦点を当てたコテンがなんと。
そうなんですよ。まさかの。
9月3日から開催されているということで、これが長いですよね。3ヶ月以上12月の26日まで開催されているということで。
この番組が配信されるのがまさに9月3日で。
今日ですか。
そうですね。と言いつつ終了がその前なんですけども、これどんな展覧会になるのかっていうのをちょっと教えてもらってもいいですか。
本当は山下ヒカルの手作り陰謀論っていうタイトルだったんですけど。
そうなんですか。今違いますよね。
さすがに陰謀論っていうのはどうかなっていうので、どうにか情報情報で面白金儲け実験室になったんですけど。
なんか世の中暗いとかが言われてて、でも果たして本当に暗いのかなと思うんですよ僕は。
なんかこう去年より今の方がダメだし、今より来年の方がダメな感じがしてて。
で、なんか日本全体が経済にしろ何にしろ落ち込んできてるとか言われてて。
でも多分途中で辞めるは毎年17%以上上がっていってる感じがあるんですよね。
すごい。
だから多分日本が3%ダメになってこっちが良いと、なんか8倍ぐらい元気になった気がするんですよ。
金儲けの実験室
なんか申し訳なさがあってちょっと。
なるほど。
こんなに楽しいのになんで、俺もなんかめちゃくちゃ楽しいけど落ち込んだフリとかして。
なんですかそれ。
いやそうだよねみたいな。経済不景気だよねみたいな。
本当めちゃくちゃ景気良いのに歩いて帰ろうかみたいな感じになるけど、本当は思い込みなんじゃないかなと思うんですよ。
なるほど。
なんか歯が痛いで検索したら自分を落ち込ませる情報死ぬほど出てくるじゃないですか。
歯痛くないで検索したらなんかめちゃくちゃハッピーになるようなこといっぱい出てくるんですよね。
だからなんかどうにでもなるはずなんですよ。
で、なんかみんなマイナス情報集めすぎちゃって落ち込む万年病みたいな薬を手に入れちゃってんじゃないかなと。
それを俺の作った手作りの陰謀論でめちゃくちゃ明るくできんじゃないかなっていうのが、次お話しするおもしろ金儲け実験室はなんかそういうことをやりたいなと思って。
じゃあなんかこう言ったらどんなものが提示されてるんですか。
言ったらですね、何にもまだ決まってないんですけど。
でも要はそういうことになってるっていうのに多分みんな従うのが好きな気がするんですよ。
公演は焚き火禁止ですって言われたらまあ従っちゃうし、球技禁止でボール禁止って言ったら従っちゃうし。
なんかそういう感じでなんか調子の悪いフリ禁止ですって言われたら調子のいいフリをしてくれると思うんですよね。
そういう感じでなんかこう気がついたら元気になっちゃったなーみたいな感じの、なんかそういう実験ができないかなと思って。
それだけだと本当に陰謀論っぽいんで、さらに金儲けができたらいいんじゃないかなと思って。
なんか金儲け多分みんな好きだしやってみたいはずなんだけど、なんかやっちゃいけないことになってる感じもあるじゃないですか。
そんなことはないはずで、何でも金儲けにちょっと結びつけて、なんか自分が自活する方法、なんかありそうですけどね。
それをワークショップとかでやるとか。
そうですね、ワークショップやったり、なんか学校とかあの弟子と師匠みたいな関係を作らないとなんかできない気がするんですよ。
僕多分、今ここでバンって言っても、なんかやる人多分いないしいても、なんか自分に都合のいい解釈をするだけでうまくいかない気がするんですよね。
でも、なんかこことここはいいけどこれはダメだよって言える関係を作り上げたら、なんかもっとうまくいくと思うんですよ、その人が。
なんかそういう関係を作って、金儲けの実験をどんどんどんどんやっていける場所、学校にできたらいいなと思ってて。
でこれ、例えばさんちゃんの生活広報でやるんですけど、なんか僕いろんな大学とかに呼ばれて最近話すことが多くて、なんか並行しながら大学でもやるからこの大学潜って大丈夫だよっていう感じにして、
いろんな人たちが来れる場にしたら、なんかもっと生活広報で僕がその面白金儲け実験室のトークしますみたいな感じで、
なんかお金を払おうが払うまいがなんかお客さんです、喋る人ですみたいな感じだとふんぞり返って聞いて、面白かっただろうつまんなかっただろうで終わって、
終わっちゃうんですよね。そこだけで終わっちゃうんですけど、なんか次学校あるからその時まで2宿題ねって言ったら、その時来る人がもしいたらかなりこういい感じになっていく気がするんですよ。
リメイクファッションの提案
面白い。じゃあなんかそのまさに山下さん、バイト辞める学校って昔本として出されてましたけど、なんかこれがこの生活広報の中で起こるみたいな。
そうですね。
山下さんいるんですか?
しょっちゅういます。
マジ?
はい。
じゃあ私も通っていいですか?
ぜひぜひ。
嬉しいです。じゃあなんかこの中で新しい商売のネタを私も探そうかしら。
ぜひぜひ。
なんかじゃあそういったスクールと、それから山下さんの洋服とかもこの土地辞めるもん。
そうですね。作ったりその場で作ってミシンとか持ってきて、職場を移転させてそこでやるつもりなんで。
じゃあ一緒に作ったりとかもできますか?
そうですね。
嬉しいです。
山下ひかるさんのおもしろ金儲け実験室。これが9月3日から12月26日まで三軒座駅直結のキャロットタワー3階にある生活広報ギャラリーで開催するということで。
じゃあなんかちょっと楽しみにしてますんで、山下さんまた来てお話色々聞かせてください。
残念です。お時間に来てしまって。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
30:00

コメント

スクロール