山下さん、そもそも服作りを始めたのはいつぐらいからなんですか?
中学生とか高校生ぐらいの頃に、セックスピストルズとか、セックスピストルズですかねっていうバンドが、僕が知った時に当然解散して、
僕が生まれた頃に活動してたバンドなんですけど、なんかその人たちがパンクって言われたのの一番最初みたいな人たちで、
その人たちが着てる服がこれ俺でも作れんじゃねえかなっていう、なんかみんなこれ俺でもできんじゃねえかっつって音楽を始める人が多かったんですけど、
僕はなんかこの服作れそうだなっていうので、なんかビリビリに破ってみたりとか、そうですね、それが高校生ぐらいですかね。
その服に興味を持っているのは、あれなんですか、なんかこう家族がすごくオシャレに着てるとか?
まあなんか、どうすかね、母親はなんか多少好きだったと思うんですけど、そんなものすごいなんかっていうのがあったかっていうと、どうすかね、まあまあ好きだったんですかね、母親が。
なるほどなるほど、それでなんかこう服をちょっと改造するっていうのは、そこからスタートしたっていう?
そうですね、なんか兄がいて、兄が僕の二つ上で、あの音楽聴いて、兄はバンドを始めて、今もやってるんですけど。
へー、そうなんですか。
で、なんか僕はなんか未だにね、あの弦が抑えらんないし、なんか歌もなんかあんま得意じゃないし、
うんうん。
で、なんか音楽もいいけど、着てる服かっこいいなーっていうので、服をなんか真似して作ったり、なんか切りっぱなしとか破れてたりとか、要はね、なんていうんですかね、着物がいいとかスーツがいいとかっていう感じじゃなくて、なんかこれ切っただけじゃんみたいな感じの、なんかその感じがすごいとっつきやすかったんでしょうね。
なるほどね。
あ、そうなんですね。でもなんか今の途中で辞めるも、何だろう、糸をあえて切らないとか。
そうですね。
あれすごい好きで。
うん、なんかそういうのが、じゃあやっぱその辺から来てるってことなんですかね。
そうですね、はいはい。
で、あれですよね、もともとデザイナーを目指してたってことなんですかね。
長崎で生まれ育ったんですけど、なんかたぶんここにいてもたぶん何もないなと思って。
で、なんか実家を出る公実がなんかないかと思って、頭もあんま良くなかったんで、大学に行くほどの能力もなかったんで、なんか洋服の専門学校行くって言ったら親も行ってくればぐらいの感じになるのかなと思って。
一番やる気のない、なんか夜間なんですよね、専門学校。文化服装の2部、夜間。週3日しか行かなくていいっていう。
あ、そうなんだ。え、そこで何ですか、どんなこと学んでたんですか。
そこで服装科なんで洋服の作り方を学んだりするんですけど、僕が行ったのがたぶん90、1995年ぐらいで、当時その浦原宿っていうのがむちゃくちゃ盛り上がってるときで、
たぶん一番多かったときなんですよね。生徒の数も多かったし、ファッションがむちゃくちゃ盛り上がってたときで、なんか一気に冷めちゃうんですよ、行って。
逆に。
もうみんな気持ち悪いなって思って、なんかみんなその浦原宿で買った服の自慢大会みたいな、ファッション大会にまあそれは当然好きだからみんななってるんですけど、なんか妙に拗ねちゃって、ずっと同じ服装でしか行かないっていうのをやってましたね。
あえて?
ここに溶け込んでもしょうがねえだって。
なるほどね。
拗ねてましたね。
でもなんかなんとかそこを卒業して。
そうですね、卒業して。
で、なんか大体そういうなんか服飾専門学校行った人って、なんかアパレルランドを務めたりとかするじゃないですか。
でも山下さんはそうはいかなかった?
いや、意外と洋服系の仕事はして、Tシャツのプリント工場で働いたり、
古着屋さんで、なんかこういう古着屋さんで働いたりとか。
そこがなんかすごい良かったんですよね。
店をやってるんだけどミシンがいっぱい置いてあって、勝手に好きなもの作っていいよって感じで作って。
で、あの店はお客さんも来ないし全然売れないんですよ。
でも年に3回ぐらい、なんか原宿で展示会っていうのに出して、合同展示会みたいなのに出して。
で、それで作ったやつの注文が来たらそれを量産してっていうので、結構僕が作ったやつも当時売れてたんですよね。
そういうとことかでもなんかね、いい経験をさせていただいたり。
それもリメイクだったんですか?
そうですね。
じゃあなんかその頃から結構もう着々と。
だからなんか、最初の頃は服を作っていくと思ってなかったんですよ。
服っていうので上京するきっかけが欲しかったのと。
で、なんか今で言うYouTuberみたいなことやってたんですよ。
なんていうんですかね、友達と面白い映像みたいなの作って。
当時はネット、あったかもしれないけど誰もやってなかったんで。
知り合いのカフェみたいなの借り切ったり、公民館みたいなとこ借り切って、なんか面白い動画みたいなの作って。
それをみんなに見せて、良かったねみたいな感じのを繰り返してたんですよね。
だからなんかそういう面白いことをやってたいなっていうのがあったんですよ。
それをやっても食えるわけないんで、演劇とかバンドやってる人とかと一緒な感じっていうか。
それでなんかとりあえず暮らすための仕事は洋服に関係することは結構多かったですね。
服屋さんとか古着屋とかプリント工場とか。
そんな感じが何年続いたんですかね。結構長いこと。
え、それでなんかそこ、それはあれなんですか?場所的にはどの辺でやってたんですか?
やってたのは高円寺で、でも例えばTシャツのプリント工場下町、菊川とか森下とかあの辺まで行ってましたね。
はいはい、そうなんですね。
なんかでもあれですよね、経歴とか読んでると。
はい。
なんか色々不思議なお店を過去にやっていて。
やってましたね。なんかだから何ですかね、今、今っていうか。
借金取りとかもやってましたし、お化け屋敷のお化けの梅津和夫の、あの交楽園の梅津和夫のお化け屋敷っていうのがあって。
そのお化けもやったりしましたよ、バイト。
友達がセンサーぶっ壊して、20万円ぐらいするセンサーぶっ壊してすぐクビになっちゃったりしましたけど。
え、はいはい。
そうですね。借金取りやったりとかね。
借金取りってなんかどういうことですか?
借金取りはなんか、今も違法になっちゃってなくなっちゃった、あの借金の形態みたいなのがあって。
あの、えっと、なんか都市とかって、なんかあったじゃないですか、10日で1割みたいな。
あれは当時から違法だ、今も違法ですけど。
はいはい。
なんか、えっと年利、今多分17%とかそのぐらい、13とかわかんないですけど。
一番すごかった時54%っていうのがあったんですよ。
ありえないっすね。
で、それを3ヶ月で返す、毎日返すんですよ。30万円借りて、3000円の109回払いとかで。
だから109日で返済するんですよ。
えー。
でも、飲食店って毎日お金が入ってくるじゃないですか。
あ、なるほど。
だから30万借りて、3000円の109回払いで、だから鍵を預かって、
大体が飲食店なんですけど、飲食店がやってない、午前中にスナックとか飲み屋さんとか飲食店とかの鍵を開けて、
なんかおしぼりの下とか書いてあるんですよ、なんかその宝の地図みたいな。
で、そこ行ったら3000円あるから、3000円取ってハンコをペタッて押して、また何事もなかったりっていう。
それをずっとやってましたね。
へー。あ、でもなんかやっぱりそれ自活していくために今そういう色んなバイトを。
そうですね。だからなんか自分のやってることで食えるようになるなんて思ってもなかったというか、夢みたいな感じだったんですよね。
だから、なんかをやるにはバイトしなきゃ無理でしょみたいな感じが2000年代前半ぐらいまでは全然あったんですかね。震災前ぐらいとかまでは。
え、そのバイト自体は面白かったんですか?やってて。
面白くはないですけど、やってた時からそんな仕事をやってる人が周りにいないから、おもろみたいな感じではあるんですよね。
だからそういう意味では後に喋れて面白いけど、あんまり印象のいい仕事でもないし、例えば歌舞伎町の飲み屋さんとか行くんですよね。
ちょうど2011年って今から何年前になるんですか。13年前。
みんなスマホを持ち始めて、メルカリとかベースとかヤフオクもそうかもしれないですけど個人間の売り買いがすごい盛んになってきた。ネットで。
だからこれで店は辞めちゃうけど、九州田舎引っ込んでネットでウェブショップ始めるけど、
多分売れなくなるだろうけど売れなくなったらバイトでもすりゃいいかなっていう感じで九州帰ったんですけど、
買う人からすれば別に買う作業なんて別にこれがホチギのクリック、鳥取のクリックになるわけじゃないから、
別にあんまり関係なかったのかずっと売れ続けてて田舎に住んでるからお金あんま使わないんですよね。
だからお金がなくなってきたら妻から圧力かけられて、家賃払えんって言われてもっとビビって月末に死ぬほど服作ってっていうのをずっと繰り返してて、
それが多分なんですけど、お客さんに枯渇状態を与えてしまってたんですよ。
だから100人欲しがってんのに7個しかないとか、それがずっとこっちもそんなにどうにかして働かないって思ってるんで、
あんま作りたくないんですよね。それのいい緊張関係が続いたのか、欲しい人の数だけがどんどん増えていって、
作る数は少ないまんまで、これダメだっていうのでバイトの人を雇ったりして量産できるようにしたりとかして、
っていう感じですかね。
でも今ではね、オンラインで新作が発表されたら30分で完売するっていうこと聞いてますけど。
でも言うと10年前も30分で完売してたんですよ。
ただ10年前は多分10個しかなかったんですよね。
はいはいはい。
で、8年前になると30着に増えてみたいな感じで、今は作る数が増えて、欲しがる人の数が増えたけど、
なんかそのいい緊張関係はずっと1対8なのかわかんないですけど、それが10対80とかになってるだけで、あんま変わってないですね。
ってことはあれですよね、別に、なんていうのかな、しばらく新作が出ないことが続く、何週間か。
急にボーンって出る感じですかね。
そうですね。
あと、そんなに稼いでもしょうがなくねえかっていうのがあるんですよね。
多分もっと全然稼げるんですよ。
ちょっと例えば値段を上げるとか、海外で今の20倍くらいの量を半分以下の値段で作ることは多分楽勝でできるはずなんですよね。
でもそこまでしてみんなが欲しいのか。
例えば、全然半額にすることだってできると思うんですよ、海外で作るってなったら3分の1とか5分の1くらいに作れると思うので。
でもそんなにはいないよなっていう、途中で辞める欲しがる人が、100とかマックス1000人くらいのマーケットなのに、
なんか200万人のマーケットに対応したようなことをやってもしょうがなくないかなっていう。
そしたらなんか営業雇ったり、事務雇ったりとかいろいろやらなきゃいけなくて。
収入が8倍くらいになるのかもしれないですけど、8倍になって8倍遊びたいかっていうと今のまんまでよくて。
だから全然いいんじゃないかなって。
その方がめちゃくちゃうまいラーメン屋とか立ち飲み屋みたいなもんですよ、今は。
それをフランチャイズしませんかって言われても、でもなんか俺立たなくていいんですかみたいな感じとか。
そういう話も来るんですか?
いやいや来ないんですけど、それが例えば途中で辞めるが日本全国に18店舗くらいあったとして、
なんかいちいち行ったりしなきゃいけないっぽいじゃないですか。
そうですよね。
それ楽しいかなと思うけど、今の5倍くらい楽しくなるんだったら、行ってもやってもいいかもしれない、チャレンジしてもいいかもしれないですけど、
なんか別にあんま魅力感じないなって今が一番楽しいんですよね。
本当?素晴らしい。
でもあれですかね、自分で見てなんでこんなに売れるって思いますか?人気の秘密というか。
なんか、あんまりこっち側のことをそこまでは考えてないんですよ。
僕と家族と雇ってる人たちが食えればいいかなってことしか考えてなくて。
3年前くらいから貯金が100万円なんですけど、1円も変わってないんですよね。
むちゃくちゃ売れてるんですけどこの3年くらいで。
でも何にも持ってるお金変わってなくて、でもその分死ぬほど遊んでるかというと別にそんなに遊んでるわけでもなくて。
だから多分器用にやればもっと100万円だったのが1000万円になるぐらいは稼げる余白があったと思うんですけど、あんまし興味がないんですよ。
そこら辺がいいのかもしれないですね。
そうですよね。なんか割と価格もお手頃というか。
そうですね。
メイク服って1着1万円以上するものとかもできてて、なんかそれ結構買える人って限定されてないとかと思っちゃうので。
そうなんですよね。なんかだから買いやすい値段ってのと、なんかこんぐらいだったら嬉しいなっていうのをちょっとやりたいっていうのがあるから。
だから売れてるのかなって。
僕も行きたいですもんね。そんな店があったら。
そうですね。
そんな紅茶屋さんがあったら行きたいですよ。そんな八百屋があったら。
行きたい行きたい。
山下さんのこういう私たちのような活動もありつつも、山下さん自身のいろんな幅広い活動に焦点を当てたコテンがなんと。
そうなんですよ。まさかの。
9月3日から開催されているということで、これが長いですよね。3ヶ月以上12月の26日まで開催されているということで。
この番組が配信されるのがまさに9月3日で。
今日ですか。
そうですね。と言いつつ終了がその前なんですけども、これどんな展覧会になるのかっていうのをちょっと教えてもらってもいいですか。
本当は山下ヒカルの手作り陰謀論っていうタイトルだったんですけど。
そうなんですか。今違いますよね。
さすがに陰謀論っていうのはどうかなっていうので、どうにか情報情報で面白金儲け実験室になったんですけど。
なんか世の中暗いとかが言われてて、でも果たして本当に暗いのかなと思うんですよ僕は。
なんかこう去年より今の方がダメだし、今より来年の方がダメな感じがしてて。
で、なんか日本全体が経済にしろ何にしろ落ち込んできてるとか言われてて。
でも多分途中で辞めるは毎年17%以上上がっていってる感じがあるんですよね。
すごい。
だから多分日本が3%ダメになってこっちが良いと、なんか8倍ぐらい元気になった気がするんですよ。
なんか申し訳なさがあってちょっと。
なるほど。
こんなに楽しいのになんで、俺もなんかめちゃくちゃ楽しいけど落ち込んだフリとかして。
なんですかそれ。
いやそうだよねみたいな。経済不景気だよねみたいな。
本当めちゃくちゃ景気良いのに歩いて帰ろうかみたいな感じになるけど、本当は思い込みなんじゃないかなと思うんですよ。
なるほど。
なんか歯が痛いで検索したら自分を落ち込ませる情報死ぬほど出てくるじゃないですか。
歯痛くないで検索したらなんかめちゃくちゃハッピーになるようなこといっぱい出てくるんですよね。
だからなんかどうにでもなるはずなんですよ。
で、なんかみんなマイナス情報集めすぎちゃって落ち込む万年病みたいな薬を手に入れちゃってんじゃないかなと。
それを俺の作った手作りの陰謀論でめちゃくちゃ明るくできんじゃないかなっていうのが、次お話しするおもしろ金儲け実験室はなんかそういうことをやりたいなと思って。
じゃあなんかこう言ったらどんなものが提示されてるんですか。
言ったらですね、何にもまだ決まってないんですけど。
でも要はそういうことになってるっていうのに多分みんな従うのが好きな気がするんですよ。
公演は焚き火禁止ですって言われたらまあ従っちゃうし、球技禁止でボール禁止って言ったら従っちゃうし。
なんかそういう感じでなんか調子の悪いフリ禁止ですって言われたら調子のいいフリをしてくれると思うんですよね。
そういう感じでなんかこう気がついたら元気になっちゃったなーみたいな感じの、なんかそういう実験ができないかなと思って。
それだけだと本当に陰謀論っぽいんで、さらに金儲けができたらいいんじゃないかなと思って。
なんか金儲け多分みんな好きだしやってみたいはずなんだけど、なんかやっちゃいけないことになってる感じもあるじゃないですか。
そんなことはないはずで、何でも金儲けにちょっと結びつけて、なんか自分が自活する方法、なんかありそうですけどね。
それをワークショップとかでやるとか。
そうですね、ワークショップやったり、なんか学校とかあの弟子と師匠みたいな関係を作らないとなんかできない気がするんですよ。
僕多分、今ここでバンって言っても、なんかやる人多分いないしいても、なんか自分に都合のいい解釈をするだけでうまくいかない気がするんですよね。
でも、なんかこことここはいいけどこれはダメだよって言える関係を作り上げたら、なんかもっとうまくいくと思うんですよ、その人が。
なんかそういう関係を作って、金儲けの実験をどんどんどんどんやっていける場所、学校にできたらいいなと思ってて。
でこれ、例えばさんちゃんの生活広報でやるんですけど、なんか僕いろんな大学とかに呼ばれて最近話すことが多くて、なんか並行しながら大学でもやるからこの大学潜って大丈夫だよっていう感じにして、
いろんな人たちが来れる場にしたら、なんかもっと生活広報で僕がその面白金儲け実験室のトークしますみたいな感じで、
なんかお金を払おうが払うまいがなんかお客さんです、喋る人ですみたいな感じだとふんぞり返って聞いて、面白かっただろうつまんなかっただろうで終わって、
終わっちゃうんですよね。そこだけで終わっちゃうんですけど、なんか次学校あるからその時まで2宿題ねって言ったら、その時来る人がもしいたらかなりこういい感じになっていく気がするんですよ。