もともとそういうことに興味を持たれた、何かきっかけってのあったんですか?
そうですね、これはちょっと不思議な出会いだと思うんですけれども、私が大学生の時というのが90年代前半の頃だったんですね。
その頃は大学の中にもジェンダーとかフェミニズムを意識した授業がすごく増えてきていました。
私は女子大学にいたので、多分他の教科部の大学よりかは、ややそうした授業が多めだったと思います。
その中で、女性論という授業があったんですね。
それがやっている時間帯、私たまたま何もなかったんですよ。
せっかく女子大に来たのだから、そういう女性論みたいな授業を受けてみても面白いかなって思って、
実行したら、自分の中ではもう雷の歌みたいな経験をしまして、これが学問になるんだっていう驚きがありました。
学問になるんだって、どういう衝撃だったんですかね。
専業主婦が、どうして専業主婦という存在があるのか。
専業主婦の力士ですとか、そういうのを初めて知ったんですね。
簡単に言うと、今当たり前のように専業主婦という言葉を使っていたり、実際にそういうライフスタイルを選ぶ方はいらっしゃいますけれども、
それは別に100年も200年前も300年前もそうだったわけではなくて、近代になってから出てきた女性の生活スタイルだっていうのがわかったんですよ。
その授業の中で。それがもう私、本当に雷打たれたようになって、私が育った家庭っていうのは、私の母親専業主婦だったので、
自分の自身の人生を、ちょっとその時どこまで想像していたのかは、今想像するとわからないところもあるんですけれども、
なんとなく大学を出たら就職して、その後は結婚して、専業主婦になって産んでみたいな。
そういう人生は多分少し想像してたと思うんですけど、私の母親の人生はそうだったので。
でもそれは運命のように決められたものではなくて、ある時そういうライフスタイルが出てきただけだと。
だから必ずしもその人生を選ばなくても良いっていうことがわかったっていうのは、すごく私は雷打たれたような経験でした。
今ですね、近代になってから近代家族という。
近代家族ね。
近代家族が生まれて、外でよく言われるじゃないですか、男は外で働き、女は家を守る、そういう生活スタイルのことをまず言いますけれども、
それが実は近代資本主義が生まれてから、そういうライフスタイルが生まれてきたということがわかった。
近代資本主義にとって都合のいい。
そうですね。
要するに工場に働きに行く人間とその間、家を守る人間というふうに役割分担をしていく中で、
女性の役割というのが家を守り、子供を育てるという仕事だった。
でもそういうね、これがイコール幸せだよみたいな、変な定型みたいなものっていうのがそこでできてしまったって、
それが逆に悩める人を生んでるってことも、実際現代ね、いろいろなところで私も見受けるなっていうのはありますよね。
この授業がきっかけだったんですね。
そうなんですよね。
それとは別にですね、私自身の専攻は美術とか文化とかを学ぶ場所だったんですね。
私がいた学科というのは、その授業っていうのは別の学科の授業なんですよ。
たまたま取ったときに。
学科同士の垣根が低かったので、隣の学科の授業を選べたんですね。
あれ、キラさんの専攻学科は。
私自身の専攻は文化学科っていう、
美術だけではなく文学とか哲学とかを学ぶ、一般的な文化現象を学ぶ場所だったんですね。
今、研究してらっしゃるということは、その学科を跨いだ、合わさったと言ったら変ですけど、そういった形で今研究を進めているっていう、そんな理解ですかね。
そうですね。自分が本丸とする学科の中でも、また雷に打たれたような。
何があったんですか、次の雷は。
出会いがありまして。
次の雷は何ですか。
次の雷はですね、ゼミが始まりますね。
その時に、私が学んだ先生が西洋美術史の和先生だったんですけれども、
彼女が、女性の和先生ですけど、彼女がリンダ・ノックリンの論文を紹介してくれたんですよ。
その時に2度目の雷が。
リンダ・ノックリンっていう方はちょっと説明させていただけますか。
リンダ・ノックリンというのは、1970年代にアメリカ人の美術史家なんですけれども、1970年代に初めてフェミニズムやジェンダーの指定を美術史に導入した女性研究者。
彼女が書いた、なぜ女性の偉大な芸術家は現れなかったのかという論文の日本語訳を、彼女が紹介してくれたんですね。
なんかすごい先進的な授業を受けられたんですね。
その論文の中で書かれてたっていうのを、ちょっとかいつまんでご紹介いただければ。
いつまで言うと、歴史上女性アーティストの名前なり作品なりを見かけるということは人に少ないけれども、それは女性に才能がないわけではなくて、女性の活躍を阻む社会構造のせいだということが書いてあるんですね。
教育制度の問題だと。
それが初めて知ることだったわけですね。
でもなんかそうですよね。
いろいろと自分の中で、普段生活してる中でモヤモヤとしてることっていうのが、急にクリアになる瞬間ってありますよね。
さっき私、3月4日は国際女性デーってことをお伝えしたんですけども、世界経済フォーラムが発表している世界男女格差報告書っていうのがあるんですけども、
去年6月の発表時点で日本のジェンダーギャップシステムが146カ国中125位ってことで、これは2006年の公表開始以来最低だったらしいんですよね。
表現の現場調査団というこういったグループが、確か2020年8月に公表したジェンダーバランス白書っていうのがありまして、この中ではまさに美術界における男性優位の現状っていうのが明らかになって、
あ、注文が元々あったんですね。
はいはいはい。
ありまして、それに合わせて作品を描こうということが、一番最初のきっかけになっているようです。
で、何て言うんですかね、戦争に加担するわけじゃないですか。
さっきのね、小農園編のリクルートってことも、そんな若い男の子たちをやっぱり戦場に出すわけですよね。
そこにこう、女性がなんで加担しなきゃいけなかったのかなっていうのを、ちょっとやっぱり考えちゃしまうんですけども。
ここはやっぱりちょっと今の、現代の私たちの感覚とは違うところで、少し注意が必要なんだよね。
はい、なるほど。
これは女性史の研究からわかってるんですけれども、当時、女性たちっていうのは、ある種、戦争に生き甲斐を求めて、積極的に参入していたっていうことがわかってます。
なるほど、それどうしてなんですか。
それはですね、人類と深い関わりがありまして、要するに女性っていうのは無権利状態に置かれていて、
行動の自由というのもかなり、家庭に閉じ込められているので、縛られていますよね。
それが戦争になった途端ですね、女の力が必要だっていう風になって、
例えば、妊娠・出産。妊娠・出産っていうのが、兵士を増やすための重要な女性たちの仕事になって、
兵士となった男性たちの後を埋める労働力としての女性の力というのがクローズアップされてくるんですね。
それは、外に生き甲斐を求めて働いていくということに結びついていきますので。
なかなかちょっと複雑な社会構造が見えてきますよね、そこで。
実際、私たちの今の感覚でいくと、そんな戦争に加担することは何もしたくないと思いますけど、
逆にそういう権力が全くない女性の立場で、逆に自分が働く場が、活躍の場が与えられたってことですよね。
はい、そうですね。あとは、戦争のイメージもだいぶ違っていて、当時の人々にとって戦争っていうのは、日清・日露が彼らの頭の中にあるので、日清・日露っていうのは勝った戦争なんですね。
だから戦争っていうのは勝ちのイメージなんですよ。私たちは戦後にばれていますので、戦争って言ったらもう悲惨なことしかない。
当時の人たちの戦争に対するイメージっていうのは、今の私たちはだいぶ違います。
なるほど。てことは、この当時って日本って侵略戦争とかってやってたわけですけども、そういう意味では、ちょっとやっぱり自分の国のこういった立場に対しての誇りみたいなものもあったっていうところですか。
そこに国に奉仕するっていうことに喜びを感じたみたいな。
そうですね。やっぱり認められるっていうところに、自分の生き甲斐ややり甲斐を感じてしまったんだと思います。
ある種の承認欲求っていうのは、今の現代私たちが生きる社会の中でもすごく大きいところかなっていうふうに思いますね。
この街道の図の中には書かれているのは、だから働いている女性ってことですよね。
そうですね。働いている女性ですね、ほぼ。
なので、当時女性の重大な仕事だとされていた、妊娠とか出産っていうのはあまりクローズアップされていないというのが面白いところだと思います。
そうですよね。ここにいろんな職業が書かれているわけですよね。
どんなことしてるんですか、この女性たち。
この女性たちというのはですね、常日頃、要するにライフライン的な仕事もあるんですけれども、
軍事工場で武器を作っていたりですね、もうそろそろ空襲が始まる頃なので防空訓練に励む女性たちだったり、船を作ったり飛行機を作ったりっていうような、直接的に戦争に関わる労働もたくさんあります。
なるほど、だから戦争をバックアップしている女性像がここに描かれているわけですね。
これでも、この図にはどういうふうにしてあったんですか。また、この本を書き上げるまでどういうふうにされたのかなってすごい気になるんですけど。
そうですね、その頃、卒業論文のテーマどうしようかなって考えていた時に、雷に打たれたという経験からですね、ジェンダーと女性画家と、そして当時ですね、戦後50周年をちょうど迎えていた時で、戦争画に関する資料というのがたくさん出てきた時だったんですね。
なので、この戦争の時代というのもすごく面白いなと思って、じゃあこの3つ、ジェンダー、女性画家、戦争画、この3つで何かできないだろうかと考えた時に、たまたまイベントでお会いした、現代の作家さんにお会いして、そういうのを考えていると話した時に、
あなたがやるのにぴったりな作品が靖国神社の資料館にあるから見に行ってみたらどうですかっていうふうに言われて、見に行ったのが最初です。
そうですね、靖国神社というのは優秀感という資料館がありますよね、だからこの絵はそこにある。
はい、一枚はそこにあります。
見てたんですね。
その時はそうですね、見れました。今ちょっと観覧用のルートから外れたところにあるんですけれども。
で、見てどうだったんですか、その最初のインプレッションは。
インプレッションはもうちょっと言葉が出ない、びっくりした。
どんな感じだったんですかね、言葉が出ないくらい衝撃。
衝撃ですね、あと大きい女優と、大きさにまず圧倒されたし、ちょっと言葉にならない。
それに関する情報っていうのは、その隣についているキャプションだけだったんですね。