要を作ることで、会おうとする、みたいなことを、
命題に戻ると、結局会ってないってことは、どっちもそのアクションしてないってことですよね。
そうですね。
要がないの。
要がない。
この番組は、身の回りのものや現象など、あらゆる対象の本質を探究し、それにふさわしい名前を命名します。
さまざまな視点で対象を捉え直し、新たな発見を一緒に楽しんで参りましょう。
本日は、どんな命名が誕生するのでしょうか。
こんにちは、カンタです。
こんにちは、上水優輝です。
今日も命題が来ておりますので、張り切って命名を見出していきましょう。
はい。
それでは、命題お願いします。
命名
店員さんを呼んでも全然気づいてもらえない人
僕、全然気づいてもらえない人ですね。
居酒屋とかですか?飲食店とかでも。
はいはいはい。
すいませんって言っても、全然気づいてもらえないタイプですね。
結構手を挙げて大きい声で言っても、あんまり気づいてもらえないことはそこそこあります。
えー、なんでだろう。
ね。
そこ結構大丈夫なんですよね。
あー、上水さん気づかれるタイプですか?
うん。
なんなんだろう。
上水さん、あれですよね。バイトしてた時とかに、お客さんですごい気づきやすい人と気づきにくい人とかいました?
バイトしてた時、お客さんのこととか何も考えてなかったな。
あははははは。
コンビニなんで、そんなに呼ばれることはあんまりない方かな。
どういう、なんで気づいてもらえないんだろう?ありますね、そもそも。
逆にどうやってますか?どうやったら気づかれないんですか?気づかれない方法を教えてください。
何を意識して呼んでますか?
気づいてもらうことですよ。
あははははは。
いやいや、気づいてもらうことを意識して呼ぶのはそりゃそうなんだけど、どういうところを気をつけて声をかけたり手を挙げたりしてますか?
あー。
でも、例えば、こっちを見てる時とか、相手の関心がこっちに向いてそうだなみたいな時を見計ろうみたいなのは工夫をしようとするんですけど、気づいてもらえないので。
はいはい。
あーそうか。でも今話してて思ったんですけど、その関心をこっちに向けてるみたいなタイミングが思ったよりないみたいなことと。
あーわかる。うんうん。
で、なんかそのタイミング、こっち見てるなって思って手挙げてすいませんって言ってるんだけど、全然気づかれないとかもあるんで。
はいはいはい。
何なんだろう。やっぱり関心がこっち向いてないのかな。
っていうのと、あと多分僕あんまりこうガヤガヤしてるところで声が通らないタイプなんで、普通に聞こえてないはあると思います。
なるほど。
上水さん結構声通りますもんね。
声も通るし、その手も上げっぱなしで行くパターンですね。
あー。
あー確かに。
ずーっと上げてる。で目が合った瞬間に大きい声を出す。
なるほど。確かにな。すいませんの瞬間しか手挙げないかもしれないです。
ねえねえねえねえ。ずっと上げてたら、手の方がやっぱり気づく声より。
なるほどね。
店員さんは。だからずっと手を上げてて、あってなった時にすいませんって言ったら、あ、呼ばれたみたいな。
あーそうか。アピールが足りないのか。
アピールが足りないのか。店員さんはね、アピールしなくても気づくほうがサービスがいいですね。
でもやっぱり声通らないのもあるのか。でも、同じような呼び方をしても僕の時に気づいてもらえない率高いですね。
あー。なんでしょうね。
良くも悪くも気にならないのかなと思いました。僕の存在がその場にいて。
良くも悪くも存在が気にならない。
なるほどね。
多分上水さんとかいたら気になるじゃないですか。見た目的に。
ヤバそうみたいな。
ヤバそうっていうよりはなんかあれですよね。常に存在感を発揮してる感じがありますよね。
あーそうですか。
サムウェイなんかもあると思うんですけど。
まぁまぁまぁまぁまぁ。でかいしね。
存在としての圧みたいなのありますよね。
いるだけで手を挙げてるみたいになってるってことですね。
ちょっと目線がいきやすいみたいな。
なんかね、場に対する存在感の強さみたいなのありますよね。人それぞれ。その強さの強弱みたいなものが。
それはわかる気がします。
いるといるだけでいるってわかる人いるじゃないですか。
何も喋ってなかったりしてもみたいな。
そのなんか存在感の強さみたいなものが自分は弱いなってよく思います。
なるほどね。
じゃあこれは路線としては存在感がこう、場にいるだけでみたいな存在感がそこまで高くないみたいなところがポイントになるんですかね。
かなって思いました。
何なんだろうこの存在感って思うんですけど。
だから割と集団でいても、他の人から見たらどうかわかんないですけど自分の認知としては
集団にいても、行ってもいなくても変わらないけどいることは認知されてるみたいなポジションになりがちみたいな。
何種類あるんですか。
ギリ忘れられないぐらいのいること。
その最もひどいパターンだとどんな存在感。一番薄いパターンだと。
居たんだみたいなパターンですね。
あ、居たんだ。
なるほどね。
あ、居たんだの人はもう呼ばないですもんね、店員さんも。
そうそうそう。
確かに。
むしろなんか呼ばれた時びっくりしてますよね。
そういうこと、あ、居たんだの瞬間。
店員さん呼んでるけどこっちが気づいたら今いることなんですね。
存在感を切り口にして、めいめいね。
よく言うと、やっぱフィット感があるみたいなことですよね。
まあまあ場にね、そうそうきれいに、背景の一部になってると思うんですよ、環境の一部に。
そう、環境として。
環境系の人って感じですかね。
環境系。あ、いいですね。環境系でいいんじゃないですか。
環境系でいきましょう。
僕の場合環境系男子でいきましょう。
かんたんさん、環境ケースもね、いいですよ。
あ、すごい、エコーな感じになりましたね。
じゃあ次のメールでお願いします。
めいめい。
映画や演劇の上演中にスマホが鳴っちゃう人。
なるほどね。
マナー違反ですね、これはね。
そうですね。マナーモードにし忘れるってことですよね。
そうですね。電源切るまたはマナーモードするを忘れてる人ってことですよね。
僕家にいても常にマナーモードにしてるんで、なんか忘れる感覚もよくわからないんですよね。
通知っていうか音を鳴らさない?
鳴らさないですね。
バイブレーションもですか?
バイブレーションは鳴りますね。鳴るけど、でもほとんどオフにしてます。
わかる、僕もほぼ通知オフだもんな。
バッジが出るだけみたいな感じで。
どのアプリも、スラックとか含め、どのアプリも結構やっぱり通知オンにした時に通知のコントロールめんどくさいっていうか、
大量に来るから、ちゃんとフィルタリングの設定しないといけないとかがめんどくさいから、全部オフにしてますね。
わかります。僕は人のタイミングで注意を奪われたくないから通知放棄。
確かに。新しいアプリとかで注意を中断されるタイミングが2、3回あるともうオフにしようってなりますね。
だからあんまりこのスマホが鳴っちゃう人の気持ちがわからないんですよね。
ベース鳴らしてる人で消し忘れる?でも消し忘れるのか。
忘れてるのか、意図的なのかわかんないですよね。消さなくていいと思ってるのかが。
携帯なんて鳴るわけねーしってことは今日に限ってみたいな。
こともあるし、鳴ってもいいと思ってるみたいな。
そこまで言ったらちょっとすごいね。
でもいるのかな、中には。鳴ってもいいぐらいの人って。
いるんじゃないですか。フリマアプリとかで信じられない人たまにいるじゃないですか。
今お金がないんで安くしてくださいみたいな。知らんがらのみたいな。
なんで?ってなるやつ。
そういう人は確かになっちゃったけど、鳴りました。
私の用事があるからみたいな。
確かにそういう人もいるのかもしれないですね。
どのタイプに名前を付けるんだろう。
でもやっぱ、うっかりの方がリアリティあるんじゃないですか。割合で言うと。
悪気はなかったけど消し忘れてたなーみたいな。
で、あれですよね。こういう人がうっかりしなくなるような名前がいいですよね。せっかくならね。
あ、そうですね。
映画泥棒とかがいいな。
それはちょっとすでに別概念になりますからね。
でもそういうことですよね。みんなが映画に集中しているという、その集中を奪っているという意味では。
本当ですよ。
確かに。
映画が1回2000円で2時間あるとして、その一瞬で、数円だとは思うんですけど、それになるかならないかと思うんですけど、
100人見ていればそういう100円ぐらい盗んでるみたいなものですもんね。
集団されますから意識が。
確かに。
その体験自体が損なわれているって。相当な損失をね。
その瞬間だけじゃないですもんね。被害が。
映画見ないからあんまりピンときてなかったけど、そうですね。
2時間耐えれないんで。
言ってましたね。続かないと注意がね。
映画館に行くと映画見るのに集中できないから、手癖でスマホ触りそうになって、あ、やべってなるときがたまにありましたね。
ギリ踏みとどまりましたけど、やばいなと思ったから見るのやめとこうと思います。
そういう意味では、ついならないけどやっちゃうかもしれないです、自分が。
映画館セルフ出来になってるじゃないですか。
そうです。セルフ出来ですよ。
ただ鳴ったんじゃないよってことはこれを表現したいですよね。
そこでみんなのその体験そのものが損なわれてしまってるんだ、その場にいるみんなのっていう。
結構ね、あ、それやっちゃいかんなって名前がいいな。
なんか状況としては、だからあんまり意図はしてないけど、
例えば、放置自転車だと思ってて、所有者がいないと思ってた自転車に勝手に乗っていくみたいな現象が例えばあったとしたら、
それって本人は泥棒したつもりじゃないけど、結果的に泥棒してるよねみたいな。
それぐらいのやっぱり良くないことだっていう認識があるんですよね。
のなんかあれなんじゃないですか。みんなの集中とか注意力とかそこの体験を奪う行為ではありますね。
そう奪おうとしてるわけじゃなくても結果的に奪ってるという意味では、
なんて言うんだろう。
放置自転車と違うのはやっぱ別に放置してるわけじゃないもんな。離脱してないですもんね。
うんうんうん。
注意とか集中はね。どちらかというとそうか、だから。
過失障害みたいなことですね。
恋じゃないけど。
障害じゃないですもんね。
害はあるけど、傷じゃないですもんね。
過失障害で、障を干渉の障にしましょう。
過失で干渉に害を及ぼしてるってことですね。
いや良いと思う。
過失障害ですこれ。
ダメですよ。気を付けてくださいね。
気を付けてください。過失障害にしないようにね。
あと捨てられる自転車に乗らないように気を付けてください。
ダメですよ。犯罪ですよ。
じゃあ次の命題行きましょう。
めいめい。
ありますね。めちゃくちゃある。
僕は結構イベントっていうかね、
それこそ晩餐会とかいろいろやるけど、
あれはそういう名目あるから人誘えるけど、
普通に飲みに誘うとか全然人できないですもん。
そうなんですね。意外ですね。
なんかめっちゃ誘うイメージありますけど。
難しいですね。
何人かいたりとかしたら、
ノリで誰々さんも呼ぼうよとかで声かけるとかはあるけど、
最初の一手で、
ただの何でもない飲み会で誘うって相当ハードル高いですね。
そうなんですね。僕もそうなんですけど、
上水さんもそうだと思っていなかったので意外でした。
そうなんですよ。
先日もね、それこそ飲みに行って、
そのときも最初に一人から誘われて、
じゃあ行きましょうかって言って、
2人で行きますか誰か呼びますかって話の流れで、
何人か呼びましょうかってなったから、
じゃあかんたさんとか何とかの方って、
このようになったって感じだったんですよ。
だからそのきっかけがあったんですよ。
ゼロから僕がやったわけじゃないっていう。
人誘うときそういう感じですね。
ねえねえねえ、なりますよね。
なんで誘えないのかっていう、なんでなんだろう。
そういうシチュエーションに誘うときに、
誘う人に対して会いたくないとは思ってないし、
別にきっかけがあれば、
そういうきっかけがあれば全然会いたいなって思うから、
嫌とかじゃないんですよね。
ほんとそう。近い日ほどそうですね。
物理的距離が。
いつでも会える人ってことですよね。
そうそうそう。
広く言うと価値出さなきゃみたいな緊張感を持っちゃうからだと思うんですよね。
確かにね。勝ち勝ち。
勝ち勝ちのアシュだなと思うんですけど、
わざわざ誘うということは、
そこで誘わなきゃいけない何か特定の状況だったり、話題だったり、
何かがないとみたいな感覚はちょっとあるかもしれないですね。
それあるなあ。
楽しかったですねって追われる相手ってかなり限られてる気がする。
し、何かそれで追われる相手でも初手はやっぱり何か、
誘う時でしょ。
結果として楽しかったね。
要自体は一瞬で終わるやつでもいいんですけど、
今子供のPTAとかでいろいろ関わってたりするんですけど、
PTAに限らずなんですけど、
ああいう自治組織というか、
あんまり会社みたいに利益の最大化みたいな、
分かりやすいみんなが共有してるゴールがない集団みたいな時に、
会議のアジェンダみたいなものが集まる名目で、
話をするとコミュニケーションすることそのものが目的みたいなのが、
地域の集まりとか行くとよくそういう現象だなって思うことがあるんですよね。
ギュッと集中してビジネスモードで議論すると10分で終わることみたいなのを、
1時間とか2時間とかたっぷり時間をかけて話すみたいなことに、
価値が置かれてるみたいな状況ってあるなって思うんですけど、
あれも、やっぱりみんなある意味用がないと集まるっていうのは、
なんかちょっと躊躇するんだけど、
集まる目的は用じゃなくてコミュニケーションなんだと思うんですよね。
同じようなことをみんなもしかしたら、
違う状況で起きてるのかなって思いました。
あると思いますね。
僕はだから、やたら結果に対する責任というかプレッシャーがない、
プロジェクト作りまくるみたいなことしちゃうんですよ。
遊びをプロジェクト化するみたいな感じにして、
継続的に遊べるようにしがちなんですよね。
でも地域のお祭りとかも広く言えばそうですからね。
ねえねえねえねえ。
プロジェクト化することによって、
みんなはコミュニケーションを取るっていうきっかけというか、
大義名分を与えてくれるみたいな。
そうしがちかなあ。繰り返しというか、継続的に。
定期的に会うみたいなのをするためには。
それなくてやるのはめちゃくちゃ難しいんだよな。
要を作ってでも会おうとするみたいなことですよね、逆に。
要を作ることで会おうとするみたいなことを、
明大に戻ると結局会ってないってことは、
どっちもそのアクションしてないってことですよね。
そうですね。要がない。
要がない。
悪い意味じゃなくてね。
ただ要がないっていう状態だと思う。
自然状態は要がないんだけど、
会うために要を作るとか、
コミュニケーションのために手段としての要件みたいなものがあって、
その手段を取ってないってことなんだなって思いました。
そうですね。
お互いに。
要を作らないってことですね。
要を作ってないから1年以上経過しちゃってる。
確かにそういう観点で振り返ってみると、
人を誘うのに躊躇するとかは、
要を作るっていうことに対して、
考えることをサボってるなみたいなのがあるかもしれないですね。
作ろうと思えば作れるじゃないですか。
本当に会いたいと思ってて、
会うきっかけ作ろうと思ったら、
共通の趣味とか共通の話題があれば、
そいつ最近面白いことあったから話したくてとか言えばいいじゃないですか。
そういうのを考えることをサボってるなって思いました。
そうだね。要を作るか。要を作るね。
でも上水さんの晩餐会とか講演とかまさにそうじゃないですか。
そうですね。
料理を作るとかは別に手段であって目的ではないですもんね。
コミュニケーションの方が目的じゃないですか。
そうですね。
でも料理を作るという大義名分があるから集まれるみたいなのがあるじゃないですか。
そうですね。
僕の場合だとそういう活動もあるから、
余計に講演でもないプライベートで誘って、
そこで用事作るってプライベートな用事を作るってことなんじゃないですか。
確かに。
ハードル上がっていくんですよね。
確かに。
逆は多分あるんですよ。
晩餐会とかで仲良くなって、
誰かと集まるときに、
例えばかんたさんと僕が集まるときに共通の知り合いの人が晩餐会で一緒だった人とかいてると、
ちょっとあの人も呼びましょうよとかしやすいじゃないですか。
その便乗する形で用もないのに用を作って呼ぶみたいなことはしやすいんですけど、
ゼロのタイミングで誰かピンポイントで声かけるっていうのはめちゃくちゃハードル高いなって最近感じてますね。
確かに。
さっきの話もあれですもんね。
ある人と飲みに行くみたいな用が先にあって、
そうそうそう。
だから誘えるみたいな話ですよね。
このメンバーだったらかんたさんもいいじゃんみたいなやつで。