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2025-04-25 04:48

【1057】2025/04/25 老驥櫪に伏すとも志千里にあり #ことば

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2025/04/26

サマリー

年齢に関係なく志を持ち続けることの重要性が語られています。中国の三国時代の詩を引用し、志を持つことについて深く考えさせられる内容です。

志の重要性
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。 この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
毎朝更新している恋の日記です。今日も最後までお付き合いください。 昨晩はラジオパーソナリティ仲間と3人で食事をしました。
この3人で会うのは1年ぶりのことでした。 3人とも長くラジオ番組に出演しているんですが、
志が高い仲間なので、やっぱりバージョンアップしているところがあっていて気持ちいいなって思いました。 この4月から新しい環境になっている人もいたりして、すごく面白かったんですね、話が。
老気歴に伏すとも志千里に在りというように、年齢に関係なく志を高く持ち続けたいなぁと思いました。 この言葉、この一節は中国の三国時代、曹操が読んだ詩に由来します。
原文を紹介しますと、 老気歴に伏すとも志千里に在り、烈士五年曹心山津
というものです。老気というのは老いた銘馬のことです。 歴っていうのは馬小屋の中にある餌入れのことです。
烈士っていうのは強い信念を持った人物のことです。 そして五年は万年を指します。つまりこういうことを言っています。
老いた銘馬が貝羽桶つまり餌入れの傍に伏していても、志はなお千里の彼方を目指している。
老いた志士もその志は衰えずに燃えているというこういう意味なんですね。 この詩には曹操自身の気持ちが込められていたと言われています。
当時彼はすでに万年です。体力的には衰えを感じていたでしょう。 でもまだまだやりたいこと、目指す理想があったということなんですね。
志、千里にあり。この千里はただの距離じゃないと思うんです。 若い頃だったらもっと目標が近くにあったかもしれないんです。
志の持ち方
近くにっていうのは物理的な距離じゃなくて、自分が生きているうちにこういうことをなそうというような、そういう距離感です。
でも年を重ねるにつれて、自分がこの世を去った後にも残るようなもの、次世代に渡したいもの、そういう長い長いスパンっていう、志が千里にあるっていうのは、そういう長い眼差しを持って生きるということでもある気がします。
昨日のお話、1.01の法則にも重なってくるんですが、たとえ進むスピードはゆっくりでも足元がおぼつかなくても、志さえあれば人生は動き続けるものだろうなって思いました。
さらにこの言葉から教えられるものは、ただ諦めるな、おいても挑戦しようというような根性論とか精神論じゃなくて、むしろ志っていうものが肉体の状態とは別に存在するっていうことを教えてくれてるんじゃないかなって思うんです。
何を言ってるかというと、足腰が弱っても、たとえちょっと声がかすれても、人と同じスピードで動けなくなったとしても、志だけは自由ですよね。行動が伴わないから無価値なんじゃなくて、目に見える成果がなくても志を持ち続けることは確かな意味があるし、そこは自由だと思うんですよね。
これはもう年齢に限らず、病気とか障害、あるいは環境の変化に悩む人たちにとってもものすごく大切なメッセージだろうなって思いました。
こう考えてくると志っていうのは、外側に声高らかに吠えるものではなくて、むしろ自分の中の軸として静かにでも強く、内側に向かうものなんじゃないかなって思います。
老気、歴に伏すとも志千里にあり。志って決して誰かと比べるものじゃなくて、どんな年齢であっても、どんな状況にあっても持ち続けられるものだと思いますし、持ち続けていたいものだなと思います。
年を重ねることは、挑戦を終えることでは決してなくて、むしろより遠くを見渡すチャンスかもしれないなって思います。
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それではまた明日。
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