2025/07/17
サマリー
話の中で「蛇に足」という表現を用いて、余計な言葉が生む混乱について述べられています。著者は、まず全てを書き出し、その後不要な部分を削除することの重要性を強調しています。
余計な言葉の影響
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。毎朝更新している声の日記です。今日も最後までお付き合いください。
つい先日行ったイベントでのことです。その時私はナレーションを担当していて、司会者は別にいたんですね。
司会者が、「本日は委員長と副委員長が諸事情により不在のため、代理で〇〇さんが出席されています。」と紹介がありました。
この諸事情によりという言葉を聞いて一瞬ざわめきが起きたんですね。
えー何があったの?と詮索したくなるような妙な空気が流れました。
体調が悪いとか、ご家族に何かあったのかとか、事故があったのかとか、いろいろと想像が膨らんでしまうんですね。
それよりは、諸事情によりというのをなくしちゃったらどうかというと、
本日は委員長と副委員長が不在のため、〇〇さんが代理で出席されています。
これだけの方がすっきりと気持ちよく聞けた気がするんです。
こうやって、なくても意味が通じるのに、わざわざ付け加えたせいで、
かえって混乱を招いたりとか、雰囲気を乱してしまったりする表現ってあるんだなって思いました。
駄足って言ったりしますよね。駄足、蛇に足と書きますが、これは中国の古字が由来となっている言葉です。
天国柵という古典に出てくるお話で、ご存知の方は多いと思うんですが、改めてお話をすると、
ある人が立派な蛇の絵を描きました。それを見た人が、もう完璧だねと褒めたところ、
描いた本人がさらに蛇の足を描き加えてしまったということです。
それを見て、蛇に足はないよ、余計だと言われてしまうんです。
このお話が駄足、蛇に足って書く駄足、つまり余計なことという意味で使われるようになりました。
現代でも例えばこんな場面あるんじゃないでしょうか。
会議の最後に長くなりましたがと言いながら、さらに5分話し続けたりとか、
メールでご確認くださいと書いた後に、お忙しいところ恐れいますがという風に、
もう一文追加しすぎて読むがまに負担をかけてしまったりとか、
あとは結婚式のスピーチとかで感動的にしまった後に、
まあそんなわけでみたいにカジュアルに言ってしまうとか、
どれも蛇に足を描いてしまった瞬間と言えるかもしれません。
情報の整理
情報も言葉もあと感情もですね、すべてちょうどいい具合、ちょうどいい量っていうのがあるんですね。
私も台本を書いたりとかインタビューなんかの記事を書くときっていうのは、
私が一時情報なので全部書きたいんですよ。
言いたいこととか伝えたいことがいっぱいあるので、つい盛り込んじゃうっていうところがあります。
そういう傾向にあるよなっていうのは全部わかった上で、
でも最初から出し惜しみをしていてはいい本は書けませんので、
まずは思いっきり思うがまま全部盛り込むようにしています。
盛り込んだ後にそぎ落とすという作業をします。
このそぎ落とすっていう作業がとっても大事だと思っていて、
だから私はまず蛇に足を書くんですね。書いちゃうんです。
書いちゃった後にちゃんと消す。
言いすぎない。盛りすぎない。
そういうことこそが伝わる言葉、伝わる表現ということなのかもしれないなと思います。
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それではまた明日。
04:11
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