2025/07/16
サマリー
鶴岡慶子は、アナウンサーの先輩との再会を通じて、オーディション合格の思い出やアナウンサーとしての成長を振り返っています。17年間続いた秋田放送の番組については、初めの挑戦やその後の経験について語られています。
アナウンサーとの再会
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
毎朝更新している声の日記です。今日も最後までお付き合いください。
昨日は、アナウンサーとしての大先輩とお茶をしてきました。
先週、7月10日の配信の中でも、アナウンサーの先輩と会ったよ、という話をしたんですが、さらにその先輩です。
朝10時に待ち合わせて、午前中にカフェでお話をするというのは、そういう時間の取り方って、私にとってはとても珍しくて、なんだか新鮮でした。
お会いするのは実に、15年、16年ぶりぐらいなんです。しかも1対1でゆっくりお話しするのは、これが初めてのことでした。
私がその方に初めて出会ったのは、ラジオ局でのお仕事です。
彼女はアナウンサーでもありましたけれども、私がオーディションを受けた番組の審査員でもあったんですね。
こうやって面と向かって会うっていう、その前にお電話でお話をしてるんですね、先週。
で、あるお願いをしたということで、そのお礼も兼ねて今回はお会いすることになったんです。
お電話で聞いた声が全く変わらないので、びっくりしました。
現在は退職をされているんですが、今も朗読をしたりとか、そういう活動は東京でも行ったりしていて、非常に精力的に活動されていて、
まさに現役なわけですね。全く声に衰えがないので、素晴らしいなと思いました。
今回いろんな話をする中で、話題はそのラジオのオーディションの話になったんですね。
今もその番組は続いているんですが、秋田放送の朝取ワイド秋田弁という番組のオーディションの時は、どんな感じだったかっていうお話をしました。
実はその時、審査員の一人だったっていうお話をさっきしたんですが、私に合格ですとお電話をくださったのが他でもないこの方だったんですね。
つきましてはいついつ会社にお越しくださいと。
いやー、あの時のなんか緊張と、それから驚きと、どこで電話を受け取ったのか、どういう景色が見えていたのかってよく覚えてますね。
5月のことでしたね。土曜日はブライダルの仕事をして、そして次の日にオーディションがあって、それ日曜日だったんです。
で、合格発表の電話をいただいたのが月曜日なんです。あっという間に決まってしまいました。
なので本当にびっくりしたんですね。
秋田放送の経験
私はそれまでアナウンサーの経験がなくて、全くゼロからのスタートだったんです。
もちろん司会者としてのキャリアはありましたけれども、全く違う仕事だと思いました。
司会の仕事って読む仕事じゃないし、喋る仕事でもないんですよね。
が全くのゼロからのスタートだなと思いました。
当時番組は朝6時53分からのスタートで、11時までの4時間番組でした。
コンビを組んだアナウンサーの方が、アナウンスというものを科学しているような方だったので、
指導がとにかく細かい、たくさん叱られながら、それでも本当に分かりやすい指導だったので、
一つずつ技術を身につけていったなって感じがします。
当時のオーディションでは、すでに話せる人、読める人が多くいた中で、
その審査員の人たちが見ていたのは、この人と組んだら番組として伸びるかもしれないというような相性の良さというところを重視していたようでした。
私の前任者は3年で後退していたという話もあって、せめて3年は続けたいと思って始めた番組だったんですが、
気づけば17年間続けることになるんですね。
17年でしたという話をしたら、それはすごいことよとねぎらってくださって、当時の頑張りが改めて報われた気がします。
司会とは全く違う技術なんですよね。
それでもチャレンジしてきたことって大きな意味があったなって思い出しました。
すでにその生番組が始まる前に収録の番組はスタートしていたんですけど、
生放送ってまた瞬発力も必要なので、本当に鍛えられたなって思います。
今日も秋田放送にラジオ収録で行くんですけれども、それも収録なんですけれどもね、でも台本ないんですよ。
台本ないのでその生放送のようにして収録するんですね。
そういうのって生放送をしていたからこの番組ができるなっていうことも何か思い出して、今日もまた頑張ります。
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それではまた明日。
05:08
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