2025/09/16
サマリー
このエピソードでは、葬儀における神道の数霊の役割について語られています。特に、神葬祭と仏式の葬儀の違いが説明され、両者の考え方がどのように人々の心に響くのかが探求されています。
葬儀における神道の数霊
おはようございます。花火鑑賞士、気象予報士の鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。 昨日は、葬儀の司会をしてきました。
収支は神灯です。神灯の葬儀を神葬祭と言います。 私もいただいた伝報を祭壇にお供えするときに、参列者の皆さんと同じようにお参りをします。
その時の作法が、二礼、二拍手、一礼です。 この時の拍手は音を立てないのが作法です。
葬儀の場合は、音を立てない忍び手で行うんです。 ここで気になるのが、なぜ二なのかということです。
こと玉という言葉がありますが、神灯には数玉という考え方がありまして、 数字一つ一つに意味が込められています。
一は根源、始まりを表す数です。 天地創造の出発点です。
一礼は、この絶対的な存在への既逸を意味しています。 じゃあ二はどうか。
二は陰と陽、神と人、生と死、こんな風に、相対するものを調和させる数です。
なので葬儀での二礼二拍手というのは、こちらの騎士とあちらの騎士、志願と悲願を結んで、静かに個人を神へ送る所作になるんです。
というわけで、二礼二拍手一礼というのは、こういう意味が込められています。
ちなみに三は、成立、完成を表す数です。 天地陣とか、過去現在未来など、三味一体で物事は整います。
神事とか、のりと、のりごとのリズムによく表れるのも、この三の力です。 そして四、死ですが、現代では仏教的な影響から、死去する死と重ねられて避けられることが多いんですが、
本来は四方、四季といったような、秩序を示す安定の数です。 神道では必ずしも不吉の数ではなく、むしろ第一に根を張る意味合いがあります。
五以降は、今日はちょっと簡単にお話をしますが、五は人間と調和です。 五行、五体、五穀、すべて人の生活に直結しています。
六は拡大、循環です。六道とか、人の煩悩とか、循環の象徴です。 七は節目、冷静を意味するもので、例えば七五三とか七草、七日ごとの法要など、区切りを示す聖なる数です。
そして、八は無限、繁栄の数です。 八百の神、八方とか、神道では最も縁起の良い数です。
そして最後、九ですが、属性的に解釈すると、苦労の苦です。 古来の解釈からいくと、極みとか尊厳を表す数です。
九重の宮殿のように、尊いものの象徴として使われるのが、この九という数です。 といった具合に、神道には数玉という考え方があるということなんです。
ここで神葬祭と仏式の葬儀の違いを大まかに整理しますと、神葬祭、神道では、古人は御霊となりまして、その家の祖先人の人柱に加わると考えます。
神道と仏教の葬儀の違い
なので、祈りの中心は、御霊を静かに送って、やがて宇治神として祀るという、そんな流れになります。
なので、御聖行するのではなくて、玉串を奉典して、拍手の音を立てない忍び手で拝礼をします。
仏式の葬儀、仏教の場合は、亡くなった方は、六度をめぐる存在となって、成仏して仏の世界へ往生できるように祈る儀式です。
御聖行は供養の象徴で、呪図を持って、度胸を利きながら冥福を祈るという儀式です。
つまり、神葬祭は、御霊を祖先人として祀る、仏式は、古人が成仏して仏の世界に行けるように祈るという、ここが大きな違いです。
こうして見てみますと、同じ葬儀でも意味合いは大きく異なります。
異なるんですが、どちらの考え方を聞いても不思議と気持ちがしっくりくるのは、きっと私たちがその両方を自然に受け継いできたからじゃないかなって思います。
日本は長い歴史の中で、神仏を共に大切にしてきた国です。その流れの中で、命の贈り方を今も大切にしているんだなと実感します。
この配信は、Apple Podcasts 他各種プラットフォームでお届けしています。
LISTENでは、この配信のテキスト版を公開しています。合わせてご覧ください。
それでは、また明日。
05:08
コメント
スクロール