1. ピョン吉の航星日誌 Diary of an otaku living in Fukushima
  2. #13 二本松市のニコニコ共和国..
2022-03-12 08:33

#13 二本松市のニコニコ共和国とアイデアマンの本名康友さんとの思い出の話

spotify apple_podcasts youtube

二本松市岳温泉のニコニコ共和国をプロデュースしたり、うすい通りにミニFM局を作ったり、パソコン通信のホスト局を作ったり、街を盛り上げるためにさまざまな活動をした本名康友さんについての思い出の話です。

00:05
おはようございます。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気はなかったんです。
過去にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、だらだらと言いかせていただきます。
改めまして、おはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の3月12日土曜日、第13回目のお話となります。
今回はですね、ちょっと悲しい出来事がありましたので、その話をさせていただきます。
日本末市で今年の夏にですね、ニコニコ共和国が復活するというのがね、話題になっております。
昨年の夏あたりからね、知らしとかそういうのが見えていましたので、そういう機運が高まってたのかなという感じでしたね。
ニコニコ共和国ですけどもね、ご存知の通り日本末市の滝温泉に作られたミニ独立国です。
1982年にですね、町おこしの一環とですね、岩手県のね、岩手県でですね、キリキリ国というのができたんですよ。
で、マスコミの注目を集めてですね、1980年代の時にですね、突然ミニ独立国ブームというのができたんですね。
確かにきっかけはですね、キリキリ国でしたけども、日本末市のね、滝温泉のね、ニコニコ共和国がですね、ミニ独立国ブームのね、
牽引していった、引っ張っていったところじゃないかと思うんですね。非常にですね、全国で話題になっていました。
そのニコニコ共和国ですが、それにはですね、実は立役者というプロデュースされた方がいらっしゃるんですね。
これは周辺ではですね、ザ・ウィークリというフリーペーパーがですね、各家庭に配達されています。
12万部がね、配達されているそうです。
これはですね、企画室コアというところが発行しているフリーペーパーです。
昨年かな、亡くなりましたが、三田久美子さんという方がね、企画して始めたものです。
その企画室コアのね、初期メンバーの一人にですね、本名康友さんという方がいたんですよ。
この本名康友さんというのがですね、ニコニコ共和国のプロデュースをされていたんですね。
ですから、ニコニコ共和国にはですね、イメージソングが存在していまして、また会おうという曲なんですが、
それを歌っているのが実は本名康友さんです。
今はYouTubeでね、アップされているので聞くことができます。
03:01
作詞が三田久美子さん、それから作曲がこの本名康友さんなんですよ。
本名という名字はですね、漢字で書くと本名という漢字になります。
そういうと、郡山市民の人たちはね、えー、もしかしてーとなるんですよ。
何かなーと言いますと、薄皮まんじゅうとおなじみの郡山市のメーカー薄皮まんじゅう、
それとおなじみの柏和さんの親戚なんですね。
また世界的な音楽家の本名哲司さん、その方ともいとこ関係だったはずです。
本名康友さんはですね、非常にバイタリティのあるアイデアマンだったんですよね。
例えば、郡山駅前のためにですね、好きです郡山という曲をですね、
作詞作曲してレコード化してね、そして市民運動されたんですね。
その曲はですね、チャリティミュージックソンのイメージソングにも採用されたりしました。
またラジオ福島でね、ラジオ番組をもってDJなんかもされていました。
私もね、このレコードを持っております。本名さんからもらったんです。
1980年代の後半にはですね、薄井通りにですね、ミニAM曲を立ち上げたんですよ。
薄井通りだけしか聞こえないAM曲。ミニAM曲、ご存知でしょうか。
弱い電波だったらね、電波砲に引っかかんないで放送することができるんですね。
それを使った方法です。東北で初めての試みだったんですね。
どんな風な感じかなというのが気になる方はですね、
1991年頃にですね、波の数だけ抱きしめてっていうね、
ホイチョウプロダクションが作った映画がありますんで、
それを見てもらうとですね、なんか雰囲気が伝わるかなと思います。
中山美穂さん、織田優次さんが主演の青春映画ですけどね。
自分が本名さんとお会いしたのは、
堀山市で3番目の草の根BBSを本名さんが立ち上げた時でした。
商工会議室の上にですね、立ち上げたんですね。
今みたいにインターネットがね、普及する前の時代です。
電話回線を使ってね、コンピューターの情報をやり取りしてたんですね。
本名さんは商工会議室の自分の事務所のところにですね、
ネットを改革したんですね。
その草の根BBSですが、非常に堀山市でね、一番の人気だったんですが、
1989年頃ですね、突然東京に行って仕事するって言ってですね、
そのネットをですね、改革することにしたんですよ。
それで当時ですね、自分がですね、堀山市で4番目の草の根BBSを立ち上げていたので、
そちらにね、参加していたメンバー全員を映ってもらったってことがありました。
そんな関係もありまして、親しくさせていただいてたんですが、
東京に行ってもですね、事務所を立ち上げていろんなことをされてたんですね。
06:01
例えば、堀山駅前にあるバースミヤっていうですね、有名なバーがありますけども、
その中もプロデュースされたのが本名さんです。
それからあと、CD-ROMが普及されるということですね。
福島のお酒をCD-ROMにしてね、PRするっていうこともやっていました。
当時としてはね、お酒をコンピューターでね、見るなんて非常に珍しかったんですね。
それあと、小さいLEDライトを使って、堀山駅前に巨大なテレビを作ろう、
電光掲示板のお酒を作ろうっていうのもやっていました。
いつもですね、いろんなことの夢を浮かけている方でね、
非常にいろんなことにチャレンジされている方だったんですよ。
インターネットでね、再びよくメッセージがあるという通りになった時ですね、
ぜひまた飲みましょうねっていうふうに約束してたんですよね。
今回、ニコニコ教科書がね、復活っていうニュースを聞いてですね、
その本名さんどうしたらいいかなと思って検索したんですよ。
そしたらですね、2019年8月になくなられてたんですね。
もうショックですよ。
まだね、60歳っていう若さだったんですよ。
非常に残念です。
もう一度一緒にお酒を飲みたかったですね。
さらにショックだったのはですね、本名さんのホームページは非常に素敵だったんですよ。
本名さんのホームページは非常に素敵だったんですよ。
さらにショックだったのはですね、本名さんのホームページは非常に素敵だったんですが、
どんなことを最後にされてたのかなと気になって検索したんですね、本名さんのホームページね。
そしたらもうすでに本名さんのホームページはなくなってたんですよね。
まあ仕方ないけれどもね、その形でネットに上げたものっていうのもいずれかは消えてしまう。
そんな時代になっちゃうのかなというふうに思っちゃいましたね。
本名さんがやったことに対してね、いろんなことをやったことに対して自分って何をやったんだっけなというのでね、
自分も何か残さなきゃいけないなというような気分になりました。
というわけで時間が来てしまいました。本日の話はここまでです。
日本末の肉抜き協和国がまた活発なことを祈っております。
そのところで本名やすともさんのイメージが話題になってくれればいいなと思っています。
それではまた次回、よろしければまたお聞きください。
今日も一日頑張りましょう。
08:33

コメント

スクロール