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はい、おはようございます。本日の放送は、2023年の4月16日、日曜日です。
本日は、第413回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ、漫画家で作る親父のピョン吉が響きになったことをたらたら話をしていくという番組です。
そんな親父の一言をお聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪意はなかったんですぅ。
この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
本日はね、家庭の事情でショートバージョンです。
以前ですね、平田村にありましたね、ミュージアムシネマの話をいたしましたよね。
郡山市を中心にですね、映画家のね、看板を描いている方がね、いましてね。
その方がですね、廃校になったね、学校を使いましてね、映画についてのね、博物館をね、開いていたという話なんです。
自分がね、行った後ですけどね、地震でね、運営ができなくなりましたね。さらにですね、自宅がね、水害にありましてね。
パンフレットとかそれとも失ってしまってね、そして現金はなかったんだけども、最近復活してきているという話をいたしたんですね。
それはシャープ139、平田村にあったミュージアムシネマの思い出と郡山市の絵看板誌の話です。
そのね、三平さんという方なんですね、その方がですね、展示会をしているというね、今回行ってきたんですよね。
場所はですね、あの三原町なんですよ。
三原町のね、マホラホールというところですね。その文化ホールに行って、文化センターに行ってきたんですね。
昨日はですね、雨が降っていたんですね。すっかりですね、桜が散ったね、三原町なんですよね。車の方で行ったわけですよ。
例年ですよね、桜で満開の時期なんですよね。
マホラホールに着きまして、早速見学いたしました。入り口が混んでいたので、こんなに三平さん人気なのかなと思ったんですよね。
それは別なイベントでしたね。
ちょうどですね、三平さんはですね、新聞社の方からね、取材中というので、三平さんに挨拶しないでね、そのまま先に見学の方にいたしました。
全てですね、三平さんの絵看板なのかなと思ったらですね、この三平さんのコレクションのね、ポスターの方もたくさん展示してありましたね。
1950年代の後半からですね、1970年代にかけてのね、映画のね、ポスター、それから映画の絵看板、それがずらーっと並んでるんですね。
昔はですね、映画館に行きますとね、このポスターとかね、そういった絵をですね、拡大したですね、看板がですね、映画館の表を飾っていたんですよね。
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今回ですね、展示してあるものはね、もちろん当時のものをですね、保存していたわけではなくてね、保存したとても大変ですからね。
それは新たにですね、描き直したものなんですね。
全てですね、三平さんがね、自宅でね、描いたものなんですよ。
絵看板っていうのはね、あのー、当時たくさんの絵が公開されたじゃないですか。
で、そのためですね、そんなに時間がないんですね。
しかも映画館は同時にですね、公開したことも多かったですからね。
というので、当時の絵看板ってね、今回展示されている三平さんが描いたようなね、そんな綺麗なものじゃなくてね、雑なものが結構あったと思うんですよね。
ですけども三平さんのね、今回のやったものは非常に綺麗な絵看板でしたね。
やっぱりあの、機嫌のない状態でね、描いたってこともあってね、十分にですね、満足する作品をね、描くことができたんだと思うんですね。
またポスターの方もですね、懐かしいものがたくさんありましてね。
あー、こんな感じなんだ。今に比べて非常におしゃれだなーって感じで思いながらね、映画の方を見ました。
一通り回りましてね、取材を終えた三平さんとね、挨拶いたしました。
13年ぶりぐらいですね。ミニジアムシネマの時にね、行ったんですよっていう挨拶をするとね、そういう方に来てもらえて非常に嬉しいですって話だったんですね。
早速質問したんですね。あの、古い映画館のね、写真とかね、出演やって大丈夫だったんですか?って聞いたんですよ。
実はですね、ミニジアムシネマでね、びっくりしたのはですね、当時の郡山周辺のね、映画館のね、写真をね、たくさんね、撮っていたってことなんですね。
絵看板をね、飾った後ですね、仕事を終えましたっていう証拠のためですね、仕事のためですね、撮り溜めていたんですね。
その写真というのはね、非常に貴重だと思ってるんですよ。
映画の作品がね、上映された時、どんな風なね、映画館だったのか、街並みだったのか、それは残ってるわけですからね。
そしたらですね、プリントしたものはね、全てダメになったけどね、小さくして印刷したものは残っていたのでね、そこから作り直しできるってことなんですね。
値殻の話なんでしょうかね。ちょっとそこはわからなかったんですがね。
ですもこういうのはですね、郡山市の映画文化にとって大切なもんですからね。どっかで保存すべきものだと思うんですよね。
今回ですね、郡山市にね、フィルムコミッションができたじゃないですか。
まあこれは役割は全然違いますけどね。郡山の映画文化をね、残すっていうことになりますからね。
というわけで、どこかですね、市の方でこういったものを保存してくれたらいいのになぁと思ってるんですよねって話をしましたらね。
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郡山市はですね、そういうのについて全然興味ないんですよって言うと三平さん言ってたんですね。
そういったものをね、市としてね、保存しようというものが全然ないと。
今回ですね、三原町で行われたのでね、三原町に住んでいる人たちはね、三平さんの活動をしていましたね。
ぜひですね、これを大勢の人に知ってもらうべきだというのでね、始めたらそうなんですよ。
で、会場をね、予約しまして、そして家から運び出すのもね、それから設置もね、全てね、三原町のね、人たちがやってくださったっていう話なんですね。
郡山市の人がね、そういう人がいなかったって話なんですよ。
ちょっとね、本当に郡山市の映画ファンとして非常に耳が痛い話です。
それ以外にあってね、多数のパンフレットとかチラシ押しになったとかね、そういったことを非常に三平さん嘆いていらっしゃいましたね。
確かにそれはね、非常に大切なものだったんでね、それはわかると思うんですね。
ですがそういうのはね、多分どっかのコレクターが持っていると思うんですよね。
三平さんしか持っていないもの、先ほど言った写真だとかね、あるいは映画のチケットとかね、そういったものを持っていらっしゃったんですね。
そういったものをね、保存した方がいいなと思っているんですかね。
展示会でですね、ミュージアムシネマの思い出の冊子とかも作っておいてあったんですね。
今回ですね、時間がなくてね、それを読むことができなかったんですね。じっくりと読む機会があればなと思っております。
また中で配っていた冊子見ましたね。小説を書いていらっしゃるそうなんですね。
ぜひですね、そういったものを読んでみたいなと思っているんですね。
ぜひですね、お元気で活動を続けていって欲しいなと思っています。
そうしてね、三平さんにお別れの挨拶して、見学して終えて帰ってきました。
ぜひですね、本当に活動を続けてほしいし、また郡山市にこういったものを大切にしていこうという人が現れてきて、
そして映画文化が発展していくといいなと思っております。
今回ね、あの時間がないんでね、思いつくまま喋ってしまったんで、ちょっとね意味不明なところがあると思いますが、どうも失礼いたします。
はい、それではまた次回よろしくペン吉のお宅の話をお付き合いくださいね。本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。