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はいおはようございます。本日の放送は2023年の4月11日火曜日です。 本日は第408回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県小泉市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな親父の一言を気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったらごめんなさい。
悪意はなかったんです。購入の番組に興味を持ってしまったら是非今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
本棚のですね、整理をしていましたですね。 サガラ・ハルコさんの本が出てきました。
平成4年ってことは1992年ですかね。 約30年前に出した本です。
多分ですね、ブックオフのね、100円均一のね、そこのところで購入したもんじゃないかなと思うんですね。
で、アマゾンでね、検索したらですね、この収購本でね、9500円で取引されてみたいなんですね。
びっくりいたしました。 タイトルはね、素直で痛いねっていう作品です。
サガラ・ハルコさん自身じゃなくてですね、井上香里さんという方がね、文章を書いてね、構成したりとかしたみたいですね。
この方についてね、井上香里さんね、調べてみたらですね、なんとですね、南の陽子さん。 南陽子さんのね、高校の時代の英語の先生らしいんですよね。
英語の先生を辞めてですね、その後にですね、作家活動していた。 その時にですね、サガラ・ハルコさんのこの本をね、書いてみたいなんですね。
もしも同姓同名の間違いだったらごめんなさいね。 サガラ・ハルコさんっていうとですね、自分たちの世代だとね、デビュー間もない頃にですね、出演したりした
ビー玉のお経ですよね。 ショートカットのヘアスタイルにね、キリッとね、相手をね、威圧する強烈な目力。
これを持っているね、スケバンの役だったんですね。 スケバンデカ2、少女鉄仮面伝説、それに登場するわけですね。
スケバンデカ自身はね、和田慎二さんによる漫画なんですかね、そのドラマ化したものの2作目です。
主人公はね、南の陽子さんが演じるですね、2代目浅見屋崎、お漫画許さんぜよ!と、土佐弁のその役でしたね。
そのね、2代目浅見屋崎をですね、助ける役、それはね、サガラ・ハルコさんのビー玉のお経なんですね。
1作目のね、スケバンデカではですね、斉藤幸さんがね、一人で戦っていたんですけどね。
この2作目の方でね、3人でね、戦うようになりまして、って言うんで、アクションに派手さが目立ちましたね。
まあ実際のところですね、危ないところはね、みんな大野犬優界の人たちがね、代わりにやっていったわけですよね。
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またこの番組の途中でね、サガラ・ハルコさんですよね、挿入歌バージン・ハートっていうね、歌でね、歌手としてもデビューいたしましたね。
その曲もね、非常にヒットしました。 このね、スケバンデカシリーズですけどね、東映の特撮スタッフがね、作った番組だからね、
これもね、特撮によく分類されることが多いです。あの不審コミュニシーズのね、スピンオフのね、テレビおばけテレモンジャーのスタッフがですね、
始めたものなんですね。またあと、このスケバンデカ2にはですね、石ノ森翔太郎さんのね、息子さんのね、
小野寺嬢さんね、これもね、あの同級生として出演してるんですね。 後にですね、続編のね、あの風間三姉妹だとかね、スケバンデカの風間三姉妹だとかね、
またその後に少女コマンドー泉だとかね、また花生飛鳥組だとかね、セーラー服反撃同盟とかね、高校生のね、女子高生が戦う番組。
それが流行ってましたね。 面白かったんですよね。
その笹原春子さんはね、福島県の郡山出身。 まあ郡山出身と言ってもですね、小学校6年生のね、12歳までね、この時にですね、東京の方にね、行かれたわけですね。
この本読むとね、かなりですね、子供の時に苦労されたことがわかるんですね。 5歳でですね、元陸上自衛隊員でね、家具屋をしていたね、父親がね、交通事故で亡くなっちゃうんですね。
で、母親がね、懸命にね、働いてね、その家業のね、家具屋をね、続けてるんですけどね。 でも、まあ母親がね、再婚した一体なんですが、
えっと、単身婚姻で出かけてしまうんですね。 まあ、それで店をたたんで、東京でね、働いて、子供たちを育てていったってことなんですね。
そんな姿を見てるんでね、笹原春子さん自身もですね、中学校卒業とともにですね、マクドナルドでバイトしましたね。
そして、その時にスカウトされましたね。 でも最初入ったとこはね、ひどい事務所でね、後で移動しまして、まともな事務所になったと。
で、スケバンデカのね、ドラマ、そちらの本にね、出演されたってことですね。 ですんで、高校に通ってないのにね、役としてスケバンの高校生役ってことでね、
ビー玉の教のあの眼光ですね、マジナだったのかなって感じしますね。 この本読みますね。16歳からね、タバコを吸っていたなんてことも書いてますね。
スタードッキー丸日報告って番組がありましてね、寝てるアイドルとかの部屋にですね、 田代雅史さんがね、途中にしてくるっていうのがあるんですね。
田代雅史さんはですね、途中にしてね、おふざけしようと思ったらですね、 沢原春子さんの枕元にね、タバコの吸い殻があったんでね、
慌てて隠してね、それから撮影をしたっていう風な逸話も書いてあります。
このスケバンデカ2、少女的仮面伝説、これでね、非常にブレイクいたしましてね、
その後すぐですけどね、月曜ドラマランドの悪魔くんにもね、ちょっと出演していました。 このドラマ面白かったと思うんですけどね、ちょっと見る方法がないんでね、ちょっと残念なんですね。
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それが映画になりますけどね、恋する女たち、これ斎藤由紀さんがね、主演のドラマです。 ゴジラ対ビョーランというのね、大森和樹さんがね、監督、結婚した映画でしたね。
非常に良い映画でした。それに出演されています。 そしてテレビドラマの方ね、アリエスの乙女たちで、また南野陽子さんと組むんですね。
原作はね、笹田中町子さんのね、原作漫画なんですが、まあ、怪しいぞね、大映画ね、ドラマ化しちゃったんでね、ドロドロとしたね、ドラマになっちゃいましたね。
そしてスケバンデカの映画ですね。 スケバンデカの大集合って感じの映画でしたね。
で、それから翌年の時にね、88年からですね、90年までですね、 オールナイトフジっていうね、こちらの福島県で見ることができない番組でしたけどね。
そちらの方で司会をしていたらしくてね、非常に人気になったみたいです。 ですけどこの頃ね、かなり色々ですね、遊び歩いていたみたいですね。
そして1989年にですね、映画のドツイタル年に出演するんですね。 元ボクサーのね、赤井秀一さんがね、脚本を書いて、そして自分もね、出演しているという映画でした。
この作品でですね、佐原春子さんはですね、キネマジュンポのね、助援女優賞を受賞するんですね。
本当はですね、もう浅野敦子さんに決まっていたらしいんだらしいんですね、とはキャスティングが白紙になってね。
で、やりませんかと連絡が来たんですが、事務所はね、反対だったらしいんですよね。 果たしてね、これが完成するかどうかわからないってことでね。
完成してもね、上映できるかわからないってことでね、反対したので、どうしてもやりたいんだってね、それをお聞きし切って出演したらしいんです。
この年ですけどね、ゴジラvsピアノランテ、こちらの方にも出てましたね。 テレビのレポーター役でしたよね。
大森和樹さんがね、監督ですからね。 それは1991年ですね、ADブギーですよね。
ダウンタウンのね、浜ちゃんの役、映画ではですね、結婚されて奥さん役をやってましたね。 非常にね、あの浜ちゃんと相性があった感じでね、面白かったです、このドラマね。
それからと、待ったなしっていうね、また斉藤幸さんがね、主演のドラマですね。 相撲部屋のね、おかみさんになっちゃうという斉藤幸さんがね。
そこのね、相撲部屋のね、わがままお娘っていう設定でしたね。 それからちょっと変わったドラマでね、桜桃子ランド、谷口六蔵商店ですね。
そういうの出演してましたね。 これの、ちびまる子ちゃんと同じく、父桜桃子さんがね、結婚を書いたドラマです。
佐賀さんの役はね、お兄さんが大好きだね、妹役。 そこに、お兄さんのところにね、インド人のね、奥さんが来ちゃったんでっていうね、そんな風なドラマでしたね。
面白かったです。今どこにか見えないですかね、これね。 で、その翌年にこの本を出していたわけですね。
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その後ですね、もうその後海外に実を言うというね、生活してるんですかね。 2001年の時にですね、明日があるさっていうテレビドラマがあったんですよ。
浜ちゃんとが主演のね、ドラマですね。 吉本が作ったドラマです。
その浜ちゃんの奥さん役であったんですね。 AD武儀で、妹役、夫婦役やってたからでしょうかね。
っていうね、そこでも波長の合う役やってましたね。
この素直で痛い音を読みますとね、いろいろと将来の夢を語っているんですね。 まあ30年前の話ですかね。
その相原春子さんの行動とね、それが全て一致するんですよね。 この本を出したとですね、ロサンゼルスの方に行きましてね、
ヌードの写真集を撮影するんですね。 その時ですね、現地のコーディネーターの男性の方とね、遠距離恋愛をするんですね。
それを3年間続けるんですよ。 そしてロサンゼルスの方に移住しまして、そして結婚しまして、出産を経験いたします。
ところがですね、同時多発テロがね、アメリカの方に起きまして、2001年にロサンゼルスからハワイに移住するんですね。
この本に書いてるんですが、自然のあるところで子育てしたいっていうね、それをね、叶うことができたんですね。
その後苦労されたお母さんですがね、元は美術の先生だったらしいんですね。 というので、ハワイの影響もありましてね、写真だとかね、アクセサリーとかね、アート系の活動をしてるんですね。
そして夫の旅行のコーディネーター、その人の仕事の手伝いもしていると。
そして自給自足のね、作物育てたりとかして、そしてアートのある暮らしを続けているらっしゃるみたいですね。
というわけで30年前にね、こういうことになりたい、こういうふうな青年になりたいということをね、すべて叶えてるんですね。
まあそんなわけでね、高霊町出身のね、さがらはるこさん、ビー玉のお経、人気者になったのでその休業いたしまして、かつて叶えたいと言っていた生活、それを実現されている。
ということでね、願うってことをね、大切だなーってことをね、しみじみとわかったような感じします。
はい、それではまた次回よろしく、ペンキションオタクの話をお付き合いくださいね。 本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。