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2025-10-02 10:58

#1313 科学系ポッドキャストの日:「これができたらノーベル賞!」に参加した話

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本日は、#科学系ポッドキャストの日 に参加しました!

10月のトークテーマ「これができたらノーベル賞!」 ホストは「青春あるでひど」さんです。

参加番組をまとめた特設ページは下記ウェブサイト内に掲載予定です。

https://scien-talk.com/science_podcast/


ずっと、オタクな話で攻めようと思いましたが⋯「ノーベルさん」だけで、時間が持たないのでちゃんとテーマにちかい話をしました。

サマリー

このエピソードでは、ノーベル賞に関わる科学者たちの物語が探求されています。北里柴桜郎、山際勝三郎、野口秀夫の三人がそれぞれの業績と共に、ノーベル賞を逃した理由について詳しく語られています。

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はーい、おはようございます。本日の放送は2025年の10月2日、木曜日です。本日は第1313回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山在住の特撮、アニメ、漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをダラダラと話をしていくという番組です。
よろしくお願い致します。さて本日は、科学系ポッドキャストの日にチャレンジ致します。
今回のホストは、ポッドキャスト青春アルデヒドさんです。 今回の共通テーマ、これができたらノーベル賞について話します。
科学系のポッドキャストじゃなくても参加OKということで参加表明したんですが、 これがなかなか真正面から取り組むのは難しいテーマですね。
ノーベル賞というので、1976年ロボッコビートンというアニメに登場した ノーベルさんという近所の発明家を思い出しました。
日本に住むマーちゃんにアメリカのおじさんから組み立て式のロボットが送られてきて、 ノーベルさんに組み立てを頼むんですが、いろんな部品を組み合わせたら自分の意思を持つロボットのビートンが誕生したんですよね。
ビートンはマーちゃんの家で生活することになるんです。 お化けのキュー太郎とドラえもんを足して2で割ったようなとても楽しいアニメでした。
ライバルのブリキンとか、色気のあるねんねんとか、面白いキャラがどんどん増えていくのも良かったんです。
そのアニメのキャラデザインがガンダムの安彦義和さんで、 脚本にはガンダムの富野裕樹監督も参加しています。
そして番組の音楽はジブリの音楽でおなじみの被災師ユズルさんなんですよ。
秘密戦隊ゴレンジャーの放映の翌年の作品なんですが、ガキレンジャーという悪ガキたちがレギュラーで登場するんですよ。
で、そのガキレンジャーの親玉がガキオヤジという大人なのにガキ代償な人物。 この作品リメイクしてくれないでしょうかね。
というふうにオタクな話をしてごまかそうと思ったんですが、そういうわけにはいかないですよね。
というわけでここからは本気のこれができたらノーベル賞、 真面目に取り組んでまいりますね。
そんなわけでこれができたらノーベル賞というテーマなので、本当なら人工光合成や低温核融合などの技術の話をすべきなんでしょうね。
ですがそれはちょっと自分には難しいので、これができたら日本のノーベル賞もっと増えるのにな、と置き換えて話をいたします。
そのためにノーベル賞を逃した3人の科学者の話をいたします。 毎年10月、世界中で注目されるノーベル賞ですが、日本人の受賞も珍しくなくなりました。
しかし実は湯川秀樹博士が1949年に物理学賞を受賞する いわゆる日本人初のノーベル賞の前にも、
世界と肩を並べる業績を挙げ、惜しくもノーベル賞受賞を逃した科学者たちがいたのです。 今日はその惜しくもノーベル賞を逃した科学者の中から、北里柴桜郎、山際勝桜郎、そして野口秀夫、
第一回ノーベル賞候補の北里
この3人の科学者のドラマティックな物語を少し詳しくたどっていきたいと思います。 まず一人目、
北里柴桜郎の話です。現在の千円札の人ですね。 話は1901年まで遡ります。
ノーベル賞が創設され、その記念すべき第一回の候補者リストに日本人の名前がありました。 その人物は近代日本医学の父と呼ばれる細菌学者、北里柴桜郎です。
彼は破晶風やギフテリアの治療法に関わる血清療法を確立し、またペスト菌の発見でも知られています。
特に1890年、ドイツのエミール・フォン・ベーリングと発表した破晶風・ギフテリア・高毒素に関する研究は、
当時の医学界に大きな衝撃を与えました。 それではなぜノーベル賞の受賞を逃したのか。
実は推薦状の数に差がありました。 ベーリングには5通の推薦状が届いたのに対し、北里を推薦したのはハンガリーの教授ただ一人。
さらにベーリングにはドイツの科学界からの強いプッシュがあったのに、日本の科学界からのプッシュが全くなかったらしいです。
当時は選考委員会が受賞者は一人だけという方針を取ったこともあり、最終的にベーリング単独の受賞が決まったのです。
惜しいですよね。 日本がプッシュしていたら、第一回で日本人がノーベル賞を受賞したかもしれないんですけど。
結果的に北里は受賞こそ逃しましたが、日本人として最初にノーベル賞候補者に名を連ねた科学者になりました。
彼の業績がすでに当時の日本の科学が世界水準にあったことを示すエピソードでもあります。 続いて2人目の話です。
山際のガン研究
1915年、東京帝国大学の馬良学者山際勝三郎です。
この人、4回もノーベル賞候補になった人です。 彼は助手の市川康一とともに、世界で初めて人工的にガンを発生させることに成功しました。
ウサギの耳にコールタールをこすりつけるという実験でしたが、これはガンが外的刺激で発生し得るということを初めて証言した
ガン研究の金字塔でした。 この成果によって山際はノーベル賞に最も近い日本人と言われていました。
1926年、ノーベル委員会の報告者であるヘンシェンは山際とフィビゲルの受賞を強く推薦しました。
フィビゲルは寄生虫がガンを引き起こすという研究を行っていたデンマークの学者です。 ところがここで思わぬ事態が起こります。
フィビゲルを推薦する人が山際の論文の一節を引用したのです。 そこにはフィビゲルの気晴らしい業績に励まされてという日本人らしい謙虚な言葉がありました。
この一文がフィビゲルが先行しているという証拠として扱われ、山際は候補から外されてしまいます。
結局1926年度のノーベル生理学医学賞はフィビゲルだけ受賞となりました。
ですがその後フィビゲルのその研究は再現性に乏しいとして評価を失い、 今日では誤りに近い研究とされています。
一方山際の成果はガン研究の礎として今も医学史に残っています。 つまり後世に残ったのは落とされた山際の方だったのです。
残酷ですよね。 日本人の賢人さが原因でノーベル賞の受賞をあと一歩で逃したなんて。
野口の研究と環境
そして3人目は福島県の出身の野口秀夫です。 前の千円札の人ですね。
野口は3回ノーベル賞候補になっています。 野口の代表的な業績として知られているのが1918年の大熱病病原体発見ですが、これは後に誤りであったことが判明します。
実際に彼が調べていたのは大熱病の患者のものではなく、 似た症状を持つワイル病という患者のものでした。
病気の患者を間違えるなんて。 なぜそんな基本的なミスを犯したのか。
よく野口では24時間働いていたと言われます。 その背景には彼が所属していたロックフェラー研究所の厳しい研究環境がありました。
研究者たちは醸造部から早く成果を出せ早く出せと強く迫られ 間違った発表が埋まりやすかったのです。
野口の研究もその流れの中で結論を急がされた結果と言えるでしょう。 ただし野口の功績はそんな失敗だけに留まりません。
1913年、彼は新興麻痺患者の脳内にバイドクスピロケーターがあることを直接証明することに成功しました。
これは精神疾患の原因が感染症であると初めて明らかにした大発見で精神医学誌に残る成果です。
しかしこれもバイドクスピロケーターの純粋培養に成功したという間違った発表の論文が話題として出ることが多いです。
さらに南米のオロヤ熱とペルーイボという2つの症状の異なる病気が両方とも同じ細菌によるものと解明し長年の医学的な図を書いておきました。
これも気晴らしい大発見なんですがそんなことより 黄熱病を調べに行って黄熱病で亡くなったという悲劇の部分ばかりピックアップされてますよね。
ブラックな環境で成果を早く出せと働かされそのプレッシャーで結論を急ぎ あの野口でさえ間違った発表をしてしまったんです。
こうしてみてみるとノーベル賞を逃した3人の科学者 北里柴桜 山際勝三郎そして野口秀代
これらはいずれも湯川博社のずっと前からすでに十分に世界と対等に戦っていた人たちがいたということですよね。
日本からのサポートが全くなかった北里 日本人の賢人さがあだとなった山際
研究成果を早く出せというブラックな環境で働きミスを犯した野口 彼らの物語が私たちに教えてくれるのは
素晴らしい研究には十分な資金時間そして研究者を守る環境 つまり余裕が必要だということじゃないでしょうか
もし彼らに当時しっかりとしたサポート体制があったなら 日本のノーベル賞受賞の歴史はもっと早く始まっていたかもしれません
さて現在の日本の科学者へのサポート体制は次のノーベル賞を生み出す環境を十分に 作れているんでしょうか
なんか自分には日本の経済に合わせて湯川秀樹さんの前に戻ってしまっているような気が しますが皆様はどう思いますでしょうか
というわけで今回はこれができたらノーベル賞というテーマをこれができたら ノーベル賞もっと増えるのになという話にして話をいたしました
はいそれではまたもしよろしければピョン吉のオタクな話にお付き合いくださいね 本日もお聞き下さいまして誠にありがとうございました
10:58

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