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はい、おはようございまーす。本日の放送は2022年の10月13日、木曜日です。
本日は第228回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをだらだらとなしをしていくという番組です。
そんな親父の一人言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪い日はなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
ジブリパークがですね、11月1日にね、開演ということでね、今非常に話題になってますね。
愛知県のね、愛知旧博の記念公演のところにね、開演するみたいですね。
もともと博覧会の時にですね、作ったのはさつきとめいの家、ね。
それがあったというのはね、まあ大きなポイントとなって、愛知県にできることになったみたいですね。
愛知県にね、何か仕事があったのでね、ちょっと寄ってみたいなという風に思っております。
東北にですね、今回完成したジブリパークのようなものを作ろうとしている人がいるんですよ。
2017年にですね、ジブリワールド構想、宮崎駿の世界を日本未来につなぐというね、本が出ていたんですね。
思わずですね、数年前買って読んでしまいました。
KKベストセラーズのね、新書版の本なんですがね、まあ思わず買ってしまったのはですね、
えっとその腰巻きっていうかね、あの紙が横についてますよね、本の下の方に。
それにですね、当時首相だった安倍首相のね、奥さんのね、大いに期待してますというコメントがですね、でーんと書いてあるってことですよね。
というわけで、なるほど、この本は安倍首相がお勧めしているのかなと思わず読んでしまったわけですね。
この本を書いたのはですね、秋葉県や衆議院議員なんです。
タイトルのとおりですね、秋葉議員がですね、自分の出身の地元の宮城県にですね、ジブリワールドを作ろうと考えている。
その理由だとかね、理想をね、厚く語っている本なんです。
宮城県出身のアニメージのね、創刊者であり初代編集長であったですね、尾形秀夫さんとですね、親しくなりまして、
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そのうちでですね、宮崎駿監督だとかね、鈴木敏夫さんだとかにね、直接会って、自分の構想をね、厚く語ったことが書いてあります。
ですけどね、あんまり良い反応はもらえなかったみたいですね。
監督たちも言ってるんですね、なぜ宮城県にジブリワールドなの?
その一番大事なとこはね、ちょっと曖昧なんですよね。
秋葉議員の根拠としましたらね、宮城県はね、宮崎駿監督の作品のバックにあるね、縄文文化、
それがね、非常にたくさん残っているから、ということらしいんですけどね。
確かにですね、もののけ姫の足高、主人公の足高はですね、東北地方出身っぽいんですよね。
あの話の内容だとね、ですけども宮城県というよりですね、岩手県の方に近いんじゃないかなって気がするんですけどね。
またあと、東北全体が縄文文化って言っておいてね、何も宮城県に限ることはないよなと思うんですが、福島県だったら縄文文化ありますし、
隣のトトロのね、散歩の歌がですね、忍山をイメージしたという歌ならばですね、宮城県、福島県の方がいいんじゃないの?福島県民だと思ってしまうんですけどね。
というわけで、面白いんだけどもですね、宮城県という根拠が随分弱いなぁと思ってたんですね。
ま、国会議員になるとね、こんな夢を語ってもですね、本にすることができたりね、また首相夫人からですね、期待してますっていうね、言葉をもらえるんだと思っていたんですけども、
秋葉議員なんですよね。2022年8月10日にですね、第二次岸田改造内閣において、復興大臣になったんですよ。
東北の復興大臣、これはですね、もしかしたらもしかするぞと思っているわけなんですね。
愛知県にジブリパークがある根拠もないですからね。根拠ないのはジブリパークがあるわけなんだから、だったら宮城県にジブリワールドがあってもおかしくないですよね。
実を言いますと、現在ある東京ディズニーランド、現在はディズニーリゾートって言いますよね。これもですね、ある人の夢からスタートしたものなんですね。
その人はですね、福島県出身の方なんですよ。東京ディズニーランドを作った男たちっていうですね、野口ひさしさんという方の本にこれが詳しいです。
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あるいはですね、高橋正友っていう名前でね、検索してみますね。ウィキペディアの方でね、詳しい話が出てきますんでね。それを見てほしいんですけどもね。
高橋正友さんという方はですね、福島県福島市前の方なんですね。お父さんがですね、戦前のね、内務官僚というものをすごく偉い方だったんですよ。
というので、その内務官僚時代にですね、原隆さんに工具されましてね、目をかけていただきまして、福島県知事、新潟県知事、愛知県知事と知事を歴任にしていった方なんです。
さらにですね、警視総監だとかね、台湾総督なども経験してるんですね。その福島県知事時代にね、生まれた方がこの高橋正友さんなんですね。
というわけで、喫水の福島県人ではないですけどね、福島県で生まれたってことなんですね。
小学校からですね、東京の方に戻ったようですけども、東北に愛着があったんですかね。高校の方ね、旧正高校なんで大学みたいなものなんですが、それは山形高校なんですよ。
そちらの方で勉強されまして、その後ですね、東京帝国大学の法学部に入ってまた卒業するんですね。
で、うよ曲折ありましてですね、1960年にはですね、オリエンタルランドっていうね、会社の専務として入社するんですね。
そこでですね、出会った社長さんがね、ディズニーランドを埋め立て地に作ろうっていうね、計画を聞くんですね。というわけで、その計画にどっぷりとハマるんですよ。
そしてですね、まずは地元の人たちとの交渉をしてね、権利をもらったりとかですね、県と交渉してね、許可をもらったりとかですね、銀行と交渉してね、お金をね、集めたりとかね。
そしてなんといってもアメリカのディズニーランドに行ってですね、そしてどうにか日本の方にね、ディズニーランドを作りたいという許可をくださいという風にやっていったんですね。
そういったいくたの交渉を繰り返していって、問題をクリアしていきましたね。
そしてついに1980年に東京ディズニーランドの着工を開始、そして1983年に7月15日に完成となったわけですね。
で、以降はご存知の通り、ものすごく人気なテーマパークになったわけですね。
そしたらですね、アメリカのディズニーランドがね、この出来上がった出来がね、非常に良いとね。
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そしてさらにですね、入園者数がね、非常に多いと。
それにびっくりしましてね、もっと大きくしてディズニーワールドにしないと言ってきたんですよ。
そこでですね、よーしというのでさらにディズニーシーを作って、ディズニーランドと合わせてディズニーリゾートというふうなテーマパークにしたんですね。
ところがですね、ディズニーシーの完成直前になくなったそうなんですよね。
というわけで、ディズニーランドに入ってきた友人のあたりにですね、商店街のワールドバザールってありますよね。
あそこの2階のところのね、ショーウィンドウのところにね、マサトム・タカハシっていうのがアルファベットで書いてあります。
隣のウィンドウにはね、英語でね、夢を追い求め実現した人と記収されてるんですよ。
というわけで、タカハシ・マサトムさんがね、後世に残ることをしたっていうね、その意義をたたいているんですね。
そしてね、ディズニーパークでですね、記念として建物にね、日本人の名前が残されたのね、タカハシ・マサトムさんが初めてなんです。
それだけディズニー側からもね、非常に感謝されてるってことですよね。
というわけで、そんな風な感じでね、福島県出身者の実力がね、こういう方がいますから、夢を持っていくといずれかは叶うのかな、というふうに思ってるわけですね。
まあとりあえずですね、東京ディズニーリゾートを作ったのは福島県うまいの人っていうのをね、福島県人としてはね、知っていてほしいなと思うわけですね。
はい、それではまた次回よろしくはピョンキソンとタカハシをお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
ありがとうございました。