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2024-09-24 11:17

#940 「サンリオ展」に行ってサンリオの初期について知った話

岩手県盛岡市の岩手県立博物館で開催中の「サンリオ展」に行ってきました。サンリオの人気キャラクターの誕生などについて、当時のグッズや資料などが展示されている展示会です。以前から謎だったサンリオSF文庫というSF叢書がなぜあるのかな、など考えて観ておりました。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2024年の9月24日、火曜日です。
本日は第940回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことをたらたら楽し話をしていくという番組です。
よろしくお願い致します。
先週の金曜日なんですが、岩手県森岡市に行く用事があったんですよ。
行ったついでに、サンリオ展というのがありましたので、そこに行ってきました。今回はその話をしたいと思います。
岩手県森岡市に日帰り往復っていうことだったので、せっかく行くので何か記念に残ることをしたいなぁと思いました。
しかし時間がないんですよ。何か良いものがあるかなぁと思って探していたら、サンリオ展を発見いたしました。
開催場所は岩手県立美術館です。森岡市にある美術館なんですね。
2年前、江口久市イラストレーション展を開催していたところですね。そこに見に行ったんですね。
昨年も高畑勲展を行っていたようです。残念ながら、そちらの方は見ることができなかったです。
なかなか自分の興味ある展示会をする美術館で羨ましいですね。
今回の正式な名称は、サンリオ展日本の可愛い文化60年史という美術館の企画展なんですよ。
8月10日から開催していまして、10月6日まで開催の予定です。一般の人の入場券は1600円なんです。
サンリオと言えばご存知の通り、ハローキティやマイメロディーなど、これまで450以上のキャラクターを生み出してきた会社です。
可愛いという言葉が、今は世界共通語になっているんですね。
この展示会では、グッズやデザイン柄などの貴重な資料によって、創業家の歩みをたどるようになっていました。
非常に良い企画展示会でした。また時代を超えて愛され続ける数々のキャラクターを見ることになってきたんですね。
個人的にサンリオは気になっていることがあるんですね。
78年から87年頃にかけまして、突然サンリオSF文庫という海外SFシリーズが出たんですよ。
当時、スターウォーズの金とするSFブームとはいえ、可愛いキャラクターを作っているサンリオと海外SFという組み合わせ、これにすごく面食だったものなんですね。
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しかも、それまでの翻訳SFというと、早赤書房と草原SF、それが主な出版だったんですね。
そことは違う流れのSF本だったんですよ。 ちょっとね、翻訳が悪いものがありましたね。
ですが、ヒリップ系ディックだとか、レイブラッドペリーだとか、ここでしか読めない作品も多かったので、非常に熱中いたしました。
サンリオでSF文庫、なぜそれが登場したのか。 今回はこのサンリオ展に行けば何かヒントがあるかと思って行ったようなわけです。
まあね、可愛いキャラを見たかっただけですからね。 サンリオという会社名になる前に、山梨シルクセンターという会社名だったそうです。
山梨県の会社だそうで、金製品を作る会社のはずだったんですが、金製品が売れなくて、小物を販売する会社にすぐシフトしたそうです。
その小物に可愛らしいイラストを付けて売れることに気づいたわけですよ。 中でも可愛らしいイチゴ柄が人気だったらしいんですね。
60年代頃には、水森アドさんとか、ナイトルネさんなど、可愛いキャラのイラストのグリーティングカードを作っていましたし、またそれを元に焼き物などを出していたみたいです。
すごく好評だったみたいですね。 またスヌーピーなど、ピーナッツの海外製品の漫画の許可も得ました。そういったキャラ製品も作っていたらしいんですね。
そして1966年には、アンパンマンと同じような、枝瀬たかしさんの絵本なども出版されております。
1973年になりまして、機能関係ないのに、私力センターについては変ですからね、というので、サンリオという会社名に変更したそうです。
サンリオという会社名には、できた諸説がありまして、サンリオのサンリというのは、山梨という読み方、別な読み方ができるというので、その説があるそうです。
創業とともに、サンリオ出版という出版業も開始します。 先ほど言いました、枝瀬たかしさんの絵本が成功というのがあったもので、この年に、シトメルフェンという雑誌を創刊するんですね。
そして、枝瀬たかしさんの表紙をつけたわけですよ。 そして1974年に、サンリオの独自のキャラクター、ハローキティ、パティアンドジミーのキャラクターを作っていたんですね。
他の人のキャラクターでやっていたら、いろいろと権威の関係がありますが、いろいろできませんからね。というので、独自のキャラクターを作ったわけですね。
その大ヒットをしたわけですよ。 そして1975年に、リトルツインスターズ、キキとララですね。
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あとマイメロディーなども誕生しています。 そしてイチゴ新聞というオリジナルキャラのたくさん載った可愛い広報紙も発行していきます。
出版業も手に入ってましたからね。 ただし、イチゴはスヌーピーらしいんですね。
そして、先ほど言ったシトメル編という、それは大人向けだったので、子供版という、ヤナシスたかしさんの表紙の月刊のイチゴ絵本という、その雑誌も創刊しております。
イチゴ新聞、イチゴ絵本ってね、イチゴがついているのはですね、 まあ初期に先ほど言いましたようにイチゴの絵柄がつけると売れたから、売れたからってことなんでしょうね。
で、イラストだけじゃなくてですね、そのキャラクター書品も販売開始したんですね。 で、プチパース、子供向けのガマ口ですね。ガマ口財布、その第一号だったらしいんですよね。
いく種類か作ったらしいんですね。その中でですね、やっぱりキティが一番売れると。 以降ですね、様々なグッズ、それを販売していくようになるんですね。
そして翌年の1976年には、漫画雑誌の方も創刊します。 リリカという雑誌ですね。
手塚治虫さんのユニコというののキャラクターがトレードマークだったんですね。 またですね、本だけではなくて雑誌だけではなくて、
アニメ、映画なんかも作るようになるんですね。 キサキツネモグマートとかね、大ヒットを一体しました。またユニコとかもね、アニメ制作も行っております。
で、この頃にですね、日本だけじゃなくてアメリカの方へね、海外にキャラクターを進出させていったようです。
そしてね、それまで他の国で気づかなかったですね、かわいいって文化をね、世界中に定着させていったわけですね。
というわけで、自分的にざっくりとね、まとめ直してみますね。 初期に日本人作家の水森アドさんなどね、日本人のかわいい人ですね。
スヌーピーなどね、かわいい。 それでね、1970年にですね、オリジナルなかわいいのキティちゃんを作ったわけですね。
そして手塚治虫さんのかわいいなどね、組み合わせ込んで成長していったって感じでしょうか。 印刷業も手に入れて、映画制作も行っていったと。
海外展開するついでにですね、海外のほうでね、SF文化というので版権を手に入れたので、日本でSF文化を作ったという感じなんでしょうかね。
もしかしてね、私の思う感じがあるかもしれませんけどね。 しかしですね、80年代の後半からですね、キャラクタービジネスで十分儲かるというね、映画制作の出版事業の方は縮小していきましたね。
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で、かわいいキャラクターの制作とグッズ販売だけでね。 グッズ販売でね、稼いできたという感じでしょうか。
日曜新聞だけはね、現在も出しているようです。
会場中ですね、あの今回のね、この産業展、会場中、かわいらしいキャラクターのイラストがたくさんありましてね、非常に楽しかったです。
というわけでですね、今回ですね、森岡市の方で開催されました産業展に行ってみてきてね、いろいろと面白いことを考えることができましたという話でした。
映画産業の方でね、ちょっとね、縮小するの早かったかなと。 うまくいけません。日本のディズニーに慣れたかもしれないなという気がするんですよね。
ちょっと惜しい気がしますね。 はい、それではまた次回よろしく。ぺんきちんお宝の話に落ち着けくださいね。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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