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おはようございます。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをダラダラーと話をしていくという番組です。
そんな親父の一人事を気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気はなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご閉域のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけでダラダラと行かせていただきます。
改めましておはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の3月4日、金曜日です。
本日は実を言いますとですね、仕事で東京へ出張なんです。
多分この配信が終わってしばらくした後ですが、私は東京都府中市のね、カトリック府中墓地にいるはずなんですよ。
なんで墓地なんかにいるのかなぁと言いますと、ここにですね、潔谷英二監督のお墓があるんですよ。
ちょうどついでにですね、お墓参りをしようという計画です。
潔谷英二監督がね、お墓になったところは福島県の塚川市。
お墓になった成果はですね、よく知っているんですけども、亡くなった墓地に来るのは初めてなんですね。
ちょっとドキドキしています。
この墓地のね、天末をですね、近いうちにお話しできればなと思っております。
さてさて、今週は第1週目ということで、私ぴょん吉が自己紹介をしていくということに考えておりましたけども、
せっかくですね、潔谷英二監督のお墓参りに行くというので、潔谷英二監督に関連したお話をね、ちょっとね、今回ありましたんでお話ししたいと思います。
今回お墓参りに行くんですが、潔谷英二監督の命日は1月の25日。
1970年の1月25日に68歳で亡くなられました。
もう潔谷英二監督が亡くなられても、もう53年ですよ。
この1月25日にですね、Twitterを見ていましたらですね、とある方がですね、潔谷英二監督の命日をね、悼んでおりました。
誰かというとですね、ウルトラ級の江戸川由里子、ウルトラマンの家族隊の後一転の藤亜希子隊員、ご存知の桜井ひろ子さんです。
桜井さんがね、Twitterにあげた写真なんですが、潔谷英二監督のね、生家、生まれたところの家の前にあるですね、モニュメントの前で写真撮ったもの、
そちらの方を載っけておりました。そのモニュメントがあるのが、福島県の塚川市です。
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塚川市のね、この青年会議所の方々がね、作られたものです。 桜井英二監督がお生まれになったね、家のところにあるんですね。
大塚屋というお店でして、そのお店は現在も残っておりまして、表通りに面しているところにはですね、ウルトラマンのオフィシャルショップ
ショットM78大塚屋となって、ウルトラマンの関連グッズなどを販売されています。
遠いの裏側ではですね、大塚屋さんのね、コーヒー店がありまして、よく特撮オタクなどが集まっている憩いの場となっております。
非常にコーヒーとか美味しいですよ。 多分桜井さんはそこに来た時ですね、写真をね撮影されたんでしょうね。
それを見た時ですね、思わず嬉しくてですね、引用リツイートいたしまして、私もよくここに行きますよ、みたいなことを書いたんですね。
そしたらですね、なんとですよ、なんとなんと、桜井さんがですね、リツイートをしていただきまして、さらに自分をですね、フォローしてくださいました。
こちらがね、特撮の関係者をフォローすることはよくよくあるんですけども、特撮の関係者の方から私をフォローされたことはね、初めてだったよね。非常に嬉しいです。
そんなわけで、こちらからも桜井さんをフォローし直しました。で、そうしますと、Twitterというのはね、双方をフォローしますとメッセージをね、送れるようになるんですね。
そんなわけで、フォローありがとうございました、というメッセージをですね、桜井さんにお送りしようと思ったんですが、その時ですね、それだけじゃちょっと寂しいよね、と思ったわけですよ。
何か桜井さんが興味いきそうな話をね、しなきゃいけないよね、と思いまして、ああ、と思い出したことがあります。
それは今回のお話なんですが、1990年代の中頃なんですが、福島県のラジオ福島というAMのラジオ局でですね、とあるラジオ番組が放送されました。
我らウルトラマンカンパニーという番組です。 このラジオ番組をご存知の方おりますでしょうか。
その司会がですね、桜井ひろこさんだったんですよ。 それでもう一方ですね、男性の方がいらっしゃいまして、自分の記憶間違いじゃなければですが、三田和穂監督じゃなかったかなと思うんですね。
つぶやプロのね、テレビ作品をよく手掛けている監督です。 その二人がね、司会進行してまして、そして時玉のつぶや作品に関連したゲストの方を呼んでですね、放送当時のエピソードなどを聞いたりとかね、
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またその番組のね、主題歌を流したりとか、という風な番組でした。 非常にですね、面白かった番組なんですよ。
ところがですね、このラジオ番組なんですが、 その後誰に聞いてもですね、聞いたことがないって言うんですよ。
インターネットの時代になってね、この番組知ってるって感じでね、 あちこちに書いたんですが、知ってるっていう人がなかなか出てこないんですね。
時代としてはですね、ウルトラマン80が終了してから15年も経った時あたりなんですね。 地上波でウルトラマンがですね、放送をほとんどされていないような時代です。
ウルトラマンパワードとかね、グレートなどがですね、ビデオとかね、そういうので見ることができたんですが、 ウルトラマンはもうビデオだとかレーザーディスク、そういうので見る時代というような時代でした。
あとウルトラマンゼアス、映画館で上映されますが、それも前後だったかなと思うんですよね。 というわけでウルトラマンがですね、15年間の不遇な時代があったんですね。
だから見てない人も多かったのなって気もしたんですが、 全て私自身もチェックしたわけじゃないですか。
つぶらやプロの作品でですね、このラジオ番組について書いて載ってるっていうのもね、見たことがほとんどないんですよ。
そんなわけでもしかしてこれって自分が作った妄想かなぁとね、最近心配になったんですね。
あんまり心配になっちゃったもんで、つぶらやプロのホームページの方にですね、とりあえずメールしました。
そしたらですね、少し経って後にですね、つぶらやプロから返事が返ってきました。
やっぱり放送をやってましたよ、我らウルトラマンカンパニーという放送でした。
長く聞いていただいてありがとうございました、みたいな話でしたね。
というわけで、なぜこれがですね、幻のラジオ番組になってしまったのかなということです。
これは自分の推移なんですが、当時ですね、九州の方にウルトラマンランドっていうですね、ものをですね、つぶらやプロは作ってたんですね。
で、そのウルトラマンランドの立てるにあたってですね、その宣伝としてこのラジオ放送というのを作られたんじゃないかなと思うんですよ、PR用として。
だから、この我らウルトラマンカンパニーという放送は全国区ではなくて、ごくごく一部でしか放送されなかったんですね。
で、ウルトラマンランドのある周辺のところと、なぜか福島県のところで放送されたんですね。
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というわけで、人口の多い関東で放送されてなかったみたいなんですよ。
2003年頃にですね、ウルトラQの放送なんかがラジオドラマになってます。
それなんかはCDとかになってますからね。
というわけで、もしもですね、この我らウルトラマンカンパニーに音源があるなら、ぜひともこの番組をCD化してほしいなぁと思ってるんですね。
私も録音してませんでしたので、ぜひとももう一回聞きたいんです。
はい、ではですね、また時間が来てしまいました。
次回もまた自己紹介に戻りたいと思いますが、別の話をするかもしれません。
それではまた次回、よろしければお聞きください。
今日も一日、がんばりましょう。