昭和ライダーの精神力
こんにちは。こんにちは。さて今回はですね、送ってくれた方がもう夢中になっているというレビュー記事から、東島丹三郎は仮面ライダーになりたいの第9話。はい。これをちょっと深掘りしていきましょう。
テーマはもう、資料からも伝わってくる昭和ライダーの汗と気合。これですよね。まさに送ってくれた方のレビューを読むと、原作の天伸びしがちな部分を懐かしの映像とか音楽とか
反則級の演出で、ものすごく熱い回に仕上げてるんですよね。こういう回こそ深刻調ってやつですね。では早速、この何というかどうしようもない
熱さの正体を一緒に解き明かしていきましょうか。まずあの資料を読んでて、あ、なるほどなと思ったのが強さの厳選。強さの厳選、はい。今のライダーって、まあアイテムで強化されるじゃないですか。
でもレビューでは特訓で強くなるのが昭和ライダーなんだって断言してるんですよね。ええ、もう精神論というか、一見無意味に見えるような特訓でも気合で強くなると。はい。レビューでも指摘されてますけど、まさにかつての柔道一直線みたいなスポコンの血が流れてる。
仲間同士でも殺し合い寸前の特訓をするなんて、今じゃちょっと。考えられないですよね。考えられない。でもその非効率さにこそロマンがある、と。資料の中でその時不思議なことが起こったで特訓がなくなったのを嘆いてるのがすごく印象的でした。
まさにそこなんですよ。精神力が現実をねじ伏せるっていうこの非現実的な熱さこそがこの作品と昭和ライダーの醍醐味なんだとそう分析されてますね。その精神力っていうキーワードが今回のメインの2つの戦いでまた面白い形で出てくる。ライダーらしさというなんとも不思議な基準で。
まずタンザブローが敵のヒーローワークを見て。
ゆっくり威厳たっくりに歩くやつですね。
あれを見てライダーらしくていいなって憧れる。
羨ましがると。
もう一方の戦いではその基準がもっとはっきりするんです。合気道でV3を追い詰めるライダーマンにV3が言い放つ。
お前にはライダーが足りない。
そう。
普通に考えたらもう何それって感じですよね。
でも送ってくれたレビューだとなぜかわかってしまうとか妙に納得してしまうってあるんですよ。
この不思議な説得力何なんでしょうね。
それこそがこのレビューが言いたい確信なんだと思います。
ライダーらしさっていうのは単なる戦闘スタイルじゃなくて精神性や美学そのもの。
なるほど。
だから結果的にライダーマンは合気道を捨ててライダーキックを放すわけです。
その展開がカタルシスを生んでると。
なるほど。そんな理屈を超えた物語を支えているのが制作人の深すぎるライダー愛だと。
V3の声がご本人の宮内博史さんっていうのはファンにはたまらないでしょうねこれは。
制作陣のライダー愛
たまらないですよ。しかも音楽の使い方が本当にマニアックで。
ライダーマンが覚醒するシーンで流れる僕はライダーマンっていう挿入歌。
これV3の本編でたった1回しか使われなかった曲なんですよ。
1回だけ?それは気づかない人も多いんじゃない?
多いと思います。
それをここで持ってくるっていうのはもう制作人が君たちが聞きたかったのはこれだろうって言ってるようなもんですよね。
すごいな。エンディングもそうなんですか?
そうなんです。全52話のうち最後の9話しか使われなかった走れハリケーンを選ぶっていう。
それはもう執念ですね。
こういう細部へのこだわりが単なるオマージュを超えた深いリスペクトを示してるんですよね。
こうして見てくると送ってくれた方がこの回に熱狂する理由がなんかすごくよくわかりますね。
つまりこの魅力っていうのは論理とか効率を超えた気合とライダーらしさっていう美学。
そしてそれを支える制作人の底じれない愛。この3つが揃ってると。
見事な要約だと思います。
そして最後にですね、送ってくれた方にも1つちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
何でしょう?
レビューの中にあった精神力が現実をねじ伏せるという言葉。
ありましたね。
もし現代の私たちが何かを失っているとすれば、それはこういう非現実的な熱さを信じる心なのかもしれないなと。
この点についてどう思われますかね。
次回の配信もお楽しみに。さよなら。
次回の配信もお楽しみに。さよなら。