上映会の参加者とその反響
ノオト・ブク太郎
はい、こんにちは。今回はですね、あるドキュメンタリー映画の上映会レビュー、これを手がかりに情報がどういうふうに伝わって、どう受け止められるのか、ちょっと深く見ていきたいなと思ってます。
はい。
取り上げるのは、知事抹殺の真実、元福島県知事の佐藤英作さんの追悼上映会に関する記録ですね。
ええ。
一般なる映画の間奏でだけじゃなくてですね、誰が集まったのかとか、あと情報がどう広まったのか、あるいは、なぜ広まっていないように見えたのかみたいな。
ノオト・ブク子
なるほど。
ノオト・ブク太郎
その辺の観察がなんかすごく興味深いなと。2016年の作品ですけど、今にも通じる問いがあるなと感じます。
ノオト・ブク子
そうですね。
ノオト・ブク太郎
まずこの方が映画から受け取ったメッセージなんですけど、司法とかマスコミへのかなり強い問いかけ、それと佐藤元知事の人間ドラマみたいな部分、特に若い世代に響くんじゃないかというふうに感じてらっしゃるようです。
ノオト・ブク子
ふむふむ。
ノオト・ブク太郎
ただ、元知事側の視点が中心だよっていう点は、ちゃんと公平に指摘されてますね。
ノオト・ブク子
そこは抑えつつですね。で、その上で、上映会自体がこれがすごく象徴だった。
ノオト・ブク太郎
そうなんですよ。平日のしかも昼間なのに約460席がもう満席で。
ノオト・ブク子
満席。
ノオト・ブク太郎
立ち見も出るくらいだったっていう。
ノオト・ブク子
それはすごいですね。
ノオト・ブク太郎
でもここからがなんか面白いところで、これだけ人が集まってるのに、事前の例えばXとかFacebookとか、そういうSNS上ではほとんど話題になってなかったらしいんですよ。
ノオト・ブク子
ああ、そうなんですか。静かだったと。
ノオト・ブク太郎
このレビュー書かれたご本人も、ちょっと心配になって、ご自身のポッドキャストで告知もしたそうなんですけど。
それでもやっぱり当日の満員ぶりにはかなり驚いたというふうに書かれてますね。
ノオト・ブク子
そのギャップは確かに気になりますね。じゃあどうやって情報が広がったのかっていう。
ノオト・ブク太郎
そこなんですよ。
へえ。
情報拡散の中心は、どうも主催者の方が地元の新聞社を回ったりとか、あとはザ・ウィークリーみたいなフリーペーパーとか、コミュニティFMのココラジとか。
ノオト・ブク子
ああ、なるほど。かなり地域密着型の、ある意味昔ながらというか。
ノオト・ブク太郎
そうですね。そういう方法だったみたいですね。テレビでの報道があったかはちょっと確認できなかったと。
ノオト・ブク子
ふむ。つまりネットでは見えにくいけど確実に情報は届いていたと。
ノオト・ブク太郎
そういうことですね。でその鍵を握ってるのが、もしかしたら客層なんじゃないかって言うんですね。
客層ですか。
ひれのぶの観客が驚くほど高齢の方が多かったそうなんです。
へえ。
元知事を直接ご存知の世代とか、あるいは関わりが深かった方々が追悼の意を込めて集まったんじゃないかって、そういう推察ですね。
ノオト・ブク子
なるほど。その世代の方々だと、確かに日常的にSNSで情報を発信したり受け取ったりするとは限らないかもしれないですね。
それがネット上の静かさと、実際の会場の熱気っていう一見矛盾するような状況の説明にはなるかもしれないですね。
ノオト・ブク太郎
そうですね。ただ新聞とかくちゃ込みだけであれだけの人が集まるのか、それとも何か別のネットワークがって考えると完全に解明されたわけじゃないのもまた興味深いところではありますけど。
メディアと社会の関係
ノオト・ブク子
へえ、確かに。
ノオト・ブク太郎
で映画の内容に少し触れると、司法とマスコミに対してかなり厳しい批判が含まれていると。
はい。
無実の人がメディア報道で犯罪者みたいに扱われて、それがもう規制事実みたいになっちゃって。
ノオト・ブク子
うーん。
ノオト・ブク太郎
で検察が動いて、証拠が十分じゃなくても有罪になってしまうみたいな、そういう構造への継承だと。
ノオト・ブク子
あのACジャパンのCMの例を挙げてましたね。決めつけ刑事の。
あ、ありましたね。
あれはまあ、市民が噂で人を判断しちゃう危うさみたいな話ですけど。
ええ。
このレビューが指摘しているのは、むしろその公権力、まあこの場合は検察ですけど、それが不覚な情報とか世論みたいなものに流されて決めつけちゃう危険性。
なるほど。
でそれを止める仕組みってあるんだろうかっていう、もっと厳しい問いかけですよね。背景にあるこう無責任な報道の問題なんかも示唆されている感じで。
ノオト・ブク太郎
うーん、理深い問題ですね。
そしてこのレビューがこう一番懸念しているのが、上映後の沈黙なんですよ。
ノオト・ブク子
沈黙ですか?
ノオト・ブク太郎
ええ。あれだけ多くの人がまあ心を動かされたはずなのに、上映が終わった後、SNSとかで感想がほとんど見当たらないと。
ああ。
それをなんか不気味とまで言ってて、サイレントマジョリティって言葉を思い出したって書かれてます。
ノオト・ブク子
なるほど。サイレントマジョリティ、声なき多数派ですか。これは重要な指摘かもしれませんね。
と言いますと?
つまり、このレビューが指摘しているのは、特定の層、特にデジタルでのコミュニケーションをあまりメインにしない層だと、
強い感情的な反応とか問題意識があったとしても、それが必ずしもオンライン上の声として目に見える形になるわけじゃないっていう可能性ですよね。
ノオト・ブク太郎
ああ、なるほど。
ノオト・ブク子
これって現代社会で、オンラインの意見だけを見て、それが世論だって判断することの危うさにもつながってくるかもしれないなと。
ノオト・ブク太郎
確かに。だからこそこの方は強く訴えてるんですね。
心を揺さぶられたんなら、何らかの形で言葉にして発信することが大事なんじゃないかと。
そうしないと、また第2、第3の佐藤栄作作的な状況が生まれちゃうかもしれないっていう。
ノオト・ブク子
そうですね。特に情報へのアクセスとか発信手段も多様な、比較的若い世代にはこのサイレントマジョリティにはなってほしくないっていうかなり強いメッセージを感じますね。
単に声を上げない多数派ってだけじゃなくて、社会的な問題への関わり方そのものが問われてるという感じがします。
ノオト・ブク太郎
いや本当、一つの上映会のレビューから、情報伝達の世代間のギャップとか、メディアリテラシー、司法の問題、それから市民参加の在り方まで、なんかいろんな論点がつながってきましたね。
ノオト・ブク子
まさにそうですね。個別の出来事から逼迫して、制図がうまく機能しないかもしれないっていう状況の中で、じゃあ市民一人一人がどう関わるべきなのかっていうかなり普遍的な問いにまで話を広げている。
あなたはこの状況をどう考えますか。その感動とか問題意識を持った後の沈黙っていうのは、いつも独人を意味するんでしょうかね。
それとも情報がこれだけ溢れてる現代においては、それはまあ単に内政の時間だったり、あるいはオンラインとは違う形での関与の現れだったりする可能性もあるんでしょうか。
ちょっと考えるヒントになりそうですね。