ゴレンジャーの印象
こんにちは。こんにちは。さて今回はですね、送ってくださった方のスーパー戦隊シリーズとの50年にわたる個人的な思い出を深掘りしていこうと思います。
はい。きっかけが、あの記念すべき50周年作品のナンバーワン戦隊50ジャー。これが最終回を迎えたことだそうで。
ええ、今回はその原点である初代秘密戦隊ゴレンジャーが始まった時、当時の子供の目にどう映っていたか、その制作側の記録じゃなくて、あくまで個人の記憶を辿るっていうのが非常に面白いですよね。
そうなんです。で、早速その記憶を覗いてみたんですけど、これがいきなり驚かされるんですよ。
ほう、どんなところにですか?
ゴレンジャーを初めて見た時の印象がですね、これは小さい子向けの番組が始まったなっていう、ちょっとがっかりした感じだったと。
ああ、なるほど。当時少し背伸びをしたい年頃だったということですね。仮面ライダーみたいなちょっと影のあるヒーローの方が大人っぽく感じられたと。
まさにそれです。つまりこの時点で、もうライダーは少しお兄さん向けで、戦隊は子供向けっていう今につながるイメージの原型があったわけですね。
ヒーローに憧れつつも子供扱いはされたくないっていう、なんかあの頃の複雑な気持ちがよくわかります。
ええ。で、さらに面白いのがですね、今やスーパー戦隊の代名詞である5人組のチームヒーロー。
はいはい。
これも当時はそれほど斬新には感じなかったと書かれてるんですよ。
へえ、そうなんですか。てっきり画期的だったのかと。
私もそう思いました。でもアニメではもう科学忍者対ガッチャマンがありましたし。
ああ、なるほど。
原作者の石上翔太郎さん自身の作品にも、えーと、サイボーグ009っていうまあ偉大な先例があったじゃないですか。
確かに。そう考えるとまたチームものかくらいの感覚だったっていうのも頷けますね。
そうなんです。ここにその歴史的な記録と個人の記憶のズレがはっきり出てて面白いなあと。
ええ。実写ヒーロー史では間違いなく大きな転換点ですけど、当時の子供の体感としてはもう一人からチームへの流れの中にいたということなんですね。
そのズレは番組全体のトーンにも感じていたみたいで、特にシリアスな展開を期待して漫画版を読んでいたからこそ、テレビ版の演出にはまあ戸惑いの連続だったと。
ノスタルジーと記憶
具体的にはどんな点でしょう。
例えば青レンジャーがあの仮面ライダーV3の役者さんだったのでまず頭が混乱したとか。
ああそれはなりますよね確かに。
あとはカレー好きのキレンジャーを見てヒーローってもっとシュッとしてるものじゃないのって思ったり。
まあ気持ちはわかりますね。
極めつけは必殺技のゴレンジャーストームが。
あああのバレーボールの。
そうなんです。ただのバレーボール回しじゃないかとか巨大メカのバリブルーンもおもちゃみたいだって。
結構辛口ですよね。
はは、でもその感覚すごくよくわかりますよ。
当時はもう宇宙戦艦ヤマトみたいなリアラで重厚なメカ描写が出てきてましたからね。
ああそうか。
ええそれと比べちゃうとまあおもちゃみたいに感じても無理はないかなと。
ですよね。でもここからが本当に面白いところで。
最初は文句ばっかり言ってたのに3ヶ月もするとあれこれなんか癖になるなって。
ほう。
ええそれで気づけばもう完全にはまっていたそうなんです。
あれだけ否定的だったコミカルな部分にいつの間にか引き付けられていたあと。
そうなんです。ついには漫画版の方までテレビに合わせてコミカルになってタイトルが秘密戦隊ゴレンジャーごっこに変わっちゃったほどだと。
そしてその気持ちが決定的になったのがゴレンジャーの後番組ですよね。
そうまさにそこです。送ってくださった方が望んでたはずのあのハード路線のジャッカー電撃隊が始まったときに正直面白くないって感じてしまった。
そこで初めてあ無理に後派じゃなくてもいいんだと自分はゴレンジャーのあのノリが好きだったんだって自分の本当の気持ちに気づいたそうなんです。
なるほど。その気づきこそが50年間ファンでい続けることになった現体験になったわけですね。
つまり最初に子供っぽいって見過ごしていた部分にこそ50年経っても色褪せないシリーズの核になる魅力が詰まっていたっていう。
いやー素晴らしいお話ですね。
本当に素敵な記憶だなと思います。
そこで最後にですね送ってくださった方に一つ考えてみていただきたい問いがあるんです。
今回のお話はあくまで記録ではなく記憶だという点が強調されていましたよね。
では私たちが感じるノスタルジーというのは作品そのものが持つ客観的な価値に基づいているんでしょうか。
それとも長い年月をかけて自分の中で美化されて再構築された記憶という物語の価値なんでしょうか。
次回の配信もお楽しみに。さよなら。