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こんにちは。
こんにちは。
違国日記の深層
さて、今回はですね、送ってくださった方が、今まさに夢中になっているという、今季の冬アニメ、『違国日記』について、一緒に深く見ていきたいと思います。
お願いします。
いただいたテキストを拝見したんですけど、もう熱量がすごくて。
伝わってきますね。
まず面白いなと思ったのが、タイトルの話から入っているところなんです。この『違国日記』という漢字。
普通、異国って言うと、異なる国の異国じゃないですか。
そうですね。そっちを思い浮かべます。
でも、これは違う国。この字面から送ってくださった方は、なんか分かり合えなさそうだなっていう第一印象を抱いたと書かれていて。
いやー、非常に鋭い感性だと思います。タイトルって、やっぱり作品の玄関ですからね。
作り手が鑑賞者に最初に手渡す鍵みたいなものですから、この異国っていう言葉選びは、もう作品全体のテーマを凝縮したステートメントになってるんですよね。
なるほど。
同じあれの下に暮らしていても、心の中はまるで違う国みたいなんだっていう前提を、もう物語が始まる前から私たちに提示しているわけです。
はー、確かに。
だから、送ってくださった方が直感した、自分には理解できない人間関係の話かもっていう予感は、まさに作り手の意図通りだったって言えるんじゃないでしょうかね。
その分かり合いなさをいきなり象徴するのが物語の冒頭なんですよね。
ええ。
人見知りで、どちらかというと人間関係が苦手な35歳の小説家、高台真紀夫が事故で両親を亡くした15歳の名医の匠朝を引き取るっていう。
かなりヘビーな状況から始まりますよね。
そうなんです。で、この状況で真紀夫が口にするセリフが、送ってくださった方の言葉を借りると、もう強烈の一言で。
あのセリフですね。
はい。あなたを愛せるかどうかはわからない。でも私は決してあなたを踏みにじらない。いやー、これ私初めて聞いたときちょっと鳥肌が立ちました。
うんうん、わかります。これはもう物語のなんていうか、倫理的な背骨みたいなセリフですよね。
背骨ですか。
ここで重要なのは、これが単純な優しさとか冷たさとか、そういう二言論では到底割り切れない言葉だっていうことなんですよ。
あー、確かに。優しいのか冷たいのか一瞬わからなくなります。
そうでしょ。普通の物語なら多分、安心して私が本当の家族になってあげるから、みたいな情緒的な言葉でなんとなく取り繕う場面かもしれない。
ええ、そうだと思います。
でも真紀夫はそれをしない。
しないんですよね。
むしろ真逆のことを言っている。
でもここに送ってくださった方は、めちゃくちゃ不器用で、めちゃくちゃ誠実な言葉だと感じたと。私も全く同感なんです。
うーん。
ただ、ちょっと意地悪な見方をするとですよ。両親を亡くしたばかりの15歳の少女にかける言葉として、これってあまりに理性的すぎませんかね。
はいはいはい。
愛せるかわからないなんて、なんか突き放してると捉えられても仕方ないんじゃないかなってちょっと思ったんですけど。
非常に重要な指摘ですね。まさにアディの立場からすれば、それは一種の絶望の宣告に聞こえた可能性も、まあ否定はできません。
ですよね。
ですが、ここで真紀夫がやっているのは、感情という不確定なものを約束の対象から外して、意思でコントロールできる行動を約束する、っていう極めて誠実な契約の提示なんです。
行動の約束。
そして、心理学で言う感情と行動の分離ですね。彼女は、愛すという感情は約束できない。なぜなら感情は自分でもコントロールできないから。
ああ、なるほど。
その代わり、踏みにじらないという行動を、つまり相手の人格を尊重して、危害を食われないっていう意思的な行為を約束する。これって、無力で不確な感情の絆よりも、ある意味ではやまりに強固で信頼できる関係の土台になり得るんですよ。
なるほど。好きとか愛してるっていう言葉はいつか嘘になるかもしれないけど、あなたを傷つけないっていう行動の約束は、意思さえあれば守り続けられる、と、そういうことですか?
まさにその通りです。特に真紀夫みたいに、他人に気を使うことでエネルギーを消耗する、とか、安易な歩み寄りが苦手な人間にとっては、これこそが他者に対して示せる最大限の誠意なんです。
はあ、誠意。
無責任な慰めを言うんじゃなくて、自分が確実に守れる最低限のライン、セーフティーネットを提示する。一見冷たく聞こえるこの言葉が、実は二人にとって最も安全で持続可能な関係の始まりを告げる合法になっている。この深さに気づいたからこそ、送ってくださった方はこの作品に強く引き付けられたんでしょうね。
鑑賞スタイルの意識
その作品との向き合い方がですね、またすごく興味深いんです。
ほう。
送ってくださった方のテキストによると、原作漫画はもう全11巻で完結済みで、実写映画も公開されてるんですよね。
ええ、そうですね。
なのに、どちらもあえて情報をシャットアウトしてるそうなんです。
ええ、それは現代において、なかなか強い意思が必要な鑑賞スタイルですね。ネタバレなんてどこにでも転がってますから。
ですよね。で、その理由がまた人間味にあふれてて。
はい。
漫画が全巻揃っていたら、深夜まで一気読みしてしまう性格だから、美味しいものは最後に撮っておく作戦を実行中です、と。
あははは。ご本人も多分失敗しますけどって書いてて、思わず笑ってしまいました。
いや、その気持ち痛いほどわかります。私も昔、全シーズン揃った海外ドラマのボックスセットを買って、1日1話ずつ大事に見ようって誓ったのに、気づいたら3日後には朝日を浴びながら最終話を見てたことがありますから。
ははは、やっぱりそうですか。
ええ、なのでその作戦の成功は私もいろいろだけにしておきますが、その心意気は素晴らしいですね。
ええ。で、その根底にあるのが、アニメの出来が良すぎて、先の展開とか余計な先入観を持ちたくないっていう強い思いなんです。
なるほど。
テキストにある、「今はこの距離感でいいんだ。」とか、「作品と絶妙な関係を築いています。」っていう表現がすごく印象的で。
うーん、ここが今回の話の確信の一つかもしれないですね。
と、言いますと?
これは単なるネタバレ回避という行為を超えて、何というか、情報過多の時代における非常に意識的で贅沢な体験のキュレーションと呼べるものだと思うんです。
体験のキュレーション?
ええ、つまり無数の情報の中から自分が今触れるべき情報を地図から選び取って、それ以外のノイズを遮断すると。原作や映画っていう別の国からの情報は今は入れない。
はい。
まずは、このアニメっていう国の文化、空気、時間の流れを自分の五感だけでじっくりと味わい尽くしたいっていう、そういう意思の表れですよね。
なるほどな。知らないことを選択する豊かさ、みたいなものですかね?
そういうことです。マキオとアサがお互いに踏み込みすぎず慎重に距離を測りながら関係を築いていくように、送ってくださった方もまた、この異国日記という作品そのものと丁寧な距離感を保ちながら関係を築いている。
ああ!
作品のテーマと鑑賞のスタイルが見事にシンクロしているわけですよ。これは非常に知的で誠実な作品の愛し方だと思いますね。
物語の構造と魅力
そしてさらに面白いのが、物語の構造についてなんです。
構造ですか?
はい。実はこの物語、マキオとアサが最終的にちゃんと良い関係になるっていう結末は、アニメ第1話の冒頭のシーンで、未来のアサのモノローグによってもう示されているそうなんです。
ああ、なるほど。結末が保証された物語ということですね。
そうなんです。
ミステリーでいうところの最初に犯人が分かっている逃走形式に近い構造ですね。観客の興味を誰がやったのかからどうやって追い詰めるのかへ誘導する手法。
まさにそれです。じゃあ、ハッピーエンドが約束されているのに、なぜこの物語を見続けたいと思うのか。ここでの送ってくださった方の言葉が、この作品の魅力を完璧に捉えているなと感じました。ちょっと引用しますね。
はい。
そこに至るまでの道のりが見たい。分かり合えないままぶつかって、距離を測り直して、それでも一緒に暮らす。その積み重ねを見守りたい。
いやー、これはもう作り手からの招待状に完璧な返事を書いているようなものですね。
と言いますと?
結末の不安、つまりこの二人は大丈夫かなというサスペンスをあえて取り除くことで、作り手は私たちにこう語りかけているわけですよ。結果は心配しなくていいです。だからどうか彼らの心の微細な動き、関係性がゆっくりとでも確実に変わっていく過程そのものに集中してくださいと。
なるほど。
これは物語の推進力をプロットの起伏じゃなくて、キャラクターの感情の機微に完全に委ねるっていう非常に大胆で自信に満ちた作り方だと思います。
なんかゴール時点が分かっているマラソン中継みたいなものかもしれないですね。
おー、いい例えですね。
誰が優勝するかはもう知ってると。だからこそ、ランナーの一歩一歩の足取りとか、苦しげな表情の変化、給水ポイントでのコーチとのアイコンタクトとか。
そうそうそう。結果だけを追ってたら絶対に見逃してしまうようなディテールに我々は心を奪われるわけですよね。
えー。
作品の魅力と制作背景
ぎこちない会話の中の一瞬の沈黙の意味とか、ふとした瞬間に見せる相手へのがんましな変化とか。価値観のずれを無理にすり合わせるんじゃなくて、一旦そういうものかって受け止めて隣に置いておくような距離感の調整。
うーん、分かります。
そういった言葉にならない感情のグラデーションを丁寧に追いかけることこそが、この作品の醍醐味なんだと、作り手も、そして送ってくださった方も深く理解しているということでしょうね。
そういう繊細な物語を支えているのが、アニメーションの丁寧な作り込みですよね。これもテキストで熱く語られていました。
ええ。
製作は初期というスタジオ。私正直あまり馴染みがなかったんですが、夏目友人調シリーズなどを手掛けてきた、まさにこのジャンルの名手と言えるスタジオだそうです。
夏目友人調と聞くと、ああなるほどと膝を打ちますね。人と人、あるいは人と人ならざる者との間の、あの切なくて温かい距離感を描かせたら、もう右に出る者はいないスタジオですから。
へー。
今回の異国日記も、その系譜につながる作品としてまさに適任だったと言えるでしょうね。テキストで指摘されている原色を避けた優しい色合いとか。
はい、ありました。
ええ。原作へのリスペクトが感じられる漫画的な表現も、そうした作品の空気感を視覚的に作り上げる上で、極めて効果的な選択だと思います。
特に声の演技への言及が素晴らしかったです。まず牧雄役の沢城美雪さん。
はい。
自分の考えを持ち、それを言葉にできる大人の女性という、知的で少しだけ体温の低い声の表現が完璧だと絶賛されていました。
うーん、これはもう沢城美雪さんという声優の真骨頂が発揮されている役でしょうね。
真骨頂?
彼女の演技のすがみって、声色そのものの魅力に加えて、その抑制の聞かせ方にあるんですよ。
抑制ですか?
ええ。例えば、彼女が演じた別の有名な役。
そうですね、ルパン三世の船藤のような感情豊かでグラムラスなキャラクターと比較するとよくわかります。
あー、藤子ちゃん。全然違いますね。
でしょ?藤子役では声のトーンを高低に大きく振って感情の起伏を表現しますけど、この牧雄役では意図的に声の抑揚をフラットに保って、聞く目の安定した音域を維持している。
これは牧雄の内面的な複雑さとか、感情をあまり表に出さないガードの硬さを声という情報だけで見事に表現しているんです。まさに職人芸ですね。
なるほど。比較すると技術の高さが際立ちますね。一方、メイのアサヤを演じる森風子さんも素晴らしいと。
ええ。
打ち解けやすそうで、でもどこか未完成な15歳という年齢の危うさがちゃんと声にあるという評価です。
15歳という年齢の持つあの脆いバランス感覚ですよね。子供みたいな無邪気さを見せたかと思えば、次の瞬間には全てを諦めたような大人びた表情を浮かべるみたいな。
ああ、わかります。
明るく振る舞うことで両親を失った巨大な喪失感という空洞を必死に埋めようとしている。その常に揺れ動いている不安定な心を声だけで表現するのは並大抵のことではないですよ。
うーん。
オープニングやエンディングの楽曲も含めて、こうした一つ一つの要素が物語の繊細な世界観を壊さないように最新の注意を払って配置されている。
送ってくださった方が感じ取った派手さはないけれど心に深く残るっていう作品体験は、こうした無数の丁寧な仕事の積み重ねによって生み出されてるんですね。
というわけで今回はアニメ異国日記について送ってくださったテキストを元に深く掘り下げてきました。
人間関係の探求
ええ。
まとめると、この作品は人と人とは根本的に分かり合えない違う国の住人であるという少しビターな現実を大前提としながら、それでも共に生きるための誠実な方法を静かにそして丁寧に描いた物語であると。
まさに。
テキストの最後にあった人間関係に自信がない人ほど刺さると思うという一文がこの作品の本質をし抜いているように感じました。
ええ、全く同感です。そして最後に、この深い考察を送ってくださった方に一つだけ思考の種を投げてこの場を閉めたいなと思います。
あ、何でしょう。
この物語はマキオとアサという他人という違う国との関係を描いていました。ですが、もしかしたら私たち自身の心の中にも様々な違う国が存在するんじゃないでしょうか。
自分の中の違う国。
ええ、例えば社会的な仮面をつけた仕事の自分と無防備なプライベートの自分、こうありたいと願う理想の自分とままならない現実の自分、あるいは過去の自分と今の自分。
ああ、確かにありますね。
そうした自分の中に存在する数々の内なる異国と私たちはどうすれば共存し対話し一つの人生として歩んでいけるんでしょう。
マキオとアサが少しずつ距離を測り直していくその姿の中にそのヒントが隠されているのかもしれませんね。
次回の配信もお楽しみに。さようなら。