2025-09-21 15:46

#29 葛藤を自分だけで抱えなくていいんだ

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解決しないかもしれないし、解決してもその先にまた違う葛藤が待っているかもしれないけど、まず今の葛藤をそのまま出せるだけで軽さを感じられる不思議。
子育てって価値観が出やすいから違いに敏感になりやすい部分だけど、違いも含めて「そうなんだね」って受け止められる関係性や場があるってありがたい!


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サマリー

このエピソードでは、保護者としての葛藤や感情を持ち寄り、それを共有する重要性について語られています。特に、他者と葛藤を分かち合うことで心の軽さを得ることが強調されています。移住後、彼らは自分だけで抱え込まずに周囲に助けを求めることの大切さを感じています。葛藤を共有することで軽やかさを得て、困難な状況でのサポートを呼びかける大切さが伝えられています。

保護者の葛藤
最近のちょっとこう、気になりごととか、まあなんかトピックとかでもいいのかな、なんかありますかね。
気になりじゃないけど、ちょうど1週間ぐらい前にやっていた。
子どもが、今幼稚園なんだけど、
来春から小学校に上がるのに伴って、
学校がね、いくつかその問いをくれて、その問いに対して、なんていうのかな、作文というか、書いて提出するっていうのがあってね。
4項目ぐらいあってね。
それをこう、やり終えたみたいなのが、最近のトピックかな。
1個1000文字でさ、なんか、1025文字だねってなって、なんかここからどうやって減らすのかなと思って、減らそうと思ったら1038文字になっちゃった。
逆に増えるみたいだね。
そういう感じで。
なかなか減らない。
なんとか1000文字にして出しましたけど。
それがトピックかな。
最近のね。
そのトピックの中でなんかこう、ちょっと話してみたいなってな。
そうだね。
いくつかある問いの中で、保護者、つまり私たちのことを聞かれている問いがあったんだけど、
これ、いいとか悪いじゃなくて、ただの感想なんだけどね。
なんか、ゆうくんが書いてた文章がすごい抽象的に書かれていて、
私が書いた文章がすごい具体的で、なんかコントラストがすごいなって思って、すごいそれが面白かった。
普段のね、思考の大きさみたいなのがそのまま出るよね、そういうのってね。
わかるわかる。
すごい書きながら、抽象的だなって思ったけど、こういう感じなんだよなって思った。
そうそう、っていうのが面白かったのと、
それはあれだよね、保護者というかね、我々自身のことを教えてくださいみたいな問いがあって、
子育てのこととか、今の我々ってどんな感じなんですかね、みたいなことを問うてくれた質問みたいな感じだよね。
そうそう。
そうだね、いくつかの要素を書いたんだけど、その中の一つに自分の中の葛藤みたいなことを書いてたんだけどね、
なんかその葛藤の話が出せる、それはなんていうのかな、存在とか出せる関係性みたいなことだと思うんだけど、
すごいありがたいなって思っていて、
なんか今の、今子ども幼稚園なんだけど、その前の例えば環境とか、そのさらに前の環境とかだと、
あんまり私自分の葛藤の話ってしてなかったなって思った。
それはその子どもの預けている先に関わる方々とかに。
なんかそれは自分もまだそれを出せる準備がなかった、心の準備みたいなものがなかったかもしれないし、なんかいろんなことの影響かもしれないんだけど、
なんかこういう話って私したことなかったな、昔っていうことを思い出しながら。
でも、私こういう葛藤を抱えてるんだなってことを言葉に文字に出して、それをそのまま渡せる相手とか渡せる学校であるみたいなことが結構ありがたいなって、
それを安心して出せる感じなのかなっていうのを思ったかな。
別にそれを出したところで何の評価をされるわけでもなく、その葛藤、そういうのがあるんですねっていうふうに一緒に眺めてくれる感じっていうか、そういう感じなのかなと思いながら。
そうだね、そう言われれば。
葛藤の共有
なんかそれはどうなの?
なんかそういうのを今まで出してなかったけど出したなみたいなこととかさ、
それを一緒に眺めてくれる感じなんだよなっていうのは、けいちゃんにとってはどういう感じなの?
どういう感じなんだろうね。
なんかでも葛藤って結構ずっとあって、
で、あった時に、今までだと私たちのこの2人の夫婦の2人の間で扱ってきたっていうことだと思うんだけど、
別にその、出したからといって解決しないかもしれないし、解決したとしてもまた別の葛藤が現れるかもしれないから継続していくものなのかもしれないんだけど、
でもその、なんか出せる場が他にもある。
その、ただそういう葛藤があるんだねっていう風に受け止めてくれる人がいるというだけで、別に仮にそれが解決しなかったとしても、
ちょっと軽くなる感じなのかな。
自分だけで抱えなくていいっていうか、そういう感じなのかもしれない。
軽くなる感じね。
軽くなるって、軽さってすごい自分自身も大事にしているんだけど、
何か共感と言っていいのかわからないけど、それが誰かに共有することで軽くなるっていうことが起きるのかな。
なんかでもそうそうそうだよね。やっぱり自分の中に何かが留まっている時ってやっぱり重いなって感じがするし、
それが外に出ていくと軽いなっていう感じがするし、
だからそういう意味ではいろんな、その人が軽やかでいられるみたいなことを作っていく。
人それぞれ軽くなり方は違うかもしれないけど、軽くなっていくみたいなことって結構重要なキーワードなのかもね。
なんかもしかすると、共感はされてないかもしれないんだけど。
そうだよね。もしかしたら共感はちょっと違うかもしれないなって思ったんだよな。
だから出る。出たのをそのままって感じで。
そうなんだねって聞いてる感じっていうのかな。
それはでもさ、出るってことが大事なのか、なんかこう共感はされないまでも、そうなんだねってわかってもらえるっていうことの良さもありえるじゃない。
それはなんか、どうなんだろう。
なんかあの、そうなんだねって受け取ってもらえるっていうことな気がしてて。
で、それがあるから出せるんだと思う。
出せることももちろんいいことだったけど。
じゃあ一旦受け取ってもらえるっていうのが大事だってことね。
そう。
葛藤しているかもしれないし、いないかもしれないし、
すごいどんよりと重たい気持ちかもしれないし、軽い気持ちかもしれないし、
そんな状態が私の中にもあるし、他の人の中にもあるんだけど、
その状態の多様さみたいなこともそうだし、人の考え方の多様さ、感じ方の多様さみたいなことも含めて、
あなたはそういうふうに感じるんですね、考えるんですね、
っていうのをただそのまま受け取ってくれる感じと言ったらいいのか。
だから共感じゃないんだけど、あ、そうなんだねって。
でもそうしてもらうだけで、ちょっとその自分の中だけで抱えて重たくなってたものが、
ちょっとやっぱ外に出せることによって、中のその重さが取れていくみたいな感じなのかな。
でもやっぱ軽さって、自分も大事だなと思うし、やっぱ大事なんだね。
ちょっと今の話とつながるかわかんないんだけど、
この軽さみたいなところで今思い出したのが、
移住してくる前って、これはその自分の勝手な思い込みかもしれないし、
わかんないんだけどね、なんとなくその時って自分の子どものことは、
自分がなんとかしなきゃっていうか、自分が見なきゃみたいな、
助けを求める重要性
自分だけが背負ってる感じっていうの?自分の子どものことを。
例えばすごく高熱を出して、子どもが、でも私仕事あります、誰かに見てもらわなきゃいけませんっていう時にも、
その周りにいる誰かに頼るっていうことではなくて、
自分で何かその時間見てくれるベビーシッターなり何らかを手配して、自分でこれをなんとかしなければならない、
自分が全部抱えてるみたいな、そういう感覚だったんだけど、
今移住してこっちにいると、例えば今みたいな状況が起きた時に、
こういうことが起きてて困ってるっていうことを出す。
誰かにちょっと助けてくれないっていうヘルプをお願いできるっていうのがあるなって思っていて、
来る前ってだからその自分一人が抱えてる感じだから、さっきの葛藤で言うと自分だけで葛藤を抱えてるみたいな感じと近くて、
自分で抱えてるからすごい重いし、なんか自分ででもこれなんとか解消しなきゃみたいな感じになるんだけど、
ちょっとヘルプ出せるみたいな感覚にちょっと近いかなと思ったんだけど、
起きていることとかそこで困ってる、助けてほしいっていう声を出せる。
出すと誰かが反応してくれたりして、
さっきの例えば熱を出すみたいな話で言うと、助けてくれる誰かがいるかもしれないし、
さっきの葛藤で言えばただその声に耳を傾けてくれるっていうことかもしれないんだけど、
でもやっぱりその自分だけで抱えてた時の移住してくる前のあの重たさより全然今ね軽い感じでいるから、
なんかその感じに近いのかもなっていうことが今思い出された。
感謝と環境の重要性
うん。
なんか今その話を聞きながらさ、
なんかこう、そろそろまた僕なりの抽象度で行くと、
やっぱり今の軽さって風が通り抜ける感じだなって思って、
風が抜ける感じだと割と健康的っていうのを心身としていう感じがするし、
それが抜けないで溜まってっちゃうとやっぱりどんよりする。
家とかでもそうじゃん。風通しが良いところは気持ちいい空気だし、
けど全然風通し抜けなくてどんよりしてるなって空気って実際あるじゃん。
そういうのと近いのかなってちょっとこう思って聞いてみました。
っていうのとちょうどこの間さ、まさにその子どもの学校でさ、
ちょっと集まれる大人がちょっと集まってスタッフと一緒にミーティングするみたいな会があったけどさ、
そこで扱われたテーマが、
喧嘩の物差しみたいなテーマで、
その中で喧嘩といじめの違いって何だろうねみたいな話が出てきてて、
その時にちょうど自分がしてた話が、もちろん正解とかわからないんだけど、
喧嘩の場合は両方からエネルギーが出てるから、
そういう感じの種類のものな気がするって言っていて、
いじめの場合はやっぱり誰かのいじめられている人のエネルギーがどんどん押し込められていっちゃって、
出すに出せなくなっていっちゃうみたいな質感みたいなのがある気がしていて、
圧迫されていっちゃう、閉じ込められていっちゃうっていうかさ、
なんかその感じのイメージを持っているみたいな話をしたんだけど、
それにもちょっと通ずるなっていうか、
そんなことに今ちょっとあの時の感覚、あの時話してた感覚に近いなって思ったから今出したんだけど、
自分で抱えるっていうのはそういう重さなのかもね。
やっぱり何かがこう抜けていく、自分から出ていく、出すみたいなことってやっぱり大事なんだろうね。
というありがたさを感じたよっていう。
元に戻るとね。
元に戻るとね、その作文を書きながらね、
なんかその環境とかそこに関わってくれる人たちにね、すごい感謝した。
先週末だったっていう話。
そうだね。
なんかね、それが何によってそれができているのかみたいなこともすごい興味があるけど、
なんかでもどっかでね、そんな話につながることが出てくるような気もする。
そうだね。
じゃあ今日はここまでで。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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