1. ビビりな私が自分にエールをの声日記
  2. 本音と抵抗感と頭の中の声量と
2024-12-10 13:22

本音と抵抗感と頭の中の声量と

今日の日記

『本音と抵抗感と頭の中の声量と』

サマリー

本エピソードでは、自分の本音を伝えることの難しさや、心の中の声への抵抗感が語られています。また、育児や仕事における孤独感や、感情の共有の重要性についても触れられています。本音を表現することの重要性や、自己認識が行動に与える影響について考察されています。さらに、日常生活におけるコミュニケーションの重要性も強調されています。

本音を伝える難しさ
12月10日、今日も声日記を残していきたいと思います。
ビビりな私が自分にエールをのゆうのです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
なんかちょっと寒いけど、日中ちょっとマシな気がするのは私だけでしょうか。
昨日なんか息子のお迎えに行っててね。
で、宴廷で遊んだらあかんねんけど、息子も遊びたがるんですよ。
で、少しだけちょっとね、遊んでから帰るんですよね。
で、そのときむっちゃくちゃ寒いときって、ほんま無理って思って、
吹きさらしの中寒っと思いながら待ってたんですけど、
昨日ちょっとマシやったなって思ってたんですよね。
そう、寒い中にもなんかちょっとした変化に気付けたら、
そんなこともないかもなっていう日があるんやなと思いました。
てかめっちゃ噛むんですけど。
ほんま口動かへん。寒いからかな。わからないけど。
今日はね、何について話そうかなって思ったときに、
何やろう、本心、自分の本音みたいなところを、
言うのにブレーキがかかるというか、
ストッパーになってることってあるよなっていうことについて話したいなと思いました。
なんかね、何って言ったらいいやろ。
話したいなって思いましたって言いながら、全然浮かんでこないんですけど、
年々ね、年のせいにしたらあかんってわかってるんですけど、
年齢を重ねるにつれてね、本心を話すってすごく嫌だなって思ってた自分が
いたことに気づいたんですよ、最近。
とはいえね、素直に話す、言葉にするようにはしてきたんですけど、ここ数年で。
本当にね、何やろう、なかなかね、思ってることを言語化するっていうんですか、
言葉にするのがすごくハードルが高い時期があったんですよね、昔。
だからなのか、家の中でもね、本当に信頼できるパートナーっていう感じでね、
夫がいるんですよ、本当に信頼もしてるし、夫婦だし、困ってることがあったら
これ困ってんねんとか、これ頼りたいな、今ちょっとこれだけお願いできへんかなと思ったら
お願いしてもいいかなとか、手伝ってくれたりとかね、
何かね、声かけてくれたらありがとうって。
こんなん普通に聞いとったら当たり前やしって思うんですけど、私これできなかったんですよね。
困っても絶対に困ってるって言えへんかったし、
もうしんどいってどっかで思ってても絶対頼るもんかみたいな、
憎たらしいんですけど、頼らへんでみたいなのがあってね、お願いしてもいいかなとか絶対言わへんかったし、
何かしてもらったらありがとうとかね、ちょっとしたことね、
これ洗おうと思っとったのに洗ってくれとったんやとか思ったら今やったら普通に
これ洗ってくれた?めっちゃありがとう、助かったとか、
ほんまさらっと言えるんですけど、ほんまに言われへんかった時あったんですよ。
ありがとうがめっちゃ嫌みたいな、めっちゃひねくれてません?
今言いながら自分でばれひねくれてると思ったんですけど、
そんな時期があってね、何やろう、年齢を重ねるごとになのか、
私自身が何かがストップをかけてる何かを私個人が持っているのかは、
どうなんかなっていう両方かなとは思ったりもするんですけど、
やっぱり素直にね、本心を自分じゃない誰か、
夫だったり子供だったりとか友達とか上司とか、
自分の周りの人間関係があると思うんですけど、
その中で晒すというか出していくのはすごい嫌やったんですよね。
それを何で嫌やったのかと思ったら怖かったんですよね。
その怖さの裏って何があるのかなと思った時に、
こんなことで困ってるって思われたら、
こんなちっちゃいことで助けてくださいと思ってんのかっこ悪いやん、
みたいな思ってたんですよ。
育児とかまさにそうで、
別に仕事してるわけじゃなく、幼い子供を見てるだけやのに、
こんなちっちゃい子に手くずってんのみたいな、
そう思われたくないとか、何やねんそれと思うけど、
かっこ悪いなみたいな、弱音吐く自分めっちゃかっこ悪いなみたいな、
そんなん親やねんから当たり前やん、そこまでやったってみたいなとか、
仕事してへんねんしとか、
すごい自分にめっちゃ厳しい言葉かけてた時期があったんですよね。
素直にこんなことしかやってへんねんけども、
一日別に大したことやってへんねんけども、
正直ちょっと気持ち的にしんどくなってんねんとかね、
バカにされたりせんかなとか、
ほんまに大真面目にこういうのつらくってとか、
悲しくってとか、こればれ嬉しいねとか、
相手に自分の感情を共有することで、
相手に受け入れられないんじゃないかなみたいなのをすごく持ってて、
それをこんなこと言ったらとか、
想像したらすごい怖くなって、
こういう頭の中の自分一人の会話、
こんなん言ったらアカンに決まってるやんとか、
こんなん言ったら絶対バカにされるしとか、
こういう自分が自分にかける言葉の声が、
日に日に頭の中でボリュームが大きくなるみたいな時があったんですよ。
孤独感と感情の共有
ほんまはちょっとね、
夫にでも弱音吐きたいなっていう時あったんですよ。
もちろん仕事してた時もそうです。
特診時代時も仕事してた時、正直この仕事、
なんか辛いなみたいな。
その時に言えばよかったのに、
なんか言えなかったりとか、
そんなのアカン。
このポジショニングでそんなことを言ってはいけへんみたいなね。
そういう声が大きくなると、
なんかね、無意識のうちにね、
その頭の中で言われてる言葉に従っていくんですよね。
そうそう、かっこ悪いからバカにされるやろうし、
絶対言わんほうがええでみたいなんで、
口を閉ざすっていう行動になっていったんですよ。
そんな時めっちゃあって、
なんかすごいね、そうなっていくと、
孤独感ってあったなと思ったんですよね。
皆さんそんなことないですか?
育児してたり仕事してたりとか、
そういうふうに周りに人はいるんだけど、
家族だったり職場だったり。
でもなんか寂しいわみたいな、
孤独みたいなんないですか?
私だけなのかな?
分からんけど。
で、なんかね、ふとね、ある時にね、
このなんか頭の中でそういうふうに、
かっこ悪いで、なんかバカにされんだよみたいな言ってることの
言葉掛けを違った言葉掛けにしたら、
なんかどんなことに私は従っていくようになって、
行動することが変わっていくのかなって、
ちょっと疑問視するきっかけがあったんですよね。
そんでそこで、
なんやろう、言ってみようかな、みたいな。
しんどかった?しんどい。
困ってたら、ちょっと今困ってます?みたいな。
助けてほしい?みたいな。
ありがとう、ごめんね、みたいなのを、
ほんまに、小さい時、小学校の時とか、
もはや幼稚園の時に習ったんじゃない?っていう、
当たり前のコミュニケーションって言われるような、
挨拶だったりとか、ありがとう、ごめんね、
嬉しいとか、
そういうのを言うようにしていったんですよ。
本音の表現の重要性
言った時はすごい勇気ですよ。
向こうからしたら、たぶんね、
私が思っているのと、向こうから私の姿が目に映っている姿と
全然違うと思うんですけど、
私は超勇気を出してね、
言えた!みたいななってるけど、
表情にあまり出ないタイプだし、出さないタイプだったんですよ。
だから、すっごいしれっと見えるらしいんですよ。
しかも肉太らしく。
ありがとう、みたいな、無表情みたいな。
心の中はそんなことないんですよ。
で、なんかそれが相手に伝わりにくくてですね、
そうしてた自分もいるなっていうことが気づけたので、
なんか結局のところね、
そういう自分にどんな言葉をかけてるかで、
行動って変わるなと思って。
で、結構思い込んでる不死が私の場合はすごい強かったんですよね。
こんなん言ったって仕方がないしとか、
結局はどれだけ困ってますとか、
お願いしたいことありますとか、
そんなん言ったって弱音入ったって、
最後行動するのは自分みたいなのがあって、
すごい根底にね、結局は自分しか言えへんね。
私だけや、みたいなのがあったなって。
これすごい思い込みというか、
頼ったらあかんにつながる強い思い込み持ってたんやなって
すごい思ったんですよね。
で、この結局は自分しかおらへんから言うたって無駄やで、
みたいなめっちゃ嫌なやつなんですけど、
その自分がいることで本音を大切な人たち、
信頼できる大切な人たちに話すのに
ストップをかけてたんじゃないかなって思ったんですよ。
で、きっと分かってもらえへんし、
きっと聞いてもらえるはずなんかないし、私の話なんてとか。
で、最後にこれ極めつけやな、むっちゃ暗いやんと思ったんですけど、
もう絶対自分大切にされてるはずないねんって、
どっから来たそれって思ったんですけど。
結局は自分しかいないんやっていうのを深く深く掘っていくと、
この3つが出てきてね、びっくりしたんですよ。
めっちゃ暗いやん自分、みたいな思ったんですけど。
でもそういうふうに思い込んで、本音を閉ざす行動に出てたんであれば、
どっかあってそこに気づいたんやったら、
本当はどうしたんやんかなと思ったときに、
本音を言いたかったし、そういう感情を持ってるんだって伝えてみたくもあったし、
共有したかったし、で、分かってほしいっていうよりかは、
自分で自分の気持ちを言葉にすることをしたかったんですよね。
相手がどう受け取るかは、それは置いといて、
そこまでは強制できないので、私こんな勇気出したから、
あんた私が思ったように受け取ってくれんとあかんで、みたいな。
違うじゃないですか。相手の感じるところがあって、
どういうふうに対応するかは相手のことなので、
私にはコントロールできないところだけど、
自分の本音に気づいて、自分の本音にストップをかけることをやめて、
自分の本音に正直であるって大事やなって思ったんですよね。
日常生活におけるコミュニケーション
難しく考えるんじゃなくて、
当たり前のコミュニケーション。
ありがとう、ごめんな、とか、お帰り、とかね、
そういう挨拶から感謝することがあれば、
ありがとうって素直に言ったら嬉しい、みたいな。
こんなん今日あって嬉しかったよね、とか、
これめっちゃ長くらったよ、つらかった、みたいな、
やっぱり本当に小さなことなんですけど、
日々暮らしの中で取り入れていくと、
なんかこう、スルッとね、
ほんまに毎日の繰り返しやったんですけど、
スルッといつの間にか出るようになっていたなって、
最近の出来事で思うことがあったので、
このことについてちょっとね、
分かりにくかったかもしれないんですけど、
本音、本心を自分で気づいていくというか、
あってなんかきっかけがあったらね、
そういうのも怖がらずに言っていくことも
悪くないかったやで、みたいな。
そんなんやねんって感じだけど、
悪くなかったわ、やってみたら、みたいな。
そういう感じのことをね、
ちょっとシェアできたらいいなと思ってね、
サクッと話しました。
なので最後までもしね、
聞いてくださった方いたらありがとうございます。
またこんな感じで気づいたこと、
思っていることとかをね、
この声日記に言語化して
残していけたらなと思っています。
では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。
ではまた。
13:22

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