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こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。
お便りが来ております。ありがとうございます。
本当に本当にいつもありがとうございます。ご視聴いただきましてありがとうございます。
えーと、前回、第33回、合ってるかな?
第33回、30%のご自愛マインド、療育センター初面談の回に対するお便りをいただいております。
ので、読みますね。
えー、ラジオネーム、はまさん。
いやー、いつもありがとうございます。
あ、神奈川県、あれ神奈川県お住まいでしたっけ?
まあまあまあ、はい。
えー、よわおさんこんにちは、はまです。
第33回、拝聴しました。
うちの息子も小学校低学年で不登校になり、医師の診察やカウンセリングを勧められました。
その時の自分の頭の中は、学校に行けないというのは、うちの子は病気なんだろうか?
なんとか普通にならないだろうか?というもの。
つまり、普通に小中高大とか寄って企業に就職してという道しか知らない私には、不登校ということを受け入れることができなかったわけです。
今思えば、息子にかわいそうな強い言葉を投げつけたこともたびたびありました。
よわおさんは、ポッドキャッシュの中で、うまく促すことによってそういうものができるようになるっていうよりは、
あくまでも彼自身がいろんな経験を積んで、結果的にそういう物事に対して立ち向かえるようになるのが理想だと思います。
とおっしゃっていて。
これはあれですね、その僕の、僕が彼に対して何かしらの例えば行動を促すことによって集団行動になじめるようになりますよ。
ではなくて、彼自身が何かしらの経験を積んで、結果的にそういうものに対応できるようになるのがいいんじゃなかろうか、みたいな話をしたですね。
前回ね。
とおっしゃっていて、感銘を受けました。
この考え方、決して突き放すわけではないけれど、自分が何とかしてやろうとか、強制してやろうとかいうのではなく、本人の問題だとちゃんと認識されているのがすごいなと思います。
それが理学療法書をされているから出てくるものなのか、もともとの八王さんの素の考えなのかはわかりませんが、こんな風に考えてもらえるお子さんは幸せだなと思った次第です。
何か結論があるわけではありませんが、言いたくなったことを取り留めもなく書かせてもらいました。
これからもポッドキャストを楽しみにしています。
ありがとうございます。
八王さんはですね、僕が所属しているポッドキャストのオンラインコミュニティ、ゆとりっ子たちのたわごとさまというポッドキャストのオンラインコミュニティ、逆二弾というのがあるんですけど、逆二弾経由で知り合った方でございます。
基本的にすべてのことを肯定してくださる方でして、非常にいつもありがたいなと思っております。ありがとうございます。
僕はこのお便りを読ませて、最初に一読した時に、本当に泣きそうになっちゃって、恥ずかしながら。
はぁ、はまさんありがとうございます。本当に。みたいな気持ちになってですね。
なんていうか、前にもそのポッドキャストの中で話したかもしれないけど、なんか本当に日々思うんだけど、報われないんだよね。親って。本当に一生報われない気がする。
なんていうのかな。
親としての思い
僕はね、日々結構頑張っていると思っているわけです。家事なり、育児なり、仕事なり、他方面においてね。日々頑張っていると思っているわけだけれど、なるべく、なんていうか、彼らにとっていい父親でありたいなというふうに思うんだけれども。
なんていうのかな。子供に対して真摯に向き合っているというふうな感覚よりは、現状のこの生活を回すために頑張った結果として、家事、育児にコミットしているみたいな、なんかそういう認識がちょっとあるんですよね。
彼らに対して良い影響を与えられる人間であるために積極的に彼らに関わっていますよというよりは、どちらかというと、僕とパートナーと子供たち2人というこの4人家族が共働きで彼らを保育園に通わせながら、なんとかどうにかこうにかやっているっていうこの生活を維持するために、
何が最適かいかっていうことを考えた結果、僕は家事もやるし、育児もやるし、仕事もやるしの人間になっているみたいな、なんかそういう感覚なんですよね。
だからどっちかっていうと、今話題にね、上がっているのはうちのその長男の方、5歳児の方なんですけど、なんかこう彼らに対してね、保育園行きたくないよと泣く彼らを無理やり保育園に連れて行かねばならない時の申し訳なさであったりとかさ、
まだまだ夜遊んでいたいよという時にさ、でも明日は保育園だから今寝ないと明日ちゃんと起きれないよって言って寝させなきゃいけない時の申し訳なさとかさ、なんかそういうのを感じるシーンの方がやっぱり圧倒的に多いんですよね。
ってなんか良かれと思ってやったことはさ、そんなんやらパパ嫌いって言われるさ。だからなんだろうな、多分こう世間一般的な目から僕を見ると多分その、まあ一応いい父親になるんだろうし、そのいい夫でもあるんだろうとは思うけれども、僕は正直未人もそんなことを思っていない部分がちょっとあるわけですよ。
常になんか彼らに対してひけ目を感じているところがあってですね。
なので、なんていうかこう、そういうことをこのポッドキャスト上ではそれなりになんかいろいろ言ってるじゃないですか。
そういうね、あの、ところを聞いてくださっている方がこんな風に考えてもらえるお子様幸せだなと思った次第ですって言ってもらえるのさ。
もうなんか本当にもったいないお言葉です。ありがとうございますっていうね、そういう気持ちにさせられたわけです。僕は本当にありがとうございます。
いやー、そうなんですね。濱さんのお子様もやっぱ不登校とか、まあなんというか、不登校になることを問題というフレーズを使ってしまうのはなんかちょっと違うような気もするんですけど、やっぱまあいろいろ、いろいろありますよね。
本当に。いやー、今はどうなんでしょうか。年齢的にはもうご就職されているぐらいのご年齢なんでしょうかね。濱さんの息子さんは。
いろいろありますよね。そりゃね、なんていうかさ、その不登校だとかさ、その療育センターにお世話になるとかさ、
そういう世間一般的にイレギュラーと捉えられる物事が仮になかったとしても、いわゆる小中高大通って、それぞれストレートで合格していって、ストレートで卒業していって、そのまま企業に就職してっていう風なルートを仮にたどったとしても、やっぱそれなりにいろいろあるはずじゃないですか。
だからね、大変なことですよね。本当。なんか一人の人間をさ、育てていくというのは非常に大変だし、辛いことだなという風に日々思いますね。
でも、なんて言うんだろうな。これは僕が濱さんとお会いして、お話しして、こんな心動かされるお便りを送ってくださってね、思うことというのは、後で振り返って反省できればきっとOKなんじゃないかなって思うんですよね。
僕から何かを言わせていただくのも非常におこがましいことだとは思うんだけれども、これもちょっとやや理学療法士的な考え方になるかもわからないけれども、理学療法士ってね、かなりトライアンドエラーを繰り返す職業なんですよ。
例えば腰が痛いという患者さんが来ました。で、その腰が痛い患者さんがなぜ腰が痛いのか、そのどういった経緯で腰が痛くなったのか、今現在どんな組織が痛んでいるのか、その組織にどんな負荷をかけると痛みが出るのか、ではその組織から負荷を取り除くためにどういう手立てを打てばいいのかっていう風なことを、いろんな可能性をね、
その体から得られる情報をもとに、仮説を立てて、仮説を立てて、仮説を立ててっていう風なのを繰り返していって、正解に近づいていくみたいな、そんな作業をする職業なんですね。
で、なのでその一応その瞬間その瞬間に極力可能性が高そうな仮説を立てて、それをこう捉えするわけです。それは我々の手ですることもあるし、その患者さん自身にやってもらうこともあるわけだけど、結果外れることもあるわけ。
やっぱり残念ながらね、僕も人間なので一発で100点満点引けるわけではないですから、外れることも多々あるんですけど、その外れた時に何でこれ違ったんだろうな、じゃあ前提条件として想定したものが間違ったのかな、何でかなっていう風なことを改めて考え直して、この手がダメだったんだったらこれこれこういう風なことになっているはずだから、じゃあ次はこの手を打とう、じゃあこの手を打とうっていう風なことを考え直して、
トライアンドエラーを繰り返すわけですよ。
一発目に大外れを引いたとしても、2発目3発目と手を重ねるごとに徐々に徐々に点数を上げていって100点満点に最終的に近づければ、一応オッケーな職業なわけですね。
なので、なんていうか、きっとね、僕が頭の中でイメージしている浜さんは、小学校の時にそういう風な事態があって、厳しい言葉を投げかけたとしても、後々どこかのタイミングで酒を交わしながら、あの時は悪かったねって言える方なのではないかと勝手に想像しておりますので、
それができれば、いい親と言えるのではないかという風に、僕は弱敗者ながら思っております。
でね、お便りの中でね、触れてくださった、僕が促すことによって彼が変わるのではなくて、
彼自身が経験を積むことによって、結果的に彼が変化していって、うまい方向に話が転がっていくのではないかという風な考え方を、なぜ僕が持ったのかということを、あれやこれやと考えてみたんです。
頭の中で。で、いい方面でたどり着いた回答としては、ちょっとその理学療法士的な視点が入るわけです。
理学療法士の視点
つまり、僕の力が彼に対して加わることによって、彼が仮にいい方向に向いていくとしても、結局彼自身がちょっとよろしくない方向に、例えばルートを反れてしまったときに、彼自身がそれを修正できる力を持っているようにならなければ、あんまり意味がないと思っているわけ。
それは、腰が痛いですっていう患者さんが来て、僕が仮にスペシャルゴッドハンドの持ち主で、えいやゴキゴキってやって、腰がすっかり良くなりました、ありがとうございましたって返す治療家だったとしてね。
でも、たぶんそのミラクルゴッドハンドの持ち主は、腰の痛みそのものは仮に取れるかもしれないけれども、腰の痛みが出る前提になっているその原因の部分には対処していないわけよ。
だって一回その腰をゴキゴキってやってるだけだからね。ただそれは腰が瞬間的に良くなっただけであって、腰に負担をかける何かしらの要素はそのまま残ってるわけ。
ってなると、その人はかなりの確率でもう一回悪くなって、もう一回じゃああの人のところに来れば良くなるからって言って僕のところに来ますよね。
でまたそれは僕はまた腰のところをゴリゴリってこうやって、ああ良くなりましたありがとうございましたって言って返して、でまた来てゴキってやって返してを繰り返すことになるわけじゃないですか。
それは僕のビジネス的な部分では成功なんだと思うんだけど、でもその人の人生の単位で考えると一生その人は僕のところに通わなければ、ある一定のスパンで腰痛に悩まされ続ける人生を送ることになるわけですよね。
それは僕の考える理想ではないわけ。僕の考える理想というのは、もちろんその腰が痛い出来ましたら、その腰の痛みに対する対処法をこういう風にしたら腰への負担が減りますよ、こういう風な運動をしたら即時的に腰の痛みを減らせますよっていう風な内容はもちろん教えるんだけれども、その前段階として
あなたはここの関節の柔軟性がよろしくないですよ。こういう風な習慣がありますよ。ここの筋力が弱いですよ。なので腰に負担がかかっているので、ちゃんとこっちの根っこの部分にも対処をしましょうね。あなた日常的にこういうところを気をつけましょうねっていうことを伝えて、根本的な対処をその人が身につけて
別に俺のところに来なくても、その人が自分で自分の体の面倒を見れるようにしてあげるが理想のリハビリテーションだと僕は思っているんですね。
それと同じようなことで、僕が彼の手を引いてグイって、理想的とされるルートに彼の手をグイって引っ張っていってさ、彼が仮に集団行動がうまく取れるようになるとかっていうのは、その瞬間的に見れば多分いいと思うんだけれども、何かの瞬間に僕は彼の手を引いてあげられなくなった時にね、
彼自身にはその良いルートに乗り続けるための力がないから、またなんかフラフラフラフラって遠回りをしてしまったりとかするだろうと思うんですよ。それじゃ意味ねえだろ。
っていうことで、なんかダイレクトにその集団行動に適応するためにはこういうことをしたらいいんだよっていう風な話を彼に伝えるのではなくて、彼自身がこれは僕はこういう集団行動に適応できるようになった方が人生楽しそうだなって思えるようになったりとか、そのこの集団に自分が溶け込めるようになりたいなとか、
そういう感情を持って彼自身が動き出してあげられるような環境設定を整えてあげるのがいいんじゃないですかねっていう風に思ってるわけです。すいませんね。ちょっと話がまわり苦毒なりましたけれど。
親子関係の影響力
っていうのがその良いルートを辿った僕の回答。悪いルートを辿った僕の回答としてはですね、僕は僕自身の親としての力を多分あんまり信じてないんだと思うんですね。
僕の中でもちょっと矛盾している考え方なんですけど、僕そのあんまり親子関係がよろしくないんです。親子関係っていうのは僕の親と僕との間の関係性があまりよろしくないのね。
なので、あの環境で育てられたことによって、ある種の卑屈さだったりとか、ずっと人の顔色を伺い続けているだとか、そういうちょっと今の僕にとって嫌な要素が身についてしまったように、この年になっても思っている部分があるんです。
で、そういうその場で育ってきた身なので、親はものすごく影響力が強いな、大事な存在だなっていうふうに思っているわけですよ。そんな経験がなくても誰しも思うものなのかもしれないが、その親の影響力は非常に甚大で、子供に対する責任が重大だなっていうふうにすごく思っているわけ。
なんだけど、さっきその僕は、僕が彼の手を引いていい道のりに乗せてあげることはあまり意味がないんじゃないかみたいな話をしましたけれども、そもそも僕にね、その一親である僕と、一親である僕には彼の手を引っ張って、
そのいい感じの道のりに乗せてあげられるだけの力をそもそも持ってないともちょっと思っているわけ。
僕なんその人間が、そうやって一人の人間をいい方向に導いてあげようだなんて、そんなおこがましいことができるかいっていうふうにちょっと思っている節があるのね。
だからなんだろうな、その言葉としての親という存在は、とても子供たちに対して重要だし、パワーを持っている存在だし、彼らの人生に対して多大なる影響を与えるものだというふうに、自分自身の経験から思っているけれども、
同時に、僕という一人の親は、彼らに対してあまりいい影響を与えられる人間だとは思っていない節があるんですね。
で、僕には彼らの手を引いてあげられるだけのパワーがないから、彼ら自身が自分で考えて生き抜く力を身につける方向に行ってくれた方がいいよねって思っているみたいな節があるわけです。
伝わったかな?今の言い方で。
これちょっとなんか、よくわかんないんだけど。そういうね、今の2つのルートから行き着いた結論があって、
俺もその理性的に考えたら、絶対その前者の方のね、その理学療法士的な視点でたどり着いた回答の方が、なんというか、僕的には100点満点だなって思うんだけれども、
でもなんかやっぱり一方で、それだけではない僕がいるわけですよ。
理学療法士的な視点があるから、僕はそっちにしたんですよって100%断言できない弱い自分がいるみたいな、そんな感じですかね。
なので、その例えばね、今僕が言ってるような、僕が彼らを促すのではなく、彼ら自身がうまく生き抜けるようになっていくのだという風な理屈に対して、
いやいやいやいや、そこはこう、そこはあなた、これこれこれこれ、こうこうこういう理由があって、こうこうこういう研究があるから、親がしっかり手を引いてあげなきゃいけないんですよって言われたら、結構困ると思うんですよね。
そんなこと言われても、僕手引けませんけどみたいな気持ちに多分なっちゃうんだと思うんだよなぁ。
なのでね、あの、そんな、こんななんていう、その、お子さんは幸せだなぁと思ってくださったのは大変ありがたく思いつつも、そんなもったいない言葉をというね、そういう思いもありつつ。
あーでも、その、僕が子供に限らずですけど、その誰に対してもね、誰に対しても、僕がその人にこう積極的に能動的に関わることによって、その人がいい感じの方向に進むだろうなぁみたいなイメージを全然持ててないというか、なんだろうなぁ。
そこの成功体験みたいなのが多分あんまりないんですよね。
てかその、多分こう、僕がね、僕がその対親に対してどうにかこうにか関わろうとした結果、全くもって事態が好転せず悪い方向にしか物事が進まなかったみたいなその経験しか多分積んでないことによって、
僕が誰かに対してこう頑張って関わろうとすることなんて、なんかそんな大した意味がもうないんだなぁみたいなさ、あの学習性無力感っていうんですかね、多分。
そういうものが、なんか幼少期から根付いてしまってるような気がするんだよね。
だからもう常に考え方の根底にそれがある。
もう僕には力がないから、あなたが頑張ってどうにかしてくださいよっていう、そういうポジション取りをまず第一選択として取ってしまう節がある気がする。
だからなんだという話ですね、これね。
良くないなぁ。
望む親子関係
個人的にはどっちの手段も取れるようになっておきたい。
つまり何かの瞬間にはちゃんと彼の手を引いてあげられるようなパワーも欲しいし、かといって必要な時にはちゃんと逆に手を離して彼の自立を促すような、そういう選択肢も取れるようになりたいし。
どっちもやれるようになりたいな。
実際のところね。
まあなんか、そんな関わりを経てね、僕の中にあれやこれやとその鬱屈した感情はあるけど、なんか最終的には、
彼がさ、その中学生とか高校生とかさ、それぐらいの年齢になった時にさ、ちょっと困ってんだけどって言って相談しに来てもらえるぐらいの関係性でありたいなぁと思っております。
よくね、僕も類に漏れずでしたけれども、男子は中学生高校生ぐらいになると、なんか家では何も話さなくなって何を考えているのかよくわからんみたいな、そういうゾーンに到達するというのを風の噂で聞いたことがありますが、
そういう時にね、常にじゃなくていいけど、その最後の最後のタイミングでちょっとどうしたらいいかわかんないんだけどどうしたらいいかなっていうことをちゃんと相談に乗れるポジションであり、そういう時に、
いやー、そうね、どうしたらいいんだろうね、つって、なんか一緒に考えられるようなそんなポジションにいられれば、なんか僕としては満足なのかなっていう気がしてます。
まあ、なんていうか、特にちょっとこと長男に対してはね、これからが子育ていよいよ本番かなという風な気がしておりますので、たぶん今後もぐちぐちあれやこれやと言うと思いますけれども、お付き合いいただけますと幸いでございます。
ありがとうございます。お便りいただけまして、もう本当に本当に嬉しかった。ありがとうございます。すごくこう、的確にこう、僕に響く言葉を書いてくださって本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
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