1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #32 人と話すのに飢えている。..
2023-07-16 24:57

#32 人と話すのに飢えている。/そっとしといてあげようよ。

人と話したい。複数人でPodcastやっている方がうらやましい今日この頃。
後半は、ちょっとセンシティブだと思います。それでも吐き出しておきたかった。
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サマリー

最近の暑さによる仕事の辛さから家事や育児の負担の重さまで、様々な要素が彼女の心身に疲労を感じさせる中、主人公は人と話すことに飢えていることに気付きます。しかし、その欲求を満たすために必ずしも飲み会に行く必要はありません。オンラインのコミュニケーションでもそれを補うことができる可能性を感じ始めます。SNS上での誹謗中傷が問題となり、タレントが自殺するという悲しいニュースがありました。このような誹謗中傷に対して、私たちができることはただ悲しむことのみであり、責任を追求したり他人の意見を主張することは無責任な行動であると考えています。

暑さによる仕事の辛さ
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわです。
いやー、暑いっすね。
毎日、たぶん、この7月10日から何日間かのね、間に収録されたポッドキャストの入りで、
あまた同じフレーズが繰り返されたと思いますけれども、暑いですね、本当に日々ね。
僕は神奈川県に住んでるんですけど、まあ、連日35度とか36度とかの気温でしてですね。
いやー、なっちゃいますね、本当にね。
僕、その、保温リハビリという仕事をしておりましてですね、まあ、うん、端的に言うとその外回りをしなければならないわけですよ。
なのでね、暑いんですよね。
当たり前ですけど、外回ってる間が。
まあ、まず職場は冷房効いてるわけ、当たり前ですけど、だからまあ職場は涼しいと。
で、車で回るんですけど、そのまず職場から車までの間が暑いわけ、外歩くからね。
で、車も暑いわけ、外でたっぷりこう温められて、むしぶる状態になっているから。
で、まあ、車乗ってさ、その訪問先まで移動して、移動している最中にゆるゆるとこうだんだんエアコンが効いて冷えてきて、そろそろ冷え切ったかなぐらいのタイミングで訪問先に着くわけ。
で、まあ、そこでこうリハビリを提供して、じゃあ戻ろうかっていう時には、また車がこう暑々の状況になってて、暑くて。
で、車から職場で暑くて、職場になったらまた涼しくて、で、また暑くて、涼しくて、暑くて、涼しくて、みたいなことをエンドレスで繰り返していてですね。
なんかだいぶこう、体がバグってきた感じがありますね。
非常に辛い。非常に辛いんだよなあ、最近ほんと。
だからもうさあ、気温35度超えたらさあ、なんかちょっと色付けてほしいですよね、給料に。
さすがにさあ、なんか手当とか出てくんないとちょっともうやってらんないっすよね、ほんとね。
っていう日々を過ごしております、最近は。
で、今ね、そのテレビで天気予報とかをつけると、まあ熱中症に気をつけましょうよという話が必ずやると思うんですよ。
今日は何人熱中症で病院に搬送されて、何人の方が亡くなられて、で、亡くなられた方の何%は家で冷房を使ってなかったご老人で、みたいなね、そんな話がだいたい出るじゃないですか。
いるわけないやん、そんな奴って思ってたんですよ。
そんなこの暑さで、もうデータでね、データで冷房つけないと死にますよというデータが出ていて、数値で気温が出ていて、数値で室温がわかって、その中で冷房を使う奴なんているわけないやんって思ってたんですけど、いるんですね、世の中には。
この仕事につくまで僕は知りませんでした。
いらっしゃるんですよ。
外の気温は35度を超え、室温は30度を超える中、エアコンを使わず、一応窓を開け、扇風機を回し、なぜか長袖を着て、で、その感じで過ごしているにもかかわらず、いや、熱中症って怖いですね、みたいな話をされる方がいらっしゃるんですよね。
すごいことですよね。
まあ、もちろんね、その、それって、年齢とともに、その、熱さを感じる能力が衰え、発汗する能力が衰え、っていう風な話があるから、まあ、理屈ではね、あの、わかるはわかるんですけれども、
なんでよ、そういう人がいらっしゃるから、その、職場から出て、車まで暑くて、車も暑くて、行った先もエアコンを入れてもらえなくてなくて暑くて、で、また車が暑くて、移動中暑くて、で、次に行った先は逆に冷房ガンガンに効いてて、めちゃめちゃ涼しくて、また車暑くて、みたいな、まあ、結局、冷房が入ってようが入ってまいが、体がバグること自体はね、変わりないから、
いや、よくはないんだけど、よくはないんだけど、もちろん冷房ついてた方が嬉しいんだけれども、結局なんかそのついてようがついてまいがね、なんかほんと人が動いていい気温じゃないですよね、何とかならんのかな、SDGsに勤めるしかないんですか、我々にできることというのは、いや、つらい世の中ですな、でね、まあ、なんかそんなようなことで、仕事ではゴリゴリ体力を奪われていき、
うーん、なんていうか、家事であったり育児であったりも、ちょっと最近割とヘビーになってきていて、あのパートナーのシフトの関係上とか、そういう諸々の事情があって、ちょっと今一時的に僕のワンオペが頻度が多い時期なんですよ、まあ、それでね、その仕事でもひいひい、家に帰ってもひいひい、みたいなこう生活を繰り返していてですね、
なんか最近こう漠然とね、ただただ漠然と頭の中に、ああ、飲み会来て、みたいなフレーズが頭をよぎるようになってきているんです、この2週間ぐらいの中で、
で、この飲み会来ての中には、ものすごい情報量のね、感情が内包されていると思っているですね、それはその、まあさっきまで話していたような、暑さによる仕事の辛さであったりとか、まあ諸々によってのその家事育児の辛さであったりとか、そういう諸々を抱えている日常生活からの逃避をしたい、みたいな話もあるだろうし、
もうシンプルに美味しいものを食べたいとか、美味しいお酒を飲みたいとかもあるだろうし、まあ色々ね、あるんだろうと思ったんですけど、こう、なんか自分の中でね、何なんだろうな、この飲み会来てっていう漠然とした希望は、そもそもそこまで俺飲み会好きな方じゃなかった気がするけどなーって思って、色々こう要素を分解してね、考えていったんですけど、
人との会話の重要性
どうやら僕はその、人と話すのに飢えているらしい、どうやら、そういう話です、本日は。飲み会行きたいを分解していったら、人と話していに行き着いたという話でございます。
で、僕その、まず子供がいますと、2人子供がいます。2人とも保育園に通っていますぐらいの年代の子供がいます。で、仕事として、医学療法士をしています。医学療法士は人々にリハビリを提供する仕事で、僕は今その介護保険の分野で働いているので、基本的にターゲットとなるのは、いわゆる高齢者に分類される方々をターゲットにリハビリを提供しています。
なんですね。で、なのでその日常生活で会話をする人々というのが、極端に下の人か極端に上の人かにめちゃくちゃ偏っているわけ。
で、あのだからその同年代ぐらいでよく話す人というのは、僕のパートナーかもしくは職場の上司。ただ職場の上司とはミーティングで5分ぐらい一緒に話すぐらいの時間しか接してないわけ。
でね、僕はその親として子供たちに関わるっていう風な関係性と、仕事としてご高齢の方々と関わるという風なところは、すごく近しいものがあると思っていてですね。
それは、これは別に年代に関わらずなのかもしれないですけれど、相手を尊重しなければならない。
かつ、相手を尊重しつつも、相手がより良い方向に向かえるようにするために多少こっちから手こ入れして導かなければならないみたいな、そういう関わり方みたいなものがかなり近しいものがあると思うんですね。
子供に対して接するのと、ご高齢の方に対して接するのとというのは、まあもちろんその手段の違いこそあるとね。
その相手を尊重して接するかつ、適度に相手を良い方向に向けて促していくための頭の使い方を、今1日中こうし続けているような状況なわけですよ。
そうするとね、雑な接し方をできる人が日常生活の中にいなくなるわけ。
子供に対しても雑な扱いができないし、その仕事上で関わるご高齢の方々、まあこれは別にご高齢の方だからってことじゃないけど、その仕事で関わる人たちに対しては雑な扱いができないし、もちろん上司に対してもできないし。
そのパートナーに対して雑な扱いしたらそれは喧嘩になりますから、まあそれもできないしね。
っていうふうなことをずっと今、あんまりこう自分一人過ごせる時間もないままずっとこう繰り返し続けていると、
なんかね、そのための筋肉がどんどん疲れていっているような感覚が今僕の中には芽生えているんです。
もうその雑な扱いをしたい。
お前何言ってんの意味わかんねーみたいなそういう会話をしたいわけ。
今僕はそれに飢えているっていうことでね。
だから別にその冒頭に戻りますけれども、僕は今その飲み会してーなーって思ってるけれども、
その中を、その要素をあれこれ分解してみると、別にいい店に行っていいもん食いたいわけでもないし、
いい店に行っていいお酒を飲みたいわけでもないの。
言ったら、もうなんか千円店の居酒屋とか、もう会計が2000円3000円ぐらいで済むようなそういうふうなところでも全然構わないと思っているわけ。
ただ、そういうなんていうか、相手に対して気を使い続ける会話をもうしたくない、そういうの関係ない会話をしたいみたいな、そういう欲求がね、今あふれかえっているわけです。
別に僕は、僕が理想とするね、その飲み会の席が設けられた時に、僕は別にそのこの現状を相手に対してトロしたいわけではないわけ。
この現状をトロしたいわけでもないし、その愚痴聞いてもらいたいわけでもないし、それに対する解決策を一緒に考えてほしいわけでもないわけ。
ただ、もうそういうふうな、言葉を発する手前に2,3個くらいクッションを挟んだ会話をするんじゃなくて、もうなんか、飲み会の席が進んで終電を逃して、2時とか3時ぐらいに惰性でね、一応お酒をちびちび飲みながら、
ああ、眠いね。どうする?どうやって帰るの?
ああ、そうだもん。大変だね。
くらいの、そういう楽しげな会話でなくてももはやいいわけ。
そういう、もう、その言葉を発する前に変なクッションを返さないで済む、そういう関係性の中で会話がしたいんだ、そういう結論に僕はたどり着きました。
だからなんだという話なんですけどね。
オンラインでのコミュニケーション
だから、その飲み会してと思っていたけれども、実際には、なんかね、あの、言ったらファミレスとかでもいいかもしれないし、別にランチでもいいかもしれないし、その場に酒はなくてもいいかもしれないし、
言ったら、別にそういう席を設けなくても、そのボイスチャットとかオンラインツーバーとかでも、今僕が抱えている欲求っていうのは満たせるのかもしれないなっていうふうに思ったという話。
どうなんですかね?
皆様が飲み会に行きたいというふうに感じる時というのはどれなんでしょうね?
人なのか、食なのか、酒なのか、はたまたそれ以外なのか、ちょっと気になります。
いや、絶対食ですっていう人いるのかな?世の中には。
あんまり僕の身近には少なくとも、あまりいないような気がしますけれども。
なのでね、ちょっと近々、フリータイムが確保できそうなので、何かしたいな、何かその人と話せる機会を設けるようにしたいなと感じている今日この頃でございました。
でね、もう一つね、なんていうか、ちょっと自分の外に吐き出しておきたいなというふうな感情があって。
ちょうどこれを収録している今日、とある芸能人の方が亡くなられたというふうなニュースがありましてですね。
僕個人としては別にその方に対して、言ってしまえば正直特段の好きも嫌いもあるわけではないし、
ただその方が、これまで歩んできた道のりとかはなんとなく雰囲気は知っているし、
歩んでこられた道のりの結果として、ちょっと批判を浴びやすい状況になっていたというのもなんとなく存じ上げてはいたわけです。
どうやらその方は、自らの手で命を絶たれたらしいと。
ここまでの経緯的にね、心ない言葉をSNS上で見せられることがどうやら多かったらしいというふうな話があるそうなんですが、
子と子供が絡むとなんですけれども、こういうね、自らの手で命を絶たれるとか、
離婚されるとか、
はたまたちょっとベクトルは違うけれども、子供を虐待するとか、
自らだけ捉えられると、それはやってはいけないことなんじゃないかとか、
その子供に対しての影響がどうだとかっていうふうな論調にされてしまう物事が、
なんていうか、人事だと思えなくなったんですよね。子供が生まれてから。
もうちょっと突っ込んで言うと、子供がいる、子育てをしている環境にね、自らの身を置いて生活していると、
これはいつの日か俺はこの子を殴り飛ばすかもしれないなって思う瞬間が正直あるし、
こんなしんどい思いして子育てするぐらいだったら、
もういっそ仕事辞めた方が楽になるわとか、
いっそ命を絶った方が楽になるわとか、
離婚した方が楽になるわとか、
なんだろうな、
そういうね、一般的にはアシとされることを全く否定できなくなってしまったんだよな。
常に薄皮一枚隔てて、そこら辺の選択肢がいつ上がってきてもおかしくないなっていうふうに思うことが時によってあるのね。
だからこそすごく思うんだけれど、
今回ね、冒頭に話題に出したタレントの方は自ら命を絶たれましたと。
で、どうやら諸々の経緯があって、SNS上で誹謗中傷が行われていたらしいというふうなニュースを見て、
それに対するSNS上の皆様のリアクションを見ていると、
例えば、誹謗中傷を行った人々自体に対しての非難であったりとか、
はたまた誹謗中傷のターゲットとなった方の受け止め方の非難であったりとか、
口にしててもちょっと嫌になっちゃうけど、
そういったものがある一定量をSNS上には流れてくるんだなぁと思い、
またそういうものものを経由して、
いいねを稼いだりとか、リツイートを稼いだりとか、
そういうふうな糸でちょっと過激めの発言をするような人というのが一定量現れてくるじゃないですか。
それを見るたびに、こういう時に我々ができることというのは、
ただ一人の人間の命が失われたことを悲しむことのみであって、
それ以上にね、その亡くなられた背景に対してあれやこれやと考えたりとか、
亡くなられた方の近親者の方に対してあれやこれやと考えたりとか、
そういうことを短絡的にしていいものではないと思うんだよな。
今回の件であれば、
自ら命を絶たれたことと、誹謗中傷というものごとが、それが一対一の関係性で結びつけて、
SNS上での誹謗中傷を理由として、一人のタレントさんが自ら命を絶ったっていうその一つのコンテンツとして
悲しい現実
消費されてしまうのは、あまりにも救いがなさすぎるだろうって思うんだよね。
実際にどういう経緯でそういうふうなところに至ったかもわからず、
勝手に表面のところだけ捉えて、
安易に関連づけを行ってしまうのは、
ニュースの地面だけを捉えて、自殺は許されることではないとか、虐待は許されることではないとか、
そういう一見正論であることを振りかざしているのと、何ら変わりがないのではないかというふうに思うわけ。
その方に近い関係性の方がおっしゃるのであれば、またちょっと話は変わってくると思うんですけれども、
少なくとも一般人からすると画面の向こう側の遠い人だったわけで、
そういう人に対してあれやこれやと憶測を並べたて、自分の意見を主張するのに使って、
このままの流れだとさ、
僕が知っている限りだと前にも一件ね、同じような扱われ方をされた、
その誹謗中傷が原因で命を絶った方がもう一人出ました。
悲しいことですね。誹謗中傷はやめましょう。みたいなさ、
その程度の話で片付けられてしまうんじゃないかという懸念とね、
それじゃああまりにも悲しすぎるじゃないかという気持ちと、
なんかそういうすごく複雑な感情が今自分の中にはありますね。
なんか本当ね、
別にこれはその有名か有名じゃないかに関わらずさ、
ただただ亡くなられたことを悲しんでさ、
それでいいじゃん。なんか変にこうそこに解釈を加えたりとかさ、
責任を追求したりとかさ、しなくていいじゃん。
それをこう直接的にさ、直接的な関わりがない人たちがやるというのは、
なんかあまりにもそれこそ無責任な行動なんじゃないの?
っていう風に思ってしまいますよね。
っていうね、ちょっと例によってまとまりのない話になってしまいましたけれども、
今日はこの辺でありがとうございました。
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では、また。
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