1. 口は背中よりモノを言う。
  2. #45 霜月パンデミック。
2023-11-30 25:21

#45 霜月パンデミック。

一生分の謝りゲージを使った気がする。明日も謝る日。うぅ。
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サマリー

このエピソードでは、感染症による子供たちの熱やインフルエンザによる休暇を取りながら、謝り続けている経験について話しています。受ける側ではうまくいくのに、発信する側になるとうまくいかなくなってしまう理由を考えている中で、相手の傷を推測する能力が役立つと感じることが多い。

感染症による休暇と謝罪
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェインよわおです。
ようやく、ようやく、ようやく、日常生活が落ち着きましてですね。
日常生活が落ち着いたというか、なんというかな。感染症が落ち着いたかな。
そうですね。11月が丸々1ヶ月、感染症に振り回され続けたなという感じの1ヶ月間だったんですけど。
いやー、なかなかしんどかったな。頑張ったな、我ながら。
という感じでございます。前回のエピソードで確かお話したような気がしますが、
うちの下の子が、アデノウイルスというね、子供によく流行っているウイルスに感染して、
それで、どんぐらいだったかな。5日間だか1週間だかぐらい、熱を出して体調を崩して、
それに伴って、僕と妻がそれぞれ仕事を休んで対応して、
よかった、ようやく子供の熱が下がった。これでまた平常運転だと思ったところで、
僕がその子供からアデノウイルスをもらって、それによってまた5日間だか1週間だかぐらい、
今度は僕が仕事を休むことになり、仕事を休んでいる中でも妻も有給がカツカツなので、
熱が出て頭痛がして、体がだらくてヒーヒー言いながら、妻が夜勤に出ている間の子供のあれやこれやとかをこなし、
で、あーよかった、ようやく自分もアデノウイルスから回復して、やっと仕事に復帰できるなってなったところで、
今度はうちの長男の方がインフルエンザに感染しまして、
インフルエンザがまた長くてですね、勝利のインフルエンザはだいたい長くても3日から5日ぐらいで解熱するものらしいんですよ。
3日から5日ぐらいで熱が下がって症状は落ち着いて、熱が下がってから3日間ぐらい経過したら保育園に行くのを再開していいよっていう風な感じで定められているそうなんですね。
でもなんかわかんないけど、すごい長くかかって、結局8日間ぐらいずっと熱が出てたのかな。
8日間ぐらい熱がずっとじわりじわりと続いて続いて続いて続いて、そこからようやく安定したかと思いきや今度は咳が残って、体力も落ちている雰囲気でヘロヘロになってて、
それがだんだん一つも今は回復していって、ようやくまた我々2人は仕事に行き、子供たちが保育園に行きという風なスタイルが再開できたよう、1ヶ月ぶりにという感じですね。
なんか疲れちゃったな本当。
なんですよね。
僕もね、そんなこんなで子供たちの感染症の対応のために休むのと、自分が感染症になったことによって休むのとっていうのが相まってね、もう有給ないんですよ本当に。
有給の残日数がなくて、子供の看護休暇というものが世の中には存在しておりましてですね。
小学生以下の子供が熱を出したり病気になったり予防接種に行ったりとか、そういうものものをするための休暇を子供1人に対し5回までとっていいよっていう制度があるんですね。
それは有給とは別個で。
なので、有給を残したままそういう子供の対応のために休んでもいいですよ。
ただし、給料は発生しませんよっていう制度があるんです。
今後、有給を使わざるを得ないタイミングがあと3回か4回かぐらい残ってるんですよ。
子供の保育園の関係とかでね。
なので、ちょっと最低限そこの回数は温存しておかねばならないなっていうふうなことで、
ちょっとこの子供の看護休暇というものが就業規則に乗っていて、
ちょっとその制度を利用させていただきたいんですけどっていうふうな話を持っていってですね。
で、たぶんあの感じ上司は知らなかったんでしょうね。
その制度。
なので、その制度が何なのかちょっと僕はよくわからないから、
事務方に聞いてくれって言って事務方に回されて、
事務に聞いたら、
ああ、そんな制度ありましたねみたいな感じで、
謝罪による精神的負荷
その制度の適用条件とかをね。
位置から調べられ、書類を出され、書類に書いて、うんぬんかんぬんみたいな感じで、
なので収入が下がるものの、
とりあえず有給を残したままなんとかの生きることができましたよというふうな感じ。
ですよ。
もう息も絶え絶え。
で、さあ、
その丸1ヶ月僕出たり、出たり戻ったり、出たり戻ったりみたいな状況を繰り返してたんですね。
半分出勤してなかったんじゃないかなぐらいに、
めちゃくちゃいっぱい休んだんですけど、
なんかその、
謝り疲れちゃった。
んですね。そんなことをやっていると、
そのこれこれこうでお休みいただきましてすいませんでしたご迷惑おかげひでしましたありがとうございましたというのを、
直属の上司にし、上の上司にもし、
僕がリハビリを担当している利用者さんたちにし、利用者さんたちのご家族にし、
まぁちょっと状況によってその利用者さんに関わっている他のサービスの方々とかにも謝罪をし、
で、その子供の看護休暇使いたいんですけどっていうふうな話を申し掛けたときに、
そういう、その制度の申請要件なんかをあれやこれやと確認していただいた事務方さんにもね、
すいませんちょっと余計な仕事増やしちゃって申し訳ないんですよっていうふうな謝罪をし、
もうなんか本当にね、もうこの1ヶ月間ずーっと謝り通しだったの。あらゆる人に対して。
もう会う人会い人条件反射的に、いやもうすいません、その説はご迷惑おかけしましてって言い続けてさ、
なんか何なんだろうと思ってね、ほんと。
なんか僕の人生単位で見ると別に悪いことはしてないと思うんですよ、言ったら。
なんていうのかな、僕の人生単位というか、そのマクロな視点で見ると、
別に僕悪いことはしてないと思うんですよ。
自分が感染症にかかったから休んだ。子供が熱を出したから面倒を見るために休んだっていう話だからね。
でもその仕事という観点で見ると、逆に悪いことしかしてないわけ、僕って。
突発的に休み、休んだことによって他の関連する方々への連絡を全部丸投げし、
それに対する埋め合わせとかもできずみたいなポジションになってるから、
マジで悪いことはしてないわけですよ。
謝ることそのものはしょうがないなというふうに思うんだけど、
それにしたってなんでなんだろうなって、これ多分前回も話したような気がするんだけどさ、
すごいね、すごいなんか弱ってましたね、精神的に。
すごいへこたれていた気がする、この1ヶ月間。
僕ね、ひたすら謝り続けなきゃいけなかったことによる精神的な負荷も今言ったような話であるんですけど、
それと同時にね、自分が仕事を休みました、相手なりに迷惑をかけました、迷惑をかけたことを謝りました。
正直ほぼ全ての人がね、事情を理解してくださって、
いやいやまあそれはしょうがないよね、大変だったねというふうに言ってくださったわけです。
なんだけど、なんか心のどこかにね、もっと罰されなければいけないのではないかみたいな、
そういう気持ちがあるなというふうなことに、この1ヶ月謝り通して気づかされたんですよね。
これなんか多分、僕昔からちょっとその気があると思うんですけど、
自分がいいとしてる、いいとしてないに関わらず、何かしらこう相手に迷惑をかけました、損害を与えました。
で、謝罪をしました。
ああいいよいいよ、こんぐらいっていうふうに言われました。
いやいいよいいよなわけないでしょう。
もっとなんか罵倒されてもいいぐらいのことを僕はやったと思ってますよ。
みたいな、そんな気持ちになっちゃうんですね。
だから、なんていうのかな、そういう怒られる、叱られる、悪態をつかれるとか、
そういうふうなリアクションが自分の謝罪に対して返ってこないと不安になるんですよね。
境界線への気遣い
今自分はすごい相手を気を使わせてしまっているのではないかとか、
自分に配慮してこの人は損害を受けて不快な気持ちを我慢してくれているのではないかとか、
これだけの損害を僕は与えたのだから、もっと罰されて叱るべきであるみたいなね。
そういう気持ちが心のどこかにあるんですよね。
多分これって、以前のエピソードで話題にした境界線、バウンダリーの部分の、
なんていうんだろうか、障害というか問題があって、そういう認識になっちゃってるんだと思うんですよね。
自分がいて、相手がいて、自分と相手の間の境界線が仮に1本だと仮定したとして、
自分が相手に対して何か迷惑をかけました、損害を与えましたというのは、
境界線が相手側に向かってゴリゴリゴリと出っ張っていって、
相手の領域を侵害している、削っている、みたいな、そういうふうな認識でこれまでいたんですね。
それに対して、謝るっていうことは、出っ張らせていった境界線を自分の側に引き戻して、
元あった中間地点に戻す、みたいな、そういう感じのイメージだったんです。
なので、出っ張らせた分境界線が戻ったからいいじゃないかっていう話なんだけれども、
いやでも、境界線は確かに僕が謝って許してもらって戻して、
ああよかったよかったかもしれないけど、
でもあなた、僕が境界線へに出っ張らせちゃった分のそこの凹み残ってますよね、絶対、みたいな。
相手にない傷を想定してしまうっていうのかな。
相手に、あなたはこういう傷がまだ残ってるはずでしょ、みたいなことを勝手に想像してしまうというのかな。
そういう考え方が根強く僕の中に今でもちょっといる気がするんですね。
で、自分と相手の間に境界線が2本引かれていて、
その境界線同士の間の中間地帯みたいなものが設けられているよというふうな状況だったときに、
一番最初の僕が熱が出ました、急に休みましたによって仕事上の役割を果たすことができませんでしたというのは、
結果的に相手の境界線を歪ませることがあるかもしれないが、
基本的には双方の境界線の間の中間地点に置かれる出来事なはず。
だと思うんですね。
だから、その境界線の間に置かれた僕が休んだ結果、仕事上の責任を果たせませんでしたよという出来事に対して、
相手はこんな出来事があって、こういうふうな迷惑がかかりましたよという。
僕は僕で、その中間地帯にある物事に対して、こうこうこうこうこういう事情でこうなってしまいました。
ご迷惑おかけしました。すいませんでした。
っていうふうなことを言う。
双方の境界線自体は犯されていない。
なので、ことが起きました、謝罪しました、いやいや全然そんなのいいですよ。
で、その中間地点に置いてあるものが片付いて、目指し目指しに、
正しい境界線、その正しく日本の境界線が引かれていれば、なるのではないかと思うわけですよ。
ちょっとなんか久しぶりに喋るから、全然頭の中で整理がされていないものを今吐き出しているので、
多分かなりわかりづらいと思うのだけれども、そこはちょっとご容赦いただきたい。すいません。
そうなんですよ。
その境界線、バウンダリーというふうな概念を知って、
自分が人であったり物事であったりに対して触れて、
自分が受け止める側、受信する側になった時に、
それによって何かストレスが生じるみたいなのは、前より明らかに減ったと思うんですね。
結構そこは気持ち穏やかにやれているような気がするんですけど、
逆に僕が発信する側になった時に、
僕が発信した言動行動が相手の境界線を障害するものではないっていう、
そこのイメージというか落とし込みみたいなものが、
なんとなくまだ自分の中でうまくいってないなっていうふうに思ったわけです。
この1ヶ月間、謝り続けの1ヶ月、耳を置いてね。
相手の傷を推測する能力
これってどうしたらいいのかなぁと思ってね。
なんで受信する方はうまくいくのに、発信する方になるとうまくいかなくなってしまうんだろうか。
うーん、わかんないんですよね。
これがね、効果不効か、時間だけは無駄にいっぱいあったので、
なんでなんだろうなーっていうことをずっと考えてたんですけど、
あんまりしっくりくる回答が自分の中に見つかってないんですよね。
なんでかな。
ただ、相手がこういう物事によって傷を負っているんじゃないか、
まだこんな物事によってのへこみが残っているんじゃないかみたいな、
そういうところに思いを巡らせる能力って、
割と今、理学情報士として働いている上では結構役立っているなと思うことを一方であってですね。
それは、ちょっとめちゃくちゃ話が脱線するんですけど、
我々の用語で、するADLとできるADLっていうような用語があるんですね。
ADLっていうのは、Activities of Daily Livingだったかな。
日常生活動作という言葉を省略してADLっていうふうに我々は呼ぶんですね。
さっき言った、するADLとできるADLというのはですね。
例えば、この人は何やかんや怪我をした人とかがリハビリを頑張ってしまったと。
リハビリして、前は浴槽の縁がまたげなかったので、自分でお風呂に入れませんでした。
でもリハビリ頑張ったんで、浴槽の縁をなんとかまたげるようになりました。
これで自分でお風呂に入れるようになると思います。
っていう人が仮にいたとして、この人はできるADLとして入浴ができるようになりました。
入浴が日常生活の中で行えるようになりました。という状況に今到達しました。
この方が日常生活の中でお風呂できるようになったから、もちろん入ってるんですよね。
いや、私は入ってないです。ということになったとする。
そうすると、この方は入浴をする能力はあるけど、日常生活で何らかの事情があってやってない。
できるADLとするADLの間に開きができてしまってるわけですね。
そこの開きを生んでいる要因は何なの?ということを考え、極力その差を埋めるような介入方法を新たに考える。
この人はできるはずなのになんでこれをやらないんだろうか。
こういう行動ができるはずで、かつそれを望んでいるような発言をしているにもかかわらず
でも日常生活では別にやってない。なんでなんだろう?みたいなことを想像するときに
相手の傷を推測する能力みたいなものが結構役立っているなというふうな気はするんですね。
能力面であなたはこういうふうな行動ができますよねって思っているだけで
実は浴槽はまたげるけど、でも浴槽から立ち上がれないんです私。
なので怖いからお風呂入らないんですっていう能力面での問題かもしれないし
はたまた能力的には問題ないけどそもそもお風呂に入る習慣がない人なのかもしれないし
家族との間のお風呂の順番の問題でなんやかんや揉めたりするのかもしれないし
お風呂の掃除がうまくされてないのかもしれないしとかね。
そういうことを色々考え極力解消する方向に動けるような動くわけですけれど
悪いことばっかりじゃないんですけどね。つまりは。
推測すること自体は悪いことじゃないけど、推測して相手に傷つけてるんじゃないかっていうのを勝手に推測をしてね。
しかも相手の言葉を信じずに。そこかな。
だから相手にこういう風な傷があるんじゃないかというのを推測すること自体は
良いか悪いかは別として、その能力として持っていることはそんなに悪いことではない。
が、相手が傷を負ったにせよ、いやいや大丈夫ですよ。大変でしたね。全然いいですよ。
という風に言ってきた時に、その相手の言葉を文字通り受け止める能力がない。
つーことなのかな。
相手の言葉を自然と信用してないのか。信用してないから、
いやいやこんな、自分がこんなことをしでかしておいて、この程度の言葉で済まされるはずはない。
何かしら要求されて、罵倒されて叱るべきであるみたいな、そういう発想に至ってしまうんだな。
何かの回路によって。きっとそうなんですね。
今、自分の中では割とこれがしっくりきている。
ってなると、その僕が発信した時の問題云々という風なことじゃなくて、結局やっぱりまだ受信する側が上手く働けてない。
つーことなのかな。
うん、そんな気がしてきたぞ。そんな気がします。
例によってちょっとだからなんだ案件ですけど、ちょっとまた自己理解が深まったかなっていう風な感じ。
わかんないけどね、合ってるかは。一旦ちょっとそういう方向性で捉えてみようかな。
うん、はい、そんな感じです。また、何か無駄にダラダラと長く喋ってしまったな。
何とか12月は平穏に過ごせるといいなぁ。
ポッドキャストウィークエンドへの参加
12月はあれですね、ポッドキャストウィークエンドがあるんですね。
皆様行かれますか?ポッドキャストウィークエンド。
12月の中旬ぐらいに下北沢のボーナストラックっていうようなところで開かれるポッドキャストのイベントがあるんですけど、行きたいですね。
今年は行きたいんだが、ちょうど妻が夜勤の入りなので、何とかうまく子供を連れて行って、かつ子供と一緒に楽しめないかなということを今漠然と思っております。
行くのはね、別に車乗っけて連れて行けないんで、行くのは行けると思うんですけど、子供が果たして一緒の空間にいて楽しいんだろうかという不安がだいぶありますね。
自分が好き好んで行きたいところに子供を連れて行くことのちょっとした罪悪感みたいなものが僕の中にあってですね。
これは子育て的な観念なのか、バウンダリーなのか、自分でもまだよくわかってないんだけど。
どっかでその壁を越えないと、いつまで経っても僕が制限されていると感じている状況みたいなものが変わらない気がするから、どっかで一発試してみたくはあるんだよな。
なので、ポッドキャストウィークエンド、もしも参加される方がいらっしゃって、かつ僕がうまく子連れで参加できることがあれば、うちのことを振り合っていただけるといいのではないかと思います。
そういう時代になりましたらご協力のほどよろしくお願いいたします。
ということでありがとうございました。
番組への感想、意見などなどは、番組概要欄のお便りフォームであったり、Xにハッシュタグ口物をつけてポストしていただきますと大々チェックしておりますので、とても嬉しいです。よろしくお願いします。
ではまた。ありがとうございました。
25:21

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