スナックもみじでのバイト生活
小島ちひりのプリズム劇場
この番組は、小島ちひり脚本によるラジオドラマです。 プリズムを通した光のように、様々な人がいることをテーマにお送りいたします。
また来てねー。 笑顔で手を振ると、千鳥足になった客は何度も振り返りながら去っていった。
大きなため息をつきながらお店に戻ると、 ママは、「お疲れ様。」と言ってカウンターからお水を差し出してくれた。
私はそれを受け取って、ごくごくと一気飲みをした。 「あはは、いい飲みっぷり。」とママは笑いながら、
「じゃあ、今日も頑張ってくれたモカちゃんに、今日のお給料です。」と言って、 チャブートを私に差し出した。
「ありがとうございます。」と私は大げさに頭を下げながら封筒を受け取り、 中身をちらりと見る。
茶色いお札が1枚と紫のお札が1枚、 緑のお札が3枚。
よしよし、封筒を持ってバックヤードに戻る。 ママはカウンターからホールに出て、残っていた食器を集め始める。
私はカバンに封筒をしまい、大振りのイヤリングやネックレスを取り始める。 「ママ、着替えたらやりますから置いといてください。」
ママは、「若い子はあんまり遅くまで引き止めるわけにはいかないからね。 今日はもう上がっていいよ。」と言う。
私は大急ぎで着替えてホールに戻ったが、 ママは、「大丈夫。明日も稽古だろ。今日は帰ってしっかり寝な。」と言い、
私を店から追い出した。 私がこのスナックもみじで働き始めてから3ヶ月が経った。
最初は水商売なんて親に合わせる顔がないと思ったが、 始めてみると今までのどんなバイトよりもしっかり稼げて辞められなくなってしまった。
1ヶ月のバイト代がだいたい19万円。 ここから国民年金約1万7千円、住民税3千円、
健康保険料1万2千円、 家賃が6万円、
劇団の団員費が1万5千円、 付き合いでだいたい週に1本芝居を観に行くから2万円、
残りが生活費の6万3千円。 なんとか生きていけなくはない。
でも、この生活をいつまで続けられるのだろうか。
劇団員のノルマとの対比
えっ、ノルマ代ですか?
そう、劇団員はチケットノルマがあって、 その枚数売れなかったらチケット代自分で払ってもらうから、
と制作の伊藤さんはニコニコしながら言った。 ちょっと待ってください、そんな話聞いてません。
だから、今話したでしょ?と、 伊藤さんはキョトンとした顔で言った。
団員費も月1万5千円も払っているのに、 どうしてチケット代まで払わなきゃいけないんですか?
文句があるならやめてもらってもいいんだよ。 君を受け入れる劇団が他にあるならね。
そう言うと、伊藤さんは言ってしまった。 先輩もノルマ払ってるんですか?
稽古場近くの立ち飲み屋で、 勝浦先輩にそう尋ねた。
先輩は、「俺?俺はノルマないよ。」と言って、 ハイボールをグビグビ飲んだ。
新人の時だけだよ。しばらくの辛抱だ。 そう言って先輩はタバコに火をつけた。
思いっきり吸って、思いっきり目の前に吐いた。 私の方にも煙が来て、とっさに目をつむった。
まあ、でもいいじゃない。女の子なんだし、まだ若いし。 先輩はそう言って、灰皿にトントンとタバコを叩いた。
どういうことですか? 女の子は男と違って、いくらでも稼ぎようがあるじゃない。
そう言って、私の顔を見て笑った。 芝居のためなら体売るぐらいの覚悟ないとやってけないよ、と先輩は言う。
私は無然とした表情でゆずみつサワーを口に入れた。 次の日、朝一で稽古場の掃除に行くと竹本先輩がいた。
早いですねえ、と声をかけると、 最後に稽古場に挨拶したくてね、と言った。
最後?と聞くと、 俺、劇団やめるんだ、と言った。
驚いていると、 ここにいると人として大事なものを失いそうだからさ、
金ばっかりかかるし、 と先輩は微笑んだ。
でも先輩はノルマはないでしょ? そう尋ねると、あるよ、と言われた。
ないのは上の2、3人くらいだよ。 チケット売れないくせに看板役者ってことになってるから、
伊藤さんが勝手に免除してるだけさ、と竹本さんは言った。 私が言葉を失っていると、
一生芝居やるんだって希望を持って入団したけど、 絶望しかなかったな、と
寂しそうに笑った。 芝居がない生活は寂しくないですか?
私が恐る恐るそう尋ねると、 俺はもう、もっと大切なものがあるから。
そう言って、 最後に勝手なこと言ってごめんな。
稽古、頑張って、と 稽古場を出て行った。
私は掃除用具入れからモップを取り出して、 ポロポロと泣いた。
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小島千尋でした。