最近僕も、皆様ご存知の通りひもなんですが。
ひもなんですが。
ひもをやらせていただいてるんですが、そうなんですよ。この間もちょっとひもをやらせていただきまして。
ひもってなんかお仕事みたいな感じですか?
お仕事というか、もう生き様であり方ですよね。
生き様ではありません。
あり方がひもなんですけど。
ひもを体現なさってきたわけですね。
ひもを体現、そうなんですよ。
そういう言葉も使わないぐらいの感覚にはなってきてるんですけど、あえて番組のたてつけ上、ひもをちょっとやらせていただいたっていうところなんですけど。
それで、ちょっと神社をめぐってきまして、四国のほうに愛媛か、愛媛に降り立って、そこから京都まで行くっていう、そういうルートで山も登ってきたんですね、何個か。
御岳山と鶴木山を登ってきて。
僕はこの中で本当に、ただついていくだけっていう。
ただついて行って、運転も何もせずそこにいるっていう。
そこにいるだけで、宿もあり、ご飯も出てくるという、そういう、本当に流れに身を任して、その旅に行ったんですけど。
本当に流れに身を任してるんで、全部その流れのままに、すべての神社とか山とか登っていくわけですよ。
最初は、いい流れだなみたいな、空気気持ちいいなみたいな感じで山登ってて、他にもお二方いて、山登ってて、
その中で、断崖絶壁の岩みたいなのが目の前に現れて、僕は、断崖絶壁だなみたいな感じで思ってたんですね。
そしたらそれを見つけたら、
僕は、もうサレンダーですから、基本的にはもう、みんなが登ると言うなら、私も登りましょうと。
って、2,30メートルあるんですよ。
断崖絶壁。
断崖絶壁って、何なんですか?
断崖絶壁って、
断崖絶壁って、
断崖絶壁って、
その、山の上に、
で、のぼったわけですよ。
で、2、30メーターあるんですよ。その段階設計。
で、まじで岩なんですよ。ロッククライミングの岩みたいな感じで。
ちょっとした大きい鎖もあるんですけど、その鎖と岩を本当の、階段とかもそんな整備されたものは何も特に、鎖があるぐらいみたいな。
で、たぶん手離したら死ぬんですよね。命綱もないから。
で、僕はその紐の流れに沿って、それをのぼりきったわけですよ。
最初の段階設計を2、30メーターぐらいある。
で、途中でそれをのぼりきって、で、もう1個段階設計出てきたんですね。
で、さすがにこれはもうのぼんないかなと思ったら、これもまたのぼる紐の流れになっちゃって。
それものぼったわけですよ、また2、30メーターぐらい。
これがまた本当に、足かける場所とかも途中なかったりして、これどうのぼんの?みたいな。
で、手離したら死ぬし、みたいな。
っていうので、もうね、ちょっとね、死ぬ?死ぬかも?みたいなのを、久々に体感覚で感じて、これは死ぬ?みたいな。
でもね、その瞬間に、なんか全部どうでもよくなった自分もいるんですよね。
まあ、死んでも、まあいいか、みたいな。
まあ、死んだとしても、子どもたちも、まあどうにかなるな、みたいな。
どうにでもなるな、みたいな気持ちになって。
で、逆にすごい落ち着いたんですよね、その瞬間。
そう、なんで、最初すんごい恐怖だったんですけど、もう途中から引き返そうかな、みたいな。
でも、引き返すもん、もう地獄なわけですよ、もう。
手離したら死ぬから。
それをちょっと体験して、初めてかな、たぶんこんな死をちょっと感じたの、登りながら。
なので、それを感じてね、なんで、その紐のあり方で、こう、
ちょっとこれ、この話ちょっとヒモフォワードと関連しないな。
この話の大枠はヒモフォワードなんですけど、そこの断崖勢一匹を登ったっていうところは、
なんか死というものの、生というこだわりすらも捨てた自分がちょっといたなっていう。
っていう感じ。
で、その途端に恐怖も特にだいぶ薄らいだっていう、っていう体験をしましたって感じですね、その山登りに関しては。
なんで、ヒモの流れに乗ってたらめちゃくちゃ怖い思いをしたっていう。
でもそれすらも、もう一段階ヒモレベルがアップした感じもあるなっていう。
それも流れだったんだなっていう感じですよね。
それすらも。
事前にね、もしそんな、まあそのヒモツアー、ヒモツアーって言っちゃいましたけど、
ヒモツアーの、まあおおよその場所どこ行くかとかは、たぶん知ってたと思うんですけど、
まあ山がね、それだけ結構過酷ですよみたいなものを、たぶん知らず、
何かのね、あのそんなに解像度は高くなく、こういったことによってそれが起きたのかなと思ってて。
ね、なんかそれはすごくこう、ヒモ的なあり方でヒモツアーにこう流れていったから、それが起きたんだろうなって。
事前にそういうのがあるって知ってたら、まだちょっとね、体験とかは違っていたですね。
そうなんですよ。知ってたら身構えちゃうからね、そのそれがくるくるくるっていう、ちょっと予想してるヒモが現れちゃうんで。
予想もせずもう、立ち現れるままに流れるのってっていうのは、まあ確かにその体験の中でありましたね。
うん。
そう。そうなのよ。
でもね、それではそれでね、うん。
あの、
肉体的なその死の恐怖って結構、その本当に、こう、本能に近い感覚だったと思うんですけど、
うん、あの、自分の中の総合警備保障さんが、死ぬかもしれへんで、
本当に大丈夫か?みたいな感じだったところから、
セコムが、そう。
そこからまあ、委ねたというのか、それもオッケーとしたのか、
それによって、あの、なんか恐怖っていうものがね、静かになったってお話ありましたけど、
なんかその体験を経た今、なんかこう、
輝き間の中で、こう、変化として感じているものとか、今にも持ち帰っているような感覚って、なんかあったりするんですか?
うーん、まあでも、この前回のミュウミュウの話ともつながるかもしれないですけど、
うん。
まあ、より何でも良くなってるっていう。
あー。
何でも良い質感は、あるかもなー。
うん。
なんだろうな、こだわりが本当にね、まあこれは、僕はもう紐になる前からそこまでこだわりはないんですけど、
うん。
より、その、まあそうですね、生死へのこだわりも、
どんどん瞑想修行を経て、そういう山も登って、薄れてる感じはありますよね。
うんうんうん。
うん。だから、そう、まじで何でも良いっていう。
うんうんうん。
ジャッジが本当になくなってきますよね。
うん。
うん。そうなんですよ。
うん。うん。
でも、この在り方があると、
うーん、でも平和ですよね。平和な質感でもあるんですよね、この在り方は。
うーん。
争いが、まあ前回の回の足田真奈ちゃんの質感とも近いかもしれないですけど、
うん。
うん。
もう目の前のものをただ受け入れて、
うん。
受け入れて、まあ認めるっていう質感でもないな、まあそのままそれを受け、受容してたら流れに乗るっていう。
うん。
そうなんですよね。なので、この在り方を紐フォワードしていきたいなっていう。
おお。
紐。
紐フォワード。
紐フォワードですよ。
紐ツアーの僕は、たぶん厳正的な視点で見ると、ただの紐なんですよ。
うふふふふ。
あいつまじで紐だな、みたいな。
うん。
でも、あ、で神社こういっぱい回って、
うん。
たぶん、まあその分、めちゃくちゃお祭銭でお金使ったんですよね、たぶん、今回。
うふふ、なるほどね。
この、こんなにお祭銭出したことないぐらい、お祭銭を各神社でして、
で、まあそれも要はその紐ツアーの中のその、いいバイブスをそのまま、
僕という筒を通して神社にこう、紐フォワードしてるみたいな。
はいはいはい、あーなるほどね。
お金というエネルギーを。
はいはいはいはい。
っていう質感だったんで、なんか僕としてはなんか、なんだろうな、まあ厳正的な視点だと紐だけど、
そのエネルギーはちゃんとこう、違う形でこう、還元されてるというか。
うん。
うん。
みたいな、紐フォワードをしてたっていう感じ。
おー、じゃあ、紐フォワードのあり方にも気づくことになった、紐ツアーだったわけですね。
うん。
そこの認識が全員揃ってると結構、いい世界になるんじゃないかなーと思ったり。
例えば僕の父とかだと、もう紐ギブバックな人なんで。
紐ギブバック。
ギブバック、まあこう、戻せと、与えたものは返せみたいな。
あー、ギブアンドテイク的な感覚ですか。
そうそう、ギブアンドテイクなんで完全に。
ギブアンドテイク。
そう、そういう認識、全人類がその認識だと多分こうね、
うまく歯車が回んないと思うんですよね。
与えて返して、そこで全てが完結して、こう。
そう、そのギブアンドテイクの質感って、相手は自分、自分は相手って感じなくて、やっぱ自分は自分って質感だと思うんで。
自分が与えたものは自分に戻ってこいみたいな。
そういった意味でも、やっぱ紐フォワードな質感が全人類が持つのはすごい大事だと思うんですよね。
そうすると、この与えてる側も、この人はおそらく紐フォワードしてくれるから、いい世界になってくれるなみたいな。
っていう、紐フォワードの安心感がある気がするんですよね。
うん、うんうん。
なんか、あの、私もちょっとこう、今聞きながら浮かんできたことで、ちょっとこう、
うーん、自分の実体験としては結構これから自分の中で理論化していくものなんですけど、
はいはいはい。
エネルギーとして見るみたいな話なのかなって思っていて、
で、お金も多分そうだと思うんですけど、まあ応援というエネルギーとか、
何かしてあげたいみたいなものもそうだと思うんですけど、
あの、なんかそのお金はなんか従来っていうか、結構物理世界の中だとなんか、
誰から支払われたものとか、出元が誰で、その先は何で、みたいなものって結構、
なんて言うんだ、問われるというか重視される、けれども、
あの、ワンレス的な世界観って、結構その出元が誰とか、行き先が何みたいなものってあまり問わない感じがしているんですよ。
単純に、そこにエネルギーが集まったみたいな感じなのかなっていう気がしていて、
そのエネルギーを、何という手段で、出されているのか集まっているのかが、まあちょっと違うっていう感じなのかなって気がしているんですよね。
なんか、そういう感じを受け取っていて、そのエネルギーがその結果的に、やっぱりもうそこにエネルギーというものは発生しているから、
またそのエネルギーがね、何かしらの形で繋がっていったりとか、発生していったりは多分するんだと思うんですけど、
なんかね、結構この考え方が、ひもフォワードとか、ひも的なあり方とかにもすごく通じてくる感じがしていて、
ちょっとね、最近エネルギーの質量保存の法則的なものをね、ちょっと私の中でプチブームになっていて、
ちょっと深めているところだったので、そんな、そこがちょっと私の中では結びつきました。
うん、まさにそうですな。エネルギー。エネルギーですよ。エネルギーの循環。
ひも、ただひもとしてあるっていう表現ではあるけれども、でもジバとして自分もそこにジョインしているっていうこと自体がエネルギーを払っているというか、
投下しているっていうことだと思うので、この視点って結構大事なのかもなーって聞きながら思いますね。
確かに、そのエネルギーによってその場の質感であったり、現れてくることも変わりますもんね、その人のエネルギーで。
いる、いないではね、絶対に起こることとか、物語のシナリオは分岐しますもんね。
いや、しますよね。確かに。それはね、分岐しますね。
うん、だからなんか、あのー、ちょっと言語がむずいんですけど、あのー、なんかこのひもツアーにぜひ参加してほしいとか、
してほしいって思ってもらっているっていう時点で、あのー、
やっぱこう、エネルギーを放っているというか、私ちょっと好きなセリフの中に、あの好きな漫画のセリフの一つに、
あのあれなんだっけ、呪術回戦、呪術回戦の、まあネタバレにならない話なのでいいかと思うんですけど、
スクナっていうやつがいるんですけど、スクナっていう、まあ、
強いやつですね、まあちょっとテキポジ寄りなんですけど、スクナのセリフで、なんか俺たちは強いというだけで、
あのー、世界に愛を返しているとか愛されているみたいなセリフがあって、なんか、そういう形でこう、
うん、なんかね、こう、エネルギーをこの人に対して支払いたいとか、
まあ、そういうふうに思わせるっていうこともある意味、こう、自力だよなーとか、うんうんうん、
なんかすごいそういうことを感じました。
はいはいはい、確かにね。
いるだけで、あるだけで、みたいな、ある意味その、あり方に支払われているのかもしれない。
うーん、確かに、そのあり方でいることで、
自ずと、いいシンクロが起こって、
いいエネルギーを、まあ、
無意識に、こう、繋がり、新しい繋がりなのか、シンクロの中で生まれた新しいアイディアなのかっていうところで、
自然とね、循環したり、返してしまったりすることもありそうですよね。
うん、うん、ね、
意外とだから、
すでにね、その一緒に同行していた方も、何かを受け取って、輝きマンがいることによってね、
あの、いたからこそ何か、受け取っているものがあったりとか、
すでにもう、循環が起きてもいらっしゃったのだろうなぁ、みたいな。
うん、うん、
それは、時間軸はその時かわからないですけれども、もしかしたら、お弁儀場の過去すべてに受け取っているのか、未来受け取るっていうことをもう予期しているのかとかもあると思うんですけど、
確かに確かに。
エネルギーとして見てますよね、これもまた。
そんな気がしたな。
確かにな。それはそうだね。
でも本当に結果への執着っていうのはすごく個人的には負に落ちましたね。
前回の放送でも同じ結論かもしれないですけど、やっぱり結果、
執着すればするほど人はヒモじゃなくなってきますね。
ヒモみたいに自由に揺れることを許せないですからね。
この体勢じゃないとみたいな。
確かに。そんな芸人いましたね、段ボールに。
なんか最近の芸人。
この形のこの状態じゃないと嫌だってことですもんね。
それは
それやりたかったら全然いいっていう上で、
受け取るものはやっぱちょっと限定される、されますよね。
その形じゃないと受け取れないから、
まさにこう自分の想像とか期待からはみ出ているものは、
受け取ることができないっていう世界観ではあると思います。
確かに。
だから今ちょっと話して思ったのは、
ヒモではない世界観って、
ちなみに今想像しているペルソナーは過去の自分なんですけれども、
欲しいものをお金を払ったら買えるっていう成功体験を積んでいると、
結構そういう感じになるかなと思っていて、
欲しいものを手に入れるみたいな世界観。
これは欲しいものが規定されているからそこにめがけてって感じですけど、
ヒモフォワードはちょっとイメージは便宜上逆な感じで、
エネルギーを注いでいた結果、
いつどのタイミングでどんなものを得るのかはよくわかんないけども、
ベストのタイミングで、
ハテナみたいなもののプレゼントボックスが入ってくるみたいな感じ。
でもそうですね。
最近そんなことばっかりですわ。
多分その中身もタイミングもシチュエーションも何でもいいっていう風にしているから、
何ならいつ入ってきているのかすらわからないというか忘れちゃってる。
思い返してみるともしかしたらここがつながってるかもなとかが出てくることもあれば、
わからないままわからなくてもいいという前提で進んでいったりとかすると、
すごく紐の在り方ではある。自由に揺れてられる。
確かに。
そんな気はしますよ。
そういうときはやっぱり在り方が全てっていう感じになってきますね。
そうですね。
在り方は結果でもないし、
執着でもこだわりでもないし、
ただそういう紐的な在り方を体現してると、
いいエネルギーが回って、
そのハテナのボックスが勝手にどっかのタイミングでやってくるっていう。
でもそれすらもこだわってないから別に何でもいいっていう。
その在り方に何かしらの形でエネルギーが吸い寄せられていくんでしょうね。
ぴゅーって。
確かに。
そうなんです。
これ僕もまだ紐初弾なんで、
ハテナのボックス、多分マスターとかになると、
ハテナのボックスがもはや見えてる感じもするんですよ。
なるほどね。