本能寺へんからひもにつながっていきます。
すごいな。
自己不信の状態って、言ったら私はひものあり方と結構対極にあると思っていて、
自己不信は、それこそ、自分自身にいつねこみを襲われるかわからないから、武装するしかないみたいな状態だと思ったんですよ。
いつかこやつ、過去私ですけれど、いつかこやつは裏切るかもしれないとか、
あけちが?
あけちがそう。
うちなる信長とあけちと秀吉とかいろいろいるんですけれど、
裏切るかもしれないものに、やっぱり過去の経験からずっと続いてるんですよね。
それもまた言い悪いをこえてだと思うんですけれど、
助けてくれないかもしれないとか、一緒にいてくれないかもしれない、叶えてくれないかもしれないって、
一番リラックスしたときに、襲われるんじゃないかっていうリスクを抱えてるようなものだなと思ったときに、
ねこみを襲われるようなものじゃないか、もしかしてセルフ本能寺のへんじゃない?みたいなことを、
昨夜、私の中のユーモアという神が、あの言葉を授けてくれまして、セルフ本能寺のへんっていうかたちで、
これが、じゃあ、真反対、自己不信っていうものから、ちょっとずつでも自己信頼というか、
自己の中、内側の中での統合とか和合が進んでいくと、感覚的には、私は絶対私のことをなんとかするっていう感覚だとか、
あとは、どんなことが起きたのか、別に嫌なこと、不都合だなって思うことが起きないわけではないと思っているので、
そういうことが起きたとしても、私は最優先に私のことをちゃんとレスキューするとか、
私のことを一番に味方するとかね、他者に嫌われたくないみたいな感じで、自分をちょっと無意識に譲って、他者を優先しちゃうみたいなものとはまた反対の感覚で、
それって最終的には、もう安心して自分っていうことにくつろいで委ねて、この世界でへそてんして寝ていられる状態だと思ったんですよ。
なるほど。
これは紐ではありませんか。
もう委ねてるよね。もうへそてんしてるもんね。
へそてんしてるんです。
もう時間帯、タイミング、状況、場所、すべて関係なく、すべてを自分の寝室のような環境にしていって、へそてんしてるんです。
私のイメージする自己信頼っていう状態は。これ紐ですよね。
紐です。それは紐です。
はい。なので、セルフ本能寺の編から自己の統合とか和合を進めていくと、紐になると思いました。
唐突な拍手。
これは昨日思いついちまったんですよ。
なるほどね。セルフ本能寺の編はどうして発生したの、今回。
セルフ本能寺の編は、何かね、この数日前に、ふとですよ、何かトリガーがそのタイミングであったわけじゃなかったんですけど、
私は自分自身の本音に気づくのが怖いっていう感覚がまず出てきたのと、
本音も含めて、自分の感情を私自身が全部受け止めきれるのか、という自信がないっていう自分に気づいたんですよ。
で、ちょっとそれをね、内観というか、実体はセルフでヒプノセラピーをした感じなんですけれど、
もう私の中の、まず男性性的な存在が、それを受け止める自信を失ってたんです。
それこそ寂しいとか、いろんな感情を外に求めているものを、自分に聞いてもらいたかったんだ、の派生になるんですけれど、
1ヶ月前ぐらいに、私は自分の感情を全部、最終的には引き受けていくんだ、責任を持つんだって決めたんですけれど、
どれほどのものが出てくるか分からないみたいなふうに感じちゃって、
なんか、引き受けるよ、大丈夫だよって言えない自分もいたんです。
それが、私の中の男性性が抱えていたけれども、言えなかった、ちょっと言ったら痛み、傷つきですね。
で、また女性性は女性性側で、こんな自分、ちょっと無意識の中で認めたくなかったような自分の要素、
そんな自分でも受け止めてもらえるのか、不安でたまりませんみたいな、
それぞれの男性性と女性性の、嘆きみたいなものとかが出てきたときに、なんか結構、わーって涙が出てきて、
で、その数日後にも、もう理由は分からないし、トリガーも特にないのに、また涙がブーってすごい出てきて、
たぶん、理由は分からないし、結果的には何でもいいなって感じなんですけど、
たぶんそのときは、とりあえず泣きたかったんだろうなって感じがあって、夕日がきれいとかでも泣いてたんで、
きれいすぎて泣いてくるみたいなこととかを一人でやらせてあげたんですよ。
素晴らしい。
でしたら、なんかね、これもまた、何かがスーってすごい終わってったんです、私の中で。
結構、なんかね、深いものが終わってった体感があって、
へー、だいぶ泣いたんですね、じゃあ。
泣きましてん。泣きましてん。
だいぶね、脱水症じゃないそうな。
ほんとに水分もグビグビ飲みましたよ。
車運転してたときだったんで、これは一回ちょっと止まったほうがいいみたいなぐらい。
泣きまして、何かは分かんないし、分かんないままでいいなっていう上で、
私の中での何かの統合・和合が起きたなって、私的には感じたんです。
最初のときには、自己不信と自己信頼のメタファーです。
はいはいはい、自己不信、自己信頼ね。
あしなまなちゃんも似たようなこと言ってたよね。
え、まなぴーも?
まなぴーも言ってんのは。
まなぴーなんか言ってたよね、信頼とかの話。
あ、そうなんだ、ちょっとググる。あ、信頼名言。
そうそう、あ、これだ。
その人のことを信じようと思いますって結構使うと思うんですけど、
それってどういう意味か考えたときに、その人自身を信じてるのではなく、
自分が理想とするその人の人物像に期待してしまってることなのかと感じます。
あ、そうそうそうそう、そうですそうです。
だからこそ人は裏切られたとか期待してたとか言うけれど、
それはその人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。
その見えなかった部分が見えたときに、
それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるということが、
信じることなのかと思います。
まなぴーはもしかしたらあれかもですね。
まなぴーやばいですよね。
高校生でイエスキリストとか聖母マリアだった説ありますね。
高校生でここまで感じ切れるってすごいことですよね。
これはあれですよ、高校生の革をかぶった魂長老ですよ。
まなぴー、いろんな人が言ってるイメージとかの影響を受けているのも否めないと思うんですけど、
小さかった頃から、何て言うんだろう、
老けて見えるとはちょっと違うんだけど、ものすごい成熟した大人にずっと見えてるんですよね。
確かに、小さい頃からね。
私よりも全然エルダーだな、みたいな。
確かに。
今の信頼という話もまさにです。
裏切られたみたいなものは、自分がその人に対してこうであってほしいという期待に裏切られたみたいなことで、
これもまた信じてたのに、みたいな。
信じてるって言ってるときは絶対に裏切られると、私は思っているので、
信じなくていいっていうのが理論です。
いやー、そう思いますね。
信じる信じないという、二項体のそこの対立の話じゃもうないですよね。
そこのあるがままを全て受け入れるって目の前にあるもの。
そうです、そうです。
で、それが信じたくなっちゃうとか、あるがままを受け入れられないみたいなときは、
まあ、期待したい自分がいるっていうことも、それはそれでOKだなってまず思っているのと同時に、
自分自身のあるがままを受け入れてないから、それが起きるだと思ったんですよね。
自分の中でこんな自分は嫌だシリーズがあるから、だからあれなんです。
あの、セルフ本能寺の変が起きるわけです。
起きますね、それは。
はい、だから結構、私が自己統合こそが本当に最優先で自分のためにやっていきたいなって思ったことは、
結構本当に大事なことだなって思っていて、
ちょっとここからは話少し派生しちゃうんですけれども、
今実験的にやっているのは、現実で起きている出来事って結果論だと思うんですよね。
その時起きたことをもう変えられない、
何かしらのね、もともとの自分の中の価値観とか観念に基づいてピューって表出しているものだと思っているので、
自分の中での自己統合とか、
イメージとかそういったものに最優先で時間を注いでいった場合、
現実はどう展開するのかっていう実験シーズンに今入っていて、私が。
5月はちょっとそういう時期になっていきそうです。
割と現実を何とかするみたいなものは全ストップしていて、
やりたいとか、楽しそうみたいなものは動くんですけれど、
そうでない場合は、自分との統合、分かち合い、和合を最優先するっていうのをちょっとトライアルしてますね。
結構、現実的には一見、今自分は若干追い込まれているみたいな風にも言える状況なんですけど、
相変わらず謎の富豪感って呼ばれているので、
ちょっとそのマインドのままいこうと思いました。
富豪を先取りしてるっていうね。
そうなんですよ。
未だにやっぱ言われます。
謎の金持ちの占い師ってすごいなんか言われてて。
やっぱみんながね、そういう素晴らしいイメージング、アファメーションを集合無意識から入れてくれてるんで。
じゃあ、セルフ統合とかイメージングだけやってよっかなみたいな風に。
これもある意味自分の人生を通じての実験なんですが、
直感的にそれがすごい近道っていう感覚があるので、トライしております。
ひもっぽくなってきたでしょう?
なってきたね。ひもらしく、だんだん。
もうね、リスナーの皆さんもね、ぜひ私のここまでのひもとしての成長日記ですから、このラジオはマジで。
本当に我ながら素晴らしい成長をね、気づけば辿っておりますよ。
カテゴリー占い師なんだね。周りからのアファメーション。
いやなんかね、これ結構人それぞれなんですけど、占い師って言ってるのは、特定のとある友達なんですけど。
それ以外だとね、言われるのは、宇宙人枠、宇宙人、ひも。
ひもは輝きまんの思想を知ってる人からしか言われてないけど、あと占い師とか。
でもあとは、最近はわざわざはあんま言われてないけれど、ただアーティストみたいなとか。
でもだんだんなんかそういう表現のラベルもあんまりなくなってきたような気がしました、今あげてみて。
こんな感じかも。
まあ私自身も、何でもいいやって、人に説明する機会も今ないから、何でもいいやってしてます。
好きなように認識してくださいって思ってますね。
いいですね。ひもですよ、そこまで来ると。何でもいいっていうね。
なんかね、やっぱその、自分の中でのこうでありたいみたいなものとかが薄れてくると、何でも良くなってくるんですよ、本当に。
どっちでもいいけど、みたいな。
こだわりがね、なくなっていくような、なんだろうな。
そう、だから、たぶんこれは結果とかアウトプットに対する執着がなくなってきたってことなのかなって捉えてるんですよね。
確かに。
だからこそ、自分でこう規定しないじゃないですか。
私のアウトプットは、もしくは求めるものは、この星型のクッキーです、みたいなことを規定しないから、
マジで一番ベストな形になるというか、自分の想像もすらも超えて。
だから、私結構まだまだね、私も未熟者ですので、期待がないわけではないです。
こういう形がいい、みたいな自分ももちろんいて、その場合は、この形がいいって思っている自分を認めつつ、
でも同時に、結果の執着から解かれて、想像も超える形で、超ベストなものが入ってくることも同時にOKしておくみたいな。
ってなると、ここの争いもなくなるので、ものすごい自然なタイミングと流れと形になるのがすごいヘルシーだなって感じましたね、それは。
いいですね。
ちょっと進化しすぎちゃったかな、最近。
確かに、だいぶ初弾なんじゃないですか、もしかしたら。
あ、ついに。
初弾だ、初弾。
初弾されたんじゃないですか。
確かにね、なんか、お金の心配とかそういうものの概念がなくなってきたとき、初弾かなみたいなことをなんか前聞いたようなうっすら記憶があって、
なんかもう、どうせ生きていけるしな、みたいな感じになってるでしょう、だーんって言われた気がするから、近づいてきたかも。
そう考えると、私のさっきお話しした、現実外側のことをいじるよりも、
内面のところの方が一気にワープする説は、ある意味ね、証明しつつあるかもしれないですね。
はい。
確かに。
これがセルフフォルジュの辺。
フォルジュの辺ね。
いろんなピースが紐への階段を登ってる感じを演出してますね。
確かにこういう、ちょっとこう、スパイラルアップしてるみたいなね。
スパイラルアップね、そうそうそう。
あのちょっとビジネス界隈で言われるやつね、久々に言ってみますけど。
そうそう、みたいなね、はいはい。
まずね、ビジネスの世界で働いていたのが、言ったら一応3月まではやってたんですけど、
これももう、
そうだったんだ。
前世、マジで。
前世。前世でした。
前世になりました。
あのそこも、私の中では、今このタイミングでは少なくとも、今このタイミングではちょっとこう、
ご縁しないっていう風にも決めたから、ビューって。
なるほどね。
はい、ちゃんと、なんか、自分の資質のど真ん中を生きるみたいなことも決めたから、
そうじゃない、そうじゃない、まあちょっとやったらできるかなみたいな、
言ったらこう自分の中で9割ぐらいのものは全部もう、世界にお返しするみたいな、
他に得意な人やりたい人にお任せて、
私は私が本当に楽に自然にやっちゃうところだけやるっていうのも決めたから、
結構それもひも的だなって感じてます。
いいですね。
引き上がってきました。
引き上がってきましたね。
じゃあ一回最初のセルフ本能寺の編をちょっと締めましょうか。