1. 超実践的ヒモ理論〜ポスト資本主義の生き方〜
  2. #15 セルフ本能寺の変 〜内な..
2025-05-13 36:00

#15 セルフ本能寺の変 〜内なる統合への旅〜

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セルフ本能寺の変 / 自己不信 / 内なる声 / 男性性と女性性 / 涙の統合 / 信長と明智 / 本音に気づく / 自己信頼 / へそ天 / 二項対立


ミュウミュウが持ち込んだこのテーマは「自己不信」の状態を表す独自のメタファー。内なる声を外の誰かに満たしてもらおうとする心理から、真の自己信頼へと向かう道を語ります。ミュウミュウは最近、自分の感情を全て受け止めきれるかという不安を内観し、内側の男性性と女性性の統合を図ってきた体験を共有。突然の涙とともに何かが「終わっていく」感覚を味わい、問題視していたものがそもそも問題ではなくなるという変化を体感しています。信長と明智の関係に例えながら、「信じよう」とすることで生まれる「疑い」という対立から、単に「あるがまま」を受け入れる次元へと移行する内的プロセスを紐理論と結びつけて解説しています。


▼番組概要:

宇宙と人類をこよなく愛する「コズミック対話」のクリエイター2人がお届けする、人類の意識を拡張するチャンネル。「なぜクリエイターに宇宙的視点が必要なのか」「意識の本質」など、従来のビジネス書や自己啓発本では知覚できない宇宙的叡智と創造の真理を、起業家、クリエイター、アーティストのリアルな深層体験を通じて紐解いていきます。気づけば細胞レベルで意識がアップデートされちゃう、新感覚・宇宙的クリエイションプログラム!毎週火曜夜配信。

▼番組ハッシュタグ:#超実践的ヒモ理論

▼体験談、質問、MCへのメッセージはこちらまで

⁠https://forms.gle/AzkJAE8XhUiFw1Jx6⁠

▼パーソナリティ

須藤美幸(ソーシャルシャーマン/宇宙人):次元を超えた対話を通じて、見えない世界の真理を遊び心たっぷりに解き明かすナビゲーター。時に笑い、時に深く静まりながら、リスナーの意識を新たな領域へ誘う。実態はただのヒモ。

⁠⁠https://chikyuyuei-from.space/⁠⁠

河畠輝(空クリエイター/宇宙人):抽象と具体の行き来でメタ認知を促す思想家芸人カガヤキマン。経営、スタートアップ、エンジェル投資の経験と深い瞑想実践から得た洞察を活かし、論理と直感の調和を体現する。実態はただのヒモ。

⁠⁠https://x.com/kagayakimann⁠

サマリー

エピソードでは、セルフ本能寺の変をテーマに自己不審や自己信頼のプロセスを探求しています。内なる男性性と女性性の対話を通じて、自身の感情を受け止めることの重要性について語られ、最終的には自己の統合へと進む様子が描かれます。このエピソードでは、セルフ本能寺の変を通じて内なる統合について考え、信じることと疑うことの関係を探っています。また、自分自身の役割を見つけるために自己信頼と自己不信のメタファーを用い、現実との向き合い方について実験を行っています。さらに、自己不信や認めたくない自分を解放し、内面的な成長を促進する方法についても語られています。内なる統合への旅がどのように次元上昇に寄与するかを探る内容も含まれています。

自己不審の理解
超実践的ヒモ理論〜
ソーシャルシャーマンのミュウミュウと
空クリエイターの輝きマンです。
抽象画とヒプノセラピーで無意識の扉を開くストーと、
テクノロジーと瞑想体験で人類のメタ認知を促す河童が、
スピリチュアルな実体験と現世での気づきからリスナーの意識を拡張しちゃうそんな番組です。
はい、第15回。
テーマは、セルフ本能寺の変。
普通になりま〜す。
イエーイ。
セルフ本能寺の変。
はい、セルフ本能寺の変は、私からの持ち込みでございます。
もう、信長しか思い浮かばないですよね。
パッと聞いて。
そうです。まず、まさにそうなんですよ。まさにそうなんです。
まさにそうなんだ。
あのね、セルフ本能寺の変は、要は、あのね、自己不審の状態です。
自己不審の状態は、セルフ本能寺の変が起きてるなと思ったんですよ。
なるほど、自己不審。
もうちょっと言うと、最近感じたのが、自分の中の内なる声として、
例えば、傷ついたとか、悲しいとか、こいつがムカつくとか、いろんな声があると思うんですけれども、
私もそうなんですけれども、結構それを外の誰かに何とかしてほしいって、
小さい頃だったらね、親とかにしてもらいたかったけれども、できなかったみたいな体験とかが続いて、
大人になってからも、誰かにそれを求めているっていうことは、これは全然、そもそも悪いとかいいとかっていう話じゃなく、結構あると思うんです。
私もそういうことがあるなって感じていて、
でも、これってさらに元をたどっていくと、
自分にそうしてもらいたかったけれども、自分からそういう一緒にいてもらいたいとか、話を聞いてもらいたいみたいなものをしてもらえなかったものが膨れ上がってそうなっているのが、
ざっくり今回はくくると自己不信だなと思っていて、
これちゃんとちなみに先に言ったの、ひもにつながっていきます。
本能寺へんからひもに?
感情の受け入れ
本能寺へんからひもにつながっていきます。
すごいな。
自己不信の状態って、言ったら私はひものあり方と結構対極にあると思っていて、
自己不信は、それこそ、自分自身にいつねこみを襲われるかわからないから、武装するしかないみたいな状態だと思ったんですよ。
いつかこやつ、過去私ですけれど、いつかこやつは裏切るかもしれないとか、
あけちが?
あけちがそう。
うちなる信長とあけちと秀吉とかいろいろいるんですけれど、
裏切るかもしれないものに、やっぱり過去の経験からずっと続いてるんですよね。
それもまた言い悪いをこえてだと思うんですけれど、
助けてくれないかもしれないとか、一緒にいてくれないかもしれない、叶えてくれないかもしれないって、
一番リラックスしたときに、襲われるんじゃないかっていうリスクを抱えてるようなものだなと思ったときに、
ねこみを襲われるようなものじゃないか、もしかしてセルフ本能寺のへんじゃない?みたいなことを、
昨夜、私の中のユーモアという神が、あの言葉を授けてくれまして、セルフ本能寺のへんっていうかたちで、
これが、じゃあ、真反対、自己不信っていうものから、ちょっとずつでも自己信頼というか、
自己の中、内側の中での統合とか和合が進んでいくと、感覚的には、私は絶対私のことをなんとかするっていう感覚だとか、
あとは、どんなことが起きたのか、別に嫌なこと、不都合だなって思うことが起きないわけではないと思っているので、
そういうことが起きたとしても、私は最優先に私のことをちゃんとレスキューするとか、
私のことを一番に味方するとかね、他者に嫌われたくないみたいな感じで、自分をちょっと無意識に譲って、他者を優先しちゃうみたいなものとはまた反対の感覚で、
それって最終的には、もう安心して自分っていうことにくつろいで委ねて、この世界でへそてんして寝ていられる状態だと思ったんですよ。
なるほど。
これは紐ではありませんか。
もう委ねてるよね。もうへそてんしてるもんね。
へそてんしてるんです。
もう時間帯、タイミング、状況、場所、すべて関係なく、すべてを自分の寝室のような環境にしていって、へそてんしてるんです。
私のイメージする自己信頼っていう状態は。これ紐ですよね。
紐です。それは紐です。
はい。なので、セルフ本能寺の編から自己の統合とか和合を進めていくと、紐になると思いました。
唐突な拍手。
これは昨日思いついちまったんですよ。
なるほどね。セルフ本能寺の編はどうして発生したの、今回。
セルフ本能寺の編は、何かね、この数日前に、ふとですよ、何かトリガーがそのタイミングであったわけじゃなかったんですけど、
私は自分自身の本音に気づくのが怖いっていう感覚がまず出てきたのと、
本音も含めて、自分の感情を私自身が全部受け止めきれるのか、という自信がないっていう自分に気づいたんですよ。
で、ちょっとそれをね、内観というか、実体はセルフでヒプノセラピーをした感じなんですけれど、
もう私の中の、まず男性性的な存在が、それを受け止める自信を失ってたんです。
それこそ寂しいとか、いろんな感情を外に求めているものを、自分に聞いてもらいたかったんだ、の派生になるんですけれど、
1ヶ月前ぐらいに、私は自分の感情を全部、最終的には引き受けていくんだ、責任を持つんだって決めたんですけれど、
どれほどのものが出てくるか分からないみたいなふうに感じちゃって、
なんか、引き受けるよ、大丈夫だよって言えない自分もいたんです。
それが、私の中の男性性が抱えていたけれども、言えなかった、ちょっと言ったら痛み、傷つきですね。
で、また女性性は女性性側で、こんな自分、ちょっと無意識の中で認めたくなかったような自分の要素、
そんな自分でも受け止めてもらえるのか、不安でたまりませんみたいな、
それぞれの男性性と女性性の、嘆きみたいなものとかが出てきたときに、なんか結構、わーって涙が出てきて、
で、その数日後にも、もう理由は分からないし、トリガーも特にないのに、また涙がブーってすごい出てきて、
たぶん、理由は分からないし、結果的には何でもいいなって感じなんですけど、
たぶんそのときは、とりあえず泣きたかったんだろうなって感じがあって、夕日がきれいとかでも泣いてたんで、
きれいすぎて泣いてくるみたいなこととかを一人でやらせてあげたんですよ。
素晴らしい。
でしたら、なんかね、これもまた、何かがスーってすごい終わってったんです、私の中で。
結構、なんかね、深いものが終わってった体感があって、
へー、だいぶ泣いたんですね、じゃあ。
泣きましてん。泣きましてん。
だいぶね、脱水症じゃないそうな。
ほんとに水分もグビグビ飲みましたよ。
車運転してたときだったんで、これは一回ちょっと止まったほうがいいみたいなぐらい。
泣きまして、何かは分かんないし、分かんないままでいいなっていう上で、
私の中での何かの統合・和合が起きたなって、私的には感じたんです。
自己信頼と統合
そういう感じで、私、自己不信をしてるんだなっていうことに気づいたのも割と最近。
そういう感覚だったんだなと思ったし、そこからどうやったら自己信頼、自分に信じてもらえるんだろうっていうことを結構絶望的に感じてたところから、まず始まって。
で、ちょっとずつこうやって聞いていくことが、繰り返されることによって、
私は私から絶対に離れないなみたいな体験を多分積み重ねていくのだろうと思ったときに、
今の状態って、私って一番1日の中でリラックスしているとか、安心を感じている瞬間って寝る直前なんですけど、
そのときに殺されるかもって思ってるようなものが自己不信なんだなってふと思って、
そこから、え、セルフ本能寺の変っていうのは、もう神から授かりました、フレーズは。
こればっかりはちょっとね、私の中のゴッドオブユーモアが一気な儚いをしてくれました。
なるほどな。降りてきたんですね。
降りてきました。ちょっとね、このハイライトはこの数日なんですけど、だいぶ結構表向きには地味かもしれないが、内側ではだいぶ振り返ってみると大きな出来事がありました。
それに気づいて、今はセルフ本能寺の変を経て、そこは統合されたんですか?
そうですね、はい、なんか、そうだな、感覚的には、統合の始まりを、始まりのイニシエーションをしたのかなって感じで、これで統合しきったとかはちょっとわかんないんですけれども、
なんかね、私の中でいくつかの、決めたんだなって感覚はあるんですよ。
こういうことは、これからの私のスタイルではもう選ばないとか、
こういうふうにしていこうって、なんて言うんだろうな、決めたっていうか、気づいたらもう決めてたみたいな、スッていう感じ。
で、なんか、ちょっとね、まだ言語化は難しいところも多々あるんですけれど、なんかね、体感的にはエネルギーが明らかに変わったなって感じはしています。
で、なんか、私は私のことを裏切るのか?みたいなこととかの、信じよう、いや、疑っちゃってるみたいな、その概念の素性にもういない感じはあります。
それはどっちでもいいし、気にしてないっていうか、そこの問題視してたものが、そもそも問題じゃなかったというか、問題が終わってるみたいな感じですかね。
なるほどね。
たぶん。
それを、小田信長と秀吉と明智で例えるとどんな感じなんですか?
そうですね、まあ、小田、死ぬからな。
小田は死ぬ。
信じることと疑うこと
小田は死ぬんだよな。
死んでない説もあるけど。
確かに確かに。
いや、これはあれです。
あのね、言じますと、小田と明智は別々の人間という形ではありますけれども、どちらも結構同じような役割かなって感じていて、
信じようとする、疑うっていう、その相対の力学の中に生きていた存在だと思います。
結構信じるっていう言葉も、よく聞くし、私も使ったりする表現なんですけど、
なんか、信じられないとか、信じたいみたいな時は、絶対に疑いを見つけてくるんですよね。
信じたいから。
確かにね。
そう、だから、今日は信じたい、信じられないって言ってる時は、ニアリーイコール、疑いたい、疑うことはやってたいって言ってるようなものだと思ってて、
これが小田と明智の状態だと思います。
だから、この2人反役が出てくるというか、疑うとか裏切られるみたいなね。
実際に明智は裏切るし、きっと小田信長の中でも裏切られるかもしれないっていう、猫身を襲われるかもしれない、いつ自分が首を取られるかわからないっていうものがあったんだとしたら、裏切ってくれる役が絶対必要だから。
それによって成り立って早くかなと思って、そこから後から出てくるミスター秀吉については、天が統一をしたみたいなところで言うのであれば、
ちょっと当て込み感は出ちゃうかもしれないですけれども、自分の内なる平和、内側の平和、歴史的なところだと勿論武力で天が統一していったっていうのはあるでしょうけれども、
統合によって平和をもたらしていったっていうようなメタファーと言えるのかなって思いましたね。
だから、信じようとする必要が本来はないんですよねってことは。
信じられなくて全然いいみたいな。
信じようとするから疑いっていうものが生まれてくるから、ただそうなんだな、終わりで良くて。
すでにあるものをなんとかしようと力が働かせるから不安が起きるわけなので、それをやめるっていうことが、今からたぶん誰でもできる、自我が芽生えている人間だったら誰でもできるけれども、
あまりにも地味で、時に痛いことかなって思うんですが、
でも今回の体験を経て私は、いろんなものに対して、いろんなことと比べても、それをする時間とかを最優先していこうっていうふうにも、たぶんもう決めていて、
それが何か、自分の役割というか、そういう自分でありたいな、そうしてあげたいなというふうにも思いました。
セルフ本老寺の辺に気づいた結果。
非常にネーミングはキャッチーですけれども、中身は。
そうね、中身は何の話してるんだろうっていうね、最終的にこう、歴史から内側からいろいろとね。
自己信頼と自己不信
最初のときには、自己不信と自己信頼のメタファーです。
はいはいはい、自己不信、自己信頼ね。
あしなまなちゃんも似たようなこと言ってたよね。
え、まなぴーも?
まなぴーも言ってんのは。
まなぴーなんか言ってたよね、信頼とかの話。
あ、そうなんだ、ちょっとググる。あ、信頼名言。
そうそう、あ、これだ。
その人のことを信じようと思いますって結構使うと思うんですけど、
それってどういう意味か考えたときに、その人自身を信じてるのではなく、
自分が理想とするその人の人物像に期待してしまってることなのかと感じます。
あ、そうそうそうそう、そうですそうです。
だからこそ人は裏切られたとか期待してたとか言うけれど、
それはその人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。
その見えなかった部分が見えたときに、
それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるということが、
信じることなのかと思います。
まなぴーはもしかしたらあれかもですね。
まなぴーやばいですよね。
高校生でイエスキリストとか聖母マリアだった説ありますね。
高校生でここまで感じ切れるってすごいことですよね。
これはあれですよ、高校生の革をかぶった魂長老ですよ。
まなぴー、いろんな人が言ってるイメージとかの影響を受けているのも否めないと思うんですけど、
小さかった頃から、何て言うんだろう、
老けて見えるとはちょっと違うんだけど、ものすごい成熟した大人にずっと見えてるんですよね。
確かに、小さい頃からね。
私よりも全然エルダーだな、みたいな。
確かに。
今の信頼という話もまさにです。
裏切られたみたいなものは、自分がその人に対してこうであってほしいという期待に裏切られたみたいなことで、
これもまた信じてたのに、みたいな。
信じてるって言ってるときは絶対に裏切られると、私は思っているので、
信じなくていいっていうのが理論です。
いやー、そう思いますね。
信じる信じないという、二項体のそこの対立の話じゃもうないですよね。
そこのあるがままを全て受け入れるって目の前にあるもの。
そうです、そうです。
で、それが信じたくなっちゃうとか、あるがままを受け入れられないみたいなときは、
まあ、期待したい自分がいるっていうことも、それはそれでOKだなってまず思っているのと同時に、
自分自身のあるがままを受け入れてないから、それが起きるだと思ったんですよね。
自分の中でこんな自分は嫌だシリーズがあるから、だからあれなんです。
あの、セルフ本能寺の変が起きるわけです。
起きますね、それは。
はい、だから結構、私が自己統合こそが本当に最優先で自分のためにやっていきたいなって思ったことは、
結構本当に大事なことだなって思っていて、
ちょっとここからは話少し派生しちゃうんですけれども、
今実験的にやっているのは、現実で起きている出来事って結果論だと思うんですよね。
その時起きたことをもう変えられない、
何かしらのね、もともとの自分の中の価値観とか観念に基づいてピューって表出しているものだと思っているので、
自分の中での自己統合とか、
イメージとかそういったものに最優先で時間を注いでいった場合、
現実はどう展開するのかっていう実験シーズンに今入っていて、私が。
5月はちょっとそういう時期になっていきそうです。
割と現実を何とかするみたいなものは全ストップしていて、
やりたいとか、楽しそうみたいなものは動くんですけれど、
そうでない場合は、自分との統合、分かち合い、和合を最優先するっていうのをちょっとトライアルしてますね。
結構、現実的には一見、今自分は若干追い込まれているみたいな風にも言える状況なんですけど、
相変わらず謎の富豪感って呼ばれているので、
ちょっとそのマインドのままいこうと思いました。
現実との向き合い方
富豪を先取りしてるっていうね。
そうなんですよ。
未だにやっぱ言われます。
謎の金持ちの占い師ってすごいなんか言われてて。
やっぱみんながね、そういう素晴らしいイメージング、アファメーションを集合無意識から入れてくれてるんで。
じゃあ、セルフ統合とかイメージングだけやってよっかなみたいな風に。
これもある意味自分の人生を通じての実験なんですが、
直感的にそれがすごい近道っていう感覚があるので、トライしております。
ひもっぽくなってきたでしょう?
なってきたね。ひもらしく、だんだん。
もうね、リスナーの皆さんもね、ぜひ私のここまでのひもとしての成長日記ですから、このラジオはマジで。
本当に我ながら素晴らしい成長をね、気づけば辿っておりますよ。
カテゴリー占い師なんだね。周りからのアファメーション。
いやなんかね、これ結構人それぞれなんですけど、占い師って言ってるのは、特定のとある友達なんですけど。
それ以外だとね、言われるのは、宇宙人枠、宇宙人、ひも。
ひもは輝きまんの思想を知ってる人からしか言われてないけど、あと占い師とか。
でもあとは、最近はわざわざはあんま言われてないけれど、ただアーティストみたいなとか。
でもだんだんなんかそういう表現のラベルもあんまりなくなってきたような気がしました、今あげてみて。
こんな感じかも。
まあ私自身も、何でもいいやって、人に説明する機会も今ないから、何でもいいやってしてます。
好きなように認識してくださいって思ってますね。
いいですね。ひもですよ、そこまで来ると。何でもいいっていうね。
なんかね、やっぱその、自分の中でのこうでありたいみたいなものとかが薄れてくると、何でも良くなってくるんですよ、本当に。
どっちでもいいけど、みたいな。
こだわりがね、なくなっていくような、なんだろうな。
そう、だから、たぶんこれは結果とかアウトプットに対する執着がなくなってきたってことなのかなって捉えてるんですよね。
確かに。
だからこそ、自分でこう規定しないじゃないですか。
私のアウトプットは、もしくは求めるものは、この星型のクッキーです、みたいなことを規定しないから、
マジで一番ベストな形になるというか、自分の想像もすらも超えて。
だから、私結構まだまだね、私も未熟者ですので、期待がないわけではないです。
こういう形がいい、みたいな自分ももちろんいて、その場合は、この形がいいって思っている自分を認めつつ、
でも同時に、結果の執着から解かれて、想像も超える形で、超ベストなものが入ってくることも同時にOKしておくみたいな。
ってなると、ここの争いもなくなるので、ものすごい自然なタイミングと流れと形になるのがすごいヘルシーだなって感じましたね、それは。
いいですね。
ちょっと進化しすぎちゃったかな、最近。
確かに、だいぶ初弾なんじゃないですか、もしかしたら。
あ、ついに。
初弾だ、初弾。
初弾されたんじゃないですか。
確かにね、なんか、お金の心配とかそういうものの概念がなくなってきたとき、初弾かなみたいなことをなんか前聞いたようなうっすら記憶があって、
なんかもう、どうせ生きていけるしな、みたいな感じになってるでしょう、だーんって言われた気がするから、近づいてきたかも。
そう考えると、私のさっきお話しした、現実外側のことをいじるよりも、
内面のところの方が一気にワープする説は、ある意味ね、証明しつつあるかもしれないですね。
はい。
確かに。
これがセルフフォルジュの辺。
フォルジュの辺ね。
いろんなピースが紐への階段を登ってる感じを演出してますね。
確かにこういう、ちょっとこう、スパイラルアップしてるみたいなね。
スパイラルアップね、そうそうそう。
あのちょっとビジネス界隈で言われるやつね、久々に言ってみますけど。
そうそう、みたいなね、はいはい。
まずね、ビジネスの世界で働いていたのが、言ったら一応3月まではやってたんですけど、
これももう、
そうだったんだ。
前世、マジで。
前世。前世でした。
前世になりました。
あのそこも、私の中では、今このタイミングでは少なくとも、今このタイミングではちょっとこう、
ご縁しないっていう風にも決めたから、ビューって。
なるほどね。
はい、ちゃんと、なんか、自分の資質のど真ん中を生きるみたいなことも決めたから、
そうじゃない、そうじゃない、まあちょっとやったらできるかなみたいな、
言ったらこう自分の中で9割ぐらいのものは全部もう、世界にお返しするみたいな、
他に得意な人やりたい人にお任せて、
私は私が本当に楽に自然にやっちゃうところだけやるっていうのも決めたから、
結構それもひも的だなって感じてます。
いいですね。
引き上がってきました。
引き上がってきましたね。
じゃあ一回最初のセルフ本能寺の編をちょっと締めましょうか。
セルフ本能寺の変の意味
はい、セルフ本能寺の編を締めましょう。
改めて、セルフ本能寺の編ってどういうことだったんですか?
セルフ本能寺の編とは、
自己不信とか、
自分の中での不都合とか認めたくない自分、
それを裏っていうふうに表現するんだったら、
自分の裏を切っているようなものが、
セルフ本能寺の編で、
それと相対的な、
曲の別の世界観で言ったら、
信じる疑うみたいな、
そういう対立からも、
次元上昇したり超えていったりして、
何でもいいみたいな、
ただあるじゃん、みたいな、
そういう世界観になる。
これ、どっちが良い悪いとかではなくて、
そういうものが、この世界には存在している、
というものを捉えるメタファーが、
の一つが、セルフ本能寺の編でした。
セルフ本能寺の編でした。
はい。
ということで、
それでは締めていきましょうか。
ひも理論と意識の本質
では、超実践的ひも理論では、
宇宙、真相、真理、内的世界といった、
意識の本質に関するテーマを配信しております。
このチャンネルのプロフィール欄から、
お便りを募集しているので、
感想や取り扱ってほしいテーマなど、
ぜひ投稿してみてください。
コメントも全部読んでいます。
チャンネルのフォローも、ぜひよろしくお願いいたします。
それでは皆さん、またお会いしましょう。
36:00

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